韓国訪問学生研修による新たなる発見-学生の報告書を中心に- 総合デザイン学科 劉 賢国 平根 孝光 金田 博 要旨:本学において初の試みである韓国訪問学生研修。そこでの学生の新たなる発見を、彼らの報告書を中心に生の声をまとめた。とりわけ、韓国の障害者教育の現状と教育環境、施設、情報保障等々、また、学生が感じた韓国社会のイメージ、日本と韓国との相違と想似について、若い感性で受け止めた感想が興味深い。 キーワード:国際交流、聴覚障害教育、情報保障環境 1.はじめに  アジア地域の聾教育は今日まで、各国が独自に進めてきている。しかし、各国が必要とする真の聴覚障害教育を実現するためには、各々の国情の違いを超えて共有できる教育理念が必要である。そのためにはまず各国の相違を発見することが必要であり、それは、お互いに各国の聾教育を理解することに繋がるのである。隣の国を知り理解しておく国際的な感覚が必要になる。そして、特殊教育の領域においても、国際間の比較により、段階的に分類することが大変役に立つ。  これは単に国内だけで行うものではない。実際の聾教育の実施するためには、国民の共感を得られる質の高い教育へと移すカリキュラムの作成及び質の高い教員養成などの実に難しい問題が多い。そこでアジア地域で必要な専門性の高い聾教育のためには、まず、その一歩として隣の国を知ることによって我々の現状を把握することが重要である。  我が国と大韓民国との聴覚障害教育機関ならびに聴覚障害関係団体の相互の交流は近年活発化しており、本学においても国立再活福祉大学、ナザレ大学との間で大学間交流協定が締結されている。今回はこの両校と大韓民国でもっとも最先端の政府機関である韓国国立特殊教育院などを訪れる機会を得、施設見学ならびに特に両国の学生が情報交換することができた。各校の状況は以下に述べる通りである。 2.期間 平成20年3月23日(日)~1月28日(金) 3.訪問先 ・1月24日(月)ソウル福祉施設と伝統施設など ・1月25日(火):韓国ナザレ大学 ・1月26日(水):韓国国立再活福祉大学 ・1月26日(木):韓国国立特殊教育院、国立先進特殊学校(自閉性障害者) 4.本学が持参した資料 ・筑波技術大学概要集とDVD ・冊子「視覚・聴覚障害者のための情報保障環境」 5.韓国大学訪問の経緯  本学における国際交流委員会の取組として実現した韓国大学訪問は、筑波技術大学が4年制に移行した後、初の国際交流会であった。当時は、4年制大学に移行したことで、これまでの18年間の3年制短期大学での障害者高等専門教育についての改善など残された課題や、聴覚障害者における教育問題の拡大などの新たな課題、専門教育の水準の低下を防止する施策等、教育環境の確保について対応討議すべき課題が山積する時期であった。  このような中、平成18年3月の韓国訪問は、諸先生方には御協力を仰ぎ、本交流会について学生に一人一人に不十分ながらも説明をし、学生交流会に向けての方向性を共に模索していただいた。その結果、両国の参加者は交流会準備をすすめることとし、準備作業をすすめた。そして慌しくも濃密な準備期間を経て、当日を迎えた。  本交流会においては、両国の最先端を行く聴覚障害者の学生が教育環境・情報保障などに関する主要課題についての熱い討論や質疑応答なされ、異なる生活文化や考え方の接触の中から新たなる発展が生まれることを期待する議論が進められた。そして今般、その報告書を取りまとめるに至った。 6.韓国研修訪問後の学生の報告書 6.1 産業技術学部 産業情報学科 2年次 氷室 智沙子  はじめに、韓国という国は仁川空港からソウル市街までは日本の海辺や農村と変わらないような気がした。この分ではソウルもおそらくは東京に似ているのかもしれないなと思った。が、いざソウル市街に入ると建物はとても高く、日本を思わせる雰囲気をかもし出していた。これから訪れる大学も日本の大学のように10年前みたいな感じなのか、それとも……、と思っていると、予想を見事に裏切られたのだった。  二日目、三日目のナザレ大学、再括福祉大学を訪れたとき、私が思ったのは日本の普通の大学より、障害者の生徒数が多いのではないか、ということだ。筑波大学や島根大学など情報保障がしっかりしている大学の場合はこの二つの大学と同じくらい障害者の人数が多いかもしれない。