科学と言葉-鏡の中の世界(物理学講義ノートから)- 筑波技術短期大学聴覚部一般教育等 小林 庸浩 要項:科学で使われる言葉と日常で使われている言葉の違いについて考える。ここでは、鏡に映った像と実物の左右・上下の問題について考察することにより、我々が日常使っている言葉の持つ暖昧さを指摘する。特に、上下という言葉の持つ意味について考えることから、日常的な言葉の使い方に隠されている問題点をはっきりさせ、更に、科学で使われる言葉はどうあるべきかを議論する。 キーワード:科学 言葉 言葉の基準 言葉の暖昧さ 1.はじめに  科学は論理で組み立てられているが故、言葉はそれほど重要ではないかのどとく考える人たちも少なくない。これは大変な誤りである。科学がギリシャ時代に哲学から生まれたことを考えれば、そのことは良く分かる。哲学では一つ一つの言葉の厳密な意味から考察が始まる。数学で使われる記号はそうした厳密に定義された言葉を表している。しかし、たとえ科学で使われている言葉であろうとも、我々が日常生活で使っている言葉が基本である。実際に、科学を勉強する際にも、我々は日常使っている言葉の意味から類推している。大部分の言葉は科学においてもそれほど大差のない意味で使われており、問題はない。事実、一つの言葉が生まれたとき、その言葉はある特定の意味を持っていたことは疑いない。しかし、社会的に汎用されていくうちに、多くの言葉ははじめの意味から少しずつ変容していったり、拡張された解釈が加えられてゆくことは、歴史的必然である。こうした変容や拡張の中で、はじめに持っている意味を感覚的には踏襲しているつもりでいても、時として我々は異なる基準を持つ考え方を加えてしまうことがある。日常生活の中ではほとんど使い方が変わらないため、そうした異なる基準の下に使われている言葉に矛盾を感じることはない。  しかし、科学用語として使われる場合、一つの言葉が異なる基準を持つことは許されない。このように、科学の世界では、時として日常とは異なる言葉の使い方が必要になる。その違いはあまり問題にならないと考えられがちだが、科学の本質を考える上では大変重要な意味を持つ。新しい現象を発見したとき、新しい科学用語が生まれる。それを基に理論が創られるとき、そうした言葉は数学的に抽象化される(論理の中に取り込む)。この抽象化によって多くの言葉か拡張され、適用範囲を広げることができる。しかし、抽象化の際に、言葉の基準は抽象化に適した基準に拡張されることはあっても、はじめに作られたときに与えられた基準を破るような拡張は許されない。科学においては、このことだけは絶対に守られねばならない。  ここでは、日常使っている言葉の中に隠された非科学性をはっきりさせるため、一つの問題を取り上げて議論してみる。内容は、いろいろなところで取り上げられている問題、鏡に映った像と実物の関係である。鏡の中の世界と呼ぶことにしよう。我々が鏡の前に立って、右手を上げると、鏡に映った像は左手を上げる。実物と像では左右が逆転している。こうしたことはよく日常で言われていることである。それでは、上下はどうなっているのか?という問が出される。この答えに関しては、いろいろ議論されているようだが、ここではこの問題を言葉の持っている本質的な基準と結び付けて考えてゆく中で、はっきりとした解答を与えるつもりである。更に、先に述べた言葉の拡張の際、時としてやってしまう過ちについても検討したい。なお、この問題は、毎年私が初めの授業(物理学)で取り上げ、学生に科学で使われる言葉のもつ意味を考えさせている問題である。以下では、私の授業に沿ったやり方で議論を進めてゆく。 2.鏡の中の世界  問題をはっきりさせよう。一人の人間が全身を映せる平らな(曲がっていない)鏡の前に立つ。鏡は鉛直面内に立てられているとする。よく知られているように、鏡の反対側の鏡に対して実物と等間隔のところに像ができる。(図1参照)ここで鏡の前に立った人が手をあげると、像のほうも手を上げる。問題を簡単にするため、像を‘鏡の中の世界の人,と考えて話しを進める。実際の授業では、私が実物になり、私の前に座っている学生に、像の役割をやってもらう。実物が右手を上げた状態で、像に聞くと、像のほうは左手を上げていると答える。(この問題で、時としてバルタン星人(ウルトラマンに現れる右手がハサミになっている異星人)を引き合いに出し、話を混乱させる人もいるが、それは正しくない。鏡の中のバルタン星人は当然左手がハサミになっている。右手・左手は当人の顔のある面を基準にして決めていることに注意しよう。)正確には後で説明するが、鏡の像が実物と左右に関して反対になっているという考え方は論理的に矛盾しない考え方である。そこで次のような問を出す。 (問)鏡の中の世界にいる人(像)と実物を比べて右手と左手が逆になっていると考える場合、上半身と下半身も逆になっていると考えるべきか? という問題である。この間を出すとはじめ学生は皆きょとんとしている。一人一人にどう思うか聞いてみると、ほとんどの学生は‘上半身と下半身は逆転していない。,と答える。(これまでに‘逆転している。,と答えた学生は一人もいない。) そこで‘では、正解を教えよう。,といって、黒板に正解を書く。 (正解)鏡の中の世界いる人(像)と実物を比べて右手と左手が逆になっていると考えるならば、上半身と下半身も逆になっていると考えるべきである。と書く。学生たちは一瞬騒然となる。そこで、学生たちに質問する。 (問)何故この答が正しいのか? 学生たちは自分で考えたり、仲間と議論を始める。いろいろな答が帰ってくるときもあるが、正解を答えた学生はいまだにいない。さて、ここで一休みして、読んでいる皆さんも考えて欲しい。 -休憩- 3.左手・右手の定義と逆転の意味  では、話を進めよう。まず、この間には前提条件があることに注意しなければならない。「鏡の中の世界にいる人(像)と実物を比べて右手と左手が逆になっていると考える場合」という前提である。そこで、まず、この前提条件を正しく理解してから進んだほうがいいだろう。(授業では、学生に左右の決め方について質問する。なかなか的確な答えは得られないので、いろいろな誘導尋問を繰り返しながら正しい考え方に導く。以下では、その過程は省く。)  人体の右左はどのように決められているのだろうか?  まず、前にも触れたように、顔がある面で考えなければならない。図2に示しているように、一人の人間の左右は鼻・口・臍を通る一本の軸で決められている。(臍の曲がった方には、ご容赦願いたい。)この軸上にある物には左右はなく、軸から外れたところにある物は右或いは左にあるという。例、心臓は普通左側にある、などなど・・・。では、軸のどちら側を右、どちら側を左と呼ぶのだろうか? これに答える一つの方法は、人間の顔に文字盤付の時計を置いて考えることである。ただし、文字盤の12を頭の方に、6を顎の方に起き、12と6を結ぶ線が左右を決める軸と一致するように置く。この状態で3がある方を左、9がある方を右と決めれば普通の左右と一致する。(時計の文字盤上で数字が増える方向は、時計回りという言葉が使われるように、決まっていると考えてよい。)これからわかるように、左右を決める軸には一つの方向(この場合、6から12に向かう方向)を決めておく必要がある。(図3参照)この軸の方向をはっきりしておくために、実物には頭の方向に矢印をつけた左右を分ける軸を持って鏡の前に立ってもらうことにしよう。  これで左右の決め方はわかったが、次に考えなければならないことは、像と実物を比べるという操作は実際にはどんな操作で考えればよいのだろうか? という問題である。最もはっきりした調べ方は実物と像を重ねて比較することである。この操作で肝心なことは、実物と像の顔の面が同じ方向を向いていることと、実物と像の左右を決める軸が矢印の向きも含めて完全に一致することである。重ねる作業の中で左右を変えるような操作があってはならない。この操作は、真上から見たとき、実物と像が持っている左右の基準軸を結ぶ線と鏡との交点を通る鉛直線を軸として実物(あるいは、像)を180度回転すればよい。(図4参照) こうすることで実物と像は完全に重なり、両者の左右は一つの軸で決められるようになる。この一つの軸で決めたとき、実物と像の左手と右手は逆になっていることが分かる。すなわち、実物が右手を上げているとき、像は左手を上げている。これが右手と左手が逆になるということの正しい解釈である。このとき、左右を決める方法としては、実世界の方法がとられていることに注意しよう。物理では、こうした操作は軸対称性(鏡の中の鉛直線を軸とする回転で調べる対称性)を調べる操作と考える。従って、‘左右が逆転するということの内容は、軸対称`性を調べるという操作にしたがって調べてみると、実物と像の間では左右が逆になっている。,ということである。この問では、前提条件によりこうした考え方に従うことを義務付けられているのだから、この考え方と同じ解釈の下、すなわち、軸対称性を調べるという方法で上半身と下半身の問題も考えてゆかねばならない。 4.上半身と下半身の問題  左右のときと同じように、まず、どうやって上半身・下半身を決めているのかを考えることから始める必要がある。上半身・下半身を決める軸は左右ほどはっきりしないが、だいたい臍を通る水平な軸と考えればいいだろう。この軸から上を上半身、下を下半身というわけである。正確には、左右のときと同じように、臍の位置に時計を横に寝かせて(6と12を結ぶ線が上下を分ける軸と一致するように)置いて軸の方向を決め、それから上下を決める必要があることに注意しておく。(図5参照)図では3が上、9が下になっているが、180度回転した状態、3が下に、9が上に来る状態で考えてもよい。後で比較するとき間違わないように、軸の方向をきちんと決めておけばよいのである。  さて、次には左右のときと同じように、実物と像の顔の向いている方向が同じことと、上半身・下半身を決めている軸が完全に一致するように実物か像を動かすことである。この操作は、両者の膳を結んだ直線と鏡との交点を通る鏡の面内の水平線を軸とする180度の回転で実現きれる。(図6参照)鉄棒につかまって逆さになることを考えればよい。  図から分かるように、回転後の上半身と下半身は実物と像で逆転する。すなわち、右手と左手が逆転しているという考え方に立てば(軸対称性を調べるという立場で考えれば)、上半身と下半身も逆転していると考えるべきなのである。お分かりいただけたであろうか。分かって下さった方には申し訳ないが、実は、問題はまだ半分も終わっていない。 