我が国の点字郵便制度の歴史-点字郵便無料化50年- 筑波技術大学 保健科学部 保健学科 鍼灸学専攻 大沢 秀雄 要旨:わが国の点字郵便の料金減額化は大正6(1917)年7月15日に始まった。その後、数度の料金改定を経て、昭和36(1961)年6月1日に無料化された。点字郵便の無料化によって、点字本・録音図書などが無料で送ることができるようになり、視覚障害者の教育・福祉に多大の貢献を果たした。本論文ではわが国の点字郵便制度の変遷を解説する。 キーワード:点字郵便,点字,郵便切手 1.はじめに  筆者はこれまで、史料としての郵便切手(その他の郵便物を含む)を分析し、視覚障害者及び聴覚障害者教育の歴史や現状について調査研究を行い、その成果を障害者教育の専門雑誌[1]、郵便関係の専門雑誌[2,3]に報告すると共に、単行本[4]、国内外の切手展[5,6]、オープンキャンパスや学園祭などの機会を通して広く公表してきた。  1961(昭和36)年6月1日、わが国の点字郵便が無料化された[4]。これによって、点字の手紙、書籍、録音図書、点字用紙が無料で郵送できるようになり、視覚障害者の福祉・教育の発展に多大の貢献を果たした。  2011年は点字郵便の無料化から半世紀の節目の年に当たる。2010年末から2011年初めにかけて、本学を含め数箇所の視覚障害関係団体に点字郵便無料化50年の記念事業開催の有無について口頭にて調査したところ、残念ながら、調査範囲内では開催の予定が無いことがわかった。そこで、視覚障害者教育に携わる一人として、微力であるが、点字郵便無料化50年の記念事業として以下の事項を実施した。 ①点字郵便に関する切手展作品の出品  全日本切手展2011(郵便事業株式会社主催、2011年4月29日~5月1日、東京都立産業貿易センター台東館)において「点字郵便」を出品した[7]。審査の結果、金銀賞を受賞した。 ②地域の郵便局で記念展示会の開催  水戸千波郵便局において2011年6月1日~15日、点字郵便物展示会を開催した。 ③郵便関係の専門雑誌への投稿  わが国の郵便研究の主要雑誌である「郵趣研究」第100号(2011年6月15日発行、日本郵趣出版)に「日本の点字郵便のあゆみ-開始から無料化まで-」を投稿した[8]。  本稿では最初に点字の発明から点字郵便の開始までの歴史を概説し、次いでわが国の点字郵便の変遷について既報[8]を基に、その後の調査によって得られた知見を追加すると共に、全日本切手展2011に発表した切手展作品[7]によって点字料金の変遷を提示する。また水戸千波郵便局で実施した点字郵便物展示会の概要についても報告する。 2.点字と視覚障害者教育の歴史 2.1 世界最初の盲学校  フランス人のバランタン・アユイ(Valentin Haüy、1745~1822)は1771年、パリで無教養の盲人の興業を見たことから、盲教育に着手した。1784年、パリに世界最初の盲学校である青年訓盲院を設立した。 2-2 ルイ・ブライユによる点字の発明  フランス人のルイ・ブライユ(Louis Braille、1809~1852、図1)は3歳で失明し、1819年2月にアユイの創設したパリの盲学校に入学した。  フランスの砲兵将校シャルル・バルビエ(Charles Barbier、1767~1841)は1808年、戦場での暗号として点字(12点式)を発明し、その後1821年より、パリ盲学校において盲人の教育にも試行された。バルビエの12点式の点字は音の集まりを表現しており、アルファベットの表現はなく、句読点もなく、数字もない。また一つの指で多数の点を触るのは難しいなどの欠点があった。ブライユはバルビエの点字を改良し、1825年(ブライユ16歳)、六つの点による点字の骨子を完成させた。  1829年には「言葉、音楽、そしてグレゴリオ聖歌を点を使って書くための盲人用の方法」という世界最初の点字本を著した。  当初の点字は、生徒の個人的なメモや宿題に用いられていたが、やがてその使用も盲学校の教育全般へと拡大され、彼の死から2年後の1854年、ブライユの6点式点字がフランスで正式に承認された。点字は彼の名前をとり、Brailleと名付けられた。 