保健科学部における教員相互の授業参観への一考察 筑波技術大学障害者高等教育研究支援センター 加藤 宏 要旨:保健科学部の「教員相互による授業参観」は平成20年度全学期実施で全授業の原則公開が達成された。20年度の実施状況と事後アンケートの結果から事業の課題を考察した。あわせて教員の成長と教師論の観点からFDとしての参観の意義を考察する。 キーワード:教員相互の授業参観、FD、大学教育標準化、教師論 1.はじめに  高等教育における教育の質の保証問題が注目されている[1]。質を高めるための取り組みに関する情報は氾濫し、取り入れられべき手法はすでにほとんどの大学で実践され尽くしている感すらある[2]~[4]。FDについては19年度の大学院設置基準に引き続き、平成20年度からは「教育改善のための組織的な取り組み」が大学設置基準により学部レベルで義務化された1)。保健科学部では授業改善の取り組みとして「学生による授業評価」と「教員相互による授業参観」を実施してきた。加藤ら[5]では、保健科学部での教員相互授業参観事業を紹介し、その経緯と現状における問題点等を考察した。5年間の実践を経て、授業参観はすでに倦怠期ともいうべき見直しをせまられていることが明らかとなった。平成20年度ははじめて学期ごと、年2回の実施に踏み切った。本論では授業を通しての大学教員の教師としての成長と教育の質の保証の問題という観点から授業参観という取り組みの課題と今後について考察する。 2.保健科学部の「教員相互による授業参観」 2.1 「教員相互授業参観」の歴史と実績  保健科学部における「教員相互による授業参観」の取り組みは、平成12年5月にFDの一環として図書館のラウンジ・スペース及び図書資料を活用した理学療法学科(当時)授業の取り組みが研究授業として公開されたのが始まりである。同年度には受験生等対象の模擬授業の公開もスタートしている。  平成13年度以降は受験生に向けての「授業公開」は12月実施が恒例となった。平成14年度からは「授業公開から教員相互の授業参観へ」と視覚部FDの大きな転換点となった。「公開し評価を受ける」から、教員同士が「お互いを観ることから学ぶ」への転換である。  平成15年度以降は部の教務委員会の中のWG体制のもと本格的にFD事業化された。学期中2週間の期間を設け、原則全授業を公開とした。実施初年度においては80%以上の教員が公開側または参観側として参加した。19年度までは年1回の実施であったが、20年度は初めて各学期実施の年2回体制となった。  20年度の実施計画は保健科学部教務委員会において年度当初に毎学期実施が決定され、保健科学部教授会で決議された。実施は授業参観WGが担当した。20年度の実施計画にあたっては、取り組みが形骸化しており見直しかFDとしての新たな展開が必要との意見も出されたが、20年からの学部FD義務化も後押しして「学生による授業評価」とセットで毎学期・全科目の原則実施が決まった。  これによって、保健科学部で実施されている全授業は非常勤による授業を含め公開期間中の原則公開体制ができた。平成20年度は4年生対象の授業はまだ開講されてないため、設置審に届け出たすべての授業の公開が達成された訳ではない。 2.2 授業参観実施プロトコール(20年度)  筑波技術短期大学時代および保健科学部での「教員相互による授業参観」の手順は[3]に詳しいが、以下は20年度実施時に一部修正されたものである。 (1)年度当初に保健科部教務委員会で年間計画を決め、授業公開WGと教務係において、試験期間・学内諸行事等を勘案して学期ごとの公開実施期間(原則2週間)を決める(保健科学部教務委員会)。 (2)実施1月前をめどに教員および学生への期間中の授業の原則公開の告知と協力の呼びかけ(学部長)。 (3)実施期間中の開設授業の事前確認。受講者ゼロ、教室・開設時間等に変更のある授業の調査(教務係)。 (4)全教員に期間中に開設されているすべての授業曜時限・教室・担当教員の一覧表を配布し、参観希望者は参観希望授業を記入し教務に回答(教務係・教員)。 (5)授業ごとに「参観希望者名」を示した全授業一覧表と実施要項を全教員に配布し、参観する側とされる側に参観予定者と参観日時を示す(教務係)。 (6)学期試験や授業評価と重ならない各学期中2週間の相互参観の実施(教員) (7)参観を申し込まなかった教員も含め全教員を対象とした事後評価アンケート(無記名)の実施(授業公開WG・教務係) 3.20年度参観事業実施実績について 3.1 参観事業に参加した数、実施時期  表1に20年度の本事業の参加実績と事後アンケートの結果を示す。参加者数は19年度までの傾向と同じく1・2学期とも十数名で推移している。これは学部とセンター教員の合計数の2~3割に相当する。1・2学期ともに共通して参観をした教員は9名であった。いずれにせよ低調な参加率であり、事業開始時に比較して減少は著しい。  20年度の実施期間は1学期が6月30日(月)~7月11日(金)、2学期が12月8日(月)~12月19日(金)のそれぞれ2週間であった。 