聴覚障害者スポーツにおけるアスレティックトレーナーの役割 筑波技術大学 障害者高等教育研究支援センター 中島 幸則 要旨:近年、障害者スポーツがマスコミに注目されることが多くなってきた。しかし、聴覚障害者のオリンピックである「デフリンピック」が取り上げられることは少ない。しかし、ここ数年、日本選手の競技成績は確実に伸びている。それと同時に、各競技へのアスレティックトレーナーの帯同も増え、選手をサポートするメディカル体制は良い方向に進んでいる。情報が入り難い聴覚障害者にとって、アスレティックトレーナーが常に傍にいることは、とても重要なことであり,今後、益々日本選手が世界で勝つためには、アスレティックトレーナーが必要となるだろう。特に、選手に対する「教育的指導」の部分では重要な役割を担うと考える。 キーワード:アスレティックトレーナー,デフリンピック,聴覚障害者スポーツ 1.はじめに  2011年スポーツ基本法の成立により、スポーツを通じて幸福で豊かな生活を営むことは、「全ての人々」の権利であると示された。この「全て」という言葉の中には、これまでのスポーツ振興法にはなかった、「障害者」を含めた意味付けがされている。具体的に第2条の基本理念に「スポーツは、障害者が自主的かつ積極的にスポーツを行うことができるよう、障害の種類及び程度に応じ必要な配慮をしつつ推進されなければならない」と、障害者という文字が明確に記載された。  また、「我が国のスポーツ選手がオリンピック競技大会、パラリンピック競技大会その他の国際的な規模のスポーツの競技会において優秀な成績を収めることができるよう、スポーツに関する競技水準の向上に資する諸施策相互の有機的な連携を図りつつ、効果的に推進されなければならない」ことも示された。ここには、聴覚障害者の目指す最も大きな競技大会である「デフリンピック」も含まれているはずである。  このように、これまで厚生労働省の管轄下の障害者スポーツが、文部科学省のスポーツ基本法に盛り込まれたことは、聴覚障害者アスリートにとっても、大きな励みとなることは間違いない。現在、オリンピック候補選手のために、国際競技力向上のための強化活動拠点となっている「ナショナルトレーニングセンター」については、デフリンピック候補選手が使用することは許されていない。また、オリンピック日本選手団と同じユニフォームを着ることもない。  そこで、今後、聴覚障害者アスリートに対して、今まで以上の国としてのサポート体制が確立する未来に向けて、現在、デフリンピックを目指して頑張る選手の現状とその問題点について、アスレティックトレーナーとしてのデフリンピック帯同経験をもとに報告する。 2.デフリンピック  デフリンピックの歴史は古く、1924年フランスにおいて「国際ろう者競技大会」として第1回夏季大会が開催された。大会の名称は1967年に「世界ろう者競技大会」に変更された。1989年には国際パラリンピック委員会が発足したが、その当時は国際ろう者スポーツ委員会も加盟していたが、デフリンピックの独創性を追求するために、1995年組織を離れたため、現在もパラリンピックにろう者が参加できない状況が続いている。2001年には国際オリンピック委員会(IOC)の承認を得て、現在の名称「デフリンピック」となった[1]。  デフリンピックは障害当事者であるろう者自身が運営する、ろう者のための国際的なスポーツ大会である。参加資格は、補聴器をはずした裸耳状態での聴力損失が55dBを超え、各国のろう者スポーツ協会に登録している者とされている。また、競技中は身体の安全を確保する観点から、補聴器、人工内耳を使用することは禁止されている。  また、デフリンピックは当初、国際パラリンピック委員会に加盟していたが、「独創性」を追求するために脱退し、今なお、国際手話、視覚的工夫、記録重視の3つの独創性を追い求めている[2]。  「国際手話」これはコミュニケーション全てが手話によって行われ、競技はスタートの音や審判の声による合図を視覚的に工夫する以外は、オリンピックと同じルールで運営している(図1)。  「視覚的工夫」としては、陸上競技・水泳では、スタート時のピストルの合図の代わりに、選手のスタート位置にはランプを置き光でスタートを知らせるようになっている(図2)。日本でも、全国聾学校陸上競技大会での使用を検討するため、独自にこの開発を進めている。  3つ目の「記録重視」であるが、参加することだけではなく、常に記録を追い求めるのがデフリンピックの考えである。陸上投擲競技では日本の森本 真敏 選手(滋賀レイクスターズ)が世界記録保持者であるが、次に続く選手とはかけ離れた記録となっている。