2.3 日本における盲学校の創設[4, 9, 10, 11]  1680年頃、盲人の杉山 和一(1610~94)は管鍼法という現在わが国の鍼灸師が行っている鍼の刺入方法(刺入時の痛みが、これ以前の方法より軽減)を発明した。杉山 和一は盲人のための鍼・按摩の教育施設(杉山流鍼治導引稽古所)を江戸・両国に設置した。これはバランタン・アユイの創設した盲学校の約100年前に当たる。この施設は幕末まで存続する。図2は生誕400年にあたる2010年に江ノ島局で使用された杉山 和一を描いた小型印である。また台切手は杉山検校遺徳顕彰会(会長:和久田 哲司 本学名誉教授)作成の杉山 和一 生誕400年のフレーム切手である。  明治維新後の明治7、8(1874、5)年頃、京都で古河 太四郎によりろうあ者への教育が始められ、明治11(1878)年には京都盲唖院が開設されて、盲人の教育も始められた。  一方、東京においても、楽善会という篤志家グループによる盲人を教育するための訓盲所の設立運動が始まった。明治8(1875)年5月、古川 正雄・津田 仙・中村 正直・岸田 吟香、およびボルシャルド(中村 正直の家塾「同人会」の教師)の5名がヘンリー・フォールズ(英人医師・宣教師)宅にて会合し、始めて訓盲のことを相談し、古川 正雄を会頭、岸田 吟香を書記に選び、「楽善会」を組織した。同6月、古川・津田・中村・岸田の4名が訓盲院設立の事を東京府知事 大久保 一翁に「訓盲院取立度建言書」を出願したが許可されなかった。同11月、再び東京府知事に請願したが、またも許可されなかった。  明治9(1876)年、杉浦 譲・前島 密・山尾 庸三・小松 彰らが新たに楽善会に加入した。2月27日に岸田、古川、津田、中村、小松、杉浦、前島の連署で楽善会規則及び目的を添付し、3度目の請願書を東京府権知事 楠本 正隆に出したところ、3月15日に許可を得た。  明治13(1880)年、楽善会訓盲院の業務が開始され、視覚・聴覚障害児に対する教育が開始された。これが現在の筑波大学附属視覚(及び聴覚)特別支援学校である。 2.4 日本の点字制定  その当時の盲学校における教材は普通の漢字やかなを紙面に凸書したものなどが使われた。明治17(1884)年、手島 精一はロンドンの教育博覧会から点字の書物や器具を持ち帰った。明治18(1885)年、小西 信八は東京盲唖学校でブライユの点字を用いて日本語をローマ字式点字で生徒に教えた。明治23(1890)年11月1日、東京盲唖学校教員・石川 倉次の考案した日本語の点字が、東京盲唖学校内の点字選定会で採用された。そのため11月1日を「日本点字制定の日」としている。図3は1990年11月1日に日本の点字制定100周年で発行された記念切手である。切手には日本の点字で「てんじ」とエンボス加工がされている[4]。 図1 ルイ・ブライユを描いた最初の切手 アルゼンチン(1939) 図2 杉山 和一 生誕400年のフレーム切手と小型印(2010) 図3 日本の点字制定100周年記念(1990) 3.点字郵便の開始  点字の普及と共に、点字本の出版がさかんに行われるようになった。点字本は重量がかさみ、郵送費用の高さが問題となってきた。そこで、イギリスでは1904年に点字郵便の減額化が行われた。  わが国でも、点字の普及に伴い、点字郵便の減額化の請願が行われるようになった。「東京盲学校六十年史」(昭和12年発行)に点字郵便減額化運動に関する記述があり、関係箇所を抜粋する[10]。  大正元年9月26日 点字印刷物万国郵便連合会に郵税軽減の件につき参加するよう該会委員長より申来る。  同年11月15日 学校長日本盲人協会会長山岡中佐と共に逓信省へ出頭、点字書籍並びに点字音楽書類郵税軽減の件に就き陳情し更に願書を同省及び文部省へ提出したり。  上記の大正元年11月15日付の記録について、雑誌「内外盲人教育」第1巻冬号(大正2年2月)に「盲人用点字印刷書籍並びに点字音楽書万国郵便税軽減の件に付請願」の記事が掲載されており、以下のような記述がある[12]。  今般英国ロンドン市の万国盲人保護大会委員長ヘンリー・ジョーウィルソン氏により英文書面で、盲人用点字書籍、印刷物並びに点字音楽書印刷物の万国郵便税軽減の件に付、当局へ請願すべき依頼を受け申候、おもうにわが国でも盲人教育は次第に発展し来たり、点字印刷の書籍雑誌類を購読するもの次第に多く相成申候、然るに郵税高率のため或る種の書籍では原代金より郵税を多く支払うの状況に之有候、かくてはこの道発展上少なからず障害と相成に付、ヘンリー委員長の意見至極適当なりと存知じ賛同致候、この願御詮議相成度右原文に訳文(注)を添えて請願致候成。 