本学理学療法学専攻学生の重心動揺に及ぼす下腿三頭筋ストレッチの影響 筑波技術大学保健科学部保健学科理学療法学専攻 高橋 洋 中村 直子 要旨:弱視者は下腿三頭筋の緊張を高くすることによりバランスを保っていることが考えられた。今回下腿三頭筋をストレッチすることで重心動揺にどのような影響があるかを調べるために、本校理学療法学専攻学生27名に対しストレッチ前後の重心動揺を比較した。その結果単位面積軌跡長は測定値が非常に長くなった群と非常に短くなった群、ほとんど差がない群に分かれた。ストレッチ後、左右への変位が有意に大きくなったが(p<0.01)、前後への変位は認められなかった。下腿三頭筋のストレッチは左右の重心移動のスムースさや、バランスを崩したときの反応の早さを改善することが推定された。 キーワード:弱視者,下腿三頭筋ストレッチ,立位バランス,左右偏倚 1.はじめに  直立時の前後方向の外乱により全盲者の足圧応答が晴眼者に比べはやいとの報告がある[1]。本学保健学科理学療法学専攻学生(弱視者)46名と近隣の理学療法学科学生38名の重心動揺を測定.比較した結果、抗重力筋緊張の亢進・低下で現れる前後への変位が開眼、閉眼とも弱視群が小さかった。[2]従って弱視者は下腿三頭筋の緊張を高くすることによりバランスを保っていることが考えられた。そこで今回弱視者27名に対し下腿三頭筋をストレッチすることで重心動揺にどのような影響があるかを調べるために、ストレッチ前後の重心動揺を比較した。 2.方法 2.1 被検者  対象の概要は表1のごとくである。弱視者27名、視力右0~0.2,左0.01~0.6、視野欠損23名、中心暗点6名、鼻側視野欠損2名、輪状暗点1名、視野測定不能2名、夜盲8名、羞明13名であった。視野に関しては重複人数である。 2.2 装置・手続き  重心動揺計(stabilometer)はアニマ社のグラビコーダGS-7を用いた。当装置は非検者の直立姿勢時における足底圧の直立作用力を変換器で検出し、足圧中心の動揺を電気信号変化として出力する足圧検出装置である。解析結果に影響を与えるサンプリング周波数は20Hz(サンプリング間隔、50ms)である。  検査実施前に目的、動揺に対して安全性の確保を説明し、被検者に安心感を与えておく。検査途中で話したり、動いたりしないように説明する。被検者を検査台の中心線に一致して両足部内側をぴったり合わせ、両上肢は体側に接し楽な姿勢で閉眼にて60秒測定する。検査中、話しかけたり、指示を与えない。次に60秒間記録を開始した。直後に10cmの台に前足部をのせ、後足部を台の端から出し、ヒールレイズ(つま先立ち)5秒行い、その後踵をおろし、5秒下腿三頭筋を体重によりストレッチする。(図1)これを10セット行い、直後に重心動揺計に乗り、閉眼にて60秒測定する。ストレッチ前後の足部は同じ場所に置く。 2.3 統計処理、検査項目とその意義  統計処理は対応2サンプル平均値検定で行った。有意差検定は1%以下とした。 検査項目の定義は以下のごとくである[3]。 (1)外周面積:X-Y記録図における動揺の外周を囲む線(包絡線)で包まれる面積である。 (2)単位時間軌跡長:総軌跡長を記録時間(秒)で割った値である。 (3)単位面積軌跡長:総軌跡長を外周面積で割った値である。 (4)X軸(左右)変位:台の基準点と動揺平均中心の距離で測定する。 (5)Y軸(前後)変位:台の基準点と動揺平均中心の距離で測定する。 3.結果 ①重心動揺の外周面積は表2のごとくで、ストレッチ前後で有意の差は見られなかった。 ②重心動揺の単位時間軌跡長は表3のごとくで、ストレッチ前後で有意の差は見られなかった。 ③重心動揺の単位面積軌跡長を生データで見ると、ストレッチ前後で測定値が大きく長くなる群(13名)、大きく短くなる群(9名)、あまり変化しない群(5名)に分かれた。  3群のストレッチ前単位面積軌跡長は有意差がなかった。ストレッチ後に10%以上長くなる群13名について、平均で33.8%長くなり、前後で1%以内の有意差があった。ストレッチ後に10%以上短くなった群9名について、平均で34%短くなり、前後で1%以内の有意差があった。(表4) ④X軸(左右)変位は表5のごとくでストレッチ後、左右への変位が有意に生じた。(p<0.01) ⑤Y軸(前後)変位は表6のごとくでストレッチ後に前後への変位は認められなかった。 4.考察 4.1 下腿三頭筋のストレッチ法  筋は強い収縮の後に強くリラックスする。PNF(固有受容性神経筋促通手技)におけるHold Relaxという手技は、拮抗筋(あるいは動筋)に等尺性収縮をさせその後の拮抗筋のリラクセーションを得ることにより、動筋の自動運動域を拡大させる目的を持つ。下腿三頭筋の強い収縮後(ヒールレイズ)踵を下ろすと、より効果的に下腿三頭筋が伸張されると考えられる。下腿三頭筋のストレッチの影響を検証しやすくするために、今回強くストレッチ出来る可能性のあるこの方法を採用した。 4.2 外周面積・単位時間軌跡長  外周面積は小児、高齢者では値が大きい。また単位時間軌跡長は高齢者では動揺の大きさを増すとともに動揺速度が速くなる。今回両値ともストレッチ前後での有意差は認められなかった。弱視者は開眼時には下腿三頭筋の緊張によってバランスの悪さを補っていると考えられる。しかし閉眼では晴眼者に比較しバランスは悪くないので、閉眼時には特に下腿三頭筋を緊張させなくても十分バランスがよいと考えられる。今回はストレッチ前と後の両方を閉眼で測定したため、ストレッチを加えたことによる影響で重心動揺が増すことはなく、有意差が出なかったと考えられる。また視覚情報を遮断した条件では弱視者は固有受容器を発達させているため、十分なバランス能力を持っており、下腿三頭筋のストレッチにより更にバランスが良くなることもなかったのではないかと考えられる。 