障害者スポーツに関する切手 大沢秀雄 筑波技術大学 保健科学部 保健学科 鍼灸学専攻 要旨:障害者スポーツに関する最も古い切手は1964年にアルゼンチンから発行された東京パラリンピックの記念切手である。その後,パラリンピックの開催に合わせて,開催国を中心に記念切手の発行が行われるようになった。わが国の最初の障害者スポーツに関する切手はフェスピック神戸大会(1989)の記念切手であった。本論文ではスタンプショウ2014に出品した「障害者スポーツ」(金銀賞)の切手展作品を基に障害者スポーツに関する切手を概説する。キーワード:障害者スポーツ,パラリンピック,デフリンピック,スペシャルオリンピックス,切手 1.はじめに 郵便切手は1840年にイギリスで最初に発行され,我が国では明治維新後の1871年に発行された。切手の本来の目的は郵便料金の前納の証紙であるが,国家が発行していることから,発行する国や地域の歴史・地理・自然・文化,そしてその時々の政策や経済情勢が強く反映される[1]。また,医学の進歩や医療制度の変化なども切手に強く影響を与えることが古川[2],安室[3]によって報告されている。そこで,筆者はこれまで,史料としての郵便切手(その他の郵便物を含む)を分析し,視覚障害者及び聴覚障害者教育の歴史や現状について調査研究を行い,その成果を障害者教育の専門雑誌[4],郵便関係の専門雑誌[5,6]に報告すると共に,単行本[7],国内外の切手展[8,9],科学技術週間における大学公開,オープンキャンパス,学園祭などの機会を通して広く公表してきた。2012年7月,東京オリンピック・パラリンピックの招致運動に貢献する目的で全日本切手展2012(主催:日本郵趣連合)に,「パラリンピック」の1フレーム作品(基本16リーフ構成,リーフとはA4ないしレターサイズの台紙に切手などの資料を貼りこみ,研究成果を書き込んだもの)を出品した。審査の結果,銀賞の評価を得た[10]。2013年5月,本学は2020年東京オリンピック・パラリンピック招致運動における連携協定の締結を行ったので,開催地が決定される直前の8月26日〜9月6日,招致活動のさらなる盛り上げをはかる事と障害者スポーツに対する理解を高める目的で,地元・筑波学園郵便局において,同局の協力を頂き,「パラリンピック切手展」を開催し,この作品を公開した。 図1 パラリンピック切手展(筑波学園郵便局) 図1は展示風景で,筑波学園郵便局のロビー内に展示された。同局利用者が見学するとともに,関東近県からの多数の参観者があった。参観者からは,障害者スポーツに関する理解が深まったなどの感想などが多数寄せられた。次に,「パラリンピック」の作品を基に,障害者スポーツ全体を網羅した切手展作品の作成に着手し,スタンプショウ2014に「障害者スポーツ」を出品したところ,金銀賞を受賞した[11]。そこで,本稿ではその作品の解説を行い,障害者スポーツに関する切手の概要について述べる。 2.「障害者スポーツ」の製作のねらい 「障害者スポーツ」は2014年4月25日〜27日に都立産業貿易センター浜松町館(東京都港区)で開催されたスタンプショウ2014・第15回トピカル切手展(主催:公益財団法人日本郵趣協会)に出品した切手展作品である。前作の「パラリンピック」を基にパラリンピック以外の身体障害者スポーツ,聴覚障害者のデフリンピック,知的発達障害者のスペシャルオリンピックスに関する切手・郵便物を 追加し,障害者スポーツ全体を網羅した切手展作品とした。作品には切手に加え,初日カバー(First Day Coverの訳で新切手を貼り,切手発行当日の日付印を押印した封筒,以下FDCと略す)やマキシマムカード(切手と同じか,またはできる限り似た図案の絵はがきの絵面に切手を貼り,関連する記念印を押印したもの,以下MCと略す)や各種の郵便印など様々な種類の郵便物を幅広く使用した。 3.「障害者スポーツ」の各リーフの解説 各リーフの画像は紙数の都合上,本学機関リポジトリーhttp://hdl.handle.net/10460/1260を参照されたい[11]。 リーフ1:タイトルリーフである。長野パラリンピック(1998),バイアスロン(視覚障害クラス)の金メダリスト小林(現・井口)深雪選手(本学名誉卒業生)のサイン入りFDC。下段に作品の概要と構成を示した。 リーフ2:障害者スポーツの始まりを示す。パラリンピックの起源は,1948年7月,ロンドン・オリンピックの開会式当日にストーク・マンデビル病院のL.グットマンが第二次世界大戦の戦傷者の脊髄損傷患者を集めてスポーツ大会を開催したことによる。そこで,上段に第二次世界大戦の戦傷者を描いたクロアチア(1944)発行の戦傷者救済寄付金付き切手を配置した。