5.上下の問題  ここでもうひとつの問に答えて欲しい。 (問)鏡の中の世界では左右が逆転しているように、上下も逆転していると言ってよいか? という問題である。いかがだろうか。「もう、終わった問題だ。」などと答えてもらっては困る。この間の答えは、 (正解)間違っている。 である。驚いてもらっては困る。少し時間をとって、理由を考えて欲しい。 -休憩- (お分かりいただけた方はもうこの章を読む必要はない。次の章に進んで欲しい。)さて、上下と上半身・下半身の決め方は同じだろうか? 逆立ちしている人を考えて欲しい。次の文章に誤りはあるだろうか。 「真直ぐに逆立ちしている人の上半身は下に、下半身は上にある。」(図7参照) この文章が正しいことは皆さん分かっていただけると思う。このように、上半身・下半身に使われている上下と、我々が日常的に使っている上下の意味は必ずしも同じではないのである。  では、日常的に使っている上下はどのように決められているのか考えてみよう。我々は地面のほうを下、空の方向を上と決めて、地面に立てた鉛直軸の地面からの高さで高いほうを上、低いほうを下と呼んでいる。上半身・下半身を決めるときのような-つの水平軸によって上下を決めることはできない。正確に言えば、地球の重力の引く方向を下、反対方向を上と決め、重力の方向に立てた直線で測った位置で上下関係を決めている。鉛直方向に立てた鏡の中の世界では重力の方向は変わらないので、重力の方向で決められている上下は変わらないのである。(地球の重力の方向は鏡のある.なしで変化することはない。)鏡を水平に置いた場合、重力で決めた上を指す矢印の方向は、実物の持つ矢印と像の矢印で反対になっている。すなわち、共に鏡の方向を向いている。無理矢理、地球を回転して鏡に面した面が一致するように像と重ねると、重力の矢印は一致してしまう。すなわち、両者にとっての上下が完全に一致することが分かる。この場合でも、左右或いは上半身・下半身に対応するものは逆転している。 例えば、赤道上の上空に大きな(地球全体を映すことのできる)鏡を置いて、北半球を上半身、南半球を下半身と考えれば、上で考えた回転で両者は逆転していることが分かる。  このように、同じ上下という言葉に全く基準の異なる考え方が含まれているのである。これがはじめに問題にした、言葉の持つ曖昧さの一例である。人間の歴史から考えれば、上下という言葉がはじめに使われたときは、当然、日常使っている重力の方向で決めた上下であったはずである。上半身・下半身は我々が立って活動している状態で上に来る部分を上半身、下になる部分を下半身と呼ぶようになったことから新たに生まれた言葉のはずである。事実、4本足の動物や蛇、魚などでは上半身・下半身という言葉は使わない。2本足で立って、更に、足を下にした状態で活動するからこそ生まれてきた言葉だ。日常生活の中で、足で立つ状態と逆立ちする状態が同等程度あったら、上半身・下半身などという言葉は生まれなかっただろう。我々は、上下の考え方を拡張してゆくとき、知らず知らずに異なる基準に従う考え方にまで拡張してしまったのだ。明らかに、論理を逸脱した拡張である。 6.上下の使い方と物理学  前節で、上下には二通りの基準があるということを示した。では、物理的にはどちらの上下のほうがより広範な考え方といえるのだろうか? まず、‘物理的には,という意味をはっきりさせねばならない。物理学とは、あらゆる自然現象を支配している普遍的法則を探し、その法則からあらゆる自然現象を理解できる論理体系を創り上げることである。従って、そこで使われる言葉はより普遍的な、すなわち、あらゆる問題に関して同じように定義できる言葉を基礎にする必要がある。では、  上下に対する二つの基準のうち、より広範な問題に適用できるのはどちらだろうか?  この問題は、ロケットに乗って地球の重力圏から飛び出し、ほぼ無重力になった状況で考えると良く分かる。無重力状態では、宇宙飛行士たちは空間を自由に浮遊でき、頭を、すなわち、上半身をどの方向に向けることもできる。この状態では、重力により決められた日常的な上下はもはや意味を成さない。しかし、人間にとって、すなわち、上半身と下半身が対称に作られていないものにとって、上半身・下半身という言葉には意味がある。また、上半身と下半身を分ける軸は、常に地球上で決めた軸と同じ軸を使える。このように、上半身・下半身の上下のほうが宇宙どこに行っても通用するより広範な考え方であるといえる。実際に、物理では、地球の重力を基準にするような上下の考え方は、地球の重力が無視できないほど大きくなるものの運動を考えるとき(例えば、ポールを投げるときの放物運動など)以外では意味がないので、一般論の中では普通使わない。上半身・下半身における上下は座標平面の上半面・下半面などというように使われることがある。しかし、この上下の概念は、本質的には左右の概念と全く同じであり(分からなければ、もう一度3章と4章を読んで欲しい)、こうした概念を直線或いは平面によって分けられる+(プラス)側と-(マイナス)側というように+-を使って表すことが多い。 座標軸に+-の方向が付けられるのは、いちいち時計などを引き合いに出きずとも軸の方向や+側、-側がはっきりわかるようにするためである。 7.