修士論文 先天性盲ろう青年におけるICT 活用と 活用に向けた支援の可能性 令和元年度 筑波技術大学大学院 修士課程 技術科学研究科 情報アクセシビリティ専攻 森 敦史 目 次 第Ⅰ部 序論 3 第1 章 はじめに 4 第1節 はじめに 4 第2節 盲ろう者とは 5 第3節 盲ろう者におけるICT 活用の可能性 6 第2章 問題の所在 8 第1節 視覚障害者とICT 8 第2節 国内の盲ろう者におけるICT の活用状況 13 第3節 「読み」の指導とICT の関係 23 第4節 海外の盲ろう者の機器活用事例の紹介 25 第5節 仮説 27 第Ⅱ部 本論 29 第3章 研究の概要 30 第1節 研究の目的 30 第2節 研究方法 31 第3節 研究対象者 34 第4節 研究手続き 39 第4章 ライフヒストリー 45 第1節 パソコンの活用に至るまで 45 第2節 ブレイルメモとの出会い 120 第3節 ブレイルセンスとの出会い 161 第5章 共同解釈 204 第1節 盲学校の指導教員H 先生とR 先生との共同解釈 204 第2節 ブレイルメモの導入における背景という視点から 217 第3節 教育という観点から見た携帯電話の活用によるメール 230 第4節 指導者以外の人から見たA(I との語り合い) 250 第5節 ブレイルセンスの活用によるコミュニケーションの拡大(高等部時代) 279 第6節 中等教育を終えて(総括) 292 第Ⅲ部 結論 299 第6章 総合考察 300 第1節 盲ろう児の教育におけるICT 活用の成果と可能性 301 第2節 盲ろう児の言語力の変化におけるICT 活用の成果 303 第3節 ICT 活用による盲ろう児・者の心理的安定 306 第4節 ICT 活用による盲ろう児・者の支援技術の可能性 310 第5節 A のICT 活用支援(まとめ) 312 第7章 結論と課題 315 第1節 結論 315 第2節 今後の課題 320 引用・参考文献 328 謝辞 333 筑波技術大学 修士( 情報保障学) 学位論文 第Ⅰ部 序論 第1 章 はじめに 第1節 はじめに 筆者は、生まれたときから視覚障害と聴覚障害を併せ有する先天性盲ろう者である。視覚障害と聴覚障害の両方を併せ有するとは、それぞれの障害の程度を合算した障害と思われがちであるが、併せ有することによる困難は、数値だけでは測れない独自な困難を抱えているのが現実である。 この困難には、森(2016)によれば、生まれた時点から「情報の摂取」(情報入手)、「定位・移動」、「感情の表出と伝達手段」、「経験という過去の情報」の4 つの不足があり、情報入手、コミュニケーション、定位(どこに何があるかを把握すること)や移動などに困難があるという二次的障害にも影響を及ぼしている。さらに、盲ろう障害の程度が多様であることからも推測できるように、視覚障害と聴覚障害に加え、知的障害や身体障害等、他障害をも重複している場合が非常に多い(福島、1994 他)。しかしながら、筆者は右往左往しながらも、今春には、高等教育を修了しようとしている。 本研究は、筆者がこれまでの成長過程を総括するために執筆するものであるが、先天性盲ろう児のICT の活用事例が非常に少ないことゆえに(詳細は後述する)、筆者は先天性盲ろう者でありながら、早期段階から試験的にICT を活用しているという希少な事例を持つ(森、2016 他)。そうした状況の中でも、本研究は支援側の視点からだけではなく、支援される側、いわゆる当事者の視点を中心に考察をすすめていく事例研究である。本研究に至った経緯として、筆者は大学時代に先天性盲ろう児がファンタジーの理解に至るまでの過程として卒業論文を執筆した。卒業論文において、「おわりに」の項で「A 児は、情報社会が確立し始めた頃に幼少期を迎え、早期段階からICT 技術を積極的に、また試験的に活用した事例でもある事が記録・返答データなどから確認できたが、本研究では意識的にICT技術という側面からの検証は割愛した。」(森,2016)としたことから、本研究ではA 児、すなわち筆者(本研究においては盲ろう青年としていることからA 児は原則としてA と表記する)のICT 活用事例を検証しながら、盲ろう青年におけるICT 活用と活用に向けた支援の可能性について検討する。 なお、本研究ではたびたび「盲ろう児」という表現を用いるが、これは研究者や盲ろう者の支援者の間で、先天性盲ろう児・者と成人になってから盲ろうになる後天性盲ろう者と区別する意味で、一般的に先天性盲ろう児・者を指す言葉として、「盲ろう児(者)」という表現を用いる場合が多いからである。 実際に、本研究でたびたび登場する我が国の盲ろう児と、親の会及び盲ろう教育研究会においては、入会者の年齢制限が設定されていないという事情がある。そのため、A については18 歳までの段階を「盲ろう児」とし、18 歳以上の段階では「盲ろう青年」と表記するが、場面に応じて一般に広く使用されている「盲ろう児」という表現を使用することとする。 第2節 盲ろう者とは 盲ろう者とは、前述したように視覚障害と聴覚障害の両方を併せ有する人のことである。 厚生労働省が実施した、盲ろう者に関する実態調査(平成24 年度)によれば、全国に約14,000 人いると言われている。社会福祉法人全国盲ろう者協会が把握している盲ろう者は約900 人である。 しかしながら、「盲ろう者」と一口に言っても、その障害の状態や程度は様々である。一般的に見え方と聴こえ方の組み合わせによって、①全く見えず聴こえない状態の「全盲ろう」、②見えにくく聴こえない状態の「弱視ろう」、③全く見えず聴こえにくい状態の「盲難聴」、④見えにくく聴こえにくい状態の「弱視難聴」という4 つのタイプに大別される。 さらには、先天性であるか、後天性であるかの違いもあり、生まれてから盲ろうになるまでの期間、すなわち健常者としての期間の長さは多様である(参考:社会福祉法人全国盲ろう者協会他)。 このように、多様な状態像を示す盲ろう者であるが、先天的な盲ろう児は、見えない、聞こえないという状態像が、生を受けた時の姿である。それゆえに、物事の判断基準となるような情報さえも入手しにくい状態で、幼少期を過ごすことになる。『産業教育機器システム便覧』(1972)によれば、一般に、人が感覚器官を通じて外界から受けるすべての情報量は、全体のうち視覚83%、聴覚11%、触覚1.5%、臭覚3.5%、味覚1.0%とされている。 したがって、聴覚情報や視覚情報が欠落している盲ろう児の場合、生まれたときから聴覚と視覚以外の約10%程度しか情報が得られない状態で幼少期を過ごすこととなる。 卒業論文(森,2016)では、「先天性の盲ろうの子ども達は、『なぜ魚のスイミーが話をするのか?』『なぜドラえもんのポケットからどこへでも行けるのか?』のようなファンタジーの理解が困難な状況の中で、物事の概念が形成されていく。」とし、このようなファンタジーへの理解の困難の要因として、「情報の摂取」(情報入手)、「定位・移動」、「感情の表出と伝達手段」、「経験という過去の情報」の4 つの側面から集約されていることが明らかにされた。すなわち、先天性盲ろう児の本質的な困難は、これら4 つの側面によるものであることが示唆された。 後天性盲ろう者においては、盲ろうになるまでの期間、盲ろうになるまでの経緯(盲ベース:盲の状態から盲ろうになるパターン、ろうベース:ろうの状態から盲ろうになるパターン、その他:健常から盲ろうになるパターン)の違いはあるが、盲ろうになるまでの期間に、これら4 つの困難を乗り越えていること、すなわち、健常経験とこれらの課題への克服の方法を組み合わせることで、解決できると考える。事実、指点字を普及させた福島は、3 歳で右目、9 歳で左目を失明し、18 歳で失聴しており、点字を指点字に応用することができたため、点字という言語の経験を生かして、高等教育に進学、さらに本人は発話も可能である。 第3節 盲ろう者におけるICT 活用の可能性 福島(1994)を要約すると、先天性盲ろう児には、生を受けた時から、情報入手、コミュニケーション、定位・移動の困難があることは、前述したとおりである。すなわち盲、ろうになる前に多少の情報入手、コミュニケーション、移動を経験している後天性盲ろう者とは異なり、先天性盲ろう者は、これらの困難を克服するために、指導者及び支援者らも一からの指導及び支援と専門的知識が求められる。そのため、盲ろう教育にかかわる研究者らによって、盲ろう児のコミュニケーションと言語の獲得に着目した研究が進められている。 盲ろう児が用いるコミュニケーション手段は、他障害の有無を含めた障害の程度に応じているため、実物や模型を用いた方法から、サイン、触手話など多様である。知的障害等を有さない盲ろう児の場合、点字や拡大文字などを用いた書記的言語を獲得している例もみられる。しかしながら福島(1994)によれば、生活の中で正確な言語と豊かな情報に実際に触れなければ、知的発達や言語の獲得には結びつかないという課題がある。 盲ろう児の言語発達と教育に関する文献的考察 ―「読み」の指導と想像力の形成を中心に(福島、1994)によれば、それらの課題には文字を用いた「読み」の教育が効果的であるが、単に読書のように文字を読ませる学習をさせるだけでは困難であり、盲ろう児の「読み」の学習には、次の諸点を考慮しつつ構想されるべきだと述べている。 ①「読み」の理解を助けるための手段(文章読解のための補助説明や登場人物の模倣等) ②「読み」の素材 ③素材と盲ろう児の経験との関係 ④盲ろう児の経験の質 森(2016)では、ファンタジーの理解に至った背景として、これら4 つの条件を克服することに重視した教育の重要性が明らかにされている。「はじめに」で述べたように、森(2016)ではファンタジーの理解に至る時点で、研究の目的を達成していることから、ファンタジーの理解が広がり、高等教育に至るまでの段階での考察は行っていない。しかしながら、高等教育または一般就労に至るためには、ファンタジーの理解のみならず、目的に応じた日本語の使い分け、社会への適応力、必要な知識力などが求められることは想像できる。 これらを克服するためには、正確な言語と豊かな情報に触れることが必要となるが、それらには「読み」という教育が不可欠であることを明らかにする必要があろう。 そのような状況の中で、近年におけるICT(情報通信技術を活用した情報機器やシステム)の普及は、点字や墨字(普通文字)等の文字を用いれば、情報入手とコミュニケーションに活用できるという点で、盲ろう者にとっても不可欠な存在となりつつある。 盲ろう者が、主に利用している支援機器については後述するが、盲ろう者が利用できる点字ディスプレイなども複数社によって、開発・発売され、盲ろう者も利用できるようになってきている。福島(1994)は、盲ろう教育におけるICT の活用については示唆されていないが、ICT は盲ろう者にとっても、福島が述べている「読み」の教育における4 つの条件のうちの「②「読み」の素材」を提供する存在として期待されている。 第2章 問題の所在 第1節 視覚障害者とICT 本研究を実施するに当たり、盲ろう者のICT 活用における背景を明らかにするために、視覚障害者とICT の関連性に関する先行研究を文献的に検討した。 1.視覚障害者のICT 活用の歴史の概要 視覚障害者において、文字による情報の革命(文字を情報として本格的に用いるようになるきっかけ)は、点字の考案と普及であると思われる。1825 年にフランスのルイ・ブライユによって、6 点式点字が作られ、我が国では1890 年に石川倉次によって、日本の点字が考案された。それ以来、視覚障害者の文字として広く利用されている。さらに、点字だけではなく、録音の技術も進み、点字と録音を利用したコンピューターの開発へとつながっていくこととなる。すなわち、もし、この「点字の考案」がなければ、視覚障害者だけではなく、盲ろう者にとっても、ICT を利用した情報へのアクセスは、困難であったことは想像に難くない。 本研究は、全盲ろう者が利用できる「点字」をメインに扱うが、視覚障害者のICT の利用には「音声」も情報入手の手段として欠かせない存在である。そのため本説では、点字と音声による情報へのアクセスが可能であるということを前提に、盲ろう者と同様に情報バリアを支えるのにコンピューターの利用が欠かせない存在となっている視覚障害者におけるコンピューター(ICT)の歴史を紹介する。 視覚障害者によるコンピューター利用の歴史は、1950 年代後半に教育学研究科の大学院生だった全盲の学生(その後盲学校の教員に)が、英数字仮名から点字への変換アルゴリズムを開発して、それが当時、日本電信電話公社の通信研究所で開発されていたパラメトロン式計算機「武蔵野一号」に実装されたことが、おそらく視覚障害者向けのコンピューター開発の最初ではないかとされる。1970 年代前半になると、いろいろな所でコンピューターによる点字の打ち出しが行われるようになった。例えば、A 社で当時、採用した全盲の女性のために普通のラインプリンターを改造して点字を打ち出させた。ライバル会社のB 社でもアメリカから点字印字用のユニットを導入して、それを一般のラインプリンターに装着して点字の打ち出しを行った。C 大学でもミニコンピューターに繋がれているテレタイプ装置を改造して点字を打ち出させた。これらの方法によって、視覚障害者もコンピューターを使い始めるようになったのが1970 年前半であった。また同時に、ミニコンピューターを使って自動代筆システム(視覚障害者が独力で漢字仮名交じり文を書くためのシステム)の研究も進められていた。ICT ではないが、視覚障害者の情報アクセス用の道具としては、点字器・点字タイプライター(本研究でもパーキンスブレイラーという単語を用いるが、点字タイプライターの1 種である)、カセットテープレコーダ、カナタイプや英文タイプ(普通文字入力用)、「オプタコン」(※)(1973 年にアメリカより導入)などが当時より使われている。 上記は、視覚障害者の間でPC が普及される以前の状況である。1979 年8 月になると、NEC から「PC-8000」という国産の機械(PC)が発売されるようになった。詳細は割愛するが、視覚障害者も普通の文字を書きたいという願いが長年あったことから、パソコンを使うとそれができるのではないか、ということで期待が高まり、まだアクセス手段が何もない時代からパソコンの利用を試みる視覚障害者もいた。そのため最初の頃には、パソコンの画面上の文字をモールス信号で音を出してそれで読み取るような涙ぐましい努力もあったようである。その後、次第に視覚障害者がパソコンを使うためのアクセス機器が開発されていった。日本で最初に開発された点字プリンター装置「ESA731」という機械が、1981 年に製品化された。プリンター機能だけでなく、点字の6 点キーもついていて、いわば、コンピューターに接続して利用する点字記録タイプライターとしても使うことができた。さらに国産機が、この他に2 つ登場し、アメリカやヨーロッパからいろいろな点字プリンターが輸入され、市場に出て来て、今では様々な性能・価格の点字プリンターを購入することができるようになっている。一方、点字のアクセス機器としてピンディスプレイ装置も開発され、国産1 号の点字表示端末装置は「コミュニケーター40」という機械であった。広業社通信機器製作所という会社が作ったものであるが、今はそれがKGS と名を改め世界中のピンディスプレイ装置のセルを供給するこの分野では、非常に大きな有名な会社になった。 点字だけではなく、音声機器もアクセス機器として利用されるようになった。亜土電子が出した「SSY-02」という音声合成装置が1983 年に発売された。これは特に視覚障害者用ということではなく一般用に製品化されたもので、パソコンのプリンターポートに接続し て、アルファベット綴りを送ると発音できるもので、漢字もパソコン内部で読み下して送ることで対応できた。その他の音声合成装置としては、三洋電機の「VSS シリーズ」、富士通の「FMVS101」(ベストセラー)などの類似のものも、いくつか製品化されるようになり、これらが視覚障害者の目に代わった。さらに合成音声装置が開発されると、これを活用した視覚障害者のためのソフトウェアが開発されるようになった。とにかく墨字文章、特に漢字仮名交じりの文章を自分で書きたいという思いが強かったため、まず、「6 点漢字ワープロ」と呼ばれるワープロソフトが1981 年に開発されるようになった。以後、各種ソフトウェアが開発された。スクリーンリーダー(画面読み上げソフト)の第1 号は「IBTU」というもので、同様に相次いで各種スクリーンリーダーが開発された。その他、弱視者用のアクセス装置なども開発された。 MS-DOS が登場して、それがいわば世界標準のOS になり、日本では1985 年頃に16ビットのパソコンが普及し、MS-DOS が標準的なOS になってきた。そのような共通のOS が登場したことによって、視覚障害者のためのソフトウェア開発にも拍車がかかり、そのOS に対応したスクリーンリーダーも1986 年にリリースされた。同様に弱視者用の画面拡大装置も開発されている。しかしながら、1995 年になると、Windows95 が世間に普及し、PC はWindows にシフトし、MS-DOS 用のハードもソフトもだんだん消えていってしまうという、いわゆる「Windows ショック」が訪れた。そのため、視覚障害者の間ではいわゆるWindows ショック、パソコン利用についての将来不安が高まってきた。 そのような中で、1 年後の1996 年に最初のWindows 用のスクリーンリーダー「95Reader」が開発された。 また、1998 年には「PC-Talker」、さらに2000 年には国際的に普及していた「JAWS」の日本語版がリリースされ、2019 年現在もこれらのスクリーンリーダーは視覚障害者のみならず、盲ろう者にも広く利用されている。最初はGUI を使ったWindowsに視覚障害者はだいぶ戸惑ったが、次第にスクリーンリーダーの性能が向上するに従って、快適なパソコン利用が可能となった。加えて、インターネット未経験の視覚障害者のパソコン利用が、さらに進んでいった。すなわち、PC を含めたコンピューターの経緯をさらに要約すると、当初、墨字を書くことを目的に利用されていたものが、現在はインターネットの利用に変容している。 パソコン以外では、電子点字器としてアメリカ製の「VersaBraille」が1986 年頃に輸入された。現在、広く利用されているKGS 社製のブレイルメモに近いものである。また、その他、録音機器が各種開発され利用されている。携帯電話においては、ドコモの「らくらくホン」が最初に出たのが1999 年の10 月で,機種名は「P601es」であった。2004 年にはFOMA 用の「らくらくホン」が登場し、毎年更新(改良)されている。これらは音声読み上げに対応したものであるが、特に「らくらくホンⅢ」では漢字の詳細読み機能や文字読み機能が搭載されて非常に使いやすくなったという評価を受けている。2006 年には音声・点字PDA(携帯情報端末)として、音声や点字の利用者に特化したブレイルセンス日本語版が有限会社エクストラよりリリースされた。以後、ブレイルセンスシリーズのみならず、スマートフォンなども視覚障害者に利用されるようになり、現在ではOCR など視覚障害者も利用できるアプリが多数存在している。※「オプタコン」とは:小型のカメラを右手で持って操作し、墨字を捉える。すると、それが触知盤という細かいピンの振動で呈示される機器である。全く、視力を用いない人でも墨字を読むことができる機械であったが、現在は生産中止となっている。 参考:[PDF] 2.視覚障害者のコンピュータ利用の歴史、 https://www.nise.go.jp/kenshuka/josa/kankobutsu/pub_d/d-267/d-267_10.pdf ( 最終閲覧2019.11.21) 2.パソコン教育 視覚障害者のICT の歴史において、パソコンを用いた教育も欠かせない存在であるが、本研究の研究対象者A が在学していた盲学校(現視覚特別支援学校)では、情報処理における研究と開発にも取り組まれていた。この分野は歴史も極めて浅く、様々な問題を含んでおり、議論の分かれるところであるが、コンピューターはそんなこととは関係なく日進月歩で進化し、益々生活に深く入り込んでいる。これに対応すべく、同校では視覚障害者のコンピューター(パソコン)利用に向けた教育及び研究が行われている。 1 番目はH 元教諭による日本語点字にはない漢字の点字符号(「六点漢字」)の研究と点字ワープロの指導であった。(1972 年7 月―)六点漢字の考案と普及の指導を行うとともに、点字データタイプライターへの対応に着手し、1986 年頃にはJIS 第3 水準の漢字符号(六点漢字)を完成させ、コンピューターで使用できる漢字のすべてを六点漢字で使用できるようにした。それと並行し、1987 年11 月にはAOK 日本語ワープロにAOK 漢字詳細読みが登載されるようになった。 2 番目は点字をコンピューターで処理しようとした流れである。(1981 年―)パソコン点訳の始まりであり、点字プリンターによる点字印刷のみならず、点訳ソフト「こうたくん」などの開発によって、どこの盲学校でもパソコンによる点字作製と印刷が可能になった。 3 番目はコンピューター本来の使用と数学での指導である。(1977 年―)数学ではポケット電卓やプログラム電卓でプログラムの原理を指導していたが、パソコンの紹介をかねながらBASIC による簡単なプログラムの指導を始めたのが始まりである。 4 番目はコミュニケーション指導の一環として英文タイプや邦文タイプの指導を行っていた養護・訓練の流れである。(1985 年―)パーソナルワープロが普及し、邦文タイプに代わってワープロ文書が主流になり始めた頃からワープロの指導が行われている。 ※参考:筑波大学附属視覚特別支援学校のWEB 内の「情報処理教育」(上記は「情報処理の研究・開発の経緯」のページより引用) URL:http://www.nsfb.tsukuba.ac.jp/jakusi/jo_001_d.html(最終閲覧:2020.1.12) このように、養護・訓練の予算の大半をパソコン関係に注ぎ、視覚障害者のための補助機器を購入し続けたことから、指導用パソコンや補助機器のほとんどを所有することとなり、本校は情報処理教育の中心となった。1991 年度に情報処理教育の費用として学校に200 万円が充てられたことをきっかけに、情報処理教育として、情報処理の計画と指導が本格化した。その他、同校では複数の教諭がパソコンに関する研究への協力及び、発表に携わり、本校は盲学校及び視覚障害者の情報処理の分野においてある程度の役割を果していると言えよう。このことから、本研究の研究対象者のA のICT 活用における生活史は、同校での取り組みの一部が通ずるものであると考える。 第2節 国内の盲ろう者におけるICT の活用状況 1.盲ろう者のICT 利用状況 大河内(※)によれば、盲ろうの状態ではテレビ、ラジオ、電話、ファックス、新聞等一般的な情報入手手段がほとんど利用できない中で、①パソコンと点字ディスプレイは全盲ろう者が自力で利用できる数少ない手段、②電子メールにて他者との意思疎通や遠隔地への連絡が自力で可能、③近年はホームページやソーシャルネットワーク等からの情報入手も少しずつ実現、④パソコン以外に点字情報端末(ブレイルセンス、ブレイルメモ)の利用も広がっている、⑤弱視ろう、弱視難聴の人にはiPad 等も活用される、⑥残存する聴力を活用して視覚障害者向けの音声機器を利用する盲ろう者もいることを長所にしている。 そうした中で、20 年ほど前より、盲ろう者向け支援機器の研究・開発が行われているが、①現状盲ろう者向けに製品化された機器・ソフトウェアは存在しない、②ニーズが多様であること、ユーザーが少数であること等が主な要因、③視覚障害者向けあるいは聴覚障害者向けの一部の機能を利用しているのが実情といった課題が残されている。 このような実情の中で、①触覚(点字等)で利用できるインタフェースの充実、②点字以外での文字情報へのアクセスの確立、③自動運転等技術による移動支援の模索、④A1 等技術による通訳やコミュニケーションの支援の模索の4 つが、今後期待される。 ※https://www.soumu.go.jp/main_content/000533532.pdf(最終閲覧:2019.5.29) 2.盲ろう者向けパソコン指導の事例 一般的に、盲ろう者は何らかの方法で情報を得られなければ、ICT にすらアクセスすることができない。また、一般的なパソコン教室等には盲ろう者向けの機器に関する専門知識がないため、盲ろう者が受講することは難しい。そのため盲ろう者のニーズに応じたパソコン指導講習会等が、盲ろう者友の会などによって行われている。 たとえば、大阪府立図書館では、視覚障害者や盲ろう者向けのICT 活用の支援の取り組みが行われていることから、以下は大阪府立図書館の論文を中心に、盲ろう者のパソコン指導の重要性を明らかにする。 <大阪府立中央図書館での取り組み> 大阪府立中央図書館では、視覚障害者の図書館利用の増進を図ることを目的に、2000 年10 月に「視覚障害者用パソコンシステム利用サービス実施要領」を策定した。具体的には音声読み上げ、点字表示、画面拡大を利用して、OCR(Optical Character Reader)、インターネット、CD-ROM 辞書、点訳ソフトなどの利用であり、それらの使い方を職員が指導するという個別支援を開始した。 2001 年に、盲ろう者の支援をしている人から、「これからパソコンを使いたい盲ろう者がいる。点字ディスプレイやパソコンなど盲ろう者が使える機器について概要の説明と使い方について教えてほしい」と依頼を受けた。(中略)毎回、同じ触手話通訳者の協力を受け2001 年9 月から1 年間で29 回のパソコン個別指導を実施した。 この事例とは別に、2006 年度からは断続的に盲ろう者へのパソコン個別支援を現在まで15 名行い、2009 年3 月時点で8 名の支援を継続中である。最初は全盲ろうの人が中心であったが、最近では弱視ろうの人の支援にも力を入れ、画面拡大ソフトを利用したインターネットの操作など幅広い内容で様々な人びとに対応している。 さらに盲ろう者へのパソコン個別支援の経験や盲ろう当事者団体から盲ろう者向けパソコン講習会の開催の要望もあり、大阪府立中央図書館では2003 年度から盲ろう者向けインターネット講習会を開催し、現在も継続的に開催している。1 回の講習会の定員は2 名から4 名と少人数を対象として、触手話通訳者や指点字通訳者を図書館の予算で配置し講習会を行っている。 <国内での盲ろう者へのパソコン支援> 国内で盲ろう者へパソコン支援をしている機関としては、盲ろう者関連施設、視聴覚障害者情報提供施設、生活訓練施設、障害者IT サポートセンターなどがある。しかし、実施場所が限られ、地域格差が起きているのが現状であることが推察される。実際、盲ろう者にパソコンの個別支援を実施している公共図書館は、大阪府立中央図書館以外に、T(県)の日野市立中央図書館ぐらいであり、一部の図書館では利用案内に「視覚障害者・盲ろう者など」と書いてあるが、実際は、サービスが行われていないのが現状である。 国内で盲ろう者のパソコン支援を担ってきたのは、これまで一部の盲ろう当事者や視覚障害者、パソコンの得意な通訳・介助者やパソコンボランティアであった。これまでの指導者は特に視覚障害者の支援の延長的な考えもあったため、実際に支援する際の盲ろう者とのコミュニケーションや、視覚障害者に使いやすい機器やソフトが盲ろう者には不十分である、指導方法の確立がなされていなかったなどの問題があり、このような状況下で教育を受けた盲ろう者の中にはパソコンは面倒なもの、使えないものという認識があったことは事実である。ゆえに、盲ろう者に正しい方法でパソコンを教えられる人材、指導者的な役割を果たす人の養成が急務となった。 全国盲ろう者協会では、2006 年度から3 年間、独立行政法人福祉医療機構長寿・子育て・障害者基金助成事業で,盲ろう者向けパソコン指導者等養成研修事業を行った。しかし①当事者を中心とした支援(指導者の不足)、②支援の場所の確保と国や自治体の支援(盲ろう者を対象とした支援場所の不足)、③盲ろう者団体等へのパソコン機器類の貸与(訓練費の不足)、④盲ろう者に使いやすい機器やソフトの開発、⑤ウェブアクセシビリティと盲ろう者に使いやすいウェブページ、⑥生活訓練の場でのパソコンの提供、⑦公共図書館での機器の活用、⑧盲ろう者の職業自立などの課題が残っている。特に①―④の人材・場所・機器類については、盲ろう者のICT 活用への支援において、盲ろう者のICT 活用のベースとして最も優先すべき課題であろう。 <主な点字関連機器の紹介> 現在盲ろう者が使用するパソコン及び周辺機器は複数ある。 ①パソコン関連機器 機種名 :一般的なWindows パソコンに対応 利用用途:電子メール、ホームページやソーシャルネットワーキング、メモ帳 チャット(パソコン要約筆記を含む)等 支援機器:点字ディスプレイ、スクリーンリーダー(画面音声化一点字化) ②点字情報端末① 機種名 :Hims シリーズ(ブレイルセンス等) 利用用途:電子メール、ホームページやソーシャルネットワーキング、 ワード(メモ帳)、チャット、電卓、時計等多数 支援機器:なし(パソコンまたはiPhone 等の点字ディスプレイとしても利用可能) ③点字情報端末② 機種名 :ブレイルメモ(視覚障害者向け電子手帳) 利用用途:メモ帳、チャット、電卓、時計等(インターネット非対応) 支援機器:なし(パソコン等の点字ディスプレイとしても利用可能) ④その他 時計:触読式腕時計、振動式腕時計(シルウォッチを含む) ※盲ろう者がアクセスできない主な機器・サービス(一部対応または研究開発中を含む) 体温計や血圧計等のヘルスケア製品、お風呂リモコン等水周り機器、スマートフォン並び にそのアプリ(※現在は一部対応)、金融機関のATM、その他公共の場に設置されてい る券売機等 (参考) 1.大河内:https://www.soumu.go.jp/main_content/000533532.pdf(最終閲覧:2019.5.29) 2.社会福祉法人全国盲ろう者協会(コミュニカ、協会だより、各種報告書、ホームページ等):http://www.jdba.or.jp/(最終閲覧:2020.1.13) 3.各都道府県の盲ろう者友の会等 :2.のホームページ内のリンクから各団体のホームページへのアクセス可能 3.当事者視点から見るICT 利用の課題 ここまでは、主に先行研究と文献調査を通して明らかにされた盲ろう者の現状をまとめたものである。しかし、ユーザとしてICT を利用している盲ろう者が少数であり、またニーズも多様であるため、支援者個人等による報告はあっても、「盲ろう者のICT 活用の実態」として取りまとめた文献が非常に少なく、前述した実態を詳細に検討することは困難であり、本研究の目的の一つである「提言」につなげるには、十分な情報が得られないことが考えられる。また、本研究は「当事者研究」と位置づけていることから、支援者の視点での結果だけではなく、当事者の視点での考察も必要であると考える。 以上のような趣旨を踏まえた上で、本項では当事者である盲ろう者として、ICT の活用に至るために、どのような課題があるのかについて明らかにする。 ①情報入手 我が国の盲ろう者は約14,000 人いるとされている(厚生労働省:平成24 年度盲ろう者に関する実態調査)。しかしながら、全国盲ろう者協会が把握している盲ろう者は1,000 人程度である。さらに、前述したように盲ろうの障害の状態や生活状態が多様であるため、実際にICT の活用にいたる盲ろう者は非常に少ないことが推測できる。 主な要因として、まず同協会が把握していない盲ろう者の大部分は、そもそもコミュニケーション手段を持たない、または家族内で通じる程度のコミュニケーション手段しか持たないことが考えられる。それゆえに、手紙等の文字も読めずテレビ等の声も聞こえないという情報のバリアがあるために、盲ろう者団体の存在をも知らないまま過ごしている盲ろう者が多いことが報告されている(施設入所者を含む)。そのため「盲ろう者でもパソコンが利用できる」などの情報の入手が困難である。 同協会が把握している盲ろう者においても、仮に「盲ろう者でもパソコン等を利用できる」ことを知っていても、点字または墨字(残存視力がある方)や音声(残存聴力がある方)をマスターしなければ、パソコン等のICT にアクセスすることができない。さらに、他の障害を重複している、高齢化しているなど、状態が多様でありニーズも多様であるため、十分にパソコン等が利用できる盲ろう者は少ないと思われる。 このようなことから、ICT の活用に至るためには、盲ろう者自身がICT を利用できるという情報を知るという「情報入手」、支援者視点であれば「情報提供」が必要となる。なお、「情報入手または情報提供」の方法については定かな記録は存在しないが、盲ろう者向けパソコン講習会などが実施していることを考えれば、主催者のホームページやパンフレット、友の会及び協会の会員向け会報などが大部分であることが推測される。 ②書記的言語の確保 盲ろう者がICT の活用にいたるためには、コミュニケーション手段の1 つとして、書記的言語(点字等)を理解しなければならないという課題がある。 ③支援体制 盲ろう者が「盲ろう者でもパソコンが使える」ことを知っていても、使い方や機器の紹介などを教える人材または場所がなければ、盲ろう者はICT の活用にいたることができない。また、支援者も専門的な知識を必要とする。 ④経済的負担 日常生活用具給付制度における対象年齢や障害の等級等の利用条件が各市区町村によって異なるため、盲ろう者によっては機器の購入費の補助を受けられない場合がある。 ⑤ニーズにあった支援 パソコン講習会の受講者数を2 名までとしている記述があるように、盲ろう者のニーズに応じた支援や指導が必要となる。 4.盲ろう青年のICT 活用状況 本研究を実施するに当たり、研究対象者と同年代の盲ろう者3 名にICT の活用状況の事前調査を実施した。これはICT を利用している盲ろう児が非常に少ないゆえに、盲ろう児のICT 活用実態の調査が行われていないため、盲ろう児のICT 活用の課題としての必要な 知見を得ることを目的としている。 事前調査への協力者は、研究者が盲ろう教育研究会等を通じて、長い間、同年代の盲ろう者として交流を続けている人たちである。いずれも小学校就学の段階で盲ろうであること、日常的に点字を使用していることを条件に、事前調査の協力者として選定した。 ①盲ろう者(1)の場合 プロフィール: 25 歳、男性、後天性(5 歳―)盲難聴、福祉作業所に通所。 ICT の活用状況歴 小学1 年:点字学習開始。 中学1 年:盲ろう者友の会からパソコンと点字ピンディスプレイを借りる。 中学3 年:盲ろう教育研究会からブレイルセンスを借りる。 現 在:ブレイルセンスを使用。 指導状況:盲学校での教育相談時の指導と大学の研究員による指導 現在の使用状況:自宅にて1 日に1 時間程度、電子メールや乗り換え検索等を利用 実感のあるソフト:メール(メールを送って返事がもらえることがうれしい) 課 題:インターネットが読めない。メールと乗り換え検索以外の機能が使えない。 要 望:なし ②盲ろう者(2)の場合 プロフィール:29 歳、男性、先天性全盲ろう、福祉サービス事業所に通所。 ICT の活用状況歴 10 歳:点字学習開始。ブレイルメモを特殊教育総合研究所のN 先生から借りる。 中学3 年:大学からブレイルセンスを借りる。 18 歳:市の福祉課の日常生活用具給付でブレイルセンスを購入。 現 在:ブレイルセンスU2 ミニを使用。 指導状況:大学の研究員による学校訪問指導 現在の使用状況:毎日2 時間程度、電子メール、時計、ニュース、乗り換え検索等を利用 実感のあるソフト:メール(知人と話しができることが楽しい) ニュース(自分でニュースを読めることがうれしい) 乗り換え検索(自分で乗り換え検索ができることがうれしい) 課 題:Yahoo 天気が読めなくなったこと 要 望:なし ③盲ろう者(3)の場合 プロフィール:28 歳、男性、後天性(小1~)弱視ろう、障害者就労移行支援事業所に通所 ICT の活用状況歴: 小学入学時:点字学習開始。 中学2 年:ブレイルメモ(BM24)を大学から借り、携帯電話を自費で購入。 メール使用開始。 高 校:大学からブレイルセンスを借りる。 18 歳:区の日常生活用具給付でブレイルセンスを購入。 現 在:ブレイルセンスU2 ミニを使用。 指導状況:大学の研究員(講師)による学校訪問指導 学校教員が同席し、指導内容を記録した後、学校内でも指導。 現在の使用状況:毎日2 時間程度、電子メール、インターネット、電卓、時計、ニュース 実感のあるソフト:メールやインターネット (ブレイルセンスU2 ミニを使ってからは速度が上がった) 課 題:ブレイルセンスや点字ピンディスプレイ(パソコン接続用)が高価であること ブレイルセンスU2 ミニが購入してから5 年ほどで故障してしまうこと。 要 望:故障しにくい機器の開発(5 年後→10 年後までの間の故障が少ない機器) メール・インターネット・ニュース・電卓・時計等の速度の高速化。 価格の値下げ、持ち運びやすいような工夫。 その他:仕事に役立つよう、社会問題、スポーツ、国際的な情報を得られるように頑張る 以上が、点字を使用する盲ろう者のICT 活用の状況であるが、3 名に共通している点として、以下のようなことがあげられる。 ①18 歳までは点字 ディスプレイなどの必要な機器をどこかの団体や機関から借りているということ。 ②現在はHIMS 製のブレイルセンスシリーズを使用していること。 ③ICT 活用の指導法として、大学の研究員等を講師として招いているということ。 ④電子メールを通じて友達と交流することを利用の目的としていること。 その他ニュースや乗り換え検索を含めたインターネットを利用する人(2 名)もいて、外部からの情報を得るための機器として利用されている。 したがって、使用機器や使用目的、機器の入手などが統一されていて一定の需要があるようにみられるが、ブレイルセンスを含めた使用機器が高価(ブレイルセンス本体:約600,000円)であること(回答者1 名)を理由に、18 歳までは自力での入手が困難であるという課題がみられる。そのため2 名の盲ろう者は18 歳になると同時に、市区町村の日常生活用具給付で使用機器を購入している。また指導法においても、特定の指導者に頼られている傾向があり、盲ろう児のICT 活用が本格化するに当たり、ICT 活用における指導体制の確立が課題になると考えられる。 なお、インターネットの利用ができないという課題が共通点としてあげられているが、ブレイルセンスシリーズの仕様の問題であると思われる。研究者がブレイルセンスでのインターネットの動作確認をしたところ、盲ろう者(2)が利用していたYahoo を含めた多くのサイトは、「セキュリティで保護されたチャンネルサポートでネットワークに接続できません」と表示されるため、閲覧できなくなっている(2019 年12 月現在)。 しかしながら、全員が現在ブレイルセンスを使用していることには、ブレイルセンスシリーズはキーの数がパソコンより少なく操作性がシンプルであること、ワードプロセッサー(パソコンのメモ帳に相当)だけではなく、電子メールやウェブブラウザ等生活上最低 限の機能が備わっていることなど、視覚障害者のみならず、盲ろう者の利用に反映した機器であることが理由であると考えられる。 そのような、使用機器の入手方法、活用に向けた指導法と体制、機器やソフトの技術といった課題を考慮し、本研究のライフヒストリー研究を進めることとする。 第3節 「読み」の指導とICT の関係 森(2016)の卒業論文では、ファンタジーの理解はA 児の「読書」の変化にも影響を及ぼした事を述べられているが、ファンタジーが理解できた最大の成果は「読み」の拡大である。福島(1994)は、盲ろう児の「言語発達と教育に関する文献的考察-「読み」の指導と想像力の形成を中心に」において、先天性盲ろう児の発達における課題について、次のように述べている。 ①あらゆる外部情報の不足⇒視覚的・聴覚的情報の欠落により、盲ろう児は絶対的孤立状態になりやすい。 ②言語的情報の不足⇒音声言語を中核とする中、盲ろう児は言語的情報が不足している。 ③知的諸能力および情緒面での発達の遅滞⇒前述の二つの困難によってもたらされる知的諸能力および情緒面での発達が遅れている。 福島(1994)は以上のように、先天性盲ろう児には言語の発達などに課題があることを明らかにしている。 これらの課題をどのような方法であれ克服しなければ、A 児は、ファンタジーの理解に至ることはできなかったのではないであろうか?なぜなら、上記の③の知的諸能力の形成・情緒面での発達を促す要素としての①と②に起因する「情報」が欠落・不足しており、十分に③の状態に対応できないからである。 以上が、森(2016)による見解であるが、福島(1994)はこれら①~③の遅滞を克服するためには、とりわけ、「第2 の層に関わる困難に取り組むことが重要だと考える。」とも述べている。上記の①と②のうち、②の言語的経験の不足については、それらを補う指導や支援を重視することがA 児の知的諸能力および情緒面での発達には必要不可欠であった事は、森(2016)の卒業論文で明らかにされている。しかし、話し言葉としての言語獲得だけでは、「読み」の本質に繋がらないことは課題であり、A においては、聴覚的情報を補う手段である手話や身振り語を獲得しただけではなく、視覚的情報の入手に不可欠な書字言語としての点字も獲得した意味は大きい。「盲ろう児に対する「読み」の教育は想像力の発達と密接な関連を持っている。」(福島,1994)と述べているように、仮にA 児が手話という手段のみを獲得し、手話による教育が進められていたのであるのならば、A 児はおそらくファンタジーの理解に至ることは困難であったと推測される(森, 2016)。なぜなら、視覚的情報が抜け落ちていること、すなわち、A 児が点字を獲得していなければ、文字情報がA 児の手に届かないからである。言い換えれば、点字という素材がなければ、第1 に挙げられている、あらゆる外部情報に触れる機会が、手話が可能な通訳者を通してのみに限られるのである。 それらを克服するためには、「読み」を獲得するための教育が必要ではあるが、単に文字(点字)を獲得すれば良いのではなく、「読み」の教育を重視することも盲ろう児には効果的であり、「読み」の教育には次の諸点を考慮しつつ、構想されるべきだと福島(1994)は述べている。 ①「読み」の理解を助けるための手段 ②「読み」の素材 ③素材と盲ろう児の経験との関係 ④盲ろう児の経験の質 上記のうち②「読み」の素材は、盲ろう児が視覚的情報を理解するためのツールが必要となるが、福島(1994)は単に読書に利用できる読み物(点字で作られた本など)を準備するだけでは、ファンタジーの理解のみならず、盲ろう児の知的諸能力および情緒面での発達につなげることは困難であるという課題を述べている。 しかしながら、「はじめに」でも述べたように、近年はICT 機器の普及にとって、盲ろう児・者にとっても情報ツールは不可欠な存在となりつつある。特に従来、点字の本や送受信に時間を要する文通などに限られていた視覚的情報が、インターネットの活用によって、リアルタイムに最新情報が得られるようになったことは、盲ろう児・者の「読み」による情報入手のバリアを解消したという点で、画期的なことであったのではないだろうかと推察される。 第4節 海外の盲ろう者の機器活用事例の紹介 <台湾の盲ろう者のICT 活用について> 盲ろう者のICT 活用は我が国のみならず、海外でも盲ろう者の社会参加と自立を支えるものとして期待されている。米国の事例は2 節で紹介したが、本研究を実施するにあたり、台湾の盲ろう者のICT 活用について調査をした。 我が国の近隣にありながら、全国盲ろう者協会が台湾について把握していなかったことが、台湾の状況を知るきっかけとなったが、研究対象者と同年代であり、ほぼ先天性盲ろう者でありながら、大学を卒業しているという点で、本研究の事例紹介の対象者として選定した。台湾での訪問調査の後、東京盲ろう者友の会の会報「てのひら通信」には次のように執筆している。 『前回の台湾の訪問では、「日本手話と台湾手話はよく似ている」という事前情報だけを頼りに、台北聾人協会の方たちと交流をさせていただき、歓迎された。その時に盲ろう者に詳しい、国立台南大学の特殊教育学の先生を紹介してもらい、翌日にはお会いし情報交換をすることができた。「台湾には、幼いころからの全盲ろうでありながら大学を卒業し、現在は私立恵明(けいめい)盲校に勤務されている劉育伶(リュウ ユウリン)さんという女性がいる」ことを知った。 帰国後、インターネットで調べたところ、私と同世代であり、同様な障害がありながら、多様なコミュニケーション方法を用いて教育を受け、現在は社会人として自立しておられるということがわかった。自身と同じような障害がある盲ろう者にお会いしたいという気持ちと、現在専攻している「情報保障学」の研究の一環として、9月頭に劉育伶さんを訪問することになった。』 (東京盲ろう者友の会「てのひら通信」2017 年11 月号(296 号)21 月号(297 号)) インターネットでは劉育伶さんの大学入学時と卒業時の新聞記事が紹介されている(※)。 中国語の記事であるが、パソコンを意味する「電能」、点字を意味する「點字」、コミュニケーションを意味する「溝通」などの単語が見られることから、パソコンを活用した情報保障(通訳支援)などを利用されていることが窺える。また、研究者は訪問調査後、全国盲ろう者協会のアジア盲ろう者ネットワークの一員として、翻訳ソフトを駆使しながら、メールやSNS を用いて本人との交流を続けている。台湾には盲ろう者協会のようなネットワークがなく情報が少ないため(他の盲ろう者をほとんど知らない等)、パソコンは日本と台湾の間での情報交換の場としての貴重なコミュニケーションツールとなっている。もう一つ特筆すべき点としては、台湾では盲ろう者を専門とした通訳介助サービス(アメリカに当てはめる場合、通訳者またはSSP に相当する)が存在せず、盲ろう者向けの支援体制が不十分であるために、手話や点字などの専門的知識を必要としないパソコン通訳が大学で活用されているということがあげられる。パソコン通訳に頼ることができたという点は、既存のサービスを活用しながら触手話通訳を利用し、補助的にパソコン通訳を利用してきた研究対象者との相違点であると言える。 ※参考:全国盲ろう者協会(盲ろう者国際協力推進事業) ※以下のURL の他、インターネット上で「劉育伶 盲聾」と検索すると、複数の情報が存在する。 参考1: https://news.ltn.com.tw/news/focus/paper/889216(最終閲覧:2020.1.13) 参考2: https://news.tvbs.com.tw/life/603163(最終閲覧:2020.1.13) <ブレイルセンスについて> 2 節の関連機器の紹介でブレイルセンスに触れたが、ブレイルセンスの開発及び販売を行っているHIMS は韓国にある。そのため、日本で使用されているブレイルセンスシリーズは韓国で制作された機器を有限会社エクストラが日本語版に改良したものである。開発の経緯について、EXTRA の研究者が次のように説明している。 『ブレイルセンスU2 日本語版の開発を始めたきっかけは、2004 年にアメリカで開かれたある展示会で、韓国メーカーが展示していた視覚障がい者向けの「ハンソネ(英語名 ブレイルセンス)」という機器を手にしたことでした。コンパクトで持ち運びやすいサイズでありながら、ワードプロセッサー、インターネット、電子メール、メッセンジャーの機能を備えていて、音声読み上げ機能も付いていました。視覚障がい者向けの機器としては、まさに当時の最先端を行くものでした。 その後、ハンソネを製作している韓国のHIMS 社に連絡して、日本語版の製作を提案し、ブレイルセンスシリーズを共同開発することになりました。2006 年にブレイルセンスを初めて日本でリリースしました。その後さまざまな改良を行いながら、開発を続け、2007 年にボイスセンス、2008 年にブレイルセンスプラス、2010 年にブレイルセンスオンハンド、2012 年にブレイルセンスU2 日本語版をリリースしました。ボイスセンスは、キーボードは点字入力方式ですが、点字表示機能はありません。出力は音声だけになります。 日本語版は、石川研究室と有限会社エクストラが共同で研究開発し、エクストラから発売しています。エクストラは、自動点訳ソフトEXTRA for Windows、Windows 用画面読み上げソフト(スクリーンリーダ)JAWS for Windows、ブレイルセンス、携帯型GPS 歩行支援機器トレッカーブリーズなど、視覚障がい者の情報アクセシビリティーを推進するさまざまなソフトウェアやハードウェアの開発と販売を行っている会社です。』 (情報バリアフリーのための情報提供サイト:情報通信研究機構(NICT)ホームページより) 以上のような経緯があるが、現在日本では未発売の機器も多数あり、今後の展開に注目されている。 第5節 仮説 第2章の2(国内での盲ろう者へのパソコン支援)において、全国盲ろう者協会では、盲ろう者のICT の活用の支援には8 つの課題があることを示唆しているが、本研究のリサーチクエスチョン(提言)を明らかにするために、本研究での課題とそれに対する可能性や期待を明らかにし、現時点で仮説としてまとめることとする。 ①機器の開発 盲ろう者がICT を利用できるようにするためには、盲ろう者が使いやすい機器、またはソフトの開発が必要となる。現状では視覚障害関係または聴覚障害関係の研究機関等が機器やソフトの開発を担っている場合が多いが、障害者・高齢者全般の福祉機器の業界、技術関係の業界などでの開発も期待できる。 ②経済面での支援 盲ろう者の生活を安定させるためには、使用機器やソフトの購入費用、訓練や教育にかかわる費用等の盲ろう者個人にかかわる費用の他、支援者の人件費や支援施設の運営費なども必要になる。そのため、幅広い範囲で経済的支援が求められる。 ③指導者の確保、拠点の確保(サポートセンター、訓練センター等) 盲ろう者がICT を学び、継続的にサポートを受けるためには、支援者の確保が必要になる。また専門的知識を持つ支援者を増やすことも課題である。継続的な支援を行うためには、支援者の養成研修会の実施のみならず、拠点としてのサポートセンターまたは定期的な訪問支援が可能な体制が求められる。 ④ICT 活用による効果への理解に向けた情報提供(政府等への提言) これら①-③の課題を明らかにさせるためには、盲ろう者のICT 活用における効果を明らかにしておく必要がある。