視覚障害者の情報基礎能力-キーボード入力について- 視覚部一般教育等 村上 佳久 鍼灸学科 上田 正一 要旨:情報教育は、主に情報基礎教育、情報処理教育に分けられる。1990年代後半から、新しい情報教育の試みが数多く行われているが、学習はじめの情報基礎能力についての指導方法が重要であるとの報告が多い。ここでは、視覚部における情報基礎教育について説明する。 キーワード:ブラインドタッチ、情報基礎 1.はじめに  1970~1980年代の情報教育といえば、情報処理プログラミング教育であったと言っても差し支えないであろう。BASICやCOBOLなどのプログラミング言語を習得することが重要視された。1980年代後半1990年前半にかけて、大型汎用計算機やUNIXワークステーションなどを利用し、統計処理などを行うことが重要視されるようになり、世間一般にダウンサイジングと呼ばれる大型計算機からUNIXへの流行が起こった。1990年代後半からWINDOWSなどを中心としたパソコンの能力が非常に向上し、ダウンサイジングがUNIXからパソコンにまで押し寄せるようになると、情報処理能力よりもコンピュータを使いこなす能力(情報基礎能力)のほうが重要視されるようになってきた。  2000年以降から実施される新しい学習指導要領でも、高等学校で新しい教科として「情報」が必須となっており、この中でも情報基礎能力、情報処理能力、情報総合能力の3つを柱として展開され、中でも情報基礎能力が重要視される。 情報基礎能力は、 ・キーボード入力 ・ワードプロセシング ・表計算 などを中心とした、いわゆる「コンピュータリテラシー」であり、コンピュータを利用するための基本的な能力を身につけさせることが最も基本的な内容である。  盲学校など視覚障害諸機関では、養護訓練と称する時間を利用して障害を克服する1つの手段としての教育を行ってきたが、盲学校でも新しい教科「情報」は実施され、コンピュータリテラシー教育が導入されるが、視覚障害故の様々な問題があり、特にキー入力について様々な教育実践が行われており、統一的な情報基礎教育が実施されていないのが実状である。  筑波技術短期大学 視覚部で、平成3年の学生受け入れ以来、鍼灸・理学療法、情報処理の3学科共に一般教育科目での「情報処理」という授業は、情報基礎教育ではなく情報処理教育を目指したものであった。  様々な事情から、第2期生から、鍼灸・理学療法学科において情報基礎教育を行うようになった。これには視覚障害克服のための1つの手段としてパソコンを視覚障害補償機器として位置づけたためである。  ここでは、情報基礎能力の中で特に初歩段階で行われるキーボード入力について、平成4年~10年の7年間の実践をまとめてみた。 2.キーボード入力  不幸なことに平成3年度入学の視覚部の第1期生には情報基礎教育が行うことが出来なかった。このために第2期生からのデータを中心にキーボード入力の練習方法や視覚障害者特有の問題について以下に述べる。 2.1キータイピング練習  キー入力練習のための方法は、ハードタイプライタ(昔ながらの手動式のタイプライタ)からソフトタイプライタ(電動式タイプライタやワープロなど)で若干は異なるが、おおむねキーの配列を修得することは同一である。  ハードタイプライタを製造している、イタリアのオリベッテイ社のタイプライタ付属教則本によると、 1)正しい手の形(キーボードに手をのせる手の形など) 2)手首、肘、肩、座り方 3)各キーを担当する指 4)ホームポジション 5)各指のキータイプ練習 6)右手・左手のキータイプ練習 7)両手のキータイプ練習 8)単語のキータイプ練習 と、様々な練習項目が記されている。  これは、ソフトキーボードでも同一で、キーストロークがハードキーボードに比べて短くなった分、高速な入力が出来るようになってきた。しかし、昔ながらの基本的事項は同一で、ホームポジションの正確な獲得は特に重要視される。  そこで、人差し指の位置を明確にするために、FとJのキーに点字のシールを付けて、確認しやすいようにしている。これは、電子図書閲覧室、図書館、鍼灸学科・理学療法学科講義室でも同一である。(点字シールは剥がれやすいが)キー練習は、オリベッテイ社の教則本に基づいて行い、いすの座り方・手首の形・肘の形・指の形などを一番はじめに指導し、ホームポジション修得を行い、次いで各指及びキーボード各段のキー入力の練習を行い、最後にA~Zまでの入力練習を行う。この間、約6校時(授業6時間分)である。この練習中、光覚以上の視力卯ある学生に対して、アイマスクの着用を義務付けている。