鍼灸学専攻学生に対する診療シミュレーションモデル活用の有用性 筑波技術大学 保健科学部保健学科 鍼灸学専攻 池宗 佐知子、柳沢 美久、東條 正典、成島 朋美、大越 教夫 要旨:鍼灸学教育において、医学・看護教育と同様のバイタルサインに関する実習が必要である。そこで、本学における、診療シミュレーションモデルを導入したフィジカルアセスメント学習の有用性について検討する事を目的とした。対象は、本学鍼灸学専攻に在籍する3、4年生のうち、任意に実習に参加した14名とした。学生には、事前に実習書を配布し、自主学習を促した。実習は、診療シミュレータで実施可能な瞳孔反射、心音聴診、呼吸音聴診、腸音聴診、脈拍測定、心電図測定、血圧測定の7項目を行った。実習の評価として、実習の有用性と実習の理解度についてアンケートした。さらに、実習の問題点や改善点について自由記述方式にて調査した。実習内容はほとんどの学生が「ほぼ理解できた」、「理解できた」と答えた。実習後、身体診察を実施する自信が実習前と比較して有意に増加した(P<0.01)。一方で視覚障害を有するために、パソコンの画面が見えない、シミュレータの反応が見えないなどの問題点が挙げられた。シミュレータを活用した身体診察の実習は視覚障害学生に有用であり、継続して実習を実施する必要性があると考えられた。 キーワード:診療シミュレーション,フィジカルアセスメント,アンケート,自主学習,視覚障害学生 1.はじめに  近年、医療系の学部教育において実践的教育が重要視され、医学部を中心にチュートリアルシステムやクリニカルクラークシップなど、教育者中心から学習者中心への新しい教育システムが確立されつつある[1、2]。また、看護学部など医療系学部ではフィジカルアセスメントの実習の必要性が注目されている。フィジカルアセスメントの「フィジカル」とは「身体的な」ということであり、「アセスメント」とは「情報となる素材の収集とその整理」と考えられる[3]。したがって、フィジカルアセスメントとは、「身体所見」の正確な観察と把握であり、患者の状態を十分に観察できることや正確にアセスメントすることは、学生の実践能力の向上のために重要視されている。  診療シミュレータは臨床場面に近い状態を再現することができ、知識と技術を統合するための有効な方法とされている。多くの医療系学部では、診療シミュレータを用いた実習が行われている[4]。鍼灸学教育においても、臨床で患者と接するため、バイタルサインの取り方を学習する必要がある。この様な学習において、診察演習や診療シミュレータなどを用いた実習を導入する必要がある。  フィジカルアセスメントモデルPhysiko(㈱京都科学;以下Physiko、図1)は、人型をした診療シミュレータであり、瞳孔反射、血圧測定、心電図測定などを含めた7項目を徹底的に練習することのできるモデルである[4]。正常所見と異常所見の比較も容易にでき、効率よくフィジカルアセスメントについて学習できる。しかし、Physikoは、看護学を学ぶものを対象として作成されており、鍼灸学を学ぶ視覚障害学生にとって有用であるかについて検討された報告はない。そこで本調査は、診療シミュレータの1つであるPhysikoを用いたフィジカルアセスメント学習の有用性について検討することを目的とするとともに、実習を行う上で視覚障害のために生じる問題点を抽出することを目的とした。 図1 フィジカルアセスメントモデルPhysiko 2.対象および方法 2.1 対象  対象は鍼灸学専攻3、4年生の学生で、任意に実習に参加した14名であった。実習に参加する意思のある学生には、実習項目について、本学独自に作成したテキストと、実習で用いる診療シミュレータのマニュアルを事前に配布し、実習前の自己学習をさせた。実習への参加の条件は、筆記もしくは口頭試問形式でのチェックテストにて6割以上正解することとした。実習参加に同意を得た学生に対して、匿名による実習に関するアンケートを実施した。 2.2 実習使用機器および実習方法  実習には、診療シミュレータであるPhysikoを用いた。Physikoは、瞳孔反射・血圧測定・心音聴診・呼吸音聴診・腸音聴診・心電図測定・脈拍測定の7つの項目の測定が可能である。このモデルは、個別の手技の反復した練習と共に、看護臨床現場で遭遇する可能性の高い12例の疾患患者について学習が可能なモデルである。今回は、それぞれの実習項目における正常および異常所見について学習するため、個別手技トレーニングモードを用いて実習を行った。実習は、チェックテストをクリアした学生を3~4人1組として、約2時間行った。 2.3 実習評価  まず、上記の7つの実習項目に対して、実習可能な程度と理解度について4段階で評価した。さらに、実習前後での身体診察の自信度について5段階で評価すると共に、実習の問題点について調査した。  