本研究においては、主に盲ろう青年を対象に、ICT 活用によるコミュニケーションの可能性を明らかにすることを目的とする。 この効果を明らかにすることで、政府や企業などを含めた幅広い範囲での盲ろう者のICTの活用における課題と必要性に対する理解が広まることを期待したい。 第Ⅱ部 本論 第3章 研究の概要 第1節 研究の目的 盲ろう者が、高等教育(※)または一般就労にいたるためには、目的に応じた日本語の使い分け、社会への適応力、必要な知識などが求められる。これらの力を育むためには、正確な言語と日常生活の中での豊かな情報に触れることが必要となるが、それらには「読み」という教育が不可欠であることを明らかにする必要がある。 このような状況の中で、近年ICT(情報通信技術を活用した情報機器やシステム)が普及し、点字や墨字(普通文字)等の文字を用いれば、情報入手とコミュニケーションに活用できるという点で、盲ろう者にとっても不可欠な存在となりつつある。ICT は盲ろう者にとっても、福島(1994)が述べられている「読み」の教育における4 つの条件のうちの「②「読み」の素材」を提供する存在として期待されている。 その中でも、筆者でかつ研究者でもある自身は、先天性盲ろう者でありながら、早期段階から試験的にICT を活用し、高等教育に至ったという希少な事例を持つ。しかし、現在においても学齢期の児童生徒には日常生活用具給付等事業(市町村が行う地域生活支援事業)等の政府からの支給が認められていないなどの制約があることから、中等教育までにICTの活用に至る事例はあまりみられない。 そこで本研究では、このような希少な事例を通じて、自己(以下A とする)が高等教育に至るまでにいかなるICT をどのように活用してきたのかという視点で、以下の2 つを明らかにすることを目的とする。 ①A の周囲にどのような支援が存在したのかを明らかにし、盲ろう児の発達過程におけるコミュニケーションへのICT の活用に向けた支援の可能性について検討を行う。 ②この検討に基づいて盲ろう児・者のコミュニケーション支援におけるICT 活用について提言する。 なお、本研究は成長の過程の過去に遡り、自己の経験・体験を具体的に検証していこうとする事例研究であるが、当事者しか知り得ない情報を社会に提供するという意義は大きく、盲ろうという枠組にとどまらず、支援技術全般・教育・言語・心理などの領域にも重要な知見を提供できると推測する。 ※補足:田畑(※)は盲ろう児が高等教育にいたる事例がほとんどみられない理由として、上記の理由の他に、盲ろう児・生徒はコミュニケーションと情報摂取、そして教科学習等に長い時間を要することを示唆している。そうした状況の中で、盲ろうという障害への配慮として、教育年限の延長が特別に認められた先天性盲ろう児が、大学進学を果たしたという事例があると述べているように、本研究の研究対象者は我が国で高等教育にいたることができた希少な事例であると言える。 参考:資料5-9:田畑真由美氏提出資料:文部科学省 https://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/chukyo/chukyo3/046/siryo/attach/1308862.htm (最終閲覧:2020.1.10) 第2節 研究方法 1.ライフヒストリーとは 本研究の方法を説明する前に、ライフヒストリーとは何か、ライフストーリーとの違いは何かから述べる。 ライフヒストリー及びライフストーリーは、個人の語り、あるいは語りに焦点をあてた研究である。これらは社会学の領域で発展し、心理学、教育学、人類学、歴史学などの様々な学問領域で広く用いられるようになった(亀﨑,2010)。しかしながら、ライフヒストリーとライフストーリーについては、明確な区別なく異なる用語として用いられたり、しばしば混同して用いられたりする。明確な区別を設けている場合にも、研究者によって両者を区別する視点は異なっており、呼び方の違いはあるものの、同じ研究方法であるという見方もある(亀﨑,2010)。 上記は桜井厚の議論を手がかりに亀﨑(2010)で述べられている内容であるが、桜井厚本人も含め、研究者によってライフヒストリーの見方が異なるということが実情である。亀﨑(2010)の定義に基づけば、ライフヒストリーは生活史と訳され、個人の語ったライフストーリーや、日記や手紙などの文書 資料を用いて個人の歴史を再構築したものとして捉えられる。 本研究では、研究対象者の人生を生活史または人生の物語の1 種として再構築した上で、当時の時代背景と関連づけて、一般論としての解釈を進めていくものである。すなわち研究対象者の人生における「何気ない」行動を理論的に解釈する中で、他の盲ろう者に於けるICT 活用の可能性を検証することを目標としている。 それには本研究で盲ろう成年におけるICT の活用による効果を明らかにするためには、研究対象者の人生と一般社会の時代的背景は切り離せない関係であると考えるからである。 ライフストーリーの場合は個人の人生、生活、生などについて語った口承の語りを指す。 すなわちライフヒストリー研究においては、(あくまでも)その一次資料として位置づけられている。 それには浅野(2004)が、「『語り』を研究者が歴史的・社会的文脈に位置づけて再構成し、個人の自己形成過程を社会変動に即して解釈的に描き出した『作品』がライフヒストリー」であり、「再構成される前の個人の『語り』そのもの」はライフストーリーであると説明している。 すなわち本研究の場合、研究対象者個人が語ったライフストーリーのみならず、本人による日記や手紙、さらには研究対象者にかかわる支援者による実践報告書などの多数の文書資料を用いて、研究対象者の生活史を作成することから、本研究の方法は広い意味でのライフヒストリーとして定義する。 2.ライフヒストリーを選択した理由 ライフストーリーとライフヒストリーの相違については、研究者により見方が異なることは前述した通りであるが、研究者らによる議論は続けられるものであると思われる。このような状況の中で、本研究でライフヒストリーを採用した最大の理由として、研究者と研究対象者があるゆえに、ライフストーリーとして見なされる「語り」だけでは、客観性担保という課題が生じてしまうということが挙げられる。「語り」の事実性を明らかにするためには、本人が過去に「記述」した日記や手紙に加え、周囲の支援者らによる記録もエビデンスとして必要であると考えられる。 幸いなことに本研究の研究対象者は、多くの研究に協力し、また我が国の盲ろう教育の事例の一つとして多くの実践事例と成果を残していることから、研究対象者とかかわった支援者、指導者、研究者らによる報告書や記録が多数存在している。さらにはメディアなどによる取材にも応じていることから、本人が執筆した投稿記事のみならず、取材者による記録も多数残されている。そのため、本人による日記や手紙の他、事実性を明らかにするための記述データとなり得るデータは、一般人には未公開の支援者によるメモや養育者と指導者による連絡帳を含め、数えきれないほど存在している。これらの記述データと本人による語りを照合させ、本人の生活史を再構築し一般的な考察を行うことで、本人による客観性事実を明らかにすることができると考えたことから、本研究においては広い意味で口述データと記述データの両方を用いるという点で、ライフヒストリー法が適当であると判断した。さらに、個人的要因だけでなく、周囲の盲ろう者の現状と視覚障害者の現状、さらには一般社会におけるICT の発達という周囲の環境と比較することで、当時の時代背景と本人の行動を関連づけることも可能であると考えている。 なお、本研究は本人に関する記録を整理するという意味でも、ライフヒストリー法は適当であると考えている。 第3節 研究対象者 1.本研究対象者A のプロフィール 本研究で事例研究を実施するに当たり、対象者であるA のこれまでの生育歴を文献で調査した。研究対象者A のプロフィールは以下の通りである。 ・生年月日:1991(平成3)年8 月生まれ 男児(現在28 歳) ・家族構成:小学部4 年生まで父,母,姉,A 児の4 名であったが,(盲学校)転校により母親との2 人暮らしとなった。 ・生育歴 :3~4 ヶ月検診で視覚の問題を指摘された。難聴発見2 歳3 ヶ月,補聴器装用開始2 歳5 ヶ月。 ・教育指導歴:2 歳8 ヶ月から難聴児通園施設に入学前まで週2 日通園。 聾学校に1~4 年まで在籍。5 年生当初に盲学校に転入。 中学部・高等部を経て、一般大学の社会福祉学科に入学。 ・視覚障害について:右0.01,左0.01 先天性。両網膜色素変性症,両黄斑変性症,視野狭窄あり。 中心暗点があり,ドーナツ状に視野が残っていると思われ、目の前に人や物があることはわかり,はっきりした色なら判別がつく(中学2 年時点) ・聴覚障害について:平均裸耳聴力 右99dB 左90dB(補聴器装用時60dB)先天性。 感音性難聴,ドアを強くノックする音やピアノの音,大きな声などには反応する。(中学2 年時点) ・コミュニケーション手段: 触指文字,触手話,指点字 2.日本語獲得の状況 A の言語(日本語)の獲得状況 A がICT を活用したコミュニケーションにいたるためには、意思疎通に必要な言語の獲得と情報の読解が必要になる。そこでパソコンによるメールの活用を始めるまでの過程において、A がどのように日本語を獲得したのかを、各教育機関の記録から整理する。それぞれの教育機関に入園・入学時のA の言語の状況は以下の通りである。 ①難聴幼児通園施設入園時(2 歳8 カ月) ・入園前は医療機関・訓練機関でのドリル的な訓練をうけていたものの、母親の「一人の子どもとしてトータルに見てほしい」という希望から、週2日の通園を開始。 ・(コミュニケーション)要求はクレーン法、身体を母に押し付ける方法で表現。 ・補聴器とともに眼鏡装用開始。 ・サイン・指文字を中心に、触覚・残存視覚・残存聴覚を活用した学習を開始。 ・“もう一回” “ちょうだい”のサインを自発的に表現(3 歳4 カ月) ②ろう学校(小学1 年)入学時 ・聴覚障害児が入学段階で獲得している言語は2,000~2,500 語程度と言われているが、Aは入学段階で、指文字・サイン合わせて150 語ほどであった。 ・聾学校の中でコミュニケーション手段としての触手話を獲得。 ・点字の読み書きについては入学当初は墨字の学習に挑戦したが、研究機関の専門家から「墨字で(見えにくいことで)ストレスをためるより、まずは情報を入れる方が先」との助言を受け入れ、学習効率の面から、小学1 年の秋から点字の学習を開始。 ・点字習得時にパソコン活用の検討を開始。パソコンを表すサインは入学前より獲得済み。 ③盲学校転入時(小学5 年) ※M.A 児の国語科の指導(『盲ろう教育研究紀要』の実践報告より)についてによれば、日本語力は以下のような状況であった。 ・入学前の日本語力について 「おへそって なあに」(小2 の教科書)の学習場面(小学4 年生 2 学期時)でのわからないことば おへそって(「って」がわからない) なあに(「なに」ならわかる) 知って(「知る」の説明に対して「汁」と解釈) とても 大切 あなた いました(「います」はわかる)語形の変化がわからない ・物語教材の難しさ 「お手紙」の学習時に「かえるが字を書けるのか」「かえるは何で字を書くのか」「かえるは点字が読めるのか」といった質問がでてくる。 ・転入当初の日記と点字でのやりとり(5/7)から G(県)に帰ったこと 3日は 新幹線に 乗って 帰りました。 4日は バーベキューを して いきました。 5日は 外で 遊びました。 6日は T(県)に 行きました。 外で いろいろな そうじを したり きれいに したり しました。 T『キャンプ場には、行かなかったのですか。』 M『そうです。 お父さんが 考えた 川には 風が ふったと 思ったので だめと 思ったので おばあちゃんの 家で かわりに しました。』 T『おばあちゃんの家で寝ましたか。』 M『ねません。本当は テントで ねたいと 思ったので 昨日は 新幹線が 満員ので 家で やりたいことが あるので かわりに 5日に やりましたので 家に 帰りました。』 ・転入当初の家庭科の実習記録(5/8)より パインに おさらに はいります。 バナナを きって おさらに はいります。 以上、日本語に触れる絶対量の不足等の中で、理解できる語彙が少なく、助詞の使い方や語尾変化等が習得されていないといった実態を踏まえて、中心的課題を「日本語の獲得」として、学習を開始した。 ※研究者補足 ・盲学校転入時より教育機関での学習とは別に、電子メールの使用を開始しているが、主に上記のような文章でのやりとりが中心であったと思われる。(当時のメールの記録なし) ・森(2016)はA 児が「夢」の概念理解をきっかけに、現実と空想(非現実)の違いなどのファンタジーを理解するようになり、小学部卒業時までには、「ハリーポッター」の原本に再挑戦し、空想の物語として想像力が膨らむ等の日本語の読解力にも変化がみられるようになった。 さらに、上記の日本語の状況には「かえるは何で字を書くのか」などといった非現実的要素における認知(理解)の状況として読み取ることも可能である。 3.対象者A のICT 活用の歴史 1997 年(6 歳) 家庭にパソコン導入 1999 年(8 歳) 視覚障害者情報センターによる訪問支援開始 点字ディスプレイの導入検討開始 2000 年(9 歳) パソコン(富士通・WIN98)と点字ディスプレイ(ALVA 社)導入 2002 年(11 歳) パソコンメール使用開始 ブレイルメモ(KGS 社・旧タイプ)使用開始 2005 年(14 歳) 携帯電話によるメール開始 2006 年(15 歳) ブレイルセンス導入検討開始(同時期にブレイルセンス発売開始) 2007 年(16 歳) ブレイルセンス(エクストラ社・初期タイプ)使用開始 2009 年(18 歳) ブレイルセンスプラス使用開始、SNS への入会 第4節 研究手続き 1.A についての文献調査(記録の収集を含む) 盲ろう児・者に関する文献調査を行うと同時に、A の生活に関する記録を次のように収集し、本研究の記述データとして利用した。 ①養育者と指導者間の連絡帳…通所施設(2 歳8 カ月―就学前)、ろう学校(小学1―4年)、盲学校(小学5-6 年)の各機関での連絡帳のうち、本人がICT(主にパソコン等)に触れていると見られる記述をエビデンスとして抽出した。 ②盲ろう者団体の会報等への投稿記事(本人記述)…全国盲ろう者協会が発行する会報「コミュニカ」33 号等には、本人により、ブレイルメモと携帯電話の活用について記述されている。 ③教育機関の指導者による報告書・論文等…通所施設・ろう学校・盲学校(小学部)・盲学校(中学部)の各担当指導者による実践報告には、本人の日本語獲得の状況、情報機器に関する指導記録(主に自立活動等)が記録されている。 ④全国盲ろう者協会における対象者に対する情報機器の提供に関する記録…初めて対象者にパソコンと点字ディスプレイを貸与した経緯として、「協会だより」10 号に記録されている。 ⑤ICT 活用における支援者数名による記録…当時本人のICT 活用支援に携わった支援者数名の手元にある支援記録を中心に収集した。(一部未公開のものも含む)。 ⑥研究報告書…A がICT に関する研究に協力した際の研究結果の報告書等報告書等を用いた。特に中学部時代の携帯電話の活用においては、厚生労働科学研究費補助金 感覚器障害研究事業「盲ろう者の自立と社会参加を推進するための機器開発・改良支援システムの構築ならびに中間支援者養成プログラム作成に関する研究」に協力している点は、重要な基礎情報となった。 ⑦対象者が取り上げられたテレビ、新聞、雑誌…多数あるが、対象者の中学時代のICT 活用とICT を活用したコミュニケーションの成果について、ASAHI パソコンの「先天的盲聾児の言葉の獲得にパソコン・IT が果たす役割」に詳しくまとめられている。 以上のようなデータを収集したが、詳細については第4 章及び文末の参考文献リストにて紹介する。 2.関係者への確認とアドバイス 本研究を実施するに当たり、データの漏れがないよう、当時A とかかわっていた指導者や支援者にA に関するデータの有無を確認した。また、本研究の計画書を示した上で、ライフヒストリーのトピックに関する内容などの助言を受けた。 研究指導教員のみならず、定期的にA の小学部を担当した指導者及びA の高等部を担当した指導者とのミーティングを持ち、より質の高い事例研究を目指した。 <手続き> ・データの収集においては、電子メール等を用いて、該当する支援者や指導者に本研究の計画書を示した上で、データの有無とデータの提供を依頼した。 ・ミーティングや面接調査においては、事前に研究計画書を含めた必用な資料を電子メールで送付した後、該当者の職場等において面接を行った。 3.A の語りによる記録 ライフヒストリーを実施するに当たり、次のような手続きによって、対象者の生活史を再構築した。 <手続き> ①1 のA に関する文献調査にて得られた記述データを対象者が一読し、語るべき内容をイメージした。また研究者として、「パソコンによる文章の練習」や「メールを始めている」などの語る際のヒントとなるキーワードを選出し、語りの材料とした。 ②事前準備として、対象者が語るためのトピックを以下のように設定した。記述データと対象者の指導者からの助言を照合させた結果、A が使用した機器やソフト別に、8 つのトピックが完成した。 カテゴリー1:パソコン 1.点字ディスプレイとの出会い(小4 まで)…絵を書くことを通じてパソコンの存在を知り、点字ディスプレイの導入をきっかけに、文章練習が始まる段階。 2.メール活用の背景(小5―)…盲学校転校をきっかけに別居になった家族との連絡手段として、家族の操作補助の元メールを活用するようになる段階。 3.インターネット活用への発展(中1―)…パソコンでの使用ソフトがメールからインターネットに広がり、インターネットに様々な情報が存在していることを知る段階。 4.学校での取り組み(パソコンへの挑戦)(中2―3)…授業の一環として、家族の手を借りない方法でのパソコンの操作を学ぶ段階 カテゴリー2:ブレイルメモ 5.ブレイルメモとの出会い(小5―)…授業内などで試験的にブレイルメモ(電子手帳に相当する機器)を導入し、使い方の指導を受ける段階。 6.携帯電話とブレイルメモの活用(中2―)…ブレイルメモと携帯電話を接続し、メールのやりとりをするようになり、寄宿舎でも自由にメールができるようになる段階。 カテゴリー3:ブレイルセンス 7.ブレイルセンスとの出会い(高1―)…パソコンと同等の機能を持つブレイルセンスを手に入れ、自力でメールだけでなくインターネットにも順応するようになる段階。 8.SNS への広がり(高3―)…自らmixi などのSNS の世界に挑戦し、コミュニケーションが拡大されるだけでなく、一般社会のマナーなどを学ぶようになる段階。 ※ただし、あくまで一つ機器やソフトに対して1 トピックであるため、後述する共同解釈を実施するに当たり、「小学部時代」、「中学部時代」「高等部時代」の3 分野にカテゴリーを再設定するなど、語り手のみならず、共同解釈の協力者も語りやすいよう配慮した。 ③設定されたトピックに対して、対象者が自由に語った。インタビューを実施するにあたり、本人の意向により、独力でのパソコンへの入力による回答を実施した。これは本人が盲ろう者であり、通常の面接調査では手話等による通訳を必要とすることへの配慮であった。すなわち、音声による録音は省略され、パソコンに入力されたデータを面接調査の記録として用いた。ただし、本研究においては、ライフヒストリー(桜井,1995)に基づいて、該当する文字は「語り」、文字入力者(研究対象者)は「語り手」と表記する。 ④客観性に配慮し、事実性を明らかにするため、トピック別に①の記述データと③の語りを照合させる作業を行った。また、語りに対して不足するデータが生じた場合、必要に応じて記述データの追加収集を行った。さらに、前述した記述データが得られない場合は、該当する部分について支援者に聞き取り(面接調査または電子メールを用いたインタビュー)を実施した。 ⑤語りと記述データの照合が完了した時点で、語りと記述データに対して、研究者が「対象者と社会的背景との関係」及び「ICT を活用したことによる成果」に関しての分析作業を行った。また、対象者という視点で、分析結果に対してのコメントや語りの追加を盛り込むようにした。 4.関係者との共同解釈(語り合い) 「一般的な社会背景との関連性及び盲ろう児・者自立」について、「盲ろう者へのICT 活用の可能性」という視点で共同解釈を行う。 <手続き> (1)対象者 共同解釈においては、①対象者の中等教育までの指導にあたった者2 名、②対象者の友人として対象者の盲学校転入時からの支援に当たった者1 名の2 段階で実施した。 ①は対象者の盲学校小学部時代の指導を担当したH 先生、同校高等部の指導を担当したR先生を選出した。 ②は盲学校転入時より対象者のコミュニケーション及び情報提供支援に当たり、盲ろう者のみならず視覚障害者に関する知識を持つI 氏をインタビュー対象者として選出した。 (2)共同解釈の項目 主な共同解釈項目としては下記の通りで、主に教育、福祉、該当機器の研究及び開発という視点での考察を中心とした。 ①共同解釈者から見た支援・指導当時の社会(主に健常者)におけるICT の活用と普及状況⇒対象者のICT 活用における背景と第3 章で述べた時代的背景との比較検討を行うための必用な材料。 ②他の盲ろう者や障害者とのICT 活用状況における比較(主に背景)⇒対象者のICT 活用状況を明らかにするため、対象者と同年代の盲ろう者や障害者のICT 活用の状況を収集した。 ③ICT を活用した自立への可能性とその成果⇒指導者(支援者)の視点での対象者へのICT導入の経緯とそれに対する期待、実際の成果について収集した。 ④今後の盲ろう者におけるICT 活用への課題⇒対象者の成果を通して感じている盲ろう者のICT 活用に見られる可能性と期待について収集した。 6.追加調査 共同解釈を実施した際、ライフヒストリーのトピック1 について、初期段階として、当初からパソコンの指導に当たった支援者への調査が必要になったため、該当支援者に電子メールにて、追加調査を実施した。 7.分析と考察(記述データと口述データの照合) ライフヒストリーの語りによる口述データに基づいて、記述データとの照合作業を行い、ライフヒストリー(生活史)を再構築した。次に、ライフヒストリーと共同解釈で得たデータとの照合を行う中で、目的に応じた分析作業を行った。これらを完了させた時点で、総合的な考察を行った。 本研究の実施にあたっては、筑波技術大学研究倫理審査委員会の審査を受け承認を得た(平成30 年12 月)。 第4章 ライフヒストリー 第1節 パソコンの活用に至るまで トピック1 点字ディスプレイとの出会い 1-1.パソコンとの最初の出会い 卒業論文(森,2016)執筆中にA に関する記録を見つけるべく、「ASAHI パソコン」などのいくつものメディアや、本人、養育者、担当指導者自身が記録したものを用いた。その中で、A が比較的早期段階からICT を活用していることが明らかになったことは、前章までに述べた通りである。その中でも、ライフヒストリーのスタート地点として注目したのは、養育者と、当時A が通園していた難聴幼児通園施設の指導者による連絡帳の以下の記述である。 『パソコンがきた。はじめ何やら怖がっていたA も、今はみんなが集まって操作したり、話をしたりしている、仲間に入るのがうれしいみたい。台所にいた私に〈「お姉ちゃん、パソコン(クリックを動かすしぐさ)」と〉やってきた。すぐパソコンの事だと分かったので「お姉ちゃん、パソコン」とやって返す。パソコンのサインが決まった。みんなでパソコン、パソコンとやる。』(平成9 年7 月31 日(木)) 上記は、A が幼少期に初めて、パソコンというものに触れた出来事である。 前述したASAHI パソコンの記事には、中学時代を過ごしたA におけるICT の役割として、メールやインターネットでの情報入手の拡大について考察されているが、上記の記録と比較すれば、約6 歳から12 歳までの6 年の間に、ICT 活用による変化があったのではない かと推測される。ASAHI パソコンの記事にはインターネットがA のコミュニケーション力向上に大きく寄与していると記述されているが、それまでにAにはどのような背景があり、どのような支援がなされたのであろうか。またA はどのようにパソコンの活用を受け入れたのであろうか。(ASAHI パソコンについての詳細は後述する。) A:『比較的早い段階から家にパソコンがあったので(家族のために)、ICT 機器としてのパソコンというものの名前は知っていたし、実物も触っていた。ただ、パソコンで何ができるかまでは知らなかった。でも、パソコンの画面が変わること(明るさやはっきりした色なら見える)や点字が動くことが面白くて、勝手にキーボードを(適当に)操作したりして遊んでいた。』 上記の語りは、点字ディスプレイが導入された後の様子について語られているものであり、A 自身がパソコンというものの概念を理解したきっかけの出来事である。このことから、比較的早い段階に家にパソコンが導入されていたことが窺える。 <考察> A が、初めてパソコンというものに触れたのは、幼少時代に家族が使用するために、家にパソコンが入ったことがきっかけであった。このことをきっかけに、A 自身は少なくともパソコンは画面が変化する物であると理解し始めるようになったと言える。視覚障害がありながら、パソコンの画面の変化に気がついた理由は、プロフィールや生育歴によれば、A の残存視力によるものであったと考えられる。実際、A は次のようにコメントしている。 コメント 『上記の連絡帳に「クリックを動かすしぐさ」が記述されているが、これは「マウスというもの」を動かす動作のことである。その動作が最初のパソコンのサインだったことを覚えている。もし、パソコンというものに触れたことがなければ、マウスを動かせれば画面が変わることすら知らないでいたと思う。』 すなわち、A はパソコン本体に触っただけでなく、家族が行っている動作(マウスを動かしている様子など)を「直に」触ったことで、少なくとも「パソコンという何か不思議な機械がある」ということを知ったのであろう。これらをパソコンの出会いのスタート地点(Aの6 歳頃に相当)として考え、おおむね18 歳までの12 年にどのような発展と成果があったのかを検証することとする。 1-2.前提情報として(A のパソコンに関する支援の経歴) パソコン周辺の支援機器としての点字ディスプレイと出会う以前に、A はパソコンと出会っているが、そこから点字ディスプレイと出会うまでの背景について調査するべく、A が関わっていたであろう、盲ろう者支援団体などに、A の支援に関する記録の有無について問い合わせを行いながら、A に当時の点字ディスプレイとの出会いまでの過程を語っていただくこととした。 1-3.パソコンで遊ぶようになる段階 A は、パソコンと初めて出会ったときの語りの中で、「勝手にキーボードを(適当に)操作したりして遊んでいた。」とある。この「勝手に遊ぶ」という行動は、どのような行動を意味するものであったのであろうか。また、仮にA 自身が「勝手に遊んでいた」のであれば、家族によっては、子供に一切パソコンを触らせないという選択肢もあったのではなかろうか。なぜ、A は「勝手に遊ぶこと」ができたのか、実際に「勝手に遊ぶ(遊ばせる)」ということには、どのような意味があったのか、A の養育者が書いたろう学校の連絡帳には次のような記述が見られる。 『お父さんとA の部屋がいっしょです。最近、パソコンもかってにさわるし、自由に使っています。夕食後、2階にあがっていったA。何やらお父さんに叱られて泣いておりてきました。“お父さん、おこった・・・”あまり叱られる事ないので、とても悲しそうでした。 なんだかコピー用紙をいっぱい使おうとしてたので怒ったそうですが、最近そうやって泣くことが多くなったような気がします。ちゃんと意味が分かって、悔しいような悲しいような感情なのでしょうね。そしてちゃんと私のところへやってきて”おこった・・・”なんて報告してくるところは、ちょっとちゃっかりしてる気もするけど、なんだか嬉しいです。』 (1 年生時 10 月27 日の記述の一部) 上記の連絡帳からは、「自由」という単語があり、A の家族はA に行動の制限を行わず、「自由」にさせていたことが窺える。 <考察> A 自身が「勝手に遊ぶこと」が できた要因として、A の家族はA 自身の行動の制限を行っていないことは、以上の記述から窺える。この記述から、コピー用紙がもったいないという父から注意程度の制限はあるが、A の家族はA 自身の自発的行動を注視しつつ、拡がりを期待しながらA 自身が「勝手に遊ぶこと」が、容易にできる環境を意識的に提供していたと推察できる。 また、幼児期の通園施設での「遊びから物事を学ぶ」・「興味を示すものは見逃さない」といった点を重視するというA に対する教育方針が引き継がれており、まだまだ「遊び」から社会を徐々に理解させる段階であり、小学部1 年として通学はしつつも、健常児と同様の学習をする段階ではなかったといえる。当時のAの生活環境と障害レベルを考えれば、意図せずとも入手できる情報があふれていたにも関わらず、極端な情報不足の状態でありながら、手の届く範囲での「遊び」から言語の獲得、その後の学習に繋がっていった事は、A に対する実践記録(盲ろう研究紀要第5 巻7 巻 重度重複障害児の事例研究第24 集)からも窺える。 1-4.点字の学習のスタート 前提の情報として述べた第1 の課題であるA が、パソコンを使用するための言語(書記的言語)の習得は、「勝手にパソコンで遊ぶ段階」とほぼ同時期に点字の習得に向けた準備が開始されている。当時のA 児のコミュニケーションの習得状況について、卒業論文執筆時における、ろう学校のI 先生へのインタビューによって以下のように明らかにされている。 『読み書きについて1年生の1学期は墨字の読み書きを練習しました。ですが、学習効率が悪く、切り替えが必要だと思いました。同じ1年生の担当として組んでいた担任のY 先生と、副担任のO 先生と相談をして、点字への切り替えを決めました。それからは、盲学校の先生に頼んで、点字の初期学習の指導の仕方を教えてもらったり、視覚障がいによる情報不足を補う教材や教具を見せてもらったりしました。1 年生の10 月にパーキンスブレイラーを聾学校で購入してもらうことができ、初めはめちゃくちゃ打って遊んだり、私が打っているのを触らせたり、打ったらすぐ読んで指文字に変えたりして、とにかく遊びながら、パーキンスに馴染むようにしました。めちゃくちゃに打って、指文字に置き換えると当然めちゃくちゃな言葉になるので、いつも二人で笑い転げていました。そうして馴染んでいく中で、指文字と点字が少しずつ一致するようになり、2年生の4月にはようやくA が自力で自分の下の名前だけを打つことできるようになりました。盲学校ではパーキンスは使っていなかったので、パーキンスに馴染むように取り組んだ内容は、私個人の発案、実践でした。 やがて、点字と指文字が結びつくようになってきたので、実体験を文字に置き換えていくことを始めました。まず、5 時間目の国語の時間に、午前中の学習を振り返りながら日記を書くようにしました。午前中の学習や生活を振り返ることにした理由は、A と一緒に私が生活していたので、実体験を文字に置き換えやすかったからです。家庭でも日記を書いてきてもらうようにして、次の日の1時間目に日記の添削をしていました。それから、廊下の掲示物の場所にパーキンスを持って行き、廊下にしゃがんで掲示物の内容をパーキンスで打って、A に伝えたりしていました。廊下に掲示物があるということ、他の児童はその掲示物を読んで何らかの情報を得ていることをA にも知らせたかったからです。』 以上のインタビューからは、A がろう学校入学時に墨字(普通文字)を学習しようとしたが、学習の効率性を考慮し、1 年生の10 月に点字に切り替え、2 年の4 月にはA 自身が点字を文字言語として認識するようになったことが窺える。 A は、点字を文字として認識してから、すぐに点字ディスプレイと出会い、パソコンでの読み書きができるようになったが、出会う前の不便さがなかったかの問いに対し、A は次のように語っている。 A:『それはなかったね。むしろ当時はパソコンでメールなどができることは知らなかったから、メールをしようとかまったく考えてなかった。自分にとってはたまたま家にパソコンや点字ディスプレイが入ってきたという感じだった。』 A は『メールができることを知っていて」、パソコンに出会っているわけではない。「Aが目的を持ってパソコンの活用にいたったわけではなく、…」と述べたが、A が「メールをするために」パソコンに出会っているわけではないということも「メールをしようとかまったく考えてなかった。」』という語りから読み取れる。 <考察> 上記の記述と前述した年表(1-11.の課題2)、さらにはA の生育歴を照らし合わせてみると、点字で名前を書けるようになった2 年の4 月は、1999 年4 月であると推測される。 パーキンスブレイラーの導入から、A が点字を文字として認識するまでの期間は約半年であるが、上記の記述には、パーキンスブレイラーの活用について、『初めはめちゃくちゃ打って遊んだり、私が打っているのを触らせたり、打ったらすぐ読んで指文字に変えたりして、とにかく遊びながら、パーキンスに馴染むようにしました。』とあり、その理由について、I 先生は『盲学校ではパーキンスは使っていなかったので、パーキンスに馴染むように取り組んだ内容は、私個人の発案、実践でした。』と述べている。同時期に前述した「勝手にパソコンで遊ぶ」という行動があったことを考えれば、A の小学1 年(1998 年)という期間は、このような「自由遊び」を通して、パソコンを使うために必要な感覚と知識を学ぼうとする段階であったことが窺える。 パソコンを使うために必要な感覚と知識とは、「パソコンという道具の概念」のことである。パーキンスブレイラーにおいても同様に、遊びながら馴染むことで、点字という文字が存在することを認識するようになった。これら二つの「経験」による感覚と知識が重なることで、その後のパソコンの活用の本格化につながったと考えることができる。実際にA の語りから、A は「メールをしよう」などと目標を立てて、パソコン利用に取り組んでいるわけではく、「たまたまパソコンと(後から導入された)点字ディスプレイが身近にあったから」というA の周囲の環境的背景が、「最初の遊び」を可能にしたと言える。 近年、全国各地で盲ろう者向けのパソコン利用研修会が行われており、「メールができるようになること」、「インターネットができるようになること」等、様々な目標を立てて、パソコン利用を始めていると考える。本人のみならず、本人の家族や支援者も同じように、目標を持って、パソコン利用に向けた指導や支援を行うことは想像できる。 研究者も度々、盲ろう者から「メールができるようになりたいが、どのような機器をどこで購入すればよいのか?」という相談を受けることがある。しかしながら、彼らはパソコンという新しい環境に馴染みがないために、本来の目的を達成するまでに時間を要している場合が多い。そのような状況下で、A は見えにくい・聞こえにくいという環境でありながら、自然に家族の日常に触れ、その中でパソコンというものに出会っていることは明らかであろう。この「家族の日常生活に触れる」という重要さについては、共同解釈の中で議論することとするが、健常児の場合、日ごろから見たり聞いたりする中で家族の行動を知るようになるが、盲ろう児は、見聞きできないことから、「触れる」機会がなければ、家族の行動(日常生活)を自然に知ることは困難であり、家族や支援者が意図的に「自由に触らせる」、「遊びながら馴染ませる」という取り組みを行うということは評価すべき点であろう。 点字ディスプレイと出会ったのは2000 年であると考えるなら、A が点字で名前を書けるようになる出来事からパソコンの活用までの期間は約1 年間と、非常に短いことが窺える。 その1 年間にどのような取り組みがあったのであろうか。 1-5.お絵描きを楽しむ段階 A は、点字を習得し、自分の名前を書けるようになった後、パソコンを用いて「絵を描く」ことを実践している。 A:『ろう学校等では先生や家族の補助の元、パソコンで絵を書いたりしていたので(点字ディスプレイはなかった)、「パソコンで絵を書いたり画面の色を変えたりできる」ことぐらいは知っていたと思う。』 上記の語りから、ろう学校でのパソコン教育として、いわゆる「お絵描き」の取り組みが行われていたことが窺える。学校でのパソコンの取り組みについて、連絡帳には次のような記述がみられる。 『一時間目はパソコンに挑戦。白黒のみにしたり字の大きさやフォントを使ってみました。 「A」とか見慣れたものはわかって教えてくれました。タッチパネルで絵にも挑戦しました。色が広がっていったり、線が書けることは少しわかってくれたかな。』(10 月16 日の記述の一部) 『学校にあるタッチパネルを使って、まずは”お絵描き”から始めようと思います。ずっと憧れていると担当の人も思っていて、新しいものを購入するかどうか、いろいろと希望しつつも、予算の関係とかあって・・・やっと!という感じです。春の合宿の時のキッドピクスも学校に箱だけありました。引っ越しのごたごたが片付いていないのか、一体中身はどこに・・・?探してもらったのですが、見当たりません・・・。お絵描きの次が、ピンディスプレイを使って文章を読むというのはステップアップしすぎかも?と思い、どういうステップがいいかなぁ?と思考中です。Y に聞いてみようと思ったのですが応答なし・・・。 掲示板には出てくるのに!ピンディスのカタログとかパンフレットとかってお持ちですか?もしあれば一度見せてください。無ければ、T さんに直接頼みたいのでお願いします。』(10 月28 日の記述の一部) 『タッチパネル、ピンディスの件、Y は、たぶん今E ちゃんが受けてる研修で忙しい?かな?パソコン関係はパパに尋ねたところ、それこそ盲学校にすごいのがあった!なんて言ってましたが、たずねるところは、協会もあるし、ネットでも調べられるし、なんて言ってました。(すみません、わたし詳しくないので・・・)情報はいくらでも集めます。でも、それこそ学校のことですから先生にお任せします。T さんとも時々ですがメールのやりとりをしています。先生もしていますか?ただ、今G にいないのでどうかな・・・?』『E ちゃんの研修はいつまででしょうか?いろいろY さんに聞きたいので・・・。協会やネットでも情報を得られるとの事ですが、タッチパネルでお絵描きをする次のステップとして何があるか、お父さんにもアドバイスをいただけるといいなぁーと思っています。将来、ピンディスプレイを使ってパソコン操作ができるようにしたいと思っているので・・・。』(10 月30 日の記述の一部) 『研修の時、F さんに「教育部の助教授ですよね?」なんておどし?て、A のお願いもしてきました。F さん、U さん、B、H のQ さんなど、盲ろうの大人の方のメールの会もあるそうです。侵入しても良いのでは?と思います。また、S 君のお母さんとも今回お話ができ、小2 の時点でそれだけの文理解はしていなかった。なんていう事もお聞きしました。うーん、でも今メール、ひらがなオンリーですが、やりとりしているみたいです。至ってしまうルートは様々作ってきましたが、そこに至るまでですよね。A の場合は・・・・うーん?!』(10 月31 日の記述の一部) 『T さんにパソコン関係の質問をしたら返事がきました。視覚のサポートはやはり音声フィードバックが中心のようですね。パソコンの音声を直接補聴器に届ける補助具はあるのですが、聞き分けが課題になりますね。「おはよう」「ばいばい」「A」のほかに、声だ けでわかると断言できる言葉がありますか?あれば教えてください。』(11 月1 日の記述の一部) 『今日は、国語と算数、ゆとりの内容で、国語はF と、算数はF先生とパソコンの勉強をしました。』(11 月5 日の記述の一部) 『学校にタッチモニターが登場!タッチパネルにより扱いやすいようです。また、いろいろやってみようと思います。なかなかかなわなかったけど、お願いし続けてよかったです。』(11 月8 日の記述の一部) 『タッチパネルでお絵描きをしました。とても喜んでやっていたのですが、目に影響はないのでしょうか?今頃聞くなど遅い!のですが、喜んでやっているので(どれだけでもやってしまうので)時間はこれ以上は目に良くないとか、そういうことはありませんか?それと部屋を暗くしてやってもかまわないのでしょうか?一応暗くしてできるように黒のブラインドあるのですが、どうでしょうか?』(11 月10 日の記述の一部) 『テレビは、目の刺激になってよいと聞いたことがあります。ただ、時間は聞いたことがありません。でも、普通の視力とは目的が違うので(刺激という点で)学校で見るくらいの時間は構わないと思います。また、暗い方が見やすいと思います(一応、本人に聞いてみてください)』(11 月10 日の記述の一部) 『今日の養訓はスーパーキッド95という絵をかくソフトを使って絵をかきました。ペンの先を太くし(画面では幅1cmくらいになります)、くだものやA 君の顔、車などを描きました。顔と車はプリントアウトしておきましたので見てあげてください。』(11 月16日の記述の一部) 『パソコンで描いたものをプリントアウトして立体コピーをするとよいと少し前にT さんからアドバイスをいただいたのですが、実はインクがもうあまりなくて次補充するインクがないという情けない状況で、今までプリントアウトしてませんでした。でも、昨日とても喜んでいたようですね。またインクは補充できると思いますので、プリントアウトした方がいいかな?』(11 月17 日の記述の一部)『最近、養訓でパソコンで絵をかいていて、色や形をよく気にするようになりました。「○○の色は何?」「○○の裏(皮)の色は?」とか・・・。「車の窓は全部で(例えば)6 だけど、向こう側の窓はこちら側の横からみるとみえないんだよ。」何回かこの話をしているのですが、いつも車の絵は見えないはずの窓やタイヤも描いています。触図には、見えない部分は描いてないですもんねー。一つ一つという感じです。』(2 月17 日の記述の一部)『養訓で、いろいろな絵を描いている時、形や色など「えっ!?」と驚くことがあります。 そうかー、そう思っていたのかと、今のいろいろな話題提供も本人は学校で読むときは何だがハイテンションで読んでいろいろ聞いてきますが、引き出しの中にとにかく入れていて、きっと勘違いをしているようなこともあるんじゃないかとちょっと心配もしているのですが・・・まぁいっかーなんて(笑)』(3 月2 日の記述の一部) 「お絵描き」の実践の開始時期は定かでないが、小学2 年(1999 年)の4 月から始まった点字の習得と、ほぼ同時期にパソコンを活用したお絵描きの取り組みが行われていたことが推測される。また、「ピンディスプレイ」という単語がたびたび登場するように、点字ディスプレイの活用へのステップとしての意味合いもあったことが窺える。 <考察> パソコンでのいわゆる「お絵描き」の実践について、上記の記述と、前述した点字の習得状況の記述を照らし合わせると、パソコンの活用は、絵本の活用と墨字の学習から来ていると推察することができる。すなわち、当時はA もA とかかわっていた家族や指導者も、Aの残存視力を活用した学習を進めるか、情報入手を優先した点字学習を進めるかを見極める段階であったと考えられる。このような「見極め」の時期の中での、パソコンとの出会いは、A の家族や指導者にとっても、効果的な判断材料であったと推測される。さらに、A 自身も、このような「お絵描き」の取り組みと経験が、A 自身のパソコンという物の概念の理解を可能にした要因であると考えられる。 1-6.点字ディスプレイとの出会いまで A は、以上のような過程を経て、点字ディスプレイと出会っていることが明らかにされた。A は、パソコンと出会ってからこれまでの間の出来事について次のように語っている。 A:『当時動いているパソコンに興味があったから、それが楽しくて…。A センターの人が指導に来てくれたけど、それも何となく受け入れられたように思う。でも、当時はパソコンで何ができるのかわかっていなかったけど、メールを書くようになった頃(後述)は、多くの盲ろう児のようにパソコンは何かということを理解するのにあまり苦労はしなかったと思う。多分パソコンでいろいろ遊んでいたから、パソコンの基本的な仕組みはわかっていたし、「パソコンは文字を書くための道具」ということぐらいは理解していたと思う。だからスムーズにメールのやりとりという文化が身についたと思う。』 上記の語りは、点字ディスプレイと出会う前後の段階での様子であり、メールをスムーズに受け入れることができたことを、A 自身も感じていると言える。 <考察> 上記の語りから、「何ができるかはわからないが、動いているパソコンに興味はあった」と要約することができ、このことからA は「子供心から」パソコンに興味を持っていたと考えられる。このようにA がパソコンに興味を持つということを可能にした背景には、家族や支援者が「行動の制限をしないこと」、A がパソコンを使うことを目標に、「絵を書く」などの実践をしていることが、上記の連絡帳から窺え、パソコンとの「自然なふれあい」を通した取り組みが、A のパソコンという概念の理解につながったと考える。 すなわち、A が日常生活の中で、自然にパソコンに触れたことは、支援者や家族にとって、A の興味・関心を知る材料でもあったと言える。 1-7.点字ディスプレイの導入(背景) 前項までA がパソコンと出会い、点字ディスプレイとの出会いにいたるまでの過程について触れながら、A がパソコンという概念を理解した経緯を明らかにした。ここでは、A が点字ディスプレイに出会った経緯を調べるために、全国盲ろう者友の会を管轄する全国盲ろう者協会を訪ねた。偶然にも、当時A が住んでいた県の盲ろう者友の会の設立に携わり、現在、協会の職員として働いているI 氏がいることから、I 氏を指名し、A のICT 活用に関わる記録がないのかを聞いた結果、以下の記録が提供された。 『平成11 年度事業報告の概要 10. 障害者情報ネットワーク端末機器等整備事業 厚生省の委託事業のうち、 平成11 年度補正予算により標記事業を追加実施しました。その内容は、次のとおりです。 ① 研修用機材整備事業 ア.研修用機材:点字タイプライター(ブリスタ・パーキンス) イ. 貸与先 :各盲ろう者友の会・準備会 、 ② 盲ろう者用情報提供基盤整備事業 ア. 情報提供・入手用機器:点字ディスプレー及びパソコン本体・周辺機器一式 イ.貸与先:各盲ろう者友の会・準備会』 (2000 年の「協会だより」10 号) なお、使用機種についても定かではないものの、全国盲ろう者協会I 氏より、「点字ディスプレイはALVA 社、パソコンは富士通です。OS は、時期的にWin98 と思われます。」との情報を得ることができた。 上記の記録からA は、貸与先である盲ろう者友の会の機材を使用したことが、点字ディスプレイとの出会いであるとみられるが、A が所属していた盲ろう者友の会には記録が残されていないことから、貸与先がどのようにA に機材を提供したかという分析は割愛することとする。しかしながら、幸いにもA やA の家族は盲ろう者友の会とのつながりがあったことは、前項までの養育者による連絡帳からも窺える。連絡帳には「友の会」「協会」という記述があるが、これらはすべて「盲ろう者友の会」、「盲ろう者協会」のことであると思われる。 点字ディスプレイを受け取ったA は、当時の気持ちについて次のように語っている。 A:『パソコンに点字ディスプレイがついていることを知ったのは、ろう学校にいたときだった。小学2 年か3 年のときだったと思う。盲ろう者友の会(以下友の会)が他に使う人がいないからとパソコンと点字ディスプレイを貸してくれたらしいけど、自分にとっては特にパソコンが必要だとか考えたことはなかったね。いつの間にかパソコンが必要な存在になっていた感じかな。A(視覚障害者生活情報センター)の人が訪問支援でパソコンの設定などをしてくれたけど、その頃は将来役立つとはまったく思わなかったね。』 語りの中で「友の会が(中略)貸してくれたらしい」とあることから、盲ろう者友の会が「② 盲ろう者用情報提供基盤整備事業」の一環として、無償にて、利用者に点字ディスプレイ一式を貸与したものであるということが推察できる。実際、A の家族とろう学校の担当教員との連絡帳(以下、連絡帳と表記する)には次のような記述が見られる。 『ピンディスも3 月末頃には入る予定と協会から連絡がありました。パソコン、ピンディス、点字プリンター、墨字プリンター、一式とパーキンス2 台、ブリスター10 台、友の会へですが、思わず「えっ!パーキンス2 台も??」なんて自分がもらえるかごとく驚いてしまい・・・あの市とけんかしたのはいったい!?と。でも、いろんな方のいろんな動きがあったから、とりあえずそこまでいったんだなぁと思っています。』(2 年生時の2 月21 日の記述の一部) ※協会:全国盲ろう者協会、友の会:各都道府県の盲ろう者友の会 ※上記の記述は2000 年に相当するものである。 <考察> 上記のような入手ルートが存在したことは、ある意味「偶然」であるが、これまで「お絵描き」や点字の習得というステップを踏んだA に対して、パソコンの新たな利用による見通しが期待できると判断されたことも点字ディスプレイの貸与(入手)の要因であった可能性が考えられる。また語りの中に『他に使う人がいないからと…』とあるように、県内に点字を使用する盲ろう者が非常に少ないことも、A への無償貸出を可能にした要因であると考えられる。実際当時の様子について、A 自身が次のようにコメントしている。 A:『私が知る範囲では、県内に点字を使用できる盲ろう者は当時いなかったかも知れない。だから友の会の中でも、私のこれからの成長に対する期待は大きかったと思う。』 以上のコメントのように、盲ろう者友の会もA に対するICT 活用によるコミュニケーションの発展への期待があったと考えられる。 1-8.点字ディスプレイとの出会いの当初 【パソコンという概念の理解】 A:『まだそのときは意識してなかった気がする。でもさっき「パソコンは文字を書くための道具」と言ったけれど、絵を書いたり画面に色をつけたりして遊んでいるうちに、「パソコンで打った文字は点字ディスプレイに点字として表示される」ことを理解するようになった気がする。実は友の会の備品には点字のプリンターもついていたので、パソコンで書いたものを印刷してもらったりもしていた。パソコン操作はほとんど家族や当時の支援者がしていたけど。』 