ろう・難聴学生の国際交流・研修旅行とその意義-2008年度の実践報告と8年間の総括- 筑波技術大学 産業技術学部産業情報学科情報通信コース1),同環境安全コース2) 新井 孝昭1) 田中 晃2) 要旨:北欧諸国を中心にした学生参加の研修旅行は、2002年3月の実施から始まり本年(2009年)3月で8年目を迎えた。本研修旅行に参加した学生からの感想や評価が、参加を希望する学生の潜在化を生み出すこともあって、本学学生の参加者数は平均すると毎回10名を超えている。研修旅行では、我々はろう学生やろう者との交流を続けながら、訪問先での講義を共有してきた。そして、そのような中で「コミュニケーション」「手話」「教育」「ろう文化」などについて、学生同士の真摯な語り合いが毎年繰り広げられてきたのである。本稿では、本年3月に訪問した欧州4都市、ヘルシンキ(フィンランド)、ユバスキュラ(フィンランド)、オレブロ(スウェーデン)、ハンブルク(ドイツ)における交流と研修の概要とその成果について報告すると共に、8年間続いた本プログラムが持ち得た意義について論述する。 キーワード:国際交流、研修旅行、教育プログラム、ろう教育、コミュニケーション 1.はじめに  2009年3月、欧州3ヵ国(フィンランド、スエーデン、ドイツ)の4都市(ヘルシンキ、ユバスキュラ、オレブロ、ハンブルク)にある教育関係機関(大学、高校、ろう学校、教材研究所)やろう者が活動する諸機関(ろう連盟、ろう者クラブ)を訪問し、交流・視察を行った。北欧を中心とした本交流プログラムは、2002年3月から始まり、今回で8回目である。そして、それらの交流研修ツアーに参加した本学学生・卒業生の総数は90名(内、卒業生8名)に及ぶ。  本プログラムの特徴は、その訪問先にのみあるのではなく、本学(筑波技術大学)学生の参加を最優先にしながらも他大学や一般社会人の参加を可能な限り認めてきたという点にある。本稿では、第8回目となった2009年3月の交流研修旅行の概要とその成果について報告すると共に、このような特徴をもったプログラムの意義について、8回に及ぶ研修旅行の実績を踏まえて考察を行う。 2.プログラムの概要  今回(2009.3.17~3.29)のプログラムは、ユバスキュラ大学(フィンランド)、オレブロ大学(スウェーデン)、ハンブルク大学(ドイツ)という、各国の中でもろう教員養成や手話通訳者養成、手話学研究などを積極的に行っている代表的な大学を訪問し講義を受け、ろう教育機関(ろう学校、高校、教材研究所)を見学し生徒と交流を行い、それぞれの地域にあるろう連盟及び長い活動の歴史をもつデフクラブ(ハウス)を訪問しろう者同士の交流を行うというものであった。  全行程13日間(移動に時間がかかるため、目的地での活動日数は、実質的には8日間ほどである)を総勢33名で過ごした。参加者内訳は、本学教員2名(内、聴者1名)、本学学生8名、他大学学生14名(内、聴者3名)、ろう学校教員2名(内、聴者1名)、ろう児をもつ保護者(聴者)2名、地方公務員1名、手話講師1名、バリアフリー研究者(聴者)1名、手話通訳者(聴者)2名であり、例年以上に多様な参加者に恵まれた構成となった。 2.1 大学訪問と研修  初めに特記しておくべきことは、訪問した3大学の学科全てにおいて、そこに学ぶろう学生が必要とする手話通訳は、ほぼ100%確保されているということである。このことは、言い換えれば、当事者である学生の言語環境が保障されることは、大学教育を受けるための必要不可欠な条件と考えられているということでもある。  【ユバスキュラ大学 Jyväskylän yliopisto】  ユバスキュラ大学(図1)は、フィンランド国内初の教員養成学校として1863年にユバスキュラ市に設立された。現在は総合大学として15000名を越える学生数をもつ。教員養成課程には、ろう者が特別枠で入学している。入学試験では手話通訳を配置し、筆記試験では要請に応じて問題文を手話に翻訳して出題する。そのための時間延長も行っている。  我々は手話講師(ろう者)の案内を受けながら、教員養成コースの教育現場を視察した。美術教育や物理教育の実習であったが、聴学生とろう学生が一緒に授業に参加しており、1室あたり2~3名の手話通訳者が常に授業通訳として動いていた。このため、ろう・難聴学生と聴学生との間にコミュニケーションの壁も少なく、学生同士が談笑しあう風景が見られた。