3.2 事後アンケートの評価  事業初年度の事後アンケートにおいては7割強の参加者が「今後の授業改善に参考になった」と回答していたが、6年目の平成20年度では「参観は有効・参考になった」と回答した者は1・2学期とも回答者の5割を下回った。しかし、事業を継続すべきか否かという質問には6割が継続に賛成していた。 3.3 アンケートの自由記述にみる評価  アンケートでは参観への参加・不参加の理由と今後の事業運営への意見を自由記述で求めた。以下に代表的な意見をあげる。 〈参観事業に参加するあるいはしない理由〉 ・他の人に自分の授業のテクニックを自由に見て欲しくない。学生と教員の間でフィードバックをかけ合えば目的は達する。 ・原則として、着任から日の浅い教員だけの参加でよいと思う。 〈事業の意義を積極的に認める意見〉 ・気にかかる学生や学科の学生全般の他学科の授業における様子を見ることができるという点では、できる限りいつでも授業は公開できるものであってもよいと思う。 ・他大学や学外者・外国の見学者から我が校について尋ねられたときに適切な答えができるように他の先生の授業について知っているのは良いことだ。 ・互いに参考になることが多いと思われる。 ・とても良い事業なので継続していただきたい。 〈運営方法の問題点〉 ・参観希望した授業が教室で実施されていなかった。参観希望に対する対応返答を確認できないか? ・何の連絡もなしに(授業を)実施しない教員がいるのは無責任ではないか? ・複数教員の担当する授業では授業担当者の連絡先を明確にして欲しい。 ・申し込み期間を長くして欲しい。 ・公開・非公開を確定してから一覧表を配布するようにし、公開に関する事後修正が少ないことが望ましい。 ・実施期間は忙しい期間であり、参観への参加が難しかった。もっとゆとりのある期間に実施できないか。 〈今後の展開に向けて・FDとしての課題〉 ・漫然と続けるよりも研究授業形式、特に学生が何を求めているか又、学生の態度についてこちらからの質問などお互いに意見交換(交流)した方が授業改善に役立つと思われる。 ・授業のやり方を分析する要素が欠けている(これまでは評価ばかりでした)。 ・授業評価の高い先生に模範授業をしていただけばよいのではないか。 ・1・2学期にまとめて終了後にFDを行うのがよいと思う。 ・今の形式ではあまり意味がない。研究会、反省会、勉強会などでのフォローが必要。評価への連動は難しいか? ・良い授業にするなら教える側にも準備の為の時間(余裕)が欲しい。(研究・雑用とどうやって折り合うのか?) ・「授業参観」もやりっ放し状態にある面も免れない。毎年交代で数人の教員の授業参観を通して、相互の検討会を行うことも考えられる。 3.4 現状の実施プロトコール上の問題点と対策 (1)参加回答後の変更  従来、本事業で課題となっていたのは、原則全授業公開としながらも19年度までは事前に授業担当者への公開可能授業と非公開の「意向調査」を行っていたことである。しかし、意向調査を行っているにもかかわらず集団指導体制形式授業、非常勤担当授業、臨床実習授業などを中心に非公開や教室変更の連絡が公開授業一覧表の提示された後でも頻発したことである。参観に行ったら授業がなかったという参観者からの苦情が多かった。  今年度の実施では、事前に受講者ゼロ授業(履修申請時には受講者があり、その後の履修放棄等で履修者なしに至った場合も含む)や臨床実習等の理由で公開できない授業の確認を教員の申告ではなく教務係とWGで行った。このためか参観希望調査後の公開授業の変更事例は減少した。 (2)フィードバックの仕組みとFDとしての位置づけ  参観事業開始の頃に奨励されていて、ここ数年の実施では手続き上特別には参加者にお願いしてこなかったことが、参観者の参観前の授業担当者への参観の連絡と参観後の授業者への評価・コメントの返礼である。原則公開としたことで授業者への事前連絡は不要としたが、「参観者の声を聞きたかった」という意見もあり、FDの一環という観点からは事後のコミュニケーションは奨励事項として残すべきであった。直後の「ふりかえり」は形成的評価の観点からも教員の育成には有効であると考えられる。授業参観や授業評価といった取り組みは教員の「形成的評価」のためのツールであり、FDとは「教員が授業内容・方法を改善し、向上させるための組織的な取り組みの総称である(文科省)」[2]の意味からも教員へのフィードバックは必須であった。取り組みの原点にもどって目的を再確認し、手順を再構築する必要がある。 表1 20 年度の事業参加者とアンケート集計 4.本事業のかかえる課題と今後に向けて 4.1 授業を「観る」ことの複相  そもそも周到な準備に基づく研究授業の実践でもなく熟達者の模範授業を見学するのでもなく、なぜ「教員相互の授業参観」なのか。自分の授業を観てもらい批評を受けたまわるでもなく、顔見知りでもある同僚の授業をなんとなくゆるく観る。それのどこが自己研鑽になるのか。ましてや専門分野の違う教員の授業など何の参考になるのか?観ても仕方がないと思う教員が多いのか参観者と参観する授業の関係では所属学科の授業のみを参観するケースが過去には多かった。