黒白反転教材を利用・提供するための電子教科書に関する研究 筑波技術大学 障害者高等教育研究支援センター 障害者基礎教育研究部(視覚障害系) 村上 佳久 要旨:教科書を電子化することにより、従来では視覚障害補償が困難であった、黒白反転教材を利用する学生に対して、効果的な視覚障害補償を行うための実証研究を行った。拡大読書器等を利用する以外に補償方法があまりない黒白反転教材を利用する学生は、見やすさを犠牲にして一般の教科書を利用しているが、電子化することにより、個人に最適な文字の大きさや視野に合わせた文字の拡大・縮小等が自由に行える電子教材はこれからの教育に必要不可欠と考えられた。 キーワード:視覚障害,電子教科書,黒白反転 1.はじめに  視覚障害学生が、教育を受けるために利用する様々な教科書や資料類は、普通文字や拡大文字、点字などで提供される。しかし、黒白反転で教科書などを利用している視覚障害学生は、拡大読書器のような黒白反転機器がなければ、見やすさを犠牲にして一般の教科書を利用しているため学習が困難になることもしばしばであった。そこで、本研究では、拡大読書器等を利用する以外に補償方法があまりない黒白反転教材を利用する学生に対して、基礎医学分野の教科書を電子化し、個人に最適な文字の大きさや視野に合わせた文字の拡大・縮小等が自由に行える電子教材が、どのように教育に役立つかの検証を試みた。 2.黒白反転教材  視覚障害学生の学習の場として電子図書閲覧室(2009年8月閉鎖)を構築・維持・管理してきたが、その更新過程で学生に対するアンケート調査をおこなった。[1]  この時の結果から、学生の約40%が黒白反転の学習環境を希望していた。しかし、教室では、拡大読書器以外に黒白反転の教材を利用する手段はなく、他にはPCを利用し、画面で黒白反転させて利用する以外に方法はなかった。  別の手法として、教科書や参考資料などを直接黒白反転印刷する方法があるが、この方法も黒白反転印刷のコストの問題から断念した経緯がある。[2]  また最新の手段として、PDFを利用してiPadのような携帯型端末を利用し、黒白反転する方法がある。[3]  しかし、本当に白黒反転教材が必要かどうかは、実際の利用状況とともに個々の目の状況を客観的に精査する必要があるが、これについては『眼の比色と光の物理量測定に関する基礎的研究』と言うことで別の研究で行っている。 3.黒白反転教材が必要な学生とは  学生個々の眼の状況は、個人差が大きく、一概にとらえられない側面があるが、過去の事例から黒白反転教材が必要な学生について検証した。一般に、白色背景色に黒色文字で、背景色の白色の光強度が強いために羞明が起きやすい学生は、黒白反転教材を求める。そのため、白皮症(アルビノ)の場合は、ほとんどが羞明のため黒白反転教材を求める。  また、網膜色素変性症などの進行性疾患場合は、多くが黒白反転を求めるが、場合によっては、黒白反転でなくとも大丈夫な場合もある。さらに、白内障などの場合でも眼精疲労や羞明などで黒白反転教材を求める場合がある。  このように、本学の学生の場合では、前述のアンケート結果と同様に、約40%の学生が黒白反転教材が必要であると思われる。しかし拡大読書器などの台数の問題から、授業等では、我慢して通常の教材や拡大教材などを利用している学生も多いことがアンケート結果からも判明している。 4.電子教科書の活用  電子教科書の活用の前段階として、教科書・参考書類をPDF化し、電子教科書として利用する試みを報告した。[3]  そこで本研究では、電子教科書として、鍼灸学専攻や理学療法学専攻の学生が初期に学ぶ、基礎医学に焦点を絞り、「解剖学」と「生理学」教科書を電子化する事とした。そこで、最新版を数冊入手して、電子化作業を行った。 4.1 背表紙の裁断  一般に書籍の背表紙を裁断し、本をバラバラにして、連続スキャナでPCに読み取り、電子化してPDF化することを『自炊』と呼ぶ。 初めに、教科書の背表紙を大型の電動裁断機で裁断する。大型電動裁断機は、厚さ50mm程度の本の背表紙をきれいに裁断することが可能である。この場合、裁断機の裁断刃が、本の背表紙と垂直になるように大型クランプで固定しないと背表紙がきれいに裁断できない。 4.2 連続スキャナの解像度  『自炊』で最も重要な作業が、連続スキャナ処理で、この時の読み取り解像度が、PDF化された教科書の品質を決定することとなる。連続スキャナは、一般的に両面読み取りの機種がほとんどである。この場合の光学解像度は、最高でも400dpiとなる。また、フラットベッドタイプのスキャナの場合、光学解像度は600dpiも可能である。これ以上の1200dpiの場合、ほとんどが印刷業務用である。 Fig. 1 解像度300dpiのデータの拡大画像 Fig. 2 解像度400dpiのデータの拡大画像  一般的に連続スキャナは、両面読み込みのため、光学解像度は300dpiとなる。高級機種等では、両面読み込みの場合でも400dpiの光学解像度を有する場合もある。  Fig.1とFig.2に300dpiと400dpiで読み込んだデータを拡大した画像を示す。画面は、iPadでPDFデータを表示させ、さらにiPadの拡大機能で大きく拡大している。学生によっては、この程度まで拡大しないと読めない学生も少なくない。一般的な利用とは異なり、視覚障害者が利用する場合は、このような拡大事例を考慮する必要がある。この場合、400dpiでも一部の文字はつぶれており、もう少し、高い解像度が必要であると思われる。  