実践報告「筑波山ウォーク」 聴覚部一般教育等 及川 力・齊藤 まゆみ 聴覚部電子情報学科電子工学専攻 内藤 一郎 要旨:聴覚部では平成9年度から保健体育Ⅲ受講学生を対象に,ウォーキング授業の一環として筑波山(男体山頂)まで歩くという授業を始めた。運動としての効果などを検討するため,今回心拍数測定などを実施したので,授業の概要とともにその結果を報告する キーワード:聴覚障害学生,ウォーキング,筑波山,保健体育 1.目的  保健体育Ⅲ受講学生のウォーキングの授業のまとめとして,昨年5月末に本学から筑波山鋼索鉄道(ケーブルカー)山頂駅まで歩くという学外集中授業(授業名は『筑波山ウォーク』)を実施した。  この授業は,大学から筑波山頂まで歩くという活動を通して,筑波の自然や地域そのものに触れること,グループでの長時間の共同活動を通じて,協力や協調といった社会性を養うこと,厳しさや苦しさに耐えることの重要性を再認識することなどを目的としている。授業実施前に筑波山神社や筑波山を訪れた経験,またこれらに関連した知識について参加者49名に尋ねてみた。その結果,何らかの方法(自動車,バス,自転車など)で筑波山神社を訪れたことがある者は24名,ケーブルカーやロープウェー等の方法で筑波山に登った経験がある者は17名であった。  一方,「今までに筑波という土地,筑波山あるいは筑波山神社について知っていたことがあったら書いてください」という問いに対しては,表2の回答が示された。 この結果から筑波の自然や歴史,建造物などについて学習する機会を持つことは十分意味があることと思われた。 表1 一学期の授業内容 授業内容 1 科目オリエンテーション&エクササイズ 2 ウォーキング1(歩幅と速度の実測) 3 ウォーキング2(運動直後の脈拍数測定) 4 ウォーキング3(主観的速度と客観的測定) 5 ウォーキング4(距離と消費カロリーの推定1) 6 ウォーキング5(距離と消費カロリーの推定2) 7 ウォーキング6(事前ミーティング) 8 筑波山ウォーク 9 体力測定1 10 体力測定2 表2 筑波や筑波山などに関する知識 〇男女川がある 〇ガマガエルあるいはガマの油が有名 〇もともと筑波町があったところである 〇温泉が有名 〇つくば市は3つの村からできたこと 〇天狗党で有名なところである 〇科学の街であるとか、妻子殺害事件など 〇鬼門の山だということ(2) 〇ドリフト・ローリングの名所 〇筑波山の幽霊スポットや神社のたたり 〇筑波ロード 2.学外集中授業の概要 1)期日 平成10年5月30日(土) 2)参加者 保健体育Ⅲ受講者51名のうち,欠席者2名を除く49名 3)スタッフ 保健体育科目担当教官2名,保健管理センター看護婦1名,各学科等教官及び技官3名の学内スタッフ計6名及びつくば市主催手話講座上級コースに2年以上(初級コースから通算4年以上)通っている学外ボランティア2名の合計8名。 4)コース概要  おおよそのコースは以下の通りである。  本学体育館前-テクノパーク桜-台坪-玉取-小田-北条新田-北条大池公園-北条仲町-神郡-臼井-筑波山神社-筑波山鋼索鉄道山頂駅  国土地理院発行の25,000分の1の地図をもとに,桜井社製キルビメーターで計測した結果,全行程の総距離は約15.5kmであった。  また,全行程の標高は図1の通りである。全体の約8割は平坦で,最後の3~4kmが急激な登りになっている。10数キロ歩いた後に急な登りのあるコースは,日頃運動不足の学生にとってはかなりきついコースである。 5)事前の準備や指導  この授業は平成9年度から始めたが,授業前に地図をもとにしておおよそのコースを設定し,また,聴覚障害学生の安全確保という観点から徒歩,自転車そして自動車によるルート調査を4~5回実施した。  事前ミーティングにおいては,以下のような事柄を指導した。 ①ルートの説明 ②5~6人のグループによる共同行動 ③交通事故防止のための注意 ④コンビニエンスストアでの買い食いの禁止 ⑤適宜の休憩 ⑥水分の補給 ⑦ウォーキングシューズに対する注意 ⑧地図の利用 ⑨緊急時の対応  それと同時にルート上で迷いそうな地点,危険と思われる地点それに観察してほしい地点などのスライドを見せた。また,グループから脱落する者が出ないよう最後まで必ず一緒に行動をすること,聴覚障害学生の交通安全の観点から道路は常時必ず,右側通行を厳守すること,体調不良による止むを得ない目的以外でのコンビニエンスストアへの立ち寄りの禁止,万一買い食いが発覚した場合は単位を認定しないことなどを強調した。  