日本数学点字表記法の歴史的変遷 筑波技術短期大学情報処理学科 齋藤 玲子 要旨:数学点字表記法の内で特に重要な分数と添字(右肩、右下の添字)の表記について、明治時代から現在までの変遷を資料に基づいて調査し、年代順に一覧表に示す。2002年向け暫定改定版も併せて示す。 キーワード:日本数学点字、点字表記法、教育、歴史的変遷、視覚障害 1.はじめに  点字の体系は点字記号と表記法から構成される。重度視覚障害者の数学教育には、数学点字記号とともにその表記法の整備が重要である。  墨字では2次元で表される数式も点字では1次元で表記しなければならない。たとえば、墨字では分数線の上と下にある数字で分数を表したり、文字の右肩に文字を書いて累乗や高次の導関数を表現するが、点字ではそれを1行で表記する。  1890(明治23)年に日本点字が制定されてから百年余りの間に、数学点字表記法は幾多の変遷を経てきた。数学点字表記法の内で、分数と添字(右肩、右下の添字)の表記法は用例が豊富で注目に値する。それらの典型的な例を年代順に整理して表記法の変遷を辿ることは興味深く、今後の開発に有益である。分数表記法に関しては、2002(平成14)年に改訂予定といわれる改訂案も合わせて考察する。 2.表記法の変遷 2.1 分数表記法  分数の表記法は、次の①から⑤の段階を経て今日に至り、2002年向け暫定改訂版により新たな段階⑥(第6段階)を迎えようとしている。 ①明治30年代から明治40年頃まで[1] ②1907(明治40)年 東京盲唖学校考案の「日本訓盲数字及数学符号」[1] ③1928(昭和3)年 東京盲学校発行の「点字数学記号解説」[1] ④1962(昭和37)年1月 日本点字研究会発行の「点字数学記号」[2] ⑤1981(昭和56)年 日本点字委員会発行の「点字数学記号解説」[4] ⑥2000(平成12)年 日本点字委員会発行の「点字数学記号解説暫定改訂版」[6]  年代ごとの分数表記の例を①から⑤の各段階について表1に示す。 ⑥の暫定改訂版による分数表記を表2に示す。 (1)第1段階 明治30年代~40年頃 日本式 分母を先におく、 西洋式 分子を先におく、 の二法が行われていた。  イギリスでは、1895年にハミルトン・スミスによって考案された記号が出版されたが、日本のこの頃の表記はこれに基づいている。ただ、日本の分数の呼称は分母を先に分子を後にするので、表記もそうあるべきとの考えから、スミスの表記の分子分母の順序を入れ替えたかたちになったものと思われる。  計算には珠算を用い、盲人には筆算をあまりさせなかったので、複雑な分数の表記は考えられていなかったと思われる。 数式例1. 数式例2. (2)第2段階 1907(明治40)年頃から  分数は分母を先に下がり数字で書いて、つぎに分子を数字で書く。  帯分数は整数のつぎに分母分子を書く。  繁分数には、重分符または括弧をもちいる。重分符が登場するので、この頃から複雑な分数の表記法が考えられるようになったものと思われる。 数式例1. 数式例2. 数式例3.  下がり数字5・重分符・下がり数字2・数符なし数字1  重分符を用いる表記法は実際にはどのような表記であったか判然としないが、このような形ではなかったかと思われる。  イギリスでは、さらに1907 年にテーラーによって画期的な数学点字が発表されたが、このテーラーの数学点字は1918年には米国にユニフォーム・タイプとして採用され、すぐに日本にも伝えられた。東京盲学校の「数学記号を万国共通に…」という提案は、1921(大正10)年7月の帝国盲教育会第1回総会において可決され、日本数学点字は「万国共通」と定められた。  しかし新しく採用された数学点字には、それまでの日本の慣習に適応しないものがあった。  なかでも問題なのは分数表記法であった。ユニフォームタイプでは分数の表記は分子を先にし分母を後にするのに対し、日本ではその反対であったから、ユニフォームタイプを不都合とし、日本独自の数学点字を採用すべきとの主張もあった。ユニフォームタイプと日本独自の数学点字との二つの方式が対立し、この後自由競争の時代が続くことになった。  しかしやがてユニフォームタイプが全国に普及していくことになる。 (3)第3段階 1928(昭和3)年頃から  ③は、このユニフォームタイプに基づき、東京盲学校が出版したものである。この後ただちにユニフォームタイプが全国に普及したわけではなかったが、この数学点字の優れている点がおいおい理解され、全国の盲学校で使われるようになっていった。  この時点で分数表記法は現行の形式となったが、初等算術の部と一般数学の部で表記法が分かれ、算術においては第2段階の表記法でもよいことになっていた。  また、一般数学の部に初めて分数線が登場する。  ちなみに、イギリスの現行の分数表記法は、分子分母が数字の場合はスミスの表記法のままである。ただし帯分数になると、スミスの表記法の数字と分数をつなぐハイフンの代わりに数符をもう1個おく。  分子分母のいずれかが数字でない場合には、分数線を使う表記になる。 [初等算術の部] 数式例1. 数式例2. [一般数学の部]  分子を先に数字で書き、分数線の後に分母を数字で書く(現行法と同じ)。  帯分数は、初等算術の部の表記のほかに、 数字2・つなぎ符・数符なし数字1・分数線・数符なし 数字5 としてもよい。 繁分数はコタ括弧を用いるか,主分数線を2個書く。 数式例1. 数式例2. 数式例3. (4)第4段階1962(昭和37)年1月から 分子を先に数字で書き、分数線の後に分母を数字で書く(現行と同じ)方式になった。 数式例1. 数式例2. 数式例3. (5)第5段階1981(昭和56)年7月から  現行の表記法である。  第4段階の「点字数学記号」を骨格としているので基本的には同じである。ただ、繁分数の主分数線を重ねる表記法はこの後だんだん使われなくなった。 (6)第6段階2000(平成12)年9月発行、2002年より施行予定 数式例1. 