安全な鍼灸実践のための臨床実習前教育―筑波技術短期大学における鍼灸学生に対する訓練プログラムの模索― 筑波技術短期大学附属診療所 津嘉山 洋 山下 仁 要旨:我々は安全な施術の概念と技術を臨床実習前の教育に導入することを計画し,鍼灸学科2年生など17名を対象に“臨床鍼灸学各論”(2コマ×10回)で講義と実技を組み合わせて授業を行った。講義と実習の内容は,鍼灸の安全性情報,ユニバーサルプレコーション,消毒の基礎知識,鍼通電の知識,手洗い法,デイスポ鍼の扱い,清潔で安全な刺鍼操作であった。安全な鍼灸施術のためにクリアーされるべき課題の一部は卒前教育において達成されうることが明らかとなった。しかし,清潔操作概念の鍼基礎実技への導入や全盲学生の指導方法の改善などが課題として残された。 キーワード:鍼灸 学生 安全性 訓練プログラム 教育 1.背景  医療の安全性に対する社会の関心は近年になり,急速に高まってきている[1]。我が国においても2000年8月にリスクマネージメントマニュアル作成指針[2]が厚生省により示されるなど,医療実践の現場にリスクマネージメントの概念は浸透してきている。筑波技術短期大学附属診療所(以下“附属診療所”とする)鍼灸施術所の運営においてもインシデントレポートシステムをとりいれ,施術の安全管理を進めている[3]。  教育施設である附属診療所においては筑波技術短期大学鍼灸学科(以下“鍼灸学科”とする)学生の卒前臨床実習教育(以下“臨床実習”とする)が行われているが[4],我々はこれに参加している学生の基本的臨床能力の評価と改善を試み,医療サービスの観点から安全やマナーの面で実習前教育の改善が必要であると指摘した[5]。  鍼灸学科では平成12年度入学生からの新カリキュラムから,実習前教育に“ポリクリニック”が導入され,シュミレーションやボランティアを対象とした問診と診察の実習を通じて,実習前の診察技術や医学的知識の統合とコミュニュケーション能力の向上が図られるようになった[6]。我々は安全面での改善を図るために,開所以来蓄積されてきた附属診療所施術所における安全な施術の基本知識と技術を臨床実習前の学生教育に導入することを計画した。 2.目的  附属診療所における今日の実践的なレベルの安全性の概念と技術を,臨床実習前の教育に導入する。 3.対象および方法  対象は鍼灸学科2年生など17名である。この中には既に鍼灸師の免許を取得した後に入学した学生2名も含んでいた。1学期に設定された“臨床鍼灸学各論”(2コマ×10回)で講義と実技を組み合わせて行った。評価は安全な刺鍼の実技と安全性に関する知識の口頭試問により行った。当初予定された授業計画を表1に示す。  基本的には2コマの授業の前半1コマをレクチャーの時間とし,後半1コマを実技とした。  実技の学習は,まず教官が実習内容を提示した後に,まず1組の施術者役及び被術者役の学生モデルに実施させ,これに対して学生から意見を求めた。さらに,教官が是正すべき内容を指摘し注意点を再確認した後に,全員で実技を行った。幾つかのステップに分割できる達成課題については,ステップ毎に確認ポイントを設定し,学生はそこに到達した度に教官にステップの課題が達成されているかを確認させた。 表1.授業計画 第1回 導入 第2回 清潔操作、刺針・抜鍼の基本操作 第3回 背部刺針 第4回 背部痛とその病態 第5回 背部痛診察の基本 第6回 腰部の刺針1 第7回 腰痛診察の基本(腰痛) 第8回 腰痛診察の刺鍼2 第9回 腰部診察の基本(腰下肢) 第10回 まとめ (各2コマ:90×2分) 4.結果  実際には9回の授業と補講が行われた。うち1回は教官の出張のために,前回達成されなかった事項の自学自習とした。実際の実施内容を表2に示す。 4.1 第1回  導入の目的で,欧米における相補代替医療の状況[7],[8]とその臨床的評価の枠組み[9]についての講義を行った。従来の“東洋医学”の文脈と異なる,統合された医療の臨床的枠組みのなかで鍼灸の効果と安全性を理解させるためである[10]。 表2.授業実施内容 表3.重大な事故に発展しうる有害事象とその対策 4.2 第2回  Evidenceにもとづく鍼灸の安全性についての講義を行った。まず,致死的な結果をもたらしうる鍼灸の合併症に関する文献のレビュー結果[11]に触れ,鍼灸臨床において無知や不注意がいかなる結果をもたらしうるかの認識を促した。次いで附属診療所における調査結果[12],[13]にもとづき,標準的な鍼灸臨床で日常的に生じうる副作用や過誤について触れた。最後に,附属診療所施術所の事故防止マニュアルをもとに,重大な結果に発展しうる有害事象とその対策について具体的に講義した。(表3) 4.3 第3回  ユニバーサルプレコーションの概念[14]を講義した。院内感染防止の観点から臨床的な感染防御の技術として,医療現場にはユニバーサルプレコーションやスタンダードプレコーションの概念が導入されている。医療現場の常識を習得しておく必要があるだけでなく,鍼灸臨床においても外来レベルの対応が必要と考えられること,および衛生学のコースが3年次に設定されていることから消毒・手洗いの実用的知識と臨床レベルの衛生概念の導入が必須と判断されたためである。実技ではまず手洗い法の実際と腰部の触診と取穴を行った。これは背部の刺鍼から実技を導入するのは気胸のリスクが大きいことから腰部を先に行い,安全な部位認識のための体表解剖のスキルが身に付いているかどうかの確認も目的とした。ヤコピー線と第12肋骨端の触察をもとに腎命・大腸命の取穴を行った。取穴はシールによって確認を行った。  