聴覚障害学生の日本語に関する困難点の分析(7) ~遠隔授業の実施と敬語に関する理解状況~ 脇中起余子 筑波技術大学 障害者高等教育研究支援センター 障害者基礎教育研究部 要旨:2020 年度は,新型肺炎拡大防止のため,筑波技術大学における1年次必修科目「日本語表現法A・B」は遠隔授業となったことから,Zoomによる授業とラーニングボックスを用いた学習を組み合わせて進めることとし,「教師によるていねいな解説」から「ラーニングボックスの問題を用いた繰り返し学習」への転換を図った。2020 年度も例年と同様に授業の中で,敬語(尊敬語・謙譲語・丁寧語)や『敬語の指針』に書かれていることを説明した。本稿では,2020 年度の授業時の理解状況や期末試験の結果をまとめ,過年度の期末試験の結果と比較したところ,2020 年度において成績の上昇が認められたことを報告する。 キーワード:聴覚障害者,日本語,敬語,『敬語の指針』 1.はじめに  筑波技術大学の聴覚障害学生に対する1年次必修科目「日本語表現法A・B」は,助詞や敬語を使う力,日本語の文章を正しく書く力の向上を目的としている。  2020 年度は,新型肺炎拡大防止のため遠隔授業となった。対面授業であった 2019 年度までは,問題をペーパーで出して,授業でていねいに解説し,期末試験で理解状況を確認する方法をとったが,遠隔授業となった 2020 年度は,Zoom 授業を行った後にラーニングボックスで問題(以下 LB 問題と称する)に取り組ませることとした。LB 問題は,Zoom 授業の中での解説や LB に載せた解説を読めば回答できるようにし,得点が8割以上になれば「合格」と出るように設定した。Zoom 授業による解説の時間は短くし,LB 問題に取り組ませた。授業時間内あるいは締切日までに出た点数の中で最も高い点数を平常点として評価すると伝えたことから,高得点を取ろうと何回もLB 問題に取り組む学生が多くみられた。このことから,2020 年度は,「教師によるていねいな解説」から「学生自身による繰り返し学習」への転換を図ったと言えよう。  本稿では,2020 年度1学期の敬語の問題の結果を分析し,過年度と比較する。 2.同意書の有無による違いの検討  2020年度の1年生を「同意書あり」の34名と「同意書なし」の 18 名に分け,練習効果が小さいと思われる問題の結果を表1に,1学期と2学期の成績の結果を表2にまとめた。  表1における平均得点率の差は,いずれも1.5 ポイント未満であったことから,同意書の有無による日本語の力の差はほとんどないと言ってよいと思われた。  一方,表2の平均得点率の差を見ると,2学期の平常点(問題提出がないと減点される)において 14 ポイントものの差が現れたが,これは,日頃の問題にまじめに取り組む学生に同意書の提出者が多かったことと関連すると思われる。一方,期末試験の平均得点率は,2回とも同意書ありの学生が同意書なしの学生より1 ~ 5 ポイント高かったことから,日頃の提出習慣の有無が試験勉強の姿勢の差につながり,それが試験の点数に影響した可能性が考えられる。  以下,同意書が得られた 34 名について,分析を行う。 表1 1年生52名の同意書の有無による比較 表2 期末試験を両方とも受験した50名の比較 3.敬語25問(尊敬語と謙譲語の区別)の分析  表1に示した敬語25問は,第10回講義で出したLB問題である。同意書ありの34名は,初回で合格して終了した者が1名,初回で合格するもさらに取り組んだ者が3名,初回で不合格でありそこで終了した者が2名,何回か挑戦するも合格できなかった者が1名,初回は不合格であったが最終回で合格した者が27名であった。この27名は,初回の平均点は46.1点で,最終回の平均点は91.1点であったことから,授業時間内に点数が約2倍になったと言えよう。  この敬語25問は,単に従来の「尊敬語」と「謙譲語」を理解できたかを問うものである。この授業の時点では,謙譲語が使える場面と使えない場面に関する説明や,最近話題になることが多い「謙譲語Ⅰと謙譲語Ⅱ」に関する説明は行っていない。  初回不合格で授業時間内に合格した27名の状況を,表3と表4に示す。