この切手の左には失明者,右には運動機能障害者が描かれている。タブには戦傷者の守護聖人のセント・セバスチャンが描かれている。8面小型シートの左下部分のプログレッシブ・プルーフ(切手の印刷過程の試刷り)である。リーフ下段左にはロンドン・オリンピックの記念航空書簡を配置し,下段右にストーク・マンデビル病院脊髄損傷センター37周年の記念印(1981年の国際障害者年の特殊切手の初日記念印)を配置した。 リーフ3:クラス分類と夏季パラリンピックの種目を示す。障害種は運動機能障害,脳性麻痺,切断など,視覚障害がある。ジンバブエ(1981)発行の国際障害者年の特殊切手に上肢・下肢の切断者,視覚障害者のイメージが描かれており,また車椅子の障害者はアメリカ(1981)の国際障害者年の特殊切手を使用し,それぞれ示した。本リーフでは,車椅子陸上レース(インドネシア,2008),下肢切断者の円盤投げ(チュニジア,2002),上肢切断者の円盤投げ(アンチグア,1981),車椅子槍投げ(東ドイツ,1981)などを示した。フィンランド(2012)から発行された障害者スポーツの特殊切手には車椅子陸上,車椅子アーチェリーがそれぞれ描かれ,1 LK KL(第1種郵便)を表す点字が紫外線硬化樹脂によって印刷されている。さらに小型シート上部余白には,ゴールボール,視覚障害者柔道,視覚障害者自転車が描かれている。 リーフ4:パラリンピック夏季大会の競技種目の2リーフ目である。車椅子バスケット(アンチグア1981),車椅子アーチェ リー(ニジェール,1981及びボプタツワナ,1981),車椅子卓球(ハンガリー,2006),車椅子フェンシング(ベルギー,1977),車椅子テニス(ベトナム,1991と1997),シッティングバレーボール(フィンランド,1970),ボッチャ(アイルランド,1996)を示した。 リーフ5:夏季パラリンピックについて,13リーフまで大会毎に順に示した。1960年,ローマで第1回国際ストーク・マンデビル大会が開催された (後に本大会は第1回夏季パラリンピックと認定)。パラリンピックの名称は1964年の東京大会から使われ始め,1985年に国際オリンピック委員会は,パラリンピックという呼称を用いることを正式に認めた。第1回ローマ大会は切手発行が無かった。第2回東京大会(1964)の第1部は国際ストーク・マンデビル大会,第2部は全身体障害者を対象にした日本人選手のみの大会として行われた。渋谷局で小型印が使用された。東京オリンピック記念の小型シートに国際身体障害者スポーツ大会の小型印を押印されたものを配置した。アルゼンチンから世界最初のパラリンピックの記念切手が発行され,松葉杖と聖火,五輪のマークが描かれている。第3回テルアビブ大会(1968)は第17回国際ストーク・マンデビル競技大会として開催された。当初,オリンピック開催地メキシコ・シティでの開催が計画されていたが,メキシコ政府が開催に反対したことから,イスラエル政府がテルアビブで開催することを承諾した。イスラエルからは車椅子バスケットが描かれた記念切手が発行された。第4回ハイデルベルク大会(1972)はオリンピック開催地のミュンヘンと同一国内で開催された。開催国の西ドイツの記念切手には車椅子アーチェリーが描かれている。 リーフ6:第5〜7回大会を示した。第5回トロント大会(1976)は国際ストーク・マンデビル競技連盟と国際身体障害者スポーツ連盟の共催となり,初めて四肢切断者と視覚障害者が参加した。同一国内のモントリオールでオリンピックが開催された。開催国のカナダ発行の切手には車椅子アーチェリーが描かれている。第6回アーネム大会(1980)では脳性麻痺者の参加が認められた。開催国のオランダの記念切手は寄付金付き切手として発行された。図案は車椅子バスケットのプレーヤーとコートが描かれている。さらにインドネシアからも上肢切断者の円盤投げを描いた記念切手が発行された。第7回ニューヨーク・アイレスベリー大会(1984)は当初,アメリカ・ニューヨーク州とイリノイ州で開催する予定だったが,半年前になって財政難のため,イリノイ州での開催は不可能になってしまった。そのため,国際ストーク・マンデビル競技連盟が受け皿となって,アイレスベリーにあったストーク・マンデビル病院で脊髄損傷者の大会を開催することになった。記念切手の発行は無く,ニューヨーク大会で記念印の 使用が行われた。 リーフ7:第8〜9大会を示した。第8回ソウル大会(1988)では「パラリンピック」が初めて大会の正式名称として使用された。東京パラリンピック以来,オリンピックとパラリンピックの開催都市が同一になった。