保健科学部集中授業「フリークライミング」の有効性 筑波技術大学障害者高等教育研究支援センター1) NPO法人モンキーマジック2) Facilitate the Future Project3) 香田 泰子1) 天野 和彦1) 小林 幸一郎2) 高梨 美奈2) 江越 喜代竹3) 要旨:保健科学部の健康・スポーツ科目の集中授業として、フリークライミングを実施している。この種目は視覚障害者にとって、晴眼者と同じように取り組み、楽しむことができるものである。学外の施設を使って専門家に指導を依頼して行った結果、学生は普段経験できない貴重なスポーツ体験ができ、さらに課題に取り組むことを通しての達成感やチームワークの大切さなど、様々な経験や学習ができており、視覚障害学生にとって有効な授業と考えられる。 キーワード:健康・スポーツ科目,集中授業,フリークライミング,視覚障害学生 1.はじめに  平成17年度に本学が短期大学から大学に変わったことにより、保健科学部の健康・スポーツ科目に、新たに集中授業として「シーズンスポーツ」を2科目開講することになった。このうち3年生を対象とした「シーズンスポーツA」では、フリークライミングを実施している。平成20年から22年までの3年間に計17名の学生が履修し、通常の授業とは異なる効果が学生にとってみられている。ここではこの授業の概要と有効性を報告する。 2.フリークライミングと視覚障害者 2.1 フリークライミングとは?  フリークライミングとは、安全を確保した上で、手や足など人間が本来持つ能力で岩や人工の壁を登るスポーツである。もともとは自然の岩場で行われていたが、近年は人工壁を設置したクライミングジムが市中に普及したことにより登山家だけでなく様々な人が気軽に楽しむことができるものへと発展してきた。公共の体育施設や教育機関にも人工壁が設置されてきており、大学でも学内に人工壁を設置し授業に取り入れている機関が増えつつある。また、2008年からは国民体育大会の種目にも採用されている。  クライミングを行う上で求められるものには、持久力、瞬発力、バランス能力といった体力・運動能力のみならず判断力、観察力、想像力、リスクマネージメント能力などの知的な活動も必要とされるといわれている[1]。 2.2 フリークライミングと視覚障害者  この授業の指導を依頼している小林幸一郎は、フリークライミングが視覚障害者に適している理由として、以下の事項をあげている[2]。 ・登る壁は移動しないため、視覚に障害があっても自分のペースで探りながら行うことができる。 ・ロープなどで安全確保されており、思い切って身体を使うことができる。 ・晴眼者と同じ課題を同じルールで解決することができ、相互理解や交流につながる。また、ビレーヤー(安全確保者)とのパートナーシップを身につけることもできる。 ・誰の力も借りずに一人で課題に取り組むことができるので、「自らの力だけで課題を解決し達成する」機会を持つことができ、それが日常生活力の向上にも寄与する。  このようなことから、フランスではクライミングの教育的な効果が早くから認められ、約20年前から義務教育課程の体育実技に導入され、視覚特別支援学校でも取り組まれているという[1]。わが国では神奈川県の平塚視覚特別支援学校の体育館に人工壁が設置され、校外学習として天然壁のクライミングを体験させている。また、指導を依頼している小林が代表をつとめるNPOが視覚障害者のクライミング活動を普及している。しかしまだ体育のカリキュラムに正式に取り入れている機関は少ない。 3.本学での授業の概要 3.1 フリークライミングを集中授業に取り入れた経緯  集中授業でどのような種目を選択するかを検討した際、選択する条件として、 ・学外の施設を使った普段なかなか経験のできない種目 ・生涯スポーツとして卒業後も継続できる種目 ・学生の負担(金銭面や移動面)があまり大きすぎない種目 ・視覚障害者を指導する上で信頼のできる指導者がいる種目  を条件として検討した。その結果これらの条件に合う種目として、フリークライミングが学生にとってなかなか経験できないスポーツであり、上記のように、視覚障害者に適した種目と考えられること。また、指導者には以前から本学体育教員と連携があり、主に視覚障害者を対象にフリークライミングの普及を目的として活動している小林に依頼することができること等の理由により、フリークライミングを採用した。なお、指導者の小林が視覚障害者であることも、指導を依頼する一因となっている。 3.2 集中授業の内容  毎年夏期休業中の9月中・下旬に3日間の授業を実施している。参加学生の疲労等も考慮し、1、2日目は続けて行い、約1週間後に最終日の授業を行っている。いずれも、つくば市内や柏市内の人工壁にて行っている。  授業の特徴としては、単にフリークライミングを体験するだけでなく、フリークライミングの仕組みや自分の安全確保に必要なロープワーク(ダブルエイトノットという結び方の習得)、使用用具やその仕組み・役割の学習、また他者の安全確保の役割をするビレーヤーやバックビレーヤー(クライマーが登っているとき、下でロープを操作して安全確保する人)も担当し、他者の安全に責任を持つことも体験している。  