鍼基礎実習における痛みの評価の検討─切皮痛の客観的評価法の一考察─ 筑波技術大学 保健科学部 鍼灸学専攻 東條 正典 森澤 建行 森 英俊 緒方 昭広 要旨:鍼の基礎実習において、鍼を痛くなく刺すことができることは学習の到達目標の1つである。しかし現在までのところ、刺した鍼が痛かったのかどうかの評価は、被術者の主観的な感覚に頼らざるを得ない状況である。今回、痛みを異種感覚に置き換えて定量評価する知覚・痛覚定量測定装置(Pain Vision®)が考案された。本研究では知覚・痛覚定量測定装置と発汗計とを共に用いることで、その相関を調べ、鍼基礎実習において発汗量の多寡により切皮痛の評価が可能かどうかを検討した。その結果、刺激に対する発汗の傾向は個人差が大きく、発汗量の多寡により鍼の有痛・無痛を画一的に判定することは困難であると考えられた。 キーワード:鍼基礎実習、痛みの評価,切皮痛,発汗 1.はじめに  鍼の基礎実習において、鍼を痛くなく刺すことができることは学習の到達目標の1つである。特に鍼で皮膚を切るときに生じる痛み(切皮痛)は、学習の初期段階で直面し、且つ習得に時間のかかる技術の1つである。そのため学生は無痛切皮を習得するのに腐心するのである。しかし、痛みは国際疼痛学会によって「組織の実質的あるいは潜在的な傷害に結びつくか、このような傷害を表す言葉を使って述べられる不快な感覚、情動」と定義されているように、主観的なものであり、その評価は非常に困難である。現在、痛みの評価にはVisual Analogue Scale(VAS)がよく利用される[1]。これは100mmの線上の左端を「痛みがない」、右端を「想像できる最大の痛み」として、現在の痛みがどこにあるかを示してもらう方法であるが、数値化しているとはいえ、これもやはり主観的な評価とならざるを得ない。結局、鍼を刺したときの痛みは被術者にしかわからず、客観的にどの程度の痛みであったのかを評価することは出来なかった。  しかし最近、電気刺激を利用した知覚・痛覚定量測定装置(Pain Vision®)が開発された。これにより患者の感じる痛みをより客観的に評価・検討できる可能性がでてきた[2][3]。しかし、知覚・痛覚定量測定装置は、その操作上の問題から人為的なバイアスが介入する恐れがあるという課題を残している。そこで、よりバイアスの介入しない客観的な評価項目として刺激に対する精神性発汗量(以下 発汗量)に着目した。  本研究では知覚・痛覚定量測定装置と発汗計とを共に用いることで、その相関を調べ、鍼基礎実習において発汗量の多寡により切皮痛の評価が可能かどうかを検討した。 2.方法 2.1 実験の概要  実験室に入室後10分間の安静を確保した後、左前腕前面中央に知覚・痛覚定量測定装置の電極を貼り、両手の母指球に発汗プローブをそれぞれ装着した。なお、被験者の両手には知覚・痛覚定量測定装置から流れる電流を止めるためのハンドスイッチを持たせた(図1)。知覚・痛覚定量測定装置を用いて被験者の「刺激を感じる電流値」と「痛みを感じる電流値」を取得し、その後、有痛または無痛の鍼刺激(切皮)をランダムに被験者の右合谷穴(手背で第1指・第2指中手骨底の間)に与え、その後、切皮刺激に対する電流値を取得する。同時に発汗計で、被験者の両母指球の発汗量を測定し、痛み刺激と発汗量の関係を検討する。また、VASにより被験者が自覚した痛みの主観的評価を行った。  発汗の計測は換気カプセル法により測定した。直径1.3平方センチメートルの発汗プローブを左右の手の母指球に両面テープで装着し、その部から滲出する発汗を流量補償方式換気カプセル型ディジタル発汗計により定量化した。 2.2 使用機器 ①知覚・痛覚定量測定装置(Pain Vision® PS-2100、ニプロ社製) ②発汗計(流量補償方式換気カプセル型ディジタル発汗計 SKN-2000、西澤電機計器製作所社製) ③使用鍼(寸3-1番鍼[No.1(0.16)×40mm]、セイリン社製) 2.3 被験者  ヘルシンキ宣言を厳守し、事前に説明し、本研究を十分に理解した本学学生に対して同意書を取り行った。  男女29名(男性17名、女性12名)、18~39歳(平均年齢22.1±4.1歳)を対象に行った。実験は2009年11月(22名):20.6~24.6℃/41~69%(被験者の実験時間内の変化:平均0.23±0.30℃/−0.69±0.95%)と2010年7月(7名):23.4~25.3℃/70~85%(被験者の実験時間内の変化:平均0.44±0.18℃/−0.4±1.34%)で行った。特に、被験者の実験時間内の環境温度(℃)/湿度(%)の変化には大きな差異は認められなかった。  更に被験者には実験2時間前から食事や運動を避け、前日からアルコールやカフェインの入った飲料の摂取を断ってもらった。 