また,ソウルオリンピックで使用した施設をそのまま使用した。開催国の韓国からは2種(車椅子アーチェリー,大会のマスコット)の記念切手が発行された。第9回バルセロナ大会(1992)は過去最大規模の障害者のスポーツ競技大会となった。開催国スペインの記念切手には車椅子バスケットが描かれている。イギリス発行の記念切手には英国パラリンピック協会の旗が描かれている。 リーフ8:第10回アトランタ大会(1996)は104か国・地域から3259名の選手が参加した。開催国アメリカからは記念切手付封筒が発行された。領額印面部に大会のロゴマークが描かれている。アイルランド発行の記念切手にはレーサー(軽量かつ空気抵抗の低減を配慮したフレーム形状の専用車椅子)を使用した車椅子競技が描かれている。オーストラリア発行の近代オリンピック100年記念の3種セット中にアトランタ・パラリンピックの記念切手が含まれ,車椅子の陸上競技が描かれている。香港発行の記念小型シートには実際の写真によって開会式,ゴールボール,卓球,車椅子フェンシングが描かれている。アルゼンチンでは車椅子バスケットを描いた記念印が使用された。 リーフ9:第11回シドニー大会(2000)は過去最大の122か国・地域から3881名の選手が参加した。知的障害の競技が正式種目として行われたが,スペインが知的障害者バスケットボールチームに健常者選手を潜り込ませて金メダルを獲得していたことが露見し,本大会後,知的障害者の種目はパラリンピックから外された。開催国のオーストラリアからは多数の記念切手発行が行われた。上段のFDCは車椅子テニス,上肢切断者のトラック競技,車椅子バスケット,視覚障害者の自転車(タンデム),四肢切断者の砲丸投げの5種の切手に大会のロゴを描いた初日記念印を押印したものである。中段右のFDCは開会式当日に発行された2種の記念切手で大会のロゴ,聖火ランナーが描かれている。さらに,女子水泳(S14)で金メダルを7個獲得したSIOBHAN PATONの記念切手が大会後,発行された。ベルギーからは車椅子トラック競技,イタリアからは車椅子バスケットを描いた切手がそれぞれ発行された。 リーフ10:第12回アテネ大会(2004)を示した。135か国・地域から,808名の選手が参加した。開催国のギリシャ(2004)からは馬術,陸上,車椅子バスケット,車椅子アーチェリーを描いた4種の記念切手が発行された(ギリシャの芸術家A.ファシアノスのデザイン)。イランからはシッティングバレーボールを描いた記念切手が発行された。ドイツか らは車椅子テニスを描いた寄付金付き切手が発行された。チェコからは下肢運動障害者の槍投げが描かれた記念切手が発行された。ポルトガルからは4種の記念切手が発行され,上肢切断者の水泳競技,車椅子の陸上競技,左上肢切断者の自転車,左下肢切断者の短距離競技がそれぞれ,実際のアスリートの写真が使用されており,躍動感溢れる素晴らしい切手となっている。 リーフ11:第13回北京大会(2008)を示した。146か国・地域から3951名の選手が参加した。本大会からパラリンピック組織委員会がオリンピック組織委員会に統合され,オリンピック組織委員会が運営する初めてのパラリンピックとなった。開催国の中国からは大会の記章,大会マスコットの福牛楽楽を描いた2種の記念切手が発行された。それぞれ,紫外線硬化樹脂によって点字が印刷されている。さらに,中国からは閉会式の記念絵葉書が発行された。スロバキアからは万里の長城を走る義足を描いた記念切手が発行された。チェコからは車椅子アーチェリーを描いた記念切手が発行された。リヒテンシュタインからも2種の記念切手が発行された(未収録)。 リーフ12:第14回ロンドン大会(2012)の1リーフ目である。シドニー大会以来,3大会ぶりに知的障害者が出場する競技が復活した。20競技503種目に初参加の北朝鮮などを含む史上最多の164か国・地域から約4280人の選手が参加した。開催国のイギリスからは大会の3年前より,毎年,オリンピック・パラリンピックの10種セットの記念切手を発行した。10種のうち,オリンピック種目が7種,パラリンピック種目が3種発行された。2009年の第1次ではアーチェリー,ボッチャ,馬術,2010年の第2次では卓球,ゴールボール,ボート,2011年の第3次では車椅子テニス,ウェルチェアーラグビー,セーリングの各種目の切手が発行された。 リーフ13:第14回ロンドン大会の2リーフ目である。上段は開催国のイギリス(2012)から発行された切手帳で,オリンピックのマスコットのウェンロックとパラリンピックのマスコットのマンデヴィルを描いたシール式切手が3枚ずつ収められている。