このアイマスク着用の効果は、感覚器官の1つを遮断して他の器官の能力を向上させる教育手法であり、視覚情報を遮断することにより、全盲と同一条件にして指先に神経を集中させ、キータイピング能力を向上させることを目的としている。 2.2基礎キーボード入力試験  各指の位置を確認させると共にブラインドタッチを拾得させることを目的として実施した。 範囲:半角英数字のAからZまでの26文字 状態:光覚以上の視力のあるものに対してアイマスクをした状態 ヘッドフォンを利用し、合成音声による視覚障害補償を行う 条件:VZエディタV1.56+ATOK日本語入力+VDM100合成音声ソフト 時間:10秒以内(試験は2回行う)  ただし、キーボードのFとJのキーには点字を張り、これらのキーが分かり易くした。  この課題に合格するためには最低でも、26/10=2.6Stroke/Secのキー入力速度が求められる。さらにアイマスクで視覚情報を遮断しているため、正確なキー操作が必要で、間違いを訂正する時間は殆どない。 2.3かな漢字変換  かな漢字変換は、日本語入力には欠かせないものある。 盲学校などでは、六点漢字や点漢字(八点)入力のために六点入力や八点入力を行う場合もあるが、機種やキーボードにより行えないこともあり、利用するコンピュータの種類の多い視覚部では、「ローマ字かな変換」を採用している。視覚障害補償として合成音声と共に利用する日本語入力ソフトウェアとして、ジャストシステム社製の「ATOK」を採用しているが、 平成3~4年:ATOK6 平成5~7年:ATOK7 平成8~9年:ATOK8 平成9~10年:ATOK9 というようにバージョンアップを行ってきた。当然、かな漢字変換のための辞書も多くなり、変換方式も連文節変換からAI文例変換へと進化した。このためキー入力ミスを日本語入力が補って訂正してくれる。例として、ATOK9では、Nキーの押しすぎによる「ん」の表示をかな漢字変換の時に判断して正確な表示を行うことが可能である。つまり、 必要な入力:KONNNITIHA 実際の入力:KONNNNITIHA 変換の結果:今日は、 実際の入力では、Nが1個多いが、正確にかな漢字変換されている。従って、この種のテスト評価を行うためには、どのようなキーが入力されたかを正確にトレースすることが必要不可欠である。  このキー入力監視には、NetWareのサーバ端末間通信トレースを利用して、キー入力について監視するソフトウェアを端末に常駐させてデータを収集した。 2.4応用キーボード入力試験  ローマ字入力かな漢字日本語変換に対する練習習熟度を調査することを目的として実施した。 範囲:筑波技術短期大学 視覚障害関係学科 鍼灸学科 姓 名 筑波技術短期大学 視覚障害関係学科 理学療法学科 姓 名 状態・条件:基本キーボード入力試験に同じ 時間:25秒以内(試験は2回行う)  ただし、キーボードのFとJのキーには点字を張り、これらのキーが分かり易くした。  この課題で、例えば、姓 名に「村上 佳久」を例とすると、 漢字:筑波技術短期大学 視覚障害関係学科 鍼灸学科 村上 佳久 ローマ字入力:tukubagijututannkidaigaku sikakusyougaikannkeigakka sinnkyuugakka murakami yosihisa  つまり、最低でもキーを80文字入力し、さらにかな漢字変換を行う必要があるので、それ相応の入力速度が求められる。(ここでは、ローマ字表記のへボン式や国語式などの正確さは求めない)  一般に、かな漢字変換の基本として、文節ごとに変換するのが一般的である。また、関連のある熟語は4文字でもよい。(例:短期大学)すると、上記の例では、 筑波:変換 技術:変換 短期大学:変換 視覚障害:変換 関係:変換 学科:変換 鍼灸:変換 学科:変換 村上:変換 佳久:変換 漢字24文字に対して、合計10回のかな漢字変換が必要となるので、総キー入力は、90回以上となる。これは、正しい変換が1回で出るとは限らないためである。なお、人名に関して、全ての学生の姓と名は個別に辞書登録してあり、必ず正しい漢字を出すことを求めている。  この課題に合格するためには最低でも、90/25=3.6Stroke/Secのキー入力速度が求められる。さらにアイマスクで視覚情報を遮断しているため、正確なキー操作が必要で、間違いを訂正する時間は全くない。かな漢字変換に要する時間を考慮すると4~5秒程度は必要と考えられるので、実際には、90/20=4.5Stroke/Secという非常に高速なキー入力を正確に行う必要がある。  この速度は一般の入力には不必要と思われるかもしれないが、実際に文書を作成することを考えると、そう早くないことがわかる。  