表の左側は尊敬語が正答となる問題で,右側は謙譲語が正答となる問題である。これらの表では,選択肢が共通するためまとめて示したが,実際は「尊敬語や謙譲語を使って書き換えよ。私は社長に書類を(渡しました)」のような形でランダムに出題した。  表3において,初回の場合,「尋ねる」「言う」「来る」のいずれも,謙譲語の問題のほうが完全正答率が高く表れた。また,「~られる・れる」の形の尊敬語を選んだ者が「尋ねる」「言う」「来る」において半数未満であったこと,特に「先生は私に(言う)」で「言われる」を選んだ者が33.3%であったことから,「~られる・れる」には尊敬の意味もあることを理解しない者が多いと思われた。「先生が(私に)言われた」と「(私が)先生に言われた」の手話が同じ(似た)表現になる人が多いことによる影響があるかもしれない。 表3 「尋ねる・言う・行く・来る」の尊敬語と謙譲語 *)数字は,各選択肢を選んだ比率。全員完全正答すれば,○(正答)が100%,×(誤答)が0%になる。「★」をつけた動詞は,「~られる・れる」の形の尊敬語であり,受身を表す時も使われるもの。以下同様。 **)文化審議会(2007)は,謙譲語を謙譲語Ⅰと謙譲語Ⅱに分けているが,多くの学校ではその説明は行っていないと思われることから,ここでは,謙譲語Ⅰと謙譲語Ⅱをともに謙譲語として扱っておいた。 表4 「渡す・あげる・もらう・くれる」の尊敬語と謙譲語  次に,「渡す」「あげる」「もらう」「くれる」の結果を表4に示す。  初回において,「~られる・れる」の形の尊敬語を選ばない者が「渡す」「あげる(与える)」「もらう」においても4 ~ 8 割みられたことから,「~られる・れる」の形の意味に尊敬が含まれることを理解しない例が多いと言えよう。また,「私は…(渡す)」において,「渡す」と方向は同じであるが,所有権に関して意味が異なる「差し上げる」を選んだ者が63.0%であったこと,「教授が…(くれる)」において,ウチソトの点で異質な「差し上げる」を選んだ者が18.5%,物や行為の方向の点で意味が異なる「いただく」を選んだ者が18.5%みられたことから,物の受け渡しに関わる「渡す」「あげる」「もらう」「くれる」の適切な使い分け,および敬語の使い分けは相当難しいと思われた。  このように,LB問題において,最初は尊敬語と謙譲語を混同する例が多く見られたが,最終回では,正答となる選択肢を選ぶ者が85%を超え,誤答となる選択肢を選ぶ者が 15%を切ったことから,授業時間内に繰り返して取り組むだけで尊敬語と謙譲語の区別が一定できるようになることがうかがえる。  以上の敬語 25 問を出した日の一週間後に,表5に示した LB 問題を出した。表3の①と②の最終回の結果から,「お尋ねになる」と「お尋ねする」は尊敬語か謙譲語かを96.3%が正しく判断できるようになったと思われるが,表5に示した問題では,「お持ちになる」と「お持ちする」の選択肢を正しく選んだ比率はそれぞれ76.5%と88.2%であった。これは,問題文を読んで資料を持つ人は誰かを判断するという読解力と関連するため,難しかったと思われる。しかし,期末試験で表5の 1)と同じ問題を出すと,完全正答率は 94.1%に高まっていた。 表5 「お持ちになる」と「お持ちする」の問題の結果 4.「敬語・謙譲語・丁寧語」に関する問題の結果 第11回講義で,「尊敬語・謙譲語・丁寧語」を説明した。丁寧語は聞き手に対する敬意があるが,敬意は低いので,親しい友達に対して使ってもおかしくないこと,尊敬語と謙譲語は話題の中の主体あるいは客体(関連人物)に対する敬意があることを説明した。その後,解説で用いた例を使って LB 問題を出した。また,期末試験でも同じ問題を出したが,その結果を表6に示す。  Zoom授業でていねいに解説したにもかかわらず,その直後に出した LB 問題の初回の完全正答率は,例えば 3)で44.1%であった。しかし,最終回の結果を見ると完全正答率が上昇し,期末試験では,2~4)の3問でさらに完全正答率が上昇したので,理解が進んだと思われる。    