2009年デフリンピック優勝、そして健常者の大会でも2008年日本選手権9位、2012年関西実業団大会優勝と、健常者の中でも十分に戦える選手である[3]。また、卓球の上田 萌 選手(日立化成)は、2012年世界ろう者卓球選手権大会において、シングルス、ダブルスで優勝、団体優勝にも大きく貢献した。現在は、卓球日本リーグ1部の日立化成でプレーを続けている。  このように、デフリンピックは独創性を重視するがゆえに、パラリンピックには出場しない状態が続いている。しかし、そのことによってデフリンピックを知らないろう者もいるのが現状である。また、健常者の中にはパラリンピックに聴覚障害者の選手も一緒に出場していると理解している人も多く、まだまだデフリンピックの認知度は低いようである。 図1 国際手話 図2 視覚的工夫 図3 記録重視 3.アスレティックトレーナー  さて、このような国際大会で活躍するアスリートに欠かせなくなっているのが、アスレティックトレーナー(以下:AT)である。単にマッサージを施したり、トレーニング指導するのみの、いわゆる「トレーナー」ではなく、スポーツ現場において、傷害予防のためのトレーニング指導、スポーツ傷害に対する救急対応、その後のアスレティックリハビリテーション指導等、幅広い知識・技術をもつ者を「アスレティックトレーナー」と表現する。近年、アスリートのみならず、運動愛好家、高齢者や障害者スポーツにも対応を求められている。  ATの歴史は、1881年にアメリカにおいてJames Robinsonがハーバード大学に雇用されたのが始まりと言われている。そして、1950年には全米の大学で活動するATによって組織化がなされ、その後、大学における教育プログラムの開発、資格認定制度が確立した[4]。  日本においては、1994年に日本体育協会公認アスレティックトレーナー(以下:JASA-AT)としての資格認定事業を開始した。JASA-ATは世界的にも認められた国内唯一のトレーナー資格である。現在、資格取得者は1861名(平成24年10月現在)で、医療機関、教育機関、治療院などに所属している。このJASA-ATの資格取得のためには、基礎・専門学科目1200時間、現場での実習600時間を行った後、筆記試験に通った者のみが、実技試験を受けることができる。最終的に資格取得できる者は20%に満たない狭き門となっている。JASA-ATの役割は、①スポーツ外傷・障害の予防、②スポーツ現場における救急処置、③アスレティックリハビリテーション、④コンディショニング、⑤測定と評価、⑥健康管理と組織運営、⑦教育的指導と記され、幅広い知識と技術が求められている。  このようなJASA-ATのような専門的な知識・技術をもったトレーナーの多くは、いわゆるオリンピック、世界大会に出場するようなプロ選手やトップアスリートのサポートを夢見て活動している。したがって、聴覚障害者スポーツのような障害者スポーツの世界にみることはほとんどない。また、聴覚障害者の世界に、JASA-ATの存在、必要性が認められていないのも現状である。筆者が、講演等で手話通訳の方に紹介される際、トレーナーを“両手で揉む動き”“マッサージをする動き”で表現されることがしばしばある。マッサージしか行わないトレーナーであれば、それでも構わないのだが、JASA-ATATにとってのトレーナーの役割は、マッサージだけではなく、上記7つの役割全てである。このようにJASA-ATは幅広い知識と技術を兼ね備えていることを伝えるため、筆者は聴覚障害者に対して「身体も心もサポートするトレーナー」と手話で表現し、JASA-ATの存在を説明している。JASA-ATのようなトレーナーが、健常者のみならず、聴覚障害者スポーツにおいて、非常に重要な存在であると考えている。また、2009年からは、日本障害者スポーツ協会において、障害者トレーナー(スポーツトレーナーとして質の高い知識・技能を有し、かつ障害に関する専門的知識を有するトレーナー)養成事業が始まった。パラリンピックやその他の障害者の大会に帯同できるトレーナーの養成である。現在55名の資格取得者が、障害者スポーツの分野でトレーナーとして選手のサポートを行っている。 4.聴覚障害者スポーツにおけるアスレティックトレーナーの現状  筆者は、「身体も心もサポートするトレーナー」として10年間、聴覚障害者スポーツに関わっている。2002年から男子デフバレーボール日本代表チーム関わり、2005年にはデフリンピックに帯同した。