アメリカの聴覚障害者の高等教育機関における教育 組織と教育内容・方法に関する比較研究 筑波技術短期大学聴覚部一般教育等1) 同教育方法開発センター(聴覚障害系)2) 同機械工学科3) 同建築工学科4) 須藤 正彦1) 大沼 直紀2) 小林 正幸2) 荒木 勉3) 橋本 公克4) 松藤 みどり1) 要旨:聴覚障害を併せる学生がアメリカの高等教育機関で学ぶ際に、各機関がどのようなサポートを提供しているのか3機関を訪問して調査した。訪問した機関は、シアトルセントラルコミュニティカレッジ、セントポール工科大学、米国立聾工科大学である。これらに共通の支援内容としては手話通訳、ノートテイク、カウンセリング等が挙げられる。情報補償の支援は各機関が独自に養成コースを有し、聴覚障害者本人の学習に十分な配慮がなされていた。またデフスタディ(聾文化研究)の講義も開設されている。さらに上記2大学を含む4機関が拠点となり、全米の一般大学で学ぶ聴覚障害学生と当該大学への支援のための教育機関ネットワークを米国教育省および特殊教育・リハビリテーション局の後援にて進めていることを知り得た。我が国の高等教育機関に学ぶ聴覚障害学生への支援を考える上でも有益な情報を収集することができたと考える。 キーワード:聴覚障害学生、高等教育、学習生活支援、情報補償、支援ネットワーク  本稿では本調査研究内容と関連し且つ米国の聴覚障害教育発展の経緯で重要と思われる事項に触れながら、訪問・インタビューによって収集した情報の一端を各機関毎に紹介することとする。 1 米国高等教育の発展  1965年にはバビッジレポートとして知られる聾の子供から成人にいたる教育に関する国家レベルのレポートが報告された。Education of the Deaf: A Report to the Secretary of Health, Education and Welfare by Advi-sory Committee on Education of the Deaf(聾教育:健康・教育・福祉省長官へのレポート)。  これはバビッジらが聴覚障害にかかる諸問題を医療、教育、福祉面から分析し、議会と大統領に提出した報告である。その後「聾教育に関する法律」が1986年に成立し、「聾者に提供される幼児・早期児童教育プログラムおよび初等教育、中等教育、中等教育以降の教育、成人教育、継続教育の質に関して検討する委員会」が定められた。当該委員会には聴覚障害教育従事者、聴覚障害者、カウンセラーらが召集された。18ヶ月にわたる調査研究と各地での公聴会に基づき、委員会は生涯にわたっての聴覚障害教育のあり方について報告書を政府に提出した。これは1988年に「The Commission of the Deaf, Toward Equality on Education of the Deaf: A Report to the President and the Congressof the United States」として政府印刷局から出版され本邦でも紹介されている1)。この報告や提言に呼応するように米国では近年、中等教育以降の高等教育内容の質的向上、情報保障体制の拡充のための人的、情報のネットワークづくり(後述)が進められている。これは聴覚障害者の高等教育の充実のみならず一般の学校で学ぶ聴覚障害学生・生徒の学習環境の改善や支援に繋がるものである。また先の委員会報告にあるように、今日の教育的課題は教育を受ける場の確保から、その教育内容の充実ならびにより高度の情報支援が最優先課題といえよう。以下に当該教育と関わりの深い歴史的事項を挙げる。 1965 バビッジ(Babbige)報告 1970 障害者教育法(一般法91-230) 1986 聾教育法(一般法99-371) 1988 米政府委員会報告 1990代 全米ネットワークづくり着手  このなかで最も聴覚障害高等教育の進展に寄与した事項は1988年の米政府委員会報告であろう。当委員会の研究協力者でもあったNTIDのDr.Ross Stucklessは10年後の1998年, National Task Force on Quality of Service in the Postsecondary Education of Deaf and Hard of Hearing Studentsなるタイトルのもとに全米の聴覚障害教育・福祉・医療・工学領域の研究者、実践家と共に現代の聴覚障害の課題と研究成果を10 項目にわけて著している。その内容の概略は後のTipシートに示す。 2 訪米時期と機関  今般は研究分担者の一人の須藤が平成12年3月7日~3月20日にわたってアメリカ、ワシントン州、ミネソタ州、ニューヨーク州内にある大学や短期大学、コミュニティカレッジを訪問し、ろう者または難聴を有する学生への当該高等教育機関の教育方法、組織、教育課程をインタビューを通して資料収集した。  ワシントン州のシアトルセントラルコミュニティカレッジ(Seatlle Central Community College)、ミネソタ州のセントポール工科大学(St.Paul Technical College)、ニューヨーク州ロチェスター市にある米国立聾工科大学(NTID, National Technical Institute for the Deaf)を訪問した。