コンピュータシステムの博物館学的研究手法について 情報処理学科 夏目 武 要旨:近年のコンピュータシステムとネットワーク全般にわたる情報処理技術と産業技術の発展及びその成果は著しく、社会的文化的変革をもたらすに至っていることは周知の通りである。その発展の基盤には工学的基盤としてのフォンノイマン方式のコンピータアーキテクチャーとシリコン技術を中心とした回路技術の進歩であり、科学技術的側面の進展というよりもむしろ,商業主義的競争による閉じた産業技術の進展として見ることが出来る。この商業主義的技術の顕在化した技術には必ずしも工学的な適性と最適性がない。ここでは博物館学的研究空間を実現することにより、新たな工学的創造を生み出す研究手法を提案する。それは過去の技術とその製品群を調査評価し、正しい工学的動向と将来への方向付けと隠された又は忘れ去られた技術を発掘してその技術的継続の中で今後の展開を予想し、過去の技術的遺産と知恵を保存する事である。ここでは事例を通して博物館学的手法による発展の評価とその意義と必要性を説く。 キーワード:コンピュータシステム、博物館学的研究手法、コンピュータ技術史 1.はじめに  ここでいう博物館学的とは商業主義的産物の歴史的見世物の陳列を意味しない。対象とするアイテムに対して工学的研究を時間的空間的に捉えて、新たな展開を追及することである。[3]この空間とは主として過去の使用済みのコンピュータ本体、周辺機器類、支援機械類,基本ソフトウェア、適用プログラムとそこで使われたプログラム言語類、ネットワークとその施設と部品類、システムと製品仕様書、標準文書、技術報告書、関連技術文書と文献とそのリスト等から構成される。生きた機能的空間にする為には次の要素と準備が必要となる。時代別,論理回路技術別、コンピュータメーカ別、産業別もしくは適用システム別、規模別システム構成とソフトウェア配分、ネットワーク規模と技術レベル、地域別・規模別ネットワークシステム等の時間的連続性のある資料類、もしくは機械類の集合の収集物の確保である。これらを時間的又は時代的技術の進化を組み立てられるデータベースと模擬コンピュータシステムとそのための作業空間である。研究目的と条件に応じた検索機能と評価のために必要な資料類の有機的羅列と実演の作業空間を作成する。これらによりコンピュータ技術の開発手法として、研究課題調査のため、コンピュータ技術の動向評価として、新製品開発指針の基礎資料として、コンピュータシステム設計の基本指針の資料として、技術配分に関するTrade-Off研究資料として、ネットワークコンピューティング技術の現状確認と将来への評価資料としし、国の政策的指標として、又コンピュータ教育の教材としても供することが可能である。[1][2][4][7] 2.研究手法の意義  この30年間のコンピュータシステムの技術又は計算機能の道具としての50年とこれらに伴う産業の著しい発展は周知の通りである。これは多大な社会的変革をもたらし、又多くの社会的国家的貢献を生み出している。[5][6][9][10][11]この展開の基盤には科学的な研究と技術的支援があった。しかし多くは国際的企業間競争の中で技術的経済的発展が行われている。その結果としての生産物が次々と工学的生産技術的進展を増殖している。 ここでは従来の工学的試作と普及と改善の中から新たな産業として誕生するプロセスは否定されている。競争型経済性を重視した技術と製品は従来の工学的有用性を時として排斥しつつ進展する。[11][12][13][14][15][16]また過去の優れた技術的資産は正しく累積しその拡張の中で技術的発展となって次の基盤を生成する。そして現在の製品群としてシステムを提供している。一方、置き去られた過去の有用な資産そのものは現社会での機能を失い、死に等しい遺物となって世の中から忘れ去られ、価値のないもの邪魔者としてスクラップされる。恐るべき事はこれらの現状の競争の中で培われた有用性と効率を求めた結果として優れた過去の技術と智恵がそれらの物としての製品と共に消滅されている事である。現時点で死んでいる製品類や技術群も時間軸の中で捕らえることで立派に生き返り、技術の展開と次段階への展開への足がかりと技術予測のための支援を与えてくれる。単なる競合的経済効果の為に、取り上げられなかった技術もこれらに加わることで健全な技術進展として再評価が可能になる。その他アーキテクチャーの側面、システム的側面、ソフトウェア的側面、純粋の技術的則面と経済的技術的側面、人にやさしいシステムとしての人間工学的側面、安全性信頼性の側面、技術保証の側面、規格文書化の有効性の側面、コンピュータ技術への支援,国策としての政策指針の側面等々、あらゆる可能性を創造できる自由な研究基盤と空間の生成が可能となる。[5][6][7] このように多様なコンピュータ技術とその関連分野の基盤的調査研究に役立てる研究手法としての位置付けが与えられる。これが単なる個人研究の手法としてとどまらず、公開され全国規模の共同利用研究空間として供されるならば大きな意義を持つ事になる。 3.