例えば、1時間にA4用紙1枚のレポートを作成する場合、文書のみに専念して入力するとA4用紙1枚で、漢字文字数:約1200文字半角英数字数:約2400文字 かな漢字変換:約480回(通常約20%) 合計約2800回 1時間:3600秒 変換時間:720秒(通常約20%) 実質入力時間:約2800秒  つまり、1秒に1回キー入力をすれば、1時間にA4用紙1枚のレポートを作成できる計算になる。しかし実際には、かな漢字変換の誤変換も多く、改行などの時間もかかるので、昨今のワープロ検定試験での実績を考慮するとこの2.5倍はかかる。つまり、2.5Stroke/Secである。  実は、A~Zのキー入力の課題に求められるキー入力速度は、ここから算出した。  この速度は、ワープロ検定試験3級程度の入力速度で、一般的なものであることがわかる。 3.キー入力試験の結果 3.1基礎キーボード入力試験  平成3年度以降の基礎キーボード入力試験の結果をグラフに示す。(2回の良い方の結果、平成3年分は参考) 鍼灸・理学療法の両学科間に有意な差はない。 0.288<2.97(005)p=0.39 同様に各年度間・男女比共に有意な差はない。  次に全盲(点字使用者)、重度弱視(大型モニタ使用)、軽度弱視(小型モニタ使用)の3者について比較すると、軽度弱視と重度弱視には、4.07>2.97(0.05)p=0.0032で、5%水準で有意な差が認められるが、それ以外の組み合わせでは有意な差は認められない。  さらに年齢別に比較すると40歳以上で有意な差が認められるが、それ以外では有意な差はない。40歳以上で有意な差が出るのは、加齢のために指が十分に動かないことが考えられる。  なお、10秒という基準に対する合格率は、85%程度で、追試を行うとほぼ全員が合格する。 3.2応用キーボード入力試験  結果は、ほとんど基本入力試験と変わりのない値を示した。有意差を示したのは、軽度弱視と重度弱視、40歳以上の2つであった。  特に年齢別40歳以上の有意差の数字が増大しており、加齢と共に90文字以上の高速なキー入力操作が困難になることを示している。但し、到達目標の設定をもう少し低くし、30秒とすると有意差が無くなることから、25秒という到達目標は、一般的に比較的高いレベルのものといえる。  なお、25秒という基準に対する合格率は、70%程度で、追試を行うと90%が合格する。 3.3晴眼者との比較  同様の実験を平成6~8年にかけて、全国の普通科の高等学校4校の協力を得て実施した。  内訳は、女子校2校、共学校2校で、学年は2~3年生である。各学校3~5クラス中1~2クラスを比較のために「合成音声補償十アイマスク」なしで実施した。授業としては、選択授業の「情報処理」の中で行い、1クラスあたりの人数は20人である。(パソコン台数も20台) 視覚部の学生と異なり、合成音声装置を運ぶことが出来なかったので、リコー製の合成音声ソフトウェア「VC2」を利用し、A~Zまでの基本キーボード入力試験のみを実施した。 範囲:半角英数字のAからZまでの26文字 状態:実験群はアイマスクをした状態で、ヘッドフォンを利用し、合成音声による視覚障害補償を行う 比較群は、アイマスクと合成音声なし 条件:VZエディタV1.56+ATOK日本語入力+VC2合成音声ソフト 時間:10秒以内 ただし、キーボードのFとJのキーには点字を張り、これらのキーが分かり易くした。  なお、視覚部と同様に6校時の指導を行った後、試験を行った。授業は4校全てで、村上が実際に授業を1クラス行い、その指導案に基づいて残りのクラスは教科担当(理科)の教諭にお任せした。但し、指導内容は全く同一である。  結果は、ほぼ本学と同様となる。年齢別・男女別は比較できない場合があるので省略したが、学校別の有意差も認められなかった。さらに担当教諭別の有意差も認められず、村上との有意差も認められなかった。  有意差が認められたのは、実験群と比較群との差だけであった。この差は、アイマスク+合成音声の差によるものと考えられる。なお、各学校間及び、一般高等学校と視覚部学生との有意差も平均では認められなかった。 図1 基本キーボード入力試験の結果 表1 視覚障害の程度による比較(人) 表2 年齢別人数(人) 4.考察  前章の実験結果から、アイマスク+合成音声によるキーボード練習法の優位性が認められたが、特出すべき事は、指導者間で有意な差が生じなかった事である。一般的にはこのような一斉授業では有意な差が出るのが一般的であるが、その理由としては、村上の指導案及び授業及びそのビデオを各学校で担当教諭が十分に練習された結果だと思われる。  