調査の結果、これらの機関に共通する情報保障手段として先ず講義場面における手話通訳が挙げられる。当サービスのために各機関は独自に手話通訳者養成コース(sign interpreter course)を有している。このほか講義内容の概略を記録するノートテーカーの役割とその技術等を指導するクラスも用意されていた。これらのコースを終了した者、または他大学の同様のコース(通訳実習を含む)を終了した者が講義の通訳を行っていた。さらにこれらの機関に共通する重要事項としてDeaf Study(聾文化研究)の講義が挙げられる。当該講義は聴覚障害者に対してのみならず、広く聾者の文化、歴史を人々に伝え、マイノリティグループとしての聾者のアイデンティティ理解に、また比較的確立が遅いとされる難聴者のアイデンティティを形成する上でも重要な役割を果たすと思われた。これらの講義は、これまでに聾者がおかれてきた状況やその文化を聴者が知る上でも大変有意義といえる。多民族国家の米国においては意図的且つ効率的な他者理解のプログラムとも言える。  さらに聾者、難聴者のために専門的なカウンセリング(生活・学習全般と就職等)を担当する聾のカウンセラーが各機関に配置されていた。彼らが相談を受ける対象は、現在所属する機関の学生に限らず広く地域の聾者や難聴者、卒業生にも渡っている。年間数百、数千の相談があると聾者のカウンセラーが述べた。今日のカウンセリングは相対話によるものだけでなく、従来から使用されているTTY(タイプライター型電話機)による場合も少なくないとのことであった。ただし、近年では電子メールによる相談が多いようである。 1)シアトルセントラルコミュニティカレッジ(SCCC=Seatlle Central Community College)  アメリカ北西部に位置するワシントン州の北端にある当カレッジは30以上の専攻を有する歴史あるカレッジである。もとは2校であったカレッジが1つになったとのことである。SCCCの専攻分野は他の2校と重なる領域が少なくない。土地柄なのか海洋にかんする実務的な学習コースや眼鏡、医療補助、服飾関係のコースなど多種にわたっている。以下にそのプログラムの一部を示す。 ・コミュニケーション、デザイン ・ビジネス、言語、文化 ・健康、ヒューマンサービス ・接待サービス(ホテル等での) ・インフォメーションテクノロジー ・海洋訓練、技術 ・数学、自然科学 ・木工、工芸  この中のビジネス、言語、文化コースには通訳者養成コース(Deaf Interpreter Training Program)や聾文化研究コースなどがある。さらにSCCCには障害を併せる学生のための学生支援(Disability Support Service)としてのCenter for Deaf Studentsがある。常勤のスタッフは6名であるが通常の授業を聴覚障害学生が受講する際には、自身が赴いたり、他の手話通訳スタッフの手配を行う。 通訳スタッフ半数以上はSCCCの上記プログラム修了者である。当センターは他の重要な機能としてアドボカシイ(Adovocacy=本人に代わっての主張)や聴覚学的な支援、カウンセリング、ノートテイク等を挙げている。 2)セントポール工科大学(St.Paul Technical College)  当工科大学はミネソタ州ミネアポリスの隣に位置するセントポール市にあり、80年の歴史を持つカレッジである。当大学は、アメリカ中西部の工科大としてだけでなく、これまでに多くの聴覚障害学生を受け入れ、技術教育ならびにかれらの学習支援をおこなってきた。また当校にも手話通訳者養成コースがあり、学内および近隣の大学等、高等教育機関で学ぶ聴覚障害学生のサポートを行っている。当校の手話通訳者養成コースで求められる学習内容を以下に示す。 ・アメリカ手話(1~4) ・手話言語学(1、2) ・通訳のプロセス ・聾文化研究 ・手話→←音声通訳 ・教育場面での通訳訓練 ・比較言語学/文化研究 ・指文字と数の表現等 ・盲聾者への通訳、通訳実習 3)米国立聾工科大学(NTID=National Technical Institute for the Deaf)  本学と姉妹校である国立聾工科大学はニューヨーク州の北西部に位置するロチェスター市にあるロチェスター工科大学(RIT=Rochester Institute of Technology)の1カレッジでもあり、35年の歴史を有する聴覚障害者のための高等教育機関である。なお、RITはNTIDのほかに6学部(応用科学、経営学、工学、芸術、リベラルアーツ、自然科学)とそれらの大学院を有する総合系大学で全米でも比較的高い評価を得ている。  NTIDでは3年での修学を基本として必要単位を満たせば準学士(AOS=Associate in Occupational Study, AAS=Associate in Applied Science)を取得することができる。