そこで、フラットベッドタイプのスキャナを利用し、600dpiで読み込んだものがFig.3である。ゴシック体の一部に文字のつぶれが見受けられるが、400dpiよりは数段よい文字の状況であると思われる。 Fig. 3 解像度600dpiのデータの拡大画像  これ以上の光学解像度は市販のスキャナでは難しいので、業者にお願いしてこの2ページだけ1200dpiでスキャニングしたデータが、Fig.4である。  ゴシック体の画数の多い漢字もつぶれることなく表示されている。したがって、この程度の解像度があれば大きく拡大する必要がある視覚障害者も利用可能である。 Fig. 4 解像度1200dpiのデータの拡大画像 4.3 PDF化処理  スキャニングされたデータはPCでPDF化するが、この場合、文字検索機能を付加した方が学生の使い勝手はよい。そのため、スキャニングデータをPCでOCRソフトウェアを用いて読み取り、読み取られた文字データをPDFに含有する。しかし、この時のOCR処理では、文字認識率が100%ではないため、誤認識も数%含まれる。こうして作成されたPDFデータは、PCやiPadなどの機器で利用されることとなる。 4.4 PDFデータの活用  作成されたPDFデータは、PCやiPadのような手持ち端末で利用される。意外に知られていないことであるが、PCの場合、画面拡大ソフトを別途導入しないと、黒白反転が出来ないという事態に留意する必要がある。  これは、Windowsの画面処理の制約によるもので、iPadに搭載されているiOSではOSの機能で画面の黒白反転が可能で、PDFデータも同時に黒白反転が可能となる。  もしも、PCで黒白反転のPDFを利用するためには、専用ソフトの導入か、スキャニングする際に黒白反転する必要がある。そこで、本研究では、iPadを利用することで、簡単に黒白反転を実現している、 5.著作権問題  本研究では、当初iPadの台数分の教科書を購入して、著作権の問題を解決する予定であった。しかし、ここに著作権の問題について甘く見ていたことを恥じる。  事の起こりは、高校時代の友人からの忠告であった。「筑波技術大学テクノレポートVol.18(1)Dec. 2010 p55」に発表した内容について問題があると言うのである。  その部分を抜粋すると、(以下抜粋) 「4.2 著作権問題 教科書10冊は、学生が利用している教科書に限定した。基礎医学や理学療法専門などの教科書である。また、学生個人が教科書を有している場合のみ、これらの電子ファイルを渡した。これは、著作権の問題から、教科書を有していない学生に対して電子ファイルを渡すことは、著作権法に抵触するからである」(抜粋終わり)  この文章下線の電子ファイルを渡す行為が、著作権法で定める「複製権」違反に当たる行為であるというのである。  つまり、前章で行った電子化処理が、著作権者の承諾無く、本を複製する行為に当たるというのである。  今回の図書の場合は、「生理学」と「解剖学」で、元本学の教員であった者が著者である。内々に著者からは承諾を得ていたが、出版社の承諾は取っていなかった。そこで、出版社と連絡を取り、交渉したが承諾を得ることは出来なかった。  理由の1つとして、このような電子化データが、インターネットを通じて拡散することを危惧しているとのことであった。この件については、医学系図書の業界団体である、「一般社団法人 日本医書出版協会」が2011年4月15日付けで発表している『出版物の無許可複製(複写・デジタル化)についての見解』に詳しく説明されている。[4]  そこで、方向転換をして、出版社からPDFデータを購入できないかを交渉した。  著者の働きかけもあり、幾つかの条件付で、出版社から、教科書のPDFデータを入手することが出来た。  条件としては次のようなものである。 ①あくまでも実証実験に対する協力である ②PDFデータ化の対価を支払う ③期間を限定する ④機種と台数をiPad5台に限定する ⑤データには実験データであることの文言を入れる ⑥文字検索可能であるが、印刷は不可 ⑦データは事務が管理する  このPDFデータとFig.1-4を比較するために、その部分をFig.5に示す。 Fig. 5 出版社提供のPDF/Xデータ 96dpi  このデータは印刷原稿から直接PDF化されたPDF/Xデータである。光学解像度は96dpiであるが、Fig.1-4と比べると比較にならない位の鮮明さである。これは、文字や画像データが全てvectorデータであり、bitmapデータでないからである。Fig.4の光学解像度1200dpiのデータは、あくまでも印刷物を光学解像度1200dpiで読み込んだ画像である。この画像はbitmapデータであり、点の集合体に過ぎない。したがって、96dpiのvectorデータとは比較にならないのである。  実際にこの出版社提供のPDFデータを利用して実験を始めたのは、平成24年度からである。平成23年度は、著作権の問題から学生個人の教科書を裁断して、学生個人がスキャニングとPDF化する事により、「複製権」違反を回避した。これは、著作権法第30条の「私的使用のための複製」によるもので、個人が私的使用のために複製を行うことは著作権法上認められている。これを第三者が行うと「複製権」違反となる。したがって、大学などの機関で学生の図書をスキャニングしてPDF化するサービスは、全て「複製権」違反にあたる。 6.