それまでは、日本サッカー協会日本代表ユースチームATとして帯同することが多かったが、それ以降は聴覚障害者スポーツに関わることが中心となっていった。男子デフサッカー日本代表チームATとして1年間関わり、その後は、バスケットボール、陸上競技、スノーボードチームに対して、ATの立場からのコンディショニング指導にもあたった。2009年デフリンピックには、日本選手団本部メディカルチームの一員として、初めてATとして帯同した。また、2012年5月には、日本で行われた世界ろう者卓球選手権大会に、日本代表チームATとして帯同し、日本チームの優勝に貢献した。そして、2012年6月には、韓国でのアジア太平洋ろう者競技大会に日本選手団本部メディカルチームAT一員として選手・スタッフのサポートを行った(図4)。  各競技団体トレーナー帯同状況についても変化してきている。2005年のデフリンピックにJASA-ATは筆者1名のみで、その他に、健康系トレーナー1名であった。2009年には本部ATとしての筆者以外に、JASA-AT1名、鍼灸師1名、そしてJASA-ATの教育を受ける学生3名が帯同した[5]。そして、2012年アジア太平洋ろう者競技大会には、JASA-AT3名、理学療法士1名、トレーニング系トレーナー1名と、徐々にサポート体制もできてきた(図5)。  このように、聴覚障害者アスリートに対しては、少しずつではあるが、サポートシステムができつつあるのが現状である。そして、それに比例するように、日本チームの成績も向上し、2012年アジア太平洋ろう者競技大会では、金メダル28個、銀メダル25個、銅メダル17個、合計70個と、メダル獲得数はアジア1位であった[6]。  AT発祥のアメリカにおいては、健常者アスリートはもちろんだが、一般高校、大学でサポートも確立している。また、世界中から聴覚障害者が集まるギャローデッド大学にはATが常駐し、学生スポーツを支えている。現在、日本からアメリカに渡りAT資格を取得して聴覚障害者学生をサポートする日本人ATがいる。  一方、日本では一般高校、大学にATを常駐させるシステムはなく、運動の盛んな学校またはクラブが独自に雇用している。もちろん、聾学校にATを置く学校は聞いたことがない。毎年、全国聾学校陸上大会(高校生の大会)が行われている。通常、健常者の高校生全国大会では、ATや鍼灸師が選手に対するコンディショニングサービス(テーピング、ストレッチなどの体のケア)を行っている。しかし、聾学校の大会では、現在も今後も行う予定はないようである。 図4 国際大会への日本選手団派遣人数 図5 国際大会へのトレーナー帯同状況 5.まとめ  聴覚障害者スポーツにおけるアスレティックトレーナーの役割と現状について報告した。  中村等の報告によると、デフリンピック候補選手へのアンケート調査の結果、「合宿・遠征が仕事と重なった時、76.2%が有給休暇を利用した」と報告している[7]。プロ選手ではない聴覚障害者アスリートにとってデフリンピックとは、目標となる最も大きな国際大会でありこの大会に出るために多くの選手は日々努力を続けている。その結果、ここ数年で選手を取り巻く環境も整備されてきた。  その一つとして、ATなどのメディカルサポート体制があげられる。これは、日本障害者スポーツ協会、聾唖連盟など、多くの協力団体の理解と支援のおかげであり、選手はそのことに感謝しなければならない。また、そこに関わるATには、大きな役割があることを理解してほしい。「JASA-ATの7つの役割」全てを果たすことは当然であるが、特に「教育的指導」については、十分理解してほしい。選手の中には、トレーナーはマッサージをしてくれる人、言えば何でもやってくれる人と考えている選手も多くいる。だからと言って、すぐにやってあげるのではなく、選手自身で考えさせ、自分でやらせることが必要である。また、聞こえないから「手話を覚える」だけではなく、聞こえない彼らは「言葉や知識が入りにくい」ということも理解し、相手にわかりやすい言葉で説明を工夫することもATにとって必要である。そうすることによって、選手としての自立に繋がり、自己管理のできる選手を作り、聴覚障害者スポーツの世界全体に良い影響を与え、強い日本を創ることとなる。  そして最後に、ATの役割を果たすためにもう一つ重要なこととして、聴覚障害者の“障害特性”について理解が必要である。筆者等によれば、デフリンピックを目指す選手の平衡機能検査を行ったところ、内耳の半規管機能低下のあるものが全体の約30%に認められ、平衡機能テストでも健常者よりも平衡機能が劣っていた。また、運動能力は変わらないものの、動体視力についてはオリンピック選手に劣らない優れた能力を持っていることがわかっている[8]。