博物館等で触察を可能とするための基準試案(日本語訳*) 森 敦史,大杉 豊 筑波技術大学 障害者高等教育研究支援センター 要旨:博物館や美術館などの施設では,視覚障害者に対する配慮として,音声ガイドや点字パネルなどが提供されているが,盲ろう者を含む視覚障害者は直接展示物に触れることを望んでいる。完璧な点字・音声ガイドが提供されても,展示物に触れない限りアクセシビリティが高いとはいえない。特に盲ろう者は触手話などでガイドから説明を聞きながら展示物を触察することが困難であるため,「聞く」ことや「見る」ことではなく,「触る」ことを第一の出発点とした展示物への触察アクセシビリティの基準を考えていくことは極めて重要である。本論では,その基準案を提案するとともに,とくに実物と模型の関係性について考察する。 キーワード:盲ろう者,視覚障害者,展示物,触察アクセシビリティ 1.はじめに  現在,博物館や美術館などの施設(以降「博物館等」とする)では,視覚に障害を有する人に対する配慮として,音声ガイドツアーや音声解説の付与,点字や触図による解説パネルの設置などの取り組みが増えている[1]。しかし,視覚障害者からは,音声や点字による解説よりも,展示物に直接触れる行為の許可を求める要望が強くある[2]。そこで,本論では,2021年10月から2022年1月までの期間で,国内の博物館等5施設を対象に実地調査を行った結果[3](図1)を踏まえて,盲ろう者を含む視覚障害者(以降「視覚障害者等」とする)が触覚による鑑賞・観察(以降「触察」とする)を可能とするための基準を検討することで,博物館等における展示物へのアクセシビリティのあり方を提案する。 図1 東京都写真美術館にて,左:森 敦史 右:大杉 豊 2.触察アクセシビリティ基準案version 0の作成  第一著者の実経験をもとに,展示物にすべて触れられる場合,一部触れられる場合,展示物の代わりに模型に触れられる場合の3パターンに分けて,触察アクセシビリティの基準案version 0を作成した。 触察アクセシビリティ基準案version 0 A. 展示物のすべてに触れられるケース A.1.展示物のすぐそばに,その大きさ,形状,素材,危険性,触察に対する注意など基本情報を点字で説明したパネルが設置されているか。 A.2.展示物の周りを回って触察するに十分な幅の通路が確保されているか。 A.3.展示物が複数から成っているときは,オリジナルの形がわかるようにされているか。 B. 展示物の一部に触れられるケース B.1.展示物のすぐそばに,全体の大きさ,形状,素材,触察に対する注意や危険性などの基本情報を点字で説明したパネルが設置されているか。 B.2.触れられない部分の形状に関する説明または,代わりの模型が設置されているか。 C.展示物の模型等に触れられるケース C.1.模型等のすぐそばに,大きさ,形状,素材,触察に対する注意や危険性などの基本情報に加えて,展示物との対比に関する情報を点字で説明したパネルが設置されているか。 C.2.模型等が触察に適した大きさになっているか。 C.3.模型等が複数から成っているときは,オリジナルの形がわかるようにされているか。 3.触察アクセシビリティ基準案version 0の検証  国内の5博物館等を対象に行った実施調査の結果をもとに,前節に示した基準案version 0が妥当であるかを検証した。 3.1 基準案version 0のA1,2,3 の妥当性  展示物全てに触れることが可能な展覧会にて基準案の妥当性を検証した。2メートルの高さと周囲2メートルの太さがある展示物の周囲に高台が設けられ,全体の隅々に触ることが可能であったが,通路の幅が狭く,転倒防止対策もなく,注意を促す情報を説明する点字パネルもないという例があった。よって,基準案version 0のA1,2は妥当である。ただし,大きな展示物の場合は,実物に触れる一方で,全体を移動せずに両手で触れる縮小模型の準備が必要であるという知見を得られた。 3.2 基準案version 0のB1,2の妥当性  数点の体験型レプリカを展示している常設展示室では,長さ約50メートル,幅約8メートルの実際の橋(日本橋)の半分の長さだけを実物大で再現しており,実際に渡ることができる。木材で作られた内側の壁や柱の一部に触りながら,全体の大きさ,素材などを体感的に知ることができる。また,「手で見る展示」には,展示物の縮小模型(金属製)が展示され,両手で触れる程度のサイズであるため,全体の形状を知ることができる。加えて,縮小模型の付近に設置されている点字説明パネルには,展示物の大きさや形状等の情報が記されていることから,基準案version 0のB1,2は妥当である。一方で,体験型レプリカと「手で見る展示」のコーナーが離れた場所にあるため,両者を比較しようとすると移動を伴うことになり,両者を隣接して配置する必要があるという知見を得られた。 3.3 基準案version 0のC1,2,3の妥当性  文化的・歴史的建造物(実物大)を移築し,復元・保存・展示されている施設で,制作中の縮小模型(金属製)を用いて検証した。模型はA4サイズ程度で作られていることに加え,細部まで凹凸によって的確に再現されていることから,両手で窓や屋根の形状を理解することができる。2023年2月現在素材や大きさを含めた展示物との対比に関する情報を示す点字説明パネルはないが,今後に期待できることから,基準案version 0のC1,2,3は妥当であると言えよう。併せて,素材については,建造物の見学を通して,内側の壁や床等に使われている木材やタイルなどを知ることができることから,基準草案C1の素材に対応していると言えよう。 一方,外観の素材や内部の細部を知る方法がないということが明らかになった。 4.触察アクセシビリティ基準案version 1の提案 4.1 基準案version 1  前節で基準案version 0を用いて幾つかの事例を検討した。展示物に直接触れるか否かという区分ではなく,触れる展示物の大きさや,展示物と模型の関係性に重点を置いた触察アクセシビリティの基準案version 1を以下に提案する。 触察アクセシビリティ基準案version 1 A.触察に必要な基準 A.1.大きさ  手のひらに収まるサイズまたは両手で無理なく触れるサイズとし,実物がそれ以上の大きさとなる場合は,縮小模型を併用すること。同様に実物が形状を理解することが困難なほど小さい場合は,拡大模型を併用すること。 A.2.形状  実物の形状をすべて理解できない場合は,可能な限り立体的な模型を準備し,実物と同一方向に設置すること。特に,建造物の壁の凸凹感や窓の枠などのように,突起を使って特徴を表現する等の工夫をすること。 A.3.素材  木材等じかに感じることができるものについては,可能な限り直接触って感じられるようにすること。もし,手が届かないために,十分に素材を感じることができない場合は,これらの素材を用いて模型を制作するまたは,木材・レンガ・石・タイルなどの材料を別途準備すること。 