次に、手話言語学の博士課程に在学中の院生(ベルギー国籍)から、手話言語学の研究に関する講義を受けた。その院生の研究テーマは比較言語学であり、ベルギー手話とフィンランド手話との文法の比較研究をしているとのことであった。ユバスキュラ大学(フィンランド)への留学を果たし、ろう者として研究を続けている行動力と勇気に学生達は惜しみない敬意を示していた。 【オレブロ大学 Örebro Universitet】  スウェーデンのオレブロ県にあるオレブロ大学は、学生数約12000名規模の総合大学であり、約70名を超えるろう学生、難聴学生が学んでいる。入学試験を行わない学部が多く、高校卒業時の成績、または全国学力検定試験の成績によって選抜される。入試を受ける必要があるときは、ろう学生への特別枠は設置されていないが、学生は聴覚障害者が利用可能な様々な援助を受ける権利をもっている。専門の地域コーディネーターが大学との協議を進めてくれる。  講義保障は、手話通訳者やノートティクの補助などによってなされており、通訳費用はすべて大学が支払うとしており、大学自体もホームページを介して「我々は様々な障害学生への教育支援を行う責任を持つ」と説明している。ろう学生の進学率が上がっているので、通訳者の需要が毎年増えている。  研修として、ろうに関する研究活動と実績などの講義を受けた(図2)。ろう者のコミュニケーション、ろう文化、ろう教育をいろいろな視点から統合して研究するというものであり、10年前からスタートしたとのことである。テーマとしては、聴児を含めたコミュニケーションスタイル、今まで研究されてきたことの関連性の研究・分析、今昔のろう者の生い立ちの比較研究、今昔の教員の指導方法の比較研究、聴児とろう児との対等なコミュニケーションについての包括的な研究、といったものであった。さらに、これらの成果をもとにして、これからのスウェーデン手話の展望を考えていこうというものであった。  また、近年の人工内耳装用児の急増に伴い、新しい分野が広がっているとのことで研究方向の再検討を行っていることも分かった。スウェーデン手話の研究や教育への浸透に関わりをもってきた大学の研究者としての戸惑いがそこに感じられた。さらに、大学院で研究をしているろう者からの自己紹介や研究活動の説明を受けたが、参加した学生達からの質問は、昼食の為に食堂へ移った後も続いた。 【ハンブルク大学 Universität Hamburg】  ドイツのハンブルクにあるハンブルク大学は、法学、医学、人文学、社会科学など多数の学部を擁する、学生数約38000名に及ぶ大規模な総合大学である。ドイツでは基本的に大学での入試はなく、高校の卒業試験合格が大学入学資格の取得となり、その成績順に希望大学への入学が可能になる。各学科毎に定員の2.5%の障害者枠による入学が可能であるが、高校卒業試験合格という条件は満たさなければならない。2008年の秋学期(9月からが学年年度が始まるので、日本で言えば、前期にあたる)には、ドイツ手話学専攻に障害者枠での入学が1名あった。  我々が訪問したのはメディア言語学科であるが、その中に手話言語研究機関(IDGS)がある(図3)。この機関は、1992年設立されたものであり、言語研究機関としてドイツ語、英語、フランス語などの音声言語を研究する機関と同等の待遇で扱われている。この機関の役割は、教育と研究を通してろう社会の発展に貢献することであり、教育の側面としてドイツ手話の学習・通訳者養成、手話辞書やCD教材の制作などを行い、研究の側面として手話会話の分析、手話の言語学的研究、バイリンガル教育の研究などを行っている。また、手話データベース構築の成果がWebで公開されており、研究活動が活発で社会的に開かれた研究機関であることが確認できた。  昼食をはさんで、丸一日(6時間以上)の研修内容は多岐にわたった。例えば、「世界各地のろう者を比較すると文字への理解力に違いが生ずるのではないか」という問いかけから始まる研究紹介や新しい研究テーマとしてのデフスタディの紹介、手話データベースに関する研究紹介、手話通訳養成コースの授業体験、ハンブルク大学在学生による情報保障の実態や学生団体の活動などの説明もあり、日本の現状と比較しながら聞いていた(見ていた)学生達からの質問は途切れなかった。 