また、駅などをよく見れば、エレベーターや電光掲示板が必ず設置され、電車内でもつくばエクスプレスのように次に止まる駅を教えるテロップが流れて聴覚障害者に分かるようになっていた。そのことから、ユニバーサル面が進んでいるような気がした。  今回の研修にてたずねた両方の大学は共通点があったというよりも似通っていた。  それは、必ずトレーニングジムがあること、一般の大学であるのに当然のごとく、聴覚障害者に対してはパソコン通訳者と手話通訳者が必ず付いていたこと、寄宿舎においても勉強面においても障害者に対して健常者が介助をする、聴覚・視覚障害者のみならず肢体障害者、知覚障害者など様々な障害を持つ学生がいるところ、それぞれの障害者のために段差をなくすなどのユニバーサル化を進めているところである。それと、手話通訳科という名の学科があるということである。  そのなかで、聴覚障害者に対する情報保障は、ナザレ大学では一つの講義に対して手話通訳者とパソコン通訳者が一人ずついた。また、再括福祉大学においては手話のほうがいいという学生には手話通訳者が、手話よりも文字のほうがいいという学生に対してはパソコン通訳者がそれぞれ対応していた。この再括福祉大学において、援助がほしい障害者が手話を理解しているかどうかでパソコンか手話のどちらかの通訳者が一人ついて対応していたのが、すごいと感じたが、パソコン通訳者や手話通訳者が先生の話していることを間違いなく、正確に伝えていた。その時、文章のミスの修正が見られなかったからである。韓国ではパソコン通訳者のために、専用のキーボードがあり、そのキーボードで、左手が子音、右手が母音(または逆だったかもしれない)というようになっており、通常のキーボードよりも早く文章が表示されるという。そのキーボードで通訳をした時に日本とは違って、一分以上のタイムラグがないまま文章が表示されていた。  日本ではパソコン通訳をした時に、ミスがあったとき、一回その文章を消して訂正したりするから、やはりタイムラグが存在してしまう。また、ミスを無視してそのまま進めたら、おそらく聴衆は理解できない可能性があるのに、韓国ではそのような修正が見られなかった。また、日本では二人なのに、韓国では一人ですべて通訳をしてしまうのが違うところのように思えた。日本ではなぜ、韓国のように子音と母音が左手と右手でそれぞれ打つキーボードがないのか、またはパソコン通訳者がミスしてもパソコンのほうが修正してくれてそのまま進められるようなシステムになっていないのだろうかと思った。  筑波技術大学においては大学にいる先生は手話を使って手話通訳者なしでしているという点では、先生の話を集中して聴くことができるのはいい点だと私は思う。なぜなら、私の場合は手話通訳者がいると、先生の話が理解できないとき、手話通訳者を見なければならず、しかし、先生のほうでも進めているから、結局どっちを聞けばいいのか、見ればいいのか分からない、何を話しているのかわからないというときがたまにある。  両大学の共通点として、手話通訳科がおいてあったのだが、日本では手話通訳科のある大学というのは聞いたことがなかった。日本で手話通訳者を目指すときは、専門学校がほとんどである。これもまた、韓国が障害者に対する教育に対して先進的な考えを持っているという表れではないだろうか。  寄宿舎や学内においての障害者に対する介助についても同じ健常者の学生が当たり前のようにおこなっており、大学側も肢体障害者のためにスロープのとり付けや段差をなくす、聴覚障害者のために電光掲示板をつける、といった対策がされていた。パソコンに関しても、肢体障害者のための特殊なキーボードや補助装置があった。  この研修を通して韓国という国は日本より遅れているようなイメージを持っていたが、障害者補助の面や――ユニバーサル面で進んでいることに驚かされた。手話通訳科しかり、情報保障しかり、である。日本も韓国のようにユニバーサル化や障害者に対する教育方法が進まないだろうか、ということである。また日本の大学においても(全ての大学を見たわけではないので何とも言えないのだが)情報保障や障害者補助のユニバーサル化が進んだらいいと思った。  