命題の正しさの説明における学生の見方の柔軟性と固執性-一斉授業におけるコミュニケーションが学生の見方へ及ぼす影響に着目して- 森本 明 聴覚障害関係学科一般教育等 要旨:本稿の目的は,数学の学習を数学に関わる学習者の見方の変容として捉え,学習者の見方の性質と見方へのコミュニケーションの影響とを,事例に基づいて明らかにすることである.そのために,命題「2つの奇数の和は偶数である」の正しさの説明における学生の見方に焦点をあて,見方の性質と見方への一斉授業におけるコミュニケーションの影響の考察を行った.考察の結果,この命題の正しさの説明における学生の多様な見方とその見方の柔軟性と固執性が見いだされることが示唆される. キー・ワード:数学科,見方,授業,コミュニケーション 1.はじめに  数学の学習において主要な位置を占める認知活動は他者とのコミュニケーションにより高められる.それは知識が社会的な相互作用を通して学習者自身により構成されるという社会的構成主義の立場から示唆される[1]・聴こえる生徒は,教室で音声的コミュニケーション手段の有用性を最大限に活用し,数学の学習をすすめることができる.しかしながら,聴覚障害生徒にとってはその手段が決して十分ではなく,結果として数学の学習と指導にさまざまな問題が生じる.この数学の学習と指導における問題を明らかにし,それを解決するためには,問題の主要な要因であるコミュニケーションに着目し,数学の学習と指導の過程について検討する必要がある.  本稿では,数学の学習を数学に関わる学習者の見方の変容として捉え,学習者の見方の性質と見方へのコミュニケーションの影響を,事例に基づいて明らかにする. そのために,命題「2つの奇数の和は偶数である」の正しさの説明における学生の見方に焦点をあて,見方の性質と見方への一斉授業におけるコミュニケーションの影響の考察を行う. 2.「見方」と「コミュニケーション」という視点  数学の学習において,学習者は必ずしも数学的に正しい見方をしない.例えば,「三角形」は「3本の直線に囲まれる図形」と数学的には定義される.しかしながら,子どもは必ずしも数学的な定義に基づいて図形を分類しない。子どもの多くは,子ども独自の多様な観点に基づいて図形を分類する.例えば,右の4つの図形を,子どもは「重たい」「軽い」といった主観的なイメージに基づいて分類する.つまり,①と④は「重たい」図形,②と⑬は「軽い」図形,と分類する.必ずしも⑪と⑬は三角形,②と④は台形,といった分類をしない.  このように,主体には既有の思考の枠組みがあり,それに基づいて思考を行う.この主体の思考の枠組みを,本稿では「見方」と呼ぶ.構成主義の立場では,この見方が数学的な知識の構成の基礎である.  数学の学習では主体がもつ見方の発展が期待される. この発展においては,他者とのコミュニケーションが重要な役割を担う.江森[2]が指摘するように,コミュニケーションの有効性は,他者からの刺激が個人ではなかなか変容させることが困難なメンタル・スペースを改良する契機を与えることにある.メンタル・スペースとは,ある刺激に対して構成される関連知識のネットワークであり,概念に対する見方はその一つである.つまり,他者からの刺激が,個人ではなかなか変容させることが困難な概念に対する見方を改良するきっかけを与える.  このように「見方」と「コミュニケーション」という視点から数学の学習を捉えることによって,数学の学習を数学的知識の獲得として捉えることとは異なる側面に着目することができる. 3.調査の対象と方法  学生の見方が他者とのコミュニケーションを契機として発展することが期待される.このことに関わり,一斉授業におけるコミュニケーションを契機として,命題の正しさの説明における学生の見方がいかに変容しうるかに着目し,調査を計画し資料を収集した.  調査は筑波技術短期大学1年生1学科の学生10人を対象に平成10年12月はじめに実施された.この10人は当年度4月から筆者が数学を担当するクラスのすべての学生である識1).分析のための資料として4種類を作成した;①授業前の調査紙(1)に書かれた学生の解答,②授業における発話記録,③授業直後の調査紙(2)に書かれた学生の回答,④授業一週間後の調査紙(3)に書かれた学生の解答(時系列順)である.  