授業指針の一対比較データに基づく受講学生の分類 聴覚部電子情報学科情報工学専攻 小池 将貴 要旨:授業者としての筆者は、聴覚障害短大生からの授業改善意見を活用して授業そのものをより良くすることを試みてきた。その結果、これまでに有用な授業指針を13項得ることができた。今回は、この13項の授業指針について受講学生に重要度を付与させ、その反応パターンから学生の特徴を引き出すことを試みた。なお、授業指針の重要度は学生らに指針同士を一対比較させることによって得たが、その一対比較のさせ方に関しても信頼性の高い方法を案出した。 キーワード:聴覚障害教育 授業評価 一対比較法 数量化理論Ⅲ類 1.目的 1.1研究の狙い  授業者としての筆者は、受講する聴覚障害短大生の授業改善意見を活用して授業そのものをより良くすることを試みてきた。その結果として、授業を遂行していく際に指針となる有用な授業指針13項を得ることができた。1) これを表1に掲げる。  今回は、“表1における授業指針の各々についてその重要度をどの程度と判断しているか,,を受講学生に質問し、その反応パターンから受講学生の特徴を引き出そうとした。これができれば、その特徴に応じた授業展開が可能になる。 1.2授業指針13項の成立経緯  以降では、表1の授業指針13項に基づいて議論を進めるので、ここでその成立経緯を振り返っておく。  先に(平成6年10月)、筆者の授業に関し助長すべき長所あるいは改善すべき短所を受講学生に自由に書かせた。重複を整理した結果として、53件の授業改善意見を得た。さらに、これらの多数の意見を集約すべく、学生に任意の意見同士を一対比較させて意見同士の類似度データを得た。その類似度データをクラスカルの多次元尺度構成法によりコンピュータ処理し類似意見を群落として集約した布置図を得た。その布置図を学生に見せて授業指針を抽出させたところ、13項の授業指針が得られた!)。  授業改善意見の提示と集約の双方のプロセスに学生が参画していること、及び参画学生の意見をデータ解析技術によって客観的に処理していることの2点により、得られた授業指針13項は今後の授業展開に有用であると考えた。 表1.授業指針13項 1 白板やOHPは上手に使いこなす。 2 適切な例を選んでわかりやすく説明する。 3 大声やオーバーな動作は抑える。 4 手話は読み取りができるくらいに上手になる。 5 細かいことに気を使いすぎないようにする。 6 意欲欠如学生に影響されずに授業を進捗させる。 7 授業以外にも学生とおしゃべりの時間を持つ。 8 甘い。遅刻や私語に対しきちんと注意する。 9 学生の言葉が理解しがたいとき分かったブリをしない。 10 教えた後で学生に実際に解かせてみる。 11 同じことを何度もくどくど繰り返さない。 12 講義だけでなく討論も積極的に取り入れる。 13 人生の先輩として体験談や社会常識の話も入れる。 2.授業指針13項の重要度付与 2.1調査参加者  授業を遂行していく上で授業指針13項の各々がどの程度重要なのかという判定作業を、短大の情報工学専攻の1~3年生(平成10年6月現在)の31名に依頼した。 さらに、授業者の筆者も加わって合計32名が参加した。 2.2重要度付与の方法  複数の項目を重要度順に並べることができるのは、せいぜい4~5項くらいまでであろう。一気に13項という多数の項目を重要度順に並べることは実際には難しい。 そこで、授業指針同士の一対比較を通して重要度を付与することにした。すなわち、表1の授業指針13項から任意に2項ずつを取り出して',どちらをより重要と思うか,,という一対比較を行うことにしたのである。 具体的には、任意の参加者についての一対比較を以下のように進めた。まず、任意の授業指針iとjの組み合わせ(i,j=1,2,….,13)に対してW(i,j)という変量を設定し、その参加者が,“iの方がjよりも重要である”と判定した場合には {w(i,j)=1,w(j,i)=0} と定めた。逆に,”jの方がiよりも重要である”と判定した場合には {w(i,j)=0,w(j,i)=1} と定めた。“どちらとも言えない”という判定の場合は、 {w(i,j)=0,w(j,i)=0} と定めた。なお、W(i,i)=0とした。 こうして、注目している参加者に対して {W(i,j);i,j=1,2,…..,13} という一対比較データが取得されることになる。  ここで、iを固定して他のすべてのjについてのw(i,j)の和を計算すると、これは、授業指針iが他のすべての授業指針と対決して勝ちをおさめた件数といえる。そこで、これを、授業指針iの勝ち点ということにする。 