電話リレーサービスの現状と動向 筑波技術大学 産業技術学部 産業情報学科 井上 正之 要旨:電話リレーサービスは、世界中をくまなく覆っている「音声電話」のネットワークを聴覚障害者が利用可能となるサービスであり、聴覚障害者の社会参加を促進する上で非常に重要である。本報告では、電話リレーサービスの国内外における現状と国際標準化等の将来の動向について述べる。 キーワード:電話リレーサービス,アクセシビリティ,障害者権利条約,聴覚障害者 1.はじめに  電話リレーサービスは、世界中をくまなく覆っている「音声電話」のネットワークを聴覚障害者が利用可能となるサービスであり、聴覚障害者の社会参加を促進する上で非常に重要である。  電話リレーサービスは1960年代に世界で最初に米国で開始され、現在では欧米諸国を中心に数多くの国々で提供され、多くの聴覚障害者に利用されている。一方、日本においても同様のサービスが試行的に提供されてきているが、いろいろな理由からごく一部の聴覚障害者に利用されるのにとどまっているのが現状である。  本報告では、電話リレーサービスの国内外における現状と国際標準化等の将来の動向について述べる。 2.電話リレーサービスについて 2.1 電話リレーサービスとは  聴覚障害者は、その障害の特性上、音声によるやりとりを前提とする電話ネットワークの利用が困難である。そのため、聴覚障害者の通信手段としては、ファクス・TTY(テレタイプライター)など、文字・画像等の視覚的メディアによる通信端末を利用することになる。しかし、このような通信端末は一般の電話ユーザにとっては「まったく必要ないか、あれば便利」というのが普通であり、聴覚障害者が通信できる相手の数が一般電話ユーザと比較して著しく制約されることになる。電話リレーサービスは、こうした制約をとりはらい、聴覚障害者の音声電話ネットワークへの自由なアクセスを可能とするために考え出されたサービスである。  すなわち、図1のように、一般の電話ユーザ(音声メディア)と聴覚障害者(文字・画像等の視覚メディア)との間でメディア変換を行うことで、相互の通信を可能にするのが電話リレーサービスの基本的な考え方である。  理想的には、メディア変換はコンピュータ等により自動的に行われることが望ましい。しかし、たとえば「文字~音声」のメディア変換を行う場合、不特定多数の話者の音声認識が必要になるが、これをつねに高精度で行うことは現在の技術でもまだ困難であるのが現状となっている。そこで、図2のように、間に「オペレータ」と呼ばれる人が入り、文字~音声のメディア変換を担うサービス形態が現実的な解として導入されている。 図1 電話リレーサービスの概念 図2 現在の電話リレーサービス 2.2 電話リレーサービスの種類  電話リレーサービスが世界で最初に開始されたのは、1966年、米国においてであった[1]。米国では、自らも聴覚障害を有するエンジニアのRobert B. Weitbrecht氏らによりTDD(Telecommunication Device for the Deaf)と呼ばれる文字通信端末(TTY)が開発され聴覚障害者の間で普及が進む中で、このTTYの利用範囲をさらに広げるものとして電話リレーサービスが考え出された。そのため、初期の電話リレーサービスは「文字から音声へ」「音声から文字へ」の、いわゆる“text-relay”タイプのみであった。しかし、サービス開始から50年以上経過した現在、サービスの提供形態は多種多様化してきている[2]。以下に、代表的なものをいくつかあげる。 ①Text relayタイプ  最も基本的なサービス形態で、オペレータが一般電話ユーザと聴覚障害者との間に介在し、「音声から文字」「文字から音声」のメディア変換を担う。将来的には、不特定多数の音声認識が実用レベルに達すればオペレータ不要となるが、現状ではまだ困難である。  このタイプのバリエーションとして、以下にあげるHCO(Hearing CarryOver)・VCO(Voice CarryOver)の二種類のサービス形態がある[3]。 ・HCO: 障害者ユーザが発声は困難であるが十分な聴力がある場合、オペレータは文字(障害者ユーザ)から音声(一般ユーザ)への変換のみを行い、一般ユーザからの音声はそのまま障害者ユーザに伝わる。 ・VCO HCOとは逆に、発声はできる聴覚障害ユーザの場合、オペレータは音声(一般ユーザ)から文字(聴覚障害ユーザ)への変換のみを行い、聴覚障害ユーザからの音声はそのまま一般ユーザに伝わる。 ②Speech-to-speech relayタイプ 明瞭な発声が困難な障害者ユーザを対象としたものであり、特に訓練されたオペレータが不明瞭な発声を聞き分けて一般ユーザに伝える。 ③Sign language relayタイプ 手話を主なコミュニケーション手段とする聴覚障害者を対象としたものであり、テレビ電話等の画像通信機器を利用する。