研究手法の提案  考えられる評価の側面‐時間的、事象的、製造企業別,製品別,生産形態別、機能別等の切り口としては以下のようなものが考えられる。 0.コンピューティングとしての道具箱 1.アーキテクチャ 2.OS(Operating System)とその構成要素と構造 3.マイクロプロセッサーと周辺技術 4.データマネージメント 5.ソフトウェア工学と製品開発とシステム設計 6.プログラミング言語の変遷 7.ヒューマンインターフェス技術とアクセスビリティ 8.情報ネットワークとコンピューティング 9.WWW(World Wide Web)の過去・今・未来 A.コンピュータ関連規格文書類 B.AI(Artificial Intelligence)の進展と評価 C.スーパコンピューティングの誕生過程と発展 D.MPCS (Massive Parallel Computing System) E.コンピュータシステムの信頼性と安全性の次段階 F.企業製品別展開  ここでは、技術の歴史的展開の分析と評価が一つの研究空間で可能とした場合を考える。一例としてコンピュータシステムの発展のあり方を評価し今後の方向付けを行おうとする場合を想定する。1972年にIBM Corporationはハードウェアとソフトウェアの価格分離を発表している。[16][17] この事象はハードウェアビジネスとソフトウェアビジネスの分離を意味している。またハードウェア設計とソフトウェア設計の分離おも意味している。  この結果として一般使用者はシステムの最適値ではなく、それぞれの最適値の和を最適値として強いられる結果となっているように見える。近来のパーソナルコンピュータの技術的進歩と産業の発展は誠に著しく、その社会や私生活への恩恵は言い尽くせないものがある。反面、必要とする機能目的を越えた付加的な機能をぶら下げ且つその費用の負担を強いられているのである。システムの性能の最適化も同様にして両者の適用プログラムの融合の中で解決している。  最近の主張の中にco-design(協働設計)がある。[17][18][19]この主張は正に1960年代の設計思想の復刻である。同じにシステムの最適化に対するハードウェアとソフトウェアの機能的Trade-off(最適2分割法)技術の復活である。  Object Oriented Programming (OO) の技法はすでに1944年にB.Coxによりその意義がまとめられている。[20] IC, LSI, VLSI, GLSIとハードウェアテクノロジーの進歩は急激で指数関数的に性能と生産性を上げてきていることは周知のことである。一方、分離したソフトウェアの進展はこれと比べると大きな進展は見られない。[8][20]むしろ機能を充実展開させるために、汎用情報処理機械への適用プログラムとして巨大化、肥大化、複雑化の道をたどった。当初の投資効率は見かけ上ハードウェアに比して小さく押さえることが出来るが、複雑化した論理構造の変更管理とその中での問題解決とそれらに伴う保守作業は逆に大きな負荷とし課せられてきた。のみならずシステムの生産性向上の要求とその追求は安易なソフトウェア開発に進み、その結果、システムの肥大化と複雑化に進み、人的管理能力を超えるまでに至った。1980年代半ばからの都市銀行のオンライン業務サービスの発展に伴い、頂点に達している。系としてFTCS (Fault Tolerant Computing System)のもとに巨額な投資と1バンク常時300人のSEを擁しても、この非生産性を解決する道は見出せなかったという事例があり、一般的であった。  このOOはひとつの解決策として登場している。1996年にはIEEE Computerでは特集号の中で新しいシステム環境下でのOOのmanagement の導入を説いている。[21][22]今やMainframeの巨大コンピュータシステムの一括統括型からmainframeを密に結合されたLinkage Onlineで分散化集合体として巨大システムへと変わっている。  これらに対しても独立しているソフトウェアは同様な生産性向上を要求されているのである。次の段階への技術的継承と生産性を追求した道はこれらの事象の分析と評価から、求められるものと期待される。  コンピュータシステムアーキテクチャの追求はスーパコンピュータとMPCS (Massive Parallel Computing System)の方向に展開しているがいずれも1980 年代のベクトル処理方式の延長線上での概念に過ぎないし,その開発動向も歴史的な流れの中から評価すると非常に理解しやすいし、次段階への指針を与えてくれる。[24] 計算機械としての単能としては明確な方向を示している。又、MPCSはCORBA (Common Object Request Broker Architecture)と融合して革新的なコンピュータ体系を提案してくることになろう。[7][23][24][25] さらに加えて、システム、ハードウェア、ソフトウェア、ヒューマンインターフェス等コンピュータ技術の規格化は歴史的発展の中に大きな役割をなしていることも理解できる。