鍼灸卒前臨床教育における基本的臨床訓練の試み-シミュレーションとロールプレイによる対人技能の改善- 附属診療所 津嘉山 洋、山下 仁 要旨:日本の医学教育では卒業時点で一定程度の臨床能力を獲得することを目標として,医療チームの一員として医療に参加する臨床クラークシップが導入されようとしている。むろん、このような実習に参加する前に学生は基本的な臨床能力をマスターしている必要がある。  筑波技術短期大学附属診療所における鍼灸の卒前臨床実習においても、臨床能力を獲得させる目的で外来鍼灸治療に学生を一部参加させている。しかし、外来サービス現場の立場で観察すると、臨床クラークシップを実施するには学生の状況に改善の必要を認める。そこで、卒前鍼灸臨床実習履修中の学生に対して、基本的臨床技能の向上を目的に、模擬施術・ロールプレイを中心とした教育プログラムの適用を試みた。  プログラムの実施に伴い、対人技能(言語的・非言語的)の改善が観察された。鍼灸師の卒前臨床実習において学生に実際の施術に参加させるには、それ以前の体験型学習と評価のフィードバックによる基本的臨床技能の体得が必要であると考えられる。 キーワード:卒前臨床教育、鍼灸師、臨床技能、対人技能、ロール・プレイ 1.背景  卒前の医学教育の目標として「全ての医師が備えるべき基本的な知識・技能・価値観・態度を身につけさせること」[1]が挙げられ(表1)、学生がチームの一員として実際の患者診療に加わる臨床クラークシップを卒前臨床実習に導入することが検討されている。「教育のみを目的とした模擬診療ではなく、実際の医療の中で学生教育が行われる」ことにより、患者や医療チームのメンバーとの深い接触を通じて、医師にとって必要な態度や価値観を体得することに目標がおかれる[2]。むろん、患者を実験台にして技術の習得を行わせることが目的ではなく、事前に「臨床実習入門」などの課程を通じて一定の基本的臨床能力を身につけさせ、それが十分達成されているかを評価認定された上で実施されることは言うまでもない[3](表2)。  基本的臨床能力の教育に自己開発能力開発や個別の問題解決のためのチュートリアル[2]、コミュニケーション能力や身体診察能力の修得のために模擬患者を用いたシミュレーション、学生同士によるロールプレイなどの教育法[4]が我が国においても試みられ、基本的臨床能力の評価法として技能・態度を評価するOSCE(客観的臨床能力試験)などの評価法[3]が導入されている。  筑波技術短期大学附属診療所における鍼灸の卒前臨床実習(以下「臨床実習」とする)においても、臨床能力を習得させる目的で外来鍼灸治療に学生を一部参加させている[5]。我々は医療サービス現場の立場から、筑波技術短期大学教育研究活動の点検評価において、その実施上の問題点を整理し実際の患者診療に外来鍼灸治療チーム(以下「チーム」とする)の一員として参加させることを前提とした場合の改善案を提案した[6]。  その後、臨床実習前における基礎技術評価[7]などの改善の努力が払われ、実技に対する学生のモチベーションの向上がはかられた。しかしながら、外来における学生の観察からは、チームの一員として機能することを前提とすれば、対人技能や情意領域を含む基本的臨床能力の教育に改善の余地があるように思われる。 表1.基本的臨床能力 表2.社会通念上、医学生に許容される医行為とその実施条件 2.目的  我々が卒後臨床研修課程[8]の導入期に用いている、チュートリアルとロールプレイを中心とした「安全な施術実習」プログラム(表3)を、臨床実習課程の学生に適用し外来における対人技能や態度などを含む基本的臨床技能の向上をはかる(表4)と同時に、実習に参加している学生の現状を把握する。これは、医学教育目標に於ける、情意領域、精神運動領域に主に関わる部分である(図1)。 3.方法  附属診療所鍼灸外来にて臨床実習Ⅱを履修中の学生に、研修生の初期カリキュラムから安全な施術実習のプログラムを導入し適用した。正規のカリキュラム外の演習であるため週一回授業終了後の1時間半程度をこれにあてた。ほぼ二学期に相当する時期に行った。  学生に対しては、まずコミュニュケーションを含む基本的臨床技能に問題があるために改善を必要とするが、外来臨床中にはその補正は困難であることを説明し、更にプログラムの説明を行った。この結果、臨床経験のない弱視学生2名が、自発的にプログラムに参加した。  学生には実習の目的と指導内容を説明した上で術者と患者の役割を与え、問診・身体診察・施術のプロセスを演じさせた。教官は行動を観察記録し、適当な時間で演技を区切り、学生相互に問題点を指摘させ、また教官からも問題点を指摘して行動の修正を促した。診察のロールプレイのシナリオは事前に学生に用意させた。また、毎回の演習のまとめとして、終了時に学生それぞれに改善の必要なポイントを少数(1・2点)提示し、次週までの課題とした。表5に具体的な指導内容を示す。  指摘事項とその改善を評価項目とした。 表3. 安全な施術実習(卒後研修課程) 表4.指導の目的 図1.医学教育目標の3領域 表5.指導内容 4.結果  表6に示すように計10回の演習を実施できた。卒後臨床研修課程における実習内容と異なるのは、既に附属診療所のシステムなどについての理解は得られているために、基本的な精神運動領域と情意領域の能力向上に集中することが出来たためである。演習中の指摘事項を表7に示す。  刺針の演習から開始したが、これは臨床実習中に粗雑な言動が目立ち、非言語的接触を含むコミュニケーションの補正が急務であるためと考えたからである。