調査紙(1)の設問は以下のとおりである(図1). この設問に対する回答が資料①である.この調査紙(1)では,授業で扱う課題について学生の既有の解決のしかた,その背後にある見方を調べることを意図した.  授業では命題「2つの奇数の和が偶数である」の正しさを学生が正しく説明できることを,そのねらいとした. 本授業の前時までは図形に関する命題の正しさの説明が扱われた.したがって,「説明」は本時に初めて扱われる事柄ではなく,すでに扱われてきた事柄である.しかしながら,数に関する命題を授業で扱うのは当年度初めてであった.また,普段から授業は一斉授業の形式で行い,お互いの考えを出し合い,話し合うことが大切な学習活動であるとして進められてきた.  本授業の計画及び実施における意志決定は,すべて筆者が行った.指導の計画においては,特に「一般性のある説明の必要性」と「2つの文字を使う必要性」を学生が理解できるよう配慮した.また,授業の実施においては,これらの必要性について学生どうしが話し合う機会をつくるよう配慮した.具体的には授業の課題提示のしかたを工夫した.課題提示は,2つの奇数の和が偶数であることの2つの不十分な説明を教師が提示し,「どちらの説明がよいか」「もっとよい説明がないか」を考えさせることとした.教師が提示した2つの説明は図2のとおりである.  【Aさんの説明】は,いくつかの具体的な奇数の和について述べた説明である.【Bさんの説明】は,同じ奇数の和について述べた説明である.両説明とも数学的には不十分な説明である.特に【Aさんの説明】は「一般性のある説明」において不十分である.また,【Bさんの説明】は「一般性のある説明」,「文字の使い方」において不十分である. この授業の様子は,普段授業に参画していない参画者砿2’の協力のもとに録画された.この録画に基づいて発話記録を作成した繩3i、それを,授業におけるコミュニケーションが学生の見方の変容にどう関わったかを分析するための資料,資料②,とした.  授業直後に,調査紙(2)で次のような質問をした(図3). この設問に対する回答が資料③である.この調査紙(3)では,授業を通して学生自身が理解したとする事柄を分析することを意図した.  授業一週間後には類似問題による調査を行った.調査紙(3)の問題は次のとおりである(図4). この設問に対する学生の解答が資料④である.この調査紙(3)では,授業で学習した事柄をいかに活用して問題の解決を行えるかを分析することを意図した 図1.調査紙(1)の設問 図2.教師が提示した2つの説明 図3.調査紙(2)の設問 図4.調査紙(3)の設問 4.結果とその考察 4.1命題の正しさの説明における多様な学生の見方  授業前の自力解決において命題「2つの奇数の和は偶数である」を正しく説明することができた学生は一人もいなかった.誤答には,多様な学生の見方が反映されていることがわかる.  第一に,数の一般的性質に関わる命題であるにも関わらず,その正しさの説明において,特殊な例を表意的な絵で表すことによって考えようとする解決がみられる.S5は「1+1=2 りんご+りんご=りんごりんご」と書いていた. 2つの奇数の和について特殊な例「1+1=2」を取り上げ,それを「りんご」で表すことによって説明の糸口を見つけようとする態度が見いだされる.  第二に,命題を自明とし,説明の必要性がないとする解決がみられる.S2は「偶数十偶数=偶数,奇数十奇数=偶数というように,両辺が同じ奇数であったり,偶数であったりすると,答えは必、ず偶数になる」と書いていた.また,S9は「奇数同士でも,同じ奇数か偶数で合わせると,偶数になる」と書いていた.共通して,命題を自明の事実として扱い,説明の必要性がないとすることが見いだされる.  第三に,この命題の正しさを,自明とする類似な命題(「2つの偶数の和は偶数である」)に帰着させて示す解決がみられる.S6は,奇数を「偶数の1つ多い数」とし,奇数を「偶数+1」として,2つの奇数の和は「偶数+2」であり,それは偶数であるから,2つの奇数の和は偶数であるとした.命題「2つの偶数の和は偶数である」を自明とし,それに帰着させ,この命題の正しさを示そうとすることが見いだされる.  