切手帳の裏表紙には大会の日程が記載されている。作品には使用していないが,イギリスからはこれ以外にも開会式の記念切手,金メダル受賞の翌日に発行された金メダリストを描いた記念切手(約30種)などが発行された。国連郵政はロンドン・パラリンピックに先立ち,障害者スポーツの特殊切手を発行した。国連ニューヨーク本部からはゴールボール,シッティングバレーボール,ジュネーブ事務所からは陸上競技,アーチェリー,ウィーン事務所からは車椅子バスケット,卓球の切手がそれぞれ発行された。その他,車椅子陸上レースを描いた切手がナミビアとセルビアから発行された。 リーフ14:冬季パラリンピックを示す(18リーフまで)。 身体障害者の冬季競技は,第二次大戦で負傷した軍人を中心に広まった。アルペンスキーは,片下肢切断者のために考案された3トラック・スキー(1本のスキーと2本のアウトリガーで滑るスキー)によって切断者のアルペンスキー人口を増加させた。クロスカントリーは,ノルウェーの視覚障害者を中心に普及がはじまった。パラリンピック冬季大会は1976年にエーンシェルドスピーク(スウェーデン)で第1回大会が開催されたが,記念切手などの発行は無かった。第2回ヤイロ大会(1980)の正式名称は第2回国際身体障害者冬季競技大会で,18か国から350名の選手が参加した。アルペンスキーとノルディックスキーの2競技が行われた。開催国のノルウェーでは記念切手の発行は無かったが,開催地のヤイロで記念印が使用された。図案は大会のロゴマークである。第3回インスブルック大会(1984)の正式名称は第3回国際身体障害者冬季競技大会。21か国から457名の選手が参加した。開催国のオーストリアから最初の冬季パラリンピックの記念切手が発行された(寄付金付き切手)。図案は3トラック・スキーのアルペン競技と大会のロゴが描かれている。第4回インスブルック大会(1988)も第3回に続いてインスブルックで開催された。正式名称は第4回国際身体障害者冬季競技大会で,22か国から397名の選手が参加した。開催国のオーストリアからはアイススレッジスピードレースを描いた寄付金付き切手が発行された。リーフ15:第5〜6回冬季大会を示した。第5回アルベールビル大会(1992)は冬季パラリンピックで初めて冬季オリンピックと同一都市で開催された。24か国から475名の選手が参加した。開催国のフランスより大会のロゴマーク(傷ついた羽で飛ぶ鳥)を描いた記念切手が発行された。第6回リレハンメル大会(1994)は夏季大会と2年ごとに隔年開催のため前大会の2年後に開催された。31か国から492名の選手が参加した。開催国のフィンランドからはアルペンスキー及びノルディックスキーを描いた2種の記念切手が発行された。ドイツからはアルペンスキーを描いた寄付金付き切手が発行された。オーストラリアからはリレハンメルオリンピック及びパラリンピック記念の切手付封筒が発行された。 リーフ16:第7〜8回冬季大会を示した。第7回長野大会(1998)はアジアで初めて開催された冬季大会で,32か国・地域から571名の選手が参加した。約15万人が大会を観戦,1468名のメディア関係者により報道され,冬季大会としては過去最高の盛り上がりを見せた。この大会を機に,日本国内でパラリンピックの知名度が 劇的に上がった。また,バイアスロン(視覚障害クラス)で本学卒業生の小林(現・井口)深雪が金メダルを受賞した。開催国の日本からはシラネアオイ,アイススレッジスホッケーを描いた2種の記念切手が発行された。また大会期間中,開催地の長野中央,長野東,野沢温泉,白馬などの郵便局で開催種目を描いた小型印が使用された。ドイツからチェアスキーを描いた寄付金付き切手が発行された。第8回ソルトレイクシティ大会(2002)では初めてオリンピックとパラリンピックが同じ組織委員会となった。36か国・地域から416名の選手が参加。開催国のアメリカからは記念切手の発行は無く,開催地のソルトレイクシティで大会のロゴマークを描いた記念印が使用された。チェコからは左下肢切断者のアルペンスキー,ラトビアからはアルペンスキー(チェアスキー)を描いた切手が発行された。 リーフ17:第9〜10回冬季大会を示した。第9回トリノ大会(2006)は39か国・地域から477名の選手が参加した。本学卒業生の小林(現・井口)深雪(視覚障害・バイアスロン)が長野大会に続き,金メダルを獲得した。開催国のイタリアからは大会のロゴマークを描いた記念切手が発行された。チェコからはアイススレッジスホッケーが描かれた記念切手が発行された。第10回バンクーバー大会(2010)は44か国・地域の507名の選手が参加した。