A:『でもタイプライターのように文字(点字)を書いたり読んだりできるとわかったときは、うれしかったかも知れない。』 これまでの経験については、前述した通りであるが、「遊び」の経験があったことは上記の語りから窺える。 <考察> 上記の語りの中にも「遊び」という言葉があるように、遊びを通して、いろいろなことを経験する中で、A はパソコンがどういう機械であるのかを理解したことが推測される。すなわち、単にパソコンを「触らせる」という動作だけでなく、「経験をさせる」という点は特筆すべき点であろう。このような経験から、パソコンは「点字タイプライター」と同じような仕組みで、文字を書ける道具であることを理解したことが窺える。 【パソコンによるコミュニケーション(チャット)の経験を通して】 A はパソコンを触ることで、パソコンという物、また点字ディスプレイという物を知るようになり、実際に点字ディスプレイを活用するようになるが、パソコンをコミュニケーションツールとして活用する中で、どのような経験を得たのであろうか。当時の点字ディスプレイの活用について、A センターのT 氏は次のように回答している。 ①A にパソコンを使わせようと思った理由は何ですか? 『白杖での操作や理解、点字の習得の経過を見ていく中での成長の具合が新しいものに順応できると考えました。さらにタイミングよくPC機器等が配分されたことから、専用のPCでいつでも触れる環境を作り出すことで、PCの習得は可能であると判断しました。』 ②どのような方針(または思い)でパソコンの支援・指導をしましたか? 『触手話での会話から国語力を付けること、パソコンの基本を理解してもらいました。点字での文章読み、およびメールのやり取りによって語彙を吸収してもらい、言語力を上げることが主目的でした。』 ③A のパソコン活用の様子や表情等は、A が語られた通りでしたか?(記憶の違い、気づいたこと、その他思い出したこと等ありましたら、教えてください) 『点字ディスプレイに触れているときは、点字という文字であることはわかっていたと思うが、実際触手話の語彙と国語的な文章が結びついていない様子で、不思議、あるいはわからない表情であった記憶があります。しかし、点字ディスプレイからは指は離さず、ずっと読み取ろうとしていたことが印象的でした。』 上記の回答から、点字の習得と同時に、パソコンの基本を学習する段階であったと言える。 A:『ろう学校や自宅で点字を学び、パソコンで文字(6 点入力方式)を打てるようになってからは、家族とのチャットにパソコンを使用したりしていた。特に父との会話はパソコンを使うようになってからはとてもスムーズにできるようになった記憶がある。 確か小学4 年ぐらいのときだったと思う。』 A:『それまではつたない指文字でコミュニケーションするしか方法がなかったから、地名や人名などの難しい名前はなかなか伝えあうことができなかった。それがパソコンを使うことで、獲得する語句が増えて行くことになった。』 A: 『やっぱりタイプライターのように文字を書けること、チャットがスムーズにできることは楽しいことであったと思う。』 上記の語りから6 点入力(点字入力)システムを導入し、点字タイプライターと同様にパソコンでも点字を用いた文章の読み書きを行っていたことが窺える。 <考察> 上記の語りから、点字の習得と同時に点字ディスプレイや6 点入力ソフトを活用したパソコンでの文章の読み書きを行っていることが窺える。A は、このような形でのパソコンの活用を経験することで、「パソコンを使えばコミュニケーションができる」という自己効力感を高めることができたという点である。 すなわち、パソコンを通して、A は文字の読み書きができること、相手と文字で伝えあうことができることに気づいたと点である。T 氏の回答にあったように、パソコンの基本だけでなく、触手話での会話から国語力を付けることを目指す第1 歩となったと言える。 なお、ここでのパソコンの活用は、コミュニケーションツールとしての活用であり、A の記録映像(2000.9)を確認すると、メールの練習も行っているような動作が見られるが、本人は記憶がないとのことであった。 1-9.パソコン(点字ディスプレイ)との出会いを通してのA の成果 A はパソコンと出会い、「遊び」という経験を経て点字ディスプレイと出会った。さらに点字ディスプレイと出会ってから、チャットを含めた文章の読み書きの練習をするようになった。これらを通してA は様々な成果を得られるようになった。 【日本語を教えてくれる機械として】 A:『パソコンを使っているうちに、手話は知っていたけど、日本語は知らなかったという言葉も多く出るようになった。たとえば「わかりました」という言葉も手話を先に知っていたけど、パソコンに「わかりました」という文字(日本語)が出ても、すぐにどういう意味かを理解することができなかった。「わかりましたって何?(どういう意味?)」と聞いて、「(手話を知っている)お母さんに聞いてごらん」と言われたので、その通りに母に「わかりましたって何?(指文字で)」と聞いたら、母が「わかりました」の手話をしてくれて納得したということがあった。』 A:『そういう意味では、パソコンは「日本語を教えてくれる機器」だと言えるのかも知れない。当時は点字タイプライター(パーキンス)も使っていたけど、どうしても点字が使える人は限られてしまう。パソコンであれば、点字を知らない人ともコミュニケーションできる。そのような利点もすでに小学4 年頃から活かされていたと思う。』 A:『でもパソコンや点字タイプライターでの文字入力の練習をしていたおかげで、後述するパソコンでのメールのやりとりにもつながったと思う。』 当時、10 歳のA は、成果を意識したことはなかったと推測されるが、上記の語りは約15年後の28 歳のA が現在、感じている成果である。 <考察> 上記の語りの中で、A にとって、「パソコンは日本語を教えてくれる機械」として認識することができるようになったと考える。前述したT 氏の「触手話から日本語力を」という期待に答えた形であった。このことから、A は、メールなどのコミュニケーションツールとしてのパソコン活用に発展しようとする段階であることは、A の当時のチャットなどの経験から窺える。 【パソコンは楽しいものとして】 A:『当時は、パソコンはどちらかというと、試験的利用という側面があったので、特に生活が変わったということはなかったね。』 A:『(活用の意義に対して)あまり意識してなかったなあ。やっぱりパソコンは点字も動くし、画面も動くから、それが楽しいとわかったから自然に溶け込んだんだろうね。』 上記の語りからパソコンは、試験的に利用したものであったことが窺える。 <考察> パソコンの活用は、試験的な意味合いが強かったことが考えられる。A の家族や支援者にとっても、A の成長とパソコン活用に対する期待を見極める段階であったことが考えられる。このような中で、A 自身がこれまでの経験を通して、「パソコンは楽しいもの」だと感じたことによって、パソコンへの関心が高まったと推測される。 すなわち、A がパソコンに興味や関心を持つことが、A がパソコンに順応できたことにつながるということである。 1-10.パソコン活用への意義 【パソコンへの関心の高まり】 盲ろう児に触れる機会と、経験する機会を提供することは意義があると述べたが、これまでの経緯から見て、A がパソコンや点字ディスプレイと出会ったことに意義があったのだろうか。 A:『正直覚えてない。父とパソコンで会話をしたことくらいしか覚えてない。』 A:『ただT(県)に転校するとき、母以外の家族と離れるので、その寂しさみたいなものはあったと思う(のでパソコンはそれを解消するものとなった)。それ(文章の読み書きの練習)が結果としてメールで結ばれることになるので、今考えればメールまでは行かなくてもパソコンに触ったことは意義があったと思う。』 上記の語りからはメールの活用に関する記録はないとしていることから、9 歳(2000 年)の段階では、A は主に文章入力の練習を中心としていたことが推察される。 <考察> 上記の語りで「パソコンに触ることは意義がある」という言葉があるように、パソコンに触ることは、目的がなくても、盲ろう児にとっては意義があることが窺える。それは「将来役立つかも知れない」と考えた場合、パソコンと言うものの仕組みを知ることが本来の目的につながる可能性があるからである。 通常、視覚や聴覚に障害がない子供の場合、自然に家族や周囲の人たちの行動を目にする。パソコンも家族がパソコンを操作すれば、子供は自然にパソコンの画面を見る。しかしながら、盲ろう児の場合、触らなければ、また経験しなければ、家族が何事もなく行っている動作さえも知ることができない。このような現実については、卒業論文で明らかにしたが、盲ろう児に「パソコン」を触らせる、経験させるということは、盲ろう児にとって、日ごろの情報入手、すなわち自然な情報に触れるという点で重要であると考える。 このように、これまでの経緯から考えると、A にとって関心のある「お絵描き」などの「遊び」の取り組みが行われたことによって、A のパソコンへの関心が高まったと言える。 1-11.(A の事例から見える)コミュニケーションツールとしてのパソコンの活用における課題 パソコンの活用について述べる前に、盲ろう児におけるパソコンの利用の課題について 述べておきたい。 A は、前述のようにパソコンと点字ディスプレイに出会ったが、盲ろう児のパソコン活用には課題も多いことが明らかにされた。A は、初めてパソコンと出会い、幼少期でありながら「なんか不思議な道具だろう。」と印象に残ったことは前述した通りである。それをスタート地点と考えるなら、A は約5 年の過程を経て、点字ディスプレイと出会うことにより、コミュニケーションツールとしての活用へと発展していくこととなる。 しかし、盲ろう児がパソコンをコミュニケーションツールとして活用するためには、点字ディスプレイの導入などの情報アクセシビリティの面での環境整備が不可欠であること、パソコンというものの概念を理解し、パソコンに馴染むことが課題となり、A も例外ではなかった。 【課題1:いちばん大切でいちばん使いたい時期に使えない(環境整備)】 このうち、第1 の課題として、A がパソコンを利用するための環境整備の困難が課題となっており、特に点字ディスプレイの入手については、ASAHI パソコンに以下のように記述されている。 『同じ盲ろう障害を持つA 君の知人・F さんは、訴えるようにいった。 「A 君のケースを見れば、先天的な盲ろう児の教育の可能性も、パソコンや、メールやホームページを点字として閲覧できるピンディスプレーの重要さも証明されたといえます。幸いA 君はまわりの理解もあって自分のパソコンやピンディスプレーを持つことができた。 しかし、通常18 歳未満の障害児にはピンディスプレーは支給されません。盲ろうという障害を、法制度の中にはっきりと位置付けてこなかったからです。言葉を覚え学習をする、いちばん大切でいちばん使いたい時期に使えないのです」 A 君同様、手厚い支援を待ち望んでいる盲聾児たちがいることを忘れないでほしい、とFさんは結んだ。』(ASAHI パソコンの記事より) <考察> 上記の記述の中で、F さんは「言葉を覚え学習をする、いちばん大切でいちばん使いたい時期に使えないのです」と訴えているように、A を含めた盲ろう者が、パソコンにアクセスするためには、点字ディスプレイ等の支援機器の入手が不可欠であるにも関わらず、何らかの補助に頼らなければならないほど、大変、高価であることは上記の記述からも窺える。 点字ディスプレイは、様々な製品が発売されているが、現在でも30-50 万円程度が一般的である(参考:エクストラ製のブレイルセンスシリーズは約50-60 万円程度)。さらには、「18 歳未満の児童には支給されない」という点に注目しなければならない。この「18歳未満の児童には(後略)」とは、市区町村の日常生活用具給付制度の支給対象年齢のことである。市区町村による違いはあるが、点字ディスプレイの支給の対象年齢は、おおむね18歳以上で規定されている。その要因として、「盲聾」という障害を、法制度の中に位置付けていないからであり、現在も市区町村の同制度の利用案内には点字ディスプレイの支給対象者として「盲ろう者」との記述が見られるものの、法制度としては、位置づけていないのが現状である。本トピックの後半では、18 歳までは、個人での入手が困難とされている点字ディスプレイを、A はどのように手に入れたのかを検証する。 このような状況下で、A の場合は、盲ろう者友の会からの点字ディスプレイ等の無償貸与がなされたことで、パソコンをコミュニケーションツールとして利用できるようになったことが言える。 【課題2:パソコンの仕組みを知ることの必要性】 次に、第2の課題として、パソコンを利用するために必要な環境が整備されても、A 本人がパソコンと言うものの仕組みを知らなければ、A のパソコン活用に至ることが困難であるという点があげられる。A の場合は前提情報としての年表で示したように、A の周囲の支援者・担当指導者や家族等によって、「お絵描き」などを通した「遊び」の経験がなされたことで、A 自身がパソコンという物の仕組みを理解するようになった。 この点を調査するべく、A が関わっていたであろう、盲ろう者支援団体などに、A の支援に関する記録の有無について問い合わせを行いながら、A に当時の点字ディスプレイとの出会いまでの過程を語っていただくこととした。A が点字ディスプレイと出会うまでの過程には、「点字ディスプレイなどの必要な機器の入手と環境整備」と「点字ディスプレイの活用にいたるまでのプロセス」の2 種類の支援が必要であると言える。「入手と環境整備」については、本トピックの後半で明らかにするが、「活用にいたるまでのプロセス」として助言・支援を行ったのは、後述する語りの中で、「A センター(視覚障害者生活情報センター)の人が訪問支援を行った」とあることから、視覚障害者情報センターの職員が中心的な存在であったと思われる。そのためA の記憶に基づいて、同情報センターのT 氏に連絡を取ったところ、T 氏が当時メモをしたと思われる記録が多数、提供された。さらにA の生活が記録されたビデオも提供され、パソコンなどのICT の活用に限らず、小学3 年生当時のA の生活の様子を窺うことができた。 T 氏の報告によれば、A のパソコン支援に関しては、以下のように記録されている。報告は2018 年11 月26 日と2019 年7 月22 日にメールによって報告されているが、分析に当たって、パソコン指導に関連のあるもののみ抜粋し、研究者が、年表形式に整理した。なお、比較のため、A 自身のパソコンとの出会いと点字の習得状況について、連絡帳とI 先生へのインタビューデータから引用し、該当カ所の文頭に「☆」をつけた。 (年表) 1997 年 ☆7 月31 日 パソコンと出会う(家族用に自宅にパソコンが入る。) 1998 年 ☆10 月 ろう学校に点字タイプライター(パーキンスブレイラー)導入 1999 年 ☆4 月 点字で自分の名前を書けるようになる。 7 月6 日 初連絡(他団体より) 9 月3 日 初訪問 9 月14 日 ろう学校長と面談 10 月3 日 パソコン指導に向けて始動 10 月28 日 マウスを使って絵をかいたりしている。 お絵描きの次のステップとしてPC の訓練を考える。 ピンディスプレイ・音声ソフトなどの説明 2000 年 4 月23 日 盲ろう者友の会設立総会に伴いパソコンのセットアップを行う 5 月31 日 パソコン本体・キーボード・点字ディスプレイ・他CD 準備 6 月29 日 パソコンセッティング 8 月9 日 ビデオ(F さんと) <考察> 上記の年表は、T 氏の記録に基づいたものであるが、少なくとも1999 年、すなわちA の8 歳に相当する時期から訪問支援が開始され、点字ディスプレイ(注:年表中にはピンディスプレイと表記。以後、記述データにおいてはピンディスプレイが用いられることがあるが、すべて点字ディスプレイと同一のものである。)の導入までの過程において支援を行っているとみられる。訪問支援開始当初より、パソコン指導の検討が開始され、少なくとも2000年には、A が使用するのに必要なパソコンのセッティングを行うとともに、点字ディスプレイの使用を開始していると見られる(点字ディスプレイの使用については、ビデオによる映像に記録されている他、後述するろう学校の連絡帳にも記述が見られる)。 ここまでで明らかにできることは、支援者はA が目的を持ってパソコンの活用にいたるための支援を行っているのではなく、A の周囲の人たち(家族、友の会、学校関係者等)の情報とA のニーズに基づいて、既存のもの(機器)の提供と必要な支援を行ったという点である。次項からはA に対してどのような取り組みがあったのかを検証する。 1-11. トピック1のまとめ A のパソコンと点字ディスプレイの出会いについて、以下のように要約できる。 1)パソコンの活用に至るための支援と環境 A が、パソコンと点字ディスプレイの活用に至った経緯として、A の周囲の環境という視点で、次のような支援と環境が存在していた。 ①無償で必要な機器がそろっていたこと⇒点字ディスプレイなど、盲ろう児が利用するために必要な機器がすべて無償で貸与されていたこと。 ②周囲に支援者がいたこと⇒パソコンの指導のみならず、パソコンの設定などの準備から取り掛かる支援者が存在していたこと。またA の関心や興味に基づいて、一緒にパソコンの操作をする補助者(A の家族)が存在していたこと。 ③操作性の工夫がなされていたこと⇒お絵描きに必要なソフトや点字入力システム(自動点訳ソフト)を取り入れるなど、A が使いやすいパソコン設定が行われていたこと。 無償にて必要な機器が貸与されたという点では単なる「偶然」ととらえることができるが、これら3 つの条件があったことによって、A のパソコン活用に向けた取り組みがあったことは、A の語りのみならず、当時の支援者の記録からも明らかにできる。 2)コミュニケーションツールとしての活用という目的を達成するための環境と支援点字ディスプレイに出会うまでの背景について前述したが、改めて点字ディスプレイと出会うまで、すなわちコミュニケーションツールとしてのパソコンの活用までの経歴を整理すると、次のような経緯によって、A はパソコンという物を理解するようになったことが窺える。 ①家族のパソコンに触る⇒家族がパソコンを使用していることをきっかけに、パソコンという物を知る段階。 ②パソコンのキーボードで遊ぶ⇒家族の動作を模倣し、パソコンのキーボードを触って、パソコンの画面の変化を楽しむ段階。 ③書記的言語としての点字の習得⇒点字タイプライターを用いての書記的言語(文字言語)としての点字を学習する段階。 ④お絵描きやゲームを経験する⇒パソコンの実践編として、絵を書くことや簡単なゲームをすることを経験する段階。 ⑤点字ディスプレイに出会う⇒点字ディスプレイを触って、パソコンの動作と連動して点字の表示が変化されることを知る段階。 A は、以上のような過程を経て、点字ディスプレイと出会っていることが明らかにされた。A がコミュニケーションツールとしてのパソコンという概念を理解し、コミュニケーションツールとしてのパソコンへの移行が容易であったことには、次のような周囲の環境 的要因が考えられる。 ①「遊び」の経験がなされていたこと⇒絵を描くことなどから始め、A がパソコンに触れる機会やパソコンを使う機会が多く提供されていたこと。 ②家族の日常に触れる機会があったこと⇒家族が使用しているパソコンに触るなど、家族の日常を感じ取る機会が多く提供されていたこと。すなわち、家族や支援者は、子どもであるA の行動を制限しないということである。 ③パソコンという言葉を教えられていたこと⇒パソコンに触らせるだけでなく、同時にパソコンという言葉を何らかの方法で教えられていたこと。 ④書字言語の獲得が早期段階からなされていたこと⇒情報入手を優先に、点字での学習と指導が行われていたこと。 これらの4 つの配慮が支援者や家族らによってなされていたことから、A はパソコンへの順応(適応)が容易であったことが推察される。上記の配慮がなされるためには、指導者・支援者・家族の理解と連携が必要であることは、A が複数の団体から何らかの支援を受けていたことから読み取ることができる。 また、必要な支援機器の準備と支援者の確保だけではなく、操作性の工夫においてもA の書字言語に合わせ、点字入力システム(6 点入力)を導入した点については、A のパソコンへの適応が容易であった要因としてあげるべき点であろう。 トピック2 メール活用の背景 2‐1.メール活用の背景 A がパソコンと出会い、当初は「遊び」として「お絵描き」から始まり、書字言語としての点字の獲得と並行して、パソコンでも文章の読み書きの練習をするようになった。トピック1 で述べたように、小学4 年までのこれらの出来事を通して、A は「パソコン」という物の概念を大まかに理解し、最終的にメールの活用へと発展したということが明らかにされた。 本トピックでは、A がメールをし始めた段階を、A がメールという概念をどのように理解したのか、メールを活用することで、A にどのような意義があったのか、メールの活用にいたるためにはどのような支援がなされていたのかを明らかにする。 2-2.メールとの出会いの時期 A がメールの使用を始めた時期は定かでないが、『小学5年5月ごろから学校の学習とは別に、電子メールの使用を始めた。』(河野、2007)とあり、少なくとも小学5 年の時点ではメールの使用を始めていたと考えられる。『A は小学校5年で、触覚教材の不足や書き言葉の問題という理由で、聾学校から盲学校に転校した』(河野・小田, 2007)とあるように、A がろう学校から盲学校に転校する時期であり、転校のタイミングでメールの活用が始まったのではないかと考えられる。 A もメールは小学5 年からと記憶していて、メールを始めた経緯として次のように語っている。 A:『本格的にメールでのやりとりをするようになったのは盲学校に来てからすぐのときだった。ということは、多分、目的は転校で離れた(別居になった)家族(父等)と連絡が取れるように、ということだったと思う。』 <考察> 語りに『連絡が取れるように』とあるように、少なくともメールは、健常者の電話の代用としての役割があったことが窺える。A のプロフィールには、A は4 人家族であり、盲学校転校を境に、本人と母、父と姉がそれぞれ別居することになったと記述されている。そのため、家族間の連絡手段の確保が必要となるタイミング、すなわち盲学校への転入時となる小学5 年にメールを始めていたことが推測される。 連絡手段としてメールを選択した理由であるが、健常者であれば連絡手段として電話が利用できるが、盲ろう者の場合は電話が利用できないため、A は別居している家族と連絡が取れるよう、電子メールという手段が確保されたのであろうと考えられる。 2-3.過去の経験を生かしたメールの利用 当時のA のメールの活用状況とメールに必要な言語の獲得状況について、次のように記録されている。 「先天的に盲ろうがある子どもの言語メディア」(河野, 2004)(4.1 目的より) 『A は小学部入学と同時に手話と指文字の対応、点字の学習を開始(今枝,2001)し、3年時から本格的に文章を書き始めた。小学5年5月ごろから学校の学習とは別に、電子メールの使用を始めた。電子メール開始時の言語メディアは日常会話では主に触手話を使用、学校生活では触手話から、触指文字と点字、指点字への移行期であった。電子メールは、パソコン上の文字をピンディスプレイに点字で表示し、点字入力で文字を入力できるシステムを使用し、電子メールの文章の読み書きはA が独力で、その他のパソコン操作は母親が行った。リストの中で漢字が使われているが、これはA が利用しているシステムが自動で行った点字->かな->漢字変換の結果でありA 自身が理解して使用しているわけではない。』上記の記述から当時A自身が独力で行っているのは、メールの文章の読み書きのみであったことは推察できる。この「パソコンでの文章の読み書き」に必要な支援としては、パソコン自体の操作とメールに必要な言語の獲得の2 つがあげられるが、パソコン自体の操作、すなわち、A が書いたメールの文章の送受信等の作業を行っているのはA の母親であったことが記述から読み取れる。このような連絡手段としてのメールの活用における取り組みは、「学校の学習とは別に、電子メールの使用を始めた。」と記述されているように、家庭内(家族)によって実施されていると言える。 ただし、メールの活用に必要なアプローチ、すなわちパソコンのセッティングなどは、トピック1 で述べた視覚障害者情報センターの職員が行っていることは事実であり、A のメールの活用における「支援」は家族とセンター職員の連携によって行われていると言える。なお、A の記憶によれば、盲学校転入後は盲ろう者向けのパソコンに関する知識を持つ地域の通訳・介助者等にも、パソコンのセッティングや故障時のフォローなどの協力を得ているが、定かな記録が存在しなかった。また、メールに必要な言語の習得に対する支援(指導)は、学校という教育機関で行われていることが記述データから窺える。 A のメールの受け入れ、すなわちメールへの理解について、A は次のように語っている。 A:『パソコンでの文章の読み書きは、盲学校に来る前に学んだので、それをメールでの送受信に生かしたという感じだったし、そういう側面も多分あった。離れている家族とコミュニケーションができるとわかっていたので、意外とスムーズに溶け込んだ記憶がある。』 またメールの利用について次のように補足している。A:『ちなみに当時は文章の読み書きは自分でしていたけど、送受信は相手のメールアドレスの選択など、操作が複雑であるために、家族がしていた。アドレスは英語になっているが、まだ英語の点字も学習していないため、アドレスを理解したりアドレスを書いたりすることは、当時はできなかった。』 <考察> このようなメール活用への移行が容易であったことには、家族による操作とセンター職員等のフォローによって、A 自身の紛らわしいパソコン操作への負担軽減とA のニーズに合わせた支援がなされていたことが窺える。また、メールに必要な言語もすでに点字の学習を始めていたことに加え、「電子メール開始時の言語メディアは日常会話では主に触手話を使用、学校生活では触手話から、触指文字と点字、指点字への移行期であった。」(K)とあるように、書記的言語としての点字の活用に移行する段階であったことが、A のメール活用を可能にした要因であったと考えられる。 2-4.メールの概念の理解に向けて A が、スムーズにメールというものを受け入れることができた要因として、「過去の経験」があったことが考えられるのは前述した通りである。この「過去の経験」とはどのようなものであろうか。 【電話の理解】 A:『あまり覚えてないのだけれど、メールという存在は多分知っていた。ろう学校時代に電話との関連で、誰が誰にメールすると言う言葉を聞いた記憶がある。少なくとも電話は相手と話すための手段と理解していたはず。だからメールも電話と同じようなものと理解していたと思う。』 メールと言う概念を理解することができた要因として、上記の語りにもあるように「電話」という言葉への理解があげられる。 <考察> 上記の語りにも「電話」があったように、A の日常生活の中で、「電話は家にあるもの。家族が使う道具」というように認識していたと思われる。また、A は家族からの情報に基づいて、「電話は離れている人と話すための手段」と認識していたことが考えられる。【手紙のやりとりの経験】電話だけでなく、A 自身も実際に文通を経験している。 A:『実は盲学校に来る前に支援者等と点字の手紙(紙媒体、点字タイプライターを利用)のやりとりをしていたことも、(メールという概念への理解には)影響が大きかったと思う。つまり手紙を書くような感覚でメールの文章を書いていたし、メールをもらうときも手紙をもらうときと同じ感覚で書かれている文章を読んでいたと思う。だから家族との連絡も手紙のやりとりと同じような感覚だった。』 A は、文章の読み書きができるようになったことがメールにつながる要因であったことは前述した通りであるが、文章の読み書きやパソコンを用いた文章の読み書きの練習だけではなく、点字による文通も行っていることが語りで明らかにされている。 <考察> A は、電話でのやりとりは経験していないが、転校前にメールではなく、手紙によって、離れた相手とコミュニケーションがなされていたという経験的要素があった。具体的に考えれば、A は、実際に紙に点字を書き、紙をポストに入れる。配達員がポストから紙を取り出し、離れた相手に届ける。相手が、A が書いた紙を受け取る。さらに返事として、紙に点字を書き、同様にA に送り返す。そうした過程をA は転校前の小学低学年の時期に経験している。そのためメールはA にとっては、メールは紙媒体の点字(手紙)から機器を利用した点字(メール)に移行したものとして理解したのではないかと推測される。 以上、二つの経緯から、A は「手紙による文通」を経験し、同時に家族が相手と話す手段としての「電話」を家族の行動を通して理解した。さらには、トピック1 でも窺えるように、「パソコンに触り、パソコンを使う」という経験をした。このような「経験」の積み重ねによって、手紙による文通からメールへの移行が容易であったことが推察される。 2-5.これまでの経験を通して 点字の学習、手紙による文通の経験などのA 自身の経験に加え、パソコンや電話を含めた家族が使用する道具の理解などによって、A のメール活用への移行がスムーズにできたことが明らかにされた。このことに関し、A は次のように語っている。 A:『今までに何度か話したように、メールを始める前に手紙のやりとりをしていたし、電話の概念も知っていたので、手紙のパソコンバージョンとして意識していたと思う。というかほとんど家族がパソコンの操作をしていたので、教えられるという部分はあまりないんだけど。文章の読み書きもG県時代に練習はしているので、日本語が十分に使えていないなど、健常者とは異なる部分もあろうとは思うが、読み書きに限って言えば新たに練習する必要はなかった。』 <考察> A は、これまでの経験を通して、メールの概念を理解したが、A は次のようにコメントしている。 コメント 『総合的に考えれば、メールというものを「自然に」受け入れ、これまでの手紙などの経験を通して、メールというものを理解するようになった。だから辞書のように「メールとは何か?」と考えたことはなかったし人に尋ねるようなこともしなかったと思う。』 すなわち、これまでA 自身が体験したことや触れたものの積み重ねによって、「メール」というものをA 自身が、「自然に」理解したことが窺える。したがって、メールへのアプローチには、支援者(または指導者)自身が「メールとは何か?」を意識的に教えただけではなく、A 自身の過去の経験も含まれていると言える。 これは、第3 章で述べた福島(1994)の「①「読み」の理解を助けるための手段」として、家族が必然的にA に経験(物に触る・体験する)とリアルタイムでの説明(今何をしているか)を提供するとともに、「③素材と盲ろう児の経験との関係」を重視したことになるのであろう。これらが前提となり、A はメールの活用を迎えたことが推察できる。 2-6.メールと出会ったときの印象 A は、電話の理解と手紙の経験を経てメールと出会うこととなるが、A にとって、メールはいろいろな意味で印象に残る結果となった。 【短時間でやりとりができること】 A:『手紙だと返事が来るまでに数日かかるので、「早く来ないかなあ」と思ったことはあったかも知れない。それと比べるとメールは返事が来るまでにあまり時間を必要としないので、メールでのコミュニケーションがより楽しくなってきたと思う。』 <考察> A は、手紙による文通は時間を要するということを経験している。さらに、健常者は電話を使えば、相手とリアルタイムにコミュニケーションができるが、A 自身は聞こえないために電話が使えないということも知っている。それらの「不便さ」を解消したのがメールであり、A にとっても短時間でリアルタイムに相手とコミュニケーションができることを初めて経験することとなった。 【メールは離れた人とやりとりができること】 A:『やっぱり離れた家族や支援者と文字(点字)を使って、コミュニケーションができる楽しさがわかったので、積極的にメールをしようとは思ったね。』 <考察> メールは「短時間」ということだけでなく、電話のように離れた人とやりとりができるということも、A にとっては印象的な存在であり、実際にA は次のようにコメントしている。 コメント 『これまでは会話するときは手話や点字を使っていたので、必ず相手と接している必要があった。でもメールでは相手と接する必要がないので、話したい人のところへ行かなくてもよいというメリットがあった。その意味を知る段階でもあり、家にいても相手と話せるのは「相手に伝わる」という点でも楽しいと感じるようになったと思う。』上記のコメントにあるように、A にとって「家にいながら相手に「伝える」という手段がある」ことを知ったのが、メールの利用によるコミュニケーションであったと言えよう。 【メールに対する疑問の浮上(一瞬で届くメール)】 A がメールは『、こんなに便利なものなんだ」と気づき、メールの概念を大まかに理解したように思われがちであるが、一方でメールの活用という経験をする中で、メールに対する疑問や不思議も浮上するようになった。 A:『ただ、その一方で、メールの行き来の速さには疑問もあった。手紙の場合、紙に点字を書いて、それを持って家からポストまで歩く。ポストに入れると数時間後に郵便屋さんが回収に来る。その郵便屋さんが(厳密には複数人のリレーで)手紙を持って相手の家に届ける。相手がそれを受け取って読むまでに数日かかる。』 A:『その過程を知っていたが、メールの場合触れる物はまったくない。ボタン一つで相手にメールが送られる。そのため相手に届くまでの過程を触ったり体験したりすることはできない。その点で「なぜコードも(相手の家と)つながっていないのにメールが送れるのか」、「電波とは何か?」といったことに疑問があった。』 A:『特に電波は触れないので、とても不思議だった。メールとは関係ないが、銀行での振込も実際に現金が相手の銀行まで地下のホースを通って行くのかと思っていた。』 上記の語りと関連した文献として、A 自身が執筆した卒業論文(森、2016)には、A がファンタジーを理解するまでの過程について語られている。その中で、「反面、体感できず理屈では説明出来ない空想の世界を理解する事は遅滞し、小学部6 年当初の時点においても理解できず、周辺からも課題として指摘されていた。」とある。 <考察> 上記の卒業論文(森、2016)でも明らかにされているように、直接的に触れるもの、経験できるものは、A も概念として理解できるが、空想の世界を含め、直接的に触ることのできないものについては、概念としての理解が困難であったというのが、A の小学部時代の状況である。その一つに「メールというものの理解」も含まれていた。 手紙は人が運ぶ、ということはA が実際に体感したことを通して理解している。しかし、ファンタジーの理解すら乏しいA にとって、メールや銀行などはすべて、何らかの形でつながっていると認識していた。そのため、接続コードもない中で、メールがどのように相手に届けられるかということは、A にとっては疑問の要素である。「電波」も見えない(触れない)ものであるため、触れるものしか触ったことがないA にとっては、「電波とは何か?」というのは理解ができない要素である。これらの疑問は浮上したが、「パソコンで文章を打てば、相手に伝わる」ということを徐々に実感する出来事であったと言える。 2-6.メールという手段を手に入れてからの生活の変化 A はメールという手段を手に入れる前後に、疑問や不思議を感じながらも、メールという概念を理解するようになった。メールという手段を手に入れてからはどのように生活が変化したのであろうか。 【コミュニケーションの範囲が拡大したこと】 A:『そういう意味では単時間に、あるいはリアルに相手と会話ができるようになったことは大きいことだと思う。』 A:『盲ろう者はコミュニケーションできる相手が手話か点字を理解できる人に限られてしまう。しかも24 時間誰かがそばにいてくれるわけではないし、仮にいたとしても家族や手話ができる先生に限られてしまう。そうなると、どうしても盲ろう者がコミュニケーションできる機会が途絶える時間が増えてしまう。メールはコミュニケーションできる人数と機会(時間)を増やすきっかけにもなったと言える。』 A が、これまでに身につけたコミュニケーション手段は、「手話」と「点字」である。すなわち、普通文字である「墨字」と「音声」の活用による訓練は、A の視力及び聴力の状態の問題に加え、学習の効率化と情報入手の効率化を理由に、小学部入学段階で取りやめられていることはA の生育歴で明らかにされている。このような状況の中で、A は直接的に触れることのできる手話と点字を中心にしたコミュニケーション手段を用いている。それゆえにコミュニケーションできる相手と言えば、手話ができるか点字の読み書きができるかのいずれかに限られる。手話であれば触手話が可能な人、点字であれば指点字や点字による文通が可能な人に限られる。そうした制約の中で、A は小学生時代を過ごしていた。 幼い頃から盲ろうであり、日常生活の中で身の回りの物事を理解し、指導者等から多くの情報を得ていると言う点で、比較的A と似た人生を辿ったとされるヘレン・ケラー(1973)は、アン・サリバン先生が24 時間体制で、ヘレンに付き添い、教育のみならず情報保障の面での支援をしていたことは、「ヘレン・ケラーはどう教育されたか―サリバン先生の記録」(1973)などの複数の記録から明らかにされている。しかし、A の場合は、家族を含めた複数の支援者による指導と支援があったとはいえ、24 時間体制で専門家が付き添っていたわけではない。このような事情に加え、A はろう学校に通学していたため、ろう学校は生徒数・教員数が少ないという特性上、A の友人となりえる人は非常に少なかったと言える。特にコミュニケーションが難しいために、放課後の社会とのかかわりは非常に希薄であったと思われる。 実際、A 自身は、「放課後に自宅前で近所の子供たちと遊びたかったが手話が通じなくて困ったことがある」と記憶している。そこにA はパソコンを手に入れたことをきっかけに、補助者による操作がなされていたとはいえ、教育現場(学校)以外でのコミュニケーション機会が拡大されるようになったのである。 【余暇としてのメール】 そうした影響は、A の余暇にも影響していると言える。 A:『そのあたりはあまり覚えていないんだけど、やはり手紙より早く返事が来ること、自分からもすぐに相手にメールを送れることはうれしくてかつ楽しいことであった。それが達成感なのかも知れない。』生活の中で「連絡手段」としてメールを活用するようになったが、A はこれまでの手紙を中心とした生活との変化について、上記のような変化を実感している。 <考察> これまでの手紙による文通は1 往復するのに数日要していたが、メールは短時間で相手とやりとりができることは、A にとってもやりがいを感じるものであったと言える。A はこれに関し、次のように付け加えている。 コメント 『これまでは電話もできなかったし、離れている人と通訳者を介さずに話すということはあまり考えられなかったから、メールの行き来の早さはある意味、自分にとっては衝撃的なことだったと思う。』補助を伴ってのパソコン利用であるため、A はメールの仕組みを大まかに理解しているわけではない。しかし、文字(点字)を書けば相手に伝えられる(届く)ということ、逆に相手からも送ったメールに対して返事が来るということにA 自身が気づいて、「相手と話せる」という楽しさを感じるようになったということである。 定かな記録が残されているわけではないが、この時期のA からのメールの受信者は、手話や点字ができる家族や支援者がほとんどであったと推察されるが、時間的制限が少ないこと、場所を問わないことによって、コミュニケーションの機会が拡大されたことは、A にとってのメールへの興味・関心につながるきっかけになったと言える。すなわち通訳者を介さずに、また電話を用いずに、コミュニケーションができるということは、A にとっては衝撃的なことであり、生活が変化する第1 歩であったと言える。その意味ではA にとって、メールは「余暇活動」としての役割があったと言える。 2-7.メール活用の意義 A は様々な疑問を抱える中で、メールを自然に受け入れ、メールの活用にいたったが、メールの活用に対する意義として、次のように語っている。 【メールは手紙とは違ったメリット】 A:『やっぱりメールは手話を使わなくても相手とリアルタイムでやりとりができるし、返事も早くもらえる。そういう意味では短時間で会話が成り立つ。手紙は話す内容が一方的になりがちだし、質問に答えてもらうのに数日かかる。でもメールは短時間で質問にも答えてくれる。つまり「今聞きたい」と思ったとき、メールで質問すれば(人にもよるのだけれど)数時間後に、答えが返ってくる。』 <考察> A は「今聞きたいと思ったとき」「数時間後に答えが返ってくる」など、「時間」に関する部分を強調している。したがって、A にとってのメールの意義は「時間」であり、手紙より「早い」という点で、いかに「時間」を重要視しているかが窺える。 【会話形式として】 これまで何度も「電話」という単語が出てきたが、A はこれについて次のように語っている。 A:『メールには短時間で相手とやりとり(コミュニケーション)ができるというメリットがあるが、相手と離れていても相手と会話ができると言う楽しさはあった。時には数分間隔でのやりとりをしたこともあって、それはまさにチャットに近いものであったし、まるで電話をしているような感覚があった。』「会話」という部分を強調していることに加え、「チャット」という言葉を用いている。このことからも、メールは、双方向のコミュニケーションを可能にしたということである。A は続けて語った。 A:『意義はあまり考えたことはなかったが、健常者は友達と別れて家に帰れば、誰かと電話をする。聞きたいことがあったときにも、相手に電話をする。もちろん「明日会えるか?」というような事務的な連絡もあるが、電話をしているうちに雑談になったり、暇だから電話するということも子供や大人関係なく、健常者は経験するだろう。しかし僕の場合は、電話ができない。そのため友達や先生と別れて家に帰ってしまうと、コミュニケーションができる人は家族に限られてしまう。それも手話や点字が理解できる人に限られてしまう。そういうときに他の人とのコミュニケーションを楽しむために、文字によるメールが存在していると言ってもよいだろう。そういった「メールの存在意義」はあると思われる。』 <考察> A は「電話ができない」ことを理由に、日常生活の中でコミュニケーション上の制限を受けていたことを語ったうえで、メールの存在によって、文字(点字)のみでのやりとりが可能になり、コミュニケーションの範囲が広がったことを強調している。また、相手は点字の知識を必要としないことについて、A は次のように補足している。 コメント 『盲ろう者の場合手紙やタイプライターでの筆談を用いて相手とコミュニケーションするという方法もあるが、その場合は相手も点字を知っていなければならない。メールであれば相手が点字を知らなくても、墨字(普通文字)を打てていれば簡単にできるというメリットがある。』「メールであれば相手が点字を知らなくても」とあるように、メールは点字を知らない人とのコミュニケーションを可能にしているということは、A や盲ろう者にとって、大きなメリットである。 【メールは盲ろう児にとっての情報源】 A はもう一つのメールの意義として、次のように語っている。 A:『もう一つ感じることとして、健常児は家に帰ったらテレビを見たり、本を読んだりすることがほとんどではないだろうか。「テレビばかり見ないで宿題をやりなさい」などと言われる家庭もあるかも知れないが、少なくとも1 日に1 回は自然にテレビを見るのではないだろうか。しかし僕はテレビを見ることはできない。テレビを見るためには、家族の通訳が必要である。つまり知らない間に自然にテレビを見ているということができない。しかしメールであれば、相手がニュースや天気予報を僕に教えることができる。「昨日殺人事件のニュースがあったよね。」とか「明日は雨が降るらしいよ」と教えてくれる。そういう「単に世間のことを話しているだけ」のことも、テレビを見ることのできない盲ろう児にとっては、貴重な情報源であるのではないだろうか。そういったメールの意義もあると思う。』健常児が自然にテレビを見ることに焦点を充てながら、A は「「単に世間のことを話しているだけ」のことも、(中略)貴重な情報源である」とメールは貴重な情報源であることを説明している。実際A はメールへの順応について、次のように語っている。 A:『メールでいろいろな人と会話ができる。さっきから話しているように手紙と違って短時間でやりとりができる。いろいろなことを教えてくれるし、自分の出来事を相手に共有できる。そういう楽しさがあったからこそ、メールに順応することができたのではないかと思っている。あのときはあまり意識していなかったけど、「楽しい」から続けられる。もし「楽しくない」ことであれば続けなかったと思う。』 <考察> このことから、テレビの視聴と周囲の人との会話の両方の役割を果たすのがメールであり、A はそうした意義を感じたから、メールを続けることができたことが窺える。 【メールはA にとっての情報交換のツール】 A:『メールの返事をもらえたときや、相手が点字を知らなくても会話が通じているとき(質問に答えてくれたとか)はうれしかったね。質問含め、知りたいことが知れたときは「思い通りに教えてくれたんだな」と思ったね。』 A:『質問をするだけでなく、自分の出来事や自分が新しく知ったことも書いていたので、それを相手に共有してもらうことも楽しみの一つであった。つまり相手に自分が点字で書いたメールを読んでもらえるという楽しさとうれしさがあったということ。』 <考察> A は「聞けば教えてくれる」と強調しているが、知りたいことを相手に聞けることはA にとっては知識の向上につながる結果である。さらに「相手に自分が点字で書いたメールを読んでもらえる」と語られているように、A は情報を入手するだけでなく、自分の感じていることを他人に提供できるという意義をA 自身は感じていたということである。 【メールはA にとっては重要なツールだった】 A は、メールは楽しいものと気づいて、メールの活用に順応していったが、常に楽しいことだけではなく、それについて、A は次のように語っている。 A:『毎日帰宅後はメールチェックが楽しみだったので、パソコンが壊れたときは本当に困ったね。テレビが急に見れなくなるのと同じような感覚かな。それだけメールは楽しかったと言うことであると思う。』 A:『ちなみに自分の苦労点、というわけではないが、当時はまだ日本語もまともに書けなかったので、多分相手は僕が書いた文章を理解するのに苦労したと思う。書き間違いや漢字の変換ミスも多かったし、意味がわからなかったこともあったと思う。 当時は「どんな文章を書こうかな」と意識することはなく、自分の思い通りに文章を書いていたからね。』 <考察> A にとっては、メールによるネットワークが途切れるということは、友達を一事的になくすのと同じことである。 コメント 『健常児の場合、帰宅後近所の友達と遊んだり話したりする場合が多いが、盲ろう児の場合だと近所の人たちは手話や点字が理解できないため、そういう機会は少ない。その意味では、メールは近所ではないけど、周囲の人とつながる手段であったと言えるし、いわゆる近所付き合いのように友達のネットワークを広げることができる」。そのためメールができないということは、近所の友達との付き合いが絶たれることと同じことなのかも知れない。』 また、A の日本語の獲得状況を考えれば、A 自身はあくまでもコミュニケーション手段の一つとしてメールを活用していたということが言える。しかしながら、A は国語での学習とは別に、メールのやりとりを通して、自然に日本語を獲得していた可能性があり、それが事実であるならば、メールはA 自身のその後の日本語獲得への発展に寄与していたと言えるかも知れない。詳細はその後のトピックで明らかにしたいが、A はメールを送った相手からの返信を読んで、メールの書き方を模倣するなどしていく作業を繰り返していたと思われる。 2-8.まとめ A がメールという概念を理解した背景として、A 自身の「経験」とA 自身の家族の行動の理解(把握)が関連していること、A 自身がメールを質感のあるもの(楽しさ)として認識していたことが推察された。また、A がメールを活用した意義として、A は「時間(リアルタイム)」「会話」「点字や手話の知識が不要」「人的ネットワーク」「情報源」などをあげている。 したがって、盲ろう児がメールの活用にいたるためには、メールに関連する経験と家族との日常的なふれあいを強化するとともに、本人が「メールは楽しいもの」と感じるような配慮と支援がなされることが必要であることがうかがえた。 一方、メールの概念の理解には、「電波」などの抽象的な概念が含まれているため、盲ろう児にとってメールの理解に対する疑問が浮上する可能性があり、そのような点の理解の課題も明らかにされた。 トピック3 インターネットへの発展 3-1.インターネットとの出会い(背景) トピック2 でA は家族と別居になることをきっかけに、パソコンを用いてメールのやりとりをするようになり、家族のみならず多くの人と交流が始まったことが明らかにされた。A はメールのみならず、その後にメールの延長でインターネットも閲覧するようになったインターネットがA にどのように影響を及ぼしたのかを明らかにするために、メールとは別に「インターネットへの広がり」としてトピックを設定した。 【リンクという言葉を知ったことをきっかけに】 インターネットの本格的な活用はA の中学部時代(2004 年頃―)であることは後述するが、実際にA のインターネットとのかかわりは2004 年以前から始まっている。A の母と盲学校の指導教員による連絡帳には、次のような記述が見られる。 『連休にパパと 夏休みのキャンプの 話題がでました。今日、メールで候補のキャンプ場のリンクを パパが送ってくれました。真剣に読むA、全ての内容が 読みとれるわけでは ありませんが、「つりができる、ろてんぶろがある」と おしえてくれました。T(県)にきて、パソコンが 一つの情報源であると いうことを 知った第一歩です。はじめは私が 読んでいたのですが、ピンディスを さわっていたA は「最初からゆっくり読みたい」と 言ってきました。