一方,コースの途中には4箇所のチェックポイント(以下,CP)を設け,待機しているスタッフから通過確認のスタンプをもらうようにした。CP1はスタートから約5.5km地点,CP2は同じく8.8km地点,CP3は13.8km地点,CP4はゴール地点とした。このうち,CP2,CP3では15分程度の休憩を必ず取るよう指示した。  スタッフ間の連絡のために,7台の携帯電話を用意した。また,学生には緊急連絡用の代表番号を知らせ,事故や急病に際しては近くにいるスタッフに話すか,あるいは携帯電話などを使用して代表番号に連絡するよう指示した。さらに,緊急事態に備えて筑波山神社下に乗用車一台を常時待機させておいた。 図1 スタートからゴール地点までの標高の変化 3.当日の気象条件  前日まで降り続いた雨も,当日朝早く上がった。出発の午前8時の時点でスタート地点(大学体育館前)の気温は20.1℃,湿度98%であった。この日の午前中の気温は平地でほぼ20~22℃,湿度は98~87%であり(運輸省気象庁気象研究所提供データによる),また午後の筑波山の気温(男体山頂に設置されているアメダスの気象データによる)は17~18℃であった。 時折ぱらぱらと雨が落ちる湿度の高い天候ではあったものの,強烈な太陽の日差しを浴びなかったことは逆に幸いだった。 4.活動の実際  学生が任意に届け出たグループは,全部で10グループ(男子だけのグループ4,女子だけのグループ1,男女混合グループ5)であった。当日のチェック表をもとに,各グループのCP通過時間をまとめたものが次ページの表3である。  10グループの全行程所要平均時間は5時間33分±45分(最短4時間50分,最長6時間14分)であった。また,全員の平均歩数は男子が25,468歩,女子は31,179歩であった。  全行程所要時間に最大1時間半弱もの差がついたのは山麓からの登りによるものである。ほとんど平坦地であるスタート地点からCP2までの所要時間にはほとんど差はないが,途中から急な登りになっているCP2からゴール地点までは,最短2時間30分から最長4時間3分と大きな開きが出た。最も早い時間でゴール地点に到着した男子6名のグループは,前半の8.8kmを2時間20分で,また,後半の6.7kmを2時間30分で歩いている。これに対し,最長の6時間14分を費やした女子2名を含む5名のグループは,前半は2時間11分で歩いたものの,後半の登りにほぼ前半の二倍近い4時間3分かかっている。  今回のウォークの運動強度を知るために,2名の学生の全行程の心拍数を記録した。測定にはPolar社製ハートレートモニター,アキュレックスプラスを用い,測定間隔は60秒とした。  図2は身長174cm,体重63kg,体脂肪率(皮下脂肪厚法)126%,BMI20.8の全身持久力の高い男子学生のデータである。X軸は経過時間,Y軸は心拍数(柏/分),Sはスタート,Gはゴールを示す。  この学生の場合,ウォーミング・アップもきちんと行い休息時に速やかに心拍数が低下していること,また,最高心拍数が年齢による推定最高心拍数に相当する180まで達しており,循環系の予備力の高いことが示されている。これがいわゆる日常のトレーニング効果の表われといえよう。その余裕からゴール到着後,女体山まで出かけている。体力の余裕が行動範囲を拡大している例である。 図3は身長170cm,体重89kg,体脂肪率29.5%,BMI31.2の肥満に判定される全身持久力の低い男子学生のデータである。  この学生は寝過ごして出発時間ぎりぎりに集合し,ハートレートモニターを装着してすぐさま出発したため,いきなり心拍数が100を超えている。そしてCP3の筑波山神社に至る登りの地点ですでに心拍数が最高に達していることから,その後の山登りはさぞ大変だったと思われる。その後時間をかけて山登りに挑戦するものの,神社をしばらく上った地点で疲労のために完全に仲間についていけなくなってしまった。雨天による登山道のぬかるみもあり,何回か滑って転倒した拍子に心拍計の記録装置が停止してしまったものと思われる。その後グループから離れ,最終的にはスタッフの支援により山頂駅までたどり着くことができた。しかしながら,想定到着時間を大幅に超えてしまったため,帰りのバスの出発時間を変更することになった。  このようなハプニングはあったものの,参加者49名は事故なく全員ゴールまでたどり着くことができた。 以下はこの学生の提出したレポートである。  技短に来てから2年と少したつわけですが,はずかしながら筑波山に行くのは今回が初めてでした。最近体力が落ちているとはいえ,田舎育ちの自分としては20キロ歩く事も,山登りをすることもさして苦労するとは思っていなかったのです。