2.2 初等、中等教育機関訪問と交流  オレブロ(スウェーデン)にある高校と教材研究所、ハンブルク(ドイツ)にあるろう学校への訪問について以下に報告する。 【リスベリスカ高等学校、トゥレンス高等学校】  リスベリスカ高校(Risbergskaskolan)は、オレブロ市内のろう・難聴者のための高校の一つであり、設立時(1969年)は聾学校としてスタート、その後、聴者も入学させて総合教育の学校として発展した。健康スポーツ、自然科学、芸術、社会科学のコースを擁する普通科の進学高校であり、生徒数は約1200名である。そのうち、ろう生徒約70名、難聴生徒約55名が学んでいる。聴者の生徒は3年間、ろう・難聴の生徒は4年間を標準期間として学んでいる。また、ろう・難聴クラス担当教員は、聴者が約30名、ろう者・難聴者が4名。スウェーデンでは高校で入試を行うことはなく、本人の希望と中学校の判断があれば入学することができる。わが国にない教育上の特色が見られ、ディスカッションを行いながら自分の考えを表現する力を育てることを大切にしている。さらに、1年生には集団生活になれていない学生もおり、これに対応するために、人生を考えるオリエンテーションなどが実施されている。そして国際交流にも力を入れている。  上記のようなリスベリスカ高等学校長からの概要説明を受け、その後学内見学と大きな講堂でダンス、柔道、書道などを集まった生徒達に披露し楽しく交流を行った。帰国後もメールのやり取りを続けている学生もおり、学生同士の国際交流は今も続いている。  トゥレンス高校(Tullängsskolan)も、オレブロ市内のろう・難聴者のための高校の一つであり、電気工学、情報、設備、建築、工芸、物流など数コースが設置された技術系の高校(職業高校)である。聴者を含めた生徒数は1300名余りである。ろう・難聴の生徒だけでなく、言語障害、視覚障害、知的障害、などをもつ学生も受け入れている。生徒の年齢は16~22歳と幅がある。  近年のトゥレンス高等学校では、国際化をテーマとするプロジェクトのいくつかが立ち上がっており、その一つとして、世界各国間の手話データベースの構築がある。日本の手話の登録も今後行っていく予定である。  広大な校地や設備の充実ぶりは日本の高校では見られない程であった。学習内容は、ものを作ることに重点が置かれており、職業訓練センターのような雰囲気を帯びていた。広い敷地にエンジンの組み立て用の乗用車(試験材として)が何台もあり、建築関係の実習室では、実物大の住宅の組み立て作業が行われていた。大きな事故の危険性がある実習現場にも関わらず、ろう・難聴生徒が聴生徒と対等な関係を保ちながら実習を受けていたが(図4)、これは手話通訳者による講義保障が整っているからできることであり、ろう・難聴者が孤立しがちな我が国の統合教育の現実とかけ離れていると言わざるを得ない。 【特別教育支援機構(旧特別教育教材研究開発センター)】  スウェーデンでは、かつての特別教育教材研究開発センターが行政組織の再編により、2008年7月から現在の組織「特別教育支援機構Socialstyrelsens institut för särskilt utbildningsstöds(SISUS)」となった。特別教育の分野(視覚障害・聴覚障害・精神障害など)に分かれて、スウェーデン内の3ヶ所に点在している。その中の一つがオレブロにあり聴覚障害教育の支援研究を行っている。この施設は、0~18歳のろう・難聴児、さらに国民高等学校(成人対象)のろう・難聴者が使用する教材の製作を行っている。しかし、大学教育に使用する教材は扱っていない。  ろう・難聴児用教材開発はろう者が担当しており、手話の動画が収められた童話映像ソフトの概要説明をしてくれた。児童や生徒の実態に合わせて使用できるように、スウェーデン手話中心の教材、字幕や音声付きの教材、そして急増している人工内耳装用児・生徒のための教材、について分けて開発製作されているとのことである。また、ろう・難聴児両者にも使えるユニバーサルな教材を開発することは、開発担当者(ろう者)の願いでもあるが、政府(特別教育省)の政策や聴者の保護者からの要望を優先せざるを得ない状況があり難しくなっている、と話す開発担当者(ろう者)の表情は複雑だった。 【ハンブルク聾学校 Schule für Hörgeschädigte】  ハンブルク聾学校は、ハンブルク(ドイツ)郊外にあり、ろう教育の長い歴史とバイリンガル教育としての実績をもち、ハンブルク大学との連携でその教育実践の成果を作り出してきた。