図1 知覚・痛覚定量測定装置と発汗計および測定プローブ 3.結果  刺激に対し発汗が生じない例や、非常に不安定な発汗を示し、解析が困難である例があり、これらの例を除外した25例のデータにより検討した。  図2の上段では「刺激を感じる電流値」の発汗量(m1~m3)と「痛みを感じる電流値」の発汗量(p1~p3(2))が大きく異なることや、鍼刺激(se)が「痛みを感じる電流値」の発汗量(p1~p3(2))よりも低く、被験者のVAS も4mmであったことから刺激電流値と発汗量とが相関しているようにも見える。  一方で、図2の中段のようにどのような刺激を与えても全く発汗を生じない者や、図2の下段のように同じ程度の刺激を与えても発汗にばらつきがでる者がいるなど、個人差はかなり大きかった。しかしながら、発汗量に左右差はあるものの発汗量の増減の傾向に左右差はないことが見出せた。  図3は鍼刺激のVAS と知覚・痛覚定量測定装置で測定した痛み度の関係を示したものである。痛み度とは痛みに伴う電流感覚が電流閾値に対してどれだけ増加したかを規格化して表現したもの(痛み度=100×[痛み対応電流-最小感知電流]/最小感知電流 最小感知電流値:はじめて電流を感じた電流値、痛み対応電流値:痛みと同じ感覚となった電流値)で、理論上0~100までは無痛、100を超えると感知できる刺激量であるといえる。図3−1から痛み度100未満でもVASでは33という値が出ることもある一方で、痛み度が449、VAS が30という値が出ることもあるなど、VASや痛み度による評価の限界を確認できた。一方で、例数は少ないが痛み度100以上の場合は痛み度の増加に伴いVASの値も増加しているように見えたが、相関は認められなかった(図3−2)。  図4はVAS と発汗量の関係を示したものである。図からもわかるとおり、発汗量のばらつきは非常に大きく相関は認められない。また、痛み度100未満でより高い発汗量が検出されたことは興味深く、これには精神性発汗の関与が推察された(図4−1)。一方、痛み度が100以上になってもVAS と発汗量には相関が認められなかった(図4−2)。  図5は痛み度と発汗量の関係を示したものである。こちらもVASと発汗量の関係の場合と同様にばらつきが大きく相関を認めることはできない。また、痛み度100以上の結果でも相関は認められなかった(図5−2)。 4.考察  本研究は、汗腺が交感神経支配であることから痛み刺激により交感神経が亢進すると発汗が促され、それにより痛みの刺激量が増大するにつれ発汗量も増大するのでなはないかとの仮説より始動したものであるが、痛み刺激が増大するにつれ発汗量が画一的に増大するという肯定的な結果は得られなかった。その最大の原因は、刺激に対する発汗量に個人差が大きく一定した傾向が見られなかったことにある。図2の中段にあるように、刺激に対しまったくの無反応である被験者がある一方で、発汗の基線すら得られない不安定型の被験者も存在し、この両者についてはデータの解析すら不可能であった。解析可能であった25例中でも刺激に対し一定の発汗量を示すもの、刺激に慣れ発汗量が低下するもの、一定の傾向が見出せないものが存在し複数の被験者のデータから画一的な傾向を見出すことはできなかった。あるいは、被験者1人のデータを複数回取得することで、その被験者個人の傾向については一定の見解が得られるかもしれないが、これは鍼基礎実習における客観的な評価法を検討することを目的とした本研究の主旨から外れてしまう。もしくは、大橋ら[4]が提唱する分類(発汗の仕方により無反応型、運動負荷反応型、精神負荷反応型、汎反応型等に分ける)に従えば、その分類ごとの傾向が見出せる可能性があるが、本研究では被験者数が少なかったことからそこに至らなかった。  いずれにせよ、本研究が目的とした発汗量の多寡により切皮痛の程度を客観的に評価する試みは、刺激に対する発汗の傾向にかなりの個人差が認められたため、画一的に評価することは困難であると結論するに至った。 5.まとめ  本研究により、刺激に対する発汗の傾向は個人差が大きいこと。また、複数の被験者を対象とした場合、刺激量と発汗量には相関がないことが示唆された。以上から、発汗量の程度により鍼の有痛・無痛を画一的に判定することは困難であると考える。 謝辞  本研究は平成22年度文部科学省特別教育経費「視覚に障害を持つ医療系学生のための教育高度化改善事業」の一部として実施した。 参考文献 [1] 加藤 実、後閑 大、小林 あずさ:Pain Vision,ペインクリニック30(1):23-27,2009. [2] 嶋津 英昭、瀬野 晋一郎、加藤 幸子ら:電気刺激を利用した痛み定量計測法の開発と実験的痛みによる評価,生体医工学43(1):117-123,2005. [3] 有働 幸紘、久米 健、竹田 清:Pain Visionによる慢性疼痛患者に対する鍼治療の効果判定について,全日本鍼灸学会雑誌60(2):190-196,2010. [4] 大橋 俊夫、宇尾野 公義:精神性発汗現象―測定法と臨床応用―,㈱スズケン医療機器事業部,1993. 