遠隔情報保障システムの運用コストに関する一考察 筑波技術大学 産業技術学部1),筑波技術大学 障害者高等教育研究支援センター2) 塩野目 剛亮1) 河野 純大1) 黒木 速人2) 西岡 知之1) 若月 大輔1) 加藤 伸子1)皆川 洋喜1) 村上 裕史1) 三好 茂樹2) 白澤 麻弓2) 石原 保志2) 内藤 一郎1) 要旨:本学のコミュニケーション支援グループ(Communication Support Group: CSG)では、他大学で学ぶ聴覚障害学生に対して遠隔情報保障を行っている。現在は研究段階という理由から、現地へのスタッフ派遣や情報保障スタジオ内での技術支援など、間接的に情報保障にかかわる面でも支援を行っているが、実用段階ではこれらのコストを支援先に負担してもらうか、支援者が負担するか、十分な議論が必要である。すなわち、現実の問題として情報保障の運用にかかるコストが問題となる。本稿では、遠隔情報保障システムに含まれる人的・物的資源とコストについて分析し、実用化に向けた課題について考察する。 キーワード:遠隔情報保障、運用コスト、聴覚障害者、手話通訳、PC要約筆記 1.まえがき  近年、聴覚障害者の進学率が向上し、社会参加も進む中、情報保障の多様化、高度化の推進が課題となっている。この流れの中で、専門的な講義内容の通訳を行なうことも必要とされている。  映像伝送技術や符号化技術の進歩、高速ネットワーク回線の整備に伴い、テレビ電話やテレビ会議システムなどによる画像通信を用いた遠隔地間での手話会話が可能になってきた。実際に、病院での診療場面や携帯電話の契約場面、官公庁の窓口などでテレビ電話やテレビ会議システムを用いた遠隔地手話通訳が実施・試行されている[1~3]。  本学においては、コミュニケーション支援グループ (Communication Support Group:CSG)を中心として、本学、および他大学で学ぶ聴覚障害学生に遠隔情報保障を行っている[4~10]。すなわち、講義内容の手話通訳やPC要約筆記1)などによって、遠隔地の聴覚障害学生に必要な講義情報を提供しており、一定の効果をあげている。  現在、遠隔情報保障は研究・発展段階であり、その実施には莫大な人的・物的コストが支払われている。聴覚障害者に対する情報保障が研究段階を経て、自治体や公的機関などが主体となってサービスを運用する段階になれば、当然、十分な費用対効果が得られるかどうかの検討が必要となる。  現状では、手話通訳やPC要約筆記など、複数の手段を組み合わせて情報保障を行なっている。一方、情報保障の対象となる聴覚障害者の要望や支払えるコストに合わせて、一部の手段を用いて情報保障することも可能であると考えられる。今後、遠隔情報保障システムが一般に普及するためには、利用者のニーズとともにシステム運用者・利用者の支払えるコストも考慮する必要があると考える。  本稿では、現在利用されている遠隔情報保障システムの運用コストについて、機器の構成と必要な操作から情報保障実施のためのセットアップ作業のコストを求め、情報保障手段の組み合わせとコストとの関係について考察する。なお、システムを構成する機器の価格や、情報保障者に対する謝金等の金銭面のコストについては、機器の種類や情報保障者団体によって価格が変動することがあるため、本稿では議論の対象としない。  2章ではさまざまな遠隔情報保障の手段について概説する。3章では2008年度に実際に運用した遠隔情報保障システムの構成と、システムを機能ごとに分割した構成例を示し、システムの要素数や稼働に必要な作業数を分析する。4章では情報保障の構成と運用コストとの関連について考察し、費用対効果を意識した遠隔情報のあり方について議論する。最後に5章で本稿をまとめ、今後の課題を示す。 2.遠隔情報保障の手段と構成要素  ここでは、本学で行なっている遠隔情報保障の手段と、その構成要素について説明する。 遠隔手話通訳:支援先(現地)にいる講師の音声を、ビデオ会議システム(Polycom社、HDX9004)によって遠隔情報保障スタジオ(以下、スタジオ)に伝送し、手話通訳者が音声言語をリアルタイム通訳する。また、質疑応答の際など、現地にいる聴覚障害者の手話をスタジオから読み取り通訳する。 キーワード付加 [4~7]:手話通訳映像に専門用語などのキーワードを合成し、手話表現が難しい場合などに指差して使用する。キーワードは通訳者映像の前面下部に合成される。 資料付加 [4][5]:手話通訳者の背面右、または左側に資料(スライド、パワーポイントなど)をクロマキー合成する。資料に含まれる図を指差したり、講師の読み上げている部分に線を引いたり、付加情報を手書き入力する。  キーワードの入力と資料への書き込みには、それぞれ独立したオペレーターが対応する。以上に述べた、手話通訳にキーワード、および資料を合成した映像を、本稿では合成手話通訳映像と呼ぶ。なお、資料とキーワードのクロマキー合成には、Roland社、V-440HDを使用している。 PC要約筆記:支援先(現地)にいる講師の音声を、全文または要約した日本語文章にタイプ入力し、インターネットを通して伝送する。支援先では字幕を受信し、任意のモニタで字幕を聴覚障害者に呈示する。なお、文字の入力、伝送、表示にはPC要約筆記用のソフトウェアIPtalk[11]を使用している。 