まず、言語的・非言語的コミュニケーションに指摘事項が目立つが、次第に改善され4回目頃には基本的な問題の指摘は無くなり、演習への慣れから生じたと思われる集中力の低下が目立つようになった。具体的な指摘内容は必要以上に粗雑かつ頻繁に患者の身体に接触する、不快な通電操作を行い苦痛を与える、針に接続した通電コードを引っ張る、乱暴な刺針で苦痛を与える,不潔な操作を行う、指示通りに手技を実行せず自分の解釈で施行する、指示したのと別の経穴に刺鍼する、説明不足で患者に不安を与える、ブース内であちこちにぶつかる、ブースを間違えるなどである。  6回の演習で、ほぼ初期の目的を達したために、診察のロールプレイに移った。問診のロールプレイでは、認知領域の専門的知識の不正確さと構造化の未熟さの問題が大きく、事前に準備をさせたにもかかわらずシナリオの不備が目立った。また、問診の基礎技術である現病歴の聴取の基本[9]が理解されていず、基本技術としてのインタビュー能力の未熟さも明らかとなった。また、身体診察では、個々の診察手技の目的と手順の理解や知識の不正確さ・欠如など認知領域の弱点が目立つほか、着衣のまま神経学的検査を行う、何をするべきか解らなくなり意味無く触診をしたり、乱暴かつ不正確で患者に苦痛を与える診察手技を行う、患者への協力の依頼を怠りいきなり徒手検査を開始する、挨拶抜きの診察の開始、横柄と受け取られる態度など情意領域・精神運動領域での弱点も目立った。  演習を通して、安全性やサービスの観点から、見過ごすことができない弱点が多く指摘された。これらの弱点の多くは、シミュレーションやロールプレイを通じて問題点の自覚が得られ、指導者からの評価のフィードバックも加えて修正が可能であった。 表6.実施内容 表7.指摘事項 5.考察  臨床実習を一学期以上経験していたにもかかわらず、診察場面や施術場面での弱点が明らかになった。(対価を要求する)医療サービスを提供するチームの一員としては、安全面やマナーの面からも不適当な実態が浮き彫りとなった。以前に教育研究活動の点検評価において指摘した問題点と改善の提案を表8にまとめるが、残念ながら今回の結果からはこの分析を越える内容を得ることはできなかった。  今回のサンプルから学生全般についての結論を下すことは出来ないが、言語的・非言語的対人技能の問題から、サービスに対価を支払っている患者にスタッフの一員として接触を持たせるのを躊躇する学生が存在するのは事実である。こうした学生の行動の補正を外来臨床でサービスを提供しながら行うのは困難[10]であり、外来での病歴・身体的所見の取得の実習へと進ませられない場合がある。  鍼灸臨床で患者は身体の皮膚を露出した無防備な状況下で身体的接触にさらされ、皮膚を針によって穿刺される。この意味で、鍼灸師の非言語的な介入が患者の情動へ与える影響への配慮は非常に重要である。また、鍼灸では情動の影響を大きく受ける慢性疼痛性疾患などを多く扱うことからも、鍼灸師の基本的臨床技能の中でも言語的・非言語的対人技能は重要な要素を占めている。サービスを提供する現場において「最終的には⑤治療というところまでを目標としている」ような臨床実習[7]を行うのであれば、適用が可能な学生を対象に行うべきであり[1,11]、言語的・非言語的対人技能なども含めた基本的な臨床技能はそれ以前にクリアーされているべきである[12]。このためには、鍼灸の基本的臨床技能の内容を検討し、教育法、評価法とそのフィードバックや教官のトレーニングなど十分な準備も必要となろう。  我々の卒後臨床研修の経験からは、既に免許を取得した学生といえども対人技能と基本技能に問題がある場合が多く、チームに迎えるためには、補正のために外来導入プログラムを用意する必要があるのが現実である。  言語的・非言語的対人技能や態度は医学教育目標分類の情意領域や精神運動領域に相当するが、言葉で治療者の心得を説いたとしても[5]十分に体得しえず、体験型の学習が必要とされる[13]。今回のロールプレイやシミュレーションなどの体験型の学習によって、言語的・非言語的対人技能の改善が得られたという結果もこれを支持している。  情意領域の教育においては評価のフィードバックが重要であるとの指摘があるが[14]、基礎技術評価[7]を通過した学生においても、対人技能や基本技能に問題を抱えており、評価のフィードバックのシステムについても検討が必要であろう。また、学生によって状況は大きく異なり、一律に対応するのは困難である。個々の学生の状況を把握し、それに応じた個別指導プログラムの編成などの対応を行う必要があるのではないだろうか。  今回行った演習方法は言うまでもなくチームへの導入の役割を果たすものと位置づけられる。外来における現実の患者との接触により得られる効果を代替しうるものではない。また今回、認知領域の弱点も数多く指摘されており、この面でも問題解決型プログラムの導入など更に改善をはかる必要が認められた。 表8.問題点と改善の提案 6.まとめ 1) 卒前鍼灸臨床実習履修中の学生のコミュニケーション能力、基本的臨床技能の向上と現状の把握を目的に、臨床実習以外に模擬施術・ロールプレイを中心としたチュートリアル教育を試みた。 2) この結果、コミュニケーションや行動上の弱点が明らかとなり、その一部を補正することが出来た。 3) 鍼灸師の卒前臨床実習で学生に実際の施術に参加させるには、それ以前の体験型学習と評価のフィードバックによる基本的臨床技能の体得が必要であると考えられる。 7.引用文献および注 [1] 津田 司:卒前臨床医学教育.医学教育白書1998年版(日本教育学会編集),1998,53-56,篠原出版,東京. [2] 神津 忠彦:新しい卒前医学教育:チュートリアルと臨床クラークシップ.