この場合、オペレータは手話通訳者としての役割を担うことになり、遠隔手話通訳の一形態とみなすことができる。 ④Lipspeaking relay for lipreadersタイプ 読話の技術にたけた聴覚障害ユーザを対象としたものであり、オペレータは一般ユーザからの音声を聴覚障害者ユーザが読み取れるように口形をはっきりとした形で復唱する。 ⑤Facsimile relayタイプ ファクスを主な通信手段とする聴覚障害者を対象とする。すなわち、聴覚障害ユーザから送られたファクスをオペレータが音声化して一般ユーザに伝え、一般ユーザからの音声をオペレータが文字化してファクスで聴覚障害ユーザへ送信するというように、逐次的に処理が進められる。そのため、Text relayタイプやSign language relayタイプと比べて時間がかかる。 ⑥Short message service(SMS) relayタイプ 聴覚障害ユーザとオペレータの間の通信にSMS(Short Message Service)を用いる。Facsimile relayタイプと同様、逐次的に処理が進められ、即時性の面では不利であるが、携帯を用いるため外出先の緊急連絡手段として有効であるとされる。 3.世界各国における電話リレーサービスの現状 3.1概要  電話リレーサービスは、TDD(Telecommunication Device for the Deaf)と呼ばれる文字電話の利用から始まったこともあり、米国・カナダ・EU諸国・オーストラリア・ニュージーランドなど、ラテン文字の言語圏を中心とした先進国において普及が進んでいる。それ以外では、韓国・日本において実施されているのみで、他のアジア諸国・アフリカなどでは実施例の報告がなく、ほぼ皆無に近い状態と考えられる。こうした国においていかに電話リレーサービスを導入していくかも大きな課題と思われる。  筆者は、全日本ろうあ連盟・情報通信技術委員会のメンバーとして2011年7月から11月にかけて国内外における聴覚障害者の情報通信技術利用動向の調査を実施しており、その調査内容が「聴覚障害者の情報アクセスに関するガイドライン」の中にまとめられている[4]。以下に、その内容を示す。 3.2 米国  米国は、最初に述べたように、世界で最初(1960年代)に電話リレーサービスを実施した国である。開始当初はTDDを利用するタイプのみであったが、現在では、テレビ電話を用いたVRS(Video Relay Service;ビデオリレーサービス)やインターネットを用いたIPリレーサービスなど、様々なタイプのサービスが提供されている。特に、主にアメリカ手話によりコミュニケーションしているろう者の間ではVRSの普及が急速に進んでいる。  ADA(Americans with disabilities Act)法[5]にも電話リレーサービスの提供義務が明確に規定されていることから、通信料金(公衆電話網の通話料やインターネットへの接続料など)以外の自己負担は一切なく、24時間・365日いつでも利用可能な環境が実現している。  サービス運営のための資金は、通信事業者が全てのユーザーから毎月少額ずつ徴収する「ユニバーサルサービス料」によりまかなわれており、資金の管理はFCC(Federal Communications Commission;連邦通信委員会)が行っている。 3.3 EU諸国  EU圏内では、国境を越えた交流が盛んなこともあり、EU諸国で実施されているリレーサービスの整合を取るために、ETSI(European Telecommunication Standards Institute;欧州電気通信標準化機構)という組織により、EU圏内における電話リレーサービスの標準化作業が進められている[2][6]。  2009年時点で、英国・北欧諸国など十数カ国で文字電話によるリレーサービスが実施されており、ほぼ例外なく、 ・24時間・365日実施 ・国からの支援により聴覚障害者の自己負担なしで利用可能 となっている。また、テレビ電話によるビデオリレーサービスは、計画中のところも含めて、英国・デンマーク・フランス・ドイツ・ノルウェー・スウェーデンの6カ国で実施されていると言われる。以上は2009年時点での情報であり、現在ではもっと多くの国々において様々なタイプのリレーサービスの実施が進んでいるものと考えられる。 3.4韓国  サービス開始は2005年11月で、NIA(National Information Society Agency;韓国情報化振興院)が国からの予算を受けて実施している。  NIAでは、 ・WWWによるリレーサービス(ビデオとテキスト双方をサポート) ・NateOn(韓国で開発されたメッセンジャーソフト;ビデオとテキストともに利用可能)によるリレーサービス ・SIPテレビ電話によるビデオリレーサービス ・W-CDMA携帯電話に標準で搭載されているテレビ電話によるリレーサービス ・SMS(ショートメッセージサービス)を利用したリレーサービス ・公衆電話網を利用したリレーサービス(聴者から聴覚障害者への通話の際に利用) 以上の方式をサポートしている。