以上では一人の参加者を特定しての操作を述べたが、これをすべての参加者k(k=1,2…..,32)毎に実行すると、参加者kが授業指針iに付与した勝ち点 {T(k,i);k=1,2,…,32;i=1,2,…,13} が得られる。この勝ち点T(k,i)を以って、参加者kが授業指針iに付与した重要度と定義した。 3.一対比較データの実際的な取得法  前述の第2.2節で述べた一対比較に際しては、多数回の比較作業を参加者に課すことになる。その回答のわずらわしさのために信頼性が損なわれることのないようなデータ取得法を工夫する必要がある。ここでは参加者32名の内の一部の学生(10名)に被験者になってもらい2つのデータ取得法の検討を試みた。 3.1系統的総当り法  最初に、比較対象13項について系統的にすべての場合についての一対比較を要請する方法をとった。すなわち、まず指針1を固定し、残りの12項との一対比較を行わせた。同様に、指針2,…,13を固定してはそれぞれ残りの12項と比較させた。その結果一人の学生について156件(13×12)の一対比較データが得られた。  ここで注意すべきことは、或る参加者が授業指針iをjより重要と判定しw(i,j)=1と付与したならば、逆に授業指針jをiより重要と判定しw(j,i)=lと付与することは矛盾になるということである。すると、 w(i,j)+w(j,i)=2 となった場合を1件の矛盾と数えて、その矛盾件数の和を78(総当り件数156の半分)で除算した値は、その学生の誤答率となり、回答の信頼性を測ることができる。学生被験者10名についての誤答率を表2に示す。  表2の結果からみて、学生被験者10名中4名が判定回数の50%以上も誤答している。許容できる誤答率を20%程度とすると、そのような被験者は2名に過ぎない。 このような方法は調査データの信頼性の観点から採用し難い。 3.2無作為化半減法  そこで、系統的総当り法の欠点を改善することにした。  第1に、授業指針iと』(i<j)の一対比較判定を課したならば、逆のjとiとの一対比較判定は省略した。これにより一対比較回数を半減して78回にすることができる(13×12÷2)。  第2に、78件の一対比較判定の実施順序を乱数により無作為化した。これにより、特定の授業指針を固定したまま残りと比較しつづけるという単調な繰り返しを避けることができる。これを無作為化半減法と名づけた。  この無作為化半減法の妥当性を調べるために、半減した78件の一対比較判定のうちから無作為に10件の一対比較判定を選定し、これを最後に重複して付け加えて合計88件の一対比較判定を要請する調査表を作成した。  この調査表によって、最後の10件の一対比較判定結果とそれに対応する前方の一対比較判定結果とを照合することにより、被験者の反応の信頼`性が測定できる。これを前回の系統的総当り法の実施から3ケ月後に前回と同じ学生被験者10名に実施した。前回の記憶からなるべく自由になって反応してもらうために3ヶ月という冷却期間を置いたのである。  その誤答率を表3に示す。なお、比較検討のために上段に前回の系統的総当り法の誤答率(表2に既出)、下段に今回の無作為化半減法の誤答率を合わせて示した。  表3をみると、大幅な改善が見受けられる。ただし、最後の学生jについては悪化した。これは、無作為化半減法の実施当日病欠し、後日学生jのみを呼んで追加実施したことに起因していると考えられる。以上の考察により、無作為化半減法により一対比較を実施することにした。 表2.系統的総当り法の誤答率 表3.一対比較調査の誤答率(上段:前回;下段:今回) 4.授業指針13項の重要度データの取得  参加者(学生31名と授業者の筆者の合計32名)に、上述の無作為化半減法による授業指針13項の一対比較を実施し、その一対比較データを第2.2節の方法で集約して、 {T(k,i);k=1,2,…,32;i=1,2,…,13} という32行13列の勝ち点行列を得た(具体的な数値の掲載は紙数の都合で省略)。ここで、k=1~31が受講学生であり、k=32は授業者の筆者である。また、i=1.2,…,13は授業指針13項である。  この勝ち点T(k,i)を以って参加者kが授業指針iに付与した重要度と定義したので、参加者32名の授業指針13項に対する重要度データが取得されたことになる。 5.授業指針13項の重要度分析  授業指針の重要度に関して第4章で得られた32行13列のデータ行列を学生31名分について縦に平均して、これを学生から見た授業指針の重要度とした。これと対比すべく、同上データ行列の32行目のデータ(授業者である筆者による授業指針の重要度データ)を取り出した。 