私は情報システムコースに進んだが、将来、障害者補助やユニバーサル化に関する仕事についたら、この研修にて得た経験を生かし、日本のユニバーサル化や情報保障制度の促進に貢献したいと思っている。 6.2 産業技術学部 産業情報学科 2年次 諸方沙織  今回、学生6名(2年生2名、1年生4名)と先生方3名で韓国へ研修旅行に行った。  私は、海外に行くことが初めてだった。韓国は日本からとても近い国であるが、一歩足を踏み入れてみるとまったく違う国だった。  私達が最初に訪問したのは、ナザレ大学である。ナザレ大学は聴覚障害者だけでなく、視覚障害者、肢体障害者など様々な障害を持った人が通っており、また、健常者もいるのだ。私達の大学は、聴覚障害者、視覚障害者だけなので、ここでまず大きな違いを実感した。ここでは、障害者にとって使いやすい、いすやキーボードなど様々な物を開発している。実際に見せていただいたが、私が今まで見たことのない形のいすやキーボードが並べられていた。次に、授業風景を見せていただいた。私達の学校では、先生が手話やOHP、板書など様々な手段も用いて授業を行っているが、ここでは違っていた。講義をする先生がいて、それとはまた別に手話通訳をする人や、ノートテイクをする人がいた。私達の大学の先生のすべてが完璧に手話をできるというわけではない。だから正確な情報が入ってこないこともしばしばある。それを考えたら、ナザレ大学のような授業方法のほうがより理解しやすいのではないかと思った。ただ、一つ問題が起こりうるのではないかと感じた。それは、学生が手話通訳者に注目しすぎて、講義をしている先生にまったく目を向けなくなるのではないかと思う。しかし、私が見学していたときは、ちょうど課題をやっていたのでその様子を見ることができなかった。そして、障害者センターに行き、ある部屋を見て驚いた。そこは、講義を行うであろう部屋で、パソコンが並べられており、カメラが設置されていた。それぞれの席の手元にボタンが置いてあり、それを押すとカメラがそこの席に近づき、それが前方の大画面に映し出された。それによって、今誰が発表しているのかわかるし、手話もはっきり見えるだろう。実際にここで講義を行っている様子を見ることができなかったのが残念である。この部屋の後方には別の部屋が3つ程あった。そこで通訳を行っているそうだ。それぞれの部屋で通訳するので、同時通訳ができるのである。これほど技術が進んでいて、正直驚いた。  施設見学が終わったあと、ナザレ大学の聴覚障害者との意見交換及び交流をした。まず、感じたのが日本の手話と韓国の手話は似ているということだった。後から聞いた話だが、昔、日本の手話が韓国に伝わったそうだ。だから、昔からある手話は日本と意味が同じで、最近作られた手話はまったく異なっていた。また、韓国の学生はとても積極的でいろんな質問をしていて感心した。それと同時に質問できない自分が恥ずかしくも思えた。それでも、韓国の学生と交流することができてよかった。  次の日、再活福祉大学を訪問した。ここでは、手話通訳に関する授業を見学した。そのクラスに聴覚障害者が2人いたが、一人は手話ができるので、手話通訳者がついていた。もう一人は、手話ができないのでパソコン要約筆記がついていた。このように情報保障の面ではとても充実していると感じた。  今回の韓国旅行を通じて一番感じたことは、情報保障の面でとても優れているなということだった。私達の大学では、パソコン要約筆記はあるものの手話通訳はない。手話がわからない生徒もいるのでパソコンを使用しているのかもしれないが、どうしても先生の話とのずれが生じるため時々理解が難しい場合がある。これから、学生の意見も聞きながらよりよい情報保障ができるようになれば本学ももっと発展するだろう。今回の研修で学んだことをみんなに伝えるとともに生かしていきたいと思う。 6.3 産業技術学部 産業情報学 3年次 渡邉好行  はじめに、私が今回の韓国姉妹協定校との国際交流に参加した主な理由を2つ記す。1つは、外国の人たちと交流をし、視野を拡げたいからである。昨年、筑波技術大学主催の北欧研修旅行に参加してきた私は、様々な国の聴覚障害者と交流をし、各国のろう教育の現状を学びたいと思うようになった。もう1つは、授業参加を通じて交流を深められるという点に魅力を感じたからである。  国際交流は、3月24日から28日まで4泊5日の日程で、教職員3名、学生6名、合わせて9名の参加者で行われた。