授業における課題は個々の学生の状況に合わせて、それぞれのクライミングのレベルや身体状況に合わせた課題を順次提示して取り組ませるが、基本的にはクライミングとして高さ12mの人工壁を登りきること(途中で壁から離れてロープにぶらさがってしまわないで)(図1)、次にあらかじめ決められたホールド(登る際に手や足をかける突起)だけを使ってのボルダリング(横移動)、そして最終的には手または手・足ともに使ってよいホールドを限定してのクライミングに挑戦するという内容である。授業の流れを表1に、授業の様子を図2~4に示す。  指導者は学外講師として小林が担当し、その他に指導補助をクライミング指導者やボランティアの大学院生が担当している。また本学体育教員2名も補助を行っている。 3.3 クライミング時の視覚障害学生に対する情報保障  学生がクライミングを行う際には、十分に安全性に注意している。また、指導者らは基本的には学生が自立してクライミングすることを見守っており、学生は壁を見たり触ってホールドの位置や形状を確認しながら登っている。しかし特に盲学生においては、次に手や足をかけるホールドの位置がわからない場合があるので、その際には指導者らが周囲の状況について口頭で説明して情報保障を行っている(例:「10時の方向・1m先に大きいホールドがある」、「膝の高さで右に50cmにあるホールドに足を上げられる」等)。  また、特に最終日では課題のレベルが上がり、使ってよいホールドが限定された状況でクライミングするため、盲、弱視学生ともにわかりやすいように、使ってよいホールド間にコントラストがはっきりした紐を張り、触ってわかりやすく、見てわかりやすいように工夫している。 図1 授業実施の人工壁(高さ12mを登ったところ) 図2 授業初期のクライミング 図3 ボルダリング(横移動の学習) 図4 最終課題への挑戦(使ってよいホールドを限定してのクライミング) 4.授業による学生への効果 4.1 学生の感想  これまでに17名の学生(平成20年:5名、21年:3名、22年:9名)が履修した。内訳は、盲学生2名・弱視学生15名、男子11名・女子6名、年齢は20才~55才であった。このうちフリークライミングの経験者は2名いたが、ほとんどが初心者であった。  毎年学生には、授業終了後に質問紙によりこの授業に対する感想等を記述または面談形式でアンケート調査している。  その結果、授業に対するネガティブな感想や意見を述べた学生はおらず、全員が「楽しかった」、「達成感があった」などのポジティブな感想を述べていた。また、「チームワークの大切さを感じた」、「自分に自信がついた」などの感想もみられた。自由記述による学生の感想から、彼らがこの授業で感じ、学習できた内容をまとめてみると、以下のようになる。  ・スポーツとしてのクライミングの楽しさや奥深さの学習:「とにかく楽しかったです。」、「バランス能力をとても必要とした。」、「上腕の筋力、先を見越して行動する頭脳が大切。」といったクライミングそのものに対する感想があった。学生は3日間集中して授業に取り組むことによってクライミング技術が向上し、より高いレベルの課題を達成できるようになったことで、満足感や達成感を得ることができた。また、腕だけで登るのではなく全身をうまく使って登る必要があり、身体の使い方を学習することができた。さらに、課題達成のためには身体だけでなく、どのように登るかよく考える必要があることも学習していた。 ・チームワークやお互いの協力、支援の大切さの学習:「チームスポーツという点が新しい発見だった。」、「一人で頑張るものではなく、みんなの協力があってこそ成功する。」などの感想があった。授業前はほとんどの学生が、「クライミングは個人種目」と考えていたが、ビレーヤーやバックビレーヤーの体験や、クライミング中に仲間の励ましによりあきらめずに頑張ることができたという体験から、課題達成のためのチームワークの大切さを学習できた。また、同時に、他人の安全を守る体験を通して、責任感の重要性も感じることができた。 ・自己の可能性への気づき:「もう無理だと思っていても自分があきらめなければ達成できるのだという自信がついた。」、「自分自身のスポーツにおける粘り強さを発見した。」などの感想があった。与えられた課題は各自が努力しないと達成できないレベルであったため、学生は授業で努力することやあきらめないことを何度も体験していた。その結果、「思っていた以上に努力する自分」や「あきらめない自分」を感じていた。また、その結果自分への自信を高めることができた学生もいた。 ・視覚障害の指導者による影響:「指導者を見ていると、晴眼者との差はないのではないかと思いました。」などの感想があった。