大正元年11月15日 東京盲学校長 町田 則文 日本盲人協会長 山岡 熊治 文部大臣殿 逓信大臣殿 (注)本文中のある訳文は以下の通りである。  「1911年英国で開催された万国盲人大会において、英国政府並びに万国郵便連合の各国政府に建議して点字印刷物、点字書籍の万国郵送税の軽減を申し出ることに決議した。万国郵便連合の大会が近々開催されるので、各盲人協会、各盲人学校に通知してそれぞれの政府に申し出、その会に出席する代表者に減税の必要を説明して欲しい」  この後の経過について「東京盲学校60年史」には以下の記述がある。  大正4年10月5日 学校長小西東京聾唖学校長 山岡中佐、3名逓信省に出頭第5回盲唖教育会の決議に係る点字印刷物郵税軽減につき建議書を提出す。  このような請願運動の結果、大正6(1917)年5月23日付けの郵便規則中改正、省令第16号において、点字郵便の減額化が同年7月15日より施行されることになった。  「郵便規則中改正 大6.5.23 省令第16号」より点字郵便に関する部分の条項のみ抜粋する(条文の漢数字はアラビア数字変更した)。 郵便規則中左の通改正ス 第14条ノ2 全部印刷シタル無封ノ書状及盲人点字ノ無封ノ書状ハ其ノ料金ヲ重量10匁又ハ其ノ端数毎二金2銭トス (中略) 第19条ノ2 盲人用点字ノ定期刊行物ハ其ノ料金ヲ重量40匁又ハ其ノ端数毎ニ金5厘トス 第23条ノ2 盲人用点字ノ書籍、印刷物及業務用書類ハ其ノ料金ヲ重量50匁又ハ其ノ端数毎ニ金2銭トス 附則 本令ハ大正6年7月15日ヨリ之ヲ施行ス  本改正に関し、「東京盲学校六十年史」には以下の記述がある[10]。  大正6年5月23日 逓信省令第16号を以って郵便規則改正盲人用点字無封の書状並びに定期刊行物の料金軽減の件公布せらる。  同年7月15日 本日より点字郵税軽減の件実施せらる。  「東京盲学校六十年史」において点字郵便減額化に関する記述は上記が最後であり、その後の料金改定時などについては記載が認められなかった。  また、「内外盲人教育」第6巻夏号(大正6年7月)には以下の記述がある。「われら郵税軽減につき其の筋に希望を申し述べたが、遂に去る5月23日逓信省令第16号を以って軽減のことが発布された。まことに盲人諸君は満足する所なるべし」[12]。 4.点字郵便料金の変遷 [8, 13]  表1に国内の点字郵便料金表を示す。盲人用点字郵便の料金に加え、第1種郵便(有封書状)、第2種郵便(通常葉書)の料金も比較のために記載した。なお、第1種の無封書状や第3種・第4種の点字郵便以外の料金は割愛した。  第4種便は書籍と商品見本を低料金で送るためのもので、明治4(1871)年12月5日より始まった。大正6(1917)年7月15日の点字郵便減額化の際、点字の書籍・印刷物・業務用書類は第4種便として取り扱うことになった。第1種の有封書状は4匁(1匁は3.75gに当たる)ごとに3銭、第1種の無封書状は8匁ごとに2銭であった。点字郵便減額化当初の基本料金は2銭で、第1種の無封書状の料金と差はないが、第4種郵便の盲人用点字印刷物は50匁まで2銭であり、重量の増す刊行物、書籍、印刷物は減額されている。  第3種郵便は定期刊行物を低料金で送るためのもので、明治4(1871)年12月5日より始まり、点字郵便減額化の際、盲人用の定期刊行物を第3種郵便物として取り扱うことになった。第3種郵便の盲人用点字定期刊行物は40匁までごとに5厘であった。点字以外の第3種郵便は20匁までごとに5厘であり、盲人用点字定期刊行物では制限重量の配慮が認められる。その後、第3種郵便の盲人用点字定期刊行物は昭和13(1938)年5月1日、第3種から外され、第4種の点字印刷物に統合された。これは第4種の方が安くなり、第3種として特別扱いする必要が無くなったためである。  明治40(1907)年9月1日、第3種郵便物の許可を受けていない定期刊行物で、毎月1回以上刊行するものを第4種郵便の約束郵便として扱われるようになった。