体育授業において視機能低下に起因すると考えられる影響について-聴覚障害者を対象にした調査から- 齊藤 まゆみ(聴覚部一般教育等) 要旨:視力の低い聴覚障害者が体育の授業の中でおかれている状況とその問題点を明らかにし,今後の対応策を検討する基礎資料を得ることを目的にアンケート調査を行った。全体の39%が裸眼視力0.1未満であり,日常生活において視力矯正を行っているものは全体の61.7%であった。日常生活において視力矯正を行う者のうち66.6%は,体育実技においても視力矯正具を使用していたが,水泳授業では94.5%が使用していないことが明らかとなり,安全面と教育環境の面で改善していく必要があることが指摘された。また,体育授業において,視力の低い聴覚障害者は,見えないことに起因するさまざまな不利益を受けていることが示された。しかしその解決策を指導者や友人など外部に求めず,放置している傾向が認められた。  これらのことより,体育授業における視力の低い学生の問題は,指導者側,学生側がそれぞれの立場で解決していく課題があることが示された。 キーワード:視機能,聴覚障害者,体育授業,水泳 1.目的  子供たちの視力が年々低下し,裸眼視力1.0未満の児童・生徒の割合が幼稚園,小学校,中学校で過去最高を更新するなど,学校教育現場における視機能の問題がクローズアップされている。文部省の学校保健統計調査報告書(5)によると,眼鏡などによる矯正が必要な,裸眼視力0.3未満の児童・生徒の割合が20.8%と過去最高に達したことを示している。このことは,眼鏡などの矯正用具を使用しにくい状況にある水泳授業をはじめとする体育授業における新たな問題となることが推察される。  体育の授業では眼鏡をはずした状態で授業をうけることが慣例的となっており,とくに水泳ではその傾向が強い。視力矯正を必要とする生徒に対して行った調査(2)では,水泳授業時に眼鏡などをはずしたことが原因で更衣室やプールサイドで転びそうになったり,人や物とぶつかるなどの危険な経験があり,不安感や恐怖心を抱いていることが報告されており,裸眼視力の低い児童・生徒が不安定な状況におかれていることを示唆している。しかし水泳授業では,眼鏡等を外した状態でプールサイドに集合させるなど,裸眼視力の低い児童・生徒に配慮した指導がなされていないことが多い。  外部からの情報を迅速に,大量に入手するものとして,人間の五感の中でも視覚や聴覚の果たす役割は大きい。 特に聴覚障害者にとって,視覚は情報をインプットするために非常に重要なものである。そこで,視力の低い聴覚障害者が体育授業の中でおかれている状況とその問題点を明らかにし,今後の対応策を検討する基礎資料を得ることを目的とした。 2.対象及び方法 2.1対象:対象は18歳~22歳の聴覚障害学生141名とした。 2.2方法:質問紙によるアンケート調査とした。質問項目は図1に示す通りである。調査は無記名とし,質問紙を配付し,回答させ,回収した。記入に際し不明な点については質問をうけ,補足説明を行った。 2.3調査期間:平成9年6月 図1アンケート調査項目 3.結果 3.1視力(裸眼)について  対象の視力分布を示したものが図2である。視力0.1未満が最も多く55名(39%)であった。また,立体視に影響を及ぼすと考えられる左右の視力差が0.7以上の者が3名(21%),0.4以上では15名(10.7%)であった。 3.2視力の矯正状況について  図3は日常生活における視力矯正状況を示したものである。141名中87名(61.7%)名が現在日常生活で視力矯正具を使用していると回答した。使用している矯正具は,メガネが53名(37.6%),コンタクトレンズが34名(24.1%)であった。また,中・高時に日常生活で視力矯正具を使用していたと回答した者は72名(51.1%)であった。  図4は,中・高時の水泳授業とそれ以外の体育実技における視力矯正状況,現在の体育実技における視力矯正状況を示したものである。「|小高時の水泳授業時では視力矯正具を更衣の段階で外したという回答が最も多く認められたが,それ以外の実技では運動中も外さないという回答が最も多く,両者の間に有意な差が認められた。