第四に,命題の正しさを,いくつかの特殊な奇数の和について示した解決がみられる.S7は「1+3=4,5+1=6,3+5=8,3+7=10」を示し,「奇数と奇数は必ず偶数であるから」と書いていた.複数の特殊な例で確かめることを説明の根拠とした.また,S4は10までの数について「2,4,6,8,10」が「1とそれら(2,4,6,8,10)のl少ない数との和」として表されることに着目していた.その例から「奇数十奇数は答えが偶数になることが分かる」と書いていた.局所的に成り立つことを示そうとしたことがみられるが,根拠が明確ではない.このように命題の正しさを,いくつかの特殊な奇数の和について示すことが見いだされる.  第五に,命題の正しさを「奇数」と「偶数」の関係からことばで説明する解決がみられる.S10は順序よく奇数の和を例として挙げ「確かに奇数十奇数=偶数である」と書き,一つの例「3+3=6」を取り上げ,「3は奇数だけど,3は2と1を合わせた数だから,(2+1)+(2+1)=62+2=4で偶数,あまるのは1と1.そのあまりを合わせると2で偶数となる.残った答えを合わせると,偶数になれる」と書いていた.奇数と偶数の関係を捉え,それによりことばで説明できたが,文字式を使って説明することはできなかった.  第六に,命題の正しさの説明において,誤った文字の使い方をする解決がみられる.S1は「奇数を、に例えて公式を作ってみると,、+、=2,になる.だから,nにどんな数字をあてはめても2がついている限り,偶数になると思う」と書いていた.異なる2つの奇数の和について正しく説明できていなかった.また,S8は「1+1=2,1+3=4,1+5=6,………」から,偶数をnとし,「1+(n+1)=、n+2=、n=-2」と書いていた.「1+奇数=偶数」をnで表し,それを方程式として計算していた.文字を使って数の関係を表し,表された式は方程式として処理された.文字が含まれた式は,S8にとって,方程式であり解をもとめなければならないことを意味していた.また,S3は「偶数は、に2倍した数である.=2,奇数は、に2倍した数に1を足したものである.=2,+1,が同じ数(2,+1)+(2,+1)=4,+2=2,よって(2,+1)+(2,+1)=2,の公式が成り立つ」と書いていた.また「、が違う数の場合..」と続けた.  一つの式に含まれる同一の文字は必ず同じ数を指示することを理解していた.しかしながら,2つの文字を使うことはできなかった.以上のように,命題の正しさの説明においては多様な学生の見方がみられる.それらは必ずしも数学的に正しい見方ではない.先行研究でも示されているように直感的であったり,素朴であり数学的に洗練されていなかったり,特定の文脈では正しかったり,数学の記号と関連づけることができない見方であるといえる[3][4]. 4.2「一般性のある説明の必要性」と「2つの文字を使う必要性」の学生の理解  授業で教師は2つの事柄にねらいをおいた.1つは命題「2つの奇数の和は偶数である」について一般性のある説明の必要性を学生が理解すること,もう1つはその説明において2つの文字を使う必要性を学生が理解することである.  授業直後に行った調査で得た資料に基づいて,学生がこの2つの事柄について言及していたか否かについてまとめたものが表1である.  表1からわかるように「2つの文字を使う必要性」については一人を除くすべての学生が言及していた.「一般性のある説明の必要性」については2人の学生が言及していたに過ぎなかった.教師の意図が十分に授業において表明されていなかったこと,学生が教師の意図を十分に解釈できなかったこと,一般性のある説明の必要性については十分に既に理解されていて敢えて言及しなかったことなどが考えられる. 4.3 類似な命題の説明における学生の見方  授業一週間後の類似な命題の説明では,授業で学習した事柄を正しく活用できた学生と活用できなかった学生がいた.また,一貫して授業前にみられた既有の解決のしかた,見方を適用した学生がいた.  授業で学習した事柄を正しく活用できた学生は2人いた.S1は「それぞれ偶数を2n,2n’とすると,2n+2n’=2(n+n’)2がついている限り偶数」と書いた.授業前では「奇数をnに例えて公式を作ってみると,n+n=2nになる.だから,nにどんな数字をあてはめても2がついている限り,偶数になると思う」と書いていた.