B.模型と実物の関係性 B.1.位置関係  可能な限り,同じ場所で実物と模型を比較できるよう,模型は実物の付近に設置すること。模型を触った後に実物で確かめる,あるいは実物を触った後に,模型を確かめるという行動をスムーズに行えるようにすること。併せて,利用者が負担なく触察できるよう,立った状態で触れられる高さに配置すること。また,安定したテーブルを準備すること。 B.2.点字・音声パネルの情報内容  点字・音声パネルを設置する際,展示物のタイトルや概要に加えて,実物の大きさ(模型の縮尺率等),触察だけでは不足する情報(模型に使用している素材が異なる,模型では再現できない特徴等),視覚的な情報等を記載すること。 C.触察に必要な環境 C.1.注意事項の掲示  展示物の触察中に転ぶ危険性がある,展示物がとがっている等,触る際の注意について,文字・点字による掲示や音声による案内をすること。 C.2.安全対策  大型の展示物など,触る際に移動がともなうときは,転倒防止対策をすること。 4.2 実物と模型の関係性  視覚障害者等が触察を通して展示物の形状・大きさ・素材などをすべて理解するためには,博物館等が触察可能な実物を増やすだけでなく,適切な模型を準備することが必要であろう。例えば,古い家などの建造物の展示で,単に壁やドアなどに自由に触る許可があっても,物理的にすべてを触ることは困難である。屋根など手が届かない場所の形状を理解するためには,両手で観察が可能なサイズの模型で屋根を含めた全体の形状を確かめる,また屋根に使われている素材を模型の側に展示して触察できることが必要である。加えて,建造物を1周して大きさを確認する,内部見学で素材や間取りを確認するという触察コースのモデルを設定する,その方法や注意を説明する点字パネルや音声案内を入口に設置することで,視覚障害者等に対する展示物のアクセシビリティが高められるのであろう。  視覚障害者等にとって,触察は,目に代わる情報源である。健常者が目をつぶって言葉の説明だけを聞いても,展示物の形状などをイメージすることが難しいことと同様に,完璧な点字・音声ガイドが提供されても,展示物に触れない限りアクセシビリティが高いとはいえない。特に盲ろう者は触手話などでガイドから説明を聞きながら展示物を触察することが困難であるため,「聞く」ことや「見る」ことではなく,「触る」ことを第一の出発点とした展示物への触察アクセシビリティの基準を考えていくことは極めて重要である。 謝辞  本研究は,文化庁委託事業「令和3年度障害者等による文化芸術活動推進事業(文化芸術による共生社会の推進を含む)」として,公益財団法人東京都歴史文化財団「クリエイティブ・ウェル・プロジェクト」と協働で実施したものである。 *この論文はDBI Review #69 April 2023のp28-32にて最初に掲載された論文を日本語に翻訳したものである。 https://www.deafblindinternational.org/?media_dl=9174 参照文献 [1] 守屋 誠太郎,飯塚 潤一.触覚を用いた芸術鑑賞における形状理解と肯定感に関する調査研究.In:感覚代行シンポジウム(感覚代行シンポジウム発表論文集).2022; 46, p.21-24. [2] 広瀬 浩二郎,さわって楽しむ博物館−ユニバーサル・ミュージアムの可能性.青弓社,2012. [3] 東京都歴史文化財団.Cultural Future Camp:インクルーシブ・デザインで新しい文化体験を共創する.2022. Proposal for Standards to Enable Tactile Observation in Museums MORI Atsushi, OSUGI Yutaka Division of Research on Support for the Hearing and Visually Impaired, Research and Support Center on Higher Education for the Hearing and Visually Impaired, Tsukuba University of Technology Abstract: In facilities such as museums and art galleries, accommodations for visually impaired individuals, such as audio guides and Braille panels, are provided. However, visually impaired individuals, including those who are blind and deaf, desire direct tactile interaction with the exhibits. Even if a perfect Braille or audio guide is provided, accessibility is not high unless an individual can touch the exhibit. Individuals who are deafblind have difficulty in tactile observation of exhibits while listening to explanations from a guide using tactile sign language, and so on. It is therefore extremely important to consider accessibility standards for tactile observation of exhibits that take “touch,” rather than “hearing” or “seeing,” as the primary starting point. In this paper, we propose the draft tactile observation accessibility criteria and examine the relationship between the real object and the model. The original (English) version of this paper can be read in DBI Review #69, April 2023, pages 28-32. https://www.deafblindinternational.org/?media_dl=9174 Keywords: deafblind, individuals with visual impairments, exhibit, tactile observation