ティーチングポートフォリオを構成する授業記録の検討と授業改善の試み 筑波技術短期大学聴覚部一般教育等 根本 匡文 及川 力 要旨:ティーチングポートフォリオの一部である授業のビデオ記録を文字化して検討を加える中で、双方向のコミュニケーションを生かすための授業展開の方法、学生の経験を授業の中に生かしていく際の留意点、視覚教材を取り入れる場合の有効利用の方策などについて改善の方向性を見いだした。今後の授業実践を通して、視点を明確にした授業改善の取り組みをさらに進めていきたい。 キーワード:ティーチングポートフォリオ 授業記録 授業改善 聴覚障害学生 1.はじめに  われわれ教壇に立つ者にとっては、よりよい授業を展開することが課せられた最大の課題といってもよいであろう。高等教育の段階においても、近年の教育機能重視の流れに見られるように、学生にとってわかりやすい授業を構成することが強く求められている。聴覚に障害を持つ学生を対象としている本学聴覚部にあっては、授業場面での情報のやりとりに困難を生じることが多いだけに、教師自身による改善への努力が恒常的に進められなければならない。  そのための活動として、筆者らは「本学における自主的授業改善のためのティーチングポートフォリオの作成と活用」と題する研究プロジェクトを組織し、平成11年度から2年計画で研究を進めてきた。  高等教育における授業改善を進めるにあたって、ティーチングポートフォリオの作成が有効であることは先行研究によってすでに明らかにされつつあり、それを構成する素材として次のようなものが考えられている。1) ・シラバス ・授業時に配布した資料 ・学生が提出した資料に教員がコメントした資料 ・教員の教授哲学や教授の進め方を記述した資料 ・学生による授業評価のデータ ・教員が自己評価した資料 ・改善のためにとられた手段・方法を記した資料 ・教室における教員を観察した同僚からの意見 ・授業を記録したビデオテープや写真  筆者は過去2年間にわたってこうした素材の収集に努め、あわせて授業記録と学生による授業評価を用いて改善を図る具体策の一部を報告した。2)  その後さらに授業記録の分析を進めるために、平成11年度に収録したビデオテープを文字化し、筆者が授業を進めるにあたって重要と考えていることがどの程度実現されているのかを検討することとした。学生の授業への関心を増大させ、意欲的、主体的な学習参加を促すためには、対象となる学生の能力、個性などの実態に合わせた方策を実施する必要があるからである。  本稿では、異なる学習集団を対象とした同一内容の授業を2コマ選び、展開のしかたの共通点と違いを分析し、対象となる学生の実態に合わせて授業を構成していくための留意点、考え方を明らかにしたい。 2.分析の対象とした授業の概要  分析の対象としたのは、一般教育科目の一つである「聴覚障害学」の授業である。筆者はこの科目の2学期と3学期の部分を担当しており、聴覚障害者の教育、心理的発達、福祉制度、雇用と就労の問題を扱うことにしている。ここでは、5回シリーズで進める聴覚障害者の教育をテーマとする授業の最終回を取り上げることとした。授業の概要を次に示す。 目標:日本の聴覚障害教育の現在の状況を理解させる。 教材:聴覚障害者教育福祉協会制作のビデオ「聴覚障害児の教育と福祉」 授業の進め方:ビデオから必要な部分を取り出して提示し、授業者による説明を加える。説明時にはOHPや板書による文字情報を加える。必要に応じて学生の発言を求める。授業者は話し言葉と手話を同時に発信し、発言する学生にもできるだけそのようにするように促す。  授業は、10名前後で構成される学科専攻のクラス単位で行われた。 3.授業の実際の展開-授業記録から  授業を記録したビデオテープを再生して音声を文字化した。今回の授業では、本題に入る前に課題プリントの返却、回収で5分程度、本題が終わってから次回以降の授業の進め方について15分程度の時間を使ったので、授業を検討するために文字化して分析の対象とした部分の長さは60分程度である。原資料は教師や学生の発言全てを文字で表しているが、本稿では紙幅の関係から要約して記述した2クラス分の授業記録(授業A、Bとする)を次に示す。  なお、〈質〉は教師からの質問、〈応〉はそれに対する学生の応答、〈説〉は教師による説明、〈ビ〉は教材として用いたビデオの内容である。授業を構成する活動単位ごとにステップ番号を付けて、後の検討の際にわかりやすいようにした。 3.1 授業A 1〈目標提示〉聞こえない人たちの教育の様子を理解してもらいたい。 2〈質〉幼稚園段階はどこで教育を受けたか。OHPで教育機関を提示。 3〈応〉該当するところで挙手。 4〈質〉小学校段階はどこで教育を受けたか。OHPで教育機関を提示。 