各実習項目における「実習可能な程度」の評価は、「補助なしで実習出来た」を4点、「軽い補助により実習できた」を3点、「補助により実習できた」を2点、「全く実習できなかった」を1点とした。また、「実習の理解度」の評価は、「完全に理解できた」を4点、「ほぼ理解できた」を3点、「あまり理解できなかった」を2点、「全く理解できなかった」を1点とした。  身体診察の自信度については、「自信がある」を5点、「少し自信がある」を4点、「普通」を3点、「少し自信がない」を2点、「自信がない」を1点とした。 2.4 解析方法  予習の程度とチェックテスト、実習可能な程度および理解度と視覚障害の程度に関しては、Pearsonの相関係数を用いて解析した。なお、実習参加学生の視覚障害の程度を視力により0.3以上、0.1−0.3未満、0.1以下、視力なしの4段階に分類した。また、実習前後での身体診察の自信度については、各項目を得点化し、対応のあるT検定を用いた。 3.結果 3.1 チェックテストと予習状況  実習に関する基礎的な内容について、チェックテストを行った。学生の平均得点率は79.8±18.6%であり、全員が受講資格である60%以上を取得した。また、予習の程度については、64.3%が「十分予習をした」「予習をした」と答えた。予習の程度とチェックテストの正答率に関しては、有意な相関は認められなかったが、(r=-0.37、P=0.082)予習の程度で分類し、チェックテストの平均正答率を求めたところ、「十分に予習をした」、「予習をした」、「あまり予習をしていない」の順であった(図2)。 3.2 各実習項目の評価  7つの実習項目に対して、「実習可能な程度」、「実習内容の理解度」の結果を図3、図4に示す。  実習可能な程度については全ての実習項目において全く実習できなかったと答えたものはいなかった。また、各実習項目の平均を表1に示す。全ての実習項目の平均は3点以上あり、補助があれば全ての実習項目において実習可能であった。  実習の理解度は、心電図測定において、1名「全く理解できなかった」と答えた。しかし、全ての実習項目において半数以上のものが「理解できた」、「ほぼ理解できた」を選択した。実習の平均点は、心音聴診および心電図測定は3点を下回る結果となった。 3.3 視覚障害の程度との関連  視覚障害の程度と各実習項目をPearsonの相関係数を用いて解析した。実習可能な程度と瞳孔反射、心電図測定の間に有意な相関関係が認められた(表2)。この2つの実習項目は、視覚障害の強い学生ほど実習に補助や説明の必要性が高かった。しかし、その他の項目については実習可能な程度、実習項目内容の理解度において、視覚障害の程度による差はみられなかった。 3.4 実習前後での身体診察の自信度の変化  「自信がない」を1点、「自信がある」を5点として、質問項目を5段階に得点化し、実習前後での身体診察の自信度について検討した(図6)。その結果、実習後の方が有意に身体診察の自信度の得点が上昇した(P<0.01)。また、実習前、身体診察について「自信がない」「あまり自信がない」と答えるものが8名(57.1%)いたが、実習後にこの選択肢を選んだものはいなかった。 3.5 実習の問題点  実習の問題点としては、実習自体に関する問題点と視覚障害のために生じる問題点の2つに分けられた。実習自体に関する問題点は「聴診した内容が本当に正しいか不安であった」と「その場ではわかったつもりになる」という2点が挙げられた。また、視覚障害のために生じる問題点としては、「パソコン上に示されている波形が見えにくい」、「瞳孔反射を確認出来ない」、「血圧計の数値が読み取れない」という点が挙げられた。 図2 チェックテスト得点率と予習の程度 図3 各実習項目における実習可能な程度 図4 各実習項目における実習内容の理解度 表1 実習の平均点 表2 視覚障害の程度と各項目の相関 図6 実習前後における身体診察の自信度 4.考察  本研究においては、バイタルサインを主体とする診療シミュレータを活用した鍼灸学教育の有用性を検討すると共に、本学の特徴である視覚障害に考慮した実習法について検討した。鍼灸学教育においては、フィジカルアセスメントの中に、バイタルサインなど西洋医学的診察法に加えて、脈診、舌診、腹診などの東洋医学的診察も含まれなければならない。しかし、十分な東洋医学的診察のシミュレータが入手困難であることから、看護学部などで一般的に普及されつつある診療シミュレータを用いた実習を行った。  診療シミュレータモデルを活用した教育法は、看護学部を中心に多くの医療系学部で取り入れられている[4]。また、薬学部においても様々なシミュレータを用いた実習の報告があり、学生の評価として、実習内容の必要性や理解度が実習前後で有意に増加していた(P<0.01)。