清潔な刺鍼操作の基礎も含む予定であったが,結果的には,ヤコピー線の位置をある程度正確に示すことが出来ない学生が続出し,そこまで進むことが出来なかった。 4.4 第4回  消毒の基礎知識を講義した。附属診療所施術所で日常使用している術野と手指の消毒に用いる中水準・低水準の消毒薬の使用法とその特徴や,器具の滅菌法について実践的に解説した。実技は前回に引き続き腰部の取穴(腎命・大腸前・志室)を行った後に,清潔な刺鍼操作法について解説を行い,腎愈穴と大腸命穴への刺鍼を行わせた。課題は「ディスポーサブル鍼を用いて清潔な刺鍼操作で皮膚面に垂直に腎命穴と大腸命穴に20mm刺入せよ」というものであった。清潔な刺鍼操作の要点は,概念的には不潔域と清潔域を区別する事にあり,実際的には①消毒した術野に,②消毒した手指で,③滅菌された鍼を清潔を保ったまま刺入することである。表4に学生に提示した標準的な手順を示した。まず,ディスポーサブル鍼の操作に慣れていないことが明らかとなり,刺鍼の準備が清潔に行えないものが続出し,実際に刺鍼する課題は達成できなかった。デイスポーサブル鍼の清潔保持が困難なものが,特に全盲の学生で目立ったが,滅菌済みのシャーレに包装から取り出したディスポーサブル鍼を一時的に置くことで可能となった。 4.5 第5回  腰痛とその病態について講義した。実技では,前回の課題に取り組んだ。清潔操作に関しては,位置決めに必要な触察部位の消毒がなされていないものや押し手の清潔が保てないものが目立った。刺鍼では①指定した位置に刺鍼できないもの,②垂直に刺鍼できないもの,③刺入の深度が指定と大きく異なるものが目立った。また,抜鍼時の出血に気付かずに,手指を汚染させたものもいた。安全性の観点からは,刺入深度の過大は血液への被曝とともに無視できない問題であり,これが解消されない限り気胸の危険性がある頚肩背部の刺鍼に進むことは出来なかった。 4.6 第6回  前回指摘された実技上の問題点を克服することが要求された。 4.7 第7回  腰痛診察の基本について解説した。実技は腰部の刺鍼がある程度問題がなく出来るまで反復し,取穴を追加し腰痛のパターンについて解説した。 4.8 第8回  鍼通電の臨床的な基礎知識を講義した。内容は鍼電極通電と表面電極通電の刺激波形と電流量の違い,刺激の頻度(周波数),通電に伴うリスクとしてのマイクロショックや漏れ電流,電気分解による折鍼,ペースメーカー使用者への禁忌の理由などである[14]。実技では,鍼通電法が問題なく行えるかについて確認を行った。 4.9 第9回  背部診察の基本について講義した。腰部において刺鍼深度の問題はほぼ解決されたために,実技では背部の刺鍼を行った。危険部位と注意点の解説を行った。課題とした刺入深度は10mmであったが,5mmの誤差範囲では過大な刺鍼深度で問題を生じた学生はなかった。  評価は表5に示したように,安全な刺鍼のための知識の口頭試問と,手洗い法および清潔で安全な刺鍼操作の実技試験で行った。 4.10 評価  評価の結果,口頭試問の合格者はなく,手洗いに問題があったものは3/17名,清潔操作に問題があったものは5/17名,刺入深度に問題があったものは2/17名であった。結果的に全員に補講と追試が課せられた。問題点の指摘の後に全員が課題を達成した。3名の全盲学生は何れも術野の清潔保持に問題を指摘されたが,若干の指導の後に課題を達成した。 5.考察  安全な刺鍼のための知識・技術の教育を臨床実習前の教育に導入を試みた。今回設定した最終評価課題の難易度については議論は生じるかもしれないが,致死的な結果をもたらさない程度の安全な刺鍼のために最低限クリアーされるべき課題の少なくとも一部は,卒前教育において達成されうることが明らかとなった。  最終的には設定した課題を全ての学生がクリアーしたが,幾つかの問題点が明らかとなった。 1)体表解剖において達成されているべきと考えられる基本的事項であるヤコビー線の特定がある程度正確に出来ない学生が多数を占めていた。基本的臨床能力における精神運動領域の課題も重み付けを行い,重要度の高いものが確実に達成されるようにする必要があると考えられた。 2)今回要求されたような清潔操作の概念の,鍼基礎実技の段階における導入が必要と考えられた。実地臨床においてデイスポーサブル鍼の使用が主流となりつつある今日,基礎実習におけるデイスポーサブル鍼の使用も検討すべきと考えられる。また,学生同士の実習プロセスにおけるリスク管理の観点からも,清潔操作と安全な刺鍼操作(特に刺入深度)の概念は,かなり早期すなわち鍼灸基礎実習の過程に導入される必要があるものと考える。 3)全盲学生が術野の清潔保持に問題を指摘され,若干の指導の後に課題を達成したことから,全盲学生の指導には,さらに工夫が必要と考えられた。またこの点に関する,視覚障害支援の方法や器具の開発も進める必要が感じられた。  カリキュラム全体における整合性も考慮しつつ,さらにリスクマネージメントの概念を追加するなど指導内容のさらなる吟味が必要と考えられる。 また,結果的に全員に補講と追試が課せられたことから,指導方法の充実も必要と考えられ,講義や実習における小グループの導入なども検討する必要があるものと考えられた。 6.引用文献 [1]中村 勝巳:わが国の医療事故・訴訟の現状と今後の展望について.治療18(12):6-12,1999. [2]厚生省リスクマネージメントスタンダードマニュアル作成委員会:リスクマネージメントマニュアル作成指針.日本放射線技師会雑誌47(11):1908-1917, 2000. [3]津嘉山 洋,山下 仁,堀 紀子:筑波技術短期大学附属診療所の鍼灸情報システム-鍼灸臨床マネージメントシステムの模索-.