矯正具の使用状況は,現在(71.0%),中・高時の水泳以外の実技(45.8%),中・高時の水泳時(2.8%)の順にその割合が低い結果となった。 3.3体育授業時の見え方とその対応について  図5は体育授業において,指導者がだす指示の見え方について,視力別に示したものである。裸眼視力1.0以上群では,すべての回答が「大体見える」であったのに対し,0.1未満群において,「ほとんど見えない」と回答するものが有意に多い結果となった。  図6は,指導者が出す指示が見えないときにどのようにしていたかについて示したものである。中・高時では,「大体の感じで動く」が最も多く,次いで「友人に聞く」があげられていた。一方,現在の状況では,「わからないまま動く」という回答が最も多く38名(51.4%)であった。次いで「大体の感じで動く」の24名(32.5%)であり,友人(10名,135%)や指導者(2名,27%)に聞くなどの他者への働きかけをするという回答数よりも多い結果であった。この傾向は,視力別に比較した結果にも認められた。 3.4見えないことに起因する不自由さについて  図7は体育授業時に見えないことが原因で不自由に感じていることについて図示したものである。「対戦相手やポールの動きが読み取れないこと」や「指導者の説明や文字がよく見えず,授業内容が十分理解できない」という項目に,そのような経験があると回答した者の割合が高かった。また,その他として「指導者がこちらを向いて指示しているときに,自分に話しかけているのか,それとも近くにいる友人なのかがわからない」,「知人と認識できず,挨拶がないといわれた」という回答があった。 図2 対象の裸眼視力(n=141) 図3 日常生活で使用する視力矯正具 図4 体育授業時の視力矯正状況 図5 指導者の指示の見え方 図6 指導者の指示が見えないときの対応 図7 見えないことが原因で不自由に感じること 4.考察  文部省の学校保健統計調査報告書(5)によると,平成8年度に,眼鏡などによる矯正が必要な,裸眼視力0.3未満の児童・生徒の割合が20.8%と過去最高に達したことが示されている。本研究対象者の視力分布では,裸眼視力0.1未満が最も多く55名(39%)であり,文部省の統計よりもさらに視力が低い傾向を示した。今回の結果では,中・高時に視力矯正具を使用していたと回答した者の割合が51.1%であった。屈折異常が生じた場合,視力が低下する一途をたどる傾向があることが指摘されており(3),大学入学以前に視力が低下してしまったことが推察される。また,左右の視力差が0.7以上のものが3名(2.1%),0.4以上では15名(10.7%)であった。左右不同視は立体視に影響を及ぼすと考えられ,スポーツ時に距離感が把握できず,ポールが眼にあたる事故などが報告(4)されており,スポーツ活動時に何らかの矯正を行うことが望まれる。  日常生活における視力矯正状況では,141名中87名(61.7%)名が,現在視力矯正具を使用していると回答し,メガネとコンタクトレンズが使用されていた。そのうちの71.0%の者が,メガネやコンタクトレンズを使用したまま体育実技を行っていることが示された。この結果は,コンタクトレンズの普及や,これまでの「危険なのでメガネは外す」という概念が変化してきたことを示唆するものである。しかし水泳授業では,視力矯正具を更衣の段階で外していたという回答が最も多く認められた。このことより,水泳授業ではプールサイドにメガネやコンタクトレンズ,あるいは度付きのゴーグルなどの持ち込みを制限している,あるいは持ち込むという発想に至っていないことが推察された。水泳時の視機能に関する研究(1)では,コンタクトレンズをしたままゴーグルを使用して水泳をする者やソフトコンタクトレンズを水中でそのまま使用している競技者例が紹介されている。また小学校における水泳授業に関する調査(3)では,75%が更衣した場所にメガネ等を保管させていることが示され,その理由として「割れると危険だから」が最も多いことが示されている。