このことから、シミュレータなどを使用した教育方法は、基本技術から応用技術までさまざまな授業展開を行うことを可能とし、患者への全身アセスメントとともに実践に向けた質の高い薬剤師の育成が可能であることが考察されている[5]。鍼灸学教育においては、Physikoで実習可能な項目全てが鍼灸の臨床現場で必要になることはないが、チーム医療の一員として、基本的な身体診察法を学習することは必須項目であると考える。  本研究は、視覚障害を有する鍼灸学生へのシミュレータの応用であったが、7つの実習項目の中でも、瞳孔反射の確認と心電図測定は視覚障害との相関が認められ、視覚障害の程度が重い学生は、実習可能な程度が低いという結果になった。しかし、それ以外の項目についての実習可能な程度に視覚障害の程度による差は見られなかった。このことから、診療シミュレータを用いた実習の多くの項目は、視覚障害学生であっても、実習が可能であるといえる。つまり、視覚障害を有さない一般の鍼灸学生においては、容易に実習が行えるものであり、シミュレータを用いた実習の有用性を示す結果であった。さらにすべての項目で、理解度には視覚障害の程度による差はなく、実習項目全体に対する理解度は平均3.2点(4点満点)と高かった。よって、実習内容の理解に視覚障害の程度は関係ないことが示された。今回、実習を開講するにあたり、実習項目のテキストを用いた予習を促した。しかしながら、チェックテストの得点と各実習項目の理解度に相関は認められなかった。これは、事前にチェックテストで6割以上正解することを実習参加の条件として提示していたため、事前の学習の結果、各項目の理解度が高い値を示した可能性がある。  さらに、実習前後での身体診察の手技に対する自信度は、14名中13名で上昇し、また、その得点においても実習後で有意に増加していた。このような実習が導入される背景には、反復した練習が容易にできること、また、CDなどを用いた実習よりも臨場感を得ながら実習が可能なことが挙げられる[6、7]。本モデルのような診療シミュレータを鍼灸学を学ぶ教育機関に導入する事は、基礎的かつ一般的な身体診察の手技を学習する有効なツールになると考える。しかしながら、本学では、視覚障害の程度に応じた取り組みも必要であり、パソコン上の画面を他のディスプレイと連結させ拡大表示させることなど、機器本体ではない改善点を今後検討していく必要がある。  鍼灸の臨床現場においては直接患者と接するため、患者との会話や患者の様子から、万が一の重篤な症状や異変を気付くこと、知識だけでなく技能としてバイタルサインの確認ができることが必要である。Physikoで実習可能な7項目のうち5項目は、実習可能な程度・理解度において、視覚障害の程度の差は認められなかった。この結果、実習内容の習熟度や理解度は、視覚障害の程度より、どのような実習をどの程度行なったかに起因すると言える。  今回はフィジカルアセスメントモデルPhysikoを用いた実習を行なったが、視覚障害学生に対する実践的体験型学習として他のバイタルサイン関連機器やシミュレータなどを積極的に活用できる可能性がある。今後、質の高い鍼灸師の育成という観点から視覚障害学生に対してシミュレータなどを利用した新たな学習法や教育法の開発の検討が必要である。 5.結語  鍼灸学を学ぶ視覚障害学生に対するフィジカルアセスメントモデルを活用したバイタルサインの診察演習は多くの項目で実習可能であり、また、身体診察の自信度も実習を行うことで有意に増加していた。よって、このようなシミュレータを活用した学習法は、視覚障害学生にも有用であると考えられる。 謝辞  本研究は、平成21年度文部科学省特別教育研究経費「視覚に障害をもつ医療系学生のための教育高度化改善事業」にて実施したものです。また、内容の一部についてはJSPS科研費 基盤研究(C)20530878の助成を受けたものです。 参考文献 [1] Kern DE, Thomas PA, et al.: 医学教育プログラム開発.6段階アプローチによる学習と評価の一体化.小泉 俊三 監訳.篠原出版社,東京,2003. [2] 新医学教育入門.教育者中心から学習者中心へ.大西 弘高,医学書院,東京,2005. [3] 山内 豊明:フィジカルアセスメントを正しく推進するにあたって.看護教育48:470-477,2007. [4] 高橋 恵:シミュレータで学ぶ基礎看護技術.看護教育50:595-602,2009. [5] 徳永 仁,高村 徳人 他:薬学部臨床薬学系実習におけるさまざまなバイタルサインを取り入れた教育法の構築.医療薬学34:847-852,2008. [6] 椎橋 実智男,鈴木 美穂 他:臨床医学自己学習のためのマルチメディアシミュレーションシステムの開発.