情報・理数点訳ネットワーク事業の5年間─参加点訳者を対象とする調査の実施─ 筑波技術大学 障害者高等教育研究支援センター1) 筑波技術大学 視覚障害系支援課技術係2) 長岡 英司1) 田中 直子1) 小野瀬 正美2) 納田 かがり2) 要旨:視覚障害を持つ大学生等の学習を支援する目的で、情報技術や理数分野の図書を点訳して提供する事業を実施した。点訳は、この事業のために開設した「情報・理数点訳ネットワーク」に参加した六つの既存点訳グループが担当した。そして、本学教職員による事務局が、点訳の選書から完成版電子データの所蔵・提供までの、その他の実務を行った。その中には、点訳活動を支援するための、研修の実施、参考資料の発行、メーリングリストの運用なども含まれる。事業の開始から約5年の間に、情報・理数分野の図書を多数点訳して利用に供したほか、それを実現する過程で参考資料の発行やソフトウェアの開発等の副次的な実績を残すことができた。それらを踏まえて参加点訳者を対象とするアンケート調査を実施し、点訳を担った側の活動の実際や点訳支援の重要性等が明らかになった。 キーワード:視覚障害,学習環境,点字図書,点訳支援,アンケート調査 1.はじめに  重度視覚障害のある学生にとって、学習資料の確保は今なお容易ではない。なかでも、IT(情報技術)や理数系の分野ではそれが著しい。点字使用学生のほとんどが、これらの分野の科目を履修する場合に、学習資料に関する困難や不便に直面している[1]。  2006~2010年度に障害者高等教育研究支援センターにおいて遂行された文部科学省特別教育研究経費プロジェクト「高等教育のための学内外視覚障害者アクセシビリティ向上支援事業─視覚障害者用学習資料の製作拠点の整備」では、このような状況の改善を目的に、ITや理数系の分野の図書を点訳して提供する事業を実施した [2]。点訳は、この事業のために開設した「情報・理数点訳ネットワーク」に参加した首都圏の六つの既存点訳グループが担当した。そして、点訳する図書の選定や原本の調達、完成した点字図書の電子データの所蔵や提供は、学内の教職員による事務局が受け持った。同時に、事務局は、点訳活動を支援するために、研修の実施、参考資料の発行、メーリングリストの運用等も行った。事業の開始から約5年を経過した2011年3月に、この点訳実務への参加者を対象に、活動の実際や点訳支援の有効性等を明らかにするためのアンケート調査を実施し、74人からの回答を得た。  本稿では、その調査の結果を添えて、5年間の本事業の実績を報告する。 2.点訳実務  本事業では、年度ごとに選書を行い、情報系と理数系の図書を点訳した。 2.1 点訳実績  点訳の実務は2006年10月に始まり、2010年度末までに61タイトルの図書が点訳された[3]。年度別の点訳完成タイトル数は表1、全体のジャンル別タイトル数は表2のとおりである。これらの点字図書では、ジャンルごとに情報処理、数学、理科の専用点字表記体系が適宜使い分けられている。  完成した点字図書は、すべて事務局へ電子データで納品された。電子データ(点字データと点図データ)の形式は、各グループの使用ソフトによって異なったが、いずれも当初に指定した範囲内のものである[4]。また、次第に点図の作成が増えたことから、一部の点字図書をエーデルブック形式のデータに再編集した。 2.2 点訳体制  点訳実務には、毎年度、ほぼ同じ顔ぶれの約90人の点訳者が参加した。点訳原本は、事務局が購入し、タイトル別に決められた担当グループに2~3冊を送付して1冊を事務局保管とした。各グループでは、内部で分担を決め、下調べから始まる点訳作業に着手する。  アンケート回答者の、点訳経験年数別人数を表3に、本事業への参加年数別人数を表4に、参加期間内に分担した図書タイトル数別人数を表5に示す。  点訳体制については、回答者の多くから、触読者による確実な校正がより迅速に行われるような改善が必要との指摘があった。 2.3 使用ソフト  点訳や点図作成はすべてPCで行われた。回答者の使用ソフトごとの人数を、点訳ソフトについては表6に、点図作成ソフトは表7に、その他の点訳関連ソフトについては表8に示す。  また、これらのソフトウェアについて、回答者から具体的な改善要望等が多数寄せられた。 <点訳ソフトへの改善要望の例> ・Tエディタに行末処理機能があるとよい。 ・点字編集システム4に、二つのファイルを並べて開いたときに同時に画面が移動していく機能があるとよい。 ・ブレイルスターに、マウスで範囲指定してからコピーや削除ができる機能があるとよい。 <点図作成ソフトへの改善要望の例>(全てエーデル) ・エーデルブックの結合・分離・書きだし・挿入などができるとよい。 ・起動時状態を自由曲線モード以外にも設定できるとよい。 ・異常接近処理時に優先される点種が選べるとよい。 ・特大点が欲しい。 ・矢印の機能があるとよい。 表1 年度別点訳完成タイトル数 表2 ジャンル別点訳完成タイトル数 表3 点訳経験年数別人数 表4 参加年数別人数 表5 担当タイトル数別人数 表6 点訳ソフト別使用人数(重複使用あり) 表7 点図作成ソフト別使用人数(重複使用あり) 表8 点訳関連ソフト別使用人数(重複使用あり) 3.点訳支援  事務局は、点訳の円滑化と質的向上に資することを目的に、点訳活動に対する支援を行った。アンケートでは、それらの利用状況や有用性の評価、さらに、点訳活動の質的改善に向けての支援ニーズを尋ねた。 