身近な素材を活用した物理実験-速度・加速度の概念をいかに理解させるか- 聴覚部電子情報学科電子工学専攻 内藤 一郎 鹿児島大学教育学部 土田 理 要旨:近年、高等学校段階で物理を選択せずに理工系大学・学部へ進学する学生が増加している。こうした傾向は本学にも見られ、入学後の専門教育を進める上で重大な問題となっている。今回、我々は『つくば科学フェスティバル’98』において小中学生を対象にミニ四駆を利用した物理実験を実施した。こうした日常生活に身近な素材を実験に活用することは、学生に物理や専門科目への興味や好奇心を抱かせ、授業の重要なポイントの定着を促進できる可能性が高い。本稿では、今回行った実験の概要と、実際の授業への応用方法について考察する。 キーワード:物理実験、専門教育、速度、加速度、つくば科学フェスティバル 1.はじめに  近年、若者の理科離れ、物理離れが危慎され、実際に高等学校段階で物理などを選択せずに理工系大学・学部へ進学する学生が増加している。本学でも、入学前の科目履修状況の調査で、平成5年度以降の入学者では、物理や全領域を学ぶ理科Iの履修の減少傾向が報告されている1)。  この原因としては、 (1)大学受験の影響から、学校教育が数式偏重になり、その結果として実験が軽視されて、理科嫌い・物理嫌いの学生が増加している2)3)4)。 (2)平成6年度から施行された新学習指導要領により、全領域必修の理科Iが廃止され、受験で得点が難しい科目として物理などが敬遠され始めた1)。 などが指摘されている。  一方、数学的な理解と物理学的な理解には大きな差異があることも指摘されている。たとえば、数学がよくできる学生でも数学の問題を離れると適切なグラフの選択や作成ができない事例5)6)や、方程式が解ける場合にもその方程式の物理的な意味を把握できていない事例4)が報告されており、こうした問題は、グラフの作成や方程式の解法などの技術的な面だけにとらわれた授業方法では、解決することが困難であると考えられる。  こうした背景から、これまでの理科や物理の授業・実験の在り方が問い直されている7)8)。そのような中で、小中学生の科学への興味を育むことを目的とした『青少年科学の祭典』が、全国で盛んに行われるようになってきた9)。  今回、我々は、つくば市内の小中学生に物理への興味を持ってもらうことと、その結果を自らの授業への工夫へと結びつけていくことを目的として、『つくば科学フェスティバル’98』に参加した。  本稿では『つくば科学フェスティバル’98』で実施した実験の内容と、その結果を基に検討した実際の授業への応用方法について報告する。 2.つくば科学フェスティバル  平成10年度の『つくば科学フェスティバル」は、平成10年10月10日(土)・11日(日)の両日に、つくばカピオにおいて開催された。フェスティバルは、つくば市内の様々な教育機関や研究機関が参加し、各ブースで来場者にデモ実験を演示したり、実際に実験を体験してもらったりする形式で実施された(図1)。  我々の出展内容は、小中学生にとって身近な素材であるミニ四駆を使って速度の測定を体験する実験である。実験に使用したコースの全景を図2に示す。  速度は、物理学の最初の単元である『物体の運動」の内容で、物理量としての単位の理解とともに平均変化率、さらには微分へとつながる重要な概念である。また、実際の日常生活に密着した物理量でもあることから、今回のテーマとして選択した。  測定原理を図3に示す。Texas Instruments社のグラフ電卓TI-83とその計測システムCBLによりレーザーポインタのレーザー光を感知し(図4)、ミニ四駆がセンサー前を通過する際にレーザー光を遮る時間(センサーの不感時間)からミニ四駆の速度を算出する。ただし、ミニ四駆は車体の形状がそれぞれ異なり、また、コースの壁面が車体の大部分をセンサーから隠してしまうため、車体上部に長さ10cmの紙片を貼り付けて(図5)、センサー前を横切る長さを一定に保って測定を行った。  当日の体験実験は、普段遊んでいるミニ四駆が実際にはどの程度の速さなのかを問いかける形で実施した。なお、参加者は、各自任意の時間に我々のブースへ来て体験実験を行うため、計測後直ちに測定結果と計算過程をOHPでスクリーン上に投影し、自学習用のプリントを配布して、計算方法の説明を行った。配布したプリントの内容の一部を図6に示す。プリントでは、その記述に従って計算を進め、空欄を埋めていくことで速度の算出過程や単位の変換(秒速から時速)を学ぶことができる。また、参加者には、実験をより身近に感じてもらうために普段実際に使っているミニ四駆を持参して自らスタートしてもらった(図7)。実際に測定している様子を図8に示す。2日間での参加者は約150名(複数回の参加は、1回すなわち1名としてカウント)であり、2日間にわたり複数回測定を行う者も多く、こうした身近な素材を活用した実験への関心ならびに参加意欲の高さをうかがい知ることができる。 