数式例2. 数式例3. 2.2 添字表記法  添字の表記法は次のような段階を経て現在に至ったと考えられる。 ①1907(明40)年8月 東京盲唖学校考案の「日本訓盲数字及数学符号」[1] ②1921(大正10)年7月 帝国盲教育会第1回総会において決定された「日本点字数学記号」[1] ③1928(昭和3)年 東京盲学校発行の「点字数学記号解説」[1] ④1962(昭37)年1月 日本点字研究会発行の「点字数学記号」[2] ⑤1981(昭56)年 日本点字委員会発行の「点字数学記号解説」[4] (1)第1段階:1907(明治40)年8月  東京盲唖学校が欧米各国の記号を参考にして考案した数学記号が「日本訓盲数字及数学符号」である。 ここで「べき号」と呼ばれる指数指示符が初めて登場する。べき数をべき号ではさみ、指数を下がり数字で前のべき号に前置するのである。  この頃から現在までの右肩、右下添字の表記の例を年代ごとに表3に示す。 数式例1. 数式例2. (2)第2段階:1921(大正10)年7月  英国のテーラーにより1917 年頃考案された数学点字記号は1918年には米国にユニフォームタイプとして採用され、すぐ日本にも伝えられた。1921年帝国盲教育会第1回総会において、日本もこれを日本数学点字記号とすることが決定された。指数に関しては、自乗、3乗、4乗の略記法が定められた。指数が数字の場合の指数指示符{4}の点が定められた。5乗以上には指数指示符を使う。指数指示符に続く数字は数符を省く。指数が負という概念があったかどうかは定かではないが、ユニフォームタイプに従えば負数をそのまま書いたと思われる。指数が文字の場合は考えられていなかったようである。  また、右下添字指示符{6}が定められた。右下添字が文字という概念はなかったように思われる。 数式例1. 数式例2. 数式例3. 数式例4. 数式例5. (3)第3段階:1928(昭和3)年  「点字数学記号解説」はユニフォームタイプに基づいているので第2段階とほぼ同じである。  ただ、指数が文字の場合の指数符は{4,5}、添字が文字の場合の添字符は{5,6}を用いることが明記された。  また、添字が数字の場合、添字符を省略し添字は数符なしの下がり数字としてもよいとされた。 数式例1. 数式例2. 数式例3. 数式例4. 数式例5. 数式例6. (4)第4段階:1962(昭和37)年1月  指数の略記法は2乗と3乗のみとなり、4乗以上は指数指示符{4,5}を用いることとなった。指数が数字でも文字でも指数符は同じ{5,6}を用い、指数の数字は数符のついた数字とする。  -1乗の略記号が決定された。  添字が数字の場合について、次のように変更された。添字符{6}に続く数字は数符なしの下がり数字とする。 数式例1. 数式例2. 数式例3. 数式例4. 数式例5. 数式例6. (5)第5段階:1981(昭和56)年  「点字数学記号解説」は1962 年の「点字数学記号」を基盤としており、右肩右下添字の表記に関しては変更はない。現行の表記はこれに基づいている。 表1 分数表記法の変遷 表2 分数表記法の暫定改訂版 表3 添字表記法の変遷 3.おわりに  分数表記法は日本点字の制定当初から昭和中期まで二通りあって、容易に統一されなかった。すなわち、日本式の呼称に従って分母を先、分子を後に記す法と、西洋式に分子を先、分母を後に記す法とが対立した。1928(昭和3)年に東京盲学校が出版した「点字数学記号解説」にも両方式が併記されている。1962(昭和37)年に至っても、日本点字研究会版「点字数学記号」で「算数においては分母を先にする表記でもよい」としている。1981(昭和56)年の日本点字委員会発行「点字数学記号解説」で初めて、「分数は分子/分母の形に書く」とされた。  分数表記法は2002(平成14)年から改訂されるといわれる。この改訂では数式の始まりと分数の認識は明確になるが、数式指示符や分数囲み記号が使われて表記が長くなるので初学者の学習意欲を削ぐ恐れがある。利用者の利便性との両立が求められる。  添字表記法は当分は現行どおりと思われるが、最適な表記法を求める研究がさらに必要である。 参考文献 1)大河原 欽吾:点字発達史,培風館,1937 2)日本点字研究会:点字数学記号,1962 3)日本点字研究会:点字数学記号増訂版,1972 4)日本点字委員会:点字数学記号解説,1981 5)日本点字委員会:点字数学・理科記号の暫定改定案について,日本の点字 第24号,1999 6)日本点字委員会:点字数学記号解説暫定改定版,2000 Historical Changes of the Notational System of the Japanese Mathematic Braille Reiko SAITO Department of Computer Science, Tsukuba College of Technology Abstract: Historical changes of the notational system of the Japanese mathematic Braille, especially for fractions, superscripts and subscripts has been investigated based on available documents and is shown in a table in chronological order. The provisional version for the revision in 2002 is also shown. Key Words: Japanese mathematic Braille, Notational system of Braille, Education, Historical change, Visual disability