筑波技術短期大学附属診療所の鍼灸情報システム-鍼灸臨床マネージメントシステムの模索- 筑波技術短期大学附属診療所 津嘉山 洋 山下 仁 堀 紀子 要旨:医療事故の社会問題化などを背景に,医療システムにおいていかに医療の実践を統制し,医療の質を管理するかという"Clinical Governance"の重要性が認識されてきている。筑波技術短期大学附属診療所鍼灸部門においても,臨床・教育・研究における個々の教官の独立した活動性を保つことと,施術の健全な質の維持を両立させることがマネージメントの課題である。鍼灸部門では種々の情報管理を行い多数の関係者の統制をはかることでこの課題を達成しようと模索を行ってきた。これらの情報管理の取り組みについて報告し,併せて今後の課題についての考察を行う。 キーワード:鍼灸,臨床統治,情報システム,リスク管理 1.はじめに  筑波技術短期大学附属診療所は平成4年に開設し以来9年を経過しようとしている。鍼灸部門は医師診察部門とともに①地域医療サービスの一環としての鍼灸臨床活動[1]、②鍼灸師の卒前[2]・卒後[3,4]臨床教育と訓練、③教官(主として鍼灸臨床系)の臨床・研究活動の場として機能することがその活動の目的である。②③の機能のためにはまずは鍼灸臨床が健全かつ円滑に遂行される必要がある。  医療は"profession"である医療専門家による個別の裁量に任せられる範囲が大きく、またワークフローの解析が進んでおらず、透明性の低い領域であることの指摘がある[5]。従って、医療をシステムとして管理者がコントロールするには多くの困難が伴う。このような点を認識して医療におけるリスクとコストを管理するために作り上げられた概念が"Clinical Governance"(臨床統治[6])である。今中[7]は英国保健省の概念を紹介して、さらにそのために必要な手段やシステムを列挙している(Table.1、2)。これらの項目を見ると、"Clinical Governance"においては情報化が鍵を握っていることが理解される。  当鍼灸部門においても、臨床・教育・研究における個々の教官の独立した活動性を保ちつつ、30名程の鍼灸部門関係者[8]の統制をはかり、施術の健全な質を維持する必要がある。我々は鍼灸部門で種々の情報管理を行うことでこの課題を達成しようと模索を行ってきた。 これらの情報管理の取り組みについて報告し、併せて今後の課題についての考察を行う。 2.患者情報の管理(“鍼灸受付”データベース) 2.1 患者基本台帳(Table.3)  1992年4月開所当初はDOSベースのデータベース管理ソフト(以下“DBMS”とする)で初診患者基本台帳の入力を行った。記録したのはID番号、氏名、読みがな、性別、年齢、生年月日、居住地域、職業、紹介者、主訴、合併症、他院での治療、鍼灸担当者、初診医師、鍼灸通し番号、などの基本情報である。データ入力はパートタイムの鍼灸受付担当者に依頼することでデータ入力はシステム化された。  これらの情報は当初鍼灸施術記録(以下“鍼灸カルテ”とする)から抜粋・抽出し入力を行っていたが、一部事項の記載が無いことなどによるデータの欠落が発生し、情報の質を低下させていたために系統的な情報の収集をはかることが課題となった。  1994年3月より、患者プロフィール情報に関しては“鍼灸予備問診票”の記入を鍼灸初診患者全員に依頼し、その他の主訴や病態に関する情報は外来施術終了後のミーティングにおいて入力伝票を用いて系統的に収集するように改善した。  これにより、データの欠落が少なくなり、初診時情報の収集からデータ入力に至るシステムは形式的な完成をみた。これを機に、DOSベースのDBMSから、MSWindowsベースのDBMSにシステムを移行した。一方、データ解析の出力側から見た収集する情報の吟味や、施術室運営におけるデータ利用のシステム化が課題として残された。また、初診時の情報のみで、初診時以降に発生した主訴や、転帰などその後の経過に関する情報は鍼灸カルテの中に埋没し情報化されないまま残された。 2.2 来診記録  初診以降の状況やしばらく施術を中断し初診扱いとなった場合の情報は“鍼灸カルテ”と“鍼灸外来受付記録”に手書きされた状態で記録され、データの利用はほとんど不可能な状況であった。  そこで、2000年3月に再診を含めた来診の記録を電子的に残すように“鍼灸受付”システムのバージョンアップを行い、来診記録のリアルタイム入力を開始した。記録される情報は鍼灸外来受付時の、ID番号、初診再診の別、受診年月日、受付時刻、施術担当者、教官グループ(鍼灸外来では教官を中心とした数名のグループによる診療を行っている)である。  このことにより、施術者毎の患者数、診療日毎の患者数などの統計が可能なデータが蓄積されるようになった。また、このデータを利用して終了患者の検索を行うことが可能となった。 3.安全性情報の管理(インシデント・レポート)  鍼灸における有害事象の発生率などのデータが欠落していたことと、安全管理上の必要性から、1992年11月より鍼灸施術に伴って発生した有害事象を報告することを義務づけた[9]。