事前に、韓国の手話と日本の手話は6~7割が似たようなものであると聞いていたため、本当だろうかという気持ちを胸に、積極的にコミュニケーションを取ることを一番の目標とした。  韓国では最初、交流協定締結校であるナザレ大学を訪問した。ナザレ大学に入ってまず受けた印象は、敷地が本学と比べものにならないくらい広く、ほとんどの建物が新しく綺麗なものばかりであるということだ。大学では学長の表敬訪問後、デザイン学科を見学させて頂いた。デザイン学科の学生の中には、昨年、本学を訪問したという学生が何人かいた。そのため、日本の手話で自己紹介をしてくれた学生もおり、親近感を覚えた。こちらも、通じるだろうかという気持ちで日本の手話で自己紹介をしたところすんなりと通じ、そこでコミュニケーションがとれることの喜びを味わった。その後は授業見学だったのだが、そこで日本では考えられないような光景を見た。それは何かというと、先生の話す音声言語を手話に置き換える手話通訳者が教壇の真ん中で椅子に座りながら通訳しているのだ。先生はというと、生徒の間近におり、生徒の描く絵を見て指導をしているのだ。デザイン関係の授業ということもあり、生徒の描く絵を見ないことには指導できないため、そのようなシステムになっていることも考えられる。ただやはり、手話通訳者が教壇の真ん中で椅子に座って通訳をすることは日本では考えられないことだ。実をいうと、これと煮たような光景を昨年の北欧研修でも目にしたことがある。そこでも聴覚障害学生がいる講義で、手話通訳者が教室の真ん中に3人座っているのだ。ここで、韓国に来て初めて日本との差を感じた。日本はどちらかというと手話通訳者はあくまでも通訳という立場であって、補助的なものであるという考え方が強い。韓国や北欧の場合は、手話通訳を補助的なものとして捉えないらしく、先生と手話通訳者が対等な立場に立つことができる。つまり、手話通訳者は何の引け目もなく、堂々と通訳が出来る。デザイン学科の2つの授業を見学した後は、学生が生活している宿舎を見学した。宿舎は、障害学生とボランティアの学生が2人1組で生活していた。ボランティアの学生は、障害学生と同じ専攻の学生としているという。これによって、互いに助ける・助けられることの重要さを学ぶことができ、この方法はいい方法であると感じた。宿舎見学後は、学生との交流会。自分が現在学んでいることを日本から持ち込んできた資料を使って紹介し、質問しあった。時間の都合で、残念ながら十分交流できたとはいえないが、夕食を共にすることになった。夕食では運が良く、中国からの留学生2人と一緒のグループになった。つまり、一度で韓国の学生、中国の学生と交流をしたということだ。私の隣には本学で学んでいる中国の学生が座り、その学生は日本の手話・中国の手話ができる。よって、私のグループは日本の手話・韓国の手話・中国の手話と、3つの言語が飛び交った。ナザレ大学を訪問したことで、韓国の手話・中国の手話に触れ、貴重な経験ができたと同時に、ナザレ大学の学生の明るさに元気をもらった。  2日目に訪問した再活福祉大学は、全学生の37%が障害学生であるという国立大学である。障害学生はボランティア学生にサポートしてもらって勉強をしているという。また、国立大学であるということから、国内の障害学生を支援しているらしい。それだけでなく、地域の障害者も支援しているという。統合教育の方式を取り入れており、学生の生活や、就職(場合によっては再就職)など将来に関わることも手厚くサポートしている。この大学では年1回、全学生を対象に能力テストを実施し、一人ひとりの学生のニーズや能力に応じて、サポート内容を変えているという。宿舎も障害学生が使いやすいように、部屋をはじめ、風呂や階段などを改善してあった。それから、2年前に新たに遠隔サポートセンターが設置され、これからは遠隔装置を用いた授業ができることを目標としているらしい。  3日目に訪問した特殊教育院は、教材の開発・普及をしている所である。現在は教育システムの情報化を進めている最中だという。また、教職員は数日間の研修を受ける義務があるらしく、教科指導や、どのように指導したらよいかなどを研修するという。受講後は試験を受け、不合格となった場合は再度研修を受ける必要があるというシステムに驚いた。