表6 「尊敬語・謙譲語・丁寧語」の問題の結果 ⑮次の( )に入れられる文を全て選べ(友人に対しては丁寧語を使っても使わなくてもよいとする。先生に対しては敬意を払うこととする)。 1)私が友人に「あなた(君)は…(  )」と尋ねた。 2)私がB先生に「Aくんは…(  )」と尋ねた。 3)私が友人に「B先生は…(  )」と尋ねた。 4)私がB先生に「B先生は…(  )」と尋ねた。 5.「謙譲語Ⅰと謙譲語Ⅱ」に関する結果  文化審議会(2007)は,「申し上げる」と「伺う」を「謙譲語Ⅰ」,「申す」と「参る」を「謙譲語Ⅱ」として説明している。第11回講義で,「謙譲語Ⅰ」と「謙譲語Ⅱ」の語を使わずに,前者は話題の中の相手に対する敬意があり,後者は聞き手に敬意を払っていることを説明した。そして,説明の時に用いた例を使って LB 問題を出した。また,期末試験でも同じ問題を出したが,その結果を表7に示す。  LB 問題の初回における完全正答率を見ると,謙譲語Ⅰは謙譲語Ⅱに比べて高く表れた。期末試験ではさらに上昇したが,それでも完全正答率は 7 割を切っており,両者の使い分けの理解は難しいようであった。  また,「伺う」と「参る」に関わって,表8のLB問題を出した。1)で「参る」を選ばなかった者(44.1%)は,「参る」は行き先に敬う相手がいない場合にのみ使えると思った可能性がある。また,2)で「伺う」を選んだ者(50.0%)は,行き先が自分より目上の人と関連する場所であれば聞き手が誰であっても「伺う」が使えると思った可能性がある。実際は,2)で「伺う」を使うと,聞き手の社長の前でC課長を高めることになり,不適切となる。期末試験では,さらに形を変えて,「部長から指示され,『私がA(同僚)にそのように(言う)』の( )に入る語を選べ」という問題を出した。用意した選択肢「お伝えになります」「お伝えします」「申し上げます」「申します」を選んだ比率は,それぞれ0.0%,94,1%,8.8%,35.3%であったことから,「お~になる」と「お~する」の違いの理解は進んだが,「申します」も正解になることを理解しない者が64.7%いることになった。  謙譲語Ⅱは「丁重語」とも言われており,「聞き手」と「話題の中の相手」の区別をもっとていねいに説明し,「丁重語」という語を用いて説明する方法のほうが理解されやすいのではないかと,現在検討中である。 表8 関係者が三人いる時の使い分け ⑱会社員のAとB(二人は対等な関係),C課長,社長は,同じ会社の人である。正しいものを選べ。 1)AがBに「私が…社長のところに(  )。」と言う。 2)A子が社長に「私が…  C課長のところ に(  )。」 と言う。 6.「客」がいる時の敬語の使い分けの問題の結果  客に対しては,社長を「ウチ」とみなし,客を社長より高める必要があることを説明してLB問題を出したが,表9の⑲の2)に示したように,客に対して謙譲語を用いて社長の行為を述べると理解した者は76.5%であった。期末試験で同じ問題を出したところ,91.2%に上昇したことから,理解が進んだと思われる。  「田中課長」の呼び方について,客に対しては「田中」と呼び捨てにする必要があるが,文化審議会(2007)は,「抵抗感がある場合は,『課長の田中』とすればよい」と述べていることを紹介したうえで,LB 問題を出したところ,呼び捨ての「田中は」を全員が選んでおり,呼び捨てが基本であることは理解されたと思われた。期末試験では,選択肢の数を減らしたが,91.2%の者が誤答となる選択肢を全く選ばなかったことから,理解は全体的に進んだと思われる。  ところが,同じ期末試験で,「社員がお客様に『1)お客様は,パリで田中部長とお会いしたそうですね』,『2)田中部長が…と言っておられました』と言ったが,良くない言い方であれば適切な言い方に直せ」という記述問題を出したところ,「田中部長」を適切に書き換えられなかった者の比率は,1)と2)の両方とも41.2%であった。また,1)で「お会いする」を使い続けた者が52.9%,2)で「おっしゃる」などの尊敬語を用いた者が47.1%であった。 表9 関係者が三人いる時の使い分け ⑲司会をする社員が「社長からご挨拶を( )。」