開催国のカナダからはバンクーバーオリンピック及びパラリンピックの小型シートが発行された。シート上段に大会のマスコット,下段中央の切手に車椅子カーリングが描かれている。ドイツからはアルペンスキー(チェアスキー)を描いた寄付金付き切手,オランダからは大会のロゴマーク,スイスからはアルペンスキー(3トラック・スキー)を描いた記念切手が発行された。 リーフ18:第11回ソチ大会(2014)は45か国・地域の約550名の選手が参加した。開催国のロシアからは開催の3年前(2011)に記念切手付封筒が発行された。挿絵に大会のマスコットのRay of Light(男子)と Snowflake(女子)が描かれている。2012年には大会のマスコットを描いた記念切手が発行された。チェコからはアイススレッジホッケーを描いた記念切手が発行された。ソチ大会の切手は作品制作時には未入手のものが多く,さらに収集中である。 リーフ19:パラリンピック以外の身体障害者の国際スポーツ大会について示した(24リーフまで)。フェスピック(Far East and South Pacific Games for the Disabled) はアジアおよび太平洋地域の障害者スポーツの総合競技大会で,1975〜2006年まで9大会が開催された。欧米に比べて障害者アスリートの競技機会が限られていたアジア・太平洋地域では,中心的な地域別国際総合競技大会として機能し,アジアパラ競技大会の先駆と なった。第1回別府大会(1975)は参加18カ国,参加選手973人であった。中村裕(整形外科医,社会福祉法人・太陽の家の創設者)の尽力により同氏の出身の大分県で開催された。車椅子の四肢麻痺者に加え,視覚障害者,聴覚障害者,切断者,脳性麻痺者など様々な障害をもつ選手が出場した。開催地の大分局,別府局で小型印が使用された。第3回香港大会(1982)は参加23か国,参加選手744人であった。開催地の香港からは車椅子卓球,車椅子レース,車椅子バスケット,車椅子アーチェリーの4種の記念切手が発行された。リーフ20:フェスピックの2リーフ目である。第5回神戸大会(1989)は参加41か国,参加選手1646人であった。開催国の日本からは車椅子レースを描いた記念切手が発行された(日本最初の障害者スポーツ切手)。第6回北京大会(1994)は参加42か国,参加選手2081人であった。開催国の中国からは車椅子レースを描いた記念切手が発行された。MCを使用した。第7回バンコク大会(1999)は参加34か国,参加選手2258人であった。開催国のタイからは車椅子レースを描いた切手が発行された。また,インドネシアからは車椅子砲丸投げ,車椅子と大会のメダルを描いた2種連刷の切手が発行された。 リーフ21:フェスピックの3リーフ目である。第8回釜山大会(2002)は参加40か国,参加選手2199人であった。開催国の韓国からは松葉杖と羽根が描かれた記念切手が発行された。第9回クアラルンプール大会(2006)は参加33か国,参加選手3641人であった。開催国のマレーシアからは3種の単片切手(車椅子テニス,上肢切断者の水泳,車椅子テニス)と小型シート(車椅子バスケット)が発行された。アジアパラ競技大会は,アジアパラリンピック委員会が主催するアジア地域における障害者スポーツの総合競技大会で,第9回フェスピックの後,2010年の広州大会からアジアパラ競技大会に引き継がれた。直前のアジア競技大会と同じ会場で実施され,参加国41か国,参加選手・役員約4000人であった。開催国の中国からは大会のロゴマークが描かれた六角形の記念切手が発行された。 リーフ22:コモンウェルスゲームズについて示した。イギリス連邦に属する国や地域が参加して4年ごとに開催される総合競技大会である。オリンピック競技のほか,英連邦諸国で比較的盛んなローンボウルズ,7人制ラグビー,ネットボールなども行われ,障害者スポーツも行なわれる。ニュージーランド(1974)から発行された第4回大会 の記念切手に車椅子バスケットが描かれている。カナダ(1994)から発行された第15回大会の4種の記念切手の中に車椅子マラソンが描かれている。マン島(2002)から発行された第17回大会の6種の記念切手の中に車椅子マラソンの切手がある。またイギリス(2002)発行の記念切手の中にも車椅子レースを描いた切手がある。 リーフ23:その他の国際大会の1リーフ目である。フランスから1970年に車いす槍投げを描いた世界身体障害者競技大会の記念切手が発行された。さらに,2002年には車いすレースを描いたIPC陸上競技世界選手権大会の記念切手も発行されている。車いすマラソン大会の切手として,日本(2000)から第20回大分国際車いすマラソン大会の切手が発行されている。