なお、これら学生および授業者から見た授業指針の重要度の値は、それぞれ、授業指針13項についての算術平均が50点になるように調整して表4に示した。したがって、50点を境にして各授業指針の値が上か下かで13項全体の水準より重要と見なされているか否かがわかることになる。  さらに表4のデータから、重要度の程度(低、中、高)によって授業指針を区分した分割表を作成した(表5参照)。  表5の対角線上の授業指針については、学生と授業者とで重要度の認識に差が無い。したがって、これらの授業指針については従来どおりに対応していけばよい。  しかし、対角線をはずれる授業指針については、学生と授業者とで重要度の認識が乖離していることになる。 これを以下の(1)と(2)にまとめた。 (1)学生が“中”程度の重要度を付与しているのに、授業者は“低”いとみなしている。(授業者の過小評価) 7 授業以外にも学生とおしゃべりの時間を持つ。 12 講義だけでなく討論も積極的に取り入れる。 13 人生の先輩として体験談社会常識の話も入れる。 (2)学生が“中”程度なのに、授業者は“高”いとみなしている。(授業者の過大評価) 1 白板やOHPは上手に使いこなす。 4 手話は読み取りができるくらいに上手になる。 10 教えた後で学生に実際に解かせてみる。  以上の(1)と(2)の授業指針については今後の授業展開でその対応を考え直していこうと思った。  ただ、授業者としての極端な過小評価(学生が“高”で授業者が“低”)や極端な過大評価(学生が“低”で授業者が“高”)が無かったのは幸いであった。 表4.授業指針13項の重要度(上段:学生;下段:授業者) 表5.授業指針の重要度分析 6.授業指針と学生らの分類  第4章で述べた32行13列のデータ行列に数量化理論Ⅲ類を適用して、変量(授業指針)を標本(学生ら)データによって分類すると共に、学生らも授業指針のデータによって分類することを試みた。計算結果を図1と図2に示す。 6.1授業指針の分類  まず、図1は13項の授業指針の位置づけを計算して得た授業指針の布置図である。この布置図から示唆を受けて、以下のような授業指針の分類基準(X1~X3;Y1~Y2)を考えつくことができた。  まず、X軸から見て得られた分類基準は以下の通り。 (X1) 視野を広げるような授業(X軸+) 7 授業以外にも学生とおしゃべりの時間を持つ。 13 人生の先輩として体験談や社会常識の話も入れる。 12 講義だけでなく討論も積極的に取り入れる。 4 手話は読み取りができるくらいに上手になる。 (X2) よくわかる授業区軸中央) 1 白板やOHPは上手に使いこなす。 2 適切な例を選んでわかりやすく説明する。 10 教えた後で学生に実際に解かせてみる。 9 学生の言葉が理解し難い時分かったブリをしない。 6 意欲欠如学生に影響されずに授業を進捗させる。 (X3) 癖のない授業(X軸-) 3 大声やオーバーな動作は抑える。 8 甘い。遅刻や私語に対しきちんと注意する。 5 細かいことに気を使いすぎないようにする。 11 同じことを何度もくどくど繰り返さない。 次に、Y軸から見て得られた分類基準は以下の通り。 (Y1)授業環境の水準維持(Y軸+) 8 甘い。遅刻や私語に対しきちんと注意する。 6 意欲欠如学生に影響されずに授業を進捗させる。 10 教えた後で学生に実際に解かせてみる。 13 人生の先輩として体験談や社会常識の話も入れる。 2 適切な例を選んでわかりやすく説明する。 1 白板やOHPは上手に使いこなす。 (Y2) 円滑なコミュニケーション(Y軸-) 3 大声やオーバーな動作は抑える。 11 同じことを何度もくどくど繰り返さない。 4 手話は読み取りができるくらいに上手になる。 9 学生の言葉が理解し難い時分かったブリをしない。 12 講義だけでなく討論も積極的に取り入れる。 7 授業以外にも学生とおしゃべりの時間を持つ。 5 細かいことに気を使いすぎないようにする。  さらに、授業指針に関してのX軸から見た分類基準とY軸のそれとを組み合わせると、 {(X1,Y1),(X1,Y2),(X2,Y1),(X2,Y2),(X3,Y1),(X3,Y2)} という6つの区分枠を構成することができる。この6つの区分枠は、次の学生らの分類に活用した。 6.2学生らの分類  次に、図2は学生ら32名の位置づけを示す布置図である。この布置図に図1で得られた6つの区分枠を当てはめると、学生ら32名を区分けすることができた。学生らが区分けされた結果をあらためて表6にまとめた。 表6の学生の分類が妥当か否かを確認するために、彼等に授業を行っている同僚の授業者数名と共に図1,図2および表6について検討した。