学校は3つのユニット、難聴児ユニット(約140名)、ろう児ユニット(約80名)、統合ユニット(通級や他施設との連携含め、約200名)からなり、約40%の児童の母国はドイツ以外である。  副校長の説明によると、最近は人工内耳装着児が増加しているが、決して普通に喋るようになるわけではないということと、人工内耳が上手くいかなかった子どもが多く通って来ているのが特徴ということである。2010年を目処に学校再編を含めた教育システムの大幅な変革が進行中である。生徒の特性や教員の専門性を重視して教育方法や内容の専門性に合わせたクラス集団の編成を行った上で、一つの学校内に統合(共存)する方向で進んでいるようである。  丁寧な説明を終えた後の授業見学では、日本の聾学校同様の少人数で生徒に配慮された授業形態の中で、人なつっこい児童や生徒とのコミュニケーションを通して、楽しく心温まるひとときを過ごすことができた(図5)。 図1 ユバスキュラ大学講堂での説明とワークショップ 図2 オレブロ大学教室での説明と質疑応答 図3 ハンブルク大学手話言語研究所長Christian Rathmann教授の講義 図4 手話通訳者同席の実習授業 2.3 世界ろう連盟訪問と特別講演  フィンランドの首都ヘルシンキ郊外にある世界ろう連盟(The World Federation of The Deaf)を視察し、連盟理事長のマルク・ヨキネン氏による特別講演(図6)を受けた。  世界ろう連盟は、現在、世界の127ヶ国のろう連盟が加入している国際的な非政府組織であり、発展途上国における聴覚障害者の社会参加、教育を受ける均等な機会の創出などを図るために、文化・言語・情報への啓蒙活動に力を入れている。国連との連携も図って活動している。  このような国際的活動の豊かな組織のトップとして活躍しているのがヨキネン会長である。彼は、日本からのろうや難聴の学生達のために貴重な時間を使い、フィンランドで生まれ育った「自分史(講演題目)」をユーモアたっぷりに語りかけた。  子どもの頃から、デフクラブ(ろう者のクラブ)に出かけては大人のろう者とのやり取りをした思い出を披露し、その体験が人生の財産になっていることを繰り返し語った。振り返って我が国の現状を見ると、大人のろう者との出会いや交流を十分に経験した学生はどのくらいいるのであろうか。ヨキネン氏が使う国際手話を直接読み取る学生だけでなく、通訳された日本の手話を見る学生達も、音声通訳に頼る聴者(ろう児をもつ保護者や聴学生)も、皆真剣に話を受け止めていた。  その後の質疑応答は、ヨキネン氏が使える時間を余すことなく続き、特に「教員になったときに生徒とのやり取りで必要なことは何か?」との質問への彼の回答には、日本で教員を目指す学生のみならず、参加者の多くが共感を示した。彼の回答は次の7項目であった。  「自分で考えることを大事にさせる」「議論をする機会を十分に提供する」「自分の意見を率直に述べさせる」「遠慮なく質問できるようにする」「子どもたちの手話の表現力を育てる」「幾つもの言語を身につけさせる」「ろう文化を知り合う」  教師とろう児との関係は、上下関係により成り立つのではなく、ろう児の自立した考えや行動力を伸ばすことに重点がおかれていることが理解できる。フィンランドの若いろう者が大人びているのは、体格の立派さの問題ではなく、自立した考え・行動力が伴っているからであろう。最後に、ヨキネン氏は、「仕事ばかりの人生は幸せではない。会長を退職したら、博士論文を書きたい。ログハウスを建てて、皆様を招待したい」という日本の学生達に贈る言葉で講演を終えた。 図5 小学部の授業(ハンブルク聾学校) 図6 ヨキネン氏の特別講演(世界ろう連盟の会議室で) 2.4 デフクラブ訪問と交流  デフクラブは、ろう者の社会的自立を支え合う団体であり、ろう児が育つ社会環境としても貴重な役割を担っている。北欧社会ではその歴史は長く、100年を超える活動が続いているクラブも数多い。今回は、ヘルシンキのデフクラブとユバスキュラのデフクラブを訪問して交流を行った。  ヘルシンキのろう協会が運営するデフクラブは、1895年に設立され110年以上の歴史を持つ。ヘルシンキ駅の近くに引っ越しをしたばかりであったため、新居のサインネームがまだ決まっていなかった。