ハイデルベルグ国際車いすマラソンの記念印が開催地のハイデルベルグ(2001)で使用されている。記念印には車椅子レースと市街地が描かれている。フィリピン(2005)から第3回ASEANパラゲームの記念切手として,左上肢切断者の陸上競技,車いすレースを描いた2種が発行されている。作品には見本切手の4枚ブロック(田型)を使用した。 リーフ24:その他の国際大会の2リーフ目である。日本(2002)から世界車椅子バスケットボール選手権大会の記念切手が発行され,車椅子バスケットの競技風景が描かれている。台湾(2002)から発行されたIPC世界卓球選手権大会の記念切手には松葉杖の卓球,車椅子の卓球がそれぞれ描かれている。ブラインド・サッカーを描いた切手はこれまでに2種,発行されている。アルゼンチン(2003)から第3回IBSAブラインド・サッカー世界選手権優勝の記念切手が発行され,ブラインド・サッカーのフィールド・プレーヤーが描かれている。額面の0.75の点字がエンボス加工で印刷されている。スイス(2005)からはブラインド・サッカー世界選手権大会の小型シートが発行され,ブラインド・サッカーのフィールド・プレーヤーとサッカーボールが描かれている。初日記念印にはサッカーボールが描かれている。 リーフ25:日本国内の障害者スポーツについて3リーフで示す。本リーフは全国身体障害者スポーツ大会を示す。1964年の東京オリンピック後,東京パラリンピックが開催され,それが成功したことから,身体障害者にスポーツを通して喜びを分かち合ってもらいたいという趣旨で,第20回国体開催地の岐阜で第1回大会が行われた。以降,開催は秋季国体の開催終了後に国体の会場と同じ施設を使って2日間に渡り開催された。全国身体障害者スポーツ大会の記念切手の発行はないが,小型印の使用が行われた。第4回(福井県,1968), 第8回(鹿児島県,1972),第9回(千葉県,1973),第11回(三重県,1975),第18回(島根県,1982),第24回(京都府,1988)の各大会の小型印を配置した。リーフ26:全国身体障害者スポーツ大会の2リーフ目で同大会のエコー葉書(広告入りの官製葉書)を示した開催県の大会実行委員会などが会期に先立ちエコー葉書を発行し,大会の周知活動を行った。第19回(群馬県,1983),第22回(山梨県,1986),第29回(徳島県1993)の各大会のエコー葉書を示した。 リーフ27:全国障害者スポーツ大会を示す。全国障害者スポーツ大会は2001年(宮城大会)に設立され,それ以前の全国身体障害者スポーツ大会と全国知的障害者スポーツ大会の2大会を一つにまとめて,障害者に対するスポーツの普及,障害者の社会参加推進,さらにスポーツを通しての友情と国民のバリアフリーの意識を高めてもらおうと企画された。開催は毎年,国体秋季大会の終了後に国体の会場・施設を使って開催される。上段には第1回全国障害者スポーツ大会の2種連刷の記念切手のFDCを配置した。切手はフライングディスクと車椅子レースがそれぞれ描かれている。手押し特印には大会のロゴ,押印機特印には車椅子レースが描かれている。下段には2013年開催の第13回全国障害者スポーツ大会の小型印を示す。スポーツ祭東京2013では多数の小型印が使用されたが,フットベースボールとソフトボールは全国障害者スポーツ大会のみの種目である。 リーフ28:聴覚障害者のデフリンピックを示す(〜30)。デフリンピックは4年に1度,世界規模で行われる聴覚障害者のための国際総合競技大会で,夏季大会は1924年にパリで第1回大会が行われた。冬季大会は1949年にゼーフェルトで第1回大会が行われた。設立当初は国際ろう者競技大会の名称であったが,1967年に世界ろう者競技大会に名称が変更され,さらにIOCの承認を得て,2001年よりデフリンピックの名称となった。デフリンピックの記念切手の発行は少なく,切手の発行や記念印の使用のあった大会のみを取り上げた。第11回大会(ベオグラード,1969)の記念切手は開催国のユーゴスラビア(1969)より小型シートとして発行された。切手には大会の記章が描かれている。第12回大会(マルメ,1973)では記念切手の発行は行われず,開催地のマルメで記念印が使用された。第15回大会(ロサンゼルス,1985)では記念切手の発行は無く,開催地のロサンゼルスで記念印が使用された。リーフ29:デフリンピックの2リーフ目である。第13回大会(ブカレスト,1977)は開催国のルーマニアから記念の切手付封筒が数種類,発行された。そのうちの1種(挿絵に体操が描かれる)をリーフ上段に示す。 