筑波技術短期大学テクノレポート8:231-236, 2001 [4]坂井 友実,白木 幸一:筑波技術短期大学鍼灸学科総合臨床実習のあり方.筑波技術短期大学テクノレポート1(1):153-156,1994. [5]津嘉山 洋,山下 仁:鍼灸卒前臨床教育における基本的臨床訓練の試み-シミュレーションとロールプレイによる対人技能の改善-.筑波技術短期大学テクノレポート7(1):61-66,2000. [6]筑波技術短期大学:平成13年度授業計画書(視覚障害関係学科)鍼灸学科.筑波技術短期大学,つくば市,2001. [7]Eisenberg DM,Davis RB. Ettner SL et al:Trends in alternative medicine use in the United States,1990-1997:results of a follow-up national survey. JAMA 280:1569-1575,1998. [8]Pittler MH:Complementary and Alternative Medicine:A European Perspective. ln:Ernst E editor,The Desktop Guide to Complementary and Alternative Medicine,MOSBY Harcourt Publishers, Edinburgh:p388-394,2001. [9]津嘉山洋,山下仁:Evidence-Based Acupuncture・全日本鍼灸学会雑誌50(5):590-603,2001. [10]山下仁,津嘉山洋,丹野恭夫:エピデンスにもとづく補完代替医療-補完代替医学研究の最近の動向-.日本東洋医学雑誌51(3):469-478,2000. [11]RampesH,PeukerE:鍼の有害作用.I、:Ernst E,White A編,山下仁,津嘉山洋訳,鍼の科学的評価,医道の日本社,横須賀:p187-220, 2001. [12]Yamashita H,Tsukayama H,Hori N, Kimura T,Tanno Y:Incidence of Adverse Reactions Associated with Acupuncture. The Journal of Alternative and Complementary Medicine6(4):345-350, 2000. [13]山下 仁,津嘉山 洋,丹野 恭夫,形井 秀一,西條 一止:視覚障害をもつ鍼灸師が特に注意すべき医療過誤-附属診療所における6年間の記録-.筑波技術短期大学テクノレポート6(1):207-209,1999. [14]「医療の安全に関する研究会」安全教育分科会編:ユニバーサルプレコーション実践マニュアル.南江堂,東京,1998. [15]山口 真二郎:安全管理.I、:山口 真二郎著,鍼通電療法テクニック,医道の日本社,横須賀:p17-27, 2000. Education of Safe Acupuncture Practice Prior to Clinical Training — Tentative Training Program for Acupuncture Students in Tsukuba College of Techology — TSUKAYAMA Hiroshi, YAMASHITA Hitoshi Tsukuba College of Technology Clinic Abstract : We tentatively introduced the concept and technique of safe acupuncture practice into our pre-clinical training education. Seventeen second-year acupuncture students took the series of instruction. The contents of instruction consisted of the training of clean and safe acupuncture techniques, and lectures on the fundamentals of safety of acupuncture, universal precaution, disinfection, electro-acupuncture, etc. Some of the problems, related to safe acupuncture practice, could be solved at the stage of pre-clinical training education. We suggest that the concept of clean needle techniques should be introduced into basic training of needling. Our impression is that teaching methods for totally blind students could be further improved. Key Words : Acupuncture, Acupuncture Student, Safety, Training Program, Education