筑波技術短期大学附属診療所の微生物学的汚染度について 鍼灸学科 衛生学・公衆衛生学 一幡 良利、村上 淳子、柏倉 健太郎 要旨:筑波技術短期大学附属診療所の環境の微生物学的汚染度を経時的に調べた。空中落下菌数の衛生学的指標は施術所内では清浄度を保っていた。しかし、待合室では中等度汚染を示した時もあった。ふき取り試験による各ブースの床およびマットは軽度汚染から中等度汚染を示した。これらの事実から、診療所内の環境の検査をすることは、清掃状態や消毒の効果に対する判定に有用で、かつ感染防止対策上十分役立つものと考えられる。 キーワード:微生物汚染、常在細菌、感染予防、消毒、環境 1.はじめに  医療の分野では院内感染防止のための指針の一つとして環境の汚染度や医療従事者の消毒については規定されたマニュアル[1]があり、感染防止に努めている。従来から、鍼灸臨床の場においても、鍼灸院の環境の調査[2]はあるものの規定されたマニュアル化の設定までには至っていない。この事実は一般の総合病院内での感染症の発生に比べて鍼灸治療院での感染が遥かに少ないからかもしれない。しかし本学の附属診療所は東洋医療と西洋医療を行っており、患者は老人や易感染性宿主も治療対象となっているために、感染の予防には的確な方法がとられなければならない。東洋医療では、過去に鍼灸治療後に発症したとみられる感染症の報告[3-6]もあり、これらの原因が内因性か外因性によるものかも明白でなく、見過ごすことの出来ない問題となっている。とくに感染症の病態は原因となる微生物の病原性因子、環境要因並びに患者の宿主側要因等の関連に基づくもので広い知識が必要となる。そこで今回は本学附属診療所の施術所内の微生物汚染状態を把握すべく、環境調査を行ったので報告する。 2.材料と方法 2.1 空中落下菌の測定  本学診療所内鍼灸施術所待合室、施術所内の入口および奥水道付近の空中落下菌数を測定した。使用培地は一般生菌数用にトリプトソイ寒天培地(栄研)、血液寒天培地(日水製薬)、マンニット食塩培地(栄研)を用いた。真菌の検出用にはコーンミール培地(DIFCO)を用いた。検体採取後、一般生菌数用培地は37℃で24時間から48時間培養した。コーンミール培地は25℃で48から72時間培養した。発育したコロニーは集落数の計測とグラム染色並びに単染色と一部の生化学的検査により菌種を同定した。空中落下菌数による汚染度の指標[7]は30個以下を清浄、30から50個以下を軽度汚染、50から100個以下を中等度汚染、100個以上の場合を高度汚染と定めており、その評価と指標によった(表1)。 2.2 ふき取り試験による生菌数の測定  フードスタンプ培地(日水製薬)およびTGSE培地(日水製薬)を用い、施術所スタッフ出入口箇所の床マット(中心部、左側、右側)、各施術所内ブースの点字ブロック表示箇所の床部表面をスタンプによりふき取った。検体採取後各々の培地は、37℃で24から48時間培養した。培地表面(10cm2)に発育した集落数を算定し、生菌数を求めた。ふき取り試験による汚染度の指標は発育なしを清浄、10個以下を軽微汚染、10から30個以下を軽度汚染、30から100個以下を中等度汚染、100個以上を高度汚染として、Cate の報告[8]を一部参考にした(表2)。 2.3 環境調査期間  平成11年4月13日(4月)、5月18日(5月)、6月15日(6月)、7月1日(7月)、9月9日(9月)、10月12 日(10月)の計6回に亘って上記方法に基づいて計測した。 表1 空中落下菌数による空気清浄度の評価 表2 ふき取り試験(10cm2)による微生物汚染の評価 3.結果 3.1 空中落下菌数による汚染度  施術所待合室では4月は12個、5月は16個、6月は24個、7月は23個、9月は32個、10月は17個の平均菌数を示した。9月以外は清浄であったが、9月は軽度汚染を示し季節的と関連していた。しかし6月以降は真菌の検出率が30%もあり、特に9月は50%を越えた。一般細菌は芽胞形成菌が最も多く、ついでコアグラーゼ陰性ブドウ球菌(CNS)、黄色ブドウ球菌が検出された。施術所内の入口水道付近では4月は6個、5月は7個、6月は22個、7月は14個、9月は13個、10月は2個であった。本場所は何れの月も清浄範囲であった。このとき6月は90%、9月が50%の割合で真菌が検出されており、一般細菌数を上回っていた。施術所内の奥水道付近では4月は9個、5月は9個、6月は8個、7月は10個、9月は12 個、10 月は8個といづれの月も清浄範囲であった(図1)。一般細菌と真菌の比較では7、9、10月が50%以上の真菌が検出された。 