技術支援:各種機材のセットアップや調整を行う。また、ネットワーク接続の確認や、情報保障システムの稼働状況などについて、支援先の技術担当者とのやり取りなども行う。 情報保障者への情報提示 [8][9]:支援先から送信されてくる学生、講師の映像、講師が使用しているPCの画面、および合成手話映像を合成したものを、情報保障者に対して提示している(図1)。支援先の音声だけでなく、講師や受講生の映像を提示することで情報保障のしやすさが向上する[9]。 記録:手話通訳の様子や、要約筆記の入力データなどを記録する。記録したデータは、通訳者の研修や解析のために使用する。 3.遠隔情報保障システムの構成と分析  ここでは本学で稼動していた(図3は参考)遠隔情報保障システムの構成図を示す(図2~4)。2つの情報保障の形態による情報保障を以下の講義で行なっている(表1)。 3.1 構成  図2~4は遠隔情報保障システムの機器の構成を示している。各構成要素にはラベルをつけ、主な機能と必要な操作の略号を示している。図中の実線矢印は物理的配線2)を、破線矢印は情報の流れを、二重矢印は機器の操作や入力を表わしている。  各要素に記入されている略号は、機器に対する必要な操作を表わしている。以下にそれぞれの英語表記、略号、および操作内容の説明を示す。 英語表記(略号):説明 Power On(Pow):電源を投入する。 Preset(PS):プリセットを呼び出す。 Adjustment(Adj):機器を調整する。例えば、つまみやスライダ、ボタンの操作によって音量調整、映像切り替えなどをする。 Software Activation(SA):ソフトウェアを起動する。 Software Setting(SS):ソフトウェアの設定をする。  図2のすべての情報保障を含む形態【All】の動作について述べると、(1)ビデオ会議システムを通して現地の映像・音声をスタジオに伝送し、(2)スタジオではそれらを情報保障者に提示する。(3)手話通訳者は音声を手話に、PC要約筆記者は文字に変換し、現地に返送する。 3.2 分析  実際に稼働していた【All】の構成を機能分割することで、別の情報保障構成を作り出すことが可能である。【All】の構成から手話通訳のみを取り出したものを【手通】、手話通訳補助のみを取り除いたものを【手話+要筆】、PC要約筆記を取り除いたものを【手通+補助】と表記する。以上の情報保障システムの形態ごとの要素数、機器数、スタッフ数を表2に、システム稼働に必要な作業との関係を表3に示す。 表 1 分析対象の支援講義 図1 保障者への提示情報 4.考察 4.1 情報保障の形態によるコストの変動  表2から、複数の情報保障手段の組み合わせの数に比例して、構成要素が増えることがわかる。また、作業数も構成要素の数と同様に増大する(表3)。このことから、情報保障の規模の縮小による運用コスト(人的・物的なコスト)の削減が可能であることがわかる。  また、一般に構成要素の数が増えるに従ってシステムの信頼性(稼働率4))は低下することから、適切な情報保障手段の組み合わせが必要であるといえる。すなわち、聴覚障害学生のニーズに合わせた情報保障手段の省略によって、どれだけの人的・物的コストが削減できるかを検討する必要がある。  表2、3から、要素数はおおむね3レベルに分かれ、作業数はある程度のばらつきがあることがわかる。【手通】と【要筆】、【手通+補助】と【手通+要筆】をそれぞれ比較すると、要素数はほぼ同程度で、作業数の差が大きい。システムの複雑さの差異が小さいならば、情報保障の構成を利用者側の視点で選ぶことは、有益であると考える。  聴覚に障害がある人の中には口話を主なコミュニケーション手段としている人もいる。このため、支援の対象者の特性によっては、手話よりも要約された文章の字幕を好む人もいると考えられる。また、キーワードも手話通訳者の指差しだけに使用されるわけではなく、単語や要約された文章を提示することで簡易的な情報保障の手段となりうることが示唆されている[5]。  対象者が質疑応答を筆談や口話で行うことを選択した場合、必ずしも双方向で映像・音声を送信する必要はなくなるため、カメラやマイクなどの機器数を減らしたり、簡易なものに変更することも可能であると考えられる。ただし、支援先に設置するカメラを変更することは情報保障者に対する情報提示の品質を低下させる恐れがあるため、情報保障に影響のない範囲で調整する必要がある。  手話通訳や要約筆記に最低限必要な情報は音声である。それ以外の付加情報による情報保障の質の向上はまだ明らかではないが、情報保障者に与える影響はある[9]。このため、付加情報の低減によるコストの削減には注意が必要である。  図1のように、講師映像と学生映像を提示するには支援先に2台のカメラと、少なくとも一人の技術スタッフが必要である。講師が移動したり、聴覚障害学生が手話によって質問をするためにはカメラのアングル・フォーカスなどの調整が必要である。読み取り通訳を必要としないならば、カメラの設置台数を減らせるし、また、質問時にカメラを操作するのではなく、質問者にカメラに近づいてもらえばスタッフの手間は減らすことができる。しかしながら、情報保障のために講義参加者に対して要望を出すことが支援先の負担にならないか注意が必要である5)。 