会員数は350名を超えるとのことで、老若男女を問わず様々な世代が交流を行っている。ろう教育での手話指導や手話通訳者養成等にも力を貸している。会長は仕事のため不在であったが、前会長がデフクラブの歴史を説明した。様々な世代のろう者達の温かな歓迎を受けながら、コマ・あやとり・めんこなどの日本の伝統的な遊びを学生が手を取りながら紹介した。日本の遊びに興味があったようで、デフクラブは夜遅くまで盛り上がり続けた。  ユバスキュラのデフクラブは、1907年に設立され約100年の歴史を持ち、ユバスキュラの繁華街から少し離れた一軒家にある。ユバスキュラ市在住のろう者は約80名であるが、デフクラブに入会しているろう者は、ユバスキュラ周辺地域在住を含めておよそ150名にのぼる。週に1回、子ども(ろう児に限らない)のためのプログラムを実施しており、子どもとろう者との交流の場ともなっている。ヘルシンキと比べると規模は小さいが、近隣にユバスキュラ大学があり、ろう学生の出入りが多い。手作りのクッキーをいただきながらビンゴゲームを楽しんだ後、我々からは、あやとりなどの日本の伝統的な遊びを紹介し、用意していった柔道着を着て投げ技を披露し、相手役を買ってでた勇気ある地元のろう青年へその柔道着をプレゼントした。 3.教育プログラムとしての意義再考  本学で学ぶ学生と他大学で学ぶろうや難聴の学生が共に参加する今回のような国際交流研修プログラムの価値は、今までも繰り返し述べてきた[1][2]。そして、そのことは、このプログラムに参加する学生が日本での日常とは異なるコミュニティ環境を体験し、同じ聴覚障害という身体的条件を共有している他国の人たちと交流しながら、プログラムの参加者との意見交換や議論し合うことの中に見出されてきたのである。  過去8回の参加者内訳をまとめた表1を見ると、2002年3月のプログラムでは本学卒業生が1名参加し、その後7回のプログラムのうち4回に卒業生が参加している。また、他大学や一般社会人の参加は、2004年3月のプログラムで本学外からの参加も呼びかけを始めてから、毎年10名を超える参加が続いている。これらの事実は、ろうや難聴の若者にとって本プログラムが魅力的かつ貴重な体験を提供していることの証とも言えるであろう。例えば、2007年3月のプログラムには、ギャローデット大学(米国))へ留学中の本学卒業生が、在学中から一度は参加をしたいと思っていたとの本人からの申し出でにより、本プログラムに参加した。そして、北欧で本学学生との価値ある出会いも実現したのである。  本年(2008年)3月のプログラムに参加したろう児の保護者(聴者)は、家族の中にろうの子どもが生まれたことを、自分が試されているのだと話していた。そして、いろいろ体験し考える機会を持ちたいとのことで、ろう学生と共に行動できるこのプログラムに参加することを決意したと、デンマークのコペンハーゲン空港内の飛行機乗り換え待ち時間に行った参加者同士の自己紹介場面で学生達に語りかけた。このような出会いを持てた学生にとっては、交流研修旅行がまた一つ意義あるものとなったであろうことを思わずにはいられない。  本学に入学してくる学生の中には、国際交流研修旅行に行くことを楽しみにしている者が毎年何人もいる。入学前から卒業生や大学見学などを通してその内容を知り、異国のろう者との交流や世界を体験したい気持ちが溢れていることを、参加の希望理由を尋ねるたびに感じられる。そしてそのことを、重い経済負担を承知の上で積極的に応援する保護者も少なくない。また、親への負担を考えて旅費を自ら蓄えようとしている学生も見受けられる。学生の積極的な参加意識と行動が、まさに、このプログラムの継続を支えてきたということをしっかり押さえておきたい。  2009年11月には、本プログラムで今までに何度か訪れたオレブロ(スウェーデン)の高等学校の生徒(11名)と教員(6名)が日本への初めての研修ツアーを実現した。本学への訪問は、今まで本学から訪問して交流してきたことの交換交流でもあり、丸1日を使って行われた。その際には、今までに交流研修プログラムに参加した経験を持つ本学学生が中心となり、学内(授業)見学やサークル(ダンス)紹介、日本文化(茶道)体験、そして食堂を借り切っての歓迎交流会と、40名を超える学生の主体的な参加協力のもとに成功した(図7)。