これは はまりそう!?また、先生方も時間があれば、パソコン利用してみても いいかもしれません(と、また、忙しくさせてしまう?かな)パパと「ここ、いいと思う」なんて メール交換していたので ちょっぴりうれしく思いました。』(5 年生時:4 月30 日) 『離れていても パソコンで親子の会話が できるっていいですね。私たちも夏休み等長期の休みには 利用したいです。』(5 月1 日) 上記の記録ではA の母が読んでいたリンク(ホームページ)を「そばにいた」A が読んだことをうかがわせているが、A はそのときの記憶について次のように語っている。 A:『インターネットに触れ始めたのは、小学5 年、つまり盲学校に来て間もない頃だったと思う。小学部の連絡帳にも書いてあったけど、父が夏休みに支援ボランティアとの集まりとしてキャンプを計画していたとき、私に開催候補地を教えるために、キャンプ場のURL 付きのメールを送ってくれたのが最初だったと思う。』 A:『母がキャンプ場のホームページを見ていたとき、たまたま私も見ていて、点字で「リンク」と表示されていたことが気になっていた。(それで)母にリンクという意味を教えてもらったことをきっかけに、メール以外にも何かを見れるんだなということを知った。実際にホームページを読んで、自分が知っている少ない語句の中で、何となく「釣りができる」「露天風呂がある」などといったことを理解した。』 A:『だから、他の盲ろう児のようにいきなり「インターネット」を学ぼう、あるいは学ばされたのではなく、家族の生活を見て、自然に「インターネット」という存在を理解していったと言うことになると思う。』 上記の内容を要約すると、A はパソコンの点字ディスプレイに「リンク」という言葉が表示されたことにひっかかったことをきっかけに、「インターネットの世界」を知るようになったことが窺える。 <考察> 連絡帳の記述に「パソコンが 一つの情報源であると いうことを 知った第一歩」とあるように、A はインターネットが情報源の世界であることを初めて知ったということがこの日の出来事であったと言える。そのきっかけに「リンク」という言葉を知ったことがあげられる。すなわちA がたまたま目にした「リンク」という文字から「リンクとは何か」という疑問が生じたことが発端となり、インターネットという世界の存在を知ったと言える。 実際語りの中にA は「自然に「インターネット」という存在を理解した」と強調しているが、A にとっては偶然「リンク」という言葉に触れたことが、自然にインターネットという概念を理解することにつながったということが考えられる。すなわち、「インターネット」を勉強しようという意思はこの時点ではなかったことになり、その点について、A は次のようにコメントしている。 コメント 『健常児も親が読んでいる本をちらっと見たりすることがあるかも知れないが、盲ろう児である僕にとっては他の人が読んでいる本を「ちらっと見る」ことと同じ行為であったと言える。おそらく多くの盲ろう児はそうした経験が少ないのではないかと思う。だからいきなり「インターネットとは何か」を説明しても、盲ろう児がインターネットと言う世界に触れたことがなければ、またインターネットと言う仕組みを知らなければ、インターネットの概念を理解することはできないのではないかと思う。その意味ではインターネットの世界を知るきっかけづくりが必要だと言えるだろう。』 福島(1994)が述べている「①「読み」の理解を助けるための手段」と「④盲ろう児の経験の質」が密接な関係となっているが、前者は;「A と一緒に行動する」という家族の動作、後者はA 自身のこれまでに得た知識が当てはまると考えられる。 これらの関係がつながったことで、A 自身が「リンク」はインターネットの世界であることを知るようになったということは言えるのであろう。 【興味のある分野からインターネットの世界に】 A は本格的にインターネットの活用を始めた経緯として、次のように語っている。 A:『最初はパソコンではメールが中心だったけど、趣味の鉄道について等を調べるためにインターネットも活用し始めるようになった。』 A:『やはり偶然目にした「リンク」が何かと言う興味からインターネットの世界に飛び込むようになったのがきっかけだったと思う。』 A:『最初は家族や支援者が選んだホームページ(サイト)を私が読むと言う形だった。つまり与えられたサイトをメールのように読むということだった。またI さん(支援者)もインターネットの内容を私でもわかりやすいよう点字で書いて、本のようにしてくれた。』 A:『だから鉄道会社のことなど、世界には様々な情報が存在していることを徐々に知るようになっていった。』 A:『日本語を少しずつ獲得して行く中で、支援者や家族から「これらの情報はホームページで調べられる」ということを教えられるようになった。そのあたりの記憶はあまりないが、自分が知りたいことは、インターネットで調べられるということを徐々に知るようになった。そこから自分が知りたいことは、インターネットを使って調べようと思うようになった。』 上記の語りを要約すると、A は最初は家族が選んだホームページを読むことから始まり、A が興味があること(知りたいこと)を支援者が該当ホームページの内容を「わかりやすく」考察したものを読む ⇒ 世の中には情報がたくさん存在していることを知る ⇒ それらはインターネットで得られることを知る ⇒ 自分が知りたいことはインターネットで調べられることに気づくというステップを踏み、インターネットの活用に至っているということである。実際、ASAHI パソコンでは「リンク」と出会ってから約2 年後の中学時代のインターネットの活用についての記述が見られる。 『翌日の日曜日午後、再度自宅にA 君を訪ねた。インターネットで岡山の路面電車について調べていた。S さんたち盲聾児の家族が立ち上げた家族会「ふうわ」をアピールするために、2004 年11 月に岡山で開かれる中四国盲聾者大会に親子で行くのだ。A 君は岡山市内を走る路面電車に乗るのをとても楽しみにしていた。』(Asahi パソコンより) 以上は2004 年の出来事であるが、A が中学1 年に相当する時期であり、インターネットを本格的に活用するようになっている時期であることが推察できる。 <考察> 「リンク」という言葉を知ったことをきっかけに、A はボランティアが作成した点字本を読む、家族や支援者が選んだホームページを読む、知りたい情報を調べるために自分でホームページを選んで情報を得るというように、段階的にステップを踏むことで、インターネットの世界に定着するようになったことが窺える。 すなわち、当時の支援者の役割は、母(家族)=A が読みやすいホームページを選ぶなどのパソコンの操作、支援者のI 氏=インターネットに書かれている内容の提供(点字で要約する)というようにそれぞれが、A が情報の世界を楽しめるように支援を行っていたことが窺える。 3-2.インターネットへの順応 【家族と一緒にインターネットを活用する中で】 前述した背景によって、A はインターネットに定着するようになったが、ある日を境にインターネットを活用し始めたのではなく、「徐々に」インターネットに順応するようになったことは、次のA の語りからも窺える。 A:『前述したように突然インターネットそのものを学んだわけではなく、家族と一緒に行動する中で、自然にインターネットがどういうものなのかを知っていったことになると思う。そういう意味では、最初こそ単なる読み物に過ぎなかったのかも知れないけど、あることをきっかけにこれがインターネットだと納得したような記憶があまりない。』 A:『ちなみにまだ別トピックのブレイルセンスに移行していなかったので、家族に「こういうホームページを見たい」と伝えて検索してもらいながら、ホームページを見ていた。また鉄道会社のホームページであれば、ニュース、駅の紹介、車両の紹介といったようなリンクが並んでいるので、自分が見たいリンクを選んで、家族に該当リンクに合わせてもらい開いてもらったりして、自分が知りたいことを読んでいた。』 A:『また、知りたいことについて家族が読みやすそうなサイトを選んでそれを読むということもあった。』 <考察> 背景にもあるように家族と一緒にインターネットを閲覧する中で、A はインターネットという世界を知り、家族のサポートを受けながらも単なる読み物として定着するようになったのがインターネットの活用の初期段階であったと言える。 【図書館(または本屋)として】 A がインターネットに順応するようになった要因として、A は次のように語っている。 A:『それ(これまでの経験)を繰り返すことで、インターネットは健常者にとっての本屋さんや図書館のように、自分が知りたいことを調べられるんだということを知るようになったと思う。今思ったことなのだけれど、ある意味自分にとっての図書館や本屋さんだったということになるかも知れない。』 A:『なぜなら本屋さんや図書館には点字の本がない。盲学校の図書館には点字の本もあるけど、数が限られている。だから何でも調べられるわけではないし、点字の本の情報が必ずしも最新情報であるとは限らない。』 A:『でもインターネットは点字ディスプレイを使うことで、何でも読むことができるようになったし、自分の知りたいことはすぐに情報を入手することができる。その意味ではインターネットは盲ろう者にとっての総合図書館であると思う。点字ディスプレイさえ手に入れば、図書館であるインターネットにアクセスできるので。』 <考察> A は盲学校に在学していたが、盲学校でも十分な点字の書籍が準備されているとは限らない。そうした中で、無限に読み物としての情報が存在するインターネットは、A にとっては、無限の図書室のような状態であった。知りたいことは簡単に調べられるというメリットを知ったのも、A がインターネットになじむようになった(順応するようになった)きっかけであったと言える。ホームページ内の「リンク」を一つの本と考えるなら、リンクされたページにどんなことが書かれているのかを覗く。もし興味があればさらに読み進むが、興味がなければページを閉じて、次のリンクを見つけて覗く。こうした行為は、「本屋で立ち読みする行為」と似ていると言えるだろう。 3-3.インターネットに順応したことによる成果 【無限に情報が得られるということ】 A:『もちろんその頃は「これが図書館だ」と思ったわけではないけど、本が読めないので、自分にとっては読み物としてインターネットが利用できるということ、また知りたいことを調べられるということに気づいてからは、読みたいもの、知りたいことが気軽に読めて、また調べられるという嬉しさがあったね。』 A:『(その意味では)家族や支援者による操作だったとはいえ、やはり自分で調べて情報を得るというメリットは大きかったと思う。それが後継のブレイルセンスに継ぐきっかけになったと思う。』 A:『まあ当時はあまり意識していなかったので、今思えばよかったという面は多いんだけどね。たとえば健常児が図書館や本屋さんなどに行くのと同じような役割があったと思う。たとえば鉄道が好きな子供は時刻表を買うけど、私は紙の時刻表は人に読んでもらうしかないので、その代わりにインターネットの時刻表を見たりしていた。』 A:『ちなみに家族にはパソコンの操作だけでなく、わからないところや時刻表のように見方がわからないときに、わかりやすく説明してもらったりもしていた。』 <考察> 墨字の本を読むことができないA にとって、インターネットは無限に情報が得られる宝庫であることは、事実であろう。その点ではA にとっては前述したように健常者が図書館や本屋で「立ち読み」することと似た感覚で、気軽に情報を調べられるという点でも、インターネットは画期的な存在であったと言える。そうした理由からA は家族の協力のおかげで、健常者と同じ情報をインターネットで得られるということにメリットがあったと言える。また「自分が知りたいことは自分で調べられる」と気づいたことは、その後のブレイルセンスの活用にも影響を及ぼしているという成果もあったと言えよう。 【調べる・尋ねるという術を身につけたこと】 A はさらに次のように語り続けた。 A:『よかったのかどうかは別として、当時(中学生の頃)は趣味に夢中だったので、とにかく調べるために、また情報を得たくてインターネットに夢中に(順応)なっていた。』 A:『それまではわからないことや知りたいことは人に尋ねていたけど、趣味についてなどは人に聞いてもわからないということに気づいてからは、インターネットで調べようと思うようになったと思う。まあ当時はこれからはインターネットで調べようと意識していたわけではないけど、少なくともそのようなパターンだったと思う。』 A:『最終的には専門的な情報を得るために、同じ趣味の人同士の掲示板も使うようになった。これが後継のブレイルセンスでのSNS の活用につながるきっかけになったと言えるかもしれない。』 <考察> A は、インターネットで情報を得たり、知りたいことを調べたりすることに夢中になり、さらにわからないことは人に尋ねるという術を身につけるようになった。その結果、A 自身も「自然に」入ってくる情報だけでなく、質問をする中で、自分から情報を取りに行くようになったという点では、情報入手の拡大の成果であると言える。それがブレイルセンスの活用につながるきっかけとなったのであろう。 【最新かつ専門性の高い情報が得られること】 インターネットは図書館の役割があることは前述した通りであるが、A が読める「本」の数が多いだけでなく、図書館ではなかなか得にくい成果が存在している。 A:『さっきも言ったように趣味に夢中になっていたから、専門的な情報が得られるということは大きかったと思う。本よりも早いくらい常に最新情報が得られていたので、そういう意味ではうれしかったね。インターネットの情報を参考に、旅行に行ったり、古い電車に乗ったりしていたのが中学時代の週末の過ごし方だったね。』 A:『(その点では)常に最新情報があふれていて、本と違って知りたいことがすぐに情報として得られるので、それが楽しいと感じていたし、常に情報が入らない盲ろう者にとっては画期的なことだと思った。』 A:『健常者は雑誌や新聞を見たりするけど、私にとってはそれがインターネットだったと言えるかも知れない。』 A:『ちなみに中学時代は寄宿舎に入っていたけど、自力で操作できないため、パソコンは寄宿舎には持ち込んでいなかった。だからパソコンは週末帰宅するときの楽しみだった。』 <考察> A は、インターネットで専門的な情報や最新情報が得られるようになったことで、趣味も楽しめるようになったことがインターネット活用の成果であると言える。もしインターネットが存在しなければ、情報源が限られるため、情報入手の不足により、盲ろう者にとっては、余暇活動が限られてしまうことはA の経験からも窺える。すなわち、図書館に所蔵されている書籍の電子データ化あるいは点字化を試みるだけでは、A が得ようとする情報をすべてカバーすることができないということである。実際A は、健常者が新聞や本を読めるということと比較し、盲ろう者はそうした雑誌類のバリアをうめるものとしてインターネットが存在しているということを述べている。その点では、インターネットは盲ろう者の「社会参加の拡大」を助ける素材であることは、成果として考えられる。 【気持ちとして健常者に近づいたこと】 さらにA 自身の気持ちにも変化があったと言える。 A:『当時は中学生だったけど、インターネットがきっかけで、より健常者に近づいたように思う。たとえば知っていることが多いとか。趣味活動も専門知識の量や活動内容は同年代の健常者とあまり変わらなかったのではないかと思う。』 A:『やはり得られる情報量が増えて、自分の世界が広がったことは大きいと思う。もしインターネットがなければ、わずかな情報しかない点字による読書に頼っていたと思う。よかったのかよくなかったのかは別として、趣味活動が広がったこともインターネットの影響だと思う。』 <考察> A は、「常に情報が得られる」ことで、気持ちも「健常者に近づいた」と感じていて、その理由に「知識(知っていること)が増えた」ことを実感していると窺える。A はそのことを「知識を増やすことができる」という意味では意義であったと感じていて、インタビュー中において、「今思えば(インターネットを活用したことは)正解だった」とつぶやいていた。実際、健常者との会話に乏しい部分もあったのであろうが、A はその後インターネットを通して健常者との交流を深めるようになったことは、トピック6・7 で明らかにされている。 【日常的に使われる日本語の獲得】 また、知識としての情報だけでなく、言語の獲得に必要な情報も忘れてはならない。 A:『日本語獲得という意味でも、たくさんの文章や単語に触れることで、学ぶことが増えたように思う。国語の授業で日本語は教わるが、日常的に読むことや書くことをしなければ、日本語獲得の成長につなげることはできなかったかも知れない。』 A:『具体的に言うと、健常者であれば、大人の会話や友達や先生との会話などを聞きながら、国語で教わることも踏まえつつ、日本語や英語を身につけることができる。でも盲ろう児は、国語の時間や少ない人とのコミュニケーションという限られた範囲でしか、日本語に触れる機会がない可能性がある。日本語に触れる機会が少なければ、自然に日本語や知識を身につけることは難しいと思われる。つまり「知らないこと」が多いまま大人になる可能性もある。』 A:『そのような日本語獲得や知識の獲得の成果もあると思う。』 A の日本語の獲得には、インターネットも影響しているが、その理由は「情報を得る機会が増えたため」と述べているが、実際A の生活にも次のような変化がみられた。 A:『自分が好きな時に、好きな情報を得られると気づいてからは、生活も変わったと思う。健常者であれば帰宅後はテレビや新聞を見たりするが、盲ろう者はそれが困難である。そのため帰宅後はパソコンや読書に頼る人が多いと思う。』 A:『そういう意味では、パソコンは盲ろう者にとってはなくてはならない存在であると言える。自分も1 日に1 回(主に週末)はパソコンでインターネットやメールを見るという日課を身につけるようになった。』 <考察> 盲ろう児にとって、インターネットは、テレビ、ラジオ、雑誌、書籍などでのバリアを補う役割があることが考えられる。その意味では「自由に閲覧できる」というだけでなく、日常的に使われる日本語に「触れる」機会を増やす存在であったことは成果としてあげられる。インターネットは知識と言語の両方の情報を同時に得られる存在であることは言えよう。 3-4.インターネット利用の課題 一方、A にもインターネットを活用するためには課題があることも明らかにされている。 【課題1:家族のサポートが必要であること】 A は当時家族のサポートを受けながらインターネットを活用していたが、その理由について次のような記述がある。 『自分で何もかもできるようなシステムがあるといいんだけど」とS さんは続けた。パソコンを起動し、メーラーやブラウザーを立ち上げ、メールの送受信や受信したメールを開く、あるいは新規のメッセージページを開く、ブラウザーならページ検索や表示などに介助が必要だ。そして、S さんが見つめる先には、A 君の指先がふれているピンディスプレイ(写真参照)があった。ピンディスプレイとはA 君のコミュニケーション手段の1 つである6点点字を、電気的にピンを上下させて五十音で表示するものだ。音声ソフトで読み上げられたメールやHP のテキストは、配列されたピンに左から右に出力されていく。文字入力は、パソコンのキーボードのF・D・S・J・K・L を6 点点字タイプライターのキーに見立て、点字を入力すると変換ソフトで五十音に変換される。』(Asahi パソコンより)<考察> 当時A はシステムが複雑なパソコンの使用法を十分にマスターしていなかったこと、家族との共用のパソコンであったことが要因であると考えられる。詳細については次のトピックで示すこととするが、家族のサポートが必要であったため、パソコンの利用は自宅にいる週末などに限られていた。そうした制約を解消したのが携帯電話の活用(トピック6)によるメールである。 【課題2:インターネットの閲覧の制約】 「インターネットは図書館である」と述べてきたことから、盲ろう者はインターネットが使えれば、何でも読めると誤解される可能性がある。しかし、インターネットの閲覧に必要な支援機器があれば、すべて読めるわけではなく、実際A は次のように課題を指摘している。 A:『盲ろう者だけでなく視覚障害者にも言えることなのだけど、インターネットはすべてのものが読めるわけではない。今もそう。たとえばPDF ファイルになっているものや表になっているものは読めない。だから読みたいと思ったときに限って、PDF ファイルだったりすることがあった。』 A:『当時はテキストデータに変換するようなソフトを持っていなかったので、読むのをあきらめるか人に読んでもらうしかなかった。今も人に助けを求めることがあるが、そういう意味ではつらかったね。』 A:『後になってPDF を点字で読めるソフトを導入したが、途中から調子が悪くなったりして、何回か試すのみで、完全に使えるまでに至っていない。PDF が読めない場合は、家族に内容を要約して読んでもらっていた。』 <考察> インターネットにはPDF ファイルなど、テキストデータ以外のファイルが用いられている場合がある。しかしそれらのデータは必ずしも点字の読み上げソフトに対応しているとは限らないというのが現状である。さらに、表や画像は盲ろう者や視覚障害者にとっては、バリアとなる部分である。すなわち盲ろう者が読めるのは、テキストデータ化された「文字」のみである。こうした課題は、支援者側の課題ではなく、技術的な課題である。 【課題3:子供向けのページが少ない】 A:『最初の頃は専門用語が多すぎて読みにくい、理解しにくいというのが多かったと思う。その都度家族などに説明を求めたりしていたので、自分だけでなく、家族も苦労したと思う。その頃はまだ子供向けのページは少なかったと思う。また以前に読んだものを探し出せないということもあった。だからお気に入りというものをその時に学んだ。』 <考察> A は「難しい言葉が多い」ことをインターネットへの順応の難しさとして指摘している。すなわち盲ろう児がインターネットを活用するためには、ある程度の言語力が求められるということである。そうした理由から、子供新聞などの子供向けのページも不可欠なのであると言える。 3-5.盲ろう児のインターネット活用への期待 盲ろう児・者のインターネット活用には、メリットとデメリット(課題)があるが、A は次のように盲ろう児・者におけるインターネットの活用への期待を持っている。 A:『さっきも話したように、盲ろう者はどうしても日本語に触れられる範囲が限られてしまう。家に帰ってしまえば、人とのコミュニケーションの機会がなくなるだけでなく、文字などに触れる機会がなくなってしまう人や子供も多いと思う。もちろん図書館や本屋さんに行っても読める本がない。』 A:『だから対策と言ってはどうかと思うけど、日本語に触れる機会を増やすためには、インターネットの活用が効果的なのではないかと思う。インターネットは自分が知りたいことを調べるだけでなく、新聞やテレビのように最新のニュースを得られるというメリットもある。他にも点字本に載っていないような情報をより早く知ることもできる。また最近は子供向けのサイトも増えている。』 A:『だから家族などの支援を受けながらでもよいので、ICT を活用し始めたら、ぜひインターネットにも触れてほしいと思っている。』 <考察> インターネットは「文字による情報を提供する素材」であり、盲ろう者にとっては、読み物による情報源を増やすことが可能であることから、A 自身もたくさんある情報源に触れることができるという成果があったと言える。そのため、日本語獲得のみならず、情報入手の範囲の拡大などの視点で、「情報源の多さ」を生かし、他の盲ろう児・者にもインターネットは「情報源のツール」として期待したいところである。 3-6.まとめ A がインターネットの活用にいたった背景として、家族との共同の取り組みが行われていたこと、A 自信に情報入手先(調べ物)に関心・興味があったことがあげられる。また、インターネットに順応した経緯として、A がインターネットという情報の世界が存在していることを知り、趣味を含め「知りたいことはインターネットで調べられる」ということに気づいたことが考えられる。さらに「知識を増やす」という成果を得ることができた。一方、盲ろう者や視覚障害者にとっては、読みにくいまたは読めないカ所が多数存在していることは、インターネットの利用における課題となった。 トピック4 学校での取り組み(パソコンへの挑戦) 2005 年(中学2 年~) パソコン活用を中心とした取り組みは、主にAの家族と学外の支援者や機関の連携によって行われている。しかしながら、教育機関(学校)でもまったくパソコン活用の取り組みに手をつけていないわけではなく、授業の一環としてパソコン活用の指導が行われている。実際A が在籍していた学校では、視覚障害者へのICT(主にコンピューター)の活用の取り組みが盛んに行われていることは、第3 章の「視覚障害者におけるICT の活用の歴史」の節で述べた通りであるが、A の学習カリキュラムにも「自立活動」または「情報処理」の一環として、パソコンを活用した学習が取り入れられている。本トピックでは、授業でのパソコン活用の指導が、どのようにA の生活と学外でのパソコンの活用に影響を及ぼしたのかを明らかにする。 4-1.背景 【指導計画と指導の基本方針】 学校でのA に対するパソコン指導は、次のような計画と方針に基づいて行われている。 『2.カリキュラムと学習形態【カリキュラム上の配慮事項】 〔第1 学年〕 ・後期から音楽の1時間に換え、言葉の時間を週1時間創設した。 〔第2 学年〕 ・第1 学年に引き続き,言葉の時間を1時間設けた。 ・他の生徒より1年早いが、自立活動の中で情報処理を開始した。 〔第3 学年〕 ・国語の単位を1単位増やし,4単位とした。 ・第2 学年までの言葉の時間を発展させ、コミュニケーションの時間を1時間設けた。 ・11月までの技術では、2年次からの継続性を考慮し、自立活動の情報処理担当及び情報科担当が個別で授業を行うことにした。 6.各教科・領域の個別指導計画 P.(10) 自立活動 《第2学年》 1.4月段階の評価 自宅にノートパソコンがあるが,自己での活用はできていない。ただ,メールにおいては,6点入力で簡単な墨字の文書を自己で作成し,送受信の際は保護者が操作等を行っている。 そのため,起動や終了といった基本的な操作等についても保護者が行っている。 現在では,携帯電話とブレイルメモによってメールを使用し,日常的に自己で周囲とコミュニケーションを取っている。』 明比庄一朗 p.82 (盲聾教育研究 - 中学部3年間のまとめ -(2004 年4 月~2007 年3 月)より)左振恵子 p.6 上記はA の中学の記録の一部であり、自立活動でのパソコン指導にいたった経緯がまとめられているが、少なくとも第2 学年からA におけるパソコン指導が開始されている。 A:『自立活動の中の情報の授業の一環として、パソコンを学ぶ機会があった。中学2 年頃だった。』 A も同様に第2 学年から学習を開始していることを記憶しているが、上記の中学の記録にもあるように、通常(他の生徒)より1 年早い中学2 年(第2 学年)から、授業の一環として、A に対してパソコン指導が行われている。 <考察> 他の生徒より比較的早い段階から情報処理の授業が開始された理由は、A の家庭でのパソコン活用の実態を考慮してのことであったと思われる。上記の記述に書かれているA のパソコン活用実態は、すべてトピック3 までのライフヒストリーで明らかにされている内 容であるが、A に不足している知識(パソコンの操作方、パソコンの基本等)を補おうとしたのが、学校での教育の取り組みであったと思われる。 したがってA の学習カリキュラムは、A の実態に基づいた方針によって組まれていたということが言えるのであろう。なお、記述の後半にある「携帯電話とブレイルメモ」の活用については、ブレイルメモのトピックで述べることとする。 【授業の内容】 上記の基本方針と計画(指導上の配慮事項)に基づいて、次のような形で授業が行われた。 『2.1年間の指導計画 アルティア(テキストエディタ,電子メール,テキストブラウザ等利用ソフト)の活用 (1)1学期の指導計画 ・パソコンの起動と終了の操作方法の習得 ・エディタの操作方法の習得 ・6点入力による墨字(カタカナ)の文書作成 (2)2学期の指導計画 ・墨字(カタカナ)の文書作成の復習 ・メールの送受信方法の習得 (3)3学期の指導計画 ・メールの送受信方法の復習 ・メール送信時の応用操作(アドレス帳,添付ファイル等)の習得 ・インターネット,ブラウザ検索方法の習得 3.指導上の配慮事項 ・ピンディスプレイを活用する。 ・パソコンの起動・終了時については,音声での確認が難しいため,CD・DVDドライブ開閉の有無での確認やUSB接続のおもちゃ扇風機の回転の有無による確認で行う。 ・キー入力ミスを防ぐためにシート型キーボードカバーを使用し,使用しないキーとの区別をする。 ・Windows 起動後にアルティアが自動起動するよう設定する。 ・墨字の文書作成において,日本語はカタカナ固定の入力で行う(漢字変換なし)。 ・LAN の利用設定についての学習は省略する。 ・授業者が指文字を使用して指導を行うが,用語や理解しにくい言葉等は点字に表して呈示する。』 (盲聾教育研究 - 中学部3年間のまとめ -(2004 年4 月~2007 年3 月)より)明比庄一朗 p.82‐p.83 ※アルティア(ALTAIR for Windows):視覚障害者、ロービジョン(弱視)、盲ろう者のための統合フリーウェア。日本障害者リハビリテーション協会と、静岡県立大学の石川准先生が開発されていたソフトウェアである。(2019 年現在石川先生単独にて運営されている。)音声、点字、拡大文字等の利用に適したソフトウェアであり、ホームページからダウンロードが可能となっている。 <考察> 上記の基本計画に基づいて、パソコン活用の授業が行われた。いずれも「パソコンの起動と終了の操作方法」や「メールの操作方」等の「パソコンの基本」と言える指導内容であるが、これまで本格的な指導が行われていなかった部分を補う形となっていることが、A のパソコン活用歴の特徴であると言える。 トピック3 の課題として、「家族のサポートが必要であること」を明らかにしているが、以上の背景はこの課題に答える形になっているということが窺える。 コメント 『これまでパソコンは使っていたけど、家族に操作してもらっていたので、パソコンの基本というのは実はあまり学んでいなかった。だから自力で自由にパソコンを使えるようにするための準備段階として、パソコンの基本を学んだことには意義があったと思う。』 以上のコメントにあるように、A にとってはパソコンを活用した自立に向けた準備段階という意味合いがあったことが考えられる。 4-2.受講者として 【本人は学ぶ意欲はあまりなかった】 自立に向けた準備段階と位置づけたA であるが、パソコン指導を受けることになったときの気持ちについて、次のように語っている。 A:『当時家のパソコンは母との共同使用であり、自分にとって使いやすいパソコンではなかった。使いやすいというのは(自分にとって)、覚えやすいキーボードの配置とか必要最低限の設定の内容やメニューなどだったけど、家族に支援してもらうことが前提だったから、文章の入力が精いっぱいだった。それに携帯電話に慣れていた上パソコンより小さいブレイルメモが利用しやすかったため、キーの数が多いパソコンを新たに学ぼうという意欲はあまりなかった。』 A:『すでに寄宿舎でも携帯電話を使っていたので、パソコンが使えないからと言って不便だということはなかった。(だから)すぐにパソコンを使おうという意識はなかった。自宅に帰ってもパソコンの練習ができる環境ではなかったし。でも授業の一環だったから、できるところまでは学んだ。将来に備えてということ(意識)もあったかも知れない。』 <考察> A にとって背景にも記述されている現状の体制、すなわち自宅での家族の補助によるパソコンの活用と寄宿舎での携帯電話の活用(ブレイルメモのトピックを参照)に満足してしまったため、新たにパソコンの活用を受け入れようとする意欲はなかったことが考えられる。 学校でのパソコンの指導が始まった時期も、携帯電話の活用が始まった時期も、中学2 年(第2 学年)であったことを考えれば、授業内でしか使う機会のないパソコンよりも、自由に利用できて、活用を通して機器の使い方もある程度身につけた携帯電話の活用に定着する方が容易であり、学校でのパソコンの指導が始まった時期も、携帯電話の活用が始まった時期も、中学2 年(第2 学年)であったことを考えれば、授業内でしか使う機会のないパソコンよりも、自由に利用でき、活用を通して機器の使い方もある程度、身につけた携帯電話の活用に定着する方が容易であり、A の校外生活には有利であったことは、パソコンに馴染もうとしなかった要因であったと言える。さらに、A は自宅に帰ってもパソコンの練習ができる環境ではなかったことも、積極的に勉強しようとする意欲がなかった要因であろう。 【それでもパソコンを学ぶ意義は感じていた】 A は実際授業を受ける意欲はなかったが、前述した自立に向けた準備であることから、「なぜパソコンの授業を受けるのか」といった意義は理解していたと考えられる。 A:『もともと家のパソコンには6 点入力(点字入力)のソフトを入れていたから、自分に必要なキーはそれほど多くなかった。だから6 点キー、エンターキー、スペースキーなどは知っていたけど、他のキーの使い方は知らなかった。』 A:『だから授業では改めてキーボードの配列、メニューの選び方等を基本から学んだ。 (その意味で)パソコンの復習と将来の自立に備えた勉強という側面もあったので、やっている意味はそれなりに理解していたと思う。) 実際記録における年間の評価では、次のように記述されている。 『4.1年間の評価 (1)1学期の評価 パソコンの起動や終了については,操作方法を理解して行うことができていたが,複数のキータッチで指を離すタイミング等からスムーズに終了ができないことがあった。墨字文書の作成において,「ウ」と書き表す長音部分を点字表記での長音符で書くミスが目立ったが,その他では特に入力ミスや表記ミスといったことはなかった。日本語においては,カタカナ固定の入力で漢字変換がないこともあり,初期段階から比較的スムーズに文書作成ができていた。 (2)2学期の評価 墨字文書の作成において,長音符で書くミスもなくなり,ピンディスでの確認操作によるキー入力も早くなった。英数字と日本語の入力変換は,操作方法は理解しているものの,キータッチのタイミング等からスムーズに行えないことがあった。アルファベットの入力については,音からの墨字表記が思い浮かばないことがあり,その際は英語科から配布された表記表で確認していた。 メールの送受信については,時々操作方法を忘れることがあるが,自分で取った記録を確認しながら行っていた。送信時の宛先のアドレス入力では,アルファベットやアットマークといった記号において,入力上のミスで何度か入力し直すことがあるが,自分で的確に訂正している。また,半角と全角の変換についてもスムーズに行うことができている。 (3)3学期の評価 メールの送受信は,迷ったりミスすることがなくなりスムーズに操作することができていた。文書の入力や表記なども特に問題ない。返信や転送,複数の送信といった様々な送信においては,それぞれの用途についても理解して操作することができていた。また、アドレス帳の活用などの応用操作においても新しい用語や操作方法をノートに取って,時々確認をしながら自分で操作することができていた。なお,3学期は指導計画にあるインターネット,ブラウザ検索方法の指導・習得までには至らなかった。』 (盲聾教育研究 - 中学部3年間のまとめ -(2004 年4 月~2007 年3 月)より)明比庄一朗 p.83‐p.84 <考察> 前述した語りには「授業の一環として受けた」とあるが、A が授業を快く受けたことには、A 自身も授業を受ける「意義」があることを感じていたからであろう。その要因として、Aはパソコンの使い方は読み書きに必要な最低限のことしか学んでいなかったため、授業では改めてパソコンの基本的な使い方を学んだということから、A 自身がパソコン指導を受ける意義を感じていたことが考えられる。 実際、上記の評価の記録から、A は1 年間でパソコンの起動・終了といった基本的な操作やメールの基本的な操作を大まかに習得していることが読み取れる。それらはパソコンを使用する人にとっては、基本的な操作に過ぎないが、A にとっては、その基本的な操作を習得することで、起動から終了まですべてを自力で操作できるようになったことは、「将来のパソコンの活用に備えて学ぶ」という点では、意義があったことを感じていることが窺える。 すなわち、A にとってもパソコンの授業は復習のみならず、「学び直し」という意味合いがあったことは考えられる。 4-3.成果 【後に役立つものとなった】 A は実際にパソコン指導を受けて達成感を感じたかの問に対し、次のように語っている。 A:『授業外では練習できる環境ではなかったけれど、人の手を借りずにパソコンの操作ができるようになったという達成感はあったね。うれしいというか満足したような気分だったかな。結果としては後で役立つことになったけれども。』 A:『そのときは授業での範囲内だったので、将来も含めあまり意義は考えられなかった。でも高校時代に自分専用のパソコンを手に入れたときは、ある程度健常者と同じようにパソコンが使えるという意義やメリットを感じたね。使用前に一度は復習していたと思うけど、授業で基本的なことを学んだ成果はあったと思う。』 A:『だからパソコンを学ぶタイミングが早いかどうかは別として、中学のカリキュラムの中でパソコンの基本的な部分を学んだことは悪くなかったと思う。』 A:『つまり今思えばやってよかったということの一つに入ると思う。』 <考察> A が自力で最低限の操作ができるようになったことは前述したが、A は授業を通して、環境が整っていれば、自分でパソコンが使えるということに気づいたことも事実であろう。そうした学びはトピック3 の「家族の補助を受けなければパソコンを利用できない」という課題を解消する形であり、実際に後のパソコン活用に役立ったことは、授業での学びの成果であると言える。 実際、現在A は補助的にパソコンを活用していることは、次項の「授業を終えて(パソコンへの順応)」で明らかにされている。 4-4.授業を終えて(パソコンへの順応) 他のトピックの特性に従えば、中学部における授業の終了時点で、本トピックは「授業での成果」と位置づけて終えることができる。すなわち「授業でパソコンを学んだことは、ICTの機器の活用の選択肢として、パソコンの基本的な操作法をマスターした」という目的を達成することができたとするなら、授業としての目的を達成した成果として結論づけることができる。しかし、【後に役立つものとなった】と前述しているように、授業終了後に一定の区切りがあった後に、パソコンに順応するようになり、授業での成果が役立ったことは事実である。 そこで本項からは「授業を終えてからのパソコンへの順応とその成果」を明らかにし、全体的な成果として結論づけることとする。 【パソコンへの順応はずいぶん後になってからだった】 A がパソコンに順応するようになったのは、パソコンを学んだ中学時代ではなく、高校になってからであった。定かな記録が見受けられないが、パソコンへの順応にいたる経緯として、A は次のように語っている。 A:『ここからはもう高校時代の話になってしまうけど、高校の時ある障害者のイベントでパソコンを借りる機会があり、自分専用のパソコンを手に入れた。それまでの約3年間は後述するブレイルセンスの導入などがあったので、パソコンに触れることはあまりなかった。ちなみに自分用のパソコンを購入したのは大学の時だった。』さらに、A のICT 活用実態に合わせ、パソコン以外の機器への取り組みも行われるようになった。 『《第3学年》自立活動『情報分野 ファイル管理』 1.目標 ファイルの管理を行うことができるようになることを目指す。今後の授業でのノートのことなども考慮に入れ,ブレイルメモでのファイルの管理を目標とした。』 (盲聾教育研究 - 中学部3年間のまとめ -(2004 年4 月~2007 年3 月)より)明比庄一朗 p.86 高等部での指導記録がないため、中学部終了後の状況が不明であるが、A の記憶と研究者としての解釈が正しければ、中学3 年(第3 学年)はパソコンからブレイルメモへの移行期であり、高等部では主にブレイルメモや同時期に発売されたブレイルセンスを活用した授業が続けられていたことが推察される。 <考察> A 自身は大学が主催している障害学生向けのイベントに参加した際に、参加者一人に1 台パソコンが貸し出されたことをきっかけに、パソコンに順応するようになった。A 自身は大学入学の約1 年半前に同イベントに参加していることが同イベントの名簿で明らかにされていることから、A が自分専用のパソコンとして、本格的にパソコンに触れるようになったのは、パソコン指導から約3-4 年経過していたことが考えられる。その期間は従来からの携帯電話の活用に加え、ブレイルセンスが導入されたため、パソコンの導入は見送られる形であった。 授業においても高等部の指導記録が見受けられないが、A の記憶と研究者としての解釈が正しければ、高等部の授業では主にブレイルメモやブレイルセンスの応用編としての学習が中心であり、パソコンを活用した指導は行われていない。そうした理由から中学部でのパソコン指導の意義が問われる可能性があるが、パソコンの基本を学んだことは、後に役立つという成果を得られたことは事実であろう。 ※ブレイルセンス:詳細はトピック7 で述べる。パソコンと点字ディスプレイが一つの機器にまとめられ、パソコンと同様に単体で文章の読み書きの他、電子メールやインターネットができることに加え、キーの数がパソコンに比べ少なく、盲ろう者にとっても使いやすい設計になっていることが特徴である。 次からはパソコンに順応した後のパソコン利用における主な用途について紹介する。 【活用用途1:ブレイルセンスの補助機器としての利用】 A が自分専用のパソコンを手に入れて、再びパソコンに触れ始めたときについて、A は次のように語っている。 A:『自分専用のパソコンを手に入れたことをきっかけに、メールやニュースのチェック、インターネット、レポート作成などを行うために、パソコンに順応するようになった。』 A:『多くはブレイルセンスでもできることではあったが、インターネットの読み込み速度が速いこと、ニュース専用のソフトがあること、文字カウントができることなど、パソコンでのメリットも感じていた。さらにブレイルセンスの点字読み上げへの対応が不十分なサイトなどは、パソコンでも 点字が読めるか確認するようになった。 後述するSNS への書き込みや写真投稿はパソコンの方が文字化けせずにできるため、現在も重宝している。健常者と同様に写真を投稿したいと思うことがあるが(写真は見えないが)、ブレイルセンスでは現時点で写真のアップロードや添付はできないようである。』 <考察> A はパソコンで利用できる範囲が広いことに気づいたことによって、パソコンをブレイルセンスの補助的な機器として活用するようになり、情報入手の範囲などの拡大とともに、情報入手の機器としてブレイルセンスとパソコンを使い分けるようになったということが窺える。 【活用用途2:ブレイルセンスの代替機としての利用】 もう一つパソコンを使用する用途として次のようなことがあげられる。 A:『さらにはブレイルセンスなどが故障したときの代替機としての役割もあった。(メールに関してはブレイルセンスと同一のアカウントをパソコンにも登録している)そうしたメリットもあり、ブレイルセンスだけでなくパソコンも活用するようになったのが大学生の頃である。』 <考察> A が使用できる情報機器が増えたことにより、パソコンはブレイルセンスの故障時の代替機としての役割も果たすようになったことは特筆すべき点であろう。 【パソコン利用には課題も】 以上の利用目的を踏まえて、独力でパソコンに順応するようになったが、一方で課題もあることも明らかにしている。 A:『さっきパソコンはブレイルセンスよりできる範囲が広いと話したが、それでも点字のみを頼りにパソコンですべてのことができるわけではない。特にパソコンの場合、設定をしていても勝手に更新プログラムがインストールされたりすることがある。 そのあたりの確認が点字では難しいということが現在の課題であり、苦労する点でもある。』 <考察> 以上のような課題もあり、A がすべて自力でパソコンに頼るには限界があることが窺える。そうしたデメリット(課題)に気づいたことも、A の高校時代または大学時代のパソコンへの順応の時期であったと言える。 【授業の受講とパソコンの活用による成果(まとめ)】 しかしながら総合的に授業でのパソコンの指導は成果があったということは前述した「パソコンの基本を学ぶ」という語りからも事実であろう。 A:『パソコンに限ったことではないが、様々な機器を使い分けるようになった。レポート作成用にパソコン、外出用にブレイルセンス、さらには現在に至ってはパソコン通訳用にパソコン、というように目的別に使い分けることもするようになった。』 「目的別に」とあるように、目的に応じてパソコンやパソコン以外の機器をA 自身は使い分けるようになった。そのメリットとしてA は次のように語っている。 A:『したがって、たとえば1 台の機器が故障したとしても、代替機や他の選択肢があることによって、コミュニケーションの機会や情報入手の機会の安定性が確保できるようになり、以前のように平日はメールがチェックできず、周囲の人から孤独になりがちであるということが少なくなった。』 <考察> A 自身はパソコンの活用によるメリットとデメリットを踏まえて、パソコンを一つの手段として受け入れるなら、複数の機器を使い分けるための選択肢としてのメリットがあると考えていると述べている。 目的別に使い分けるだけでなく、たとえば電子メールの機能(アカウント)を複数の機器に登録することで、他の機器の故障時の代替機としての利用ができるなど、選択肢を増やしておくことにより、情報の安定性を確保することができる。機器の選択肢を増やすことで、盲ろう者における社会からの「孤独」を防げるというメリットをも出せるようになる。同時に「パソコンの基本」を学んだことで、独力でのパソコン利用が可能になったということも、A にとっては大きな目標の達成であったと言える。 4-5.まとめ A は第1 段階として中学時代に教育機関での指導カリキュラムに基づいて、パソコン指導を受けた。その時点では、将来のICT 活用の選択肢としてしか役割を果たせず、独力でパソコン利用ができるようパソコンの基本的な使い方を学習したという成果しか得られなかった。 第2 段階として、A が自分専用のパソコンを手に入れたことにより、情報機器の選択肢が増えたことによるコミュニケーション機会の拡大、情報入手の手段の多様化など、幅を広げるという成果を得るようになった。また、情報機器の選択肢が増えることで、高等教育などの教育機関や職場などでの多様な場面に対応できるという効果もある。 第1 段階と第2 段階を総合的に評価するなら、パソコンなどの機器の選択肢が少ない時期から、ブレイルセンスなどの発売によって機器の多様化が進む時期に移行しているという時代的背景において、A のパソコン指導は将来の選択肢の一つとして試される時期であったことは、様々な選択肢を試すということからも学習の意義があったことは推察できる。そのため、盲ろう児におけるICT 活用による教育の可能性を検討するにあたり、盲ろう児のニーズや実態に応じて、機器の選択を行う必要があることは明らかである。 2019 年現在ブレイルセンスシリーズもポラリスまで発売され、盲ろう者や視覚障害者の間では、新しい情報機器としての期待が高まっている。しかしながら、ブレイルセンス発売後も学業や職業ではパソコンは広く利用されている。ブレイルセンスをスマートフォンにたとえるなら、健常者が「スマートフォンがあってもパソコンはまだ必要である」ことと同様に、盲ろう者も「ブレイルセンス(スマートフォン)があってもパソコンは必要である」ことに変わりはない。パソコンの方が操作性や機能性に優れていること、社会的に共通の機器として認識されていることなどがパソコンの需要の高さを伺わせている。その点では、Aも「パソコンの基本」を 学んだことで、世界共通の機器としてのパソコンへの適応を可能にしたということは事実であろう。 4-6.今後の期待(全体を通して) 【時代の流れ】 A は盲ろう者におけるパソコンの利用について、次のように語っている。 A:『かつてはパソコンを利用する盲ろう者も多かった。しかしながらブレイルセンスシリーズ等の発売によって、現在はパソコンの使用者は少なくなってきているのではないかと思う。』 A:『なぜならブレイルセンスでもパソコンで行っている基本的なソフトの多くが利用でき、事実上ブレイルセンスがパソコンまたはスマートフォンの役割を果たすようになったからである。』 A:『私たちがパソコンを学び始める段階では、私の小学生時代を含め、ブレイルセンスはまだ発売されていなかったため、今後の盲ろう者のICT 活用にパソコンの利用が期待できるかといえば、やはり「時代の流れですね」としか言えない。』 A:『私たちの時代は盲ろう者にとってはパソコンが最も利用しやすく効果的なICT のツールであったかも知れないが、現在はパソコンは選択肢の一つに過ぎないのではないかと思っている。』 以上の語りを要約すると、パソコンなどの限られた選択肢しかない時代から、機器の多様化によって、ICT の活用の選択肢が多い時代に移行する時期をA 自身は経験しているということが読み取れる。そのため盲ろう児へのパソコン活用の期待について、A は次のように語っている。 A:『特に盲ろう児の場合は、パソコンよりブレイルセンスの方が操作しやすく覚えやすいため、早期のパソコン活用支援は期待できない。』 A:『しかし盲ろう児に限らず、パソコン通訳など、盲ろう児・者のニーズに応じて、貢献できる余地はあると思われる。』 <考察> A はコミュニケーションツールとしてパソコンを活用してきたが、これはパソコン(とパソコンに接続された点字ディスプレイ)しか選択肢がなかったという時代的背景によるものであると言える。しかしながら、近年はブレイルセンスなどが発売され、盲ろう者の間でも新たな機器として普及されている。そのためパソコンは他の機器の代替機として、また補助的な利用として、さらにはパソコンでしかできないことへの利用として、ICT 活用の選択肢として加えることには、A にとっても、また盲ろう者にとってもメリットがあるということに変わりはない。 