1962年のASCII codeの制定に始まり、1980年FORTRAN(ISO 1539), 1990年漢字符号(JIS X 0208)、等枚挙に限りがないが、これらの国際規格と国内規格の融合は開発製造の自由度を束縛することなく、混乱を避け,生産性向上に貢献している。これは管理工学手法へのひとつの大きな展開である。[13][14][15]  日本における、1970年の情報処理振興事業法の適用と効果は、後の日本のコンピュータ産業の発展と企業の世界水準への成長をもたらして国際的な競争力をつけていることとして評価される。又トロンプロジェクトの成果の歴史的、環境的、経過的、経済的評価はこれらの空間から種々の側面から評価分析し、正しい評価と技術的示唆と、次段階への展開が与えられることになる。 30.今後の取り組み  博物館学的研究空間の実現は物理的な博物館的な資料室もしくは資料館を作ることから始まる。同時に、先に掲げた資料を収集する、整理分類する、データベース化する、極力システムまたはコンピュータが稼動可能状態に整備する、組織的運用管理体制を設計する、協力者と資金現源を探し設立体制を結成する等々、多くの段階が必要である。ここではその意義と可能性を主張する。加えて、コンピュータ産業にみる技術の革新的発展は特にPCのライフサイクルを極度に短縮し、結果として古い技術はスクラップとして処理される運命にあり、資料収集は容易となっている。又ここ、つくば市に点在する研究施設はほぼ15年を迎えて、コンピュータ設備の交換時期に入っていて、いわゆる過去の遺物としての古いシステム類の入手が非常に容易であることも大きな動機となっている。平成12年度の科研費としてここで示したコンセプトを提案し調査研究費を要求している。なお、著者の研究室はこの目的に添った資料室として小規模ながら資料の収集と評価分析の実践を目指した研究空間の実現を行っている。著者へのアクセスポイントは次の通り、 natsume@cs.k.tsukuba-tech.ac.jp http://www.k.tsukuba-tech.ac.jp/labo/natsume 31.参考文献 [1] 坂本 賢三 技術論序論 岩波書店 1965 [2] 坂本 賢三 機械の現象学 岩波書店 1975 [3] 中川 成夫 博物館学論考 雄山閣出版 [4] ジョン・フォン・ノイマン(飯島、猪俣、熊田訳)電子計算機と頭脳 ラテイス(株)1964 [5] T.ウイリアムズ(中岡哲郎訳)20世紀の技術文化史 筑摩書房 [6] H.ラインゴールド(栗田、青木訳)思考のための道具 パーソナルメディア社 1987 [7] D.ミッキー、R.ジョンストン(木村訳)創造するコンピュータ TBSブリタニカ 1985 [8] M. William A History of Computing Technology Printice Hall 1985 [9] IEEE Transaction-Computer : 50years of computing, pp24‐111,Oct, 1996 [10] IEEE Computer: Timeline of Computing History, 1996 -Home page of COMPUTER(http://computer.org/computer/timeline/) [11] IEEE Annals of the history of Computing - Special issues: 50years of Computing Vol.18, No.2, Summer 1996 [12] 富士通50年のあゆみ 1986年6月 [13] 富士通社史 Ⅲ 1996年 [14] 日立製作所 神奈川工場25年のあゆみ 1988年8月 [15] 日本アイビーエムコンビュータ50年史、日本アイビーエム(株)1988年 [16] コンピュータ発達史 日本アイビーエム(株)編集1988年 [17] IEEE Proceedings March 1997, Vol.8No.3, PP347-475 [18] IEEE COMPUTER Jan., 1994 Vol.27,No.1, pp48-55 [19] IEEE SPECTRUM Sep.,1999 pp43-51 [20] Brad COX: Object Oriented Programming Adison Wesley 1944 [21] IEEE COMPUTER Sep.,1996 Vol.29, No.9, 33-74 [22] IEEE SOFTWARE Jan./Feb., 1997 Vol.14,No.1, pp26-72 [23] ACM COMMUNICATION Oct.,1998, Vol.41,No.10, pp37-79 [24] IEEE PROCEEDINGS Apr.,1991 Vol.79,No.4 pp395-590 [25] 伊藤、福島、三宅 電子情報通信学会論文誌D Vol.J73,No.1 ppⅠ‐8, 1990