授業前後における説明のしかたの違いから,授業後には2つの文字を使う必要性について理解し,その理解によって類似な命題の正しざを説明することができたと考えられる.また,S3は「偶数は2,である.2m+2n=2(m+n),よって(偶数)+(偶数)=(偶数)である」と書いた.S1と同様,S3は授業前には2つの文字の使い方についての理解が十分でなかった.しかしながら,授業一週間後の類似な命題の正しさの説明では,2つの文字を使う必要性を理解し,それによって説明をすることができたと考えられる.  他方で授業で学習した事柄を正しく活用できなかった学生がいた.授業では文字を使った説明が扱われた.その文字を使ってはいるものの,文字の使い方が誤りであったり,不十分であるために正しく説明できなかった学生がいた.S5は「2n+2n=2(n+n)」と書いていた.授業前には文字を使っていなかった.文字を使って説明をしたが,正しい説明ではなかった.S8は「偶数をa,b,cとすると,2a+2b=2c2(a+b)=2Ca+b=cつまり,(偶数)+(偶数)=(偶数)である」と書いていた.S5と同じように,文字を使って説明をしたが,正しい説明ではなかった.また,S4は「2a+2b=(偶数)」と書き,いくつかの例を示し「2という値に何をかけても,その数は偶数になる」と書いていた授業前には使っていなかった文字を使ったが,説明において効果的に文字を使っていなかった.S6もS4と同様である.S6は「偶数=(2n)と考える.(2n)+(2n)=4n nにどんな数字を入れても(かけても)「4」である限り答えは偶数である」と書いていた.いずれの学生も授業直後の調査紙では2つの文字を使う必要性について正しく述べていた.しかしながら,類似な問題への正しい活用は見られなかった.  また,一貫して授業前にみられた既有の解決のしかた,見方を適用した学生がいた.S7は授業一週間後の調査では「0+2=2,2+4=6,2+6=8,4+6=10……だから(偶数)+(偶数)=(偶数)である」と書いた.授業前には命題「2つの奇数の和は偶数である」について「1+3=4,5+1=6,3+5=8,3+7=10」から「奇数と奇数は必ず偶数であるから」と書いていた.授業前後における説明のしかたにはっきりとした変化が認められない.また,S10は授業一週間後の調査で「偶数はすべて2の倍数になっているので,……,偶数十偶数=偶数であることが正しいと言える」と書いた.授業前には,順序よく奇数の和を例として挙げ「確かに奇数+奇数=偶数である」と書き,一つの例を「3+3=6」について次のように書いていた.「3は奇数だけど,3は2とlを合わせた数だから,(2+1)+(2+1)=62+2=4で偶数,あまるのは1と1.そのあまりを合わせると2で偶数となる.残った答えを合わせると,偶数になれる」.S7と同じように,授業前後における説明のしかたにはっきりとした変化が認められない.一貫した自分の解決のしかたの適用が見いだされる. 4.4 見方の変容への教師と他の学生の関わり  授業前には文字を使って命題を正しく説明できなかったが,授業一週間後には類似な命題を正しく説明できた学生が二人いた.  S1は授業一週間後の調査ではnと、n’の2つの文字を使って命題「2つの偶数の和は偶数である」を正しく説明した.授業前には2つの文字を使うことができず,2つの奇数の和をn+n=2nと表していた,授業前の時点では,文字を使って異なる2つの奇数について正しく説明できなかった授業において2つの文字を使う必要性を理解したことが想定される.  授業のはじめ,S1の説明の正しさの根拠は「如何なる数に2をかけてもその結果は偶数である」ことにある. この根拠にみられるように「2nは偶数である」ことへ着目して命題の正しさを説明している.その説明では「2つの奇数の和はn+nで表せる」ことは暗黙の前提とされていた.それは次のS1の発言にみられる. S1:1つの奇数をこれ(Aさんの説明の2n+1を指す)と表すと,こういう風に公式をつくって(Aさんの説明の(2n+1)+(2,+1)を指す),その結果は2がついています.2がついていることは偶数と同じことだから T:この説明は正しいと考えてかまわないってこと? S:(うなづく) しかし,教師がS1の説明の不十分さを指摘すると,S1はn+nでは2つの奇数の和を正しく表すことができないことに気づく.