医学教育白書1998年版(日本教育学会編集),32-37,篠原出版,東京,1998. [3] 伴 信太郎:臨床実習の評価.医学教育白書1998年版(日本教育学会編集),1998, 57-59,篠原出版,東京. [4] 今道 英秋,原 健二,佐々木 将人・他:ロール・プレイによる診療実習の新しい試み.医学教育,27: 247-252,1996. [5] 坂井 友実,白木 幸一:筑波技術短期大学鍼灸学科総合臨床実習のあり方.筑波技術短期大学テクノレポート,1: 153-156,1994. [6] 筑波技術短期大学点検・評価委員会編集:附属診療所.教育研究活動の点検・評価報告書-聴覚・視覚障害者高等教育の創造と発展,1996,173-176,筑波技術短期大学,つくば市. [7] 坂井 友実,形井 秀一,木村 友昭・他:鍼灸外来臨床実習に向けての基礎技術評価,筑波技術短期大学テクノレポート,5: 73-76,1998. [8] 山下 仁,津嘉山 洋,丹野 恭夫・他: 鍼灸師の卒後研修,筑波技術短期大学テクノレポート,5: 211-216,1998. [9] 蓮村 靖:臨床実習・内科研修のための診察の仕方と問題解決ハンドブック,1994,30-35,南江堂,東京. [10] 臨床実習においては外来臨床に当たりながら教官一人あたり3~5人の学生を担当して教育を行っている。この現状では個別指導は困難である(1999年現在). [11] まずモデルで練習して,次のステップでは学生同士で互いに練習して,さらに次の段階では模擬患者(SP)の方,あるいはペイシェントインストラクターなどとの訓練を重ね,ある程度型が整えられた上で実際の患者さんに触れてください,ということですね. アメリカのクリニカルクラークシップでは,学生が来るとレジデントは非常に楽になるんですね.それは学生がレジデントの肩代わりをするからです.すなわち,その時点である程度臨床能力があるわけです.(石丸 裕康,伴 信太郎,栗山 勝,高林 克日己:基本的臨床能力の習得と教育〔座談会〕,医学界新聞,13巻,第2277号,1998年2月16日.) [12] 西條 一止:鍼灸学科の鍼灸臨床実習のあり方,筑波技術短期大学テクノレポート,2: 167-168,1995. [13] 植村 研一:卒前臨床医学教育.医学教育白書1994年版(日本教育学会編集),1995,86-92,篠原出版,東京. [14] 岡村 健二,大滝 純司,厚美 直孝,川村 康,湯澤 賢治,永瀬 宗重・他:卒後臨床研修における研修評価のフィードバックの試みとその有用性に関する研究.医学教育,26: 263-268,1995. A Tentative Undergraduate Acupuncture Program for Basic Clinical Skills: Improvement of Interpersonal Skills through Simulation and Role-Playing Hiroshi Tsukayama, Hitoshi Yamashita Tsukuba College of Technology Clinic Recently, clinical clerkship has been introduced to undergraduate medical programs in Japan in order to allow medical students to acquire clinical competence. Before participating in such programs, the students are required to learn basic clinical skills.  At Tsukuba College of Technology Clinic, undergraduate acupuncture students participate in clinical outpatient activities for the similar purpose as clinical clerkship in medical schools. However, the actual condition of the students observed in the clinical service seemed insufficient for conducting clinical clerkship program. We therefore trained the undergraduate students in a tutorial program of simulation and role-playing.  The students who joined this program improved their interpersonal skills using verbal and non-verbal communication. We suggest that it is necessary for undergraduate acupuncture students to learn more basic clinical skills before proceeding to clinical clerkship. Key words: undergraduate clinical training, acupuncture practitioner, clinical skills, interpersonal skills, role-playing