関わった学生達からの、また次の関われる機会が待ち遠しいという声は、とても生き生きしていて頼もしいものであった。交流研修プログラムの持つ意義というものは、このような形でも学生に伝わり、広まっていくものであるということを改めて確認することができた。 表1 交流研修プログラムの訪問国と参加者内訳 図7 オレブロの生徒と教員、本学学生・卒業生と教員(食堂) 4.おわりに  8回にわたる北欧への交流研修プログラムを企画実施してきた教員として思うことは、このプログラムを筑波技術大学(本学)在学生のみの集団ではなく、外部参加者との混合集団としたことの意味である。選ばれた一部の在学生のみの集団としてではなく、企画趣旨を理解しそれへの参加を希望する者を可能な限り受け入れた上で、人々による共同体的集団として取りまとめていくことが、集団内の相互作用をより質の高いものに変える機会をもたらし、国際交流研修プログラムが本学学生へ教育的役割を大きく果たす重要な要因になったということである。もちろん、プログラムを用意する本学教員の役割が重要であることは言う今でもない。最後に、本交流研修プログラムは、本学国際交流委員会活動経費による、「北欧・欧州における、聴覚障害者教育の現状視察と研修・交流」として行われたものであることを記してこの稿を終わる。 参考文献 [1] 新井 孝昭,加藤 伸子,萩田 秋雄:国際交流旅行の教育プログラムとしての意義ー米国研修プログラムを通してー.筑波技術短期大学テクノレポート9(1):159-164,2002. [2] 新井 孝昭,西岡 知之,他:北欧4ヵ国における交流・研修の実践報告.筑波技術短期大学テクノレポート12:61-70,2005. Significance of International Exchange Programs and Study Toursfor Deaf and Hard of Hearing Students- Report on the study tour of 2009 and considerations of study tours for eight years - ARAI Takaaki, TANAKA Akira Department of Industrial Information Abstract: March 2009 marked the eighth anniversary of our international exchange programs, mostly to Nordic countries. We have been carrying out such programs every March since 2002. Owing to the feedback received from the participating students, many students have shown interest in participating in such study tours. Every year, more than ten students participate in these programs. Such study tours provide a medium for interaction between deaf students and deaf people; teachers and students give lectures, whose topics include “Communication,”“Sign Language,”“Education,” and “Deaf Culture.” In this paper, we report on the proceedings and the results of the study tour of March 2009 to Finland (Helsinki, Jyväskylä), Sweden (Örebro), and Germany (Hamburg) and discuss the significance of such tour programs. KeyWords: International Exchange, Study tour, Educational program, Deaf education, Communication