このことをどう考えたらよいのか。  図1は学習法・教授法の違いによる教育効率の違いを示したラーニング・ピラミッドと呼ばれるものである[6]。「講義をきくこと」による記憶への定着率は5%。「読書・文献を読む」が10%、「デモンストレーションを見る」で30%である。最高の効率を上げるのは「学んだことを他人に教える」で、90%とされる。 他の教員の授業を参観することは他人のレクチャーをただ傍聴するという最も効率の悪い学習法ということになる。学んだことの定着率はわずかに5%!しかし、この場合参観を通して学んでいたのは「教科内容」ではなく「教授法」なので、この観点からは、定着度でみた有効度においては、下から4番目の「デモンストレーションを見る 記憶定着 30%」に相当することになるのであろうか。一方、教員は「学んだことを他人に教える」という記憶への定着度が最大級に高い(90%)行為を日々実践していることになる。教員は授業法に関する講演を聴き、ベテラン教員の授業を参観することよりも日々FDで学んだことをどうしたら活かせるのかという姿勢で実践していさえすれば、それが最高の研鑽にもなるのではないか。  授業参観が「レクチャー」なのか「デモンストレーション」に当たるのかは議論の分かれるところであるが、いずれにしてもそれだけではあまり効率の良い方法ではないことになる。大学でも教わらなかった教育方法(特に「今時の学生」への指導)に日頃から悩み、個人としてもFDへの参加が義務づけられかねない大学教員にとって、これはある種皮肉な事態ではないか。 4.2 授業を観ることの意味  「大学授業」研究は中等教育までの授業研究に比べ著しく手薄であるという指摘がある[7-10]。そもそも大学教育研究分野では教育の達成度の「指標」も確立していない。欧米の研究も実態は新人研修マニュアルのレベルにとどまる[11]。  数少ない大学授業の研究者である米谷は「負担のかからない」教授法の研鑽法として、「自分の授業を録画して観る」方法を推奨する[8]。米谷の論考より引用しよう。  「授業の腕をあげたいのならば授業評価や授業研究よりも授業参観や研究授業を数多くすべきだろう。-中略-学生から20項目程度の5段階評定を受けるよりも、同じ科目の担当教員(とくに先輩や経験者)や指導経験豊富な専門家に授業を見て(診て)もらうべきだろう。-中略-一方、自分より程度の悪い「下手な」教員の「まずい」授業を見学することも、よい授業の見学に勝るとも劣らぬほど自己研修の効果がある。悪い授業は他山の石であり、それを見学(研究)することにより、自らの授業を省み、学生の理解も反応も悪く、成果のあがらない授業を生み出す要因を知る(気づく)ことができるからである。-中略-もちろん、ビデオテープやオーディオテープで自分の授業を記録し、再生しながら自己分析することも意味があるだろうが、なかなか自らの不手際や失敗を冷静に客観視することは難しく、つらく、続かないというのが筆者の経験である。」  「職務として授業評価業務に携わり、その傍ら授業改善に関する実践的研究を進めている立場としては『授業評価や授業研究をしても授業はよくなる』というのが偽らざる感想である。」 最後が「すればよくなる」ではなく「してもよくなる」と結ばれている点に注目したい。数々の大学授業を参観・録画し、構造分析して発表している研究者の言葉としては、ある種の敗北宣言でもあるが正直な総括ともとれる。 4.3 授業参観を活かすには  保健科学部の授業参観は総括として,FDとして位置づけられた初年度以降は参加人数が減少傾向にあり、現状では事業として成功しているとはいえない。  授業研究FDが機能していないのは他大学でも同様らしい。授業改革活動の宿命は次のことばにも現れている。「授業設計・授業構造と学生の反応との間の関係性はどこも研究していない。この(公開)授業シリーズも年を重ねれば、こうしたダイナミズムを失うことは十分にあり得ることであろう。」(溝上[9])  保健科学部の参観事業も「学生による授業評価」を含めてFDの原点に立ち返り、授業参観の活かし方を実行組織の立て直しも含めて論議する時期に来ているのであろう。  ただ、本学に関していえば、新任教員を主たる対象とした情報保障の手ほどきとそのための技術的・教育的研修のプログラムは今後も保証されねばならないことは言うまでもない。 図1 ラーニング・ピラミッド 5 結びに変えて-「良い教師」のパラドックス  「良い教師が正しい教育法で教育すれば、教育は成功するのか。」  日本人にとっての理想の教師像として常に語られるのが島の分教場に赴任した「二十四の瞳」の新米教師(訓導)大石先生である。しかし、実際の大石先生は失敗ばかりしている。大石先生について構造主義哲学者の内田樹は「教師とは葛藤させる人・謎をかけるひと[12]」だと喝破する。悩みを忘れたものはその時点で師たり得ないが、悩み続けていれば、その姿勢だけで誰かの「先生」になっているのだと論じる[13]。上の括弧の中の疑問について内田は、その考え方そのものが「人間についての理解として浅すぎる。私はそう思います。」