大正6(1917)年の点字郵便減額化開始の際、盲人用点字印刷物の約束郵便が設定され、50匁ごとに1銭であった。同時期の一般の約束郵便は30匁ごとに1銭であり、基本料金は同一であるが、制限重量の配慮がみられる。この盲人用点字印刷物の約束郵便は昭和12(1931)年4月1日の料金改定で、一般約束郵便に統合された。  第1種郵便(有封書状)の郵便料金に対する点字郵便の基本料金の割合(%)を郵便料金改定毎に比較する。 大正6(1917)年7月15日 66.7% 大正15(1926)年9月7日 33.3% 昭和12(1937)年4月1日 12.5% 昭和17(1942)年4月1日 20.0% 昭和19(1944)年4月1日 14.3% 昭和20(1945)年4月1日 30.0% 昭和21(1946)年7月25日 16.7% 昭和22(1947)年4月1日 12.5% 昭和23(1948)年7月10日 10.0% 昭和24(1949)年5月1日 10.0% 昭和26(1951)年11月1日 10.0%  このように点字郵便の減額の割合は制度開始時より徐々に大きくなり、昭和23(1948)年7月10日以降無料化までは第1種書状料金の10%の料金であった。 表1 国内点字郵便料金の変遷[8, 13] 5.点字郵便料金の変遷と実際の使用例  次に国内の点字郵便料金の変遷を全日本切手展2011に出品した「点字郵便」(図4)の切手展作品[7]を引用し実際の使用例を提示する。本作品は点字郵便料金の改定ごとに、実際の使用例を収集し展示したものである。  作品の構成はタイトルリーフ(リーフ1)、第1種使用例(リーフ2~14)、第2種使用例(リーフ15~16)である。以下の引用は図4のリーフ番号のみ記載する。  リーフ2は点字郵便減額化以前の点字郵便の使用例である。明治38(1905)年12月22日の消印である(局名判読不明)。点字郵便減額化以前のため、一般書状と同様に3銭の切手が貼られている。リーフ右側に同封の点字の手紙を展示した。  点字郵便の基本料金は大正15(1926)年9月7日の料金改定で50匁ごとに2銭が1銭に値下げされた。昭和6年(1931)年8月1日の料金改定では重量単位がグラムに変更され、550gまでごとに1銭となった。リーフ3は基本料金1銭の期間の使用例である。昭和5(1930)年8月5日(大阪川口局)の消印で、現在報告されている盲人用点字郵便で最古の使用例に属するものと思われる。  昭和12(1937)年4月1日の料金改定で、第1種や第2種の郵便料金は値上げされているのにも関わらず、点字郵便の基本料金は1銭から5厘に値下げされた。リーフ4はその使用例である。大阪中央局の昭和12(1937)年4月4日の消印があり、料金改定後の初期使用例である。本状裏面の差出は大阪点字毎日(現・点字毎日)で、大河原 欽吾 宛である。大河原 欽吾は当時、東京盲学校教諭で点字研究の第一人者であり、「点字発達史」(昭和12年刊)を著した。点字の文面は同書を大阪点字毎日で点字出版させてほしいとの依頼状であり、近代盲人史においても重要な書簡の一つと考える。  昭和17(1942)年4月1日の料金改定で基本料金は5厘から1銭に値上げされた。リーフ5はその使用例である。昭和18(1943)年7月5日(福島局)の消印で、郡山盲学校内に差し出したものである。  昭和20(1945)年4月1日の料金改定で基本料金は1銭から3銭に値上げされた。リーフ6はその使用例である。奈留島(長崎県)、昭和20(1945)年の消印であるが、月日は判読不能である。太平洋戦争末期、物資の不足から磨耗した郵便印は交換されず、そのまま使用されていたためである。また本状の封筒には点字用紙が再利用されており、太平洋戦争末期の物資不足の状況を反映した興味深い郵便物と思われる。  昭和21(1946)年7月25日の料金改定で基本料金は3銭から5銭に値上げされた。リーフ7はその使用例である。昭和22(1947)年3月9日(溝谷局)の消印がある。  昭和22(1947)年4月1日の料金改定で基本料金は5銭から15銭に値上げされた。リーフ8はその使用例である。昭和22(1947)年9月3日(牛込局)の消印がある。  昭和23(1948)年7月10日の料金改定で基本料金は15銭から50銭に値上げされた。