5〈応〉3名の学生が自分の経験を説明。 6〈説〉インテグレーション。Uターン。Lターン。 7〈説〉中学校段階の教育機関。 8〈説〉高等学校段階の教育機関。 9〈説〉山城高校における聴覚障害生徒への対応。 10〈説〉聾学校には普通科、職業科がある。 11〈質〉どんな職業学科があるか。 12〈応〉自分が学んだ職業科。 13〈説〉聾学校高等部本科卒業後の進路。 14〈説〉聾学校の目的。学校教育法上の記述。 15〈説〉特殊な教育を担うものとして養護・訓練がある。 16〈質〉養護・訓練の時間にどんな学習をしたか。 17〈応〉学生が自分の経験を紹介。 18〈説〉養護・訓練が自立活動に変わっていく。 19〈授業展開指示〉実際の教育の状況をビデオで見てほしい。 20〈ビ〉クリボーグラムによるスクリーニング検査。 21〈説〉出産後すぐに聴検が行われ始めようとしている。 22〈ビ〉脳波による検査。 23〈説〉脳波による精密検査がある。 24〈ビ〉保健所による乳幼児検診。 25〈説〉早期発見の努力が日本各地でなされている。 26〈ビ〉病院での母親指導。 27〈説〉病院で指導が行われることがある。 28〈ビ〉聾学校の就学前指導の様子。 29〈説〉乳幼児段階の指導で何が大切か。 30〈ビ〉聾学校幼稚部における言語指導。 31〈説〉幼稚部段階の指導で何が大切か。 32〈ビ〉小学部での機器を用いた発音指導。 33〈説〉発音指導にコンピュータを使うことがある。 34〈ビ〉聾学校小学部の国語の授業。 35〈説〉小学部の様子を見た。 36〈ビ〉聾学校高等部の国語の授業。 37〈説〉高等部の様子を見た。 38〈ビ〉小学校における難聴児の指導の様子。 39〈説〉難聴学級は現在は通級指導教室になっているところが多い。 40〈ビ〉聾学校高等部での職業専門教育の様子。 41〈説〉歯科技工科、理容・美容科があった。聾学校以外に職業能力開発校もある。 42〈ビ〉国立職業リハビリテーションセンターの様子。 43〈説〉国リハと筑波技術短期大学は学生の年齢が同じ。聾学校高等部本科卒業生の進路は進学と就職が半々。 44〈まとめ〉聴覚障害教育のだいたいの様子をつかんでほしい。 3.2 授業B 1〈目標提示〉耳の聞こえない人たちの教育の様子について理解してもらいたい。 2〈説〉耳が聞こえないことが大変早くわかるようになった。生まれたときの検査の様子は。 3〈ビ〉クリボーグラムによる検査。 4〈説〉これをスクリーニング検査という。さらに細かく調べる。 5〈ビ〉脳波によるABR検査。 6〈説〉脳波が変わるかどうか調べる。早期発見が当たり前になった。 7〈ビ〉保健所による乳幼児検診。大学病院での診察。母親指導。 8〈説〉早期発見の努力をしている。発見されると教育がすぐに始められる。教育の場はさまざまである。 9〈ビ〉病院における母親指導。 10〈説〉今見たのは病院の相談部門。次に聾学校幼稚部の乳幼児学級。 11〈ビ〉聾学校幼稚部乳幼児学級。 12〈説〉乳幼児学級では親の支援が大切。発達の基礎を作る。次は幼稚部。 13〈ビ〉幼稚部における言語指導。 14〈質〉同じ経験をしたか。母親が教室の後ろにいたか。 15〈応〉幼稚部時代の経験。 16〈説〉ビデオの映像は10年以上前だが、基本は現在と変わっていない。 17〈質〉幼稚部の経験はどんなだったか。 18〈応〉幼稚部時代の経験。 19〈説〉幼稚部で大切なのは経験を言葉と結びつけること。 20〈質〉幼稚園段階の教育の場はどこであったか。 21〈応〉各自の教育の場。 22〈説〉他に、病院相談部門、センター、難聴幼児通園施設などがある。 23〈質〉小学校段階はどこに通っていたか。 24〈応〉小学校段階の経験。 25〈説〉聾学校小学部の様子を見てもらう。 26〈ビ〉スピーチトレーナーによる発音指導。 27〈質〉発音指導は厳しかったか。コンピュータを使ったか。 28〈応〉発音指導の経験。 29〈ビ〉聾学校小学部の音楽の授業。 30〈質〉音楽の授業場面に出てくる同窓会長を知っているか。 31〈応〉知らない。 32〈ビ〉小学部の国語の授業。 33〈質〉国語の授業は同じようなやり方だったか。 34〈応〉国語の授業の経験。 35〈説〉小学部では教科学習が大事。学習言語を作る。中学部では自分の障害について理解する活動。高等部では何が大切か。 36〈ビ〉聾学校高等部の国語の授業。 37〈質〉ビデオの画面に出てくるY先生は今も同じか。 38〈応〉Y先生の経験。 39〈説〉高等部では普通科の他に専門教育を行っている。 40〈ビ〉聾学校高等部における職業科の様子。 41〈説〉聾学校高等部本科卒業生の進路は半分就職、半分進学。 42〈質〉出身聾学校高等部の進路の様子はどうか。 43〈応〉同級生の進路の様子。 