と断じている。  大いに無責任かつ高邁なる氏のご託宣をもってこの論考を閉じる。 注1)大学設置基準第25条の3(教育内容の改善のための組織的研修等)「大学は、当該大学の授業の内容及び方法の改善を図るための組織的な研修及び研究を実施するものとすること。」 文献 [1] ユネスコ/OECD「国境を越えて提供される高等教育の質保証に関するガイドライン」http://www.mext.go.jp/a_menu/koutou/shitu/06032412/002.pdf [2]文部科学省:授業の質を高めるための具体的な取組状況(2008/06/17),http://www.mext.go.jp/b_menu/houdou/20/06/08061617/002.htm [3] 有本 章:FDの制度化と質的保証[前編].高等教育研究叢書,広島大学高等教育研究開発センター,91, 2007. [4] 有本 章:FDの制度化と質的保証[後編].高等教育研究叢書,広島大学高等教育研究開発センター,92, 2007. [5] 加藤 宏・青木和子・藤井亮輔・森山朝臣:保健科学部における教員相互の授業参観,筑波技術短期大学テクノレポート,15, 31-35, 2008. [6] Learning Pyramid原典はNational Training LaboratoriesまたはDale, E.(1946, 1954, 1969). Audio-Visual Methods in Teaching. New York:Dryden.とも言われるが詳細は不明とされる。本図はhttp://www.ritsumei.ac.jp/acd/ac/kyomu/cer/kikaku/06forum0920/pdf/1.pdf より. [7] 米谷 淳:学生による授業評価についての実践的研究,大学評価・学位研究,5, 123-134, 2007. [8] 米谷 淳:授業改善に関する実践的改善8.教師の成長と授業評価に関する一考察,大學教育研究,12, 37-45, 2003, http://www.iphe.kobe-u.ac.jp/mokuji/contents12/KJHE12e.htm [9] 溝上慎一:学生の経験世界から見た「総合人間学を求めて」の授業構造化と学生の学び-学生による知の越境へのアプローチ-,京都大学高等教育叢書,14, 54-78, 2002, http://hdl.handle.net/2433/53614, 2002. [10] 溝上 慎一・尾崎 仁美・平川 淳子:学生の満足する授業過程の分析に向けて(序報),京都大学高等教育研究,4, 22-64, 1998. [11] ロンドン大学・大学教授法研究部(喜田村・馬越・東訳):「大学教授法―大学教育の原理と方法」.玉川大学出版会,東京,1982, http://www.epc.yamaguchi-u.ac.jp/fdreport(h16).pdf [12] 内田 樹:「街場の教育論」ミシマ社,東京,2008. [13] 内田 樹:「先生はえらい」筑摩書房,東京,2005. A Reflection on the Significance of Teachers’ Mutual Class Inspections for Faculty Development KATOH Hiroshi Research and Support Center on Higher Education for the Hearing and Visually Impaired, National University Corporation Tsukuba University of Technology Abstract:Full implementation of Teachers’ mutual class inspections by the faculty of health sciences was achieved in 2008 by enforcing the principles for all classes and all semesters. Tasks and problems of this program are considered from actual situations and teachers’ surveys. Furthermore, the significance of the teachers’ mutual inspections is discussed in terms of the growing process for university teachers and their “ideal mirror” in the context of faculty development. Keyword: Teachers’ mutual class inspections, FD, standardization of the higher education, ideal image of teachers