短期間に複数回発生したインシデント(有害事象およびそれに結びつく可能性を含んだ事象)については問題点を検討し、施術方法の改善などの具体的な方策に結びつける。2000年4月より月毎にインシデント報告を要約し、鍼灸施術に関わるスタッフに周知し注意を喚起すると同時に報告の徹底の依頼を行っている。また、鍼灸部門以外の医療スタッフにも情報提供をお願いしている。  鍼灸の安全性情報の管理については直截な目的に基づき、情報の収集、蓄積、分析、応用という情報の流れがデザインされ、具体的方策の検討という形で結実しており、一応の完成を見たシステムである。目的がシンプルであり、情報の量が少なくコンピューターを利用しなくても運用できた点が幸いしたと考えられる。 4.施術の質の管理(“outcome”データベース:Table.3)  初診時以降に発生した主訴や、転帰などその後の経過に関するデータは情報化されないままであったが、これをデータベース化するために、2000年6月に終了患者を検索する機能を“鍼灸受付”データベースに追加した。(具体的には最終来診日が3カ月以上前の患者を検索する)  これをもとに、結果報告書の作成を施術担当者および指導教官に依頼するシステムを2000年11月に開始した。情報化した項目は、治療期間、治療回数、転帰、推定終了理由、施術者、施術者変更の理由、主訴、主訴の推定病態、主訴の変化である。これらのデータは“outcome”データベースに入力し管理している。月毎に終了患者を検索し、報告書の依頼を行う。完璧な提出を期するために依頼2週後に未提出者に再請求を行っている。記入漏れのある報告書は再提出を依頼しデータの欠落を防止している。  目的とするところは、施術の質の実情把握と向上をはかることにある。最終的には報告の質を統制することにより"best practice"を抽出する事が可能になれば、鍼灸施術の標準化など、質の保証に繋がってゆくものと考えている。また、今後はサービス利用者からの質の評価を取り込んで行くことも課題と考えられる。現在、附属診療所では利用者を対象とした医療サービスの質の調査[10]が進行中であるが、この中に鍼灸施術の質に関する調査も含まれている。 5.情報伝達経路の統制  開所当初は外来開始前と終了時のミーティングで情報を共有し、他は個別に必要な情報をface to faceで伝達していた。しかし、鍼灸部門では曜日によるスタッフの入れ替わりが激しく、ひとたび診療にはいるとスタッフの所在を特定することも困難な条件となり、情報伝達の効率と確実性に問題を生じていた。  全体への伝達漏れを防止するためのアナウンス事項を“週間アナウンス”としてホワイトボードに記載し、外来前後のミーティングで確認する方策を採った。より重要な事項については、更に各自に印刷物を配布するなどの方法で徹底をはかった。また配布物の配達を効率化するために個別のメールボックスを設置した。  個別の情報伝達はface to faceでは、相手が診療中には区切りがつくところまで待ったりするために要する時間のロスが生じ、またタイミングがずれることで伝達漏れが生じる可能性があった。これを解消するために伝言カードを作成し、予約変更や個別の伝言などの情報が集中する受付を起点とした伝達経路を確立した。  現在、メーリングリストによる情報伝達の可能性を検討している。鍼灸臨床系の教官をメンバーとしたメーリングリストを2000年10月より運営している。クローズドとはいえ、インターネットメールを介した情報交換の場であるために、セキュリティはないものと考えねばならない。このために、プライバシーに触れる内容などは暗号化によるセキュリティの実現を待たなければならない。しかし、同報が可能であり、伝達内容がデータベース化されるメーリングリストは、会議のスリム化を可能とするメディアとして期待している。 6.手続き・規則の透明化 6.1 マニュアルの作成  開設当初より臨床業務を円滑に遂行するために種々の取り決めが行われてきたが、システムの変更や時間の経過によって曖昧になってくる。そこで、2000年4月に過去の取り決め事項をまとめ共通理解の再確認を行うために、臨床活動全般に関わる業務のマニュアルを作成した。 ・鍼灸施術所マニュアル(服装その他鍼灸部門における行動、カルテ他の資料の扱い、会計、リスク管理、施術研修、受付業務、施術環境維持、ベッド管理等) ・標準的な施術補助(研修鍼灸師、学生による施術補助業務の標準化) ・環境維持業務マニュアル(物品管理、施術環境維持) 2001年1月現在で整備中のマニュアルには ・施術用具の管理 ・安全な施術ガイドライン がある。 6.2 業務手順の見直しと業務のシステム化  マニュアルの作成と平行して、業務の流れを分析し定型業務の透明化・システム化を模索している。