実際の利用状況  この実証実験では、著作権保護と黒白反転の容易さから、端末はiPadに固定している。iPadの場合、画面はディスプレイであるため自分で発光しており、透過型の読書端末として利用している。平成23年度、平成24年度とも、鍼灸学専攻と理学療法学専攻合わせて5名が、実験に協力してくれた。全員が黒白反転の教材を希望している学生である。 実際に利用状況を確認すると、 ・平成23年度 常時利用:3名、時々利用:1名、たまに利用:1名 ・平成24年度 常時利用:5名  平成23年度の場合、たまに利用が1名いるのは、眼疾が中心部暗転で、周辺視力しか無く、iPadの画面では小さすぎるためである。もっと大きな15インチ程度の画面で大きく拡大しないと文字が認識できないためである。時々利用の学生も眼疾が視野に欠損があり、大型のディスプレイや拡大読書器が必要な学生であった。このような学生には本来はPCで、画面拡大ソフトで黒白反転を行い、出版社提供のPDFデータを利用すれば問題はないのであるが、今回はiPadでしか利用出来ないために、残念な結果となった。このように、黒白反転教材といえども、利用するメディアによっては、眼疾により利用できない場合があるので留意する必要がある。  平成24年度の場合は、実際にiPadの画面を見せてから実験協力を募ったので、全員が授業中も含めて常時利用している。 7.おわりに  今回の実証実験では、利用状況以外にVASによるアンケート調査を実施しているが、文字の拡大率は各個人によって差があるため比較にならない。また、眼疾によってiPadのような電子教科書端末を利用できないか、利用しづらい学生が存在するのも事実である。本来であれば、電子化された教科書をiPadのみならず、PCでの利用やAmazon KindleやRakuten KoboのようなeINKを利用する反射型読書端末を利用した方が便利な学生もいるであろう。さらにPDFだけでなくePUBのような電子図書形式でのデータの流通も考慮しなけらばならない。  学生が利用しやすい環境を整えることは、視覚障害学生を対象とした本学の使命であると思われる。今後とも、この実証実験を進めて、学生の学習環境の整備に役立てたいと考える。 8.謝辞  この研究は、平成23年度 障害者高等教育研究支援センター センター長裁量経費「黒白反転教材を利用・提供するための電子教科書に関する研究」研究代表者:村上 佳久によるものである。 9.訂正とお詫び  筑波技術大学テクノレポート Vol.18 (1) Dec. 2010のp55にある文章で、『4.2 著作権問題教科書10冊は、学生が利用している教科書に限定した。基礎医学や理学療法専門などの教科書である。また、学生個人が教科書を有している場合のみ、これらの電子ファイルを渡した。これは、著作権の問題から、教科書を有していない学生に対して電子ファイルを渡すことは、著作権法に抵触するからである』は、著作権法上の複製権違反に当たる。全面的に撤回し、お詫びする。 参考文献 [1] 村上 佳久:視覚障害者の学習環境に関するアンケート調査,筑波技術大学テクノレポートVol.15: 49-55, 2008. [2] 村上 佳久, 前島 徹: 視覚障害者の教材作成の改善 白色文字印刷,筑波技術短期大学テクノレポートVol.12: 41-46, 2005. [3] 村上 佳久:視覚障害者の学習環境の整備と電子図書,筑波技術大学テクノレポートVol.18(1): 54-58, 2010. [4] 一般社団法人 日本医書出版協会HP,http://www.medbooks.or.jp/copywithoutpermission/ A Study of the Impact of Visually Impaired Students’ Use of Digital Books:The Value of Black and White Reverse Display MURAKAMI Yoshihisa Research and Support Center on Higher Education for the Hearing and Visually Impaired, Tsukuba University of Technology Abstract: Digital books imitate the printing of white text on black paper. In our study, we found that the use of digital books helped visually impaired students compensate for their visual disabilities. We studied visually impaired students’ use of digital textbooks. We found that digital textbooks are helpful for visually impaired students because the text size can easily be made larger or smaller. We believe that digital books will become indispensable to visually impaired students in the future. Keywords: Digital Books, iPad, PDF