逆に言えば、このようなシステムがあることで、韓国は優秀な人しか教職員になれず、よい教育ができるということになる。それから、韓国は聴覚障害児に対し、様々な助成があるらしく、本来300万かかる人工内耳手術費用を250万円助成するという一例を教えて頂いた。そして、学校の設立状況についても伺った。韓国でも、日本と同じように特別支援学校という呼び方をするらしく、国立1校、公立4校、私立19校合わせて24校あるという。聴覚特別支援学校は小学部までは口話法で教えるというのが主流だという。  今回の韓国姉妹協定校との国際交流では、わずか一部分であるが、韓国の聴覚障害教育に触れ、かつ学生と交流ができてよかった。言語の壁はあったが、やはり聞いていたとおり、日本の手話と韓国の手話は似ているところが多く、非常に面白かった。しかし、交流の時間が短かったことが残念でならない。時間が短かったことで、聴覚障害教育や、各大学の教育などもっと知れた部分があったのではないかと思う。  最後に、今回の研修にご協力頂いた、ナザレ大学、国立再活福祉大学、特殊教育院、先進特殊学校に感謝の意を表すとともに、引率してくださった劉先生、金田先生、平根先生にお礼を申し上げたい。 6.4 産業技術学部 総合デザイン学科 2年次 丹羽道子  私にとって今回の韓国国際研修は、初めての海外であり、初めての韓国だったので色々な影響を受けながら、とても刺激的なものになりました。特に印象に残ったものや、感想を日程順に述べたいと思います。  まず、韓国に入国する際に見えた飛行機からの韓国の景色は、緑が少なく、日本よりも空気が濁っていて澄んで見えない、幅の広い川が多いので橋も多い、という印象でした。仁川(インチョン)空港に着いて飛行機を降りる時に使用したボーディング・ブリッジ(搭乗ブリッジ)は珍しく全面ガラス張りだったので、自分が乗っていた飛行機の姿や、仁川空港の様子が良く見る事が出来ました。  韓国の気候は5度くらい寒く、中国に近いからか湿度が低く乾燥している上に少し埃っぽいような感じでした。交通便はバスやタクシー、電車、地下鉄、新幹線などがあり、日本とあまり変わらないようでした。人々は、バイクや自転車をよく使用しているようで、後ろの荷物を乗せるところが広く作られていたり、大量の荷物を持って走っていたり、日本では禁止されている2人乗りも沢山見られ、どこか懐かしいような感じがしました。ただ交通マナーは非常に悪く、人よりも車優先であり、信号無視などもしょっちゅう見かけました。そこで気付いたことは、「交通マナーが悪いから事故が頻繁に起こりやすい」のではなく「悪いからこそ常に注意」が出来るので、逆に事故が少ないような気がしました。  次に大学訪問についての報告に移ります。  まずナザレ大学ですが、寮の部屋は障害者と健常者の2人部屋だそうです。エレベーターが設置されている、室内のドアは全て自動ドア、照明器具はリモコン操作など車椅子の人に対するバリアフリーが目に入りました。細かいところでは、非常時のお知らせはランプと音であること、防犯システムを管理しているのはセコム社であることが分かりました。授業面では、授業内容を分かりやすく伝える為に、パソコンと教卓が合体した机を使ってスクリーンにパソコンの映像をそのまま映し出しながら実演する方法や、手話通訳の人を一番前に生徒と向かい合わせになるように座らせて先生は動き回って生徒の進行状況を見るなど、独自の方法で情報保障を補っていました。また、障害者の生活面を支える為の道具や学習ソフトの研究開発にも携わっている為、ユニークな道具を沢山見ることや、聴力検査や鼓膜の検査、発音を練習するための機器など特殊な機器も沢山目にする事が出来ました。ユニバーサルデザイン学科の2年生とは、交流会だけでなく食事も一緒にさせていただきました。ナザレ大学の学生達はとても明るくフレンドリーで陽気な人ばかりだったので、人見知りの私も会話に夢中になることが出来ました。  次に訪問した韓国国立再活福祉大学は、建物の構造などが本学に似ているような気がしました。特に教室や、授業の情報保障は似ているなと思いました。情報保障は、手話通訳やパソコン通訳など、個人の求める方法に柔軟に対応を行っているようです。