講義場面でのコミュニケーションを考える 聴覚部電子情報学科電子工学専攻 内藤 一郎 聴覚部デザイン学科 松井 智、伊藤 三千代 要旨:近年、移動体通信やテレビ電話を用いたテレコミュニケーションが聴覚障害者にも可能になってきた。このような機器を用いることにより条件が限定されたコミュニケーションの研究を行うことは、余計なパラメータを取り除いて、通常のコミュニケーションの基本的な問題点をも浮き彫りにできる。我々は、講義場面での遠隔地手話通訳に関する研究結果から、空間依存性が高い手話では、コミュニケーションが可能な空間を互いに共有できることがコミュニケーションを成立させる上で重要であるという結論を得た。本稿では、この結果を基に通常の講義場面でのコミュニケーションの問題点や課題を考察する。 キーワード:手話、講義、テレコミュニケーション、コミュニケーション空間 1.はじめに  聴覚障害者のテレコミュニケーションは、これまでファクシミリか、特定話者との電話による音声通信に限定されていた。しかし、ポケットベルや文字通信機能を搭載したPHS・携帯電話の出現により、聴覚障害者も文字による自由なテレコミュニケーションが可能になり、実際に活発に活用され始めている1)2)。また、インターネットやISDN回線の普及と画像圧縮技術の進歩は、テレビ電話やテレビ会議システムを用いて、手話によるコミュニケーションをストレスなく行うことをも可能にしつつある3).  我々は、こうした技術や機器を活用した情報保障の在り方4)5)、授業での効果的な活用方法や指導方法に関する検討町などを進めている。このような研究は、新しい情報保障やテレコミュニケーションの効果的な利用方法を示すばかりでなく、コミュニケーションの条件が限定されていることにより、余計なパラメータを取り除いて、通常は多くのパラメータの中に埋もれてしまって気づかないようなコミュニケーションの基本的かつ根本的な問題をも浮き彫りにする。  今回、これまでに行ってきた遠隔地からの手話通訳に関する研究成果にさらに検討を加え、その結果を基に、通常の講義場面でのコミュニケーションの問題点や課題を考察した。本稿では、その結果について報告する。 2.遠隔地からの手話通訳に関する実験  デザイン学科の授業(メディアデザイン演習)において、午前と午後に分けて、モニタ画面を通した手話通訳と通常の手話通訳による情報保障の差異を検討した1)5)。  午前と午後の授業での講義形態を図1と図2に示す。 午前中の授業では、手話通訳者は同一教室内の学生の後方に位置している。また、画像の転送にはビデオ信号を用いることで、通常のテレビ画面と同等の画像品質(フレーム・レート、画質)が確保されている。  授業後のアンケート調査の結果を図3ならびに図4に示す。手話通訳の読み取りやすさに関しては、明らかに通常の通訳の場合の評価が高くなっている。その理由として、学生は以下の理由を記している。 ・通常の通訳の方が、ノリが良く、動きも大きくて微妙なニュアンスが伝わっていた。 ・通常の通訳の方が、学生に対する配慮がなされていた。 ・モニタ画面を通した通訳は、何となく冷たく感じた。 ・モニタ画面を通した通訳は、通訳者が映る空間を意識していたために、上手く通訳が出来ていないようだった。一方、手話通訳者も授業後の感想として、 ・モニタ画面を通した通訳では、学生の表情が判らないので、学生が手話の表現内容を理解できているのかどうかの判断ができなかった。 ・モニタ画面を通した通訳では、講師が提示物を指さすときに、空間のどこを指さして通訳すれば良いのか判断できずに困った。 などの点を指摘している。  上記の内容は、午前中の授業では、講師、学生ならびに手話通訳者が同一教室内に居たにも関わらず、コミュニケーションが可能な空間(以降、コミュニケーション空間と記す)を互いに共有することが困難であったことを示している。このことは、コミュニケーションが音声や手話などの言語だけではなく、表情やしぐさ、態度などの非言語表現を含めて双方向にやり取りできた場合に初めて成立することを、そして、一方向のみに情報を伝達している様に見える手話通訳の場合でも、こうした事実が例外ではないことを物語っている。したがって、午前中の講義では、学生からの非言語表現による情報が得られなかった手話通訳者は、教室内のコミュニケーション空間の外に居たと考えられる(図1)。  また、図4の結果より、手話通訳者側の座席に座った学生の評価が他の座席の学生に比べて低い傾向を示していることが分かる。午後の授業での教室の左右位置より見た様子を図5ならびに図6に示す。手話通訳者側の座席位置から見た場合には手話通訳者への角度が浅く、手話が読み取りにくかったことが考えられる(図5)。