情報教育方法研究6(1):21-25,2003. [7] 津田 武:米国の医科大学におけるシミュレーション教育.医機学81(3):201-208,2011. Usefulness of a Medical Simulation Model in an Acupuncture Student Course IKEMUNE Sachiko, YANAGISAWA Miku, TOJO Masanori, NARUSHIMA Tomomi, OHKOSHI Norio Affiliate Course of Acupuncture and Moxibustion, Department of Health, Faculty of Health Sciences, Tsukuba University of Technology Abstract: In acupuncture education, it is necessary to provide training for assessment of vital signs in addition to medical and nursing education. The purpose of this study was to investigate the usefulness of an examination simulator, which was similar to a human model, in providing training for physical assessment. The volunteer subjects who participated in this study were 14 students in Grades 3 and 4 of an acupuncture course. The students read the instruction manual and learned the clinical contents in advance. The practical training comprised 7 items that could be practiced in the simulator, namely, pupil reflex assessment, blood pressure measurement, pulse measurement, electrocardiogram analysis, and auscultation of heart sounds, breath sounds. We used a questionnaire to evaluate the usefulness of the training and to determine the student’s level of understanding. In addition, we investigated problems and areas of improvement for the training. After practice, students were significantly more confident about physical examination than they were before training. Moreover, more than half of the students selected “good” and “almost”. The problem with simulator training for visually impaired students is that letters and figures on the monitor screen, as well as anatomical locations on the body surface of the simulator are not visible. However, physical assessment training with an examination simulator was useful for visually impaired students. This study suggests that it is necessary to continue using this practical method in the near future. Keywords: Examination simulator, Physical assessment, Questionnaire, Self-directed learning, Visually impaired students,