しかしながら、パソコンを使用するにも、多くの知識とパソコンへの適応力が求められるため、ICT 活用においては、盲ろう児・者の状態やニーズに応じて選択する必要があり、適切な選択と指導が求められることは考えられる。 第2節 ブレイルメモとの出会い トピック5 ブレイルメモとの出会い 2002 年(小学5 年頃) 1-1.はじめに ブレイルメモはKGS 社から発売されている点字対応のICT 機器である。ブレイルセンスと異なり、本体のみではインターネットに接続することはできない。しかしながら、パソコンの点字ディスプレイとしての利用が可能であるなど、使用用途は多様である。そのため、A のICT の活用にも、ブレイルメモは様々な場面で利用されている。その中でも、ブレイルメモと携帯電話を接続し、これらの機器を用いてメールの送受信をするという実験に協力したことは、A にとっては人生を大きく変える出来事であった。 本節では「ブレイルメモの学習」と「携帯電話の活用」の2 トピック構成にて、ブレイルメモの活用がA にどのように影響を及ぼしたのかを明らかにする。 1-2.背景(ブレイルメモとの出会い) 【授業の一環としてのブレイルメモとの出会い】 A が初めてブレイルメモに出会ったのは次の記述によれば小学5 年の時であった。 『児童氏名(学年):M.A(5 年2 組) 担当者:雷坂 2. 各学期の指導内容と評価 〈1 学期〉 (中略、文末に次のように記載) *2 学期から視覚障害者用電子手帳「ブレイルメモ」を導入し、学習の補完教材として使用することと、同装置にて本人の発言や主張を合成音声化することなどの検討を開始する。 〈2 学期〉 指導目標:ブレイルメモ(視覚障害者用電子手帳)の使用方法の習得 学習内容・方法 1)ブレイルメモの構造、各操作部の名称、各種ボタンの操作方法などを学習した。 2)ブレイルメモの機能を理解するために、6 点入力による簡単な文章の作成と保存、データの検索(給食の献立表・教員の指名他)、音声化した会話の仕方などの指導を行った。 学習の様子 機器の扱い方を身につけることを目的として、各種ボタンの名称と機能の違い、正確な操作方法を学習した。理解するまでにやや時間はかかったが、基本的な 活用方法を習得することができた。機器の有効性に関しては、まだ実感が少ないようだが、今後は教材として各教科の学習等で活用していく予定である。』(2003.9.30 筑波大学附属盲学校盲ろう児説明会資料より) 当時の授業の様子として、A は次のように語っている。 A:『学校の自立活動の中で初めてこの機械(ブレイルメモ)に触った。自立活動のR 先生が旧タイプのブレイルメモを準備した。試験的に活用したものと思われる。』 上記の語りによれば、当時のブレイルメモの指導はA のICT 活用の拡大による試験的な意味合いがあったことが考えられる。 <考察> ブレイルメモとの出会いのきっかけは、学校での「自立活動」の授業での指導であった。 上記の記述によれば、2002 年(A の小学5 年に相当)の1 学期に自立活動でのブレイルメモの指導に対する検討が開始され、A 自身がブレイルメモと出会ったのは2002 年(A は小学5 年)の2 学期(秋)であった。 当時はトピック1 のパソコンと点字ディスプレイの出会いとトピック2 のメールの出会いを通して、A はパソコンという物の概念を理解し、家族の補助の元、パソコンでのメールを日常的に利用するようになった時期である。パソコンでの電子メールの開始時期が小学5年の5 月と考えるなら、多少の前後はあろうが、少なくともメールの開始時期から4 カ月後には、ブレイルメモの指導が開始されているということが推察できる。 なお、パソコンの活用による取り組みは中学での授業を除き、すべて家庭内での出来事であり、教育機関(学校)との関連は小学部の段階ではほとんど見られない。そのため教育現場におけるICT 活用における取り組みとしては、ブレイルメモの指導が唯一であったとみられる。 【仕方なく…(本人から)】 ブレイルメモの指導を受けた本人の気持ちとして、A は次のように語っている。 A:『最初はどうしてこの機械を使わなければならないのか理解できなかった。つまりこの機械を使うことにどのような意味があるのか理解できなかった。半分無理やりに、自分の言葉に言い換えるなら仕方なく使い方を覚えたという感じだった。』 A:『(でも)パソコンと点字ディスプレイの活用経験はあったので、ブレイルメモはパソコンに似たようなもの、ということはすぐに認識することができた。パソコンと(パソコン接続用の)点字ディスプレイとは少し違うけど、パソコンのように何かで きるんだなとは思ったと思う。だからどうしてパソコンを使っているのに、このブレイルメモも使わなければならないのか理解できなかったんだと思う。』 A:『(さらに)実際にメモ帳の読み書き練習をしていたけど、メモの読み書きをするための機械だと言うことは理解していても、どうしてタイプライター(パーキンスブレイラー)があるのにこの機械を使わなければならないのか理解できなかった。』 A:『(でも)ブレイルメモを与えられたので何かをしなければならないだろうという意識はあった。しかも授業の一環としてとらえていたので、ブレイルメモの使い方を学ぼうと思った。まあ半分仕方なく…だったけど。ブレイルメモを使ってみると言う宿題はあったけど、あまりやらなかった記憶がある。』 <考察> 当時A はブレイルメモの活用の目的をあまりわかっていないまま、ブレイルメモの活用を受け入れたと語っている。特にA はパソコンのような物と認識していても、読み書きについては点字タイプライターに馴染んでいたため、ブレイルメモと紙媒体のメリットの違い、すなわちペーパーレスの利点を理解していなかったことが窺える。そのため、「仕方なく」と強調しているように、A はブレイルメモを使う意味や目的を理解しないまま、「仕方なく」または「無理して」受け入れたと考えられる。 そうした状況については、記録から明らかにすることができないが、A はブレイルメモの指導を受ける段階で、ブレイルメモを学習する理由やメリットを理解できるだけの事前説明を十分に受けていなかった可能性がある。反対に、担当教員による事前情報の説明不足も考えられるが、どちらにしても情報の不足により、「仕方なく受け入れた」という状態が生じた可能性がある。 ただし、A 自身はメモ帳のシステムを理解していたことから、単に使うメリットや意義が理解できていなかっただけであることが考えられる。そのためブレイルメモの指導を受け入れたのは、A にとっては、ブレイルメモはパソコンと同じ物と認識していたため、パソコンとの機能的な違いを理解することができていなくても、ある程度ブレイルメモを活用する理由を予測できていたことが考えられる。 その要因としては、自然に「ブレイルメモを与えられたので何かをしなければならないだろう」という意識が、A 自身にあったと考えられる。こうした意識は、前述した記述データ内の指導計画と照らし合わせて考えれば、教育現場の授業という環境であったことにより、「この指導法は正しい」という固定概念を持ってしまった可能性が考えられる。 すなわち、A 本人が「授業で教えられることはすべて受け入れなければならない」という概念を自然に身につけてしまった可能性があるという考え方である。 なお、当時の状況については、上記説明会資料から、「理解するまでにやや時間はかかったが、基本的な活用方法を習得することができた。機器の有効性に関しては、まだ実感が少ないようだが、今後は教材として各教科の学習等で活用していく予定である。」といったわずかな情報が得られる(これらはA の小学5 年の2 学期の段階である)。そのことから事前の説明不足について、A は次のようにコメントしている。 コメント 『健常児であれば、携帯電話などを手に入れるまで、携帯電話で電話やメールができるという事前情報を何となく自然に得ているだろう。そのため携帯電話に興味を持ったりするだろう。しかし盲ろう児の場合、そうした情報が自然に入ってこないので、結果として、この機器で何ができるかというようなことを知らないまま、機器を扱うことになりかねない。そうした影響もあったと思われる。』 すなわち、どの程度事前に説明がなされたのかは不明であるが、過去に「触ったことがない」「扱ったことがない」「説明を受けたことがない」状態であったA には、機器の構造や使用法を教えるだけでなく、機器を使用する目的(なぜこの機器を使うのか)やメリット(パソコンや点字タイプライターとの違い)等を一から指導する必要があったのであろう。 これは指導する立場として、福島(1994)が述べている「④盲ろう児の経験の質」、すなわちA の過去の経験も考慮する必要があったと言える。 【当時のA のコミュニケーションの状況(記録から)】 「指導者による事前の説明が不足していた」または「本人(A)の説明の理解が不足していた」ことが、A が「仕方なく受け入れた」要因であると考えられるが、当時のA のコミュニケーション状況について、当時A を担当した指導教員による実践報告(『盲ろう教育研究紀要』より)、日本語の獲得実態について記述されている。 詳細は第3 章の3 の2 で述べているが、実践報告から明らかにされているように、聴覚障害児と比較しても、A の日本語獲得の状況は不十分であり、ブレイルメモでも短文程度の文章しか読み書きができなかったことが推察される。 <考察> 日本語獲得の強化に向けた目標が立てられていることからも、ブレイルメモの説明を理解できなかった要因と関連しているのではないか。また、当時の点字の読み書きスキルが不十分であったことが考えられるのではないか。以上のように考えられるが、これらを明らかにするため、新たに質問し、A は次のようにコメントした。 コメント 『ブレイルメモを与えられたときは、短文しか書けなかった記憶がある。何を書けばいいのかわからないというのもあったと思う。でもH 先生に日本語を教わりながら、ブレイルメモで何かを書いていたと思う。」何を書いたかはあまり覚えていないけど、多分日記や授業の内容の記録だったと思う。助詞の使い方などに対する意識はあまりなかったと思うけど。』 A は短文を書くことが中心であったとコメントしていることからも、事前の説明が不足していた要因として、A の理解語彙の少なさがあったことが考えられる。指導者としては、ICT 活用に限らず、新しい取り組みを行う際には、盲ろう児が意味を納得するまで説明すること、さらには本人が知っている語彙を選びながら説明することが指導の条件として求められている。 これは福島(1994)の「①「読み」の理解を助けるための手段」に当てはめるなら、単に「②「読み」の素材」(福島,1994)を提供するだけでなく、「素材」を提供するための「助け」となる材料、すなわちA の理解言語を利用した説明を補う必要があったと考えられる。 そうした事前の情報の不足の中で、本人としてのA も理由を納得しないまま、指導者の指示に基づいて、ブレイルメモの活用に向けた指導を受けることとなったという経緯があった。 1-3.授業を受けて 【指導内容と活用内容】 以上のような経緯によってA は授業を受けることになったが、指導内容について次のように記述されている。 『〈3 学期〉 指導目標:学習や生活場面でのブレイルメモの活用方法を身につける 学習内容・方法 各種の読み物や宿題をブレイルメモを媒体として読み、不明確な言語や名称をメモする ことを習慣化させるため、繰り返し機器の操作方法の指導を行った。 学習の様子 本人からの質問とその解説を交互に行うことを繰り返す中で、不明確な理解の補完や修 正をはかっている。 指導目標:言語及び事物事象の概念の補完 学習内容・方法 1)屋外授業(行事)においても、ブレイルメモを携行させて、教えたい事物や事象の解説をした後に、本人にも作文をさせることを繰り返し行った。 2)授業時間内では、郵便局の業務や駅構内の設備等に関する学習を行った。 学習の様子 本人からの質問とその解説を交互に行うことを繰り返す中で、不明確な理解の補完や修正をはかっている。』 (2003.9.30 筑波大学附属盲学校盲ろう児説明会資料より) 上記の計画に基づいて、A は「仕方なく」授業を受けた形になるが、A は次のように語っている。 A:『だからメモ帳として使えることは理解していても、(指導計画に基づいて)仕方なく使い続けた記憶がある。』 <考察> 上記の記述から、3 学期の段階では、ブレイルメモはメモ帳としての役割を目的として学習していることが窺える。従って、ブレイルメモの利用用途は文章の読み書きと保存が中心であったと言える。A 自身は前述したように、教育機関で決められた「指導計画」に答える形で、ブレイルメモを使い続けていたことが窺える。 【合成音声の利用の実験も】 ブレイルメモは主にメモ帳として利用したが、A はメモ帳以外についても、次のように記憶している。 A:『ちなみに6 年生のとき卒業生を送る会か何かで、声で話せない変わりに、文字を音声に出す実験をした記憶がある。』 A:『(ただ)そのときも指文字を表して通訳してもらえればいいのに、なぜこのシステムを使わなければならないのかわからなかった。当時は中学部進学に向けて、他の人とぶつからないように、鈴を足につけて廊下を歩いたりしていたが、自分だけ他の人と違うという特別感というか、自分だけ違うという部分をあまり受け入れたくなかったというのもあった。つまり聴覚障害を受容できていないことと同じような状態があった。だから他の人と違う音を出すことに抵抗があったのかも知れない。』 <考察> 説明会資料からは計画段階の記述しか見られないが、上記の語りから音声合成の使用については、実行されたものである。しかし、本格的な活用にいたらなかったことは、A の語りのみならず、後述するR 先生との共同解釈においても明らかにされている。主な理由は家族や周囲の人たちが音声の利用に反対していたからであるが、A の受け入れ状況についても次のように分析することができる。「つまり聴覚障害を受容できていないことと同じような状態があった。」とあるように、盲学校に在学していたという特性上、A は音に対して、他の人と違うという特別感を受け入れることができなかったということである。 A は盲学校に転入以降、周囲は、視覚障害はあっても、全員聞こえるという環境で過ごしていた。そのため、自分だけが「聞こえない」ということを十分に受容できなかった上、自分の表出とはならない機械音を出すことに抵抗があったことが考えられる。そうした理由から音声合成の利用は、実験のみにとどまっているが、パソコン(トピック1―4)と同様に、「成功するかわからないが試してみる」という意味では、A の意思やニーズに適応できるかを試すという意味合いもあったと思われる。 1-4.授業を受講して(成果) 【それでも多数の機能が後に役立った】 指導時ブレイルメモのメリットを感じていなかったA であるが、ブレイルメモには多数の機能があることに気づくようになり、ブレイルメモを受け入れられるようになっていったことをA は次のように語っている。 A:『メモ帳、電卓、時計(時間の確認)、音への変換等、ブレイルメモではいろいろなことができるとわかったときは、パソコンの代わりに、またはタイプライターの代わりに使えると納得した気がする。結局1 回試しただけで終わってしまったものもあるけど、いろいろできることはわかったと思う。』 A:『結果としてブレイルメモは後で役立つことになるが、「携帯電話の活用」の項で触れたいと思う。さらに中学部からはブレイルメモを活用したチャットも始めている。 ブレイルメモを2 台つないで、チャットをする。つまり点字を知っている人(先生)との間であれば、指点字を使わなくとも、点字でのやりとりができる。英語の授業ではこの方式を活用したが、小学部時代にブレイルメモの使い方を学んでいたことによる成果(影響)は大きかったと思う。だから今思えば「学んでよかった」と思う面はある。』 <考察> 実際に指導を受ける段階で使おうという意識はなくても、「いろいろなことができる機械」ということは認識していて、それを通して「何かと使えそう」だと実感していたことが窺える。 ブレイルメモの活用による成果についてはトピック6(携帯電話の活用)等で詳細に分析するが、「結果としてブレイルメモは後で役立つことになる(なった)」と語っているように、現在に至っては、A 自身はブレイルメモを学んだことに意義があったと感じている。そのため語りの中でも「学んでよかった」という言葉を用いていて、その点からも学んだ意義があったことは窺える。そうした意義について、A は次のようにコメントしている。 コメント 『健常者であればこうした機能は携帯電話でできる。聴覚障害者も視覚的情報の工夫があれば、携帯を利用できる。視覚障害者も音声情報(音声読み上げ)の工夫があれば携帯を利用できる。でも盲ろう者の場合、どちらの工夫にも当てはまらない。そのため、たとえば電卓を使おうとすると、携帯がなければそうした手段がなくなってしまう。そこをカバーするのがブレイルメモであったと思うし、インターネットに接続しない点字の携帯電話という意味では、当時は盲ろう児・者にとっては画期的な存在だったと思う。』 上記のコメントから考えると、記述にもあるように、A にとっての「インターネットに接続されていない携帯電話」と同様の役割があったと言える。 【パーキンスブレイラーと違ったメリット(ペーパーレス化)】先に「パーキンスブレイラーとの違いを理解することができなかった」と述べているが、A がブレイルメモに順応した後についてA は次のように語っている。 A:『すでに多くのことは話したと思うけど、もう一つのメリットとして、文字を消せること、つまり間違えたときに書き直せること、またタイプライターと違い余分な紙が発生しないため、メモをするのにも持ち運ぶのにもとても便利だと思うようになった。』 <考察> A は「文字を消せること」「紙が発生しないこと」をメリットに感じていて、その結果「持ち運べるもの」としてブレイルメモの活用に対するメリット(意義)を感じているということである。すなわち「ペーパーレス化」というメリットがあるのが、ブレイルメモであったと言えよう。 【総括】 A はブレイルメモの利用について総括として次のように語っている。 A:『電卓なども自動的に計算してくれるし、便利だけでなく、その動きの面白さもあった。自動的に物事をしてくれることは興味があったし、電卓など、無駄に使ってみたり、他の新しい機能を探したりしていたように記憶している。とにかく健常者の携帯のようにいろいろなことができるとわかってからは、楽しく使うようになったと思う。』 A:『チャットを活用すれば、相手とストレスなくコミュニケーションができる。特に英語など、慣れない文字は指点字と異なり、何回も読み返せるし、ログとして残すことができるので、後で読み直すこともできる。そういうメリットも徐々に感じていたと思う。』 A:『だからそれぞれの便利さや使いやすさに気づき始めて、徐々にブレイルメモに順応するようになった感じ。』 上記の語りからブレイルメモを使っているうちに、様々な利点を感じることで、ブレイルメモに順応できるようになったということが窺える。 <考察> 順応した時期は定かでないが、A は経験をする中で、ブレイルメモの楽しさを感じるようになり、徐々に順応するようになったと推察される。また、独力で機器を操作できるようになり、様々な機能を試すようになったことも順応するようになった要因であると考えられる。独力で操作できることへの意義について、A は次のようにコメントしている。 コメント 『自分だけで操作できるようになったことは、その後の携帯電話やパソコンの活用、さらには後継のブレイルセンスの活用に大きな影響を及ぼしたと実感している。つまりICT の活用に慣れるためには、ちょうどよい機械であったと言える。その意味では子供やICT の使い方に慣れていない大人が練習機として活用することに適した機器であったと言える。』 上記のコメントではブレイルメモをICT 初心者の練習機として活用する可能性について指摘している。これは「メモ帳を中心とした機器であること」「持ち運べて手軽であること」などを長所にした結果である。そのためインターネットに接続しないという前提で、機器を学習する場合選択肢としてブレイルメモは利用できると考えられ、A にとってもそうした役割を果たせたことになると言える。 1-5.まとめ A が、ブレイルメモを活用した背景には、自立活動におけるブレイルメモの指導の取り組みがあったことが窺える。教育機関(学校)では初めてのICT 活用による取り組みであったが、A が「仕方なく受け入れた」と何度も語っていることから、事前の情報不足(本人が納得するまでの説明の不足)が指導上の課題となった。さらに本人の関心・興味に基づいた教育がなされていなかった可能性がある。しかし、A がブレイルメモの使用法をマスターしたことによって、ペーパーレス化による負担軽減につながるとともに、電子的なメモ帳としてだけでなく、チャットシステムの活用、携帯電話の活用(トピック6)などの長期的課題にも影響を及ぼした。そのため、ブレイルメモまたはそれに相当する視覚障害者向けICT 機器はICT 利用の初心者への利用の選択肢として期待できる。 トピック6 ブレイルメモと携帯電話の活用 2005 年~(中学2 年~) ※ブレイルメモと携帯電話を接続し、ブレイルメモで打った文章を携帯電話に送信後、携帯電話からメールを送るという方式です。以下、一部を除いて、「携帯電話」と総称する。 2-1.はじめに A は、パソコンの活用に続いて、小学5 年にはブレイルメモの学習を開始した。中学部に入学後もチャット用の機器や携帯電話の補助機器としても活用されるようになり、ブレイルメモは機種こそ変わっているものの、A の生活になくてはならない存在となった。 その中で、A にとって人生の変化が訪れたのは、携帯電話を活用したメールの送受信である。後述の報告書にあるように、あくまで「試作機(専用のプログラム)」ではあったものの、携帯電話が受信したメールをブレイルメモに点字として表示させることができるシステムをA は利用した。メール送信時も同様にブレイルメモ側で文章を入力し、携帯電話に送信すると携帯電話からメールが自動的に送られるシステムになっている。(以下、本システムは「携帯電話」または「携帯」として総称する。) 2-2.背景 【携帯電話の活用にいたる経緯】 携帯電話の活用にいたった目的と、当時のA の生活状況について、A 自身が全国盲ろう者協会の会報「コミュニカ」の「コミュニカ広場」に次のように投稿している。 『《コミュニカ広場》 「携帯電話の活用」A(T 県、盲ろう) T県のAです。T 盲学校中学部3年です。寄宿舎に入っています。出身地はG 県G 市です。小学部4年までG 県立G聾学校に入っていました。小学部5年からT 県のT 盲学校に転校してきました。小学部の時は、お母さんとアパートに住んで学校に電車で通学していました。中学部に入ってから親と離れて寄宿舎に入ることになりました。(主に平日のみで休日はお母さんのところに帰ります)そこで、お母さんやサポートの人と連絡ができるように、T大学先端科学技術研究センターのO さんに携帯の使い方を教えてもらいました。それについて話します。 (自己紹介等中略) 携帯の話に戻ります。まだあまり普及していないのかもしれませんが、ブレイルメモという点字ディスプレイと携帯電話をコードでつなげて、携帯の送受信メールが点字で表示できます。現在はひらがなのみ対応です。皆さま、もし僕の携帯にメールする場合は必ずひらがなで書くようにしてください。漢字はパソコンでは可能ですが、携帯は変換できないため読めません。 去年の夏までは携帯電話は持っていましたが寄宿舎で親との緊急連絡を目的にしていたため、サポートの方が来たときに親に連絡をしたりする程度でした。夏休み中、O さんにブレイルメモの使い方などを教えていただき、その後は自分でメールできるようになりました。現在では、親やサポートだけでなく友達とかとメールできるようになりました。その関係で最近はメールに夢中になってしまいます。寄宿舎では他の人は音声が出る携帯電話を使ったりしています。 このブレイルメモをつなげられる機種はドコモの「らくらくホン」(F671 i・F671 is・F672 i)しかまだ対応していません。この「らくらくホン」は文字数制限があって送信は250文字までです。とても短く感じています。もっと文字数を増やしてほしいです。受信は設定によって2000文字まで可能です。ただし、250文字ずつに自動的に分けられるので相手が長いメールを送ってくれるとき、うまく入らず途中で切れる場合がありますので、なるべく短くすることがお勧めです。「漢字が読めないこと」、「文字数が少ないこと」が特に困っています。今後、漢字が対応したり文字数が増えたり、または他の機種にも対応したりしたらいいなと思っています。 しかし、親やサポートとの連絡が自由にできるようになってとても良かったと思います。これからもメールを楽しんだりしていきたいと思います。 2006年7月』(原文は点字) <考察> 以上は、A が携帯電話の活用に順応したときに、A 自身が投稿した記事であるが、寄宿舎に入舎したことをきっかけに、「お母さん(母)やサポートの人(支援者)と連絡ができるように」するために、A 自身が連絡手段を確保しようと試みたときの様子である。 具体的には、ブレイルメモの学習と並行し、パソコンによるメールの活用に順応したA は中学部に入学し、寄宿舎生活をスタートした。寄宿舎入舎後もメールをチェックするために週末に帰省することが楽しみだったことは、トピック1-4 で述べた。しかし、寄宿舎にいる間はA が独力で利用できるICT システムがなかったため、外部との連絡が途絶えている状態が続いた。 上記の記述には、「(携帯電話の活用が)まだあまり普及していないのかもしれませんが、」と前置きがあるが、実際当時盲ろう者が独力で携帯電話を活用する方法は、後述する報告書でも明らかにされているように、ほとんど存在していなかった。実際A も盲ろう者の携帯電話へのアクセスのバリアについて、次のようにコメントしている。 コメント 『当時携帯電話には点字という概念がなかったため、盲ろう者は利用できなかった。聴覚障害者は視覚的情報の工夫があれば携帯を利用できる。電話の変わりにメールを用いるという方法がある。視覚障害者は聴覚的情報(音声)の工夫があれば利用できる。メールが使えなくても電話ができる。さらに音声読み上げソフトを利用すれば、メールもできる。しかし盲ろう者の場合は、どちらの配慮にも当てはまらない。つまり文字情報も音声情報も使えないという2 重のバリアがあり、それを乗り越えなければ、携帯を利用することはできなかった。』 A は、盲ろう児・者は視覚障害者向けの設備と聴覚障害者向けの設備は両方とも使えないことを強調し、携帯電話の利用には情報にアクセスするためのバリアの課題があることを明らかにしている。また、パソコン等においてもトピック4 までの中でも明らかにされているように、A が独力でメールを送受信する方法を確立するには至っていなかったという事情があった。 そうした中で、A に転機が訪れたのは、本システム(ブレイルメモと携帯 電話)の活用であり、上記の投稿記事では、A が携帯電話の活用における課題を抱えながらも、「携帯電話が使えるようになりました」と読者にアピールしたものであると思われる。 【本人としての携帯電話への願望】 A は、携帯電話に対して、具体的にどのように望んでいたのかについて、次のように語っている。 A:『携帯に限ったことではないけれど、寄宿舎に入ることになり(中学1 年)、寄宿舎にいる間はメールができなかった。まだ自力でパソコンが使えなかったし、当時はブレイルセンスなどもまだなかったから。』 A:『周りの寄宿舎生はすでに携帯を持っている人が多かった。さらに実家が遠方で毎週末帰れない人も多い。(私にとっての)(毎)週末に帰宅する楽しみというか目的はメールチェックやインターネットだったから、帰りたくても帰れない友達に「なぜ土日に寄宿舎に残らないのか?」と言われたときは何を言えばいいのかわからなかった。週末は寄宿舎で友達に付き合うべきか、帰宅してパソコンでメールチェックをしたりボランティアさんと遊んだりするべきなのか迷ったこともあった。』 A:『そういう意味では周りの人は携帯を持っているか、寄宿舎の電話を使えているのに、自分だけ連絡手段がないというつらさは少しあったかもしれない。試験的にI さんから手紙を送ってもらったこともあったが、手紙は時間がかかりすぎるのであまり効果的ではなかった気がする。』 <考察> A は、家族や周囲の友人が日常的に携帯電話を使っていて、さらに携帯電話でメールをするといった携帯電話に対する知識はあった。しかしながら、A は寄宿舎入舎当初の1 年間連絡手段がなかったため、「パソコンのメール」をチェックするために、ほぼ毎週末帰省しなければならず、友人関係において、つらい思いをしたことが窺える。実際友人との関係についてA は次のようにコメントしている。 コメント 『盲ろう者は電話でさえもできないという点では、たとえば急に友達から遊びのお誘いがあって、予定を変更したくても、家族や支援者に連絡するために、寮母さんに要件を伝えて、寮母さんから家族に連絡するようにしてもらわなければならなかった。寮母さんにも個人情報が知られてしまうという点でも、そうした不便さはあった。』 以上のコメントのように、外部との直接的な連絡手段がないために、あらかじめ決められたスケジュールに従い行動するしかなかったA にとってはつらいことであった。すなわち、友達との予定変更ができない、職員に個人情報を伝えなければならないなど、A にとっては、周囲の友達とのギャップを感じていたことは事実であり、携帯電話に限らず、周囲の人たちと同様に、寄宿舎からも連絡ができる方法を望んでいたといえる。 【本システムと出会う以前の状況】 実際に、本システムの活用がスタートしたのは、2005 年度(A の中学2 年)であるが、スタート前の2004 年度(A の中学1 年)のA 自身の携帯電話の所持状況について、次の報告書に盲ろう者の携帯電話活用の実態として、紹介されている。 『〈報告7〉盲ろう者の携帯電話利用に関する事例研究-盲ろう者はどのようにして携帯電話を利用しているか- 大河内直之・中野泰志・苅田知則・前田晃秀 1 目的 視覚障害者や聴覚障害者が携帯電話を利用しているケースは数多く報告されている。少なくとも、視覚障害者の揚合には通話機能、聴覚障害者の揚合にはメール機能が活用できることは容易に想像できるであろう。では、視覚と聴覚の両方に障害を併せもっている盲ろう者は、携帯電話を利用できるのであろうか? 本研究の目的は、盲ろう者の携帯電話利用の実態を調査し、彼らが利用時に行っている工夫事例等を明らかにすることである。また、事例の分析から、盲ろう者用携帯電話に必要な機能について考察する。 3.2 メール機能の利用 b)Eの事例:先天性の全盲ろう コミュニケーション手段:受信・発信ともに、相手や状況に応じて、指文字・指点字・触読手話を使う。 移動:慣れた場所であれば、単独で移動できるが、その他は常に通訳・介助長が必要。携帯電話の所持:外出する時は、常時所持している。 利活用方法:母親との連絡手段として、携帯電話のメールを利用しているが、送受信ともに通訳・介助員に依頼している。送信する場合は、指文字・指点字・触読手話のいずれかで通訳・介助員に用件を伝え、携帯電話でメールを送ってもらっている。携帯電話でメールを受信したときには、電話を通訳・介助長に渡し、内容を通訳してもらっている。自宅のパソコン(WindowsXP)には、スクリーンリーダー「95 リーダーver. 6. 0」(株式会社SSCT)、点字入力「KTOSXP」(高知システム開発)、ピンディスプレイ「ALVA 544 Satellite」(ALVA B. V.)をセットし、文字入力は点字タイプライター方式で行い、表示はピンディスプレイに点字で出力されるように設定している。 自宅にいるときには、このシステムを用いて、メール(AL-Ma11)の送受信を行っている。 (2004 年度より)』 当時の携帯電話の所持と周囲の人の反応について、A は次のように語っている。 A:『ある程度生活が安定した頃には、家族との緊急連絡用に携帯を持つようになった。 1 週間に2、3 回程度来ていた支援者(寄宿舎サポート)に携帯を操作してもらい、家族に要件や近況報告などを伝えていた。通りすがりの友達に「携帯持っているんだ」と見られたこともあって、連絡先を教えられないこと、あくまで緊急用であって、普段はメールや電話ができないことをどうやって伝えたらよいのかわからなくて困ったこともあった。今だったらメールできませんよと伝えられたと思うけど、その時は言い訳ができなくてつらかったなあ。』 <考察> 上記の記述はA 自身がヒアリングに協力し、回答した際の事例であるが、語りの中にも「家族との緊急連絡用に携帯を持つようになった。」と触れているように、A 自身はすでにヒアリングが実施された2004 年度の時点で「持っている」と回答している。 しかし「持っている」と言うだけで、実際に独力で携帯電話を操作しているわけではなかった。おそらく「連絡するために職員の手を借りなければならない」、「寄宿舎の電話機を使用することに伴う通信費の出所の問題」といった問題を解消するために、A の家族がAに緊急用携帯電話を所持させたものであったと思われる。すなわち、前述した寄宿舎からの連絡手段の確保を望んでいるA に対して、少しでも寄宿舎内での友達付き合いなどの自由を与えるとともに、職員による家族への連絡への負担を少しでも軽減させようとしたことによるものであったと推察される。 しかしながら、事例を読んでいくと、「送受信ともに通訳・介助員に依頼している。」との記述があり、A が携帯電話を持っても、通訳・介助員に依頼する必要があり、完全に独力でメールの送受信を行える状態にいたっているわけではなかった。通訳介助員の支援を受ける必要があるということで、いくつかの課題が生じる状態は残ることとなった。 ①プライバシー保護の問題⇒通訳介助員にも母親とのやりとりの内容が知られるというプライバシーの問題がある。 ②時間的問題⇒通訳・介助員が滞在する週に数回・数時間しか利用できないという問題。 ③連絡者の選択の問題⇒①と②の問題から、連絡する相手を緊急時に必要な人のみに制限しなければならないという問題。 すなわち、A 自身が携帯電話を所持しても、情報にアクセスできない(点字に対応していない)というバリアがあったために以上のような制約があり、あくまでも「緊急用に所持している」ことに過ぎないということが窺える。A の語りの中に「今だったら(携帯電話を所持していても)メールできませんよと伝えられたと思うけど、その時は言い訳ができなくてつらかったなあ。」とあったが、上記のプライバシー保護、利用時間、連絡者を制限する必要があり、A 自身がその「制限しなければならない理由」を中学生という時期に十分に説明できなかったことによるものであると思われる。 【研究協力者(モニター)として】 A 自身がブレイルメモと携帯電話によるメールの活用にいたったのは、次の報告書に記述されている研究への協力という形であった。なお、本トピックでの事例、すなわちA の携帯電話活用の事例は、研究への協力によって、実現されたものであることから、本事例においては、研究における成果を踏まえながら、以下の報告書を引用することを断っておきたい。 『2.厚生労働科学研究費補助金 感覚器障害研究事業 「盲ろう者の自立と社会参加を推進するための機器開発・改良支援システムの構築ならびに中間支援者養成プログラム作成に関する研究」平成16 年度~18 年度 総合研究報告書 <報告6> 指点字をコミュニケーション手段としている盲ろう児の携帯メール指導に関する事例研究 大河内直之、中野泰志 1.目的 (盲ろう者の携帯電話の活用における現状について中略) 本研究では、1)盲ろう児・者のコミュニケーション特性を考慮した携帯メール指導・支援方法の確立、2)盲ろう児・者向け携帯メール・点字情報端末の指導者の養成とそれに関連した人材育成プログラムを確立することを目的に、指導事例の分析を行った。 2.方法 2.1 研究参加者 携帯メール指導に関する研究参加者を募集したところ、10 代の先天性盲ろう児(中学生)1名とその母親から応募があった。そこで、面接を実施し、研究参加の動機についてヒアリングを行った。その結果、この盲ろう児は、これまでも寄宿舎で生活する本人と母親との連絡手段として通訳者を介して携帯電話のメールを利用していたが、この方法では1)通訳・介助員がいる時間しか携帯メールが使えない、2)本人のプライバシーが守られないといった問題があり、独力でメールができる環境を模索していることがわかった。盲ろう児にも母親にも強い動機があることがわかり、参加者として研究への協力を依頼することに決定した。』 A の同研究の受け入れについては、次のように語っている。 A:『そんなとき点字ができる携帯電話を開発中という話を聞いていた。その開発先のT大の研究員は日ごろパソコンなどの支援に携わってくれている人だったということもあり、点字用の携帯電話の活用には興味はあった。そしてその研究員である支援者とのご縁もあり、なぜか実験への協力という形で必要な機器を借りることとなった。(正確にはブレイルメモとコードのみ貸し出し、携帯電話本体は家族が購入)』 <考察> 以上の研究の趣旨に基づいて、2005 年度に実施されることとなったが、当時中学2 年生であったA は、以上の趣旨のうち「1)盲ろう児・者のコミュニケーション特性を考慮した携帯メール指導・支援方法の確立」の一環として、同研究への協力者として、参加者に選ばれた。 A の語りと報告に触れられている課題のみならず、報告書の研究参加者の中に、「独力でメールができる環境を模索している」ということから、A 自身もA の母親も独力でのメールの利用に対する強い願いがあったことが研究への参加の動機であった。それは前述した寄宿舎での連絡手段の確保における課題からも、中学部入学してから約1 年の間の願いであったと言える。 さらに、語りにもあるように、A と研究者である研究員は、日頃、盲ろう者友の会に携わっており、盲ろう者という立場と支援者という立場での長い付き合いを持っていることも、同研究への協力に選ばれた経緯であると推察される(なお、定かな記録はないが、支援者はA のパソコン活用の支援にも携わっている)。 すなわち、本システムの活用は、A の生活の向上が目的ではなく、あくまでも実証実験という形で実現されたものである。しかしながら、中学部入学当初「独力でメールができない」という課題を抱えていたA にとっては「独力でメールをする環境を作るチャンス」という転機が訪れるきっかけともなっていると言える。 2-3.講習会を受講して(研究への協力) 【講習会形式での指導】 同研究の1)盲ろう児・者のコミュニケーション特性を考慮した携帯メール指導・支援方法の確立(報告書)に向けた事例研究に参加する形で研究は実施されたが、具体的な研究の手順は以下の記述の通りである。 『2. 2 手続き 2005 年8月に行なわれた点字情報端末・携帯メールの講習と、その後の研究参加者と講師とのメールでのやり取りを事例研究の対象とした。講習は、自身が点字使用者であり盲ろう児・者のコミュニティに支援者として属している研究者1名が講師となり、直接指点字を研究参加者に伝えながら進められた。また、研究参加者からの発言も指点字で講師に伝えられた。講師には、記録のため指点字で交わされた会話すべてを発話してもらい、指導場面をすべてビデオカメラで記録した。』 <考察> 上記の研究では事例研究での結果を明らかにするために、講習会形式での指導が行われ、A は同講習会に参加する形であった。上記の記述にあるように、A は携帯電話でのメールの活用ができるよう、講習会を受けた後携帯電話の使用におけるアプローチ(研究参加者と講師とのメールでのやり取り)を受けている。講習の詳細は割愛するが、講習は、1 回およそ2 時間、全4 回実施された(同報告書)と報告されている。 【講習会を受けた印象(本人)】 A は携帯電話の点字対応には 興味があり、また本人の強い願いから研究に協力し、講習を受けるためにT 大に通うことになったが、実際に機器に触れたときの気持ちについて次のように語っている。 A:『しかし日常生活で使おうという意識はあまりなかったと思う。あまり意識がなかった理由として、一般的な携帯の概念(持ち運びのしやすさや形状など)を壊すことができなかったからだったと思う。操作が複雑なのではないか、点字関連の機器や道具は大きいことがほとんどであるために大きな機械を持ち運ぶ必要があるのではないか、などと考えていたため、日常的に使おうという意識がなかったと思う。メールはパソコンがあれば十分なのではないかとも思っていた。』 <考察> A は独力でのメールへの願望があったとはいえ、あくまでパソコンと同じように利用するものであり、健常者が日常的に携帯電話を使うように、A も日常的に携帯電話を使うことはA にとっては想定されていなかったことが窺える。操作が複雑で覚える自信がないということだけでなく、ブレイルメモのサイズなどを考慮しても、持ち運ぶということがイメージできていなかったのではないかと推察される。 その要因として語りには、「パソコンがあれば十分」とあるように、A はメールだけの目的ならパソコンでできるのではないかと考えたのであろう。すなわち、A は家族のサポートを受けずに、自力でメールの送受信を行うことは考えていなかった可能性がある。 以上がA の講習会を受けたときの印象であるが、報告書には「盲ろう児にも母親にも強い動機」と記述されていることから、記述データと本人による口述データにずれが生じていることは明らかである。本来であればこのずれを埋めることも必要であろうが、口述データはインタビュー時点での本人の語りであり、実際に当時の記憶と変わっている可能性があることも否定できない。そのため、本研究ではこの「ずれ」を埋めるための議論は行わず、可能な限り同報告書の記述に基づいて、引き続き分析を進めることとする。 【講習会を終えて(本人)】 前述したように、A の講習会に対する意識は明らかにすることができない。しかし、仮に「日常的に使用することを想定していなかった」というAの口述データが事実であるなら、なぜA が同研究に参加し、講習を受けようとしたのかという疑問が生じてしまう。同講習会を受けて、受講を中断しなかった理由について、A は次のように語っている。 A:『さっきも話したように、実験協力という機会に恵まれたので、好奇心からやってみようと思った。そのときは日常的に使うために学ぶというよりは、興味から学んだと思う。』 A:『最初はやっている意味はわかっていても、複雑な機器の構造を見て、これを自分のもの(コミュニケーションツール)にできるのかわからなかった。だから本当に学ぶべきなのかちょっとわからなかった気がする。でも家族や支援者に普通の友達と同じように携帯が使えるよと言われたから、使ってみよう、そのために学ぼうという気持ちはあった。』 <考察> A が講習会を受けようとしたことには、「好奇心」があったことが語りから窺える。この「好奇心」とは新しい機器やシステムに対する興味のことである。すなわち日常的に使うために学ぶ、というより、「何かできるんだろう。」といった単なる好奇心から講習会を受けたことが考えられる。 さらにA 自身が普通(A の周囲)の友達と同じように、メールができることを家族や支援者から教わったことも、講習会に継続的に参加しようとする意欲につながったことも、講習会への参加を可能にした要因の一つであると言える。A は当初自分のものにできるかに疑問があったために、学ぶべきなのかどうか迷っていたが、A は学んでいるうちに次のようなことに気づいた。 コメント 『盲ろう者の場合、点字が使えても、ICT を活用するためには、たいていは高価でかつ大きな機械を複数持ち運ばなければならない。携帯も携帯本体だけでよいわけではなく、ブレイルメモも一緒に持ち歩かなければならない。でもたとえ機械が大きくても、周りの友達と同様に携帯を使ってメールなどができるんだとわかったときはうれしかった記憶がある。それはたとえば肢体不自由の人が「車椅子」という道具を使えば外出できるという感覚に似ているかも知れない』 A は機械が大きくても、自分で持ち運べば周りの人と同様に自分でメールができるということに気づいたことが携帯電話の学習への意欲の向上と携帯電話への順応のきっかけになったことが窺える。 【講習会を受けてからの成果(支援者)】 中学部の寄宿舎生活の記録には、A の携帯電話の活用について次のように記述されている。 『盲ろうの中学生の寄宿舎生活について 寄宿舎中学部 秋山ミヤコ・高田富美子・堀美保・村井保・安田雅俊 p97 <中学2年> 中2 の夏休み明けより携帯電話を使用するようになった。携帯電話をブレイルメモ(ピンディスプレイ)に繋いで、メールの確認ができる機器を手にしたのである。使い方等で困って職員室に相談に来たりすることがあったが、徐々にそれも減っていった。 また、週一回、本人が頼んでいる通訳者(外部)の面会予定の時間把握を、この時から1人で行い、寄宿舎の職員への連絡(いつ通訳者が面会に来るのか伝える)は、しなくなった。それまでは通訳者から、職員が連絡を受け、M との面会予定日・時間を把握していた。』 <考察> 上記の記録から、A は中学2 年時(2005 年)から、寄宿舎内において、携帯電話を連絡手段として活用するようになったことが窺える。特にこれまで職員が担っていた通訳者との面会予定日・時間の調整を、A 自身が行えるようになったことは、職員にとっては負担軽減になったと言える。 この「通訳者」とは、背景で述べた緊急用の携帯電話をA に変わって操作していた通訳・介助員のことであり、通訳介助員の訪問日時の調整をも職員が担っていたことが推察される。 2-4.メールへの順応 【独力でいつでもどこでもメールができるということ】 講習会終了後のA の様子(結果)について、報告書には次のように記述されている。 『3.結果 3.2 講習後のサポートの分析 b)文書の管理(2) 「いまもたくさんのひとにめーるをしています。おかあさんやおとーさんのめーるもするのでへいじつわ1にちあたりやく30つーをこえるかずです。きゅーじつだと 5~15つーぐらいていど。いろいろぶれいるめもにかんけいすることでききたいことがあるのでこんど1かいあいたいです。たとえばぱそこんからぶれいるめもにてんそーしたいものがあるからそのしかたもおしえてほしいです。」 上記は、講習から約2ヶ月半後に講師に届いたメールの一部である。メール数は講師が予想した以上に増加し、またメール以外の文書もブレイルメモで読みたいと言うニーズが発生していた。そこで、外部メモリを購入し、講師が本人の家を訪問してメモリヘの読み込み・書き出し方を講習した。これにより、メールデータに関しては必要なものを外部メモリに保存し、必要のないものは消去するという方法で、文書の管理を可能とした。』厚生労働科学研究費補助金による研究報告書より また講習会を受けた後の本人の立場として、A は次のように語っている。 A:『最大のメリットは寄宿舎にいてもメールができるという点だった。また自宅に帰っても、家族の手を借りずにメールができるので、24 時間いつでも好きな時にメールができるというメリットはあった。』 A:『どこにいても家族や友達とメールができる。返事もすぐにもらえる。予定を変えたいと思ったときにも、関係する人に連絡ができる。』 A:『それがきっかけで使いこなすようになった。最初は家族の補助を受けずに、気兼ねなく相手とやりとりできることがうれしくてメールを送りまくったから、周囲の人にはずいぶん迷惑をかけたと思う。』 A:『(でも)周囲の友達と同様にメールを楽しめること、いつでも使えること、自分にとっては周囲の人たちの電話と同じ役割があることに気づいたから、使いこなそうと(順応しようと)思うようになった。』 A:『またたくさんの人とメールをしているうちに、離れていても相手と気軽にやり取りができること、友達と指点字などでやり取りするより早く打つことができるということに気づいたので、コミュニケーションツールとして使いこなそうと思うようになった。』 <考察> 上記の記述は、ブレイルメモへのメールの文章の保存における問題であるが、本研究の研究者は「ブレイルメモのメモリーの容量」を問題視しているのではなく、A が講習会の講師(研究者)に送信したメールの本文にある「メールの数」に注目した。同研究の研究者も「メール数は講師が予想した以上に増加し」と分析しているが、A は講習会後約2 ヶ月半後にはすでにメールの送受信数を増やしていて、これらが上記の語りにある「うれしさ」につながったとみられる。 すなわち、A は携帯電話の活用を受け入れたことで、持ち運べること、自分でメールを送れることに納得し、「家族の補助を受けずに、気兼ねなく」メールができることへのうれしさから、たくさんのメールを送っていたことが推察できる。そのメリットについて、A は次のようにコメントしている。 コメント 『離れている家族や友達と話したいと思うとき、電話や従来の方法であれば通訳者を呼ばなければならなかった。でも通訳者を呼ばなくても、離れている人とやりとりができるようになった。つまり個人情報を支援者に知られることもなければ、通訳者がいる時間に合わせる必要もない。そうしたメリットもあると思う。』 すなわち、上記の結果を考察すると、①「場所を問わない」、②「利用時間の制限がない」、③「人(通訳者等)に頼る必要がない」という3 つのメリットは、独力でのメールの経験がなかったA にとっては、「自由な環境」を与えられた状態であったと言える。自由度が高まったことにより、A にとっては相手の「ペース」に合わせる必要がないという意味で、「ストレス軽減」につながる効果があったと言える。 その点では、語りの最後にある「周囲の友達と同様に」とあるように、A にとっては周囲の人たち(視覚障害者や健常者)と同じ生活が与えられるようになり、中学入学当初の周囲の友達に対する隔たりが解消されることとなった。すなわち「必要な機器(道具)は増えるが他人と同じことができる」ということにより、携帯電話とブレイルメモの活用は、周囲の人たちの電話と同じ役割があるということに気がついたからであろう。これは前述した「車椅子があれば外出できる」ことと同様であると言える。 2-5.携帯電話への順応によるA への影響 【ストレスフリーのコミュニケーションツールとして】 A は前述した利点に気づいたことで、学校生活の中でも携帯電話を活用するようになった。しかしながら本人がメールを楽しむだけでなく、本システムの開発はA の生活にも影響を及ぼすようになった。実際中学の記録には次のような記述が見られる。 (中学3年) 『3 年になると受験生という意味でも、落ち着いた雰囲気が出てきたように思う。