また、遠隔通訳を行う為の施設を新しく作っており、完成したばかりのところを見学させていただきました。個室が4つあり、4つ同時にリアルタイム通訳を行うことが出来るそうです。本学と大きく違うのは、障害者だけの大学ではなく、障害者と健常者が一緒に学ぶ仕組みになっているところで、私としてはその方が健常者にとって、より刺激を得ることが出来るので良い体験や勉強になるだろうと思いました。学生寮は、日本では北海道でしか見られない2重窓になっていて、防寒対策がしっかり出来ていました。エレベーターの上には電光掲示板が設置されており、随時情報を得ることが出来るようになっていました。室内は2人部屋が3部屋集まって1つのユニットを構成しているようです。私が見学させていただいた所は車椅子の生活者の為の部屋だったので、車椅子に対するバリアフリーが充実していました。例えば、洗面台や靴箱が低い、洗面台にシャワーがあるのでシャンプーができる、段差が少ない、テレビが低い位置にあるなどが見られました。家具はほとんど木製で、床も木目模様のフローリングになっており、落ち着ける空間になっているなと思いました。  韓国特殊教育研究院では、現在の障害者教育方針などの詳しいお話を聞かせて頂きました。韓国の特殊学校は、聴覚、視覚、身体と心、知的など5つに障害の種類を分けて学校を作っているようです。なので、聴覚障害を専門とする学校は聾学校と見ても良いと思います。聾学校の数は日本よりは少ないようで、また、場所も都会に集中していて地方は少ないそうです。日本の義務教育期間は、健常者・障害者ともに中学校までですが、韓国は分かれており、健常者は中学校までであり障害者は高校までだという義務教育の違いに驚きました。また現在は、小学校は口話中心、中学校からは手話を教えるというやり方を統一してやっているそうで、日本の教育方針と似ていると思いました。  韓国先進特殊学校は、幼稚園から小学校までの、主に知的障害を持つ子供たちが通っているところだそうです。なので、教室の案内板にとても分かりやすくて可愛いイラストが描かれており、ここが何の為に使われる教室なのかが一目で分かるように工夫されていました。また、クラスの教室には5、6畳ほどのベランダがあり、園芸などを楽しめるようになっていました。宿舎もあり、子供たちに1人で自立した生活が出来るようにという工夫がされていました。先生が付き添って泊まるそうです。  韓国はデザイン面で最近発展してきているのですが、色々なところを巡ってみると各国の良いものを寄せ集めてぐちゃぐちゃにした様で、自分の国らしさを出せず、且つ整理しきれていないように感じました。韓国はこれから色々変わっていきそうな国だなと思いました。 6.5 産業技術学部 総合デザイン学科 中村祥子  今回の韓国研修旅行に行きたいと希望した動機のひとつに、韓国ではどのような障害支援が行われているのかを知りたいという気持ちがあった。障害をもつ乳幼児・学童・学生に対してどのような教育が行われているのか。また、韓国の街中はどのようなつくりになっているのか。今回の研修旅行で、わたしはそういった点を特に観察してみた。まず、韓国に住む障害をもつ児童・学生に対しての教育については、主に、4日目に訪問したアンサン市にある韓国特殊教育研究院で情報を得ることが出来た。  先天性として障害をもって生まれた子にとっては、生まれてすぐに様々な対処をとることが大切になる。実際に、生後すぐに聴力維持に努めてきた子と、生後2・3年ほど経ってから聴力維持に努めはじめた子とでは、前者の方が後々の聴力維持のレベルが高い傾向にある。韓国の法律には、生まれてから1歳になるまでの間の支援や保障は無料で受けることができるというものが制定されている。この法律は、障害をもつ子が生まれたときに、金銭面で悩むことなく安心して保障を受けることができるすばらしいものだと考えた。  また、日本では、保育士や幼稚園教諭、小学校教諭などの資格により、それぞれの生徒の年代にあわせた教育ができるよう、教諭への特殊指導を行っている。韓国も、同様にそれぞれの生徒の年代にあわせた教育についての特殊指導を行っているということがわかった。  わたしは、高校時代に福祉系の授業を受けたことがある。また、ボランティアや、訪問介護2級の資格をとる際の実習で、特別養護老人ホームや、知的障害児通所施設を訪れ、施設を見学し、利用者の方々と触れ合った経験がある。