図2 鍼刺激と発汗の関係 上段:刺激に対し安定した発汗を示した例、中段:刺激に対し発汗が生じない例、下段:非常に不安定な発汗を示し解析が困難である例 m1~m3は「刺激を感じる電流値」に対する発汗量、p1~p3は「痛みを感じる電流値」に対する発汗量、osiは被験者の合谷穴に押手をのせたときの発汗量、seは切皮時の発汗量、p4は切皮時の刺激と同程度の電流が流れた際の発汗量をそれぞれ示している。 図3-1 痛み度とVASの関係 図3-2 痛み度とVASの関係(痛み度100以上) 図4-1 VASと発汗量の関係 図4-2 VASと発汗量の関係(痛み度100以上) 図5-1 痛み度と発汗量の関係 図5-2 痛み度と発汗量の関係(痛み度100以上) Study on the Pain Evaluation in the Practice of the Basic Techniques of Acupuncture ― Objective Evaluation of Initial Insertion Pain ― TOJO Masanori, MORISAWA Tateyuki, MORI Hidetoshi, OGATA Akihiro Faculty of Health Science, Department of Health, Course of Acupuncture and Moxibustion Abstract: One of the objectives of acupuncture training is to ensure that the students masters the skill of inserting needles without causing any initial insertion pain to the patient. Thus far, studies on the evaluation of pain from needle insertion have been based on the objective sensation of the patients. However, in this study we used a newly developed quantitative system (Pain Vision®) to determine the perception of the patient and measure the extent of pain experienced by them. In this system, the extent of pain is quantitatively evaluated by replacing it with a different sensation. In addition to Pain Vision®, we used a sweat measuring device and investigated the correlation between the magnitude of perception and the amount of sweat produced. We examined the possibility of a correlation between the amount of sweat produced and the pain associated with the initial insertion of the needle during the practice of the basic techniques of acupuncture. The results suggest that there is no clear correlation between the amount of sweat produced and the pain experienced, because the amount of sweat produced by different individuals in response to a stimulus tends to vary largely. Keywords: practice of basic techniques of acupuncture, evaluation of pain, initial insertion pain, sweating