リーフ9はその使用例である。昭和24(1949)年3月18日(新潟局)の消印がある。点字による本文の上に帯封状の宛名をつけたものである。  昭和24(1949)年5月1日の料金改定で基本料金は50銭から80銭に値上げされた。リーフ10はその使用例である。昭和24(1949)年7月9日(柏崎局)の消印がある。1円切手が貼られており、20銭分料金が過貼りである。  昭和26(1951)年11月1日の料金改定で基本料金は80銭から1円に値上げされた。リーフ11と12はその使用例である。リーフ11は昭和28(1953)年8月24日(広島・加計局)の消印で、台切手は銭単位の1円切手が貼られている。リーフ12は昭和31(1956)年8月6日(長野局)の消印で台切手は円単位の1円切手が貼られている。この1円切手の図案は郵便の創業者の前島 密である。前述の通り、前島 密はわが国の盲学校設立に尽力し、その後も終生、その発展に貢献した[9]。したがって、盲人用点字郵便に前島 密を描いた通常切手が使用されたことは意義深いと考える。  昭和36(1961)年6月1日より、盲人郵便物(盲人用点字、盲人用録音テープ、点字用紙)の郵便料が無料化された。リーフ13はその使用例で、昭和36(1961)年7月17日(兵庫・上野)の消印があり、点字郵便無料化初期の使用例である。  平成15年(2003)4月1日の日本郵政公社化以降、「盲人用」の表記が「点字用郵便」に変更された。リーフ14は速達使用例で、速達料金(270円)のみ貼付されている。  第2種(通常葉書)の点字郵便は昭和36(1961)年6月1日の点字郵便無料化以前は減額されず、通常料金と同様であった。リーフ15は点字郵便無料化以前の通常葉書使用例を示す。左側の葉書は日本点字の考案者である石川 倉次 宛の点字葉書で、大正6(1917)年1月2日(前橋局)の消印がある。右側の葉書は昭和6(1931)年1月1日の沙河口(現在の中国・大連市)の消印である。いずれも官製葉書に点字が書かれている。  昭和36(1961)年6月1日の点字郵便の無料化によって、それ以前は減額されなかった点字葉書も無料化された。図リーフ16はその使用例で、昭和51(1976)年5月16日(松代局)の消印がある。本状の宛名はカナタイプによって書かれている。ワープロ普及以前、視覚障害者はカナタイプによって墨字を書いていた事を示す資料である。 6.点字郵便物展示会の開催  水戸千波郵便局(水戸市千波町214-1、川上 洋一 局長)において点字郵便無料化50年に当たる6月1日に合わせ、平成23(2011)年6月1日~15日の間、点字郵便無料化50年記念点字郵便物展示会を開催した。前述の全日本切手展に出品した「点字郵便」を中心に展示し、合わせて視覚障害関連切手や関連資料も展示した(一部はファイルによる閲覧)。図5は展示風景で、水戸千波郵便局のロビー内に展示された。同局利用者が見学するとともに、関東近県からの多数の参観者があった。  図6は開催期間中に使用された小型印である。小型印には日本式点字で「てんじ」が墨点字で書かれ、点字用郵便が描かれている。小型印はイベントなどで使用される日付印で、日本郵便の公式の消印であり、点字郵便無料化50年に合わせてこのような小型印の使用ができた意義は極めて大きい。 図5 点字郵便展示会の展示風景(水戸千波郵便局) 図6 点字郵便物展示会 点字郵便無料化50年の小型印(初日印)  水戸千波局、使用期間:平成23(2011).6.1~15 7.今後の課題  これまで、国内の盲人用点字郵便の調査収集を続けているが、第4種点字郵便印刷物のうち、基本料金2銭の期間(大正6年7月15日~大正15年7月14日)、昭和12(1937)年4月1日改定以前の第4種盲人用点字印刷物の約束郵便、昭和13(1938)年5月1日改定以前の第3種の盲人用定期刊行物の使用例は未発見である。  点字郵便は郵便史においても重要であるが、それ以上に近代盲人史において重要である。盲人の文化・教育遺産とも言える初期の点字郵便の調査・保存は急務である。今後、郵趣・郵便史研究関係機関だけではなく、全国の盲学校、点字図書館、視覚障害関係団体などに対する調査が必要とあると考える。  