それは次のS1と教師,S3とのやりとりにみられる. T:S1さんの説明の見ているところはここなんだよね(Aさんの説明の2(2,+1)を指す).2かける何とか,2かける救っていうのは必ず偶数,というところを説明したいんだよね.S3さんの考えているところっていうのは,その前のところ,ここは同じ数しか表せない.こことここを同じ数(Aさんの説明の(2,+1)+(2,+1)の左の2,+1と右の2,+1を指す)になってしまうからちょっと足りない説明になってしまうんじゃないかって.疑問としてあるわけ.2かける何とかが偶数になるのは認めるよね. S3:(うなづく) T:ここはね,(「S3さんも」(左手で示す))認める,でもちょっと足I)ないところ,ここ.3,3とか5,5とか7,7とか同じ数を合わせた,だけを考えてる,それはどうかな?3,5でも構わないかな? S:(首を傾げる) T:ならないでしよ.3,3,5,5って同じ数だけを合わせたことだけを考えているね. S:(そうか(手で顔の前をはらう))  S1の2つの文字を使う必要性の理解の契機が,自分の考えを表現すること,教師とのやりとり,他の学生の考えとの違いを参照することにあることが考えられる.  別の学生S3は,授業一週間後の調査では2つの文字、と、を使って,正しく命題「2つの偶数の和は偶数である」を説明した.授業前には,2つの文字を使って説明することができなかった.授業において2つの文字を使う必要性を理解したことが想定される. 授業のはじめ,S3は2つの文字を使った命題の正しい説明のしかたがわからなかった.それは【Aさんの説明】よりも【Bさんの説明】の方がよいとするS3の説明にみられる. S3:基本的にはこれでいいんだけど,例タトがあって,nが同じ放しやなければならないってこと.だから別の考え方を書いてみたんだけど,難しくて.向こうはちょっと暖味で,例外があった場合にそれをどうするかってことがある.こちらの説明は,論理,論理的に説明できるから,いいと思うんだけど. しかし,他の学生から,2つの文字を使った2つの奇数の足し算の表現が出されると,その表現を正しく修正した後,受け入れた.それは教師の発問「【Bさんの説明】をどのように変える必要がありますか」についての,S2の考えとS2,S3,教師とのやりとりにおいてみられる.S2は教師の発問に対して,次のように説明を始めた. S2:a,bを奇数と仮定する,a,bをただ奇数と決めるだけであって,数は変わってもかまわないって考えて,こう.(板書した式をさす)板書a,bとも奇数であると仮定する (2a+1)+(2b+1) S3:いいんだけど,a,bが奇数だったら,a+b=てかまわないんじゃないの? S2:これ((2n+1)+(2n+1))だったら,同じ数でなければならない,だから私は S3:ちょっと待って.私が言いたいのは奇数はこれ(Bさんの説明の2n+1を指す).だから,nが,nにどんな数が入っても奇数になる. T:S3さん,S2さんが書いたところのどこを変えればよくなる? S3:ここを消せばよくなる. T:(a,bを2a+1,2b+1と書き換えて)(S3さんに対して)例えばこれだったらいい? T:(S2さんに対して)つまり,2a+1と2b+1を奇数と考えて((2a+1)+(2b+1)を指す).で,この続きは?その続きは考えた? S2:そこだけ考えました.  教師は,この後,(2a+1)+(2b+1)の計算のしかた,2を因数にもつことを示した.S3は2つの文字を使って命題を説明できることを理解したと考えられる.S3の2つの文字を使う必要'性の理解の契機が,S2とのやりとり,教師の介入にあることが考えられる. 5.見方の柔軟性と固執性  命題「2つの奇数の和は偶数である」の正しさの説明では,多様な学生の見方がみられた;①数の一般的性質に関わる命題であるにも関わらず,その正しさの説明において,特殊な例を表意的な絵で表すことによって考えようとする解決,②命題を自明とし,説明の必要性がないとする解決,③命題の正しさを自明とする類似な命題に帰着させて示す解決,④命題の正しさをいくつかの特殊な奇数の和について示した解決,⑤命題の正しさを「奇数」と「偶数」の関係からことばを使って示す解決,⑥命題の正しさの説明において,誤った文字の使い方をする解決,である.10人という比較的少数の学生の間においても,多様な見方があることがわかる.  