第16回大会(クライストチャーチ,1989)は開催国のニュージーランドからは記念切手の発行は無く,開催地のクライストチャーチで記念印の使用が行われた。第16回冬季大会(ソルトレイクシティ,2007)も開催国のアメリカからは記念切手の発行は無かったが,開催地のソルトレイクシティで大会のロゴマークを描いた記念印が使用された。 リーフ30:デフリンピックの3リーフ目である。第17回大会(ソフィア,1993)では開催国のブルガリアから記念切手5種類(小型シート1種を含む)と記念切手付き封筒(本作品に未収録)が発行された。切手には陸上競技,水泳,自転車,テニス,小型シートにはサッカーがそれぞれ描かれている。切手付き封筒は挿絵部分に陸上競技と指文字が描かれている。第21回大会(台北,2009)では,2種の記念切手が発行された。5元には台湾の地図,音の波紋の背景にバトミントン・陸上競技が描かれ,25元には蝸牛の回転のイメージを背景にテコンドーとテニスが描かれている。 リーフ31:スペシャルオリンピックスを示す(〜32)。スペシャルオリンピックスとは,知的発達障害のある人の自立や社会参加を目的として,日常的なスポーツプログラムや,成果の発表の場としての競技会を提供する国際的なスポーツ組織である。夏季スペシャルオリンピックスの第1回大会は1968年にシカゴで開催された。ミシガン州でされた第4回大会(1975)の記念切手がアメリカから発行されている。さらに,アメリカからは2003年にもスペシャルオリンピックスの表彰式とロゴを描いた切手が発行されている。また,モナコ(1995)からスペシャルオリンピックスのロゴを描いた切手が発行されている。上海で開催された第12回大会(2007)の記念切手が開催国の中国より発行されている。ポーランド(2005)でスペシャルオリンピックスのロゴを描いた記念印が使用された。スペシャルオリンピックスの切手はこれ以外にも発行されているが,作品の構成上,1リーフのみの紹介に留めた。リーフ32:冬季スペシャルオリンピックスを示した。第1回大会は1977年にコロラド州で開催された。第3回大会(ユタ州)の記念切手が開催国のアメリカ(1985)から発行され,大会のロゴとスキーとスケートの競技者が描かれている。第5回大会(ザルツブルク)の記念切手が開催国のオーストリア(1993)から発行され,アルプスと大会ロゴが描かれている。第8回大会(長野,2005)は開催国の日本では記念切手の発行は無かったが,長野中央局などの8局で小型印が使用された。第10回大会(平昌)では開催国の韓国(2013)より記念切手が発行され,競技風景が描かれている。スペシャルオリンピックス2000のための気球郵便とその記念印がオーストリアで使用された。 4.考察 夏季パラリンピックは1960年のローマ大会より始まったが,記念切手の発行は無かった。1964年の第2回東京大会ではアルゼンチンより記念切手が行われ(世界最初の障害者スポーツの切手),開催国の日本では小型印の使用が行われた。第3回テルアビブ大会(1968)では開催国のイスラエルから記念切手が発行された。以降,第7回ニューヨーク・アイレスベリー大会(1984)を除き,開催国からパラリンピックの記念切手の発行が行われてきている。切手の発行種類は当初は1種のみの発行が多かったが,回数を重ねるに従い,発行種類も増加し,特に第11回シドニー大会(2000)以降は多種類の記念切手の発行が行われるようになった。また,開催国以外の参加国も記念切手の発行を行うようになり,特に第10回アトランタ大会(1996)以降は発行国が増加してきた。冬季パラリンピックは第3回インスブルック大会(1984)以降,毎回,開催国より記念切手の発行が行われた。第6回リレハンメル大会(1994)以降は開催国以外の参加国からも記念切手の発行が行われるようになった。これらのパラリンピックの切手発行動向は各国政府の障害者スポーツに対する政策や障害者スポーツに対する一般市民の理解度などと深く関与していると思われる。内藤は,郵便切手は国家が発行していることから,発行する国や地域の歴史・地理・自然・文化,そしてその時々の政策や経済情勢が強く反映されることを指摘しており[1],障害者スポーツに対する政策も切手の発行に強く影響していたと考えられる。 聴覚障害者のデフリンピックは1924年に始まり,パラリンピック以上の長い歴史がある。しかしながら,デフリンピックで最初の記念切手発行が行われたのは1969年の第11回ベオグラード大会であった。その後も残念ながら,記念切手発行が行われない大会が多数あった。冬季デフリンピックの記念切手発行は未だ1件もない。パラリンピックの記念切手にみられるように,開催国以外の参加国が記念切手を発行する事例は1件も無かった。