おわりに  上下という言葉の使い方を検討することから、すべての言葉が必ずしも論理を作る上で疑問がないわけではないことを示した。私は、この授業を通して学生たちに‘次のことを理解するよう,強調する。 (1)言葉にはその意味を決めるための基準が必ずあること。 (2)日常使っている言葉には基準が暖昧な言葉が少なくないこと。 (3)論理を構成する際には、一つのはっきりした基準を持つ言葉だけ使わねばならないこと。 (4)論理の構成の中で、言葉をより抽象化した概念に拡張するとき、その基準が変質しないように注意しなければならないこと。  特に、(1)に関しては、我々が日常この点に関してほとんど意識しないで言葉を使っているという点で注意が必要であり、(2)に関しては、我々が慣れ親しんでいる言葉にこそ、思いもよらぬ暖昧さが付加されてしまっている可能性がある点を忘れないように、と注意する。皆さんにも、今一度、自分たちが日常何気なく使っている言葉の基準を改めて考え直す機会を持っていただけたらと思う。最後に、皆さんに-つ考えて欲しい問題を残して終わりにしたい。 (問)速度という言葉を暖昧さなく定義すること。 ここで言う暖昧さなしという意味は、微分などという数学的な手法のことを言っているのではない。日常使っている‘ただいま、新幹線は時速270kmの速度で走っております。,と言うときの速度である。そして、もうひとつ (問)道路交通法は、厳密には意味のある法律なのだろうか? 注釈1:  これまでの鏡の上下に関する論争は、上下という言葉が二つの異なる基準の下に使われているために起こっている。すなわち、鏡の像の左右に対して、像というイメージから上下を上半身・下半身の問題と捕らえる人たちと、日常的な上下(重力の方向で決める上下)と捕らえる人たちの間で、迷路のような論争になっている。この二つの上下がまったく異なる基準の下に使われていることを理解すれば、両者の和解(両者ともそれぞれの立場では正しかったことの確認)はきわめてスムーズに行われるだろう。 注釈2:  上下の問題とは少し違うが、我々が陥り易い誤りの例として、私が授業で取り上げる問題に‘1+1=,という問題がある。ナゾナゾかと思ってなかなか味な答えを出す学生もいるので、これは数学のテストの問題として考えるように言っておく。この問題の意味については技短の公開講座でも話したが、その内容は私のホームページの「自然科学観とその育て方」に書いているので、興味があったら読んで欲しい。 Science and Words— World in a Mirror (From My Lecture Notes) — KOBAYASHI Tsunehiro Department of General Education, Division for the Hearing Impaired, Tsukuba College of Technology Abstract: The difference between scientific words and words used in our daily lives are investigated. It is well-known that the left and right are replaced in a mirror. So, how is the case of the up and down in the mirror? In the consideration of a correct answer to this question I show the fact that the words of up-down have two different meanings. That is to say, one has the meaning determined by the direction of the gravitational force of the earth, which is the meaning used in our daily lives, and the other is that used in the upper half and the lower half of the body. When we follow the meaning of the up-down used in our daily lives, the answer to the above question is different from that of the case where the meaning of the up-down is taken as that of the upper and lower halves of the body. Throughout this discussion it is noted that some words used in our daily lives should not be used as scientific words straightforwardly. Key Words : Science, Words, Basis of Words, Ambiguity of Words