3.1 研修の実施 この事業に参加したどの点訳グループもそれ以前に点訳実績が十分にあったが、情報系分野については未経験の点訳者が多かったことから、点訳実務の開始に先立って、情報処理用点字についての研修を、事務局員が各グループの活動拠点に出向いて行った。  その後は毎年度、すべてのグループの点訳者が参集する形の研修会を下のとおり実施した。点図に関する内容が多かったのは、参加対象者の要望を踏まえた結果である。 2006年度:「点字図書用図表の作成技法研修会─手で読む図表の作り方を学ぶ(初歩から実践まで)」 2007年度:「『英語点訳ガイド』の有効な使い方 本書の紹介と英語点訳学習の要点」、「情報系図書の点訳における留意点─点訳事例が語ることごと」、「点字使用大学生における情報・理数系図書の利用状況」 2008年度:「情報系図書の点字化の意義─ニーズの現状と今後の方向性」、「点図ソフト・エーデルの今─これまでの歩みと現在の機能」、「点図ソフト・エーデルへの期待─発展の方向性を考える」 2009年度:「理科点図の製作における基本的な考え方─触読の特性から求められる配慮と工夫」、「理科授業の展開…教材教具の中での点図の役割」、「試作点図の評価と改良の要点」 2010年度:「進化するエーデル─点字図書製作の新たな可能性」、「ビデオ視聴『エーデルブックをつくろう!』、『視覚障害学生の入学が決まったら』」、「情報・理数点訳ネットの活動─これまでと今後」  これらの研修の有用性についての評価を表9に示す。  また、受講したい研修として次のような内容が挙げられた。 ・点字図書利用者の意見を聞く ・数学点訳 ・理科点訳 ・情報処理関係の画面表示の点訳 ・エーデルの活用 ・触図作成 ・情報処理の基礎知識 ・点訳ネット内の情報交換 ・情報処理点訳 ・文字以外の部分の点訳(イラスト・写真など) ・点訳全般 3.2 メーリングリスト(ML)の運用  点訳者と事務局の情報の共有や点訳者の相互支援を図る目的で、点訳実務の開始と同時に、専用サーバによるメーリングリストを開設した。点訳者73人と事務局員5人で始まったこのメーリングリストには、点訳原本に専門的な記述が多いことや、点訳基準の整備や周知が十分でなかったことから、点字表記の方法に関する問い合わせが多く寄せられた。そのすべてに対して概ね即日に回答が投稿されたが、そのほとんどを事務局が行った。開設当初はとくに利用頻度が高く、2006年度末までの最初の約半年間の投稿数は231件であった。  このメーリングリストを利用していたアンケート回答者は51人であり、その84%の43人が「とても役立った」または「役立った」と評価している。役に立ったと判断する理由は表10のとおりである。 3.3 参考資料の発行  点訳実務の開始に先立って、点訳の詳細について定めた『点訳基準暫定版』を作成した。だが、メーリングリストでのやり取りの状況から、より確かな点訳基準の必要性が明らかになったため、暫定版を全面的に改定して点字表記例なども掲載した正式な点訳基準[4]を、2007年2月に冊子体で発行した。また、同年2月に本学で開催した触図作成の研修会に際して、講師書き下ろしの研修テキスト[5]を制作・発行し、点訳者全員に配布した。これらを含め、情報・理数点訳ネットワーク用に6タイトル(冊子5、DVD1)の参考資料を発行したが、各資料を使用している回答者の数は表11のとおりである。  また、情報・理数系の点訳のためにほしい参考資料として、次のようなものが挙げられた。 ・数学の点訳マニュアル ・理科の点訳マニュアル ・情報系の点訳マニュアル ・本事業のメーリングリストでの質疑応答をまとめたもの ・情報の画面の点訳マニュアル・点訳例 ・点図の実例集 ・作図の解説 ・生物の点訳てびき ・理数点訳用語集(切れ続きや書き方の参考) 表9 研修の有用性についての評価別人数 表10 MLが役立つと判断する理由別人数(重複回答あり) 表11 本学制作資料使用者数 4.点字図書の所蔵と提供  学内外からの提供依頼の受付を含め、完成した点字図書に関する実務は、すべて事務局が行った。 4.1 所蔵形態  点訳の成果物である点字図書は、事務局の専用サーバに電子データで所蔵されている。電子データは、点字図書の巻ごとのファイルに分割され、図書タイトル別のホルダに収録した。 4.2 提供実績  これらの点字図書は、学習・教育目的での利用を希望する視覚障害者や大学関係者等に無償で提供されている。提供される図書の形態は、希望に応じてバインダ製本の印刷版または電子データである。事務局では、この提供事業の利用を促進するために、(1)情報発信用のWebページ[3]の開設、(2)点字図書提供依頼用の電子メールアドレスの設定、(3)利用案内(普通文字、点字、SPコード併記)の作成と配布を行った。  2010年度末までの点字図書提供実績は表12のとおりである。 4.3 利用拡大の方策  点字図書の利用を拡大するための次のような方策が、アンケート回答者から提案された。 ・提供のスピードアップ(校正未完了でも) ・積極的なアナウンス ・ニーズを反映した選書 ・点訳者の参照資料としての提供 ・利用方法の簡便化 ・サピエ図書館との協力体制の整備 表12 点字図書提供実績 5.おわりに  この事業は、大学に置かれた事務局による調整を基盤に、複数の点訳グループが一つの目的の下で緩やかに連帯して活動するという、前例のないものである。文部科学省の特別教育研究経費が運営の支えとなったこともあって、初の取り組みとしては十分といえる実績を残すことができ、一定の社会的評価も得られた。  そこで、本事業を、2011年度に開始の同省特別経費プロジェクトにおいて発展的に継続することとした。