視覚障害者における「数学」教員養成における課題と解決方法に関する研究 嶋村幸仁1),田中仁2) 筑波技術大学 保健科学部 情報システム学科1)障害者高等教育研究支援センター障害者支援研究部2) キーワード:視覚障害者教育,数学教育,数式プレゼンテーション 成果の概要 2021年開講に向けて,情報システム学科では教職免許「中学校・高等学校教諭一種免許状(数学)」の取得を可能とするように準備しており,既に,文部科学省への申請を完了している。 本研究は,その始動に当たり,視覚障害に起因する種々の困難さ及び諸課題を明確化し,それらを解決して行くことをその目的としている。本研究は継続的に進められるべきものであり,この実績報告書はその初年度に対応している。数学は人々の営みと共に存在してきた。数学は論理である。それは「問い」に対して「様々なアプローチ」で「回答」を与えて行く。古代ギリシアでは,数学は哲学の一種とされ,すべての謎に「数」を通して答えを見つけようとするのが数学であり,「言葉」を通してそれを見つけようとするのが哲学であるとされていた。 数学は自然科学の中で視覚障害者に向いた学問分野である。実際,多くの視覚障害を持つ数学者が世界的に活躍している。確かに,その研究に不可欠な「自然との対話」は,数学の場合多くは「数式との対話」もしくは「数学的イメージとの対話」であり,それらはたいてい紙の上もしくは頭の中だけで成立する。 障害者は社会の中に積極的に包摂されるべきであり,障害者は社会の中にその一員として活躍の場を与えられるべきである。近年制定された「障害を理由とする差別の解消の推進に関する法律」は,その必要な手続きを規定するものであろう。 従って,人々の営みと共に存在してきた数学において視覚障害を持つ教員が教えるということは,社会的必然であり,積極的に実現されるべきことであって,大変に意味深いことである。 さらに,中・高で数学を教えるということは,数を通して論理を教えることであり,「数学語」を教えることであるから,視覚障害者の適職であるとも言える。筑波技術大学は,伝わる大学・伝える大学―視覚障害者・聴覚障害者のための大学である。障害者が社会の中に包摂され,その一員として活躍できる,そんな社会の実現へ先導的で真摯な取組が期待されている。我々はその責務の一環としてこの研究を推進している。 本研究は,全盲の視覚障害学生が数学教員になった場合を想定し,晴眼者の中学校・高等学校で数学の教育を行うことができるようにするための調査研究であり,基本的に独立した以下の研究から構成されている。 (a)学生が自発的に数学を学んで行けるよう基本的な文献を整備する研究。 (b)実際に教壇に立って指導している視覚障害を持つ教員にインタビューを行い,諸課題の認識を進め,その具体的な解決法を調べる研究。 (c)視覚障害者による数式を含む画像提示に基づくプレゼン法の研究。 (d)点字の入れ子構造とその可読性の研究。以下,それぞれについてその概要を報告する。 (a)学生が自発的に数学を学んで行けるよう基本的な文献を整備する研究。 点字はブライユ以来日々使われることによって,新たなことにチャレンジする見えない人の絶え間ない営みと共に進化してきたものである。IT技術の進歩は視覚障害者に多大な恩恵をもたらした。特に,音声 (テキスト)による墨字文章の読み書きの獲得は素晴らしいものである。 点字は表音文字である。しかし,触覚によるために図形的・画像的な認知が可能である。音声は直接図形的・画像的な認知を与えない。数式を例に説明してみよう。 点字の数式表現は十分に数学的実用に耐えうるものである。一方,音声で読み上げられた数式は,イメージの中に常に画像としての数式を想起する必要があると思われる。実際,音声 DAISYで数学を学んだ高校生は,数式の必要な個所を何度も繰り返して再生することで理解していた。 何度も繰り返して聞くことから心的イメージを作り上げて行ったのであろう。おそらく,数式の理解には音声より点字のほうが適している。 一般に,文字の獲得は大変なことである。生涯の内に何度もできるものではない。テキストから墨字文章にアクセスできるようになった現在,その既習者が点字習得のための強い意志を得られないことは当然なことである。 障害者高等教育研究支援センターでは,学生一人一人の学びに寄り添う丁寧な支援を心がけている。 令和 1年度,急激に視力を失い PC画面の音声化のみで学びを進めている学生 Zさんを支援した。 筆者は数学の授業を担当しており,TeXにより数式の読み書きをしている。TeXは,テキストで書かれた命令に従って数式を組版するソフトである。 そこで,Zさんに TeXで書かれたテキストファイルを資料として配布してみた。「生まれて初めてこれほどたくさんの{ }を見ました!」これが Zさんの感想である。(TeXは式構造のための要素を{ }により確定する。)やはり,音声で TeXで書かれたテキストファイルを読み進めるのは難しいようである。そして,筆者は初めて音声による数式へのアクセスの必要性を強く認識するに至ったのである。 〈ChattyInfty〉 視覚障害者でも使える理系文書編集ソフト。PCTalkerを利用している視覚障害者が自分で理系文書を編集して,晴眼者用の文書を制作することが出来るように設計されたエディタです。 このソフトは,鈴木昌和教授(九州大学)と中途失明者でもある山口雄仁教授(日本大学短期大学部)によって開発されたもので,mathmlで書かれた数式を音声で読み上げることができる。数式を音声化する研究は長い歴史を有していたのであった。 筆者はこれを導入し,実験してみた。確かに音声で読むことはできる。しかし,数式を既習している必要があって,やはり数式理解への強い動機なくしては難しいものであった。 理系の研究者やその研究を志す強い意志を有する学生であれば使えるソフトであろう。 一つの結論として,必ずしも理系的素養を仮定しないで音声による数式の理解を進める手法の開発という新たな研究テーマを得た。 (b)実際に教壇に立って指導している視覚障害を持つ教員にインタビューを行い,諸課題の認識を進め,その具体的な解決法を調べる研究。 一般校で教えている 3人の教員にインタビューを行った。さらに,「全国視覚障害教師の会(JVT)」の研修会を見学し,その会員となり,メーリングリストへの登録を果たした。 教員一般がそうなのか,障害を持って教団に立ち続けるとそうなるのかは分からない。インタビューした皆さんは,ともに人格者であり,大きな人間力を有していた。筆者は,わが身に比して,教員養成に対する責任を再認識し,実感するところである。 もちろん,それぞれに困難さを抱えていた。しかし,それは「視覚障害を持って働く」という根源的な問題であり,社会の中で解決される問題であった。 (c)視覚障害者による数式を含む画像提示に基づくプレゼン法の研究。 インタビューをした皆さんは「チーム・ティーチング」の形で授業をしているとのことであった。板書は見える先生にお願いしているとのことである。 一つの結論として,筆者が有しているbeamerによるプレゼン方法の有意性を確認できた。 (d)点字の入れ子構造とその可読性の研究。 これは,陽的な結論を予想させる一つの実験的な例示を与えることができた。実は,筆者はそれで満足してしまい,未だその実験等ができていない。数学的には正しいはずである。さらなる検討が必要とされている。