これに対して、教官側の座席位置から見た場合には、距離は遠いが角度的には読み取りやすくなっている(図6)。このことから、手話によるコミュニケーションの空間では、距離に比べて角度に対する依存性が強いことが予想される(図2)。 図1午前の講読形態とコミュニケーション空間 手話通訳者は、教室内のコミュニケーション空間の外に居る 図2午後の講議形態とコミュニケーション空間 手話通訳者側の座席の学生は、通訳者への角度が浅いために、コミュニケーション空間の境界に位置していたと考えられる 図3「手話通訳が読み取りやすい」の評価(1) 午前から午後へ評価が上がった人6人 午前と午後で評価が変わらなかった人0人 午前から午後へ評価が下がった人2人 図4「手話通訳が読み取りやすい」の評価(2) 各座席位置での評価軸値 図5手話通訳側の学生から見た様子 通訳者の角度が浅く、手話が読み取りにくい 図6教官側の学生から見た様子 通訳者への距離は遠いが、角度的には読み取1)やすい 図7講義場面でのコミュニケーションの例(1) (a)教官と学生力i向き合って質疑を行った場合 (b)教官と学生が向きを意識して変えた場合 3.講義場面でのコミュニケーション  遠隔地手話通訳の実,験結果より、手話によるコミュニケーションでは、コミュニケーションの空間を互いに共有することが重要であり、そのためには空間の角度依存性に注意することが大切であることがわかった。こうした事実を通常の講義場面などに当てはめて、講義場面などでのコミュニケーションの問題を検討することが可能である。  講義場面でのコミュニケーションの例を図7と図8に示す。各図の(a)は、特に発話者が自分のコミュニケーションの空間に注意を払わずに発言をしている場合である。こうした際には、コミュニケーション空間は質疑を行っている当人同士だけでしか共有できておらず、空間の外に居る他の学生は質疑内容を知ることができない。しかし、(b)のように、発話者が自分のコミュニケーション空間を意識して、自分自身の向きや立つ位置を変えることで、広くコミュニケーション空間を共有し、他の学生にも質疑内容を伝えることが可能になる。  また、学生たちが議論をしているような場面でのコミュニケーションの例を図9に示す。この場合にも、発話者が座席位置で手話表現を行うと、両隣の学生には手話が非常に読みにくいが、立つ位置を座席より一歩か二歩程度下げることにより、振り返った両隣の学生に自分の手話を読みやすくすることが可能になる。  授業の形態や内容によっては、このようなコミュニケーション空間の共有を特に意識したり、意識させたりする必然性が低く、注意を促さない方がかえって授業の進行を効率的にする場合も多い。しかし、発話者が自分の発言内容の伝わる空間を常に意識するという習慣を持つことは、近年重要性が指摘されているプレゼンテーション能力の向上にとって重要な要素であると考えられる。  こうした観点から、聴覚障害者に専門教育を行い、かつ聴覚障害者のリーダーを育成することが責務である本学のような教育機関では、学生に自分自身のコミュニケーションの空間や、互いのコミュニケーション空間の共有に対する意識を持たせることは極めて重要な課題であり、教官が授業の中で常にコミュニケーションに対する工夫や注意を学生に促していく必要性があると思われる。 図8講義場面でのコミュニケーションの例(2) (a)教官と学生が向き合って質疑を行った場合 (b)教官と学生が位置と向きを変えた場合 図9学生が議論しているようなコミュニケーション場面 (a)座席の位置で発言した場合 (b)座席の位置から-歩さがって発言した場合 参考文献 [1]内藤 一郎他:「聴覚障害者における移動体通信の利用に関する検討」,信学技報,ET97-75,pp31-38(1997). [2]内藤 一郎他:「聴覚障害者は移動体通信の夢をみるか?-利用状況のアンケート調査結果から-」,テクノレポート,第5巻,ppl61-164(1997),筑波技術短期大学. [3]村上 裕史,内藤 一郎,皆川 洋喜:「手話表現転送時におけるMPEG4パラメータの評価実験」,信学技報,HCS98-23,pp31-36(1997). [4]松井 智,伊藤 三千代,内藤 一郎:「遠隔地からの手話通訳に関する-考察」,テクノレポート,第5巻,ppl-4(1997),筑波技術短期大学. [5]内藤 一郎,松井 智,伊藤 三千代:「講義場面での遠隔地手話通訳に関する基礎的な考察」,信学技報,HCS98-24,pp37-44(1997). [6]内藤 一郎他:「移動体通信機器を活用した授業の試み」,テクノレポート,第5巻,pp89-92(1997),筑波技術短期大学.