と言う。( )に入る言い方として適切なものを選べ。 ⑳(文化審議会の考え)会社で,客から「(課長の)田中さんはおられますか」と尋ねられ,課長が不在の時,次のどの言い方が適切か? 全て選べ。 図1 期末試験の選択問題と記述問題で,「田中」「~長の田中」とすることを理解できていたか 特に「田中課(部)長」の言い方について,同じ試験において,50.0%の者が選択問題で「田中」あるいは「課(部)長の田中」を選択できても,記述問題で「田中」や「課(部)長の田中」と直すことができなかったという結果(図1 参照)は,「知識と運用力の乖離」や敬語をいろいろな場面で適切に扱うことの難しさを示すと言えよう。 7.「お~ください」に関する問題の結果  表10は,「お(ご)~になる・する」と「ください」を組み合わせた言い方に関する問題である。「お尋ねください」は「お尋ねになってください」という意味であることや,謙譲語と「ください」を組み合わせた「お尋ね(お聞き)してください」は不適切になることを解説したが,その後のLB課題で学生の2割前後が正しいと回答しており,すぐに使いこなすことは難しいと思われた。この問題は,聴者にとっても難しいようである。例えば,国立国語研究所(2006)は,「お~してください」は適切と回答した高校生(聴者)が4~5割前後みられたことを報告している。 表10 「お聞きしてください」などに関する問題 ㉑受付の人が客に言う表現として,正しいものを選べ。「担当者に(  )。」 8.「目上の人」に対する「マナー」の問題の結果  文化審議会(2007)は,目上の人に対して望ましくない行動をいくつか紹介しているので,授業で紹介したうえでLB問題を出したところ,表11に示したように,「NG」と理解した者はいずれの問題でも90%を超えていた。  ところが,表11の3)を期末試験で出題したところ,「NG」と正答できた者は70.6%であり,約3割の学生が問題を感じないという結果になった。また,「お客様は,フランス語もおできになるのですか?」を修正する記述問題で,「できる」「話せる」のように可能表現を使い続けた者が29.4%みられた。  さらに,授業で「目上の人に対しては,『ご苦労様』ではなく『お疲れ様』のほうが良い。また,『参考になりました』ではなく,『勉強になりました』と言うように」と繰り返し伝えたにもかかわらず,記述問題で,「ご苦労様」を使い続けた者が14.7%,「参考」という語を使い続けた者が41.2%みられた。このことは,学習したことを全ての場面で応用することの難しさを示すと言えよう。 9.過年度との比較  脇中(2019)で過年度の期末試験の結果として数値が紹介されている問題のうち2020年度の期末試験で(紙媒体と電子媒体のどちらで出したかという違い以外は)同じ形で出した問題の正答率を表12に示す。いずれの問題も,2020年度は過年度より9~38ポイント高く表れた。  2020年度1学期の期末試験における1 年生名全員の平均得点率は72.3%であり,同意書ありの33名より1.6ポイント下回ったことから,2020 年度の1年生全員の得点率は,同意書ありの33名より1~2ポイント下がると仮定すると,2020年度の1年生全体の得点率は過年度の45名の得点率を上回った可能性があるが,「授業方法を変えたから成績が上昇した」と断定することには慎重であらねばならない。今後も実践と検証を積み重ねていきたい。 表12 過年度の期末試験の結果との比較 謝辞 同意書を書いてくださった学生や保護者の方々に厚くお礼を申し上げます。 参照文献 [1] 国立国語研究所 2006 言語行動における「配慮」の諸相.国立国語研究所報告;123.  [2] 脇中起余子 2019 聴覚障害学生の日本語に関する困難点の分析(5)~敬語や文章校正の問題を中心に~.筑波技術大学学術・社会貢献推進委員会 筑波技術大学テクノレポート,27(1),11-16. [3] 文化審議会答申 2007 敬語の指針.(https://www.bunka.go.jp/seisaku/bunkashingikai/kokugo/hokoku/pdf/keigo_tosin.pdf)