聴覚障害における視覚情報処理特性― アイマーク・レコーダーによる眼球運動の解析 ― 筑波技術大学 保健管理センター1) 同 産業技術学部2) 玉川大学 脳科学研究施設3)  東京医科歯科大学大学院4) 深間内 文彦1) 西岡 知之2) 松田 哲也3) 松島 英介4)  生田目 美紀2) 要旨:重度聴覚障害者では聴覚による情報の獲得が困難であるために視覚に対する依存度が高いことは想像がつく。本研究では本学聴覚障害関係学科の学生と健聴者を対象とし標的図を呈示した時の注視点の動き、および標的図と一部異なった図を呈示し再認の課題を与えた時の注視点の動きをアイマーク・レコーダーを用いて測定した。この結果より聴覚障害学生は視覚情報に対して敏感に反応し、優れた周辺視野により特異な視空間認知能力を発揮していることが示唆された。 キーワード:聴覚障害、眼球運動、アイマーク・レコーダー、視覚情報処理、視空間認知 1.はじめに  ヒトは外界からの情報を得るために80%以上を視覚に依存しているといわれる。重度聴覚障害者は、聴覚による情報の獲得が困難であるために視覚に対する依存度がさらに大きいことは想像がつく。また、聴覚障害者にとって重要なコミュニケーション手段である「手話」「指文字」「空書」などを通して聴覚障害者は特異な視空間認知機能を発達させていることも推測される。例えば手話は、単に手の形のみで意味が伝達されるものではなく、手の位置や動き、さらには手話をしている者の顔の表情や口の動きも意思伝達の重要な要素である。この場合、健聴者は相手の手の動きに注目しがちであるのに対して聴覚障害者は相手の口や表情に意識が集中しており、腕や手の動きや位置は顔を中心として相対的に捉えている傾向があることが経験的にわかっている(周辺視野の活用)。また「空書」とは手指により空中に伝えたい文字を相手の顔の前で書く方法であるが、受信者はその文字を裏側から見ることになる。通常、文字の画数が多くなったり複雑な形態になると空書で書かれた文字を理解することは困難になるが、空書に慣れている聴覚障害者には的確に理解される。このように聴覚障害者においては視空間認知の能力に健聴者とは相違があると考えられる。  Bellugiらは、American Sign Languageを第一言語とするろう児と音声言語を使用している健聴児を対象に、手話の空間的統語使用の基礎であると考えられる視覚-空間的認知に関する一連のテストを行い、特に顔の近くや動的表示の空間的分析において、ろう児は明らかに健聴児よりも高得点を示したと報告している[1]。このように聴覚障害児は優れた空間認知能力を発達させており、それは手話の特質を介するものであると考えられているが、聴覚障害者の視空間認知に関する研究はいまだ極めて少数といってよい。  以上のような聴覚障害者における視覚的情報処理過程の特異性について眼球運動を通して明らかにし、聴覚遮断状態における視覚による脳の代償的機能・可塑的変化を追究することは認知神経科学・神経心理学上の意義に加え、教育的観点からも聴覚障害者に対して音声の情報を視覚の情報に変換して伝えるための効果的な視覚的補償を向上させる上で役立つものと考える。今回、われわれはアイマーク・レコーダーを用いて聴覚障害学生の視覚情報処理のメカニズムについて調べた。アイマーク・レコーダー(アイカメラ)は、眼の角膜に光源からの光を当て、その反射光をカメラで捉える。眼球が動くと反射光もそれに対応して動くので、これと被験者が見ている背景を写した別のカメラからの映像を重ね合わせることによって、被験者がどこを見ているかをそのまま観察することができる仕組みになっている。 2.方法 2.1 対象および測定手順  被験者は本学聴覚障害関係学科学生10名(WHO国際障害分類で両耳とも91デシベル以上の先天性高度聴覚障害に該当する)と健聴対照群として同年齢の筑波大学学生10名に検査の方法を十分に説明し同意を得た上で実施した。暗い静かな部屋で椅子に腰掛けた被験者にアイマーク・レコーダー(nac製EMR-NL8)を装着してもらい、被験者が頭の位置を動かさず眼球運動のみで見られるように、150cm前方においた約100cm四方のスクリーン上に呈示用プロジェクターによって幅90cm×高さ75cmの幾何学図形を映写し、この呈示図を見ている時の被験者の注視点の動きをアイマーク・レコーダーで記録した(図1)。尚、検査中の指示は同じスクリーン上で呈示図にかからない位置に字幕として挿入した(図2)。 2.2 標的図  被験者が単純な図形を自由な気持ちで見る時、図形の角ばったところに注視点が集中する傾向が強いことから、間をあけた茶碗を2つ並べ、その周囲に沿って円を描き、2つの円をつなぎ合わせその一部を切り取り、突起部が残るようにし、2つの突起部の内側が垂直になるように横S文字型の図を作成した(図3)。他にもいろいろな図形を作成して試みたが、この図が最適であった。 2.3 検査順序 (1)まず標的図(図4の上の図)を15秒間呈示する。 (2)この標的図を思い出して再生させる。 (3)再び標的図を15秒間呈示したあとに標的図と一部異なった呈示図を15秒間呈示し、そのまま図を見せながら、標的図との異同、さらに異なっているものについては、それをどの部分で判断したかについて質問する。 