4.2 作業コスト削減のための試み  ここでは、遠隔情報保障システムが稼働するまでの作業コストの削減を中心に議論する。  前節で、情報保障の手段が増えるにしたがって作業量が増加することを述べたが、作業量を簡単な方法で減らすことも可能であると考える。機器の設定によって操作の手順を減らす方法として、たとえば以下のものがあげられる。 ・モニタの入力信号(ソース)を固定することによって、設定変更を不要にする。これによって、電源を投入するだけで、機器が使用可能状態になる(Adjの削減)。 ・調整可能な部分を減らすことで、混乱を減らす。例えば、音量調整のためのミキサはツマミやスライダが多く、どれを操作するべきか、また、操作結果がどう反映されるかがわかりにくい。ツマミを固定したり、操作できないようにカバーを付けることで混乱を減らすことができる(不要なAdjの抑止)。  人的な要因でも一人当たりの作業量を減らすことは可能である。 ・機器の調整を分担することで、一人当たりの作業量を低減する。ただし、情報保障者が本来の職務に支障のない範囲で、かつ、自らの担当する情報保障の品質の向上に寄与する形での分担が望ましい。例えば、カメラや資料出力PCは、手話通訳のしやすさ(手話の適切な撮影範囲、合成された資料の指さし)に直接影響するため、手話通訳者自身が調整したほうがよい(作業負荷の分散)。 ・電源スイッチの集中化によって電源投入を減らすことが可能になり、どの機器の電源が入っているかを「見える化」すれば、電源の入れ忘れを減らせると考えられる(Powの低減、漏れ防止)。 ・ソフトウェアの起動を自動化(スタートアップへの登録など)することによって、表3に示したSAを減らすことができる(SAの低減)。  以上の方法で比較的簡単に作業コストの低減を実現できると考えられるが、複数の機能の合成によって機器数を減らすことも必要であると考える。 4.3 システムのバックアップに関するコスト  ここでは、ハードウェア、およびソフトウェアの障害によって、システムが正常に機能しなくなった場合の対策について述べる。  現状では、ネットワーク等の異常により、テレビ会議システムが機能しない時にはデータ通信カードFOMA A2502 HIGH-SPEED[13](株式会社NTTドコモ)と映像伝送ソフトウェアSmart-Telecaster Ⅱ(株式会社ソリトンシステムズ)を用いて合成手話通訳映像のみを伝送できるようになっている。また、PC要約筆記が機能しなくなった場合は、復旧までの間、現地の技術支援者が字幕を入力している。 実際の運用でどこまでバックアップが必要か、情報保障の免責範囲はどこまでかを考慮しておく必要がある。例えば、大規模な停電が起こった場合やネットワークの基幹が止まった場合は情報保障スタジオ自体が機能しなくなることもあると考えられる。 図2 手話通訳、補助とPC要約筆記[All] 図3 手話通訳のみ[手通] 表2 情報保障の形態と構成要素 図4 PC要約筆記のみ3)[要筆] 表3 情報保障の形態と必要な作業 5.あとがき  本稿では、筑波技術大学で運用している遠隔情報保障システムの構成を分析し、その運用に必要な作業コストの削減、およびシステムの改善方法についてまとめた。  遠隔情報保障が一般的に運用、利用されるためには、支援者側と支援先の双方に過剰な人的・物的負担を課さないことが重要である。本稿では主に支援者側のシステムについて検討したが、支援先でのシステムの簡略化や情報提示の形態についても検討が必要である。また、情報保障システムの構成要素の数や作業数などのコストと、情報保障の質との関連についても検討が必要であると考える。 文献 [1]KDDI au:手話サポート、http://www.au.kddi.com/au-shop/policy/shuwa/index.html, Retrieved July 3, 2008. [2]NTTドコモ:ドコモ・ハーティスタイル、http://www.nttdocomo.co.jp/corporate/csr/report/living/hearty_style, Retrieved July 3, 2008. [3]株式会社プラスヴォイス:通信のバリアフリーを目指す,http://www.plusvoice.jp/index.html, Retrieved Nov. 27, 2008. [4]河野・加藤・村上他:講義資料とキーワードを画面合成した遠隔手話通訳システムにおける聴覚障害学生への提示方法,ヒューマンインタフェース学会研究報告集,Vol.9, No.1:29-32, 2007。 [5]加藤・河野・村上他:講義資料とキーワードを画面合成した遠隔手話通訳システム-通訳スタジオにおける検討-,ヒューマンインタフェース学会研究報告集,Vol.9, No.1:23-28, 2007. [6]加藤・河野・西岡他:遠隔情報保障における手話通訳者へのキーワード提示の基礎的検討,信学技報,Vol.106, No.408, WIT2006-56:35-40, 2006。 [7]河野・加藤・村上他:遠隔手話通訳による学会の情報保障におけるキーワード提示の効果に関する基礎的検討,信学技報,Vol.106, No.57, WIT2006-05:41-46, 2006. [8]三好・河野・西岡他:遠隔地リアルタイム字幕提示システムにおける字幕作成者に対する補助情報提示について,信学技報,Vol.105, No.66, WIT2005-7:35-38, 2005. [9]加藤・河野・内藤他:会話場面での遠隔手話通訳システムにおける視覚情報に関する評価,ヒューマンインタフェース学会誌,Vol.7, No.3:369-377, 2005. [10]村上・加藤・河野他:就職面接場面での遠隔情報保障に関する一考察,信学技報,Vol.106, No.408, WIT2006-57:41-45, 2006。 [11]IPtalk:http://iptalk.hp.infoseek.co.jp/, Retrieved July 21, 2008. [12]石原・小林・内藤・他:大学等の講義における聴覚障害者を対象とした情報保障の方法論的検討-手話通訳・リアルタイム文字呈示・要約解説の比較-,信学技報,Vol.100, No.600, ET2000-91:7-13, 2001. [13]FOMA A2502 HIGH-SPEED:NTTドコモ,http://www.nttdocomo.co.jp/product/relate/a2502/index.html, Retrieved Aug., 27, 2008. 注 注1)文字通訳、もしくはPCノートテイクと呼ばれることもある。本稿では音声情報の要約、または全文をPC入力によって提供することをPC要約筆記と表記する。 注2)実際には電源やネットワークの配線、ネットワークハブなどの機器も存在するが、これらは基本的な要素であり、図の簡略化のためにも省略している。 注3)要約筆記者の人数は講義の形態に合わせて変動するが大体2~4人である。本稿では3人体制を想定して、システムの作図、分析を行っている。 注4)稼働率は直列システムの場合、稼働率α = α1×α2 × ... ×α(n ただし、αi ≦ 1は機器単体の稼働率を示す)と表現できる。 注5)講師自身が障害に配慮した授業展開をすることは望ましいことであるが[12]、それが講義の質自体を低下させないように注意することも必要である。 A Study on Operational Costs of Remote Interpretation Systems SHIONOME Takeaki1), KAWANO Sumihiro1), KUROKI Hayato2), NISHIOKA Tomoyuki1), WAKATSUKI Daisuke1), KATO Nobuko1), MINAGAWA Hiroki1), MURAKAMI Hiroshi1), MIYOSHI Shigeki2), SHIRASAWA Mayumi2), ISHIHARA Yasushi2), NAITO Ichiro1) 1) Faculty of Industrial Technology, National University Corporation Tsukuba University of Technology 2) Research and Support Center on Higher Education for the Hearing and Visually Impaired, National University Corporation Tsukuba University of Technology Abstract: We have been supporting remote information assurance for hearing impaired students who attend a university. All of the costs are paid by the supporters because the project is still in its study phase. In the case of practical operations, we need to clarify the argument between supporters and users over their respective share of the contributions for interpretation and equipments. In this report, we investigate the relationship between features and operational costs of the current information assurance systems. The results of system analyses show that some practical problems exist when operating remote interpretation systems. Moreover, we suggest some possible methods for decreasing these operational costs. Keyword: Remote interpreting, operational costs, deaf and hearing impaired, signed language interpreting, PC captioning