それがあんなことになろうとは。  出発前はまるで遠足に行くようなはしゃいだ気分でした。○○先生から渡された脈拍計が胸に食い込み,女の子の気持ちがよく分かる等とほざいていられる余裕もまだあったのです。スタートしてからも順調でメンバーのAさん,Bさん,Cさん,Dくん達とだべりながら,5月最後の筑波の風景をたのしみました。のどかな田園風景や,立派な旧家のたたずまい,昔の面影を残す半鐘等,どれも僕が今まで知らなかった筑波の顔でした。妙に懐かしくてそれでいて新鮮で,住民票を□□から移して1年,筑波市民1年生として初めて筑波のよさを実感できました。  2つめのチェックポイントの北条大池公園を過ぎた頃から足が重くなってきたのを感じ,筑波山神社の手前の坂道では明らかに息があがり始め,脈拍は130に達しグループのみんなから遅れ出した。筑波山神社についた時にはヘロヘロで倒れる寸前でした。△△先生の『頑張れッ』という声にも力のない微笑みを返すのが精一杯だったんです。ホンのすこしの休憩の後,出発しようというメンバーに『おまえら鬼かっ』という突っ込みを言いたくても,そんな気力は残っていませんでした。女の子が頑張っているのに僕がへタレてるわけにはいきません。でも正直『もう一歩も歩けないっス。ギブアップさせてくれ」という気分で一杯でした。言うタイミングを逃しただけでホントにこれから登る自信はなかったんです。そして悲劇(喜劇?)は登り始めてすぐにやってきました。右足がつっちゃったのです。しばらくしておさまりましたがその直後こんどは左足がつりました。さすがにもうアカンと思いましたがすでに4分の1は登ってたので,登るも地獄,下るも地獄状態になったのです。自分のせいでメンバーの皆も進めずホント迷惑をかけたけど先に行ってもらって最後尾を●●先生達にサポートしていただきながら歩くことになりました。自分としてもせっかくここまで来て止めるのは,悔しいし,皆さんにサポートしてもらっている以上最後までやりぬくのが自分の責任だと思い頑張りました。脈拍計をチェックしながら●●先生のリードで,○○先生からもらった杖を頼りに少しずつ,小休止を何度もはさみながら-歩一歩前に進みました。△△先生と筑波大の方の励ましにも何度も助けられやつと頂上に着いた時にはホント感動でした。皆が迎えてくれたのも恥ずかしかったけど,ホント嬉しかった。こんなに嬉しかったことはすごく久しぶりで,こんなに達成感と充実感を感じたのも何時以来だろうと思ったりした。忘れられない-日になると思う。メンバーの皆と●●先生をはじめとするサポートの皆さんに最大級の感謝をしたいです。 『雨けむる 皐月の空を みあげれば 雲の切れ目に むらききの山』 学生には,レポートの中に俳句または短歌を読むように課題を出した。最後の一句がそれである。この短歌からは,夢にも彼の苦労が推し量れない。 表3 CP通過時間と所要時間 図2 学生の心拍数記録1 図3 学生の心拍数記録2 5.評価,反省と今後の課題  50名もの聴覚障害学生が15,6キロを歩き,事故(特に交通事故)なく無事終えることができたことは素直に評価できることである。前年に比べ今回参加した学生達は,交通安全に対する指示をよく守っていた。  しかし学生の中には,ほぼ徹夜に近い状態で課題のレポートを書き上げ,ほとんど睡眠をとらないでこの授業に参加した者がいた。当日が曇天で,多湿ではあったものの気温も20度程度であったことが幸いしたようだ。これが30度近い天候であったら,身体にかかる負担はかなり大きかったと思われる。学生の中にはこのようなコンディション調整に無関心の学生が多いが,今後も繰り返し重要性を強調していきたい。  今回,学生全員に万歩計あるいは消費エネルギー測定のためにカロリーカウンター(10名程度)を装着させた。しかし,使用に習熟していなかったためか歩数は計測できたものの,消費エネルギーは数名しか測定できなかった。事前の指導をもっと丁寧に行う必要があったようだ。また,山登りやトイレ利用の際に数個紛失することもあった。今後落下防止対策も考慮しなければならない。  最後に,今後検討が必要な事柄として以下のようなことが考えられる。 (1)筑波山ウオークの生理学的効果の検討。 ①活動中の心拍数計測 ②消費エネルギー測定 ③血中乳酸値の測定 ④活動前後の体重変動の記録(発汗,水分補給及び熱中症予防の観点から)など。 (2)緊急事態を想定した携帯電話等を使用した,スタッフと学生とのテレコミュニケーション方法の確立及び連絡の緊密化。 (3)緊急事態発生に対処するためのスタッフの増強。 なお,一人当たりの経費は貸切バス,昼食など総額1,260円であった。