建築人間工学の視点からみた障害者の動作域の研究及び擬似体験教育-聴覚・視覚障害学生の連携による共同授業の一試み- 建築工学科 橋本 公克 要旨:聴覚障害学生と視覚障害学生が、肢体不自由者の移動・入浴・排便動作の疑似体験を通して、コミュニケーションと動作の具体的な不便を体験する事により、相互の情報支援や日常生活空間のあり方について理解を深めることができた。 キーワード:人間工学、動作域、日常生活動作、聴覚障害者、視覚障害者 1.はじめに  現在、我が国の65才以上の高齢者人口は1,970万人(1997年9月)、総人口12,525万人に対し15.6%である。2005年には65才以上の高齢者が2,501万人(19.6%)に達すると見込まれる。それに伴って運動機能や知覚機能に制約をもつ人が増加することが予測される。また、一方、身体障害者も疾病や交通・労働など、各種の災害により増加を続けている。この様な状況の中、高齢者・身障者と健常者との統合(Integration)を基本にした社会をつくるに当たって、移動の自由が保障された、良質な住環境をつくる必要を感じている。  私は、聴覚に障害のある学生(建築工学科)と、視覚に障害のある学生(理学療法学科)を対象に、以下の研究と教育を行っている。①研究は、移動制約者と空間の関係について考察するもので、人間工学の動作域についてと、建築計画の空間構成についての研究を行っている。  ②教育については、人間工学・建築計画と生活環境論の講義を行い、演習で建築人間工学実験と、建築工学科は設計を行っている。人間工学の実験では、人の移動について及び、水周りでの作業動作の実験を通して、人の動作特性と動作域を理解させることである。  このレポートは、日常生活動作の実験的研究と疑似体験教育を通して、空間設計に必要な動作域の計測と被験者の内感調査を試みた報告である。  尚、この研究は、平成9年度、教育研究特別経費(学長裁量経費)により、建築人間工学実験室の水周り設備を充実して実験を行ったものである。 2.研究目的  移動・入浴・排便など、日常生活動作の疑似体験を通して、人間工学的視点からみた動作域を把握すること。  また、情報障害者のコミュニケーションのとり方と、肢体不自由者の動作の困難さを理解することにある。 3.概念の規定:建築と人間工学  前提として①“用語の定義”*1 a. 動作空間:ひとの日常生活動作に必要な空間。 例;移動・調理・入浴・排便など。 空間寸法=ものの大きさ(機器・設備)+人の動き(操作)+ゆとり(余裕) b. 単位空間:一般に床・壁・天井によって限定された三次元の空間で、機能的なまとまりをもつ空間。 例;居間・食堂・寝室・トイレなど。 c. 建築空間:動作空間が基となり単位空間を形づくり、その集合体が建築空間である。 例、住宅・学校・病院・市役所・店舗など。 ②“人間工学・建築計画・建築設計”について、 a. 人間工学:ひとの動作特性を空間に投影し、生活行為に必要な建築的条件をまとめる。動作域や温熱環境などを対象としている。 b. 建築計画:ひとと空間との対応関係について考察し、建築設計する際の与条件を整理して、空間構成の方向を導き出す。都市計画に対し単体建物の計画いう。 c. 建築設計:基本設計・実施設計、或いは構造設計・設備設計等のように、作業段階や内容によって区別される。建築を構想し具体的な形態を表現する行為。 4.日常生活動作の実験的研究と教育 4.1 実験内容:視覚障害者(盲)の歩行動作の疑似体験。聴覚障害学生がアイマスクを付け、白い杖を使用して、大学キャンパス内の歩行ルートを検証する。 移動中どのような場所で、どんな障害(情報障害や段差など物理的障害)があったか。 被験者:聴覚部、建築工学科学生6名(聴力レベル100~110dB) 補助具:白い杖、アイマスク 日時:1998.11.9(月)13:00~17:00 場所:視覚部キャンパス内、及び、アクセスルート 4.2 実験内容:下肢障害者の歩行の疑似体験をする。  聴覚障害学生と視覚障害学生が、大学の附属診療所の1Fホールから、校舎棟の2Fまで、階段昇降の困難さ・エレベータの広さ・介助の際のコミュニケーション等について、移動中どのような場所で、どんな障害(情報障害や段差など物理的障害)があったか。その際どのようなコミュニケーションで介助に当たったか。 被験者:聴覚部、建築工学科学生6名(聴力レベル100~110dB) 視覚部、理学療法学科学生10名(強度の弱視者と1名の盲者) 補助具:T字杖、ロフトランドクラッチ、松葉杖、手動車椅子 日時:1998.11.9(月)13:00~17:00 場所:視覚部キャンパス内、附属診療所1Fホールから、校舎棟の2Fまで。 4.3 実験内容:入浴・排便動作の疑似体験をする。  高齢主婦(聴覚部学生)と理学療法士(視覚部学生)の二人が協力して、車いす使用高齢者の、入浴・排便動作を介助する疑似体験である。実験中、どのようなコミュニケーションで介助に当たったか、また、どれだけの動作空間を必要とするか検討した。写真と作図と感想を各自記録した。 被験者:聴覚部、建築工学科学生6名(1998年)、8名(1999年)(聴力レベル100~110dB) 視覚部、理学療法学科学生10名(1998年)、10名(1999年)(強度の弱視者と盲1名) 補助具:手動車いす、トランスファ機器。 日時:1998.4月~11月まで、5回行い、1999.11月2回行った。 場所:聴覚部;建築人間工学実験室 視覚部;日常生活動作実験室 5.実験結果――実験後の内感調査 5.1 聴覚部学生の感想 5.1 1 視覚障害者の歩行の疑似体験について。  ①全く見えず、聞こえず、方向感覚がとれず、孤独と不安でいっぱいだった。  ②盲の人は大変であると感じ、視覚障害者の気持ちが理解できた。見える有難さを感じ、実験はいい体験であった。 5.1 2 聴覚障害者と視覚障害者が協力して、キャンパス内を歩行移動する体験について。  ①松葉杖での階段の移動は可能であってもきつい。また、車いすを介助して、階段を登ることは、大変なものであることを感じた。  ②エレベータは、絶対に必要。エレベータの内部は、車いす2台分の広さが必要。また、エレベータの設置位置は、できるだけ入り口ホールの近くに設置する必要がある。  ③下肢不自由者の移動を介助してあげる優しい心が大切であると感じた。 5.1 3 聴覚障害者と視覚障害者が協力して、入浴・排便動作の擬似体験について。  ①入浴・排便の方法にはいろいろある事を知った。また、浴槽や便器への移乗の際の介助は、丁寧にしないと、不安や怪我を負いかねない事も分かった。介助のための、ゆとり寸法の必要性を理解できた。  ②視覚障害者とのコミュニケーションは、相手がゆっくり話してくれたし、また、身体で表現してくれたので、読み取る事ができた。手話を使って欲しい。  ③自分が障害をもつことで得た、他人を思いやる気持ちが、人一倍強いと感じた。 5.2 視覚部学生の感想 (5.2 1 歩行の擬似体験は行われていない。) 5.2 2 聴覚障害者と視覚障害者が協力して、キャンパス内を歩行移動する体験について。  ①杖歩行の仕方、階段の昇り方を、最初にデモンストレーションして、キーワードとなる言葉で説明。杖による階段の昇降は大変なため、エレベータは絶対に必要と思う。 車いすに乗って階段を昇る際、介助してくれる人に迷惑をかけて、申し訳ないと感じた。  ②聴覚障害者とのコミュニケーションは、今までした事がなかったので不安であったが、ゆっくりと話し、ジェスチャーでなんとかコミュニケーションをとる事ができた。お互いが気持ちを込めて話したり聞いたりする事で、コミュニケーションも可能になると思われる。 5.2 3 聴覚障害者と視覚障害者が協力して、入浴・排便動作の擬似体験について。  ①入浴や排便の動作は移動などと違い、その場で行う小さな動きのため、ジェスチャーだけで教えるのが難しく、実際に自分でやって見せるという方法が良いと思った。相手に正確に細部まで理解してもらえたかどうか不安であった。  ②ジェスチャーを主にコミュニケーションしていたが、単語は伝わるが文章になると伝わりにくい。よりよいコミュニケーションを図るには、点字や手話などを学ぶ必要があると感じた。聴覚障害者は口話が難しいのであれば、筆談してほしい。 6.まとめ――考察・印象  実験結果、車いす使用の直進時の左右のブレや方向転換時の動作域に、聴覚・視覚障害者に差異はみられない。  また、エレベータのカゴ室面積や、床間の段差解消の必要性を知る事ができた。肢体不自由者の移動・入浴・排便の擬似体験を通して、動作の具体的な不便を体験する事により、日常生活空間の在り方を理解できたと思う。  今回の授業では、助手の手話通訳と視覚障害学生1人の手話による介助の説明で、実験はかなりコミュニケーションが成立していたと思う。両障害者の情報を補うものとして、弱視者にも手話の講習を、聴覚障害者には手話の他、短文筆談の習慣付けも必要と感じられた。  聴覚・視覚両障害学生の年齢差・社会的経験の有無(視の方が聴より平均年齢が高い)など違いがあり評価は難しいが、共同授業を通しての印象を記すと、 ①集中力について、授業・実験への取り組み姿勢は、視覚障害学生に真剣みと、努力がみられた。 ②問題意識についてみると、聴覚障害学生は疑問・質問等を手話や筆談等で、積極的に求める努力が必要である。(幼児期からの過保護か、大学以前の教育に起因か?) ③理解度は、視覚障害学生は聴覚からの瞬時の情報により反応は早い。しかし、筆記試験でみると、両障害学生間に大きな差異は認められない。個人の性格、授業への集中力、文章の論理性や表現力の差である。 ④両者とも、他人を思いやる気持は強いと感じられ、共同授業は有意義であった。学生の希望もあり、健常者を交えた両障害者間の交流は必要である。  尚、本研究を含む「移動に関する研究」成果の社会への適用は、自動扉・エレベータ・エスカレータ及び公共用トイレの設計資料として、自治体の要綱や国のハートビル法の一部に盛り込まれている。*1 文献:1. Tomokatsu HASHIMOTO.“The Higher Education of the Hearing Impaired Persons in Japan” Tsukuba College of Technology.March 1999. 写真1. 車いすでエレベータ内スペースと出入りを検証 写真2. アイマスクを付け白い杖でキャンパス内を歩行 写真3. 松葉杖歩行や車いすの動作域を測定 写真4. 車いすから便器にトランスファを介助 写真5. 水平移動機でベットから水周り設備に移動 A Study on Range of Action and Simulation Exercise by Students with Auditory and Visual Disturbances Dr.Tomokatsu HASHIMOTO Professor of Architectural Engineering Course,Tsukuba College of Technology Summary Introduction: I have carried a study and exercises with the auditory and visually handicapped students of the Architectural Engineering Department in a Junior College as follows. ①A relation between those being limited in ambulation activity and the space has been studied referring to the range of action in the human engineering and the space formation