リレーサービスの利用料は無料で、24時間・365日いつでも利用可能となっている。また、携帯電話・SIPテレビ電話・公衆電話を利用する場合には、全国統一の番号(1599-0042)へかけることになっている。  サービス開始当初はユーザーが200人程度で利用が少なく、オペレーターも3人しかいなかったのが、ろう者の間の口コミにより認知が広がっていき、現在では2万人(韓国におけるろう者人口が約25万人と推定されるので、10%程度の普及率)のユーザーがおり一ヶ月に4万コールを超える利用件数となり、30人いるオペレーターの増員も検討されている。NIAでのリレーサービス運営の予算は年間15億ウォン(約一億円)で、そのうち人件費が10億ウォン程度(約七千万円)、1~2億ウォン(七百万~千四百万円)はサービス提供時に発生する通話料、などとなっている。  NIAにおける現在のサービス内容では、WWWやNateOn等インターネットを経由する場合には、聴覚障害を持つユーザーの通話料の負担は発生しないため、一般の電話利用者と比較すると聴覚障害者は有利になっている。現在はまずサービス普及を第一に考えているため無料としているが、将来的には聴覚障害ユーザーと一般の電話ユーザーとで負担が同等になるよう、通話料相当分を聴覚障害ユーザーに負担してもらうことも検討されている。  また、警察(韓国では「112」)・消防署や救急車(韓国では日本と同様に「119」)などの緊急通報サービスをリレーサービス経由で利用することも可能である。 3.5 国内の現状  日本においても、1990年代から様々な形で電話リレーサービスが実施されてきた。しかし、以下に示す理由により、ほぼ例外なく数年でサービス停止に追い込まれている。  ・サービス提供時間が平日の昼間に限定されている  ・行政からの支援がないか、あっても1~2年限りであるため、有料である  そうした中で、宮城県仙台市に本社を持ち、10年近く継続的にリレーサービス事業を行っている会社がある(プラスヴォイス社、http://www.plusvoice.co.jp)。  この会社では、「リレーサービス」ではなく「代理電話」と言っており、その理由として、一般の人にはリレーサービスと言っても通じないが「代理電話」なら理解してくれることをあげている。サービスを利用する際のアクセス手段は下記のとおりである。 -ファクス -メール(携帯、PC) -チャット(各種メッセンジャーソフト)- テレビ電話(NTTのフレッツフォン、スカイプ、MSNメッセンジャー、MacのichatやFacetimeなど) 上記のように、この事業会社では様々なアクセス手段に対応している。これは、「今後も新たな技術・ソフトが出てくるので、その時々で便利に使えるものを使えばよい」というスタンスをとっており、無理にアクセス手段を統一していないことによる。ただ、利便性の面からは、各ソフトの互換性を確保することは必要ではないかと考えられる。  この代理電話サービスは現在ユーザー数500人程度で1ヵ月に500~1000コール程度の利用がある。  利用料は「1回315円」から「月5000円で使い放題」まであるが、この料金でも、情報通信機構の支援(事業経費の半額)を含めてもまだ赤字となっている。  現在のサービス提供時間は毎日朝8時から夜8時までであり、24時間・365日サービス実施には、やはりコストが大きな壁になっている。  また、現在の代理電話サービスは聴覚障害者ユーザーからの発信のみで、聴覚障害者ユーザーへの着信には対応できていない。これは、ファクスやメールによる非リアルタイム手段での利用も多く、事業者側での負担が大きいことが大きな理由になっている。 4.電話リレーサービスの国際的動向と国内での課題  前節までで述べてきたように、1966年に米国の一地域で開始された電話リレーサービスは、ほぼ半世紀を経過した現在、サービス内容・提供地域ともに大きな広がりを見せるに至っている。これは、「音声電話ネットワーク」が現代社会で生活していくうえで欠かせないものであり、聴覚障害者の社会参加には電話リレーサービスを介した音声電話ネットワークへのアクセスが不可欠となるためである。  2006年12月の国連総会で採択された障害者権利条約の第9条「アクセシビリティ」において、「障害者の通信サービスへのアクセシビリティを確保すること」を条約を結んだ国に対して明確に求めている[7]。このことは、聴覚障害者の「音声電話ネットワーク」へのアクセシビリティの確保を条約を結んだ世界各国に求めていることになる。