本稿で取り上げた授業では,一般性のある説明の必要性と2つの文字を使う必要性を学生が理解することがねらいであった.このねらいに対して,授業で学習した事柄を活用して,授業後一週間後の類似な命題の正しさを説明できた学生がいた自分の見方の不十分さと正しい説明のしかたを理解することで,類似な命題の正しさを正しく説明することができた自分の見方を柔軟に変えていくことができたことが見いだされる.  他方で,自分の見方に固執することも見いだされる.授業で学習した事柄を活用することなく,授業前の自分の解決のしかたや見方を類似な命題の説明においても適用した学生がいた.この事例では,特に,具体への固執が見いだされる.命題の正しさを一般的に説明することの必要性が理解されず,具体例を示すことが命題の説明として理解されている.自分が納得するための材料が命題の説明とされていた.授業において教師の意図が十分に表明されていなかったことや生徒の教師の意図の解釈が難しかったことが考えられる.  また,命題の正しい説明の表現を結果的に十分に活用できなかったが,正しい説明で使われる表現の模倣が見いだされる.命題の正しい説明として授業では2つの文字を使った式による説明が扱われた.授業一週間後の調査では,この正しい説明に使われた文字を表面的に使うが,不適切に使うことがみられた.こうした表現の模倣は,他者とのコミュニケーションを支えることにおいて必要な場合がある.その場合,コミュニケーションを通して,表現に対する自分の意味と正しい意味とのずれを埋めていくことが重要となる.授業において文字が使われていた.文字を使って説明しようとした.しかし,その表現は正しい意味で使われていなかった.説明に文字を使う必要性を十分に理解できなかったことが考えられる. 6.まとめと今後の課題  本稿では,命題の正しさの説明における学生の見方の柔軟性と固執性について,収集した資料で可能な範囲で考察を行った.本稿の考察は,授業における学生の思考の質的な側面を分析する試みであり,従来比較的多くなされてきた量的な側面における分析とは異なる.今後は,こうした研究方法論の検討をしながら,教科指導におけるコミュニケーションの役割としての機能と構造を明らかにすることが課題である. 謝辞  最後になりましたが,本調査を実施するにあたってご協力いただきました本学の一般教育等の技官 中山 節子さんに感謝の意を表します. 註ならびに引用・参考文献 1)便宜上10人の学生をS1,s2,……S10と呼ぶこととした.ここで用いた数字1から10の順序性に意味はもたせていない 2)本学の中山 節子技官 3)プロトコルは発話者のメッセージを音声,手指から読みとれる範囲で文字化して作成された. [1]Ernst von Glasersfeld(1987). Learning as a Constructive Activity. In Claude Janvier(ed.), Problems of Representation in the Teaching and Learning of Mathematics(pp3-18) Hilldale:L.E.A. [2]江森 英世(1997)数学コミュニケーション.日本数学教育学会編 日数教Yearbook第3号 学校数学の授業構成を問い直す(pp33-47).産業図書 [3]Hart,K.M.(1981). Children Understanding of Mathematics:11-l6 London: John Murray. [4]伊藤(日野) 圭子(1995).「子どもの方法」の研究から学ぶ.教育科学「数学教育2月号」連載「研究動向から見た学習指導法の改善」(第7回),104-107 :本研究は平成10年度文部省科学研究費(基盤研究(C)(2)「聴覚障害生徒を対象とした教科指導におけるコミュニケーションの役割に関する研究(課題番号10680294)j,研究分担者:森本 明,役割分担:数学科についての分析)の一部補助を受けて行われた.