4.3 単位面積軌跡長  単位面積軌跡長は視性姿勢制御の影響が少ないパラメーターで、脊髄固有反射性の微細な姿勢制御を検査する目的があり、若年者で短く、壮年者で長くなる。個々の値を観察すると測定値が非常に長くなった群と非常に短くなった群、ほとんど差がない群に極端に分かれた。3群のストレッチ前単位面積軌跡長は有意差がなかったが、ストレッチ後に10%以上長くなった群も10%以上短くなった群も、ストレッチ前後で有意差がでた(p<0.01)。単位面積軌跡長の短くなった群は、下腿三頭筋のストレッチにより筋の柔軟性が増し重心動揺に対して反応性が良くなることが考えられる。一方単位面積軌跡長の長くなった群は普段の下腿三頭筋の長さと硬さをもとに重心動揺に対応していたのに、ストレッチによりその長さ、性状が変化した直後に測定した場合、脊髄固有性の微細な姿勢制御が混乱し悪化したことが考えられる。この個人による差がどこから生ずるのか更なる検証が必要である。 4.4 X軸(左右)変位  左右変位は迷路障害などで生ずる四肢・躯幹の筋緊張の左右差による変位の程度を検査する。加齢に伴う一定傾向の変化は認めがたい。今回ストレッチ後、左右への変位が有意に生じた。(p<0.01)重心を横に移動させると重心の移った方の下腿三頭筋は収縮する。下腿三頭筋が硬い場合横への重心移動は少なくなると考えられ、その長さ、柔軟性が増すと重心の横への移動を容易にし、その結果ストレッチ後左右への変位が大きくなったと考えられる。このことは左右への重心動揺をスムースに素早くすることが考えられる。日常生活では静的な状態で姿勢を保たなければならない場面は多くなく、ほとんどはスムースに素早く動作が出来るかが問題となる。そのため硬い下腿三頭筋は横方向の動作のなめらかさやバランスを崩したときの対応の素早さを阻害すると考えられる。 4.5 Y軸(前後)変位  前後変位は抗重力筋緊張の亢進、低下で現れる姿勢異常による前後への変位を検査する。ストレッチ後に前後への変位は認められなかった。普段直立と感じる姿勢の前後方向の位置は個人によってある程度決まっていると考えられる。また姿勢の矢状面での対応は足関節だけでなく、膝関節、股関節、体幹でも生じている。[4]ストレッチ後に足関節での変化が生じても普段感じている直立姿勢になるために、足関節より上の部位が対応した結果、前後への変位は認められなかったと考えられる。 5.まとめ  以上から弱視者に対して、下腿三頭筋のストレッチは左右への重心移動のスムースさやバランスを崩したときの反応の早さを改善することが推定される。 文献 [1] 中田 英雄、横山 智恵他:盲人の直立姿勢保持能力と補償機能.バイオメカニズム学術講演会予稿集17:233-234,1996. [2] 高橋 洋、鶴巻 俊江、山名 隆芳、高田 祐:弱視者の立位バランスの特徴.筑波技術大学テクノレポートVol.14:165-168,2007. [3] 時田 喬:重心動揺検査.pp3,アニマ株式会社,東京,2002. [4] 山嵜 勉編集:整形外科理学療法の理論と技術.メジカルビュー社,東京:172-184,2001. Influence on Standing Balance by Calf Muscle Stretching to Students of Physical Therapy Course at our University TAKAHASHI Hiroshi and NAKAMURA Naoko Physical Therapy Course, Department of Health, Faculty of Health Sciences, Tsukuba University of Technology Abstract: It is believed that people with low-vision maintain their standing balance by improving the tone of their calf muscle. We measured and compared the changes in standing balance of 27 low-vision people, before and after stretching, in order to investigate the influence of calf muscle stretching on balance. Track lengths of unit area were split into groups of long numerical values, short numerical values and similar numerical values. Change in lateral balance increased significantly (p<0.01), but there was no change in back and forth balance after stretching. It is suggested that stretching of the calf muscle improves shifting the center of gravity to the right and left, enabling a smooth and quick response when test subjects lost their balance. Keyword: Low-vision people, Calf muscle stretching, Standing balance, Changes in right and left