その結果、以下のような考察を得た。 まず、X軸からの分類基準を通して見えることは、 (1)領域<視野を広げるような授業(X軸+)>に位置づけられた学生は、1年生の場合には入試成績が良く、高学年の場合には学業成績が良い。かつ、余裕を持って学業以外のクラブ活動などにも参画していて、能動的な成績優秀者といえる。ただ該当しない学生も1~2名散見する。良い成績を収めるはずの領域に属して成績が振るわないのは、授業者側に問題を提起していることになる。 (2)領域<よくわかる授業(X軸中央)>に位置づけられた学生は、まじめな勉強家タイプの学生が多い。しかし、それに該当せず外見上の授業態度が良くない学生が見受けられた。彼はこの領域に属すので、その外見にとらわれずに「わかりたい」という本音に応じるような授業者側の一層の接近が有効であろう。 (3)領域<癖の無い授業(X軸-)>に位置づけられた学生は、学業不振であるか、あるいは同僚学生との交流が円滑を欠く。勉強の方法がわからずに努力が空転している惧れがあるので、彼らには特に重点的に対応する必要がある。 次に、Y軸からの分類基準を通して見えることは、 (4)領域<円滑なコミュニケーション(Y軸-)>に位置付けられた学生は聴覚障害の程度が重く、コミュニケーションへの配慮を特に強く要望する傾向がある。 (5)領域<授業環境の水準維持(Y軸+)>に位置付けられた学生は、聴覚障害の程度が比較的に軽く、コミュニケーションに関してあまりこだわらない。 表6.学生らの分類 7.結論 (1)第5章において、授業指針13項のうちで学生と乖離した重要度をもつ指針が発見された。それらは、授業者が過小評価している3指針と、過大評価している3指針であり、今後の授業展開において留意していく。 (2)第6.2節において、学生を6つの枠に区分し、それぞれの特徴を明らかにすることができた。その枠内に属しているにもかかわらず、該当する特徴を持たない学生に対しては、本来の特徴に復帰させることができるという方針で臨んでいくことにする。 8.今後の展開  受講学生による改善意見の提示・集約によって得られた13項目の授業指針リスト(表1)を、今後の授業展開の基盤として引き続き活用していきたい。かつ、今回得られた結論(1)と(2)を今後の授業展開に生かしていきたい。 引用文献 1)小池 将貴:「聴覚障害短大生による授業評価」,殊教育学研究,第36巻4号,pp31-40(1999) Classification of Students by their Response Data to Guiding Principles for Teaching Masayoshi KOIKE Tsukuba College of Technology  The aim of this study was to classify the college students with hearing impairment by their response data to the 13 guiding principles for teaching which had been acquired as the results of my continuing studies. At first, I got the college students to compare each pair of the 13 principles. These paired comparison data were computationally processed into the ranking data of 13 principles. Then, those ranking data were statistically calculated to result in the classification list of the college students by the method of the quantification method Ⅲ. I could improve my way of teaching by using the resulting classification list of the college students. Key Words :education of the college students with hearing impairment, appraisal of lessons, paired comparison, quantification method Ⅲ