基本キーボード入力から間違が多いキーについて、キー入力のトレース結果から求めたところ、SからTのキーに移動する際に最も多くのタイプミスが起こっている。しかし、その頻度は視覚部で2例、高等学校で3例のみで、高等学校の比較群では、11例が認められた。A~Zでのタイピングでは、如何にリズムよくキーを入力できるかが最重要ポイントである。その点で、実験群に入力ミスが少ないのは、アイマスクによる視覚情報の遮断により集中力が増しているためと考えられる。これらの結果は、先行研究などと同一の結果を示しており、「アイマスク+合成音声」方を利用した、基本キーボード入力に関して、視覚障害者と晴眼者との差はほとんど無いと考えてよいであろう。  応用キーボード入力では、タイピングミスよりも漢字変換ミスの方が目立つ。キー入力のトレース結果からは、視覚部の学生の90%は正確なキー入力操作を行っている。それに対し、10%の学生がキー入力ミスを行っているが、多くが、GIJUTUまたは、KANNKEIで起きている。  GIJUTUの場合、ローマ字かな入力では、GIJYUTUでも同一だが、このYを入力する際に起こるミス(他のキーを押す)が非常に多い。 また、KANNNKEIのようにNが多いミスも目立つ。(但しこのミスはATOK9の漢字変換では、前述のように救済される)  特に多い漢字変換ミスは文節の場所の間違いである。2ないし4つの単語ごとの変換では、ほぼ変換ミスをする事は非常に希れであるが、テストという緊張のためにスペースキーを押して、かな漢字変換するという行為を忘れてしまっている場合すらある。キー入力そのもののミスではないので、一般のレポート作成などで問題となることは少ないと思われる。  平成6年、9年に行った追跡調査(応用キーボード入力の成績のあまり良くなかった学生に対して1年後に同一の課題を行った。両年で5名)では、普段のレポート作成の成果からか、楽々課題をクリアできた。このことは、後の文書作成における多数のキー入力により、キー入力速度やかな漢字変換の文節単位の切り出し技術の向上が、はかられたものと推察される。特に、基本キーボード入力でブラインドタッチが修得できているため、かな漢字変換でもキー入力速度の差はあっても漢字変換ミスは徐々に少なくなってくる。もちろん先天盲における漢字の知識不足に基づく漢字変換ミスはやもを得ない場合があり今後の課題ではあるが、学年進行にともなって漢字変換ミスが少なくなることから、一定の学習進歩が見られると考えられる。 5.おわりに  鍼灸・理学療法学科のキー入力練習は、入学時の非常に早い段階、場合によりオリエンテーションの午後という学年もあった。4月中の学科の専門教育の授業の一部を情報基礎教育にあて、6月中の情報基礎教育の授業を学科専門の授業に振り替えて、出来るだけ4月中の授業時間数を多くして集中的に行ってきた。  「鉄は熱いうちに打て」という諺があるが、「アイマスク+合成音声」と集中授業の成果で、学生の情報基礎能力を身につけさせることが出来たのではないかと考えられる。キーボード入力は技能の取得である。反復練習と教育方法、集中授業の組み合わせで技術を身につけさせることが出来たが、この集中授業を行うことは大変難しい。学科の先生の協力に感謝する次第である。  「キーボード入力など大学でやる授業ではない」という声をよく聞くが、平成4年以降、文部省主催の情報処理教育研究集会でもキーボード練習の発表が非常に多く行われるようになってきた。キーボード入力をはじめとする情報基礎教育もようやく市民権を得て、新しい学習指導要領で正式に位置づけられるようになった。  技能教育は、その技能の修得を保証することから教育が成立する。  学生任せで、「自分で練習しておくように」と言っても技能の修得はままならない。「技能教育は、農業と同じで手間と時間がかかる」とは、先人の格言であるが、今日でも同一である。  月並みではあるが、厳選された教育内容、実態に沿った学習指導案、そして何よりも大切な教える側の情熱、これらが学生と教官側の信頼関係を作り、技能を修得するための必要にして不可欠な条件かもしれない。 参考文献: ・学校ワープロ調査研究委員会報告,社団法人日本事務機械工業会(1986-1988) ・教育ワープロ調査研究委員会報告,日本教育工学協会(1989) ・情報教育の手引き,文部省(1990),ぎようせい ・教育ワープロに関する調査研究報告書,教育ワープロ調査研究委員会(1990),日本教育工学協会 ・情報化社会におけるワープロ利用,大隅紀和,大阪大学人間科学部「博士(人間科学)」論文(1993) ・情報処理学術研究集会論文集,文部省(1992-1997)年会論文集10-14,日本教育情報学会(1994-1998)