友人(学校以外)とのメールでのやり取りが便利で、楽しそうに机でしている姿が目に付くようになった。本人にとっては便利なものなのだが、舎内での友人関係を広げさせたいという思いもあり、複雑であった。 ある時、M が居室にいて同室の生徒に鍵を外側からかけられて、出られなくなったことがあった(鍵は内側からは開けられない。)。本人はその時、居室から職員室に内線電話をかけてきて、「アーアー」と声を出して自分の状態を知らせてきたこともあった。そういう機転を利かせることが出来るため、この寄宿舎生活を乗り越えられてきたのだと感じた。』秋山ミヤコ他。p97 上記の記述から、学内(寄宿舎内)の友人との交流への懸念があった一方、メールの活用を通して、A が内線電話を用いて“伝える”という方法を身につけたことを評価している。 A:『いつでも思い立った時にメールが送れること、手紙と比較して相手からすぐにメールがもらえることはうれしかった。だからチャットのようにメールのやりとりを続けてしまい、逆に相手に迷惑をかけてしまったことも多かったと思う。でもいじめに近いようなトラブルなども多く、直接話せる寄宿舎の友達があまりいなかったので、気兼ねなく外部の人たち(大半は家族や支援者等の大人)と会話ができたことはうれしかった。』 A:『でも楽しすぎてメールに依存しすぎたり、内容が面白くて一人で笑ってしまったり、興奮したりするという課題はあった(けど)。』 <考察> A が携帯電話によるメールの活用に順応したことによって、A のコミュニケーションの自由度が高まったが、それはA にとってのコミュニケーション上のストレス軽減にもつながったと言える。それはA 自身も、従来からのコミュニケーション手段として使用している指点字との違いについて、次のようにコメントしている。 コメント 『指点字の場合は打つときも相手が読み取って理解できる速度で打たなければならないし、読むときも相手の打つ速度に合わせなければならない。でもメールの場合は読み書きの速度も相手に合わせる必要がなく、自分のペースで読み書きができる。その意味ではストレスを感じずにできる方法として、メールが定着したと思う。だから笑っているときなど、自分で感情をコントロールできないことがある。』 A はパソコンでのメールの活用を経験していて、メールの送受信の速さなどを経験しているが、自宅でのパソコンと比べて、メールができる「時間」が増えたことにより、A にとってもストレスを感じずにメールを送れるようになったことは窺える。特に指点字などの場合、相手に打たれた内容を理解する(読み取る)速度が人によって異なることから、相手のスピードに合わせるため、盲ろう者にとってはストレスを感じることがある。そのため、A と友人との交流が薄れてしまうという懸念はあったが、反対に考えると携帯電話が「ストレスフリーのコミュニケーションツール」となったことは、A のストレス軽減に影響を及ぼしていると考えられ、本システムの開発の意義は大きかったと言えよう。 【放課後支援としての役割】 また本システムの開発が、A の生活上のバリアを埋める存在ともなった。 A:『もしメールがなければ、いじめばかりにあって、不登校になっていたかも知れない。 なぜなら盲ろう者の場合は、相談する相手も手話や点字ができる人に限られるため、通常の相談施設等に行くことができない。またすぐに解決したいと思っても、家族や支援者が離れていれば、すぐに相談に行くことができない。その場から逃げるにも、移動介助が必要になるという問題もある。それらの問題を支えてくれたのがメールであったと思う。逃げなくてもその場で誰かに連絡すれば、相談に乗ってくれるので、ある意味いじめが発展するということも防げていたかも知れない。』 A:『私にとってはメールは生活を安定させてくれる存在であり、また困ったときだけでなく、同級生以外の人と話したいときに気軽に話せるという意味で、相手から返事がもらえることはうれしかったことだった。』 <考察> 学内の交流や教職員とのコミュニケーションの不足による懸念はあったことは前述した通りであるが、同級生とのかかわりが少なく、また友人間でのトラブルが増えてきたA にとっては、外部の人たちとつながる貴重なコミュニケーションルートともなったことは事実であろう。そうした盲ろう児への「放課後支援」を作り出すきっかけとなったのが、メールの存在であったことは、これまでの記録と語りから推察できる。 すなわち、A にとってメールはA の生活を助ける相談窓口、学外の人たちとつながる窓口としての役割があるということが窺える。A の相談に応じるだけでなく、人とのかかわりが少ないA の「話し相手」を兼ねていることから、メール送信者にとっては、A の「放課後支援」につながる要素を持っているということが推察できる。 2-6.課題(支援者側) 【教育現場におけるコミュニケーション体制の見直し】 一方でメールを活用することにより、利点だけでなく課題もいくつか生じるようになった。 『<中学3年時> 彼にとって、“伝える”ということの大事さを職員側として実感したエピソードがあった。ある時、同級生とトラブルがあり、両者で話をしなければならなくなった。相手の生徒は頑なに話をするのを拒み、M が指点字を打とうとするのを振り払うという状況であった。必死に後ろから回り込んで指点字を打とうとする姿と、それを聞こうとしない相手の態度を目の当たりにして、職員がそのやり取りをすぐに制止すべきか、躊躇したのを覚えている。結局二人の間に入り、拙い指文字で相手の言っていることを伝えたが、きっと双方の思っていることは半分も伝わっていなかったように思う。M の“伝えたい”という、この強い感情を職員が、どう理解させていけばいいのか悩んだことがあった。』 (2-5.携帯電話への順応によるA への影響 【ストレスフリーのコミュニケーションツールとして】の記述データの続き) 上記の記述に対して、A は次のように語っている。 A:『その代わりメールに依存してしまうという問題はあった。今思えばもっと同級生とのコミュニケーションを増やすべきだったと思っている。』 <考察> 【ストレス軽減に】の項で考察した結果と上記の記述を照らし合わせてみると、本システム(ICT の活用)はA のストレス軽減に影響を及ぼしたが、一方でICT の活用に依存するようになった結果、友人や職員とのコミュニケーションが少なくなったという、コミュニケーション上のバランスの調整に課題が生じるようになったことが窺える。そうした課題を克服するためには、職員によるフォローのみならず、友人や職員とのコミュニケーションに使用できるチャットシステムの開発などを含めた新たなコミュニケーション体制の検討が今後の課題になるのであろう。 【故障への対処】 ICT 機器は、盲ろう者にとっても健常者にとっても、便利な機器になっているが、必ずしも故障しないとは限らない。また操作ミスや無意識な操作によって故障することも考えられる。そのため万が一に備えた対応を考える必要があるのであろう。 A:『携帯電話が故障したとき、自力での復旧が難しかった。知識のある方が開発先の研究員しかいなかったため、寄宿舎の職員などに手を借りてすぐに復旧させるということも難しかった。したがって、長期にわたって、コミュニケーションツールが機能しないことになる。そのためその間はメールができず、また寄宿舎内で身近に話せるような友達もあまりいなかったため、つらい思いをしていた。』 A:『健常者であれば携帯電話が使えなければ、パソコンを使うという手もあるが、当時は自分用のパソコンも持っていなかったため、それも困難であった。最終的には家族を介さずに相手と待ち合わせ時間を相談するまでに達していて、そうした連絡の手段としての役割もあった』 A:『そうしたことからメールができずにパニックになり、早期復旧のために、研究員のいる大学に通ったりしたこともあった。ちなみに当時はまだ盲ろう者友の会や盲ろう者協会にはそうしたシステムに対する知識や支援体制、さらには利用できるようにするための専用ソフト[ブレイルメモと携帯電話をつなげるためのソフト]などはなかったと思う。』 実際講習会終了後のA へのアプローチについて、次のように報告されている。 『3.結果 3.2 講習後のサポートの分析 d)ブレイルメモのハングアップ及びファームウェアの再インストール「ぶれいるめもなおしてくれてありがとーございます。ちゃんとできています。」 上記のようなメールが講師に届いたのは、講習から1ヵ月後のことである。実は、このメールが届く3日前に、本人の母親から「ブレイルメモが全く動かなくなったと言うメールが、通訳者を通して本人から届いた。なるべく早く直してほしいようなので、学校に取りに行ってそちらへ持って行きたい」と言う内容の電話が講師にあった。 その翌日に講師の所へ持ち込まれたブレイルメモは、確かにスイッチは入るものの、端末を制御するプログラムは全く動かず、メールの送受信はおろか、文書の読み書きも不可能な状況であった。本人や母親の話を総合すると、メール送信中にシステムがハングアップし、その後何らかの影響でファームウェアに不具合が起こったことがわかった。幸いにも保存されている文言データは無事であったため、それらのデータをバックアップし、ブレイルメモのファームウェアの再インストールを行なう処置が行なわれた。その結果、母親の連絡から3日後には、無事ブレイルメモは元の状態で本人の手元に届き、上記のようなメールが講師に届いたのである。 これは、非常に稀なケースではあったが、このように本人が講師に連絡が取れなくなるような状況も想定したサポート体制が今後必要であることが明らかとなった。今回講師が行なった作業は、やり方さえ把握していればPC を使って周囲の人が十分サポートすることが可能である。本人の周囲にいる通訳・介助員や学校関係者に、こうした対処方法を伝達していくことも今後の課題の一つであろう。』厚生労働科学研究費補助金による研究報告書より <考察> 上記の記述は最初に故障したときの出来事であるが、語りからも読み取れるように、A 自身も自分での復旧ができないだけでなく、代替手段の確保が困難であったということを明らかにしていて、これらを踏まえると故障時への対応には次のような課題があったと見られる。 ①自力での復旧が難しい ②修理や復旧が可能な人材の不足 ③復旧できる体制の不足(サポートセンターがないなど) ④代替手段がない(支援者への連絡手段がない) などの盲ろう者支援の体制における課題が窺える。特に復旧までに時間を要することと故障時の代替手段(代わりとなる機器等)の不足については深刻であるが、そうした要因がA の「パニックになり…」という語りにつながっていると考えられる。 それを解決するためには、復旧体制の整備は甚大な課題であり、サポートセンターを開設するとともに、利用者の周囲の支援者や視覚障害者のICT に詳しい視覚障害者関連の施設への周知等の支援体制の構築が課題になると考えられる。 【漢字変換に対応していない】 A は携帯電話の技術における課題として、次のように語っている。 A:『苦労とまではいかないかも知れないけど、点字変換の都合で漢字が使えず(文字化けする)、メールアドレスの交換をする都度、漢字を使わないように説明しないといけなかった。それでも時々漢字を使ってしまう人もいたので、その都度ひらがなに直して送りなおすようにお願いしていた。』 <考察> 当時はシステム上漢字には対応していなかったため、メールの文字はひらがなのみとなっていた。受信も同様にひらがなのみ点字として表示される。しかし、漢字使用が一般的であるため、漢字を用いて誤送信されることもあったとA は語っている。最初に記述した「コミュニカ」の投稿記事にも、同様に「漢字が読めないこと」と記述されていて、A はそれを課題として感じていたことが窺える。ただし、現在多くの点字変換機器・ソフトでは漢字に対応しているという点で、この課題は多少解消されていると言える。 2-7.携帯電話の活用による成果(本人側) A は携帯電話を活用することで、メリットとデメリット(課題)を感じるようになったが、A 自身の活動範囲が広がったことで、A 自身の成長にも多くの成果が見られるようになった。 【苦情への対処】 A は、メールは楽しいことばかりでなく、次のように「嫌なこと」もあった。 A:『携帯電話のメールに順応していたころ、同室者に「音(キーを押す音)がうるさい」と言われたことがあった。寮母さんに相談し、消灯後は使用を控えるか職員室での利用にするなど対策を取ったが、その一方で家族や寄宿舎内でのブレイルメモの使用に対して理解のある先生に「ブレイルメモは(タイプライターに比べて)音もそれほど大きくないから、そもそも使用時間を制限するほど気を使う必要はない。他の学生も消灯後携帯で遊んでいるから問題ないのでは?」とも言われていた。』 A:『そのためどちらが正しいのかも含めて悩んでいた時期もあった。今思えば音が大きいことへの苦情がある要因には、楽しくて興奮するときにキーを強く打ってしまうことがあるからなのではないかと考えるが、当時はそうした発想もなく、同室者を含めた他人への気遣いがあまりできていなかったように思う。』 A:『でもそうした指摘があったからこそ社会的マナーを身につけることができたのではないかと思う。機器を使用するときには静かにする、無駄に笑わないようにする、電話の長話と同じように無駄に長話をしないなど、同室者などへの気遣いができるようになったのは、ICT の活用による影響もあるのかも知れない。』 <考察> A のメールへの順応は、新たな盲ろう者向けのコミュニケーションツールとして評価される一方、「メールに依存しすぎている」との苦情もあった。そうしたメール活用に対する「意見」が分かれたことにより、A はどちらの意見を優先すべきなのか悩んでいた時期であったと言える。そうした状況の中で、A は「苦情があった理由」を「楽しくて興奮する(ため)」と分析している。すなわちストレスを感じないという安心感から、A は気を緩めてしまったということであるが、他人への「気遣い」についてA は次のようにコメントしている。 コメント 『健常者であれば、集団生活の中で、周りの音がどのようになっているかを自然に把握することができるだろう。周りの音を聞いて、自分が周りの人に迷惑をかけないように音の大きさに気をつけたりするだろう。また仮に音が大きいことに自分が気づかないとしても、近所の人たちや大人から注意されることで、自分がどれだけ音を出しているのかに気づくだろう。しかし盲ろう者の場合はそうした音が聞こえない上、周りにどんな人がいるのかを把握することができない。そのため、音が大きいことに気づかずに、周りの人に迷惑をかけてしまうこともあるのではないかと思う。その意味ではメールと言うコミュニケーションを介して、社会的マナーを学んだと考えることができるかも知れない。さらにはこの苦情はある意味、自分が(キーを打っている)音に気づいていなかったことを指摘されたものと考えることもでき、こうした指摘があったからこそ自分がこれらの集団生活でのマナーを身につけることができたのではないかとも思っている。』 盲ろう者を含めた聴覚障害者は、聞こえないまたは聞こえにくいため、周囲の音に気づきにくいことがある。そうした環境の中で、A は苦情を言われたという「経験」をしたきっかけに、他人に迷惑をかけないように、音を小さくするなど、他人への気遣いができるようになったということは、「苦情への対処」の成果の一つであると言える。 【社会的常識とマナーにおける変化】 携帯電話を活用したメールによる情報入手の機会の拡大によって、A は次のような成果を得られるようになった。 A:『たくさんの人とメールをする中で、社会的常識やマナー、メールの書き方、一般的な社会の状況を知るようになったのは大きいと思う。当時のメール内容は趣味に関すること、最近の出来事(今何をしているかも含めて)、悩みの相談、支援者との約束の打ち合わせなどだった。』 <考察> A は、携帯電話(メール)によるコミュニケーションによって、社会のマナーや常識、正しいメールの書き方といった文章力の向上、一般的な社会の状況を学ぶようになったことを実感している。それは健常児の大人とのかかわりに似たようなものであり、電話や直接的な会話(音声による会話)が困難なA にとっては、電話の代替としての役割があったメールの活用は、成果の一つであったことは、A が次のようにコメントしている。 コメント 『メールで得られる情報は、盲ろう者にとっては貴重な情報源であったかも知れない。健常者であれば、たくさんの友達を作る中で、自然にそうした会話をしたり、友達から情報を得たりすることができるだろう。しかし盲ろう者の場合、コミュニケーションができる人が限られている上、友達と話すにも時間的制約がある。メールはそのような制約をなくしてくれるという点で画期的な方法であったと思う。』 メールは、前述した相談窓口や約束時間の打ち合わせのための連絡手段としての役割があったが、A はコミュニケーションの拡大によって、メールを情報源として活用するようになったことが窺える。 【パソコンでのメールとの違い】 さらにA は、パソコンのメールとの違いとして、次のように語っている。 A:『またアドレス帳の管理の仕方、アドレスの書き方なども、この携帯電話活用を通して学んだことだった。パソコンでは家族が宛名の選択をしていたが、携帯電話では自分で宛名を選択していた。また新しいアドレスを教えてもらったり、相手に自分のアドレスを教えるという経験もした。』 <考察> A は、アドレスの書き方やアドレス帳の使い方を学んだことで、他の人の手を借りずにメールの送受信ができるようになった。それらはA の当初の願いであった独力でのメールの利用による自立につながる要素であったことが窺える。そうした自立に向けた成長がみ られたのも携帯電話における成果であるといえる。 【総括(社会参加)】 上記の成果を踏まえると、携帯電話の活用によって、A には生活の変化が見られる時期であったといえる。 A:『携帯に限ったことではないけど、他人への気遣いができること、メールの書き方(日本語の獲得)が上達したこと、社会への理解が深まったこと、などは携帯の活用による影響が大きいと思われる。』 A:『もし携帯の活用に出会わなかったら、友達とのコミュニケーションの機会が必然的に減り、また仮に読書等に依存していたとしたら、社会について学ぶ機会が少なかったと思う。そうした成果は大きいと思う。』 <考察> A は、メールは文章の読み書きによる日本語の獲得だけでなく、他人への気遣いや社会に対する理解が深まったことで、より社会に近づけることができるようになったことを成果として感じている。その理由に、「直接的なコミュニケーションが少なければ、社会について学ぶ機会が少なかった」ということをA は感じている。それらは指導者が単に「日本語を教える」と言った指導を行うだけでは、困難なことであったのであろう。メールを活用することで様々な指摘を受けることは、社会への適応と言う意味で、A にとっては社会参加の第1 歩と言える部分であろう。 2-8.まとめ A は、中学部の寄宿舎に入ったため、連絡手段がない生活が1 年間続いたが、研究協力をきっかけに携帯電話を活用するようになった。周囲の人たちが日ごろ携帯電話を使用していることを知っており、携帯電話への関心はあったものの、最初は必要な機器が増えるために、日常生活で活用することはA にとっては想定外であったが、自力でいつでもメールの送受信ができることや持ち運びが可能であることに気づいたことをきっかけに、メールに順応するようになった。メールに順応した結果、メールは「電話の代替手段」、「相談窓口」、「学外の支援者とのコミュニケーション」などの役割を果たすようになった。またA にとっては、ストレスフリーのコミュニケーションツールとして確立するようになった。その結果A における日本語獲得の拡大による日本語力の変化のみならず、社会に対する知識などの発達といった成果を出すようになるとともに、コミュニケーション手段の拡大によるA の社会参加の促進と自立にも影響を及ぼすようになった。 それらが実現できた要因として、盲ろう者からの携帯電話の点字対応の要望があったこと、A をモニターにすることで実績を残したこと、A の周囲の人たちによるメールに対する理解があったこと、支援者自身が点字や手話に頼る必要がないことなどが考えられ、それらの要因がA の携帯電話の活用を可能にしたことが考えられる。 一方、手話や指点字などの直接的なコミュニケーションの機会の減少という利用者における課題がある。また盲ろう児のICT 活用に向けた学習体制だけでなく、トラブル時などの支援体制の構築(拠点となるサポートセンターや専門的知識を持つ人材)等のソフト面での課題、漢字の点字への対応等のハード面(技術面)での課題等が挙げられた。 第3節 ブレイルセンスとの出会い トピック7 ブレイルセンスとの出会い 2007 年(高校1 年―) 1-1.はじめに A は中学部時代にプライバシー保護と母との連絡手段の確保のため、家族の補助によるパソコンの活用から独力による携帯電話の活用に移行し、たくさんの人と電子メールによるコミュニケーションを楽しむようになった。同時にパソコンも授業でパソコンの基本の指導を受けたことによって、A 自身も将来独力でパソコンを扱えるようになった。ICT 活用における支援も複数の人や機関によって行われたことから、中学部終了時にはAの電子メールによるコミュニケーションが確立するようになったが、携帯電話の活用はひらがなしか使えないこと、インターネットの活用が難しいことなど、健常者のICT 活用と比較して、多くの課題を残すこととなった。そうした中で、当時すでに盲ろう者の間では、これらの課題を克服する方法として、パソコンに変わる携帯型の点字情報端末としてのブレイルセンス(韓国のHims 社製)の日本語版の開発に対する期待が高まっていた。 A は、高等部入学以降、ブレイルセンスを使用するようになり、インターネットを介して、情報の世界を大幅に広げるようになった。ブレイルセンスの最大の特徴は、ブレイルセンス本体のみでインターネットに接続し、電子メールやインターネット、チャット(メッセンジャー)などを行えるという点である。従来の盲ろう者向けの情報通信機器は、パソコンと点字ディスプレイが一般的であり、外出時に持ち運ぶという点では、機器の小型化とシステムの簡素化(接続用コード不要等)が課題になっていた。その点ではパソコンのように本体のみで使用でき、接続用コードや付属機器(パソコンや携帯電話等)を必要としないブレイルセンスは、盲ろう者にとっては画期的な存在であった(ただし、パソコンの点字ディスプレイとしても使用できる)。 これまでにも、ブレイルメモなどの携帯型端末は存在していたが、これらは単体ではネットワークに接続できないため、ブレイルセンスは我が国初のネットワーク接続機能の搭載型機器として、視覚障害者、さらには新たな盲ろう者向けの機器として普及されることになるであろう。 1-2.背景 【ブレイルセンスの導入の検討開始】 A が、初めてブレイルセンスと出会ったのは、次の語りにあるように、日本語版が発売される前に、ハングル版に触れたときであった。 A:『初めて触ったのは、韓国の人が持っていたものだった。「こんな機械を持ってます」と紹介されて、自分のメールアドレスをこの機器に書いたように記憶している。それが始まりだった。当時はまだ日本版は開発中で、ハングルと英語しか対応していないと聞いた。』 A:『(さらに)そのときは「これがブレイルセンスなんだ」とは思わなかった。それに日本版が出るのはまだ先だと思っていた。日本版が発売されることを知ったときも、韓国製のブレイルセンスとは別物だと思っていた。だからすぐに思い出せなかったけど、(後から)「韓国の人が持っている機械と同じものだよ」と言われて、「同じものなんだ!」と気づいた。』 当時は、これがブレイルセンスであることを知らずにいたが、後に改めて過去を振り返ってみると、これが最初のブレイルセンスとの出会いとなる出来事であったと言える。上記の出来事があった後、A の生活へのブレイルセンスの導入の検討が、本格的に開始されたのは、次の記述にあるように、A が高等部入学を前提とした学校(教育機関)での活用に対する検討がはじまりであるとされる。中学のまとめには中学部でのブレイルセンス活用の検討開始について報告されている。 『Ⅸ.会議・学習会の記録 2006 年度 ・主な議題 12 月 ブレイルセンスの活用について』左振恵子 p.109 上記の記述から少なくとも中学部終了時の2006 年度にブレイルセンスの導入の検討が開始されているとみられる。 <考察> A の最初のブレイルセンスとの出会いは、たまたま居合わせた韓国の人が持っていた韓国版であった。後述するが、ブレイルセンスは韓国のHims 社が開発した機器であり、現在日本で使用されている機器は韓国から輸入された機器を、有限会社エクストラが日本語に対応させたものである。すなわちA 自身が初めて触ったブレイルセンスは、日本語に対応する以前のハングル使用者向けのブレイルセンスであった。A のブレイルセンス(韓国版)との出会いの時期が定かでないが、少なくとも中学部終了時の2006 年度にブレイルセンスの導入の検討が開始されていることから、同時期またはそれ以前との出来事である。実際、韓国の人から機器を紹介され、英数字を用いて自力でのメールアドレスの入力を求められたことがA のブレイルセンスとの出会いのきっかけであったが、当時は韓国版のブレイルセンスと日本語版のブレイルセンスが同機種であることは、A 自身は気がついていなかった。 以上のような経緯があったが、A や学校教員を含めた周囲の支援者は新しい機器として、韓国版のブレイルセンスの日本語対応を望むようになった最初の出来事であったと言えよう。そのためA の周囲ではブレイルセンスの導入の検討が当時より始められていたと推察される。 【日本版の発売】 初めて日本語版のブレイルセンスが発売されたのは、学校による検討開始と同時期の2006 年であった。前述したように、静岡県立大学の石川氏と有限会社エクストラの共同によって日本語対応のブレイルセンスの開発が進められていたことがきっかけで、A のみならず多くの日本人の盲ろう者や視覚障害者が新しい機器に対する期待を持っていたことが窺える。 A:『その(韓国版に触った出来事の)あとブレイルセンスの日本版が発売されるという話が盲ろう者の世界では浮上するようになった。しかし、約60 万円かかるだろうと聞いて、ブレイルセンスの購入は困難だと(すぐに)あきらめた。』 <考察> 我が国において、ブレイルセンスの研究と開発が開始された年が2004 年であるなら、(初期の)ブレイルセンスの発売までの約2 年間が我が国でのブレイルセンスの導入の検討及び研究と開発の期間であると言える。その「2 年間」はA の中学1 年から3 年までの期間に該当する。すなわち、日本語版のブレイルセンスの研究と開発の段階で、すでにA は韓国のブレイルセンスに触れ、教育機関や周囲の支援者の間でもブレイルセンスの活用に期待が高まり、購入の検討が始まっていることが推察できる。しかしながらブレイルセンスの活用にいたるために、直面する課題として、資金の確保の困難があったことは、A も語りの中で述べている。 初期のブレイルセンス日本語版(現在販売終了)は法人向け価格600,000 円、個人優待価格でも540,000 円であったため、A 自身も自費での購入は困難であると判断したものであったと思われる。参考までに上記で紹介されている後継機種のブレイルセンスU2 日本語版においては、580,000 円となっている(以上はすべて非課税)。一般家庭が購入するノートパソコンはスペック等による違いはあろうが、近年10 万円以下で購入できる場合がほとんどであることを考えれば、少なくともノートパソコンの5-6 倍以上はするブレイルセンスを一般の国民が購入することはハードルが高いということが、A の語りから想像できる。これは中古の自動車をようやく購入できる程度であろう。そのためA のみならず、A の周囲では高額のブレイルセンスの購入をめぐって、さまざまな検討がなされていたとみられる。 【再びモニターとして選ばれる】 ブレイルセンスの購入をめぐっていたことは、具体的な記述が見受けられないものの、中学部の教員向け学習会の議題になっていることからも推察できる。そうした中でA に転機が訪れたのは、携帯電話の活用の際と同様に、ブレイルセンス活用のモニターとして選ばれたときであった。 A:『それからしばらくして、再び携帯電話のときと同様に、ブレイルセンスのモニターへの協力に恵まれることとなった。』詳細の記録が見受けられないが、2008 年度に研究者である石川教授にブレイルセンスの借用延長を要望する文章を書いていたことが、A 自身の手元の記録によっても明らかにされていることから、2007 年度から2009 年度の約2 年間において何らかの形で、無償にてブレイルセンスを借用していたことが推察される。 <考察> 該当研究名及び目的などが明らかにされていないが、A は発売直後に同研究のモニターとして選ばれ、携帯電話同様に、T 大学の研究員から指導を受けたことを記憶している。そのことから、ブレイルセンスを開発元から借用し、ブレイルセンスの操作方法を携帯電話(トピック6)の講習会と同様な形で研究員から指導を受けたことが推察される。 A が、モニターに選ばれた理由は不明であるが、A とA の周囲の人たちのブレイルセンスの使用に対する期待が高かったことと関係者によるA に対する信頼性が高かったことが考えられる。 1-3.講習会を受けて A は、さっそくブレイルセンスのモニターに選ばれることになり、携帯電話の活用(トピック6)のときと同様に、ブレイルセンスを使用するための講習会を受けることとなった。講習会形式は、A の記憶によれば、指導者役の研究員による個別指導が数回(各2 時間程度)であったと思われる。 【好奇心と挑戦】 A 自身の講習会の受講に対する動機は以下の通りであった。 A:『どんな機械なのか興味があったこと、購入費が高くて自費での購入が難しい中で無償で貸し出される機会に恵まれたこともあり、好奇心とチャンスで学ぼうと思った。』 A:『最初にパソコンみたいなものと説明されていたことと今までの経験(パソコンや携帯電話)があったので、何に使えるかということは想像できたと思う。好奇心もあったので、やっている意味も理解していたと思う。』 <考察> A は、「自費での購入が困難であること」に加え、「好奇心とチャンス」があったことが講習会の受講の動機であったと考えられる。これまでに初期段階でのパソコンとの出会い、電子メールの活用、携帯電話の活用などのステップを踏んで来たが、これらのトピックに共通することとして、A の「学ぼうとする意識」、あるいは「挑戦しようとする意識」があったことがあげられる。周囲の指導者や支援者、さらには家族によって「押し付けられる」のではなく、A 自身のわずかな興味と関心に基づいて、ICT の活用支援が行われていたと言う点である。 【もうパソコンと同じだと思ってください】A が講習会を受けたときの印象は、「もうパソコンと同じだ」と言われたことであった。 A:『最初はブレイルメモと同じような機能だと思っていたけど、研究員から「もうパソコンと同じだと思ってください」と言われたとき驚いた。何がパソコンと同じなんだろうと思ったけど、今までのようにパソコンや携帯電話に繋げなくても、ブレイルセンス単体でメールやインターネットができるとわかったときは、感動したように記憶している。』 A:『健常者はパソコンを使う。当時は高校生でもパソコンを持っている人は多かったと思う。パソコンが得意な人もいたしね。だからブレイルセンスは自分のパソコンなんだなと思った。』 <考察> A は、新しい機器への興味はあったものの、具体的にどのような機器であるのかはイメージできていなかったことは、「最初はブレイルメモと同じような機能だと思っていた」という語りから推測できる。そうした中で、研究員から【もうパソコンと同じだと思ってください】と言われたことは、A にとっては印象に残る結果となり、また新しい機器としてのブレイルセンスを使おうという意識につながったことは窺える。 実際、前述したように、一般的な携帯電話またはパソコンと同様に、ブレイルセンス本体のみで電子メールを含めたインターネットに接続できることは、A にとっては画期的な存在であったと言える。そのため、一般的な高校生と同様に、ブレイルセンスを「自分にとってのパソコン」として受け入れるようになった。それについてA は次のようにコメントしている。 コメント 『これまでは盲ろう者が使える機器のほとんどは、2 台以上の機器がセットになっていなければならなかった。つまり点字ディスプレイとパソコンや携帯電話をつなげる必要があった。だから持ち歩くのにも複数の機器を持ち歩く必要があった。その意味ではブレイルセンスは単体で済むため、形状などは違っても単体で様々なことができるという意味では、健常者が使うパソコンや携帯電話、スマートフォンにようやく近づいたということになる。』 最初に述べたように、ブレイルセンスは単体でいろいろな作業が行えるだけでなく、これまでのパソコンや携帯電話と比較し、持ち運びも容易になった。さらに機器の小型化だけでなく、接続用コードが切れるなどといったトラブルも省けるようになった。そうしたことから、A にとっての講習会での気づきは大きかったと言える。 1-4.ブレイルセンスへの順応(きっかけ) 【パソコンの代わりとして】 A は講習会を受けた後、さっそく日常的に使用する機器として、ブレイルセンスに順応するようになった。 A:『メールやインターネットなどができることもわかり、すぐにパソコンのような便利な機器だと思った。だからパソコンの代わりとして、価値やメリットに気づいたこともあり、一般的な高校生がノートパソコンを持つことと同様に、ブレイルセンスを持って、そして活用しようと思うようになった。』 A:『勉強し始めてから順応するまではそんなに時間はかからなかったと思う。他の盲ろう者より覚えが速いとも言われていたくらいだったので。』 <考察> A は、ブレイルセンスを活用することで、健常者や一般的な高校生がノートパソコンを持つのと同じ状況にいることに気づいたことで、ブレイルセンスをパソコンの一つと見なし、順応するようになったことが考えられる。その一つとして、従来のメール以外にもインターネットを独力で利用できるようになったことがあげられる。そうした意味では、健常者や視覚障害者のノートパソコンの代わりという役割があったと言える。 【ブレイルセンスの長所①:インターネットの活用】 A はブレイルセンスに順応するようになったときに、これまでの携帯電話やパソコンの活用と違った長所を感じるようになった。 A:『これまでのメールに加えて、ウェブブラウザにも人の手を借りずにアクセスできるようになったことはうれしかった点だったね。学校でもインターネットの調べ物があったので、そういうときにもブレイルセンスを活用していた。』 <考察> A にとって独力、すなわち「人の手を借りずに」インターネットにアクセスできるようになったことは、大きな転機であったと言えよう。特に「学校の調べ物」も含め、メールでは得られにくい情報をインターネットで入手できるようになったということは、A にとっては情報入手の範囲という点では、大きな発展であったと考えられる。これは。中学部時代に、A 自身が自力で携帯電話を活用し、メールができるようになったが、インターネットの活用は、パソコンを利用しても、中学部までは家族による操作のサポートを受けなければならない状況であったという課題に答える形となり、A 自身にとっての自立の第1歩となっただけでなく、プライバシー保護や「人に見られる」というストレスの軽減につながる結果となったと言えるだろう。 【ブレイルセンスの長所②:漢字も使えること】 さらに、メールの活用においては、携帯電話の活用と違った長所が見られるようになった。 A:『またメールも漢字交じりで受けられるようになったり、長文のメールを書けるようになったことは、うれしかったというかストレスを感じにくくなった。いちいちメールの相手に「漢字が使えないので」と断る必要もなくなったし、相手からのメールも文字化けが少なくなった。そういう点ではやりやすくなったと思う。』 <考察> これまでの携帯電話のメールでは、漢字を使用することができず、また文字数制限があるため、長文のメールを書くことができなかった。ブレイルセンスでは漢字にも対応するようになり、A 自身も漢字を入れながらのメールを書くことができるようになった。同様に相手からも漢字交じりのメールを受けられるようになり、漢字が点字ディスプレイにも点字として表示されるようになった。それはA のこれまでの携帯電話での漢字対応を望む願いでもあり、それが実現されたことは、A にとっても大きな変化であったと言える。さらに、これまで文字数制限を受けていた長文メールの送受信も可能になったことは、Aにとっても「メールは短く書かなければならない」「長文のメールは途中までしか読めない」というストレスの軽減にもつながったと言える。 【ブレイルセンスの長所③:レポート作成等ができること】 A は、パソコンと同様にメールやインターネットができるようになったが、それ以外にも長所があったことを語っている。 A:『他にも文章の読み書きなどもできるようになったので、携帯電話に比べて、自由度が広がったと感じている。(特に)学校でもレポート作成や調べ物などに使用するようになり、他の同級生とほとんどICT 活用の差がなくなったと思う。』 <考察> 文章の読み書きができるようになるだけでなく、レポート作成など、他の同級生と同様の作業が行えるようになり、A 自身にとっても自由度が広がったことは窺える。以上の長所を踏まえると、ノートパソコンに1 歩近づいたことで、A の同年代の健常者と同等の作業を行えるようになったことは、より社会に近づいたと言えよう。 1-5.ブレイルセンスへの順応後(日常生活での利用) 【情報の世界が広がった】 上記までは、A がブレイルセンスに順応したきっかけであるが、A がブレイルセンスに順応した後、どのような成果を得られるようになったのであろうか。 A:『24 時間いつでも情報を得たり、発信したりできるので、世界が広がったように感じられて楽しいと感じた。中学時代の携帯電話よりも夢中になってしまったかも知れない。メールだけでなく、インターネットを使う割合も上がったからね。(メールも)メールの友達、いわゆるメル友が増えていったことで、ストレスなくコミュニケーションできる相手が増えた。(だから)様々な情報の交換ができるようになった。』 <考察> A は、メールだけでなくインターネットを活用することで、自由度が広がり、メールやインターネットを介して、友人(メール友達)を増やし、ストレスなく情報交換を行えるようになった。その点では、独力で行える「情報の受信と発信」が大幅に拡大したという成果があったと言える。 【漢字の学習の変化】 ブレイルセンスで漢字も扱えるようになったことは、前述した通りであるが、A は次の語りのような経験もしている。 A:『漢字交じりのメールを書けるようになったこともブレイルセンスやパソコンのおかげでもあると言えるかも知れない。漢字の点字はあるにはあるが、あまり一般的に普及されていなく、そうした理由から点字には漢字という概念があまりないため、盲学校でも漢字を勉強する機会は少ない。』 A:『しかし一般の人とメールをしたり、インターネットで書き込みをしたりするには、ひらがなよりも漢字の方が効率的であるため、ブレイルセンスに移行してからは漢字を用いるようになった。』 A:『だからブレイルセンスでは漢字を使うようになり、現在は時々変換ミスはあるものの、漢字をうまく選べるようになってきている。』 A:『ちなみに漢字の選択方法だけど、通常通りに入力し、スペースキーを押すと、点字ディスプレイに漢字の読み方が表示される。例えば、携帯の場合は、「たずさえるのけい、おびのたい」のように表示される。音声読み上げの場合も同様に漢字の読み方が読み上げられる。従って盲ろう者や盲人は漢字の読み方をもとに漢字の選択と変換をするということになる。人名など、難しい漢字を用いる場合は、コピペ(コピーペースト)を使用する場合もある。』 <考察> 「コミュニケーション力の変化」は、中学部までのトピックでも、メールによる成果として繰り返しあげている。しかし、それだけでなく、漢字交じりのメールを書けるようになり、漢字の学習が進むようになったことは、社会への対応が可能になったことは成果としてあげられる。 点字では、一般的に漢字を用いないため、盲学校での漢字の指導もあまり行われていない場合がある。そのため漢字の形やパソコン等での選択法をあまり知らない視覚障害者や盲ろう者が多いことは想像できる。しかし、健常者とメールなどでのコミュニケーションをするためには、一般的に漢字を使用した方が相手にも理解されやすい。インターネットの利用も同様に、検索などでは漢字を用いた方が、該当ページを見つけやすくなる。そのためA もブレイルセンスの活用に当たって、漢字の学習を求められることとなったが、盲学校では漢字の学習が少なかったため、ブレイルセンスが漢字の指導という役割を果たしているといえる。 なお、後半では点字の漢字対応について、漢字の「詳細読み」を説明していて、ブレイルセンス以外にもパソコンでも同様の仕組みが用いられている。また点字のみならず、音声読み上げでも、そうした詳細読みによって、視覚障害者でも漢字の区別が可能となっている。 ※参考:漢字の詳細読みに関する研究 http://vips.eng.niigata-u.ac.jp/Onsei/Shosaiyomi/ShosaiJp.html(最終閲覧:2020.1.13) 【文章力と文章に対する注意力の変化】 漢字など、メールでも使用できる文字が増えたことは、長所として前述した通りであるが、A 自身も周囲の視線を感じるようになった。 A:『高校にもなれば、漢字の学習とともに、より専門性の高いメールの文章を求められるようになった。そのため、タイプミスだけでなく、文章の書き方や言葉遣いの指摘を受けることも増えていった。だから当時は「これは失礼だよ」とか「これは敬語ではないから」と言われて恥ずかしい思いをすることが多かった。』 A:『でも現在自分の日本語力が上達しているのは、こうした周囲の人による指摘が多いということも影響している。だからある意味重要な部分でもあったと思う。周囲の人たちの配慮があったことはとてもよかったと思っている。』 <考察> A はブレイルセンスを活用することで漢字だけでなく、言葉遣いなどの専門性の高い文章の学習も求められるようになった。この「専門性の高い文章」とは、敬語の使い方、相手へのメールの書き方などのことである。上記の語りでは漢字の学習とメールの正しい書き方の学習を同時に進めなければならないA にとって、敬語の使い方だけでなく、タイプミスや変換ミスをするということは恥ずかしい思いをするものであったことが窺える。この「恥ずかしい思いをする」という経験は、大人への世界に入ることによって、これまでのメールの書き方を変えなければならないために、「注意される」というストレスを感じなければならないことによるものであったと考えられる。 しかし、周りの人の配慮があったことで、A は漢字とメールの正しい書き方の学習が進み、メールの書き方という面で文章力の向上に成果を出すようになったということが言える。さらに誤字やミスのみならず、文章の書き方に対するA 自身の注意力が向上したと言えよう。 【社会への対応ができるようになった】 A はコミュニケーションや社会適応における変化という成果だけでなく、ブレイルセンスの活用によって、学校(高等部)での生活環境にも影響を及ぼしたことをA は語っている。 A:『そうした反省はあるが、ブレイルセンスに移行してからは、通訳者や支援者に直接依頼のメールを送ったり、先生と事務的なやり取りをしたりすることも増え、友達だけでなく、年上の人へのメールの書き方なども学ぶようになった。』 A:『またレポート作成や授業での調べものなどにも用いるようになり、生活もより自立に向けた生活へと変化するようになった。』 A:『ブレイルセンスでの経験もあり、大学での支援体制の構築にも役立つようになった。』 A:『そうした外部の社会への参加における成果はあったと言える。』 A はブレイルセンスを持つことで、学校の視覚障害者向けの取り組みや一般社会での取り組みにも適応できるようになった。特に近年は教育現場ではレポート作成などもICT を活用するという取り組みが進められていることから、A はそれらの取り組みにも対応できるようになったことは、自立という点では大きく、実際にA は高等教育に進学している。 【総合的な評価として】 以上のように情報の拡大と漢字学習と文章力の変化、社会への対応における変化があったが、A はブレイルセンスに順応したことについて、総合的に実感したこととして次のように語っている。 A:『ブレイルセンスではメールやウェブブラウザだけでなく、SNS の活用、チャットへの挑戦など、様々なこともやるようになった。別のトピックで話すが、ブレイルセンスを通して手話や点字を知らない人ともかかわるようになったことは大きいと思う。』 A:『またブレイルセンスはある意味初めて自分だけで立ち上げるところから扱える機械でもあったと思う。そうした意味では他の人の手を借りなくてもよいという労力的な負担面だけでなく、メールなども他の人に見られずに自由に書けるようになったことは大きなことだと思う。』 <考察> 本トピックではブレイルセンスに順応した初期段階として扱っているため、SNS の活用の詳細についてはトピック8 で述べることとする。しかし、ブレイルセンスの活用によって、手話や点字を知らない人との交流が増えたことは、メールやインターネットの活用をたくさん経験しているということからも窺える。また、ブレイルセンスの活用によって、人の手を借りずに自力で自由に情報を入手できるようになったことは、A にとっては大きな変化であると言える。 1-6.課題 A はブレイルセンスの活用によって、多数の成果を得られるようになったが、一方で課題も多く存在していた。課題はA 自身が自力で解決できた課題と、自力では解決できず環境的問題として明記される課題の2 つに分けられる。 しかしながら、課題が生じるようになり、A 自身も自力で解決を試みたことによって、新たな経験をするようになり、経験をきっかけに社会における様々な場面への適応が可能になったと言う成果を出すようになったことも事実であろう。 【同級生との交流】 A はブレイルセンスに順応するようになったが、次のような懸念もA は後から気づいている。 A:『メールやインターネットを介してコミュニケーションができる人は増える一方、同級生とのかかわりが少なくなってしまったことは反省すべきことだと思う。』 A:『そうした問題はあるけど、自分でコミュニケーションをとる相手のコントロールができなくなったことは、ある意味楽しいことであると言える。』 A:『近年の中学生や高校生はインターネットやゲームに夢中になることが多い。実際自分もそうだった。』 A:『だから今後の盲ろう児におけるICT の活用支援の課題としては、学校としても生徒の携帯電話やパソコンの活用をコントロールするなどの配慮が必要だと思っている。』 A:『たとえば生徒がICT に依存しすぎないために、定期的に寄宿舎などで親睦会を開催したりする必要があるかも知れない。またICT を活用しオンラインミーティングを開いたり、ICT を用いたチャットシステムを構築するなどを行うことで、盲ろう児もクラスや寄宿舎での集団生活に参加できるだけでなく、クラスメイトとのコミュニケーション機会の確保ができるのではないかと思っている。』 <考察> A はメールやインターネットに夢中になったことで、同級生などとの直接的なかかわりが少なくなったことを反省していて、そうしたメールやインターネットに依存するという懸念は、A のみならず周囲の人にも見られた可能性がある。しかし、A はそうした反省を踏まえながらも、次のコメントのように「課題そのもの」を問題としてとらえないという見方もある。 コメント 『パソコンでのインターネットの項でも話したように、インターネットは自分にとっての総合図書館であり、また健常者が見る新聞や雑誌でもあった。そのためパソコンでのインターネットの活用と同様に、常に最新情報が得られるという点で楽しかったことであり、必ずしも「インターネットに依存している」ことが課題だと言い切ることもできないという側面がある。』 実際にメールと違い、リアルタイムでコミュニケーションする相手がいなくても、「最新情報が得られる」という点では、テレビやラジオの視聴が困難なA にとっては、これまでに経験したことのない「楽しさ」であったことが窺える。その点で、必ずしも上記の「同級生とのかかわりへの懸念」を課題とするかは、議論が分かれるところであろう。もし、「ラジオ」や「テレビ」の代替としての役割があるとすれば、情報ツールとしての成果は得られるだろう。しかしながら、盲ろう者における新たな情報ツールとしてみなされるとしても、携帯電話の活用のトピックで課題として述べたように、学校という立場で、生徒がICT に依存しすぎないようにするためのフォローが必要であることに代わりはないのであろう。 具体的には盲ろう児(者)への配慮として、同級生などとのコミュニケーションの機会を確保するとともに、同級生とのかかわりにICT を取り入れることで、効果的なICT 活用も期待できるのではないかと考えられる。そうした取り組みについて、A は次のようにコメントしている。 コメント 『そうした取り組みを実施するためには、本人だけでなく、学校や寄宿舎側の配慮が必要であると考える。また単に環境面への配慮するだけでなく、他の生徒が盲ろう児と仲良くしようと思えるような意識、すなわち助け合いという意識を持つための指導や取り組みも必要であるのではないだろうか。すなわち反抗期などの時期である高校生にとっては本人の努力だけではより質の高い生活と自立に向けた学習は期待できないということである。』すなわち、上記のような取り組みを実施するためには、生徒本人の努力だけでなく、学校(寄宿舎を含む)としてのフォローが必要だと考えていることが窺える。 すなわち、盲ろう児のICT の活用においては、ICT の活用を指導する指導者や盲ろう児を支える外部の支援者の取り組みだけでなく、教育機関(学校)での教育上の配慮と工夫が必要であり、それらの手厚い支援と配慮は、盲ろう児のみならず一般の子供たちにも通ずる内容であるということが考えられる。 【利用できる連絡先の制約】 A は、中学部時代の携帯電話の活用でも、様々な不便さとトラブルに遭遇していたが、日常的にブレイルセンスを活用することによって、同様に「楽しいこと」だけでなく、不便さを感じることもあった。 A:『携帯電話ではほとんどの人とメールでのやりとりができたが、ブレイルセンスはメールアカウントなどもパソコン扱いとなるため、一部の携帯電話使用者とのやりとりができなくなってしまった。迷惑メール対策のため、パソコンのアドレスの受信拒否をしているから。