in the architectural plan. ②Lectures on the human engineering and the architectural plan as well as a seminar on the architectural design have been given. Through exercises of the human engineering the range of action and behavioral characteristics are to be understood through the experiment on human movements and work activities in the water line. This is the report on the experimental study and the simulation exercise related to the range of action. Purpose: Through the simulation exercise in dail behaviors such as moving, bathing, toilet going,etc,the range of action in view of the human engineering shall be grasped. Then,let the students think about the good quality of living space that should be, and understand the life of others with different disturbances. 1.Experimental Study and Exercise in Activities of Daily Life Experiments: Simulation exercise in ambulation of the person with the lower limb disturbance. Auditory and visually handicapped students examined a route from the 1F hall of the clinic attached to the college to 2F of the school building, as to difficulties in going up and down the stairs, a space in the elevator cage, and communication with the helpers. Where and what disturbances (informative and physical disturbances such as difference in level,etc.) were experienced? What kind of communication was taken up for help? Testee:Auditory group;Six students of Architectural Engineering Dept. (Auditory level; 100-110 dB), Visual Group; Ten students of Physiotherapeutic Dept. (9 were seriously amblyopic and was blind) Aids: T-cane, Lofstrand crutch, Crutch, Manual wheelchair, etc. 2. Result Comments of the auditory and visually handicapped students were summarized as follows. Experience of ambulation in the campus in cooperation with the auditory and visually handicapped persons. ① It was feasible but hard to go through the stairs on crutches. It was really hard to climb up the stairs helping a wheelchair user. ② Elevator is absolutely necessary. Inside space of the cage must be wide enough for two wheelchairs. The elevator shaft must be installed close to the hall entrance. ③ It is important to have a tender heart to help the wheelchair user moving. Afterword: Through the simulation exercise of the physically handicapped persons, the auditory handicapped students with the visually handicapped students practically knew the substantial inconveniences in behaviors, and understood the way of being as to the space for ADL. The experiment was meaningful being capable of feeling sympathy to other people.