体育授業では日常生活で使用しているメガネやコンタクトレンズを水中まで持ち込む必要性はないと思われる。しかし更衣した場所から入水までの移動における安全性は確保する必要がある。  また,今回の調査から,視力矯正具を外した状態では,指導者の指示や説明が「ほとんど見えない」と回答する者の割合が多いことが示された。体育授業時に,見えないことが原因で不自由に感じていることについては,「対戦相手やポールの動きが読み取れないこと」や「指導者の説明や文字がよく見えず,授業内容が十分理解できない」という項目に,そのような経験があると回答した者の割合が高かった。このことより現状では,低視力者の大部分は指導者の指示や説明を十分把握できないまま授業に参加しており,さまざまな場面で不安定な状況に置かれていることが示されている。教室での授業では,視力の低い生徒は,座席を前方に配置するなどの配慮がなされることがある。実技の場合,状況は異なると思われるが,指導者の発想の転換と工夫が課題解決の一つである。現状のように,メガネ等を割れると危険だからという理由で持ち込みを制限するのではなく,安全にメガネ等を必要に応じて使用できる環境を作るなど,よりよい学習環境が整備されることが望まれる。  聴覚障害者にとって視覚は,外部からの情報を迅速に,大量に入手するものとして,人間の五感の中でも特に重要なものである。したがって,過半数を超える低視力者に不利益を生じないよう,これらのことにも配慮した授業環境を設定するべきである。現状では,指導者が出す指示が見えないときにも「わからないまま動く」という回答が最も多く,次いで「大体の感じで動く」であり,友人(10名,13.5%)や指導者(2名,2.7%)に聞くなどの他者への働きかけをする者は少数であることが明らかとなった。この結果から,低視力の学生・生徒は,見えないのだから仕方がない,見えないのは当然であるというネガティブな姿勢が推察される。また解決策を指導者や友人などに求める姿勢,例えば,指導者に見えないことを伝えたり,質問するなどの行動が極めて少ない現状を改善していかなければならない。 5.まとめ  視力の低い聴覚障害者が体育授業の中でおかれている状況とその問題点を明らかにし,今後の対応策を検討する基礎資料を得ることを目的にアンケート調査を行った結果,以下の結論を得た。  1.全体の39%が裸眼視力0.1未満であり,日常生活において視力矯正を行っているものは全体の61.7%であった。  2.日常生活において視力矯正を行う者の66.6%は,体育実技においても視力矯正具を使用していたが,水泳授業では94.5%が使用していなかった。  3.体育授業において,視力の低い聴覚障害者は,見えないことに起因するさまざまな不利益を受けていることが示された。しかしその解決策を指導者や友人など外部に求めず,放置している傾向が認められた。  これらのことより,体育授業における視力の低い学生の問題は,指導者側,学生側がそれぞれの立場で解決していく課題があることが示された。 6.文献 1)板垣 秀夫他(8名):「水泳時におけるソフトコンタクトレンズ装用の角結膜に及ぼす影響」,日コレ誌,第36巻,ppl90-l95(1994). 2)小森 康加,河野 一郎,浜田 琴美,斉藤 まゆみ,坂田 勇夫:「大学体育の水泳実技における視力低下者の調査」,体力科学,VOL45,N06,p、885(1996) 3)齊藤 まゆみ,河野 一郎,佃 文子,坂田 勇夫,高橋 伍郎,小森 康加:「水泳授業におけるゴーグル使用に関する-考察」,臨床スポーツ医学,Vo115,No9,pp1O54-1O60(1998) 4)スポーツビジョン研究会編:「スポーツのための視覚学」,第1版,ppl61-177(1997). 5)文部省:「学校保健統計調査報告書」平成8年度版,ppl3-14(1996),大蔵省印刷局. 6)山本 公弘,西信 元嗣:「屈折異常の疾病と対策」,眼科MOOK,No.27,ppl59-l68(1986) (本調査は平成9-10年度文部省科学研究費:奨励研究(A)課題番号09780103の助成によって実施した研究の一部である)