NTIDの学生の中には卒業後、関連するRITの学部に編入する場合もあるが、入学前に20単位の取得が求められる。  NTIDは先の2校とは若干異なり、職業教育に重点を置きながらもRIT等の高等教育機関への編入が可能なカリキュラムを有する。例えば、編入予科(Prebaccalaureate Study)といった選択もあり、準学士取得は勿論のこと、2年終了資格のディプローマ取得においても一定以上の英語の単位取得をNTIDでは義務づけている。  NTIDで開設されているコースプログラム(1999年度)を以下に示す。会計学、応用コンピータ、建築、土木、設計、電子工学、機械工学、医療事務、印刷、グラフィックス、眼鏡光学技術、通訳者養成、コミュニケーション、演劇、社会科学、英語学、数学、自然科学、アメリカ手話などである。これらのコースをカバーするためにRITとNTIDはプログラムの相互乗り入れしている。またNTIDでは主に授業担当セクションとしてCenter for Arts & Sciences, Center for Baccalaureate & Graduate Study,Center for Technical Studiesを組織している。さらに認知・学習過程の研究や応用言語、指導法と評価の研究を担当するCenter for Research, Teaching & Learningがある。この中にはコンピュータやチュターを活用した学習面のサポートを担当するLearning Consortiumなどが含まれている。このほかの入学や就業に関する支援担当のCenter for Outrearch、カウンセリング等さまざまな支援センターが組織化されている。 3 全米の支援ネットワークとその活動  1996年、高等教育機関に学ぶ全米聴覚障害学生とその教育組織の支援ために、以下の4機関が中心となったネットワークづくりを米国教育省および特殊教育局が5年間の契約を結んだ、(PEPNet=Post secondary Education Program Network)。当該4機関とはセントポール工科単科大学のMidwest Center for Post Secondary Outreach(MCPO)、米国立聾工科大学のNortheast Technical Assis-tance Center(NEATAC)、カリフォルニア州立大学ノースリッジ校のWROCC=Western Region Outreach Center & Consortia,テネシ-大学のPEC=Post Secondary EducationConsortiumである。  上記のシアトルセントラルコミュニティカレッジとセントポール工科大学には約100人づつ、米国立聾工科大学には約1100人の聾者や難聴者が学んでいる。本学では150人強の学生が学んでいる点を考慮すると異なる日米の教育事情はあるものの、教育課程の中での基礎教養、とりわけDeaf Studyの充実や心理的なサポートシステムとしてのカウンセリングの拡充が望まれる。また基礎教養のみならず社会におけ成功の鍵も握りうる国語力の習得や数学等の教科学習の学習支援体制は聾工科大学のラーニングセンター、チューターシステムから学ぶことは多い。 Tipシート  米国立聾工科大学内のNEATAC*は各教育機関や通常学級の教師向けに聴覚障害学生理解とその支援内容の一例として簡便なTipシートを作成、普及に努力している。障害の理解、啓発には有効な資源である。その一部を示す。 1. Assistive Listening Devices(聴覚情報聴取支援機器) 2. Classroom Technology, AV Eqipments(学級で有効な視聴覚機器) 3. C-Print Project(Notetaking)(Cプリント=2台のコンピュータを用いたノートテイク) 4. Hard of Hearing(難聴について) 5. Interpreting(通訳) 6. Late-Deafened Students(中途失聴生) 7. Tutoring(個人学習指導) 8. Cued Speech(キュードスピーチ) 9. Deaf-Blind(盲聾) 10. Nondiscrimination in Education(教育における平等についての情報) *NEATAC=Northeast Technical Assistance Center 4 考察  本学をはじめ難聴学生が在籍する我が国の高等教育機関の果たすべき将来の重要な機能は、難聴学生・生徒本人への支援のみならず教育機関や保護者への情報提供である。米国の上記の3機関は米国の西地区、中西部、東北地区においてこうした支援の一翼を担っている。本学の教育内容、方法、学習支援技術の向上は、本学にとどまらず、他大学で学ぶ聴覚障害学生と当該大学への支援に結びつくと考えられ、同様の支援ネットワークの構築が急務と考える。  ただし米国のサポートの内容は若干聾文化への偏りが認められるが、本邦では医療工学的な情報補償技術との共栄を配慮した、各難聴者の生き方に対応できる広範な支援内容を目指すことが肝要と考える。