3.2 ふき取り検査による汚染度  マット上のふき取り検査結果はマットの中心部(真中付近)、左側、右側の一定個所を検査した。中心部では7月は62個、9月は64個、10月は44個あり、中等度汚染を示し、5月並びに6月も軽度汚染であった。左側では6月は32個、7月は62個、9月は51個、10月は40個あり、いづれの月も中等度汚染であり、4月並びに5月も軽度汚染であった。中心部より左側の方が汚染度が高かった。右側でも7、9、10月は中等度の汚染を示し、4、5、6月は軽度汚染であった(図2)。7月から10月では一般細菌と真菌の数が同数であり、一般細菌は芽胞形成菌より、CNSが多かった。季節的な変動と汚染度との関連性がみられた。各ブース入口の床では1番ブースで5月、7番ブースで4月と6月、9番ブースで4月と7月、11番ブースでは7月に中等度汚染を示した(表3)。各ブースでの顕著な差は見られなかったが、7から11番ブースの方が汚染度は高い傾向を示した。この部分の汚れは、本学特有の盲人用標識部位であり、必要不可欠なものであるが、逆に微生物汚染を助長する原因となりうる。 図1 空中落下菌数の変動 図2 マット上のふき取り検査による菌数の変動 表3 各ブース床のふき取り検査による菌数の変動 4.考察  医療機関における医療業務を円滑に遂行する上で、病院感染対策が必須であり、かつ非常に重要であることは十分に理解されている。それ故に、今まで院内感染と定義づけられていたものが院という言葉の曖昧性により、病院感染[9]と呼ばれるようになり、医療機関でのこの分野での取り組みが真剣であることのあかしである。しかし残念ながら、鍼灸治療院におけるこの分野での取り組みは遅れているといわざるをえない。鍼灸治療に関しても第一に患者への感染、その次に鍼灸師自身の感染が考えられる。その中には術者・被術者間での交差感染[10]もある。従って自らの鍼灸治療に関して起こり得る感染のすべてに責任があることはいうまでもなく、滅菌・消毒の基本概念[11]を忘れてはならない。幸いにも本学学生並びに卒業生にはこれらのことが周知徹底[12-15]されてきている。更に、本学附属診療所は東西医療が行われ、学生および研修生も臨床経験する場所であり、出入りは頻繁で自由に行われる故に、環境汚染度を定期調査することは有用である。  今回の成績では、空中落下菌の検索では待合室の9月のみが軽度汚染で、その他の月並びに施術所の水道付近は清浄であり、比較的清潔であった。一般的に、室内で100個以上検出される医療機関はなく、食品工場でさえ10個以下であることが報告[7]されている。通常培地中に1個の菌が検出された場合には、そこの空気中には30から50個の生菌が浮遊していると考えられている[7]。清浄範囲であっても、菌検出が見られる場合はより注意が必要であることを示している。また、これらの浮遊菌の一部が床の汚れに基づくものとして、施術所のマット及び床のふき取り試験を行った。施術所マットはシール式で一定使用すると、表面のシールをはぎ取り替えられるもので衛生的である。このマット部位には外来から出入りする時に、ゴミ等の汚れと一緒に微生物も付着していることになる。したがって、肉眼的に汚れがみられたときには、微生物学的には中等度汚染となっている可能性があるので、こまめにシール交換を行えば靴底からは室内に病原性微生物を持ち込むリスクは少なくなる。しかし、これを怠ると逆に微生物にとっては好都合で環境汚染を助長することになり、的確な交換が必要となる。また、一定数の微生物が各ブース入口の指示床には生息しており、真菌、ブドウ球菌の存在を多く認め、この箇所の消毒並びに洗浄が必須である。他の平面である床より凹凸があり洗浄しにくいため、より徹底した消毒が必要である。近年医療分野では医師の使用するボールペンの細菌による汚染状況まで検討し[16]、医療従事者の所有する筆記用具に至るまで消毒を徹底する時期に来ている。  これらの事実から、鍼灸臨床分野でも消毒に関する考え方を環境方面からも十分対応できる体制をとっておかないと、感染があった場合に対処もできないままで終わってしまう。このような不測の事態が発生しないためにも、常時感染予防対策を念頭におかねばならない。 