継続に際しては、これまでの5年間に得られた多彩な成果を基盤とする新たな取り組みの導入を図るが、アンケートの回答には、それらを含む事業全体の運営にとって有益な意見や助言が多く記されていた。点訳者のそうした想いを十分に踏まえ、継続事業が視覚障害学生の学習環境の改善に一層貢献するものとなるようにしたい。  最後に、本事業のために尽力してくださった多くの点訳者の皆様に改めて心より感謝申し上げる。 参考文献 [1] 長岡 英司:重度視覚障害大学生の情報・理数系図書の利用に関する調査─学習支援体制の充実を目指して─.日本特殊教育学会第45回大会発表論文集:589, 2007. [2] 長岡 英司ほか:情報・理数点訳ネットワークの開設─重度の視覚障害を持つ大学生等の学習環境の改善を目指して─筑波技術大学テクノレポート 15:37-41, 2008. [3] 筑波技術大学 情報・理数点訳ネットワークWebページ: http://www.ntut-braille-net.org/ [4] 筑波技術大学情報・理数点訳ネットワーク:筑波技術大学情報・理数点訳ネットワーク点訳基準.国立大学法人筑波技術大学障害者高等教育研究支援センター障害者支援研究部障害補償システム開発研究部門,つくば,2007. [5] 加藤 俊和・山本 宗雄:筑波技術大学情報・理数点訳ネットワーク点字図書用図表の作成研修会─手で読む図表の作り方(初歩から実践まで)─.国立大学法人筑波技術大学障害者高等教育研究支援センター障害者支援研究部障害補償システム開発研究部門,つくば,2007. Five Years of Braille Translation Network Activities; Results of a Questionnaire Survey to Participants in Braille Translation NAGAOKA Hideji1), TANAKA Naoko1), ONOSE Masami2), NODA Kagari2) 1)Research and Support Center on Higher Education for the Hearing and Visually Impaired, Tsukuba University of Technology 2)Academic Affairs Section for Students with Visual Impairment, Administrative Division, Tsukuba University of Technology Abstract: A project for improving the learning environment of students with visual impairment was carried out in which books on information technology, science, and mathematics were translated into Braille. The Braille translation tasks were assigned to the 6 groups participating in the Braille translation network that was organized for this project. Some university staff members shared the other tasks, for example, the selection of books to be translated into Braille, and possession and provision of the electronic data for the Braille books. They also provided support for Braille translation activities, which included holding workshops, publication of reference materials, and administration of the Internet mailing list. Many Braille books have been produced and provided to students with visual impairment over the approximately 5 years since the project began. In addition, various secondary achievements were obtained through the efforts in support of Braille translation. The results from a questionnaire survey of the Braille translation participants, the details of their circumstances, and the importance of support for their activities are shown. Keywords: Visual impairment, Learning environment, Braille book, Support for Braille translation, Questionnaire survey