指導者自身が自分たちと同じ視覚障害者ということで、「障害があっても人生に色々な可能性がある」ということを感じた学生もいた。 4.2 本学体育教員の授業に対する評価  3年間の授業を通して、この授業でねらいとしていた「普段できない種目の体験」の達成のみならず、上記のように学生が様々なことを学習できたと考えられ、予想以上に有効な授業と考えている。学生はクライミングというスポーツを体験し技術を向上させるというスポーツ面での学習とともに、精神的な面でも多くの学習ができたと推察される。特に教員からみて、各学生が課題に取り組む姿勢はこれまで普段の授業であまり見たことがない姿であり、学生の可能性が感じられ、また、この可能性を伸ばしていく指導の重要性も感じられた。本学の学生、中でも一般中・高校出身者は視覚障害により学校体育で十分な対応を受けられず、体育・スポーツの経験が少なかったり、ネガティブな印象をもっている学生も多い[3],[4]。そのため学期中の授業では「スポーツの良さを知る、親しむ」ことを目的として多種目を短期間ずつ体験する授業が中心で、一つの種目を長時間継続して深く学習することが少ない状況である。この集中授業によって1つの種目を深く追求することにより、普段の授業で得ることができない効果を得られたと思われる。  また、学生と同じ障害のある指導者が授業を担当したことも学生に好影響を及ぼした。  さらに、フリークライミングが学生の生涯スポーツの一つとして位置づけられることも期待していたが、この授業をきっかけとして在学中や卒業後も継続して実践している学生もおり、生涯スポーツとしての定着が期待されるところである。 5.まとめ  保健科学部の集中形式の健康・スポーツ科目「フリークライミング」の概要と学生への効果について述べてきた。集中授業として学外施設を利用し、専門家に指導を依頼することで、学生にとって普段の授業では得られない効果がみられている。今後は、毎年の授業でできるだけ多くの学生が履修するように指導していき、クライミングによる効果を感じてもらいたい。また、この授業の有効性についてさらに検討を進めたいと考えている。 参考文献 [1] Hugues Lhopital: Project eacalade cycle3 mercredis de Lyon, Lyon, 1-2, 2005. [2] 小林 幸一郎:見えない・見えにくいフリークライミング~そこから見えてくるもの~.第31回医療体育研究会/第14回日本アダプテッド体育・スポーツ学会第12回合同大会抄録集:59, 2010. [3] 香田 泰子:わが国における視覚障害者のスポーツ活動の現状と課題.障害者スポーツ科学 7(1):3-11, 2009. [4] 香田 泰子・天野 和彦・伊藤 忠一:一般校における視覚障害者の体育・スポーツ活動.筑波技術短期大学テクノレポート4:33-36, 1997. Effects of an Intensive Sports Class “Free Climbing” for Visually Impaired Students KOHDA Yasuko1), AMANO Kazuhiko1), KOBAYASHI Koichiro2), TAKANASHI Mina2), and EGOSHI Kiyotake3) 1)Research and Support Center on Higher Education, Tsukuba University of Technology 2)NPO Monkey Magic 3)Facilitate the Future Project Abstract: We offer an intensive sports class “free climbing” for visually impaired students. Free climbing is a sport suitable for people with visual impairment that they can enjoy as much as sighted people. In the class, we use facilities outside the campus, and specialists instruct the students. Through these activities, students can feel joy and satisfaction. Furthermore, they learn the importance of teamwork. It is suggested that the class is both physically and mentally effective for visually impaired students. Keywords: Health and sport class, Intensive class, Free climbing, Visually impaired students