引用文献 [1] 竹田 美文,古泉 秀夫:院内感染防御マニュアル,薬業時報社,東京,1996. [2] 小林 寛伊:鍼灸治療における感染防止の指針,鍼灸安全性委員会,東京,1992. [3] Hadden WA, Swanson AJG:Spinal infection caused by acupuncture mimicking a prolapsed intervertebral disc,J Bone Joint Surg 64-A(4),624-627,1982. [4] Izatt E, Fairman M:Staphylococcal septicaemia with disseminated intravascular coagulation associated with acupuncture,Postgrad Med J 53 (1),285-286,1977. [5] 原田 香奈,鈴木 貴博,鈴木 厚ほか:針治療を契機として発症したToxic Shock-like Syndrome の一例,感染症学雑誌,71(10),1066-1070,1997. [6] 鬼塚 智子,大石 和徳,池田 徹ほか:針治療後に発症した劇症型A群レンサ球菌感染症(Toxic Shock-like Syndrome)の一例,感染症学雑誌,72(7),776-780,1998. [7] 西田 博:食品衛生の実際,オーム社,東京,1992. [8] Cate LT:A note on a simple and rapid method of bacterical sampling by means of agar sausages. J Appl Bact 28(2),221-223,1965. [9] 小林 寛伊,永井 勲:病院感染防止と医療器材,協和企画通信,東京,1998. [10] 一幡 良利,山下 仁,高橋 昌巳:鍼灸最前線-鍼灸に関連する微生物とその処置,医道の日本社,神奈川,1997. [11] 一幡 良利:衛生・公衆衛生学用語事典,医学出版社,東京,1997. [12] 高橋 昌巳,山下 仁,大谷 千津子ほか:水道栓の汚染調査,筑波技術短期大学テクノレポート,3(1),41-43,1996. [13] 山下 仁,一幡 良利,高橋 昌巳:鍼灸臨床における効果的な手指消毒剤に関する検討,筑波技術短期大学テクノレポート,5(1),27-31,1998. [14] 一幡 良利:感染症を知る,全日本鍼灸学雑誌,48(4),355-362,1998. [15] 一幡 良利,浅賀 久美,池田 尚弘ほか:消毒用エタノールの常在細菌に対する形態変化と生菌数の変動,筑波技術短期大学テクノレポート,6(1),269-272,1999. [16] Datz C, Jungwirth A, et al:Whats on doctors ball point pens? Lancet 350:1824,1997. Environmental Indices of Microbiological Contamination at Tsukuba College of Technology Clinic Yoshitoshi Ichiman, Junko Murakami, Kentaro Kashikura Department of Acupuncture (Microbiology Laboratory), Tsukuba College of Technology With the investigation of microbiological contamination in our college clinic environment, following experimental results were obtained. Air quality in therapy room have been found to level 1(±, very slight growth) by using the colony count method. However, environmental surfaces have been shown in level 4(2+, moderate growth) of microbial contamination.  These findings suggest the possible to obtain a fairly objective picture of the conditions in the clinic and of the efficacy of the cleaning and disinfection carried out. Key word ; microbial contamination, normal bacterial flora, infection control, disinfection, environment