現在、 ・施術用物品管理(在庫管理業務のシステム化) ・施術用消耗品発注・納品情報(“発注納品”データベースで管理:Table.3) ・施術環境維持業務 がシステム化されつつある。定式化された業務のチェックリストにより業務の漏れがないようにし、個人間のばらつきを減少させる試みである。  鍼灸部門の管理業務についても、定型化可能な部分のシステム化の模索を模索し、定型業務をチェックリスト化し業務遂行を系統的に行うようにしている。(業務記録実施、連絡調整事項の確認、データベース入力チェック、データベースのバックアップ、業務終了の確認)また、系統的な管理のために業務カレンダー(週間、月間、年間)の作成を現在検討している。 7.鍼灸情報システムの今後  田原ら[11]は「医療情報システムは、必要なデータや情報は何か、その情報をどのように利用するのかという視点が欠落したまま、あるいは曖昧なまま・・・・作られてきた」その結果「データは整合性に欠け、本当に必要なデータが欠如していたり、うまく利用されていない」と、医療情報システムの現状を総括している。  情報システムというと、コンピューターを利用したデータベース(管理システム)が連想される。しかし、業務の情報化とは業務の流れを一連の手続きとして定式化(業務内容を透明化)し情報の収集・入力・利用をシステム化することであり、必ずしもコンピューター利用を意味しない。  鍼灸部門における臨床管理の目標として、①医療水準への適合、②安全性の追求、③施術の質の保証、④施術環境の維持、⑤合理的な教育・訓練、⑥臨床研究のサポートを掲げることが出来る。このために鍼灸部門では①患者情報の管理、②安全性情報の管理、③施術の質の情報化、④管理情報伝達の統制、⑤手続き・規則の透明性の確保をはかってきた。  医療分野は情報化の立ち後れが指摘される分野であるが、鍼灸には情報化という概念自体が存在しないと言ってもよく、手探りに近い状態で発生した問題を解決するために、その場毎にシステムを構築し変更を加えてきた。このため現在のシステムは系統的に整備されていない。  今後は、施術の質のマネージメント、ワークフローの分析による業務の定式化・標準化などをさらに進めると同時に、教育訓練のシステム、臨床研究のサポート等にも着手する必要がある。こうした個別課題の解決を進めながら、包括的なマネージメントモデルを模索する必要を感じている。  医療管理による医療専門家の裁量権の極端な制限の例として米国のマネジドケア[12]が取り上げられ、その弊害を指摘される。しかし、専門家による専断的医療行為が否定され患者の自己決定権や説明責任が重視される傾向にある現在[13]、リスクやコストを意識しながら一定の医療の質を保証する責任を有する組織としては"profession"の裁量権に配慮しながらも"Governance"の概念を導入せざるを得ない状況にある。  そこで、当然低い質の同定等は行われなければならないが、システム化によって失われるものを防ぐため、個々の教官の施術内容について直接統制を行わず、"Clinical Audit"などの活動により自主的な改善を期待する方向で運営する必要があろう。さもなくば、多彩な様式からなる鍼灸臨床の現実[14]を否定し、臨床の発展の可能性が閉ざされてしまう。また、研究機関としての役割を放棄することにつながり、存在理由を揺るがすことになりかねない。 8.おわりに  我々の試みた鍼灸情報システムの中で、現在最も完成度の高いのはインシデントレポートシステムである。これは、当診療所におけるインシデント報告が米国医師会雑誌に掲載される[15]など社会的評価が高かったこと、医療事故が社会問題化し事故防止への取り組みが医療の緊急の課題とされていたことにより、施術者の関心が高く達成されたものである。  情報化は管理者の視点から行われるが、実務者の持つ情報化への意志と合致しないものは、如何に管理上有用であろうとも遂行し得ない。目的への共感と情報化によって得られるメリット抜きでは実現は不可能だろう。情報の質を高めるためにも、①何を、②どんな目的で、③どのように情報化していくかについて、判りやすく関係者間で共有をはかる努力を欠くことは出来ない。  最後に、筑波技術短期大学附属診療所鍼灸部門における様々な試みを寛容に見守っていただき、ご協力下さった関係者の方々にお礼を申し上げたい。また、今後さらに必要となるであろうご助力をお願いして槁を終えたい。 9.引用文献と注 1)津嘉山 洋、山下 仁、堀 紀子、丹野 恭夫、西條 一止:筑波技術短期大学附属診療所における5年間の鍼灸外来活動報告、筑波技術短期大学テクノレポート、5 ;217-221、1998. 2)津嘉山 洋、山下 仁:鍼灸卒前臨床教育における基本的臨床訓練の試み、筑波技術短期大学テクノレポート、7;61-66、2000. 3)山下 仁、津嘉山 洋、丹野 恭夫・他:鍼灸師の卒後研修、筑波技術短期大学テクノレポート、5; 211-216、1998. 4)津嘉山 洋、山下 仁:臨床鍼灸師の情報リテラシー教育、筑波技術短期大学テクノレポート7;67-71、2000. 