そのため、やり取りをあきらめるか、その人にパソコンからのメールを受信できるように設定をお願いしなければならなかった。その意味では不便だった。今もだけど。』 <考察> A は、メールやインターネットといった情報入手の手段と範囲が拡大されたことで、メール友達が増えたが、その一方で、パソコン用のアドレスを利用しているために、一部の人との連絡に制限を受けるようになった。そのため、ブレイルセンスに順応してからも、「従来の携帯電話を併用していた」ことをA は明かしている。 なお、現在は当時使用していた携帯電話が発売中止になったことで、A が活用できる携帯電話のキャリアを持たなくなったため、携帯電話の使用者との連絡にさらに制限を受けることがある。 【通信手段の選択と設定の難しさ】 A はブレイルセンスに順応するようになり、携帯電話と違った壁にぶつかることとなった。 A:『またインターネットを楽しむようになれば、インターネット環境の安定性も求められるようになった。そのため最初はプリペイド式のモデムを利用していた。当時はまだインターネットの使い放題のプランというものがあまり一般的ではなく、周囲の同年代の人たちの中には月末になると携帯電話が使えなくなったという話を聞かれることもあった。』 A:『だから自宅や学内のLAN ケーブルも併用しながら、インターネットに接続していた。』 A:『しかしLAN ケーブルによるインターネット接続も不安定になることがあり、結局契約したモデムに頼ることが多かったように思う。』 A:『後に機械の進化により(ブレイルセンスプラスへの切り替え等)、無線LAN に移行したが、その都度パスワードなどの設定が必要であり、英語力を求められることからも、盲ろう者にとってはハードルの高い課題でもあった。』 A:『そのためインターネットに接続する作業は専門性を要求されるため、苦労する点でもあった。また接続できてもインターネット環境が不安定なために、継続的なインターネット利用ができなかったこともあった。』 A:『学校でもブレイルセンスは同級生たちの携帯電話と同じものとして認められ、特別に寄宿舎の部屋までWi-Fi が届くように長い電話線を準備してくれたが、徐々にそれも不安定となり、最終的に自分が契約したものに頼るようになってしまった。』 A:『今もそうだけど、自分は「面倒くさがり」なので、学校にインターネット環境の再整備をお願いすることはしなかった。』 A:『でも後で「インターネットが使えないのなら言ってほしい」と言われて、面倒くさがりであることを恥ずかしいと思うようになった。つまり「お願いしておきながら、実際にはあまり使っていないのはお願いされるまたは配慮する側には失礼だ」ということを改めて実感したという出来事である。ちなみに寄宿舎内でインターネットが利用できるのは食堂だけだったと思う。』 A:『これらは苦労点ではないが、当時の失敗がたくさんあったからこそ、現在相手への気遣いやトラブル時の対応方法等ができるようになったのではないかと思っている。』 <考察> これまでの携帯電話の場合は、メールのみの利用であったため、携帯電話会社(A の場合はNTT ドコモを使用)と契約している限り、仮に通信障害が生じてもそれほど不便さを感じず、またメールのみの利用であるため契約の範囲内での利用が可能であった。しかしブレイルセンスではインターネットも使用するため、常時インターネットに接続しておく必要があり、プランも含め様々な方法を模索しなければならなかった。その中で、プリペイド方式のプランの時間的節約をしていたA にとっては、時間的制約を受けずに利用できるLAN は、重宝されていた。しかし、インターネット環境が不安定であったため、ストレスを感じずに確実に接続できるモデムに頼るなど、A 自身にとってのインターネット接続に対するストレスがあったことが窺える。さらにA はインターネット接続について知識が乏しかったため、慣れない英語の入力をするだけでなく、様々な設定を行わなければならないということは、パソコン初心者とも言えるA にとっては、大きな壁であったことが推察できる。 そうした状況の中で、A がブレイルセンスを利用するためには、インターネットの安定性と継続利用が必要であったということが窺える。実際にインターネットの環境が変化する都度、設定や専門的知識を要求されるため、A はストレスを感じるようになり様々な課題にぶつかっては、快適性を求めて、自分が最も使用しやすい手段を選択するという習慣を身につけてしまったために、「せっかく借りた学校の設備を使わなくなる」という事象が起きたことは、A にとっては社会の経験となったと言える。 その点ではA は上記のような状況に直面したことで、他者(相手)と信頼を持つことが大切であることを経験したことで、人とのかかわりが上達したという成果があったことは評価すべき点であろう。 1-7.まとめ 我が国初のネットワーク接続機能搭載の単体型点字携帯情報端末として、ブレイルセンスの日本語版の開発が進められると同時に、盲ろう者の間では期待が高まっていた。A はブレイルセンスが開発されているという情報を手に入れたことをきっかけに、将来的なブレイルセンス活用の検討を開始したが、ブレイルセンスの発売と同時期に「時代に乗る形で」ブレイルセンスの活用を始めた。 当初、ブレイルセンスの便利さに気づかず新しい機械への好奇心だけで使用を始めたAであるが、パソコンと同党の多機能型機器として、A は順調に順応するようになる。電子メールのみならず、独力でインターネットも活用し始め、A にとっての情報の世界は変貌することとなった。SNS にも入ることで、さらにA にとっての情報の世界は変貌することとなるが、詳細は次のトピックで述べることとする。 しかしながら、パソコンや携帯電話で受けていた利用時の制約はほぼ解決される形となったことは、A が社会に適応できるようになっているという成果からも事実であろう。現在ブレイルセンスは視覚障害者のみならず、盲ろう者にとっても、使いやすい機器として認められるようになり、次々に改良型が開発され、2019 年現在「ポラリス」と「ポラリスミニ」がブレイルセンスシリーズの最新機器として発売されている。 トピック8 SNS への広がり 2009 年頃(高校3 年―) ※mixi、Facebook など、インターネット上でのコミュニケーションをすべてSNS として扱う。本トピックではブログの読者コメント、インターネット上のオープン掲示板も含めることとする。 A は、高等部入学後にブレイルセンスと出会い、電子メールやインターネットを行うための機器として活用するようになった。メールでは漢字の活用、インターネットでは調べ物の検索やサイトの閲覧とA にとっての情報入手の範囲が大きく広がることとなった。特にインターネットの活用は、A が手に入れる情報量が増えるだけではなく、コミュニケーション力と社会適応力における変化がみられるようになった。そうした成果が全国盲ろう教育研究会でも認識されるようになり、2009 年度からは全国盲ろう者協会が実施した「盲ろう者情報提供機器整備事業」(厚生労働省からの補助により実施)の一環として、2代目のブレイルセンスプラスが無償で貸し出された。しかしA の情報のツールとしての利用範囲は、それだけで止まることはなく、その後にも大きく進歩することとなった。その代表的なものとして、当時から流行していたSNS の活用があげられる。本トピックではSNS を含めた新たな機能との出会い(経緯)を明らかにし、これらの機能を活用することで、A の生活にどのような影響を及ぼしたのかを述べることとする。 2-1.背景 【掲示板時代】 『※SNS とは、インターネットを介して人間関係を構築できるスマホ・パソコン用のWebサービスの総称である。 古くはブログや電子掲示板でもそうした機能の一部は実現できていたが、SNS では特に「情報の発信・共有・拡散」といった機能に重きを置いているのが特徴である。 また、SNS はSocial Networking Service(ソーシャル・ネットワーキング・サービス)の略で、ソーシャル(社会的な)ネットワーキング(繋がり)を提供するサービス、という意味になる。』 (とはサーチの解説より) ※電子掲示板の例:「2 ちゃんねる」、「BBS」(小規模型)等 ※本トピックで主に扱うmixi の設立以前から存在しているインターネット上の掲示板や個人サイトであるブログなどもSNS に含まれている。本トピックでは、広い範囲で、掲示板やブログもSNS として定義する。 A が、最初に双方型のコミュニケーションツールを利用した時期までさかのぼると、中学時代の電子掲示板の利用であった。 A:『中学時代に趣味で一般的なインターネット掲示板(情報交換サイト)を見たのが始まりでした。またウェブブラウザ上、というわけではないが、メーリングリストも支援者やボランティアとの連絡用に小学5 年の頃から活用していた。さらにはブレイルセンスを使うようになってからは、ブログにも触れるようになり、コメントを書くようになった。』 A:『(利用のきっかけは)趣味で当日の状況を知りたくてインターネットで調べた時に、たまたま掲示板というものにたどり着いた。ニックネームで書けることなど、家族から簡単に説明は受けていた(ことがきっかけだった)。(これまでは)特に趣味に関しては、専門的な内容になると、教えてくれる人が少ない(少なかった)。だから周りの人に質問しては、調べてもらったり、関係各所へ電話して聞いてもらったりしていた。今思えば質問を受けた人だけでなく、関係各所にとって迷惑な話だったんだけど…。(それが)掲示板の存在を知ってからは、そのような手間がなくなったし、投稿者などからより専門的な情報をもらえるようになった。その点はこれまでとの大きな違いであったと言える。(だから掲示板を利用するようになった)』 前述したように、利用者が自由に投稿できる電子掲示板(インターネット掲示板)に初めて触れたのが、SNS の最初の出会いであったとされている。「中学時代」としていることから、ブレイルセンスを手に入れる以前に、パソコン上で掲示板を利用していたことが窺える。また、グループ型のメーリングリストも支援者やボランティアとの連絡ツールとして利用していた。ブレイルセンスを手に入れてからは、ブログへのコメントも行うようになった。 <考察> A が、SNS というものに最初に触れたのは、「電子掲示板」であり、それがA にとっての最初のSNS の出会いであった。質問すれば専門的な情報が得られるということが掲示板の利用を始めたきっかけであった。 A は、SNS と出会うまでは専門的なことを知りたいと思ったときは、情報を持っている人に聞くしかなかったため関係各所の業務などに支障を及ぼすこともあり、質問を受ける人にとっては、迷惑な存在であったことがこれまでの課題であったが、掲示板の活用によって、このような課題が解消される形となった。すなわち、A が掲示板と出会ってから、他者に電話などの依頼をする手間がなくなったとともに、専門的知識を持つ利用者からの適切な回答を得られるようになったことは、これまでとの大きな変化であったことは推察でき、そうした掲示板との出会いによる変化は、A や周囲の人たちの負担を軽減させるきっかけになったと言える。 さらに、A はブレイルセンスでのインターネットの活用の拡大によって、掲示板だけでなく、ブログとも出会い、執筆者個人(ブロガー)に対してのコメントも投稿していたことも、SNS の活用の土台になったと言える。こうしたSNS の出会いによる変化について、A は次のようにコメントしている。 コメント 『つまりこれまでは手話や点字が理解できる人に聞くしか方法がなかったが、掲示板では手話や点字を知らない人に聞くことができるようになった。まさに健常者が街中で道がわからなくなったときに、歩いている知らない人に道を尋ねるようなことが、インターネット上でできるようになったということなんだよね。』 これまで、A が質問できる相手は手話や点字ができる人に限られていたが、掲示板では手話や点字を知らない人たちに質問できるようになった。それは盲ろう者であるA にとっては、「道がわからなければ歩いている人に尋ねる」という動作と同じ要領で、知らない人に質問や声かけができるようになったということであると強調している。 その点では、通訳者を介さなくても、「知らない人」に尋ねることができるようになったということと同じことであり、それによってA 自身の「通訳してもらわなければならない」「特定の人や箇所(企業など)に迷惑をかけなければならない」という負担がなくなるきっかけにもなったと言える。 【mixi への入会】 A が、初めて本格的なSNS の会員制サービスに出会ったのは高等部に入ってからのmixiとの出会いであった。 A:『高校時代に趣味活動で知り合ったろう者に誘われたことをきっかけにmixi をやり始めた。そのあとGREE等のいろいろなSNS サイトを試しながら、大学時代にはFacebook をやるようになった。』 A:『(SNS については)以前から存在を知っていて登録などをしようと思ったわけではなく、お誘いがあれば、その都度登録して使い方を調べていた。だからその都度その機能を知ったようなものかな。』 A:『(mixi に入会したきっかけについては)ここからは主にmixi に出会った時のことを話そうと思う。趣味活動の鉄道旅行で何人かのろう者と出会うようになり、趣味活動を通じて彼らと交流するようになった。その中でマイミク(mixi の登録者、つまりmixi 内での友達)という言葉が出て、どういう意味なんだろう、普通の友達とは何が違うんだろうと思うようになった。直接聞いたのか、自分で調べたのかは記憶が定かではないけど、mixi という何かの掲示板のようなサイトがあるんだと知って、交流と情報収集のために入ろうと思うようになった。』 A:『当時のmixi は招待制で、友人からの招待状がないと入ることができず、さらには利用はパソコンでできるが、登録は携帯電話での操作が必須だったので、登録に関してはちょっと大変だったけど。』 mixi は、2004 年に株式会社ミクシィによってサービスが開始された。また2008 年に利用の年齢制限が18 歳未満から15 歳未満に引き下げられた。したがって一般的な高校生(18歳未満)の利用は、2008 年からである。そのためA のmixi の登録も少なくとも2008 年以降であり、A 自身の日記の履歴によれば2009 年から利用されている。 <考察> Aの会員制サイトとの出会いはmixi であったが、当初は入会者による招待制であり(2010年に撤廃)、A 自身は友人でかつすでに入会しているろう者から招待状を受け取ったことがmixi の入会のきっかけであった。それは「マイミク」という専門用語を耳にしたことが、mixi への入会の動機であったと思われる。すなわち、A は「マイミク」という言葉を知ったことをきっかけに、mixi は掲示板のようなものだと理解し、mixi への入会に挑戦することになったということが窺える。 上記の語りによれば、mixi を皮切りに、GREE やFacebook などにも加入するようになったことが窺える。しかしながら、いずれもA 本人としては、元からGREE などの存在を知っていて、入会しようと決めたわけではなく、A の周囲の人たちからのお誘い(招待)があれば、そのまま受け入れて入会していたという経緯があったことが考えられる。したがって、「その機能の使い方」はこれまでの指導者などから直接指導を受ける形ではなく、利用時に独学で学んでいるということが推察できる。それらはmixi に入会する以前の掲示板の利用についても同様であった。 【独学で学ぶということ】 A は前述したように独学でmixi を利用しているが、A は次のように具体的に語っている。 A:『mixi という何かのグループだということはわかったけど、具体的に何ができるのかまではあまりわからないまま、登録していた。登録した後に調べたり人に聞いたりしているうちに、日記を書けること、他の日記が読めること、コミュニティー(掲示板)が利用できることなどを知るようになった。友人(マイミク)の追加も最初は友達の友達を中心に申請してもらい、その後趣味活動のイベントやコミュニティーを通じて、様々な人と出会うようになった。』 <考察> mixi を始めたきっかけの語りに、「だからその都度その機能を知ったようなものかな。」との語りがあるが、そういうことが可能になったことは、mixi のホームページには利用マニュアルとして「ヘルプ」が存在していることに関連していると言える。ヘルプでは、日本語の知識がある程度あれば、mixi に入会したばかりの初心者でも理解できるような解説があり、さらにヘルプではないが、mixi の操作時にはmixi からのメッセージ(mixi からの指示)が表示される。そのため、そうしたマニュアルや指示、さらにはA の周囲の人たちからのアドバイスを頼りに、自分で調べながらmixi を利用していたことが推察される。すなわち、ある程度の日本語力と社会に対する知識が向上した成果を果たす形になったと考えられる。 いずれにしても、A が独力でSNS の活用に挑戦したことは、「これまで積み重ねられた経験」と「周囲の人たちのすすめ」があったと言えよう。 2-2.入会してから(mixi のメリット) A がSNS(この段階では主にmixi を使用)に順応するようになったことには、次のようなメリットを感じたからであろう。 【リアルタイムに無限の情報が入ってくること】 mixi には、日記や「つぶやき」等の様々な機能があり、投稿者が様々な情報を発信しているが、その情報発信について、A は次のように語っている。 A:『これらはリアルタイムに情報が得られることが特徴で、日記のように簡単にフォローしている人の今の状況を知ることができる。これらは盲ろう者にとっては画期的なことだったと思う。』 A:『健常者であれば、学校の教室に行けば、いろいろな友達と出会い、「昨日は山登りをした」「昨日はショッピングセンターに買い物に行った」などと最近の出来事の会話をする。また何となく「今日は雨の予報だからいやだなあ」とか「明日海に行きたいんだよな」とかと自分でつぶやいて、誰かに反応してもらう。そういうことを自然にすることができる。』 A:『でも盲ろう者の場合、そういうことが難しい。なぜなら仮に通訳者がいても、教室に誰がいて、彼らがどのような会話をしていて、彼らが何をしているかをすべて教えてくれるわけではない。つまり教室での会話は入ってこないし、教室に誰がいて、どんな格好をしているか…という情報も盲ろう者にとっては、この世に存在していないことになっていたりする。言い換えるなら通訳者がいても、先生からの発言しか伝えられていなければ、盲ろう者の頭には先生がいることと、先生が何を話しているかという情報しか入ってこないということになる。』 A:『しかしSNS はたとえばA 君は今日はどこどこの山に登ってきたとか、B 君は彼女と別れたから落ち込んでいるとかという情報がどんどん入ってくる。それだけでなく、C さんは電車に間に合わなくて確実に遅刻するからどうしよう、というような本人の焦っている声も通訳者を介さずに自然に入ってくる。』 <考察> A は、「現在の状況を知る」、「質問にすぐに答えてくれる」、「自分の情報にコメント(フォロー)をしてくれる」の3 つの動作は、A や盲ろう者にとっては画期的な存在であったと述べている。最初に「リアルタイム」というキーワードを使っているが、A はこの「リアルタイム」の重要性について、学校の教室での様子について例を述べている。 近年、我が国では盲ろう者向けに通訳者が派遣されたり、教育機関や職場でも通訳者が配置されたりするという動きがあることは前述したが、人件費がかさむことに加え、通訳の利用時間に制限があるため、常に(24 時間)盲ろう者に通訳者がつくということは、現実的に困難である。また、仮に通訳者がついていたとしても、盲ろう者自身のコミュニケーション速度(手話の読み取り等の速度)や会話以外の聴覚的情報や視覚的情報の多さから考えれば、通訳者がすべての情報を盲ろう者に伝えることは困難である。 これらの現状から考えても、盲ろう者が「リアルタイム」に情報を得られる量は非常に少ないという課題が窺える。そうした課題を解消したのが、SNS の存在であると言える。実際A は次のようにコメントしている。 コメント 『こういう無限の世界は、盲ろう者の生活にはあり得ないことだった。発信者(健常者)にとっては何となくSNS 向けに情報を流しているだけでも、盲ろう者にとっては無限の世界の広がりのように感じられたし、自然に情報が入ってくるというのはまさに夢の世界だった。だから興味を持つきっかけとなった。』 A は、SNS は通訳者の限界を多少クリアした画期的な存在であったことを「自然に情報が入ってくる」という例を踏まえて語っている。この「自然」とはA が検索機能などを使って意識的に情報を得ることではなく、A 自身が「調べよう」と意識していなくても、テレビやラジオのようにA の手に情報が入ってくるということである。 そのため、点字での触読ができて、24 時間いつでもブレイルセンスなどの機器が利用できる環境であれば、A 自身も限られた時間や人数の通訳者を介さなくても、いつでも情報を得られるようになった。また、mixi であれば「つぶやき」や「日記」などの機能を閲覧するだけで、ユーザーの情報が入ってくる。そうしたリアルタイムでの情報は、A にとってはこれまでにない経験であった。 【人との相互交流ができること】 mixi は情報入手という面だけでなく、情報交換用の掲示板(コミュニティー)としての機能も含まれている。そうした機能の利用について、A は次のように語っている。 A:『これまではインターネットでは主に情報の入手(受信)が中心であったが、SNS では情報入手だけでなく、人との交流もできるようになった。質問をすれば誰かが答えてくれる。情報を発信すれば誰かがコメントをしてくれる。わからないことや聞きたいことがあれば、その質問に答えてくれそうな友達を見つけて質問する。』 A:『趣味のような専門的な質問も人を選んで聞くことができる。自分の情報を発信すれば、誰かがコメントをしてくれる。(そのように)いろいろな人に出会ったり、同じ趣味の人たちと情報交換ができたりすることは、世界が広がったように感じられるし、無限の世界に入れるようになったことはある意味うれしかったことだね。』 <考察> A は、「たくさんの人と出会えること」「たくさんの人と情報交換ができること」を世界が広がったように感じていると述べている。特にmixi の場合「コミュニティー」の機能を利用して、文字を入力すれば、その場で誰かがすぐに答えてくれる。そうした相互交流が可能になったことは、mixi を含むSNS のメリットであったと言える。 【SNS の出会いをきっかけとした活動ができること】 A はSNS をきっかけに、次のように活動を広げることもできたと語っている。 A:『友達の知り合いのお店にもつれて行ってもらい、それがきっかけでイベントに招待してもらったり、なかなか手に入りにくい情報をもらったりもするようになった。ちなみにほとんどの人は手話などはできなかったけど、メッセージを介して会話ができたので、あまりストレスを感じることはなかった。』 A:『健常者にとっては普通のことなのかも知れないが、通訳者がいないことは、私にとっては衝撃的なことだった。とにかくこれまでは手話や点字が理解できる人が中心だったが、知らない人とも出会えるようになったのでうれしかった。』 A:『手話に関するコミュニティーにもいくつか入っていたので、手話関係の人との出会いもあり、実際にお会いして遊んだりすることもあった。』 <考察> A 自身は、mixi をきっかけにイベントなどへの参加といった活動を広げるようになり、また手話を知らない人ともmixi 内のメッセージを通して交流をするようになった。インターネット上でのやりとりであるため、通訳者を必要としないが、それがコミュニケーションできる相手が手話や点字が理解できる人に限られていたA にとっては衝撃的な出来事であったと言える。さらにA は手話を知らない人だけでなく、手話を知る人や手話を学習する人との出会いもあり、実際に手話が理解できる人とあって交流をするという活動も見られるようになった。 仮に、学校以外で手話ができる人を見つけようとする場合、一般的には手話サークルなどに出向くことなどが考えられるが、A にとっては移動などの支援者の依頼が必要となるため、「気軽に」外出するということは難しい。しかし、SNS 上であれば、文字のみでやりとりができる上、実際に合うという約束も通訳者を介さずにできる。そのような活動を増やすことは、盲ろう者であるA にとっては、学外での社会参加の促進となるきっかけでもあることが考えられる。 【自分からの情報発信ができること】 A 自身がメールや従来のインターネット(検索、閲覧)だけでなく、SNS にも入るようになったが、実際にA 自身は次のようなメリットがあると語っている。 A:『情報を得ること、人に尋ねることだけでなく、日記やコミュニティーで自分の情報を発信し、情報を広めたり、自分のことを知ってもらったりするということも増えて、それがきっかけで様々な人との交流が深まるようになった。』 A:『手話を通じて盲ろう者である自分と交流してもらおうと試験的にコミュニティーを立ち上げて、PR や情報発信をしたこともあった。』 A:『日記は趣味関係、盲ろう者関係などに分けながら投稿したが、多くのコメントをいただき、コメントをきっかけに投稿者との交流を深めたというメリットもあった。』 <考察> これまでA は、インターネットの活用という点では、主に情報の受信(入手)が中心であったが、SNS では日記やコミュニティー(mixi 上の情報交換用掲示板の名称)を利用し、自分の情報を発信するようになった。自分の情報を発信することで、友人や知らない人が、日記へのコメントやプロフィールなどを通じて、A の情報をフォローするようになり、A にとっては情報の発信だけでなく、自身の啓発にもつながるようになり、他人との交流が広がるようになった。 こうしたことは、健常者であれば、いわゆる「独り言」であっても、周囲に人がいれば、彼らは自然に耳に入ってくる。それに対して、「そうですね。」や「うんうん」とフォローすることもできる。しかし、A の場合、日常的に手話や点字を使用しているため、A の情報を知ることができるのは、手話や点字ができる一部の人に限られる。さらに手話や点字の読み取り速度は人によって異なるため、必ずしもA の情報がリアルタイムで彼らに入るとは限らない。 mixi などのSNS であれば、点字を知らなくても、A 自身の情報(文字)を読むことができるため、A 自身も周囲の利用者も手軽に情報交換ができるというメリットは大きいと言える。 【情報発信の相手を選択できること】 A はSNS のメリットとして、「気兼ねなく情報発信ができること」をあげている。 A:『特に匿名(ニックネーム)での投稿ができるので、気兼ねなく情報交換ができるということは順応しようと思ったきっかけとして大きかったと思う。mixi の日記は特定の人にだけ公開することもできるため、ブログ代わりに利用していた。』 A:『まとめると、街を歩いている一般の人の一員のような存在として、世界に飛び込むことができるということに気づいたことが、順応しようとしたきっかけだと言えると思う。』 <考察> mixi は、匿名で利用でき、また日記も友人まで、友人の友人まで、全体というように公開範囲を選択できることが特徴である。A は「街を歩いている一般の人の一員のような存在」と例を挙げているが、一般的に待ちを歩いているときに、道を尋ねることがあっても、自分の個人情報(氏名や年齢等)を周囲に知らせることはしないであろう。また同様に知られたくない情報を拡散することはしない。 そうした例と同様に、A も自分のプライバシーを保護しながら、mixi に入会することができたことは、A にとっては情報の管理ができるという点では利用しやすい存在であったことが窺える。 2-3.mixi への順応による変化 以上のメリットを踏まえて、mixi に順応するようになったA であるが、A 自身もmixi に順応することで生活にも変化があると感じるようになった。 【健常者に近いことができる】 無限に情報が得られることは、SNS の長所としてあげているが、その効果について、A は次のように語っている。 A:『無限な情報をリアルタイムにたくさん得られること、無限にいろいろな人と出会えることはうれしかったね。特により一般社会に近づいて、あらゆる面で健常者との差がなくなったことは大きかった。』 A:『なんとなく健常者と同じような行動をしたくて、見えないのに写真を撮影してもらって投稿したりもした。現在も「写真がないブログは寂しい」と思われないようにするために、SNS では写真付きの日記を書いたりしている。そうすることでより健常者に近づけるように努力している。』 A:『ちなみに自分が盲ろうだということは、実際にお会いすることになる人や信用できる人にだけ説明するようにしている。トラブルやいじめ防止のためにもね。実際の経験は後で嫌だったことのところで話したいと思う。』 <考察> A は、「健常者に近づく」「健常者と同じ行動をする」という動作が、SNS で可能になったことは、A にとっては大きな出来事であり、順応するようになった要因であると言える。特に「(日記などに)写真を使う」ということは、たとえ写真が見えなくても健常者と同じ日記を作れるという点では、A にとっては社会への参加につながる結果だということが窺える。 さらに、A は自分が盲ろう者であるということを知られたくないために、mixi のプロフィールなどにも自分が盲ろうであることは書いていない。トラブルやいじめなどを恐れてのことであるが、自分の存在を隠すことができるようになったのもSNS のプライバシー保護の管理ができることの特徴であると言える。特にmixi の場合、顔写真も使用しないため、利用者はお互いに相手が見えない状態で情報交換が可能であるため、その点では、差別やいじめも受けにくいという側面を持つ。 【一般社会への参加】 A はmixi を通して様々な人と出会うようになったが、出会うだけでなく、情報が多く得られることを次のように語っている。 A:『総合的に言えることだけど、SNS は情報の発信が一方的ではなく、双方的に行われるため、多様な情報に触れることができる。また盲ろう者のことを知らない人とも関わることができるため、無限の情報の世界の中で、様々な経験をさせてくれる。ある意味一般社会への参加の第1 歩であったと言える。』 <考察> 双方向で情報交換が行われるSNS はA にとっては社会参加の第1歩であったことは窺える。その中でも、SNS は「社会の経験をさせてくれる存在」だったことは、考えられる。この「経験」についてはいくつかエピソードが存在するため、次項で紹介することとする。 2-4.エピソード(A の経験)からみる成果 前述したように、A はmixi を通して、社会の経験をするようになった。A にとって「嫌だった」経験もあるが、それらに注意したり適応するようになったことは、mixi を含むSNSを通しての成果であると言えよう。 【誤字への注意】 A は、周囲からのいじめや差別を受けにくく、自分の個人情報を保護できるという点で、mixi などのSNS を楽しむようになったが、一方で楽しいことばかりではなく、A はmixi使用中の出来事について次のように語っている。 A:『SNS はある意味今までの人生の中で、社会の勉強をさせてくれる存在だったと思う。結構いろいろあった。』 A:『無意識に漢字のタイプミスなどをしてしまうことがあるため、インターネット上で書き込みをするようになると、いろいろな人から誤字の指摘を受けることがある。中にはありえないような変換ミスをしてしまうために、きつく指摘されることがあり、何回も恥ずかしい思いをしていた。でも掲示板などでは視覚に障害があることをあまり表にしていなかったので、どのようにお詫びしたらいいのかわからなかったこともあった。』 <考察> 上記は、漢字を含めた誤字の指摘を受けたという出来事である。点字や音声の読み上げの際には、漢字の確認方法として、「詳細読み」が用いられている。すなわち漢字に変換する際には、点字や音声では漢字の説明が読み上げられる。「詳細読み」を読むことで、漢字の選択をすることが可能であるが、詳細読みの確認を怠ると誤変換に気づきにくいという問題がある。 A 自身も誤字に気づかずに、自動的に変換させてしまうことも考えられ、そうしたことが誤字の指摘につながる要因であるということが窺える。A 自身も画面に表示された漢字の形を見ることができないため、中には通常であれば考えにくい漢字が表示される場合がある。例として「電車がもうすぐ発車します」のうち「発車」が「発射」になっている場合などがある。 そのため、視覚障害者や盲ろう者が誤字をしやすいという事情を知らない人から誤字を指摘されたとき、相手にどのように説明すればよいのかがわからなくなるということが窺える。しかし、様々な人からの誤字の指摘を受けることで、A 自身も誤字に注意するようになったという成果もある。 【迷惑メールなどへの注意】 さらにSNS などを活用すれば、迷惑メールに遭遇することがあるが、A 自身も迷惑メールを受信した経験を持つ。 A:『mixi 等をやり始めてからは、知らない人からの友達申請が増えたけど、中には迷惑メールの業者だった方もいた。最初は友達のように話してくることから、迷惑メールだということに気づかずにはまりそうになったことがあった。でも「それは迷惑メールだよ」と教わったことで、世の中には広告のようなメールだけでなく、名前を装ったような迷惑メールも存在するということを知った。プロフィールなどに「出会い系の方はお断りです」と書くなど対策はしたが、効果は微妙だった気がする。』 <考察> 上記は迷惑メールに入り込んでしまったという出来事である。広告のメールは内容を宣伝するような内容であり、A 自身も本文を読むことで、「広告(宣伝)」だと判断できることは想像できる。しかし、友達のように装う迷惑メールの場合は、会話形式で進められるため、相手を特定しない限り、迷惑メールだと気づきにくいという問題がある。実際A は次のようにコメントしている。 コメント 『健常者はいろいろな情報を見聞きしながら、自然に「そういう人もいるんだな」と理解できるようになるだろう。たとえばレストランに行っても、あそこに変なおじさんがいるとか、言い方が厳しそうな女性がいるとか、お店の前でしつこく勧誘しているスタッフがいるとかそういう情報を外見や見聞きした情報から、自然に把握できていると思う。でも盲ろう者の場合そうした情報は入ってこないし、相手がどんな人なのかを瞬時に把握することが難しい。そのため、相手は危なそうな人だなということに気づきにくい。だからSNS のおかげでいろいろな人と出会い、「そういう人もいる」ということを知るようになったことは、ある意味よい経験だったと思う。』 A は、レストランなどを例に人との出会いについて述べているが、健常者の場合日ごろ無意識に周りの人の会話や表情、行動などが視覚と聴覚に入ってくる。したがって周りにどのような人がいるのかということを無意識に知ることができる。そのため、相手がどのような人物なのかを把握することも容易である。 しかし、盲ろう者の場合相手を含めた周囲の人々の様子を把握しない限り、相手や周囲の人物を認識することが困難である。そうしたことからトラブルなどに巻き込みやすいということが考えられる。mixi を通して、「いろいろな人がいること」を知ることができたことは、A にとっては経験の一つだったと言える。 【先輩からの苦情への対応】 いじめに近い出来事は、学内だけでなく、母校などにも及んでいる。 A:『最も嫌だったことは、小学4 年まで在学していたろう学校の先輩から学校のコミュニティーへの自己紹介の書き込みに関して苦情を言われたことだった。普通に自分の紹介を書いたところ、先輩のお母さんと名乗る方から当時の盲学校に電話が入り、「書き込みをさせないように」と言われたようだった。自分には悪気はないにも関わらず、学校まで迷惑をかけてしまったので、とても悩んでしまった。言葉遣いが問題だったのではないかと考えるが、苦情の原因はいまだに解決されていない。そうした虐めや障害者差別に近いような出来事もあった。』 <考察> 上記は、A がmixi 使用中に他人から苦情を受けたという出来事であるが、誰にどのような理由で苦情を受けたのかは、定かではなく、本人もいまだに「わからない」と答えている。A の語りを解釈する限り、当時A が在籍していた学校にも影響を及ぼしていることから、「言葉遣いの問題があった」という説と「A に悪気はないが文句を言った」という説が考えられる。 A が加入していたコミュニティーは、学校の卒業生と在学性が対象であり、規約には違反していないことから少なくとも上記の2 つがトラブルの原因であると考えられる。トラブルの詳細分析は省略するが、A にとっても初めての経験であり、他人の苦情に戸惑う出来事であったと言える。そうした意味では、他人の苦情にどう対処するかを問われるきっかけになったと言える。 【空気を読むということ】 上記の出来事と関連したことであるが、日本には「空気を読む」という独自の文化が存在している。A は「空気を読む」文化を理解するという点でSNS は役立っているが、具体的に次のように語っている。 A:『他にも直接言われなかったものの、陰で「あの人は失礼な人だ」と噂されていたこともあったようで、学校などで礼儀を十分に学べなかったものとして、恥ずかしい思いや悔しい思いをすることが多かった。当時日本語は文章を書けるほどに上達したと思うが、敬語や言葉遣いにはまだ間違いが多く、SNS の友人らにも多大な迷惑をかけてしまったかも知れない。日本人は「空気を読む」文化があるが、高校時代までは、空気を読むということが十分にできていなかったように思う。特に失礼な部分があっても、相手は「これは失礼です」や「これはダメです。」と言わないため、陰で噂されていても、それに気づかなかった可能性がある。』 A:『そのような現状を考えると、今思えば、貴重な社会勉強の場であり、SNS の活用によって学んだことは多かったと思っている。』 A:『たとえば敬語や言葉の使い方、相手とのやり取りの仕方、礼儀、相手の状況に合わせて空気を読む、トラブルや苦情への対処方法など。それらは学校ではあまり学ばないし、盲ろう者の支援者らからも教えてくれないので、それらを教えてくれるのが事実上SNS だったと言えるかも知れない。』 <考察> 教育機関では国語や社会を学習することはあっても、「空気を読んで相手に合わせる」ことや「相手を考えて行動する」ことなどと言った社会的通念については学習する機会が少ない。通常であれば社会的通念は日常生活の中で様々な人と交流することを通して、自然に学ぶ物であるが、A の場合これまではA の事情を理解している支援者や指導者が支援などに当たっていたため、面識のない人との交流が少なく、そうした社会的通念の学習が十分でなかったことが考えられる。 そのため、A 自身は相手のことを言葉を介さずに理解する、いわゆる「空気を読む」ことが十分にできていなかったために、仮に失礼な行為を行っても、周囲の人からの指摘がなければ気づかないという状況が続いていたことが窺える。実際A 自身は次のようにコメントしている。 コメント 『特に盲ろう者の場合は周りが盲ろう者の世界を理解しているまたは、盲ろう者を助けようという誠心を持つ支援者で成り立っているため、たとえ盲ろう者が失礼な行動をしたり、失礼な言葉遣いを使ったとしても、支援者が自ら盲ろう者に対してそれを指摘しない可能性は高い。』 そのため、教育機関(学校)での指導や支援者による指摘だけでは、A にとっては社会的通念を十分に理解できていなかったが、SNS の活用によって、これらの情報も補われるようになったということである。さらにマナーや常識を「教えられる」だけでなく、複数の情報とA 自身の経験を組み合わせて理解することで、社会的通念に対応するための適応が可能になったことは、これまでの語りから窺える。 【総合的な成果】 上記のエピソードを踏まえて、A はmixi を含むSNS の活用によって、A の成長という視点で、様々な成果を得るようになった。 ①いろいろな場面への適応が可能になったことによる変化 A:『日本語力だけでなく、様々な場面への適応が可能になったことは、SNS の成果の一つだと言える。いろいろな人に対応できるようになったことも、SNS のおかげでもあると思っている。』 A はSNS 内の友人との交流などを通して、様々な場面や人への適応ができるようになったことは成果として挙げられる。 ②日本語力における変化 A:『日本語に関しても、基本的な文章だけでなく、敬語や言葉の使い分けが上達し、多様な場面でのメールの書き方なども慎重に行うようになったと感じている。』 A は様々な人とかかわり、社会に適応する中で、日本語の使い分けなどもできるようになり、それらの力が向上したことは成果としてあげられる。これは最初に述べた「誤字への注意」にも影響しているのであろう。 ③マナーや常識における変化 A:『マナーや常識が向上したことも成果の一つだと言える。』 「マナーや常識の変化」もSNS がもたらした影響であり、「様々な場面への適応が可能になったこと」につながる結果だと言える。それは「他人への気遣いができるようになった」ことにもつながる要素であると言える。 <考察> SNS の活用によって、情報の多様化とコミュニケーションの拡大がなされるようになったことで、A は自分で情報を得るだけでなく、社会への適応がしやすくなったことは、SNSが果たす役割であったということが考えられる。A にとっては、無限な世界にアクセスできるようになり、リアルタイムに情報が入るという生活に変化したことは、SNS を通しての成果だと言える。 しかし、実際にA が次にコメントしているように、SNS は情報のやりとりだけでなく、SNS の社会への適応があるため、盲ろう者にとってはSNS に対する十分な理解が求められることも事実であろう。 コメント 『盲ろう者にSNS の活用を進めるかというと、本人の状況や社会への理解によるのではないかと思う。SNS を利用すれば私のようにいじめに近いようなことを受けたり、利用者に迷惑をかけたりする可能性が高い。そのためSNS の利用は、ある程度自分で無限の世界をコントロールできる人に限られると思う。』 『しかし、利用してしまえば、SNS はそうした社会での経験をたくさんさせてくれる。特に盲ろう者にとっては、一般の人々とかかわる機会が少ないため、盲ろう者のことを知らない者とかかわることができる貴重なコミュニケーションの場であると言える。だからもしSNS を利用するのであれば、様々な危険性に注意しながら、たくさんのことを経験してほしいと思っている。』 すなわち、「情報が多数あるから」と言って、安易にSNS にアクセスすることは、トラブルにもつながりかねないため、盲ろう者がSNS を活用するためには、トラブルを覚悟することといわゆる「世の中」を十分に理解することが課題であると言えるだろう。その点では、盲ろう者自身が自分で情報の世界をコントロールすることが、SNS にいたるために求められる力であろう。 そうした課題と懸念はあるが、SNS は盲ろう者にとっては、「盲ろう者のことを知らない」人とつながる貴重なツールであることに代わりはなく、そうした経験は、盲ろう者の社会参加に影響を及ぼすのではないかと期待している。 2-5.まとめ A はブレイルセンスの活用をきっかけに、電子メールのみならずインターネットも活用するようになったが、従来の「閲覧するための活用」だけでなく、SNS を通じての双方向による交流も始まるようになった。A はSNS をきっかけに、手話や点字を知らない人とも交流が深まるようになり、さらには友人からの最新情報も得られるようになった。その点では、A にとっては「無限の情報の世界」となり、これまで以上に多くの情報を得られるようになったと言える。 A にとっての情報の世界が無限に広がることにより、A 自身も知識が増えるだけでなく、マナーや常識といった社会への適応が可能になったと示唆されたことは、A 自身が語ったSNS での経験からも事実であろうということが窺える。そうした理由からSNS は情報の入手に制限がある盲ろう者にとってもコミュニティー型のツールとして期待すべき点ではないのであろう。 第5章 共同解釈 第1節 盲学校の指導教員H 先生とR 先生との共同解釈 ライフヒストリーを完成させた時点で、盲学校転入時(小学5 年)からのA の指導を担当し、A の成長を見守っていた者として、H 先生(小学部担当)とR 先生(主に小学部と高等部を担当)にライフヒストリーを読んだ上で、共同解釈をしていただいた。 H 先生は小学部のA の担任であり、主に国語指導を担当した。R 先生は高等部のA のクラスの担任であり、主に自立活動の指導を担当した。二人の先生ともA の転入当初より盲ろう教育のあり方に理解を示し、A の教育の取りまとめという観点からの示唆をいただいた。共同解釈を実施するに当たっては、あらかじめ「他の同年代の人とのICT 状況の活用の比較」、「他の学生との教育面での比較」「ICT を活用した自立について」などの質問を準備したが、2 名とも教育という観点からの予想以上の示唆があった。 そこで、A の教育機関における指導方針という観点からのコメントも取り込むこととする。 1.トピック2 に対して:パソコンの活用という視点から(小学部時代) 盲学校転入時には、A が学校での学習とは別に、パソコンを活用した電子メールを開始していることは、トピック2(メールとの出会い)で述べたが、パソコンによるメールの活用について、主にH 先生と共同解釈を行った。 ①パソコンの導入 【パソコンを使うとかまではとても考えられなかった。】 A が学校教育とは別に、パソコンで電子メールを開始したのは、盲学校転入時の小学5 年であったことは、ライフヒストリーのトピック2 で述べたが、盲学校転入後にA の指導を担当したH 先生は当時のA のパソコンの活用について、次のように解釈している。 A『小学部の時、パソコンを使ったほうがいいかもとか考えたりしましたか。』 H『A がお父さんとメールのやり取りをしていることは聞いているけど、それがどんな感じでやり取りしているかまではわからなかった。というか、どんな文章のやり取りをしているのかもわからなかったけど、お父さんとG(県)の話とかしているということはきいていた。 (それ)で、「あ、メールはできるんだな」とは思っていたけど、H はともかくA が日本語をきちんと書いて、そして文章の読解もきちんとできるようになってほしいという思いがとてもつ強くあったので、A の日記とかを読んでいて、まだまだ、日本語が十分じゃない、というかまだ意味がよくわからないというのが小学部の5 年生だったよね。だからパソコンを使うとかまではとても考えられなかった。」』 <考察> 数カ所注目すべきカ所があるが、研究者は最後の「パソコンを使うとかまではとても考えられなかった。」という語りが印象に残った。A のライフヒストリー(トピック2)では、A が「当時は文章の読み書きは自分でしていたけど、送受信は相手のメールアドレスの選択など、操作が複雑であるために、家族がしていた。」と語っている他、家族や支援者がA のメール利用の支援を行っている記録が多数見られる。しかしながら、H 先生は、教育と言う観点で、メールを含めたパソコンの活用は想定していなかったことが窺える。その理由として、H 先生は「まだまだ、日本語が十分じゃない」(ために)と語っているが、そうした経緯には、次のような時代的背景にも起因していると考えられる。 【メール活用は同級生より早かった】 当時の社会でのパソコン活用状況について、H 先生は次のように語っている。 H『小学校の時は学校で先生たちはパソコンを使っていました。そして、私の家にパソコンはありました。それからメールも使っていました。ただ、今よりもパソコンは大きい型だったと思う。持ち運ぶというよりもデスクトップ型のほうが多かったかな。でも、メールは大人はやり取りしていたと思うよ。』A『他の視覚障害者はどうでしたか。』 H『視覚障害者の大人の人は結構パソコンを使っていて、メールもやり取りしていたと思います。』 A『他の生徒はその頃は、まだメールとかはやっていなかったですか。』 H『そう。それもあったと思う。誰もメールとかパソコンもちょっと自立活動の時間で文字入力程度だったと思う。だから、メールとかパソコンをやっている同級生はいなかったと思う。授業でちょっとくらいだったと思うよ。』 <考察> 上記はH 先生から見た当時のパソコンの活用状況であるが、前述した【パソコンを使うとかまではとても考えられなかった。】ことの要因には、A と同年代の同級生がパソコンを一般的に使用していなかったという時代的背景に起因していると考えられる。 そのため、教育という観点で「自宅でのパソコンの使用には干渉しないものの」、教育カリキュラムの作成時には前述した日本語の読み書きの学習の必要性だけでなく、当時の背景も踏まえて、パソコンを用いた教育を取り入れなかったことが推察される。 実際に、「そう。それもあったと思う。」と語られているように、同年代の視覚障害児に対しても、コミュニケーションツールとしてのメールの利用は想定されていなかったために、盲ろう児であるA がパソコンを活用することは、H 先生は自身の周囲の状況と比較した上で、想定していなかったと考えられる。 【教員はあくまで教育という観点での指導のみであった】 日本語の学習の必要性と当時の周囲の背景を理由に、教育機関でパソコンを活用した指導が行われていなかったことは前述した通りである。しかし、一般的に考えれば、「日本語がまだ十分ではないので、メールの活用はもう少し待ってください。」と家族に対して注意する可能性があるのではないかと考えた。 それは、もし「パソコンの活用を止めた」ことが事実であるなら、トピック2 では引き続きメールの活用に対する取り組みが行われていることから、トピックとの相違が生じてしまうからである。そこで、H 先生がA の自宅でのメールの利用について、教育関係者という立場でどのように受け入れていたのかを質問した。 A 『その頃は主にT さんがパソコンの使い方を教えてある程度メールの練習をしてから盲学校に来たと思う。その時の様子で何か感じたこととかはありますか。』 H『T さんの名前は話の中に出てきた。そして、メールのやりとりを教えてくれたのもTさんという話をしたのも覚えています。でも、それくらいの記憶しかない。あと、お父さんがA にメールを出すのを楽しみにしているというのをお父さんから直接かな。聞いたのを覚えている。もしかしたら、お母さんからかもしれないけど。パパもA もメールでどんな生活をしているのか、やりとりしていると言っていたよ。』 A『その時は例えば、これからのこととか、メールは続けてほしいとかの期待とかはありましたか。』 