スペシャルオリンピックスの切手の収集は現在,進行中であるが,発祥国のアメリカを中心に,発行件数が増加していると思われる。今後,さらに調査を進めたい。今回の切手展作品による発表形態では,リーフ数の制限や構成上の問題のため,発行されている障害者スポーツの全ての切手を展示できなかった。今後,障害者スポーツの切手を全て掲載したデータ・ベースの作製が必要である。本コレクションによって,障害者スポーツに対する理解がさらに高まり,2020年開催予定の東京パラリンピックの成功に微力でも貢献できれば,幸いである。そのため,今後とも,積極的に,郵便や障害者スポーツの関係者,一般市民に広くコレクションの公開を行っていく必要がある。 謝辞 パラリンピック切手展の開催に当たり日本郵便・筑波学園郵便局のご支援を頂きました。また,障害者スポーツに関する切手について,湘南郵趣の会・前島津一氏より貴重なご助言をいただきました。ここに深謝申し上げます。 引用・参考文献(切手展作品を含む) [1] 内藤陽介.切手と戦争 もうひとつの昭和戦史,新潮社,2004.[2] 古川明.切手が語る医学のあゆみ,医歯薬出版,1986.[3] 安室芳樹.切手で綴る医学の歴史,出版文化社,2008.[4] 大沢秀雄.視覚・聴覚障害に関連した切手.筑波技術大学テクノレポート.2007; 14: p.281-287.[5] 大沢秀雄.視覚障害に関連する切手.切手の博物館研究紀要.2007; 4:p.3-25. [6] 大沢秀雄. 聴覚障害に関連した切手.切手の博物館研究紀要. 2009; 6:p.12-41. [7] 大沢秀雄. 切手が伝える視覚障害 −点字・白杖・盲導犬−,彩流社,2009.[8] 大沢秀雄. 視覚障害(切手展作品),第44回全国切手展,日本郵趣協会主催,金銀賞・小倉謙賞,東京,2009年10月.[9] Hideo Ohsawa. The Blind(切手展作品),日本国際切手展2011,郵便事業株式会社・日本郵趣協会・日本郵趣連合主催,大銀賞,横浜,2011年8月.[10] 大沢秀雄. パラリンピック(切手展作品),全日本切手展2012,日本郵趣連合主催,銀賞,東京,2012年4月.[11] 大沢秀雄. 障害者スポーツ(切手展作品),スタンプショウ2014,日本郵趣協会主催,金銀賞,東京,2014年4月. http://hdl.handle.net/10460/1260(筑波技術大学機関リポジトリ) 各大会に関しては[12]〜[16]を参考にした。入手年月日:2014-8-24[12] 国際パラリンピック委員会公式サイト http://www.paralympic.org/[13] 公益財団法人日本障がい者スポーツ協会公式サイト  http://www.jsad.or.jp[14] コモンウェルスゲームズ公式サイト  http://www.commonwealthgames.com[15] 国際ろう者スポーツ委員会公式サイト http://www.deaflympics.com[16] スペシャルオリンピックス公式サイト http://www.specialolympics.org Postage Stamps on Disabled Sports Hideo Ohsawa Department of Health, Faculty of Health Science, Tsukuba University of Technology Abstract: The oldest stamp on Disabled Sports is a commemorative stamp of the Tokyo Paralympics issued in 1964 by Argentina. In Japan, the first stamp on Disabled Sports is a commemorative stamp of the 5th Far East and South Pacific Games for the Disabled in Kobe (1989).I describe a stamp on Disabled Sports based on a stamp exhibition work "Disability Sports" that was exhibited at the Stamp-show 2014 in this paper. Keywords: Disabled Sports , Paralympics ,Deaflympics , Special Olympics , postage stamp