こうした流れを受け、ITU-T(International Telecommunication Union Telecommunication Standardization Sector;国際電気通信連合電気通信標準化部門)において電話リレーサービスの国際標準化作業が進む等、世界でも大きな動きがある。こうした動きの中で、電話リレーサービスへの要件として、一般の音声電話サービスと同様の利便性を確保すること、例えば、  ・24時間・365日、いつでもどこででも使えること  ・一般の電話ユーザと同様のコスト負担で利用できること  ・警察・消防署なども含め、すべての電話ユーザとの発信・着信が可能であること が必須であることはすでに世界的なコンセンサスとなっている。しかし、残念ながら、日本では電話リレーサービスの実施にあたっては技術的な問題はほとんどないにも関わらず、世界のこうした動きから大きく遅れた状況にある。その理由として、 ・財政面での公的な助成がなく、サービスの継続的・安定的な運営が困難であること ・聴覚障害者の大多数が「電話が使えない」ことに慣れきっていて、音声電話ネットワークへ自由にアクセスできることの意味が理解されていない などがあげられる。こうした課題を一刻も早く解決し欧米並みの電話リレーサービスを日本で実現していくことが望まれる。 5.おわりに  本報告では、電話リレーサービスの国内外における現状と国際標準化等の将来の動向について述べるとともに、日本において電話リレーサービスが定着・普及していくための要件について考察した。今後は、世界各国での電話リレーサービスの利用動向の追跡調査・日本における電話リレーサービス導入のための技術的・制度的な要件の洗い出しと検討などが課題としてあげられる。 参考文献 [1] Harry G. Lang:“A Phone of our own”,pp.61-62, Gallaudet University Press,Washington DC, 2002. [2] European Telecommunication Standards Institute:“ Human Factors(HF); Telecommunications relay services”,ETSI TR 102 974 V1.1.1,2009. [3] Franklin H. Silverman:“The Telecommunication Relay Service(TRS) Handbook” ,AEGIS, 1999. [4] 財団法人全日本ろうあ連盟:“聴覚障害者の情報アクセスに関するガイドライン”,http://www.jfd.or.jp/info/2011/jfd-info-access-guideline-2011.pdf,2011. [5] http://www.ada.gov/statute.html [6] European Telecommunication Standards Institute:“Human Factors(HF); Harmonized relay services”,ETSI ES 202 975 V1.2.1,2009. [7] 川島 聡、長瀬 修:「障害のある人の権利に関する条約」 および 「障害のある人の権利に関する条約の選択議定書」 仮訳(2008年5月30日付),http://www.normanet.ne.jp/~jdf/shiryo/convention/30May2008CRPDtranslation_into_Japanese.html、2008. Current Status and Future Trends in Telecommunication Relay Services INOUE Masayuki Faculty of Industrial Technology, Tsukuba University of Technology Abstract: Telecommunication relay services (TRS) allow individuals who are hearing or speech impaired to communicate with other individuals across the globe via voice-telephone networks. This report provides a survey of the current status of TRS and future trends in telecommunication relay service worldwide. Keywords: Telecommunication relay service, TRS, Accessibility, Deaf, Hearing impaired, Convention on the rights of persons with disabilities