視覚障害学生に分かりやすい解剖学実習の試み― 身近な道具で表現する ― 筑波技術短期大学理学療法学科 前島 徹 要旨:解剖学を理解する上では、まず組織や器官の概ねの形を理解した上で個々の名称などを覚えていくことが重要なのではないかと考えられる。自分の身体を使ったもの、または身近にある道具を用いて組織や器官の概ねの形を理解させる工夫を行ったので報告する。 キーワード:解剖学教育、概念形成、身近な道具 1.はじめに  解剖学は形態学であり物を見て理解する学問である。したがって晴眼者には理解しやすいものであっても視覚障害者には理解しにくい内容も多く含まれる。また晴眼者には理解の助けとなる解剖学図譜が全盲の学生には利用できない。筆者らは全盲の学生が理解しやすい触図の開発を行ってきた[1]が、触図には以下のような問題点が挙げられる。(1)極端に単純化する必要がある。(2)触図がやや複雑なものはちょっと触っただけでは理解できない。(3)一人一人の学生に触らせながら理解させる必要があり時間がかかる。(4)触図は平面的なので筋の位置関係など立体的な位置関係が分かりにくい。(5)触図1枚に入れられる情報量が少ないので触図の数が多くなる。  一方、標本や模型は三次元構造をしており、触図では得にくい情報が得られやすい。しかしながら骨標本や模型は高価であり全部の学生に十分な数は提供できないし、また模型は立体的であってもその作り方は晴眼者向けのものが多い。また、講義時に教室に運んで学生に触ってもらうのも良い方法ではあるが、説明に適した模型は決して多くない。  以上、触図および模型・標本について、現時点の問題点を挙げたが、それでもこれらのものを使用して授業を進めていくことは解剖学の理解の上で重要である。しかし、これらの触図や模型・標本をより効率的に使用し、最終的に解剖学を正しく理解させるためには、まず組織や器官の概ねの形(概念)を理解させておくことが重要なのではないかと筆者は考えている。そのため身近にある道具を用いて組織や器官の概ねの形を理解させる方法を考え授業で実践してきたのでいくつか実践例を報告する。 2.手の利用  一番身近な道具は自分の身体である。自分の指や腕を使うことにより次のようなことに利用できる。 2.1 細胞分裂  左右の指をそれぞれ染色体と考えると、n=10の染色体が示せる。左右の親指同士は父母から由来する相同染色体を説明するのに都合がよい。示指から小指までも同様である。減数分裂の説明には特に有効であり、左右の手を合わせながら相同染色体同士の対合を説明する。合わせている手を両側に離していけば分裂の後期の形となる。  また、左右の指を相補的な関係とすれば、細胞内での遺伝子からタンパク質合成への流れ(DNA→mRNA→リボゾームでの蛋白質合成)についても利用できる。 2.2 椎骨  左手(逆の手でも良い。以下同様)を握ってこぶしを作り椎体とする。右手をC字形にする。左右を合わせれば椎体、椎弓、椎孔ができる(図1)。右手の腕は棘突起になるし、右手の指を一つ出させれば横突起になる(図2)。右手の指を椎弓根に手のひらを椎弓板に見立てる。右手の親指の下は下椎切痕になり、親指の上が上椎切痕になる。特に、言葉だけではわかりにくい椎弓板や椎弓根の説明には都合がよい。全盲の学生には一人一人形を作らせ手を触りながら説明していく. 図1 椎骨モデル 片方の手で椎体を、もう一つの手で椎弓を表す。 図2 椎骨モデル 中指を伸ばせば横突起、腕は棘突起を表すことができる。 2.3 腕神経叢  腕神経叢は第5頸神経(C5)~第1胸神経(T1)までの脊髄神経前枝から形成される。ちょうど5本なので指を利用しやすい。①左右の手を合わせる。母指がC5、示指がC6、以下小指がT1である(神経根)。②母指と示指を一緒にし、第3指を1つだけ離し、第4指と小指を一緒にする(神経幹)(図3)。③次に左右の指を離し、左の母指・示指・第3指を一緒に(外側神経束)、第4指・小指を一緒にする(内側神経束)。また、右手の指はすべて合わせる(後神経束)(図4)。全盲学生には一人一人やってみる必要があり、その際に教官の手を学生の左右の手の間に入れることにより、腋窩動脈との位置関係を示すことができる。 図3 腕神経叢モデル 上・中・下神経幹を表す。 図4 腕神経叢モデル 外側・内側・後神経束を表す。 3.道具の利用  道具の利用は、概念を理解する上で有用であるが、理解をした上で実物標本や模型などに実際に触れておく(見ておく)ということは是非とも行っておきたいものである。 3.1 漿膜  漿膜(胸膜、心膜、腹膜)を理解させる目的で、小さめの透明なビニール袋を2枚重ねて二重にする。内側にあるビニール袋に手を入れ、内側のビニール袋をつかむようにして開いたり閉じたりする。特に心臓を包む心膜が想像させやすいが、漿膜に包まれる臓器が摩擦の少ない状態で動ける様子が理解できる。ただし、ビニール袋を二重にする方法は簡便であるが、壁側板と臓側板の連続性は表せない。 3.2 腸間膜  1m四方程度の布を用意し、どこか一端を15~20cm程くるくる巻いて直径3~5cmの管を作り消化管の代わりとする(安全ピンで留めると筒が壊れなくて良い)。巻いた側と反対の側を左右たぐり寄せ15cm位の幅にして持つことにより腸間膜根を表すことができ、そこから腸間膜が長い消化管に達する様子がわかる(図5)。その後、消化管の部分も適当に折りたたんで腹腔に入っているようにしてみせる。全盲の学生には腸間膜根の部分の布を持たせ自分の腹部に入っている様子を説明する。