これは標的図を思い出して、それに類似した図との比較・照合をおこなうもので、再認の過程というべきものである。図4の下の2種類の図についてそれぞれ施行した。 2.4 注視点に関する指標  網膜上の像を大脳の情報処理機構が処理するためには約0.2秒が必要であるといわれていることから、ここでいう注視点とは、一カ所に0.2秒以上停留しているものとした。 最初に標的図を呈示した際の15秒間の注視点の動きについて、 (1)運動数(注視点の個数) (2)平均停留時間(それぞれの注視点が一カ所にどのくらいの時間停留したかを一つ一つ測定し、その平均を算出したもので、単位はsecで表記) (3)総移動距離(それぞれの注視点間の距離を測定して、個々の移動距離を求めそれをすべて加えたもので、単位はcmで表記) (4)平均移動距離(個々の移動距離の平均を算出したもので、単位はcmで表記)をそれぞれ測定した。 さらに、 (5)再認時の探索スコア:標的図と一部異なった図(図4の下の図)を呈示した時、標的図を思い出して、比較・照合し、異同を明らかにしている時の注視点の動きを調べて、図5のように図形の特徴を把握するために重要と思われる部位(図の○で囲んだ部位)に注視点がどの程度停留しているかを調べて点数化し、これを「再認時の探索スコア」とした。具体的には、○で囲んだ部位に注視点が3回以上停留した場合に1点を与え、合計点を「再認時の探索スコア」とした。標的図と一部異なった2種類の図についてのスコアを合わせて9点満点となる。 2.5 統計処理  統計学的処理については、Mann-Whitney U検定を用いた。 図1 検査方法 図2 検査中の字幕による指示 図3 標的図 図4 標的図(上)および一部異なった図(下2枚) 図5 再認時の探索スコア 3.結果  まず運動数は、聴覚障害学生では健聴者群に対して有意に高い値を示した(図6)。これは聴覚障害学生が視覚情報に対して敏感に反応しているものと考えられる。総移動距離は注視点の拡がりを表す指標であるが、図7のように聴覚障害学生では健聴者群に比べて有意に長い結果を得た。さらに図8のように平均移動距離についても聴覚障害学生では健聴者群に比べて有意に長い値を示した。尚、平均停留時間は聴覚障害学生で短い傾向にあったが有意差は認められなかった。再生図の正確性(標的図の形、突起の位置、全体のバランス)に関しては対照群と有意差は認められなかった。 標的図と一部異なった図を呈示した時の再認時の探索スコアは、再認の際にどの程度、呈示図の重要な部分を見ているかを表す指標である。図9のように再認時の探索スコアは聴覚障害学生が健聴者群に比べて有意に高い値を示した。 図6 運動数 図7 総移動距離 図8 平均移動距離 図9 再認時の探索スコア 4.考察  今回の呈示課題に対するアイマーク・レコーダーによる眼球運動の解析では、聴覚障害学生においては、運動数、総移動距離、平均移動距離が有意に高値であり、再認時の探索スコアも対照群に比較して有意に高い値を示した。以上の結果は聴覚障害者が優れた周辺視野をもち、限られた時間内にできるだけ多くの視覚情報をインプットしようとする表れであると考えられる。  Bavelierらは機能的MRIを用いた研究で、先天性の聴覚障害者が周辺視野を見た時に後頭葉皮質(第1次視覚野)の活動が健聴者の約2倍増加すると報告している[2]。また、Nevilleらの報告では、先天性の聴覚障害児では側頭葉の聴覚連合野は高い可塑性をもっており、聴覚言語と視覚言語の神経機構が競合しあいながら発達し、聴覚障害があると他の感覚がこれを補うように働き、大脳皮質の感覚領野も再編成されるという[3]。高度難聴のケースでは、本来聴覚情報処理を行う上側頭回が、手話の手の動きや話者の顔の動きを「見る」という視覚情報処理も行うというような聴覚と視覚の境界を越えた可塑性が生じている。成人の聴皮質でも感覚の種別を越えた可塑性が残っていることがわかっており、高度難聴のような感覚障害に応じてそれが発現し、機能補填のために賦活される。このことは聴覚障害者が特異な空間認知機能をもっていることを示唆している。聴覚障害者は周辺視野が優れている(むしろ過多気味)ために手話や空書などのパターン化された対象については驚くほどの早さで応答するが、他方、文字認識については集中力を欠きミスを犯しやすい傾向がときにみられる。これは文字認識の場合は周辺視野が邪魔になることや頭の中で一度音声に置き換えるという作業が必要になることで文字言語に集中しにくいのではないかと考えられる。そのためには通常とは異なる方法で文字を呈示したり、絵や写真などのイメージに変換して呈示することが有効ではないかと考えられる。 5.今後に向けて  今後は、文字・手話言語への反応、聴力レベル・失聴時期、過去の教育環境などとの関係を検討し、これらのデータを元に聴覚障害者の言語処理過程を中心に機能的MRIを用いた詳細な高次脳機能の解明につなげたいと考えている。 さらに、聴覚障害学生・生徒に対する教育上の配慮や「言葉」をより効果的に伝えるための教材開発、効果的な心理サポートなど応用分野への発展を目指している。 