また我が国の一般の高等教育機関に学ぶ難聴学生への支援のためには、教員養成系大学等のスタッフが中心となった人的ネットワークが作れるのではないだろうか。  近年、難聴を併せる学生の一般高等教育機関への進学率はめざましい。進学率が向上する一方で、大学の授業の内容把握や教官等とのコミュニケーションの困難さや精神的孤立感等の問題が提起されている。ハンディキャップを持つ学生に対しての細やかなサポートは論を待たないが、同時に重要なことはに学生が情報保障等に対して受身ではなく、各サービスの利用、要望について本人が主体的に提案していくことであろう。  なお、本調査研究は平成11年度、筑波技術短期大学学長裁量経費の支援を受けて行われた。 参考文献 1)中野 善達、根本 匡文訳編:新しい聴覚障害教育をめざして、湘南出版、1992 2)大沼 直紀、須藤 正彦他:アメリカの聴覚障害者のための高等教育機関における教育組織と教育内容・方法に関する比較研究,筑波技術短期大学教育方法開発センター年報Vol.8,2000 3)鷲尾 純一他:聴覚障害学生のサポートシステムの確立をめざして,特殊教育学研究,Vol.37,2000 Comparative Study of Educational Systems,Contents and Methods at the HigherEducational Institutes for the Students with Hearing Impairment in USA Masahiko SUTO1),Naoki OHNUMA2),Masayuki KOBAYASHI2) Tsutomu ARAKI3),Tomokatsu HASHIMOTO4)&Midori MATSUFUJI1) 1)Department of General Education, Division for the Hearing Impaired, Tsukuba College of Technology 2)Research Center for Educational Media, Division for the Hearing Impaired, Tsukuba College of Technology 3)Department of Mechanical Engineering, Tsukuba College of Technology 4)Department of Architecture, Tsukuba College of Technology Abstract: One of our group visited Seattle Central Community College, St.Paul Technical College and National Technical Institute for the Deaf to investigate through interviews what supports are available for the students with hearing impairment. Common supports were sign interpreting, notetaking and counselling. Many support staff are disciplined at their institutes and self-learning environment, such as computers and tutors are ready for the students. They have sign interpreter programand Deaf Studies,too. Postsecondary Education Program Network(PEPNet) for the deaf & hard of hearing has been established to function as the national collaboration of the four regionalcenters awarded by the US Department of Education and the Office of Special Education & Re-habilitative Services. Its goal is to enable postsecondary programs across the USA to more effectively serve deaf or hard of hearing individuals and their own colleges. This network and this information are of use to our country,too. Key Words:Students with hearing impairement, Higher education, Supports for study and living, Information compensation, Supporting network