44〈説〉現在は進学が多くなってきた。一番は専攻科。次に技短、大学、職業能力開発校がある。 45〈ビ〉国立職業リハビリテーションセンターの様子。 46〈質〉国リハを見たことがあるか。技短とどちらがよいか。 47〈応〉手当をもらえる。岡山にもある。 48〈説〉職業能力開発校は各地にある。聾学校には二つの目的がある。障害に応じた特別な教育は養護・訓練として行う。 49〈質〉養護・訓練を知っているか。内容は何か。 50〈応〉養護・訓練の学習内容。 51〈説〉来年から養護・訓練は自立活動に変わる。聾学校の他に難聴学級、通級指導教室がある。 52〈ビ〉小学校難聴学級の様子。 53〈質〉難聴学級の経験者はいるか。 54〈応〉難聴学級の経験。中学校難聴学級の様子。 55〈まとめ〉教育の様子を大づかみに理解してほしい。 4.授業を進める上での留意点と実際の授業  筆者は日頃の授業を進めるにあたって、次のようなことを心がけることとしている。 (1)双方向のコミュニケーション (2)学生の経験をベースに (3)視覚教材の取り入れ これらの留意点が今回の授業の中でどのように実現されているのかを検討してみたい。 4.1 双方向のコミュニケーション  講義形式をとり、教師からの情報の発信が中心になる授業であっても、学生に情報が伝わっているかどうか、内容が理解されているかどうかを確かめながら進める必要がある。学生の表情や動作を見ることによってある程度は情報の伝わり具合を知ることができるが、完全とはいえない。教師が一方的に説明するだけでなく、発問をし、それに対する学生の応答のしかた、応答の内容によって理解の度合いを把握していくことが求められる。  授業Aでは、教師による説明の部分と視覚教材を提示する部分を分け、初めに伝えたい内容を言葉で説明してから、その言葉が表している内容を再度映像で伝える形をとり、授業Bでは、視覚教材を内容の単位ごとに区切って提示しながら、教師による説明、発問と学生からの応答を求める形をとっている。  授業Aではステップ2,4,11,16の4カ所、授業Bではステップ14,17,20,23,27,30,33,37,42,46,49,53の12カ所で学生への質問と、それに対する答えを求める活動を行ったことが記録から明らかになった。授業AとBでは展開のしかたを大きく変更したのであるが、変更後の方が応答をする回数が増え、双方向のコミュニケーションを進めるために有効であったと考えられる。 4.2 学生の経験をベースに  授業内容への学生の興味関心を高め、理解を深めるための方策として、学生自身の既有の経験と結びつけながら授業を展開することが有効である。特に今回のように学生との関わりが深いテーマを扱う場合には、経験を呼び起こし、自分のこととして考えることができるようにし向けることが必要になる。授業Aにおける4カ所、授業Bにおける12 カ所の学生との間の応答は、そのほとんどが学生自身の経験を問いただすものであり、それをベースに授業を進めようとしたことが記録によく表れている。  ただ、授業の展開を学生の経験をベースにすることにこだわりすぎると、必要な内容が抜け落ちてしまったり、授業が脱線して横道にそれてしまう状況になりかねない。授業Aのステップ6のところでインテグレーションについて扱うことができているのに授業Bではとり上げることができなかったり、授業Bのステップ30で学生が知りそうもない同窓会長のことをあえて聞こうとしたり、ごく一部の学生だけが知っているY先生のことに触れて(授業Bのステップ37,38)本筋からはずれそうになったりしたことは反省すべきところである。 4.3 視覚教材の取り入れ  授業の中に視覚教材を取り入れることは有効である。ここで取り上げた授業のように「聴覚障害教育の実態」を題材とする場合には、それを映像化した教材があれば利用することが当然考えられる。今回用いたビデオ教材は、聴覚障害者教育福祉協会が社会の啓発用に作った30分ほどの長さのもので、全体に字幕が付けられているので、学生には理解しやすいものと考えられた。ただ、授業記録に基づいてその扱い方を見直してみるといくつかの反省点が浮かびあがってくる。  ビデオ素材の授業における視聴のしかたには、丸ごと視聴と取り出し視聴という二つの方法がある。授業の展開のしかたに合わせてどちらかの方法をとることになるが、一つのまとまりのある作品として作られた素材の場合、その作品としてのストーリーが授業の筋書きと合致しないところが現出する。多くの場合は授業のストーリーを重視するために、ビデオの中から必要な部分だけを取り出して使っていくし、今回の授業でもその方法をとった。  改めて授業記録を見ると、ビデオでひとまとまりの内容を提示し、それに教師が説明を加える、ということの繰り返しが多いことに気づく。