視覚障害を有する鍼灸学生への診療シミュレータを用いた学習効果 筑波技術大学 保健科学部保健学科 鍼灸学専攻 池宗 佐知子、成島 朋美、東條 正典、大越 教夫 要旨:本研究は、視覚障害学生における診療シミュレータを用いたフィジカルアセスメントに対する学習効果について検討した。実習内容は心音および呼吸音の聴診、心電図測定の実習であった。対象は臨床実習Ⅰを受講する学生16名とした。学生には、事前に実習のテキストを配布し、自主学習を行わせた。実習において心音と呼吸音の聴診では正常音と代表的な異常音を聴取させた。心電図測定は、心電図の電極を装着させた。実習の評価として確認テストと実習アンケートを実施した。その結果、各実習項目が必要であると考えていたものほど実習内容を理解していた。また、確認テストの得点が高い学生ほど、事前学習を実施しており、実習の必要性を肯定的に捉えていた。これらの結果から、事前に十分な自主学習を実施することで、より学習効果が高まる可能性が示された。 キーワード:診療シミュレータ,フィジカルアセスメント,自主学習,視覚障害学生 1.はじめに  近年、医療系の学部教育において診療シミュレータなどを用いたフィジカルアセスメントの実習の必要性が注目されている。フィジカルアセスメントの「フィジカル」とは「身体的な」ということであり、「アセスメント」とは「情報となる素材の収集とその整理」と考えられる[1]。フィジカルアセスメント学習の一つとして正確なバイタルサインの把握が挙げられる[2]。学生が、正確なバイタルサインなどフィジカルアセスメントの技術習得するためには、十分な学習時間の確保が必要となる。  診療シミュレータは臨床場面に近い状態を再現することができ、知識と技術を統合するために有効な方法とされる。多くの医学部や看護学部では、診療シミュレータを用いた実習が行われている[3、4]。鍼灸学においても、臨床で患者に接するにあたり、バイタルサインの取り方や聴診などを学習する必要がある。これらの学習において、身体診察演習や診療シミュレータなどを用いた実習は、反復学習が可能であり、有用であると考えられる。フィジカルアセスメントモデルPhysiko(㈱京都科学;以下Physiko、図1)は、人型をしたシミュレータであり、瞳孔反射、血圧測定、心電図測定などを含めた7項目について繰り返し練習することができる[5]。しかしながら、視覚障害学生においては、Physikoで実習可能な項目の中で特に視力が必要な項目について実施困難であることが示された[6]。具体的には、瞳孔反射における瞳孔反応の確認や、心電図測定における波形の読み取りが困難であった。これらについては、口頭による説明や事前に配布した資料による情報保障を行ったが、実習項目としての有用性は低いと思われた。しかし、その他の実習項目は何らかの補助があれば視覚障害の程度によらず実習が可能であった。そこで、視覚障害学生に診療シミュレータの一つであるPhysikoを用いた身体診察実習を実施し、その学習効果について検討することを目的とした。 図1 Physikoを用いた実習風景 2.対象および方法 2.1 対象および実習概要  対象は本学鍼灸学専攻3年生16名とし、2人1組で実習を実施した。なお、本実習は、臨床実習Ⅰの一つとして行った。実習にあたり、事前に“Physiko実習マニュアル”を配布し、自主学習を促した。  実習は2回実施し、1回目は、事前の自主学習を踏まえた質疑応答や体の指標部位を確認しながら心音・呼吸音の聴診や心電図測定を実施した。2回目は、1回目の実習で行った内容を踏まえ、口頭試問および実技形式による確認テストを行った。なお、2回目の実習終了後に実習に関するアンケートを実施した。 2.2 実習使用機器および実習方法  実習には、診療シミュレータであるPhysikoを用いた。Physikoは、個別手技の反復した練習と共に、看護臨床現場で遭遇する可能性の高い12例の疾患患者について学習が可能なモデルである。今回は、正常所見および異常所見について学習するため、個別手技トレーニングモードを用いて実習を行った。  本実習では、Physikoで実施可能な7つの項目のうち、心音聴診、呼吸音聴診と心電図測定の3項目を実施した。なお、心音および呼吸音の聴診は、正常音の聴診と共に異常音の聴診を行った。実習で聴取させた異常音は表1に示す。また、心電図測定は視覚障害の程度によりPC画面上に示される波形の読み取りが困難であったため[6]、胸部への電極装着のみ実施することとした。 2.3 確認テストの実施  確認テストはPhysikoを用い、口頭試問および実技形式にて実施した。まず心音は、聴診部位に関する口頭試問を行った。心臓の弁の位置による心音の聴診部位は図2に示す。次に呼吸音は、異常呼吸音の聴診を行わせその名称および考えられる疾患について口頭試問を実施した。最後に心電図測定では、胸部誘導のための6つの電極装着のうち、V1~V4までの4つの電極を装着させ、その装着部位を答えさせた。設問数は全部で21問あり、その得点率を確認テストの得点とした。 2.4 実習アンケートの実施  まず、予習に関して4段階で評価した。1は「全く資料を読んでいない」、2を「資料は一応目を通してきた」、3を「資料を熟読してきた」、4を「資料の不明な点について調べた」とした。  