劣るところをどう代償し、優れた部分を競技にどう生かすか、ATにとってはとても重要なこととなる。  今後は、聴覚障害者スポーツの認知度があがり、デフリンピックにおける日本人の活躍が注目されるようになるとともに、聴覚障害者スポーツに関わるATの役割に期待したいと考える。 参考文献 [1] デフリンピックへの意識高揚に関する事業委員会:ろうあ者のデフリンピック.財団法人日本ろうあ連盟スポーツ委員会,2009.http://www.jfd.or.jp/deaflympics/index.php [2] Donalda K.Ammons:Deaf Sports & Deaflympics. The International Olympic Committee, 2008. http://www.jfd.or.jp/deaflympics/resources/presrep-e.pdf [3] 中島 幸則:聴覚障害者スポーツ:わが国におけるトップアスリートの現状.日本臨床スポーツ医学会会誌19(2):224-226,2011. [4] 財団法人日本体育協会:公認アスレティックトレーナー専門科目テキスト第1巻アスレティックトレーナーの役割.文光堂,東京,26-34,2007. [5] 中島 幸則:デフリンピックに参加して,Otology Japan20(1):53-55,2010. [6] 中島 幸則:第7回アジア太平洋ろうあ者競技大会に参加して.聴覚障害 67:20-21,2012. [7] 中村 有紀,及川 力,大杉 豊:デフリンピック選手候補の競技環境と意識に関するアンケート調査報告書.全日本ろうあ連盟スポーツ委員会:2009. [8] Y. Nakajima, K. Kaga, H. Takekoshi, K. Sakuraba: Evaluation of vestibular and dynamic visual acuity in adults with congenital deafness. Perceptual & Motor Skills. 115(2): 503-511, 2012. The Role of Athletic Trainers in Sports for the Deaf NAKAJIMA Yukinori Research and Support Center on Higher Education for the Hearing and Visually Impaired, Tsukuba University of Technology Abstract:In recent years, sports for the disabled have captured the media’s attention. However, there are few that “Deaflympics” is deaf Olympics will be taken up. However, glimmers of interest have been indicated over the past few years, though, based on the performances of Japanese athletes. At the same time, the medical system has encouraged increased participation of athletic trainers in sporting competitions, and the support for players is moving in the right direction. Hearing-impaired athletes have difficulty receiving information, so being near athletic trainers is very important, in the future, the role of the athletic trainer will be needed in order to recruit more Japanese players worldwide. The trainer’s role in providing “educational guidance” to athletes is valuable. Keywords: Athletic trainers, Deaflympics, Deaf sports