5)名取 道也、木内 貴弘、秋山 昌弘、神津 仁:医療情報システムとその利用、臨床医、25;490-504、1999. 6)適切な訳語がないために以後英文のままとする。同様に適切に訳出できないものは英文のまま記述する。 7)今中 雄一:医療機能評価における病院と医師の関係、病院、12;1122-1126、1999. 8)2001年1月現在で、鍼灸臨床系教官12名、パートタイム職員8名、研修鍼灸師12名、総計32名のスタッフが鍼灸外来の維持に携わっている。 9)Yamashita H, Tsukayama H, Tanno Y, Nishijo K :Adverseevents in acupuncture and moxibustion treatment:a six-year survey at a national clinic in japan.Journal of Alternative and Complementary Medicine; 5(3), 229-236, 1999. 10)平成12年度教育改善推進費(学長裁量経費)によって実施されている。 11)田原 孝、日月 裕:実践から病院情報システムの功罪とそのあり方を考える、病院、59;41-44、2000. 12)李 啓充:アメリカ医療の光と陰-医療過誤防止からマネジドケアまで、第1版、医学書院、東京、2000. 13)平沼 高明:医事紛争入門、第1版、労働基準調査会、東京、1997. 14)BirchS , Kaptchuk T.“History, nature and current practice of acupuncture: an East Asian perspective”、In Ernst E, White A:Acupuncture - a scientific appraisal、 Butterworth Heinemann、Oxford;11-30、1999. 15)Yamashita H, Tsukayama H, Tanno Y, Nishijo K :Adverse Events Related to Acupuncture、JAMA、280;1563-1564、1988. Table.1 Clinical Governance(臨床統治)[7] Table.2 Clinical Governanceに活用すべき手段[7] Table.3 開所以来の鍼灸部門データベースの変遷 Acupuncture Information System in Tsukuba College of Technology Clinic Tentative Systems of Acupuncture Clinical Management Hiroshi TSUKAYAMA, Hitoshi YAMASHITA and Noriko HORI Tsukuba College of Technology Clinic Abstract: Recently "clinical governance" has become one of the keywords for regulating medical practices and improving the quality of medical systems. Frequent occurrence of malpractices and the increase in medical costs seem to have accelerated this movement. In our acupuncture division, the management between the variety and independence of the clinical practice, education, and research, and the maintenance of the clinical service quality at the same time has been difficult. As a tentative solution for this complexity, we have introduced a clinical governance system into the acupuncture division since our foundation in April, 1992. In the present report, the design of this system and the results are described. In addition, discussion for the possible solutions are pointed out. Key Words: Acupuncture, Clinical governance, Information system, Risk management.