参考文献 [1] Bellugi U, O' Grady L, et al. : Enhancement of spatial cognition in deaf children. In Volterra V & Erting CJ (eds.) From gesture to language in hearing and deaf children, 279-298, Washington, 1994. [2] Bavelier D, Tomann A, et al. : Visual attention to the periphery is enhanced in congenitally deaf individuals. J Neurosci 20(17):93, 2000. [3] Neville HJ & Brvelier D :Neural organization and plasticity of language. Curr Opin Neurobiol 8(2):254-258, 1998. Exploratory Eye Movements in Hearing Impaired Students− Utilizing Horizontal S-shaped Figures − FUKAMAUCHI Fumihiko1) NISHIOKA Tomoyuki2) MATSUDA Tetsuya3) MATSUSHIMA Eisuke4) and NAMATAME Miki2) 1) Health Service Center, Tsukuba University of Technology 2) Faculty of Industrial Technology, Tsukuba University of Technology 3) Brain Science Research Center, Tamagawa University Research Institute 4) Graduate School of Tokyo Medical and Dental University Abstract: The eye movements in the hearing impaired and hearing individuals were examined using an eye-mark recorder. The subject was asked to sit in a chair 150 cm in front of a screen and an eye-mark recorder was placed on his/her head. (1) Each subject was shown an original S-shaped figure for 15 sec. (2) Immediately after viewing the original figure, the subject was asked reproduce the picture from memory. (3) Each subject was then shown two other figures partially different from the original in turn for 15 sec. The subject was requested to look at the figures, comparing them with the original one, and to mention the differences between the figures and the original one. The eye movements during comparing the figures were scored and called Cognitive Search Score. In hearing impaired students, movements of the eye fixation points were generally active, and total eye scanning length and mean eye scanning length were longer than hearing subjects. Furthermore, the eye movement during comparing the figures (Cognitive Search Score) was significantly higher than the hearing group. These findings indicate an enhancement of visual attention to peripheral visual space in hearing impaired students. KeyWords: Hearing impaired, Eye movements, Eye-mark recorder, Visual information, Spacious recognition