心音聴診、呼吸音聴診、心電図測定の各実習おける「実習の可能な程度」、「実習の理解度」、「実習の必要性」についてそれぞれ評価した。  実習可能な程度は、1を「補助があっても不可能」、2を「補助が必要」、3を「補助が少し必要」、4を「補助なく可能」の4段階とした。実習の理解度は、1を「全く理解できなかった」、2を「あまり理解できなかった」、3を「だいたい理解できた」、4を「完全に理解できた」の4段階で評価した。実習の必要性は、1を「全く必要ない」。2を「あまり必要ではない」、3を「必要性は中程度」、4を「必要性が高い」と4段階に分け、それぞれについてその理由についても明記させた。 2.5 解析方法  予習の程度および各実習項目に関するアンケートは単純集計を行った。予習の程度と確認テスト、確認テストと各実習項目のアンケート項目の相関、実習項目間での相関については、ピアソンの相関係数を用いて相関について検討した。解析ソフトはSPSS ver.19を用い、危険率5%未満を有意とした。 表1 実習で聴取させた異常音 図2 心音の聴診部位 3.結果 3.1 予習の程度および確認テストの得点分布  予習の程度は、「全く資料を読んでいない」と答えたものが2名、「資料は一応目を通してきた」が7名、「資料を熟読してきた」が3名、「資料の不明な点について調べた」が4名であった。  確認テストの結果を図3に示す。確認テストの平均は77.7±23.2点であったが、80点以上と70点未満の2極化する結果となった。しかし、予習の程度と確認テストの得点に関して、有意な相関は認められなかった(r=0.43、P=0.10)。 3.2 実習の実行可能な程度、理解度、必要性  3つの実習項目における実習可能な程度、実習の理解度、実習の必要性について図4~6に示す。  実習可能な程度の平均は、心音聴診で3.1±0.9点、呼吸音聴診で3.1±0.8点、心電図測定で3.1±0.9点であった。全ての実習項目において「補助があっても不可能」と答えたものはいなかった。  実習の理解度の平均は、心音聴診で3.1±0.5点、呼吸音聴診で3.1±0.3点、心電図測定で3.1±0.5点であった。全ての実習項目において、「全く理解できなかった」と答えたものはおらず、ほとんどの学生が少なからず理解できていた。  実習の必要性の平均は、心音聴診で3.6±0.6点、呼吸音聴診で3.5±0.6点、心電図測定で3.4±0.7点であった。全ての実習項目において「全く必要でない」と答えたものおらず、半数以上のものが「必要性が高い」と答えた。 3.3 実習におけるアンケート項目間の相関  心音聴診、呼吸音聴診、心電図測定の3つの実習項目それぞれについて、「実習可能な程度」、「実習の理解度」、「の必要性」の間の相関を検討した結果を表2に示す。その結果、心音聴診では、「実習の理解度」と「実習の必要性」において有意な相関が認められた(r=0.53、P=0.04)。心電図測定では「実習可能な程度」と「実習の必要性」、「実習の理解度」と「実習の必要性」の間でそれぞれ有意な相関が認められた(r=0.60、P=0.02、=0.58、P=0.02。しかし、呼吸音は、全てのアンケート項目において有意な相関は認められなかった。 3.4 実習における自由記述  各実習項目において実習の必要性を評価した際の理由(自由記述)を確認テストの得点により2分し、肯定的、否定的な回答に区別したものを表3に示す。確認テストの結果により80点以上(n=10)と60点未満(n=4)とした。確認テストの得点が80点以上の学生は実習のどの項目に対しても肯定的に解答しているが、60点未満の学生は否定的な意見がみられた。特に、60点未満の学生は鍼灸を学ぶ上で必要性が判らないと考えているものがいた。  また、確認テスト80点以上のものは予習の程度が2.9±1.1点、60点未満のものは予習の程度が1.8±0.5点であった。確認テストで80点以上の学生の中には、経験としてPhysikoを用いた実習をしておいたほうがよいと意欲的に答えたものもみられた。 図3 確認テストの得点分布 図4 各実習項目における実習可能な程度 図5 各実習項目における実習の理解度 図6 各実習項目における実習の必要性 表2 アンケート項目間における相関 4.考察  本研究では、バイタルサインを主体とした学習が可能である診療シミュレータを臨床実習Ⅰに導入し、鍼灸学教育における視覚障害学生への学習効果について検討した。  診療シミュレータを用いた実習を実施するため、事前に、実習可能な項目、異常疾患についてまとめた実習マニュアルを配布し予習を促した。その結果全く資料を読んでいないと答えたものは全体の12.5%(2名)であり、その他の学生は少なからず予習をしていた。しかし、確認テストの得点と予習の程度は相関が認められず、実習に際し予習をしていたものが必ずしも確認テストで高得点になるというわけではなかった。確認テストは1回目の実習から10日程度期間があくため、実習前の予習の程度よりも実習後の復習が反映されるのではないかと考える。  次に、実習の可能な程度、理解度、必要性について検討した。