韓国でも、様々な障害をもつ児童の施設を見学し、自分自身の経験と照らし合わせてみた。  日本では、年齢やその子のもつ障害の重さによって、5・6人のグループでクラスを編成し、そのクラスで生活を共にするのが一般的である。韓国も同様な方法をとっていると、見学に行ってわかった。  日本と韓国の、障害児教育には、共通した点もたくさんあるということがわかった。  観光で街を歩いているとき、おもしろいものをいくつか発見した。それについて、ある先生にいろいろと教えていただいた。  ひとつは、ゴムも合成されて出来た道である。その道はやわらかく、歩く人の足の負担を軽減してくれる。そのゴムで出来た道はまだ一部にしかなかったが、もし道のほとんどがゴムで出来た道になれば、高配の方や足に障害を持つ方でも、歩きやすくなるのではないかと考えた。日本ではまだ見かけたことはない。もしかしたらどこかにはあるかもしれないが、わたしはまだ知らない。  もうひとつは、車内のほとんどがステンレスで作られた電車である。イスも、ドアも、つり革も、ほとんどの部分が、ステンレスで作られている。そう言うと無機質、冷たい、という印象をもつかも知れないが、それは座りやすいイスの形など、デザインがカバーしてくれている。なぜステンレスで作られているのか。大きな理由に、手入れが不要だから、ということが挙げられるそうだ。布製のイスだと、あたたかみもあるが、その分手入れも大変になる。  韓国には、日本ではなかなか見ることのできないおもしろいものがたくさんあった。  しかし、韓国でも問題点は当然ある。  街を歩いている中で、段差や道のひび割れをたくさん見かけた。韓国や日本に限らず、どこに行っても歩く人にとってやさしくない道というのはあるものなのだ。道に落ちているごみも、少なくはない。昔よりは改善されたそうだが、清潔な街というにはまだ程遠い。  いくら一部のものを改善、改良したとしても、その他の大きな部分がほったらかしになれば、どこかで人はつまずく。もっと良い街にするためには、良いものだけにとらわれず、何を改善するべきなのか、何を作るべきなのか、それをしっかり踏まえた上で考えていかなければならない。今回の韓国研修旅行の短い期間の中で、わたしは様々なものを発見した。その経験を生かしてこれからも国内国外を問わず、人々にとってやさしい暮らしをデザインできるように頑張っていきたいと思う。 6.6 産業技術学部 総合デザイン学科  楊 潔  私達は3月24から28日までの五日間で韓国の大学との交流のため、学生6人、先生3人で一緒に韓国へ行きました。今回私にとっては始めての外国への旅でした。行く前からの準備の段階からずっと緊張していました。日本と中国のことはよく知っていますが、韓国のことはあまり知らなくて、いろいろ想像しながら不安もありました。  一日目の24日の午後、韓国の仁川空港に着いて、タクシーに乗って道なりの風景や建物などをながめながらきれいだと思いはじめた。それから夕食はたっぷりなおいしい韓国本場の焼肉を食べました。満腹になった私達は市内の夜景の魅力にさそわれて、写真を撮ったり、見物したしていました。楽しくて来るまえの不安もきえてしまいました。大学に入ってから、もう1年になった今日は、初めての外国、初めての同級生との夜の見物で、夢のような忘れられない24日の日でした。  その次の日から大学の見学や大学生との交流などを行いました。韓国の大学もきれいで、設備も整って、私達の大学と同じような少人数教育している大学である。想像もできなかったことは韓国の大学で、中国人の留学生にあったことはすごくびっくりして興奮しました。彼女達に会ってしばらく中国の手話を使っていなかったが、その日、たっぷりつかいました。たくさん聞かれたり、聞いたりしていました。韓国の大学は留学生を取り入れる制度のこの点については、日本の私達の大学よりすすんでいるではないかと思いました。日本の普通の大学では留学生がたくさいますが、その交流も各方面ですすんでいると思います。障害者の交流も普通の大学と同じようにもっと交流すれば私達の視野や情報ももっと広げていくと思います。  もう一つ感じていったのは、韓国の方のやさしさです。どこに行っても、笑顔に迎えてくれました。