また、水戸千波郵便局で開催したような一般向けへの展示会を通して視覚障害者や点字に対する理解を図る必要があり、今後とも、視覚障害者教育に携わる本学教員としてさらに積極的に進めていきたいと考える。  日本からの点字の外国郵便については現在、調査収集中であり、今後の研究課題である。 8.おわりに  以上、日本国内の点字郵便の変遷を実際の使用例を基に示した。本稿によって盲人用点字郵便の散逸が防がれ保存調査が進むことを願っている。  点字郵便の無料化によって、点字本・録音図書などが無料で送ることができるようになり、視覚障害者の教育・福祉に多大の貢献を果たしたのは言うまでもない。今後もこの制度が継続維持されるよう、関係各位のご支援をお願いする次第である。 謝辞   点字郵便無料化50年記念点字郵便物展示会の開催並び小型印の使用に当たり、水戸千波郵便局・川上 洋一 局長に多大のご支援を頂きました。謹んで御礼を申し上げます。  本文中に掲載の未使用の切手画像を紙の媒体にカラーで印刷した場合、郵便切手類模造等取締法に触れる恐れがありますので、ご留意下さい。 引用・参考文献(切手展作品を含む) [1] 大沢 秀雄:視覚・聴覚障害に関連した切手.筑波技術大学テクノレポートVol.14:281~287,2007 [2] 大沢 秀雄:視覚障害に関連する切手.切手の博物館研究紀要第4号:3~25,2007 [3] 大沢 秀雄:聴覚障害に関連した切手.切手の博物館研究紀要第6号:12~41,2009 [4] 大沢 秀雄:切手が伝える視覚障害 -点字・白杖・盲導犬-,彩流社,2009 [5] 大沢 秀雄:視覚障害(切手展作品),第44回全国切手展,日本郵趣協会主催,金銀賞・小倉謙賞,東京,2009年10月 [6] Hideo Ohsawa: The Blind(切手展作品),日本国際切手展2011,郵便事業株式会社・日本郵趣協会主催・日本郵趣連合主催,大銀賞,横浜,2011年8月 [7] 大沢 秀雄:点字郵便(切手展作品),全日本切手 展2011,郵便事業株式会社主催,金銀賞,東京,2011年4月 [8] 大沢 秀雄:日本の点字郵便のあゆみ-開始から無料化まで-.郵趣研究第100号:16~19,2011 [9] 大沢 秀雄:楽善会訓盲院の盲唖生徒が製造した駅逓用封筒の発見-前島 密と楽善会訓盲院-.筑波技術大学テクノレポートVol.15:75~80,2008 [10] 東京盲学校六十年史,東京盲学校,1935 [11] 鈴木 力二:図説盲教育史事典,日本図書センター,1985 [12] 下田 知江:盲界事始め,あずさ書店,1991 [13] 天野 安治:エンタイヤを読む(改定新版),日本郵趣出版,1985 図4 The History of the Braille Postal System in Japan-The 50th Anniversary of the Non-Charge Braille Postal System in Japan- OHSAWA Hideo Department of Health, Faculty of Health Science, Tsukuba University of Technology Abstract: Charge cut-ization of Braille mail started in Japan on July 15, 1917. Braille mail was changed into a free service on June 1, 1961. Since the change to non-charge Braille mail, books in braille, re-corded books, etc., can now be sent for free, which has contributed greatly to the education of visually impaired persons and their welfare. This paper explains the changes to the Braille postal system in Japan. Keywords: Braille mail, braille, postage stamp