診療シミュレータモデルを活用した教育法は、看護学部を中心に多くの医療系学部で取り入れられている[3-5]。また、薬学部においても様々なシミュレータを用いた実習の報告があり、学生の評価として、実習内容の必要性や理解度が実習前後で有意に増加していた(p<0.01)。このことから、シミュレータなどを使用した教育方法は、基本技術から応用技術までさまざまな授業展開を行うことを可能とし、患者への全身アセスメントとともに実践に向けた質の高い薬剤師の育成が可能であることが考察されている[7]。視覚障害学生においても、障害の程度によらず全員が実習可能な項目を選択した結果、実習可能な程度において、全ての実習項目で「補助があっても不可能」と答えたものはいなかった。診療シミュレータは、胸骨角や乳頭線などの体表の指標になるものが明確に示されているため、必要最小限の補助を加えることで、障害の程度に関わらず実習可能であった。また、実習の理解度において「全く理解できなかった」、必要性では「全く必要ない」と答えたものはいなかった。視覚障害の程度によっては、DVD教材等の映像教材を十分に活用することは難しく、フィジカルアセスメントについての動的な情報は不足しがちである。一方、人型をした模型であるPhysikoは、実際の診察を想定しながらバイタルサインのトレーニングを行うことができる。Physikoのようなシミュレータを用いることにより、よりリアリティのある実習ができた結果、実習内容の理解度の高さや実習の必要性があるとの考えに至ったのではなかろうか。  心音聴診と心電図測定におけるアンケート項目の相関では、実習の理解度と実習の必要性において有意な相関が認められた。このことから、心音聴診、心電図測定に関しては、実習内容について理解度が高い学生ほど実習が必要であると考えている可能性がある。また、心電図測定は実習可能な程度と実習の必要性についても有意な相関が認められたことから、全員可能ではあるが、視力の程度に応じて実習の必要性に違いが認められたことが考えられる。これらの結果を踏まえると、本実習において学生は、実習可能な程度や理解度が高い程、実習の必要性を感じていた。診療シミュレーションを用いた実習を実施するにあたり、実習環境の整備や自主学習を促すことで、実習の必要性を感じ、学習の意欲向上につながることが示唆された。  最後に実習の必要性を学生に4段階で評価させ、その理由について自由記述させた。確認テストにおいて80点以上の学生(10名)と60点未満の学生(4名)を比較した。その結果、心音聴診、呼吸音聴診、心電図測定の全ての項目において80点以上の学生は、経験できるものは経験しておいた方がよい、疾患に対する理解が深まるなど実習に対して肯定的にとらえていた。このような学生は、予習の段階で資料を熟読してきている可能性が高く、実習の必要性について認識できていたことが示唆される。一方で、確認テストで60点未満の学生は、予習の段階で資料に目を通す程度であった。その結果、実習の必要性において、鍼灸を学ぶ上での必要性を認識できていなかった。これらの結果から、実習前に自主学習を行うことで、実習内容を理解するだけでなく、実習の目的や必要性について事前に捉えた上で実習に参加可能であることが考えられた。  今後、本実習の目的を十分に理解させたうえで、事前に自主学習を促すことで、実習内容の理解や必要性の認識を高めることができると思われる。その結果、学生の意欲を高め、学習効果が期待できる可能性がある。 表3 自由記述からみた実習の必要性 5.結語  診療シミュレータを用いた実習は、視覚障害の程度に応じた補助を行うことで実習は実施可能であった。また、実習の内容を理解できたものほど実習が必要であると考えていた。確認テストの得点が高いものは実習の必要性について肯定的に捉えていた。このような診療シミュレータを用いた学習は、事前に十分な自主学習を実施することで、より学習効果が高まると考えられた。 謝辞  本研究は、平成23年度文部科学省特別経費「視覚に障害をもつ医療系学生のための教育高度化改善事業」にて実施したものである。 参考文献 [1] 山内 豊明.フィジカルアセスメントを正しく推進するにあたって.看護教育48:470-477,2007. [2] 高村 徳人,徳永 仁 他.薬学生の臨床能力向上を目指した救急救命実習.薬学雑誌 130(4):583-588,2010. [3] 伊賀 幹二,小松 弘幸,石丸 裕康.医師免許取得後早期より反復して行った心臓病患者シミュレーターを用いた診察実習の効果.医学教育 32(2):107-111,2001. [4] 伊藤 登茂子,浅沼 義弘,猪股 祥子.看護基礎教育におけるシミュレーター活用の評価.医療マネジメント学会雑誌 4(3):406-411,2003. [5] 高橋 恵.シミュレータで学ぶ基礎看護技術.看護教育 50:595-602,2009. [6] 池宗 佐知子,柳沢 美久,東條 正典ほか.鍼灸学専攻学生に対する診療シミュレーションモデル活用の有用性.筑波技術大学テクノレポート.20(2): 23-28, 2013 [7] 徳永 仁,高村 徳人 ,緒方 賢次ほか.薬学部臨床薬学系実習におけるさまざまなバイタルサインを取り入れた教育法の構築.医療薬学34:847-852,2008.