図1会場の様子 各ブースでは、市内の各教育機関・研究機関の演示実験や体験実験が行われた 図2コースの全景 左側のスクリーンに測定結果と計算結果を、右側のスクリーンに順位と測定者氏名を表示 図3速度の測定原理 図4センサーの様子 コースの手前側にあるのが光センサー、向い側にあるのがレーザーポインタ、センサーの手前が計測システムCBLとグラフ電卓TI-83 図5測定に使用したミニ四駆 ミニ四駆上部に取り付けた紙片がレーザー光を遮る 図6当日配付したプリントの一部 設問に従って計算していくと速度の計算過程が学べる 3.授業への応用方法  「つくば科学フェスティバル’98」では、参加者が任意の時間に来て実験を行うために、自学習用のプリントを配布する形を採用した。しかし、授業では十分に説明や討論を行う時間があり、説明や討論の効果を十分に考慮して授業内容を計画する必要がある。また、速度だけではなく加速度も議論することで、物理量としての単位の理解や平均変化率の概念をさらに深く理解させることができるので、同じシステムを用いた加速度の測定実験も検討した。 3.1速度の測定実験  速度の測定実験では、速度の異なるミニ四駆を数台と、ミニ四駆に貼り付ける長さの異なる測定用の紙片を数種類(例えば、6cm,9cm,12cmなど)用意する。ミニ四駆の速度は、車体内部に鉛などの重りを取りつけることにより調整ができる。なお、測定のための専用のコースが用意できない場合には、机や床に厚紙を貼り付けて簡単な直線コースを設定すれば実験の実施が可能である。 授業は学生を約3名程度のグループに分け、次に挙げる学習ステップに従って、グループ内で議論・推論を行いながら進めていく。グループ内の人数を3名程度に限定するのは、議論や推論を他人任せにせず、全員が議論に参加するように促すためである。 <ステップ1>  速度の異なるミニ四駆に長さが同じ紙片を貼り付けて、速度の測定実験を行う。この場合には、速度に応じてセンサーの不感時間が異なるので、測定結果の不感時間より、どのミニ四駆が速いのかをその理由も含めて議論させる。 <ステップ2>  同じミニ四駆に長さの異なる紙片を貼り付けて、速度の測定実験を行う。この場合には、速度はほぼ一定であるので、どのようにすれば、測定結果から速度が同じであることを示すことができるのかをその理由も含めて議論させる。 <ステップ3>  速度の異なるミニ四駆にそれぞれ長さの異なる紙片を貼り付けて、速度の測定実験を行う。この場合には、速度と紙片の長さの組合わせに応じてセンサーの不感時間が異なるので、測定結果の不感時間より、どのミニ四駆が速いのかをその理由も含めて議論させる。 <ステップ4> 最後に、“長さを時間で割る”ことの意味について議論させる。 3.2加速度の測定実験  速度の測定実験に続いて、加速度の測定実験を行う。授業の実施方法は速度の測定実験と同様である。  加速度の測定原理を図9に示す。ミニ四駆は、同一周回程度では電池の電圧降下が無視できるので、駆動力が一定であると考えることができる。したがって、コースの形状に変化がなく路面や壁面からのミニ四駆への負荷が平均的には一定であると仮定できる区間では、進行方向に対しては等加速度運動をしていると考えることができる。ゆえに、図9のコース直線区間ABでは、A,B各点での速度と進行距離(AB間の距離)を測定することで、各センサーの同期(時間差の測定)をとらずにミニ四駆の加速度を算出することができる。ただし、算出されるのは厳密には平均加速度であるので、計測区間は長めに設定した方が精度は高くなる。  また、カーブ区間BCでも、ミニ四駆への負荷は一定(負荷の大きさは直線区間とは異なる)であると考えられるので、同じ原理により進行方向への加速度を算出できる。ただし、この際には、進行距離はπR(Rは曲率の半径)となるので、BC間の直線距離(曲率の直径)の測定より進行距離を算出する。 <ステップ1>  速度の異なるミニ四駆にそれぞれ長さの異なる紙片を貼り付けて、A,B各点で速度を同時に測定する。速度の算出方法に関しては既に学んでいるので、測定結果の不感時間より、各ミニ四駆のAB間での速度差を議論させる。 <ステップ2>  各ミニ四駆のAB間の時間差(教師側がセンサー間の距離と速度から算出)を示し、もしミニ四駆に乗れるとした場合に、どのミニ四駆に乗った時が最も加速を感じるのかをその理由も含めて議論させる。ただし、もし学生が十分な数学的レベルである場合(実験の本質的な部分を見失わずに数式処理が行えるレベル)には、等加速度運動の方程式からセンサー間の時間差を計測せずに加速度を算出する方法も導かせ、AB間の距離と各点での速度から加速度を算出させる。 <ステップ3>  専用のコースを用いることができる場合には、AB間、BC間に関して、同時に加速度の測定を行い、直線区間とカーブ区間でミニ囚駆に、それぞれどのようなことが起こっているのかをその理由も含めて議論させる。 <ステップ4> 最後に、“速度を時間で割る”ことの意味について議論させる。また、速度が長さ(移動距離)を時間で割っていた意味を既に議論しているので、その結果と関連させて、距離と速度、加速度の関係も議論させる。 図9加速度の測定原理 4.考察  今回フェスティバルで実施し、さらに授業への応用として提案している実験は、通常の理科や物理の授業で台車に紙テープを取り付けて行っている速度・加速度の測定実』験と本質的には内容の差異はない。  しかし、「台車の速度や加速度はどの程度なのか?」という問いかけに、心を動かされる者は極めて少ない。それに対して、「ミニ四駆の速度は歩く程度なのか、それとも高速道路を走る自動車の速度と同じ程度なのか?」という問いかけに、実際に調べてみたいと思う者は少なくないであろう。  また、学生にとって、実験で使用する台車は無味乾燥な実験素材に過ぎず、そこから得られた結果が日常の生活に結びついているという感覚を得ることは極めて困難である。そのために、授業で学んだことは授業の中だけのこととして理解している学生が多い。したがって、実験の中に日常生活に身近な素材を活用することは、実験室や教室での内容が実際の生活や世の中で起こっている様々な現象と結びついていることを学ぶ上で、非常に重要な要素となり得る。もし、今回のようなシステムを実験室や教室の外へ持ち出して、実際に自動車や自転車の速度・加速度の測定も行うと、さらにこうした理解が深まることが期待される。  また、我々教師は教える際に、学生が間違った理解をしてしまうことを必要以上に恐れ、さらに効率的に多くのことを理解させることを目指すあまり、正解にたどり着く道筋だけに固執してしまう傾向がある(0)。その結果として、学生は教師が示す内容を「覚える」形で学ぼうとする傾向に陥りやすい。しかし、「わかる」過程の根幹は、教師一学生間、あるいは学生同士の間に生起し、共有されていく知識に他ならない(1)。こうした認知心理学的な観点から、学生のグループ内での議論や推論を授業や実験に積極的に取り入れていくことが、抽象的な概念の理解を促進する上で重要であると考えられる。  特に、物理などの専門基礎科目の学習経験が少なく、かつ聴覚に障害を持つ本学の学生を対象とする場合には、黒板・プリントとチョークだけの講義では、物理をはじめとする専門的な基礎概念を獲得させることは非常に難しい(2)。したがって、講義の中に身近な素材を活用した演示実,験や学生実験を織りまぜ、学習意図を明確化することで興味を持続させ、学生間の議論や推論を通して重要なポイントの定着を促進させていくことは極めて重要である。 5.謝辞  今回、「つくば科学フェスティバル'98』における体験実験では、筑波大学教育研究科研究生の小野 禎文氏の協力を得ました。また、つくば市教育委員会社会教育課のご助力により市内の児童館よりミニ四駆用コースをお借りすることができました。関係された方々に深く感謝いたします。 参考文献 [1]土田 理:「国立聾工科大学(NTID)におけるカリキュラム改革-基礎学力の向上と個々の適性の一致-」,聴覚障害者を対象とする日米大学の教育実践 筑波技術短期大学と国立聾工科大学(NTID),pp1-6(1997),筑波技術短期大学. [2]佐伯 胖:「理科の「わかり方」を変える-「科学する文化」をつくる-」,理科の教育,1月号,Pp.4-7(1996). [3]後藤 道夫:「若者を物理好きに-第1回「中学・高校生のための科学実験講座」からの報告」,日本物理学会誌,VOl.47,NO.2,pp129-130(1992). [4]桜井 邦朋:「宇宙には意志がある」,第1版,1995,クレスト社 [5]土田 理:「学生実験報告書に見られるグラフ記述の誤りとその原因の推察」,テクノレポート,第4巻,pp79-83(1997),筑波技術短期大学. [6]土田 理,長川南海男:「物理実験におけるグラフ作成過程に関した中等学校生徒の実態一『グラフの特定」および「横軸・縦軸の特定』を主として-」,日本科学教育学会20周年記念論文集,pp541-551(1996) [7]金城 啓一:「InvesitigationinPhysicsWorld自ら学び取る物理の世界」,理科の教育,11月号,pp25-27(1997) [8]小川 俊行:「生徒の思考力を育成する理科の授業-思考実験と現物実験の統合を通して-」,理科の教育,6月号,pp8-10(1998) [9]米村 傳治郎:「青少年のための科学の祭典奮戦記」,日本物理学会誌,Vol49,No3,pp228-229(1994). [10]松本 伸示:「考える場を保障した理科授業-批判的思考の育成を目指して-」,理科の教育,6月号,pp4-7(1998). [11]溝辺 和成:「やりとりの中から生まれる「わかり」」,理科の教育,1月号,pp20-22(1996). [12]土田 理:「物理学の講義におけるビデオ教材提示援助システムの活用」,テクノレポート,第1巻,pp78‐80(1994).