血管、神経などが腸間膜根から腸間膜内を通り消化管に行くことを説明する。 図5 腸間膜モデル 手前側は腸間膜根、奥は布を巻いて消化管を表している。 3.3 小網、大網  ロールペーパーを胃と見立てて、発生過程で頭尾軸のまわりを90度回旋することと左右方向に倒れることによって小網、大網が胃の上下に形成されることを説明できる。ロールペーパーを引き出して前胃間膜または後胃間膜と見立てると良い。全盲の学生にはロールペーパーを持たせて説明する必要がある。 3.4 消化管  胎生6週頃の一次腸係蹄の臍帯中への脱出に伴う90度回旋および胎生10~11週の腹腔内への還納時の180度の回旋により、腸は270度の回旋を伴う。腸の基本的な形の形成をビニールのひもで体験する。身長程のビニールのひもの一端を首に巻き、垂れ下げる。臍の当たりで左手の母指と示指の間および第4指と小指の間を通すようにビニールのひもをはさみ、左手を前に出しながら自分から見て90度時計回りに回転させる。前につきだした後、左手の上に右手を差し込み左手と右手を持ち替える。次に、右手を臍の方向へ引き戻しながら、自分から見て180度時計回りに回転させる。手前に引き寄せた段階で左手を使ってビニールのひもの形を整える。発生の説明をしながら実習することにより、何故ヒトの腸は他人から見た場合「の」の字の方向に回転しているのか理解できる。 3.5 神経管  神経管は脳と脊髄を形成する。したがって、複雑な形になっても脳と脊髄は管であるということは学生にしっかり認識させたい。そのことにより終脳→間脳→中脳→橋→延髄→脊髄の連続性が理解でき、また脳脊髄液の流れも理解しやすい。A3かB4程度の大きさのコピー用紙1枚を両手で持ち、神経管形成の様子を説明しながら左右の手を近づけて用紙の中央に神経溝→神経管を作っていく。この時、神経冠の説明もできる。また、コピー用紙の上にラップの芯を乗せておくと、その重みで管がうまくでき、それを下(机の上)に落とせば表皮と神経管に分離していく様子が説明できる。全盲の学生にはコピー用紙を触らせながら説明していく。 3.6 毛  学生にストッキングの片方に腕を入れてもらい毛に見立てる。ストッキングに包まれた腕の部分が毛根であり、ストッキングは毛包(上皮性毛包)である。入れた方の手で、握りこぶしを作った反対の手を包むように握る(図6)。握られたこぶしは毛乳頭、包むように握っている手が毛球、両方の手の間にあるストッキングの部分が毛母基を表している。手を入れていないストッキングの残りの部分を表皮(上皮)とすると毛包(上皮性毛包)が表皮の続きである様子が理解できる。また、毛を作る毛母基が上皮であることも理解しやすい.全盲の学生に腕を入れてもらいながら、周りの学生にも説明する。 図6 毛のモデル 毛は表皮の続きであり、毛を作っているのは上皮であることを理解させるモデル。 4.まとめ  解剖学で学習する骨学の実習は比較的安価な模型も市販されており、触って学習することができる。また、体表から自分の身体で触って確認することができ、概念の形成に苦労することはない。また、筋学は全盲の学生に適した模型は市販されていないものの、体表から自分の身体を触ってかなり理解することができる。一方、内臓系はほとんど体表から直接触れないので、概念形成は比較的難しい。例えば、腸間膜は言葉だけで理解するのはなかなか難しいが、前述の布を使った説明をした上で実物標本による解剖見学をすると学生は非常に良く理解してくれる。解剖見学がいつでもできる訳ではないが、「概念の形成→標本、模型、図譜、触図の利用→解剖見学→まとめ」という流れが、解剖学教育においては重要だと思われる。 謝辞  本稿の執筆に当たり筑波技術短期大学理学療法学科薄葉 真理子助教授ならびに大澤 富士子技官にお世話になりました.感謝申し上げます. 参考文献 [1] 伊藤 隆造,前島 徹,他:触図の作製と触図原稿の利用について.筑波技術短期大学テクノレポート2:155-158,1995. Use of Ordinary Materials in Teaching Visually Impaired Students to Facilitate Understanding of the Anatomy without Difficulty MAESHIMA Toru Department of Physical Therapy, Tsukuba College of Technology Abstract:In order to understand the anatomy, it is important for visually impaired students to develop initially a general idea of the anatomy. Thereafter they are able to memorize individual anatomical name. Simple methods to develop a general idea of the anatomy by using hands of students to mimic the forms and ordinary materials such as polyethylene bags, cloths, stockings are described. Key Words:education of anatomy, formation of conception, ordinary materials