特に、授業Aの後半、ステップ20から43はそうした単調な授業展開になってしまっている。説明もビデオの映像と同じ内容をもう一度言葉で繰り返していることが多い。授業Bでは、単調さを避けるために一つの場面ごとに学生の経験を尋ねる活動を取り入れたが、全体の流れとして、”映像の提示-教師からの学生の経験を問う質問-学生からの答え”という活動の繰り返しが多くなり、やはり授業展開が単調になってしまったことは否めない。  ビデオの再生画面には字幕が入っているので、改めて同じ情報を教師が繰り返すよりも、ビデオ教材を素材とした学生自身の経験の掘り起こしや、関連する事項への思考のひろがりのための活動に時間を用いた方が、深みのある授業ができたのではないかと考えられる。  時間を有効に使うということから考えると、A、Bの二つの授業ともに、素材をあまりに細切れにしすぎているということも反省される。もっと大きなまとまりのある単位で、映像を提示してもよかったのではないか。さらにいえば、今回の授業では、授業のストーリーに合わせるために素材のテープを途中で別の場面に早送りしたり、巻き戻しをしたりして余分な時間を費やしている。あらかじめ授業の展開に合わせた順序に映像を配列し直して、授業用のテープを作っておくことも必要であった。 5.おわりに  ティーチングポートフォリオの主要な部分を構成する授業記録を材料にして、日頃授業を進めるにあたって留意している事柄がどのように実現されているのか、そして何が不足しているのかを実際的に検討した。その結果、反省すべき事柄がいくつか明らかになってきた。来年度の授業を計画するにあたっては参考にすべきことである。  ただ、今回の見直し作業は授業者自身によるものであり、かなり主観的な要素が含まれている。他の教師の意見、特に聴覚に障害がある教師の助言を得ること、学生による評価を取り入れることなどを加えて、客観化していかなければならない。さらに、ポートフォリオを構成するシラバス、授業計画書、授業における配付資料、試験結果などとの関連の中で授業を見直すことも必要である。  それにしても、今回のプロジェクト研究を進める過程で蓄積した原資料はかなりの量になる。授業を記録したビデオテープだけでも60 時間を優に超える長さになった。その全てを丹念に見直す時間的なゆとりはないが、本稿に示したような視点を明確にした上での授業改善の取り組みをこれからもできるだけ進めていきたいと考える。 文献 1)杉本 均:ティーチング・ポートフォリオと大学授業改善の研究,平成8年度~平成9年度科学研究費補助金研究成果報告書,1998 2)根本 匡文:わかりやすい授業をめざして.平成12年度筑波技術短期大学公開講座「現代聴覚障害教育研修講座」テキスト,57-65,2000 Improvement of Instruction through Analysis of Records of Teaching Portfolio Masafumi NEMOTO,Chikara OIKAWA Department of General Education, Division for the Hearing Impaired, Tsukuba College of Technology Abstract: Video records of the instruction which were a part of teaching portfolio were changed into characters and analyzed. Through this activity, the directionality of the improvement about the following points were found;(1)method of instruction to make the best use of interactive communication,(2)notice in instruction about the best use of experiences of students, (3)strategy of effective use of video materials. By clarifying these aspects, we would like to improve our instruction through the practice in the future. Key Words: Teaching portfolio, Analysis of instruction, Improvement of instruction, Hearing impaired students