言葉は人にとっては大切であるのは当然であり、コミュニケーションやふれあいの工具である。しかし人の心のあたたかさはもっと大切だと更に感じました。私は中国の手話と日本の手話(半熟な)ができますが、韓国の手話はまったくできなくて、人との交流やつきあうことも苦手の私は、この五日間、たくさんの韓国の大学生と話したり、写真を撮ったりして、忘れられない日を過ごしました。  韓国と日本、中国はアジアにある近隣であり、その外観からも親密感があります。今まで、韓国も漢字を使う国とずっと思っていましたが今回韓国に行って、今回もらった記念品の「韓国の仮面」に漢字がかかれていたが、ほかの物や教材などは漢字を使っているところは、あまり見当らなかった。すごく驚いた。子供の時学んだ歴史や社会の中で、韓国も漢字を使っているという印象が強かった。母にきいて、以前韓国は漢字を使っていったが、(以前の資料などはほとんど漢字だったようです)いつ使わなくなったか分からない。韓国の小、中、高、大学では漢字を勉強しない?もしそうであったら、歴史の資料を読めないではないのかということに関心を持っています。  この旅は私の始めての体験であり、興奮した旅でもある。帰ってきた二週間もたったが韓国のことがいつもあたまに浮かび、とった写真も数えられない回数で、見ていました。また韓国に行きたい、もっと交流したいと思っています。本当にたくさんの勉強ができ、面白かったです。いい旅でした。 学生交流において自分の紹介(専門、専攻)している風景 4.今後の課題と展望  今回の日韓学生交流会において、韓国の姉妹大学と本学と共に準備して無事、実現された。振り返ると、短い準備期間やお互いの文化理解不足による様々な障害に直面することが多かった。特に意見交換会においては、日韓2カ国語の通訳と日韓の手話を相互に対応しながらも実現した。それゆえ、日韓間では通じても簡単に英語や手話にできないまさに言語の壁問題に本プロジェクトが直面した。韓国側の通訳においてはハングルで一般の韓国人が気にしないような基礎的問題でも翻訳では困難を要する避けられない問題であった。  さて、障害者教育を専門にする立場において本交流会は、日韓の両国における教育の現状や研究方向性、また、専門知識を共有することもできたという成果があった。  こうした日韓学生・教員の交流会は、複数の目標を提示してくれる。重要であるのは、ネットワークを築き、持続すること、そして、すべての参加者が等しく発言権をもつ議論の場にすること、互いの研究に関心を見出すこと、そして駆け出しの若い研究者や学生のための交流の場を提供することである。 New Discovery through the Visit to Korea Training Program-Based on Student Reports RYU Hyun-Guk, HIRANE Takamitsu, KANEDA Hiroshi Department of Synthetic Design Tsukuba University of Technology Abstract: The Visit to Korea Training Program is the first trial in this university.I had a new discovery of the students there, based mainly on their report.I recall the differences of the present conditions and education environment, institutions, information assurance of Korean society which the Japanese students felt, especially regarding the differences in disability education in Korea and Japan, and My report is based on my own feelings and experience. Keyword: Korea, disability education, training program