H『うん。あのね。メールだと手紙とかに比べて早いよね。やりとりが。で、A は電話は使えないから、メールは有効だと思った。でも、前話した通り、複雑なやり取りというより簡単なやり取りをしているんだろうな、と思っていたよ。』 <考察> H 先生は、「パソコンを使うとかまではとても考えられなかった。」と語っているが、Aのメール活用の取り組み(トピック2)を止めなかった要因として、教育現場(すなわちAが学校にいる時間)以外での時間において、A に対して適切な指導と支援がなされていたということが、メールの活用に関与しなかった最大の理由であると考えられる。 実際、A のパソコンのライフヒストリー(主にトピック1、2)には家族による支援と、センターなどの外部の支援者らによる指導と支援が行われている様子が見られるように、メールの活用は教育現場の取り組みとは切り離された関係であったと言える。さらにH 先生が「電話は使えないから」と語っているように、A にとってメールは健常児の電話の代わりという役割があったこと、さらにはH 先生が「複雑なやり取りというより簡単なやり取りをしているんだろうな、と思っていた」としているように、短文でのチャット形式であれば問題ないと判断されたことも、メールの活用を否定しなかった理由としてあげられる。 それは、A がライフヒストリー(トピック2)で「多分目的は転校で離れた家族(父等)と連絡が取れるように、ということだったと思う。」と語っているように、あくまでA の家族との連絡手段としての役割という意味合いが強かったということが窺える。そのためメールの活用はあくまで自宅内での取り組みであるために、教育機関(学校)は、自宅での取り組みには関与していなかったことが推察される。 ②パソコンの活用による生活の変化を見て 【(日本語獲得は)メールが果たした役割も大きいと思います。】 H 先生は、「自宅内での取り組みには関与しなかった」こととしたように、教育機関ではパソコンの活用における指導を取り入れなかったが、A の日本語指導を担当した教員という立場で、トピックにおける成果について次のように語っている。 H『A が日本語を正確に書いて、そして理解するようになったのに、パソコンとかメールが果たした役割も大きいと思います。で、単に、何だろう、こう、何か一つの要素で日本語が獲得されたというより、A の周りの人たちみんながA に関わるときに日本語をA に身につけさせようという意識があったかどうかは別にして、沢山の話をして、そして、A は日本語を獲得していったと思うけど、メールは大好きなお父さんとのやりとりが最初だったから、そこで意味が分からないと、すぐ「何?」と聞ける安心感もあったし、パパもA が書いた文がちょっと変だと「何?それ。ちょっと意味が分からない」とか言ってくれたと思う。そういう意味でもパソコンとかメールは意味、価値は大きいかな。』 <考察> 上記は主にトピック2 のメールによる生活の変化に対するコメントであるが、メールを活用することで、より多くの人とコミュニケーションする機会が増えたことは、A の日本語力の向上に影響を及ぼしたことをH 先生は解釈している。 その理由の一つに、メールに返信する人たちも、A に積極的にかかわっている様子が、Aのライフヒストリー(トピック2)から窺えるように、A 自身が理解している日本語に合わせて、支援者も日本語の使い分けと意味がわからないときの問いかけをしているのではないかとH 先生自身は考えたことである。 それには前述したように、H 先生はA の国語(日本語)指導を担当したが、「コミュニケーションの機会を増やし話し言葉としての日本語を獲得した」という成果は、国語という強化科目では、話し手が限られるため実現できないことであったのであろうということからも想像できる。実際、学校内においてもA の「話し相手」となる話し手が数少ない生徒と教員に限られる上、トピック2 で述べているようにA の「近所付き合い」がなかったことを考えれば、メールの活用による他者との交流の意味は、十分にあったことは言える。 【A にとってメールは日常的な存在であった】 H 先生は、メール活用に関与していないことは前述したが、その要因として、家族と教育機関における情報共有と連携が十分になされていなかったことをH 先生は次のように語っている。 H『あーそっか。でも、その1日1回、下校後(メールを)チェックしていたとかは学校で、H とかにも言わなかったよね。あまり聞いた記憶がない。パパとメールをしていると、聞いたこと、A ママとH の連絡帳で、あの、ママが書いていることはあった。 そして、H も返事は書いたけど、A 本人からメールのことをほとんど聞いたことがなかったような気がする。』 A『多分、メールが日常生活の中にあったので、あまり報告するとか、概念というか、意識がなかった。もし、新しいことを突然、やり始めたら、それは報告していたかもしれないけれど、最初からメールをやっていたから新しいという感じがあまり、なかったかもしれない。』 H『うーん。そうですか。今聞くと、頻繁にやっていたことが、わかっていなかった。その時、毎日、メールをしていたとわかっていたらH はメールみせて、ちょっと、プライバシーで問題にならないようなメールでいいから見せて、と言ったかもしれないけど、その時、知らなかったから残念。』 A『不思議に思ったのは、以前にその連絡帳を見たけど、あんまり、メールに関してのことは書いていなかったので、うん、ちょっと不思議に思いました。』 H『そう、だって、連絡帳にいろいろ書いてやりとりしたよね。パパのことも、電車でどこに行ったとか、あっても、A、ママもあんまり、メールのこと書いてないよね。だから、A とパパの2 人のやり取りだったから、みんなまわりは知らないというか、2 人の世界だったからかな。それをパパは、もう、残っていないということ?A のパソコンにもない。』 <考察> 「本人(A)からも話しがなかった」とあるように、家族からの情報がないだけでなく、本人もメールについてほとんど話していなかったことが窺える。 実際、指導者と母との連絡帳に「パソコン」や「メール」に関する記述がほとんど見られないことからも、H 先生と家族の間での情報共有が十分になされていないことは窺える。家族と教育機関の連携が十分になされていなかったことは、H 先生が、A がメールを活用していることを知らなかったゆえのことでもあったと考えられるが、それには家族やメールの活用に携わった支援者は、「あくまでも放課後の活動」、すなわちトピック2 の【余暇としてのメール】と位置づけていた可能性があり、そうした放課後支援という性格上、教育機関への報告が十分になされず、H 先生も自らメールの活用について十分に把握していなかったことが考えられる もし、家族や支援者の活動状況を十分に把握していなかったのであれば、使用者であるAからの報告がなかったのかという疑問が生じるが、それにはA にとっては、転入当初、日常生活の中での「習慣」の一つとして、メールによるコミュニケーションが自然に根付いていたことが考えられる。この行動や習慣は、健常児に置き換えて考えるなら、帰宅後に友達や家族に「家に帰りました」と電話をかけるような習慣であったのであろう。すなわち、研究者という視点から、転入当初にすでに別居先での1 日の生活スケジュールに「メールをする時間」として、メールの活動が取り込まれていたと解釈することもできる。 そうした理由から、あくまでも日常生活の中での出来事であったのなら、A もH 先生にメールについて報告していなかった可能性があることは想像できるのであろう。そうした理由からメールを活用した「放課後の活動」と教育機関での活動は切り離された状態であり、メールの活用に関する情報が十分に共有されなかったゆえに、H 先生自身もメールの活用に関与しなかったことは、ある意味A がメールを生活の習慣の一つとして認識していたという解釈にもできるのであろう。 【放課後支援としてのメールの活用による交流】 メールの活用によって、コミュニケーションの範囲が拡大されたことは、トピック2 でも述べているが、H 先生とA は次のように語っている。 H『銭湯サポートの人たちともメールとかでやり取りをしましたか?』 A『ちょっとしました。依頼とかはやっていないけれど、次はどこの銭湯に行くかとか、そういう相談はやりました。』 H『そうか』 A『何時にどこで待ち合わせるかとか、あと、銭湯だけではなくて、昼間にどこに行くかとかの相談もしました。そんなに回数は多くなくても』 H『メールをしていろんな人とやり取りをすることの、おもしろさとか、便利さを実感できたのは大きいと思います。』 A『(わかりました)』 H『寄宿舎を使えなかったので、それが銭湯サポートをお願いすることになった大きな理由だし、その人たちのかかわりもA にとって、メールというだけではなくとても大きいと思います。で、その人たちと今もつながっている。あの、人とかかわる道具としての情報機器の一歩を小学部で歩みだしたと思います。』 <考察> トピック2 のメールへの順応に対して、「メールをしていろんな人とやり取りをすることの、おもしろさとか、便利さを実感できたのは大きいと思います。」としているように、A はメールの活用によって、様々な人との交流を深めていることが特徴である。 A は、盲ろう児であるゆえに、メール以外でのコミュニケーション手段は手話や指文字、指点字などに限られ、かかわる人はそばにいる家族、同級生、教員などに限られてしまう。そのため、教育現場(学校)以外でのコミュニケーションの機会が必然的になくなってしまうという懸念は、H 先生も感じることであろう。それはトピック2 においても、A 自身が「放課後に自宅前で近所の子供たちと遊びたかったが手話が通じなくて困ったことがある」と記憶しているとコメントしていることからも、放課後に周囲の人たちとかかわりたくてもかかわれないということは想像できるのであろう。 そうした状況の中でのメールの活用は、A にとってのコミュニケーション機会の拡大に影響を及ぼしていることを、H 先生は健常児とのコミュニケーションの範囲の違いとして解釈している。それらの取り組みは障害児を対象とした放課後支援にも通ずる要素であると言えることは、前述した状況からも考えられる。たびたび「銭湯サポート」という言葉が用いられているが、単に「銭湯での介助が必要だからサポートの協力を得る」という考えだけでなく、A にとってのコミュニケーション機会の拡大という性格を併せ持つことも特徴であることは、H 先生も実感していることであろう。さらには、銭湯サポート以外の時間や機会を有効に活用することで、A の人付き合いが深められたことも特筆すべき点であり、そうした人的付き合いに影響を及ぼしたのがメールによる交流であったと言える。 そうしたことからH 先生は、メールの活用は、教育機関での指導、特に国語と言う教科での指導の保管的な役割として成果があったことを考えたのであろうということが窺える。 ③早期段階でのパソコン導入の理由(T 氏からのメールより) H 先生との共同解釈を実施した際に、A がパソコンと点字ディスプレイと出会うまでの背景についてH 先生自身が情報を十分に把握していなかったことが判明したため、パソコンでのメールの活用へのアプローチという視点でトピック1 の過程にてA の支援に携わっていた視覚障害者情報センターの職員であるT 氏に追加調査を実施した。 Q① A にパソコンを使わせようと思った理由は何ですか? A① 白杖での操作や理解、点字の習得の経過を見ていく中での成長の具合が新しいものに順応できると考えました。さらにタイミングよくPC機器等が配分されたことから、専用のPCでいつでも触れる環境を作り出すことで、PCの習得は可能であると判断しました。 Q② どのような方針(または思い)でパソコンの支援・指導をしましたか? A② 触手話での会話から国語力を付けること、パソコンの基本を理解してもらいました。 点字での文章読み、およびメールのやり取りによって語彙を吸収してもらい、言語力を上げることが主目的でした。 Q③ A のパソコン活用の様子や表情等は、A が語られた通りでしたか?(記憶の違い、気づいたこと、その他思い出したこと等ありましたら、教えてください) A① 点字ディスプレイに触れているときは、点字という文字であることはわかっていたと思うが、実際触手話の語彙と国語的な文章が結びついていない様子で、不思議、あるいはわからない表情であった記憶があります。しかし、点字ディスプレイからは指は話さず、ずっと読み取ろうとしていたことが印象的でした。 Q④ 盲学校転校に当たって、どのような期待を持っていましたか? A④ 転校の際は、都市部と学校において多くのサポートが得られることによって、さらに彼にあった学習方法などが見つかり、視覚、聴覚の障害を持っていても、学習ができていく環境にあったと考えていました。』 <考察> T 氏から以上のように返答を得たが、メール内容を分析すると、次のようなことが読み取れる。 ①タイミングよく、すなわち「偶然」パソコン等が配分されていたことから、パソコンの活用ができるよう環境整備を行った。 ②言語力向上を目標とした指導が行われていたこと。 ③触手話の語彙と国語的な文章(日本語の点字)が結びついていないものの、A は点字ディスプレイに関心を示していたこと。 ④都心部で多くのサポートを得られる中での学習方法の確立を期待していたということ。 そのうちの②言語力向上は、H 先生との語り合いによって明らかになった「結果としてメールは日本語獲得に影響を与えたという成果への解釈」に反映されていたことが考えられる。すなわち、教育機関という立場に当てはめると、言語力の向上には「国語」という教科での指導が存在していたということになるのであろう。また、④の期待も銭湯サポートとのかかわりなどによって反映されていることが窺える。さらに、③のA のパソコンへの関心は、メール活用につながる要素であったのであろう。したがって、支援方・指導方の違いはあるにしろ、A とかかわった支援者や指導者は、家族等の意向により、①言語力の向上、②コミュニケーションと学習の方法の確立の2 つの共通課題が自然に立てられ、それぞれの支援者や指導者が課題に基づいて、支援や指導を行っていたことは、それぞれの支援者や指導者の方針の違いや関係者との連携(情報共有による引き継ぎ)の内容などから解釈することができる。 すなわち、メールに必要な日本語の指導はH 先生などの教育関係者、メールの活用に対する支援はT 氏を中心とした学外の支援者とA の家族、メールを活用した放課後支援はメールを送信する銭湯サポートや他の支援者、というようにそれぞれがA の支援に必要な役割を担っていたことは、ライフヒストリー(主にトピック1・2)とH 先生との共同解釈から読み取れる。 ④まとめ パソコンによるメールの活用(トピック2)において、共同解釈を実施した結果、次のようなことが明らかにされた。 ①多数の支援・指導によって成り立っているということ A と携わった支援者にはそれぞれ役割があり、それぞれが共通課題を目指していたこと。 具体的には以下のように分類できる。 家族⇒ A の周囲の支援者を総合的に取りまとめる存在であった。またA のパソコンの補助に当たっていることも、A のライフヒストリーによって明らかにされている。家族がベースとなり、それぞれの支援者は以下のように支援を行っていた。 教育関係者(教員)⇒ 日本語獲得等、教育上必要とする力を身につけるための指導。盲人支援センターなどの指導員⇒パソコン活用に必要な準備(設定を含めた環境整備)と、パソコンの基本的な指導。 ボランティア(銭湯サポートなど)⇒ A のコミュニケーションの支援(話し相手としての役割、メールを通じた語彙獲得の支援の役割など) その他⇒ A と交流のある単なる友人等も含まれると思われるが、より専門的な調査が必要となるため、本論文では割愛する。 上記のような図式が出来上がるが、A への支援や指導について総合的に管理する人(A の家族)がいたことによって、A はメールの活用に順応することができたことは、H 先生との語り合いによって解釈することができた。 それには通常であれば、担当者間での支援内容の引き継ぎによる連携が必要であると思われるが、A の周囲には複数の支援者がいて、それぞれ必要とする役割をこなしていたため、情報共有による連携が不要であったと思われる。 ②メールの活用による成果 早期段階からのメールの活用によって、「日本語力の向上」、「日常的に使用する物としての認識」、「放課後支援としてのメールの活用による交流の拡大」といった成果を果たすようになったことがH 先生との共同解釈によって明らかにされた。 それらは、T 氏が当初に設定した「日本語力の向上」、「多くのサポートを得ることによる学習方法の確立」といった目標に反映させた形になったことは、トピック2 の考察とH先生との共同解釈によって明らかにされた。 第2節 ブレイルメモの導入における背景という視点から ①背景(経緯) 【経緯】 教育機関(学校)で、初めてICT 機器に関する取り組みが始まったのは、A が小学5 年の時に自立活動の授業にブレイルメモの導入した時であったことは、トピック5 で述べた通りである。 H 先生との第1 回目の共同解釈(R 先生は同席しなかった)で、ブレイルメモの導入をめぐって、教育機関(学校)では複雑な議論がなされていたことから、第2 回目の共同解釈においては、R 先生が同席し、A とH 先生とR 先生の3 名で語り合いが実施された。主な経緯については次の通りである。 A『(ライフヒストリーのトピック5 に背景として)ブレイルメモを使いはじめましたとありますが、そのきっかけは何でしたか?』 R『最初。当時の校長さんの研究費で買ったんだったかな、たまたま、A に使えるものが手に入って、(それ)で、教えちゃおうという気持ちになりました。』 H『自立活動の時間は週2 時間ありました。自立活動の時間は、それぞれ子どもたちにとって必要な最優先の課題を教える、障害に特化して、自立を図るというところで、それぞれに学習内容を決めていたので、必ず、これをやらなければいけないという形ではなかったので、それで、A の担当をして下さっていたR 先生がA の現在の様子、その時々の様子と、それから将来を考えた時にブレイルメモが有効ではないかなと判断したということ、というように記憶しています。』 A『その時は具体的に、何か方針とか、または将来の期待みたいなものは何かあったのでしょうか?』 R『正直にお話しすると、ブレイルメモの導入は、A にとって、その将来役に立つ機械だから、使い始めたというのは当初はなかったですね。あったか。2つあるね。1つの、大きな目的は、A の、国語力だとかを高めるために、点字の辞書を作っていました。(それ)で、点字の辞書を作ったときに、データが膨大にあったんですよ。辞書って、紙の辞書っていうのは冊数がものすごく多くて、例えば、当時、A が分からない言葉にぶつかったときに、そのことを自分で調べるにしても、辞書の使い勝手っていうのが非常に悪かったですね。(それ)で、その辞書を作るときに、結果として、用意されたテキストデータをブレイルメモに、入れることによって、ブレイルメモから辞書の検索できないかと考えていました。それが1 つの理由。もう1 つは、A のことというよりも、A と関わる先生たちとの、そのコミュニケーションツールとして、その手話だとかを知らなくても、例えば、点字を知っている教員が、チャットですよね。点字はしらないけど、パソコンは使える教員と、A がコミュニケーションを円滑に図れるツールにならないかなという期待が1 つ。もう1つは、将来的な話しになるのですが、当時のブレイルメモは、インターネット上からダウンロードした、著作権のある読みものよりも、文庫と呼んでいたんだけど、その読み物をダウンロードしてブレイルメモに入れることによって、自分自身が、例えば読みたい読み物が読めるツールになるかもしれないなと思って、期待があって、まずは、ちょっと、そうしたね、目的で、操作方法をA に覚えてもらおうと思ったのが、スタートだったんじゃないかな。て、気がしますけど。違うかね。』 <考察> トピック5 では、A が自立活動の授業でブレイルメモの指導を受けたことがブレイルメモの導入の背景であったと述べたが、R 先生は導入の背景として「A に使えるものが手に入って」とあるように、ブレイルメモを手に入れることができたため、A に使えるように学習させようというのが理由であった。 しかし、R 先生は目的を持ってブレイルメモの指導を行っているわけではなく、盲ろう児であるA に対して、「役立つかはわからないけど試してみる」という期待を持っていたことから、あくまで試験的な意味合いが強かったことが窺える。その期待とは、「点字辞書」と「コミュニケーションツール」と「読書」の活用による期待であったことは、R 先生の語りから読み取れる。こうした「役立つかはわからないが試してみる」という、試験的な側面が強いブレイルメモの指導であったため、トピック5 でA が「最初はどうしてこの機械を使わなければならないのか理解できなかった。つまりこの機械を使うことにどのような意味があるのか理解できなかった。(中略)」と語ったような状況が生じたと考えられる。それは、指導者という観点から、試験的な側面があったことゆえに、A に対してブレイルメモの使用目的の十分な説明がなされていなかった可能性があると考えることもできる。 【試験的な意味合い】 そうした試験的な意味合いが強かった要因として、R 先生は次のように語っている。 R『一番先にA に導入したICT は、ブレイルメモになるのですが、そういう意味ではまだ、その、例えば、視覚障害の、教育全般の中でブレイルメモがどれだけ役に立つのか、もしかして盲ろうの子どもの教育にどれだけ役に立つのかっていうのは、僕自身未知数だったのですね。だからすごく、試験的なことをやってばかりいました。だから、A には別に説明はしていないけれども、パソコンにつなげてのチャットだとか、ブレイルメモをパソコンにつなげて、A が入力したものを合成も声で出力をする、要はしゃべれないA が、機械の声を通してしゃべる実験だとかをやっていましたよね。』 <考察> 「試験的」「実験」などの言葉があるように、点字辞書の活用のみならず、コミュニケーションツールとしての活用を模索する時期であったと言える。そうした経緯からブレイルメモの学習にいたったことになるが、R 先生も試験的な指導であったため、A に対しては十分に説明してなかったことが考えられる。 【ペーパーレスが最大の理由】 ブレイルメモを導入したことで試験的に活用したが、いくつかある方法のうちブレイルメモの活用を選択した理由として、パーキンスブレイラーのペーパーレス化があったことを、R 先生は次のように語っている。 R『うん。あまり関心はね、持たれていなかったのかもしれないけど、本当にね、ブレイルメモが出たばかりで、それまでの1 年間、僕たちはパーキンスブレイラーを1 台、間においてやり取りをしていたんですよね。でも、パーキンスって、めちゃくちゃ重いでしょ。どこに持っていくにも大変だし。」 H「例えば、学校の外に電線とか、側溝とか、排水溝とかなんかそういった世の中にあるものの説明を補講しながら、説明していた時にパーキンスをR 先生は、片手に持って、道の真ん中で、2 人で、パーキンスを打ちながら会話をしていました。そんな状況があったのはその通りです。」 R『ブレイルメモっていうのは紙がいらないんですよね。』 A『そうですよね。』 R『A は、首から下げて、持ち歩くことができるわけです。』 A『はい。』 R『必要な時にすぐにメモをして、そのメモを機械の中に保存することもできてしまうわけですよね。だから、そういう意味でも、A がどうこう言うよりも視覚障害の世界でブレイルメモ自体は、もう、ペーパーレスになる、その時代の先駆けになる、点字版とかに代わる、その機械、当時、電子手帳っていうような言い方をしていたんだけれど、あの、点字の文化っていうのを大きく変える機械っていうことは予想はしていたんです。そこまで、なので、より多くの人たちがブレイルメモを使うんだろうなっていう予測があったので、まあ、A も、将来使うものだという意識はしていましたが、ブレイルメモも当時は高かったんですよ。30 万くらいしたんで、学校が、自由に買える額でもなかったし、僕と同じような考えを持っていない教員もたぶん、たくさんいたんじゃないのかなって。まだ、役立つ機械って予測していない人たちがたくさんいたんじゃないかなって、気がします。それから、欲しがっていた、そのブレイルメモなんかをやるよりも、もっとA の国語力の基礎の基礎をやる時期に、こんなことを教えていいのかっていう批判は、確かにあったんですけれど、さっきいったとおり、その点字使用者のツールになる予測は、僕は、僕自身はしていたので、そういう意味では、ブレイルメモも使用する間の優先順位としては高いものっていう認識は、僕はしていました。』 <考察> トピック5 において、A は「ブレイルメモの利用用途は文章の読み書きと保全が中心であった」と述べているが、R 先生は外出する都度持ち運んでいたパーキンスブレイラー(アメリカ製)に変わるコミュニケーションツールとして、ブレイルメモの活用を期待していたことが窺える。ブレイルメモの特徴は持ち運べることに加えて、紙を必要としない(ペーパーレス)点であるが(トピック5 の【パーキンスブレイラーと違ったメリット(ペーパーレス化)】)、R 先生はそれらをメモや辞書の「ペーパーレス化」への時代のさきがけとしての予測と期待があったこととして述べている。そうした経緯から、A の教育機関での指導内容にブレイルメモの活用を導入したと解釈することができる。 ②導入当初の周囲の環境 ブレイルメモを導入した背景に、授業での指導への導入があったことは、前述した通りであるが、ライフヒストリーのトピック5 で考察を行わなかった点としては、A やR 先生の周囲の人たちのブレイルメモの導入に対する反応であろう。それは、第1 回目の共同解釈において、H 先生が明らかにしたことであるが、具体的には次のような状況であった。 【教員の間での議論】 「役立つかはわからないけど試してみる」という試験的な段階からA のブレイルメモの学習がスタートしたことは前述した通りであるが、ブレイルメモの指導を快く受け入れなかったのはA 本人だけではなかった。実際、R 先生と当時A の指導を担当したH 先生の間では次のように導入における議論がなされていた。 H『H は、どうしてブレイルメモを使うのかと、疑問に思いました。というのは、その段階の、前もこの話はしたと思いますが、その段階のA は日本語がまだまだでした。あの、文章がまだ十分に書けない段階だったので、私は、しっかりと日本語の獲得をさせてから、ブレイルメモなりを使うべきだと思っていました。というのは、国語の辞書を引いたときにわからない言葉が出てきて、その言葉を引いても、また、わからない言葉がそこに、並んでいて、辞書が辞書の役割を全く果たしていない状況だったので、ブレイルメモで辞書を引いたところで、何になるんだと思いました。なので、国語の辞書の使い方はA が知っている、興味関心がある言葉を引く、例えば、電車、踏切、線路、そういったA の知っているであろう言葉がどんな風に国語の辞書の中で説明されているのか、そんな風にして辞書を使って、言葉を増やしていく取り組みをしていたので、ちょっと、ブレイルメモはどうかな?と非常に疑いを持っていました。』 H『ただ、私は情報機器に強いわけではないので、しかも自立活動の時間については、専門の先生にお願いしているので、私はまだ早いと思いますよ。と、言いましたが、自立活動の中でブレイルメモを指導することについては、納得、それなりに理解をしていたつもりです。』 <考察> 以上のように、H 先生は「日本語が不十分なために」点字辞書の活用が難しいことを懸念していた。それはトピック5 の【当時のA のコミュニケーションの状況(記録から)】と第3 章の「日本語の獲得状況」の項で明らかにしたように、当時のA は小学2 年の国語教科書に掲載されている物語を読解することも十分にできておらず、メール(トピック2)でも短文でのやりとりが中心であったからである。 そのため、H 先生自身は、当時のA の日本語の獲得状況を考慮し、ブレイルメモの導入を反対したが、自立活動の中で指導する、という理由から、R 先生の方針を尊重していたことが窺える。その要因としては、自立活動の専門家であることがあげられるが、日本語を学習する国語教科の範囲内ではないことにも関連していると思われる。 しかしながら、ブレイルメモの指導を否定したことが間違いであったことは、H 先生自身も後述するように自覚していて、実際A 自身もトピック6 の携帯電話の活用によるメールなどにも役立つ機械として、継続的に使用するようになっていることがトピック5 と6から窺える。 【教員と家族との議論】 A へのブレイルメモの導入に対する批判は、教員のみならず、家族にもあった。 R『多分、学芸会でね、それ(音声出力の実験)は発表して、すごい、ひんしゅくを受けたんですよ。お母さんから怒られた記憶があります。何の意味があるんだ。(と…)』R『僕にとっては、しゃべれないA が機械の、声を使っても、そのしゃべれることの意義っていうのを実は感じていたんですね。それが、なぜかっていうと、盲学校の中だからこそなんだけれど、その手話だとかって、周りの人たちには見えないわけじゃないですか、また、人と直接会話をするとしても、その人が近くにいて、通訳をしなければ、A の意思が確認できないわけじゃないですか、だから、そういうなんて言うかな、近くにいなくても、A の発言が、まわりに複数人いたとしても、同時に理解できる、そういうシステムが作れると大きいのではないかなという興味がすごく強くて、そんなのを、試験的にやったことを思い出しました。』R『ただ、その試験をやめたのは、お母さんからその、A の発言を周りに聞かせて何の意味があるの。A の肉声でもない、正確なA の声ではないものを、まわりに聞かせて何の意味があるんだって、すごく怒られて、即辞めました(笑)。』 R『でも、あの、どういうときにそのプログラムを作ったのか、僕も忘れちゃいましたが、あのシステムが、今、A が使いこなせていたら、例えば、会議とかで、A の発言を、通訳を介さないで、入力は通訳の人に入れてもらうとしても、出力の部分に介しては、リアルタイムに、その、A が、まわりに主張できるシステムを作れたなーと思って、まあ、お母さんに気を使わないで、もっと、追及しても良かったかなって、残念に思っています。』 <考察> トピック5 では【合成音声の利用の実験も】として、A が実験に協力したことを述べているが、R 先生の語りに「ひんしゅくを受けた」とあるように、H 先生だけでなく、A の母もこうした実験には消極的であったということが窺える。 A にとっての言語は、「手話」または「点字」であることは、プロフィールなどで説明した通りである。その中でも手話は、直接的に意思を表示できる方法であり、そうした考えも批判に影響していると思われるが、本研究ではあくまでICT の活用によるコミュニケーションの可能性に着目していることから、言語的手話の活用については割愛することとする。 しかしながら、R 先生もA のICT 活用におけるコミュニケーションの可能性を模索していたことは事実であり、実現にいたらなかったものもあろうとは考えるが、そうした取り組みが現在のコミュニケーション手段の拡大にも影響しているというエピソードである。教育という観点からは、独力での判断が未熟な本人に適切な教育を行うために、家族の意向も考慮し、指導者自身が決意をする必要があることは、R 先生の語りから今後の盲ろう教育の課題として読み取れる。 ③ブレイルメモの指導による成果(教育という観点から) 前述したようにA を担当した指導者という立場で、様々な議論がなされる中、R 先生は新たなICT 機器への期待を持ってブレイルメモを導入したと言う経緯があるが、R 先生とH 先生自身もブレイルメモの指導において、教育という観点での成果を自覚している。 【ICT 活用の土台として】 指導者間の議論がなされてのブレイルメモの導入であったが、ブレイルメモの指導の実践によって、トピック5 で明らかにした成果は、「結果として」A にとって役立つ機器となったことをH 先生は次のように語っている。 H『小学部卒業ということではないのですけど、今、そのあとのA のいろんな情報機器の活用なんかをみていると、小学部の時にブレイルメモの指導をしてもらって、よかったなって、H は思っています。なので、私自身は、あのちょっと、疑うというか、あまり賛成をしていなかったし、どちらかというと、そんな必要あるのと思っていたので、あの時に、あの、無理やり止めないでよかったなって、それは反省をしています。今のAが、これだけ情報機器を使いこなせるようになって、人とコミュニケーションをとることができるようになった、そこの土台は小学部の時にR 先生が作ってくださったって、思っているので、あの、私自身の反省もこめて、それは良かったと思っています。』 <考察> 文中に『今のA が、これだけ情報機器を使いこなせるようになって、人とコミュニケーションをとることができるようになった、そこの土台は小学部の時にR 先生が作ってくださったって、思っているので』とあるように、ICT の活用の土台としての役割にブレイルメモの指導と活用(主にトピック5・6)があったと考えられる。その点で、H 先生はA のライフヒストリーで明らかにされた成果を「「土台として役立つものになった」こととして解釈している。 【コミュニケーション方法を模索する時期】 トピック5 のブレイルメモの導入だけでなく、当時更なるコミュニケーションの方法は他にも検討されていた。 R『A の指導を始めた5 年生の時に実は今、H が使っている50 音のコミュニケーションボードに近いものを発想したんですよ。それは、僕自身がその(会話)できる人がいるわけではない、会話ができない人たちの中で、A が将来、生活をする上では、A の方から相手に分かるその文字で意思表示をしなければならないという予測を立てていたんですね。で、いろんなその意思表示カードを作って、それを使えるようにというのは、実は6 年生の時、やろうと思ったのですが、当時の(お母さん)とN 先生から大変なお叱りをうけて、それは、やめたんです。本当にA が5 年生で、来たばかりの頃。うん。そんなことがエピソードとしてあるのですが、だから、50 音のコミュニケーションボードは、たぶん、あれは高校生になってからだよね。(H:うん。)』 R『あの原型は5 年生の時にもっていた』 H『私は覚えています。単語カードみたいなものを使っていた。で、そうか50 音にはなっていなかったけれど、単語カードみたいなものを使って話をしようとしていたのは覚えていたので、それと勘違いしました。だから、いろんな方法で、情報機器だけではなくて、人と会話をしようとはしていたと思います。』 <考察> 50 音ボード等はICT ではないため、本研究では扱わなかったが、R 先生はICT(情報機器)の利用をきっかけとして、『将来、生活をする上では、A の方から相手に分かるその文字で意思表示をしなければならないという予測を立てていたんですね。』とあるように、手話や点字ができない人とのコミュニケーションの必要性も想定していたことが窺える。 そのため、50 音ボードの前進としてだけでなく、ブレイルメモの活用など、様々なコミュニケーション方法の可能性をR 先生自身は模索していた段階であったと言える。その意味では、ブレイルメモの指導は、教育と言う観点からは、ICT 等のコミュニケーションツールの確立の原型になったと言える。 【ICT 活用による教育のあり方を再認識した】 R 先生もH 先生も、ご自身の経験を踏まえながら語ったが、共同解釈を実施するに当たって、単に当時の思いを語るだけでなく、ライフヒストリーで明らかにされた「A の当時の気持ちや事実」を読み取ることが必要になると考えた。 それはH 先生とR 先生ご自身の経験だけでは、単一事例にすぎず、客観性を担保することができないと考えたからである。そこで、先生らに「トピックを読んでの感想」について質問した。 R『A の書いたものを読んで、何の役に立つかわからないけれど、ブレイルメモもそうだけれど、あの、やっていたんだなーっていうのを改めて知って、いろんな学習をすることを、ちゃんと説明をしたつもりでいるんだけれど、僕自身の説明不足だったのか、Aのその言語の、理解不足だったのか、どちらだったんだろうなっていうのはあります。ただ、あまり興味がないことを渡されて、つらかったことに関しては、今の時点でごめんなさい。だよね。(笑い)もっと、楽しさを感じさせた授業をしなければっていうのは反省していますけど。』 A『他の盲ろうの子ども、たとえば、もし5 年生くらいの盲ろうの子どもが来たとき、何か期待できるようなことや、またやりたいことはありますか?』 H『H です。A が今のように情報機器をつかいこなせていなかったら、盲ろうのR ちゃんとか、M さんといった2人に情報機器をA から教えてほしい、ブレイルセンスを2人に教えてほしいという依頼はしなかったと思います。それは、小学部の早い時期にAがブレイルメモを使ったという土台で今日まで来たということを、私は私なりに非常に大きな成果だなと思っているので、それを次の盲ろうの子どもたちには早い段階で、教えた方がいいだろうなって思ったので2 人には小学部の時から教えてほしいと思いました。』 R『例えば、知的レベルがA と同程度で、ある程度点字の、習得ができている子どもであれば、同じ時期に同じようなことを教えていくってことはあるのかなって思っています。ただ、盲ろうの子どもたち、一人一人が特性が違いますよね。だから、僕はもう、現場に立つことはあまりないかもしれないけれど、教える機会があるとするなら、その一人一人の子どもの特性に合ったその時に必要なことを、今だったら、もうちょっと冷静に、考えて、指導内容を組んで指導できるんじゃないかなあという気はしています。そういう意味では、A のその指導の前例は、他のケースには、すごく参考になる実践、事例だろうなというふうに思っていますが、1つ、確固としていえることなんだけれど、盲ろう以外、知的な障害がないこどもたちに関しては、できるだけ早い段階で点字の習得があって、点字の習得がベースになければ、ICT の機器って活用できないんですよ。だから、機器とかの指導に入る、もっと早い段階で点字の確実な習得っていうのをベースに教えていかなければならないんだろうなって、いう気はしています。』 <考察> 前半はトピック5 のA「最初はどうしてこの機械を使わなければならないのか理解できなかった。(中略)」に対してR 先生はその部分に注目し、反省点を述べている。この反省とはA が「仕方なく」と受け止めた要因が「指導者による説明不足」または「A の言語の理解不足」のどちらかである可能性があるということである。 森(2016)はファンタジーの理解のためには、「盲ろう児の関心・興味」が必要だと明らかにしている。その点からも、盲ろう児にとって、「ブレイルメモを使う理由」を納得することは盲ろう児が関心・興味を持つために必要なことであることは、R 先生自身も解釈しているのであろう。したがって、盲ろう児教育においては、わかりやすい説明をするなど、盲ろう児が納得するまでの指導が必要であり、その一つに「楽しさを感じさせること」をポイントにしていることをR 先生が再認識したきっかけとなったことが窺える。 しかしながら、この反省と実践の成功事例があったことから、H 先生もR 先生も盲ろう児における早期段階でのICT の導入には効果があると述べている。ICT を導入するためには、点字による日本語の学習と並行して指導を行うだけでなく、「子供の特性に合わせた指導」を検討することが必要であることは、A の点字の学習状況と日本語の理解の度合いからも想像できる。その前例となったのがA のブレイルメモの指導の事例であり、トピックの総括で述べた現在の盲ろう児へのブレイルセンスの指導にも生かされている。 ④まとめ(教育という観点から) ⅰ.何でも挑戦するという意欲 ブレイルメモの活用は、あくまでも試験的な要素であったことからも読み取れるように、指導者は「役立つかわからないが試してみる」という意欲を大切にする必要がある。そのためには、家族や盲ろう児の担当教員などの周囲の人たちに十分な理解を得る必要がある。 ⅱ.導入後の期待(教育という観点から) ブレイルメモ導入後、検討段階にとどまったものも含め、教育という観点で、次のような成果と期待を出した。 ・点字辞書の導入の検討⇒盲ろう児の理解語彙を増やすとともに、「わからない言葉は自分で調べられる」ということを身につけさせる学習ができる。 ・更なるコミュニケーションツールとしての検討⇒盲ろう児の状態に応じたコミュニケーション方法を検討するとともに、盲ろう児や周囲の人たち(生徒や教職員)の環境に応じたコミュニケーション方法の選択を可能にする。 ・読書の機器としての利用⇒読書を促進するとともに、日本語力と知能力を増やすことを可能にする。 ・ペーパーレス化(電子手帳としての活用)⇒用紙の軽減ができるだけでなく、機器の小型化・軽量化によって、使用者の負担を軽減させることができる。 それらの土台が小学5-6 年の時期であり、現在のコミュニケーションツールの確立の原型となっていることは、H 先生とR 先生の共同解釈によって明らかにされた。 ⅲ.導入後の成果(使用者と言う観点から) ・ペーパーレス化 ・情報機器の確立 ・コミュニケーション手段の拡大 それらの可能性を見極めるための原型ともなり、また早期でのICT の導入の前例を残す結果になったことは、H 先生とR 先生の共同解釈によって明らかにされた。 第3節 教育という観点から見た携帯電話の活用によるメール ①中学教育における課題 共同解釈①と②では、主に小学部時代の出来事に対する共同解釈を行ってきた。 その結果、家庭での支援と教育機関での支援の間に境ができていたことが判明したため、共同解釈①はトピック2 のメールに関する家庭内での支援、②はトピック5 のブレイルメモに関する教育機関での支援と位置づけてきた。 しかし、中学部時代はH 先生、R 先生ともにA の担当指導教員ではないこと、教育機関での取り組みが非常に少なく、主に家庭や学外の支援者による支援と指導が行われていたことから、両者を区別せずに共同解釈を進めることとした。ただし、H 先生もR 先生も同校に所属していることから、同校の特性を踏まえた示唆が多数あった。 【カリキュラムがA の能力にそぐわないという不安】 小学部では少数の教員とA が1 対1 での個別指導が原則であり、それぞれの科目においてA のニーズと能力に応じた指導が行われていた(第3 章の日本語の獲得状況より)。また学校内では教員がA に付き添い、A の日本語力向上や必要な情報の提供などに力を入れていた。しかし、中学部に入学してからは、A の学習形態も大きく変化することになった(中学部のまとめより)。 R『A の指導計画とか指導結果だとかは、逐一報告は受けていました。中学部になってからは、教科担当制になっていたので、通訳が必要な教科には、通訳が複数名入ったり、なんていうかな、通訳体制が、ある程度、保障された時期だったと思います。』 R『ただ、大学の、ここにいて、A の学校での様子を垣間見ていて、不安に思ったことはたくさんあります。』 R『学校って、決まった教科教育を、決まった教科数、やらなくてはいけない、ルールがあるわけですよね、A にとっては、教科学習が他の子たちと同じレベルで、その、やれるものもあれば、内容からして、変えなくてはいけない、他の子たちとは一緒にやれない科目も実は、たくさんあったはずなんですけれども、ある程度の決まりに従って、その学校の先生がある程度していた授業の中では、A の能力にそぐわないもの、A の、その時期の優先課題にそぐわないものもずいぶん教えられていたなという気がして、授業の内容によっては、あんなことを教えても無駄だよなーって思ったものもたくさん、ありました。』 R『たとえば、古典とかね、まあ、A は楽しんでいたかもしれないけれど、音楽とかね、時間割通りにやらなくてもいい、盲ろうの子ども向けのカリキュラムを本当は考えなければいけなかった時期だったにもかかわらず、その、なんていうかな、A にとって不必要とはいわないけども、大して、役に立たないような授業も、膨大な時間やらせていたのが、残念に思ってみていました。ちょっと、傲慢な考え方かもしれないけれど。ただ、僕はここ(大学)にいたから口出しできませんでしたけれども、すごく、時間がもったいないなーという気持ちではいました。』 <考察> A が中学部に進学するに当たり、これまでA とかかわっていた教員が変わり、A にとってはより高度な能力を求められることとなった。そのため、盲ろう教育では、盲ろう児のニーズ(知識等の能力)に応じて、時間をかけて指導を行うことが、盲ろう児の知的発達等の向上につながること(福島、1994)を理解している教員の間では、中学部でのA の教育の実態について、「A の能力にそぐわない」との懸念の声もあった。 そうした実情の中で、健常者や視覚障害者と比較してもあらゆる経験と情報が不足しているA にとって、将来にも役立つコミュニケーションに必要な能力や社会への関心に向けた学習が十分に保障されている必要があると言う声があった。実際A はこの共同解釈を振り返り、次のようにコメントしている。 コメント 『確かに先生がおっしゃっている通りだと思う。「中学部は授業内容が小学部よりも難しくなる」というイメージを持っていたため、「中学の教育カリキュラムはこういうもの」と決めつけていた自分にも責任があったかも知れない。今だから言えることだけど、授業の内容も「受けなければならない」と思っていたので、内容が難しくても「中学の勉強なんてそんなものか」と思って、授業を受けていた。ただ古典も含めて、今やこれから役立つことというのは実は少ないと思う。そういう意味では、社会経験やメールなどに必要な日本語の学習等、優先すべきことが多い盲ろう児にとっては、能力や課題にそぐわないという状況があったことは今でも感じている。』 以上のコメントのように、小学部卒業段階で、日本語の学習や社会に対する経験が不足しているA にとって、中学部のカリキュラムは高度な内容であった。それは、盲学校という特性上、視覚障害者のニーズに合わせる必要があることからも考えられる。 そうした中、A に不足している情報をどのように保障するかということが課題になっていたことが考えられる。その意味では携帯電話によるメールの活用は、必要な情報を保障するという役割があったことは、後述するようにR 先生とH 先生は事実として解釈している。 ②携帯電話の活用が果たす役割 前述した中学部での教育カリキュラムの編成における課題を補ったのは、トピック6 における携帯電話によるメールの活用という役割が大きかったと言える。メールの活用による支援は、H 先生やR 先生のみならず、A が小学部時代からかかわりを持っている盲ろう者友の会のボランティアや支援者、家族などの周囲の人たちも携わっていることは、トピック3 のASAHI パソコンにも当時A が複数の支援者等とかかわっていたこととの記述が見られる。 そうした行動を教育関係者(教員や周囲の生徒)はどのようにとらえていたのであろうか。一部は推測に過ぎないが、教育現場を知る教員という立場で考察を進めることとする。※本項では「メール」という表現を用いることがあるが、すべて携帯電話を活用したメールの送受信を指している。 【周囲の人たちの指導や支援があった】 R『多分、U 先生が、その辺は少し、サポートしてくれたんじゃないかなって、思っているんだけれど、携帯を使ってのシステムっていうのは、どちらかというと、A のその学外の知り合い、O さんあたりが、(A:はい。そうです。)そういうシステムは作ってくれたんじゃないかなと、僕は記憶しています。』 A『(その指導と活用について)学校として、何か反応っていうのはあったんですか?例えば、寄宿舎の関係とか』 H『記憶している限りで、とくにメールを使っているからとか、それが困るとか、そんなことはまったくなかったです。寄宿舎の中では、たぶん、かなり、A だけじゃなくて、他の生徒も含めて、やることについては、あまり制限を設けていなかったので、A がそのメールを使ったりとかについても、使えるんだー、程度の反応でしかなかったような気がします。」(R:うん。)』 <考察> A の中学生活でのコミュニケーションに必要な支援は、学内のみならず、学外の人たちによっても行われていたと言うことはトピック6 でも【携帯電話の活用にいたる経緯】として窺えるが、上記のO さんの支援もその一つであり、学校としてはその支援には関与していなかったことをR 先生とH 先生は解釈している。 なお、トピック5 において、情報処理の授業での記録を紹介しているが、上記のR 先生の語りからは、あくまで「カリキュラムの一つとして実施したものである」と推察できることから、共同解釈においては、授業に関しては触れなかった。 しかしながら、R 先生もH 先生も『学校としてはA の活動(特に携帯の使用について)は制限はしていなかった』というような発言をしていることから、学校での教育と学外での支援は切り離された状態であったにもかかわらず、学校としても学外の支援は快く受け入れていたことは、R 先生とR 先生の発言からも解釈できる。 すなわち、言い換えるなら、学校は教育カリキュラム編成時にICT を活用した指導を積極的に取り入れなかった代わりに、学外での取り組みには関与しなかったということである。そうした学外での取り組みが可能であったことには、学校のA のICT の活用の必要性に対する理解があったことだけでなく、多くの生徒が寄宿舎生活を伴うという盲学校の特性上、学外との交流や携帯電話等の使用における制限をそれほど設けていないことにも起因していると考えられる。 いずれにしても、携帯電話によるメールの活用は、学内と学外を結ぶと言う役割があり、そうした役割が学外からの支援と指導を可能にしているということは、R 先生やH 先生も指摘している。 ③教育と言う観点から見た携帯電話活用による成果 A の中学部生活において、学内での教育のみならず、ICT を活用した背景には、周囲の人たちのA に対する理解と支援・指導が存在していることは、前述した結果とライフヒストリー(主にトピック6)における記録によって明らかにされている。 では、教育関係者という観点で、A がICT としての携帯電話(トピック6)を活用することで、A にどのような成果があったのであろうか。H 先生とR 先生はA のライフヒストリーを通読し、教育と言う観点で、次のように解釈している。いずれもA が家族と離れて、寄宿舎(寮)で生活していることが前提となっている。 【連絡手段として】 A が、メールという手段を手に入れることで、周囲の人たちと連絡をすることを可能にしたことは、小学部(パソコン)の共同解釈で明らかにしている。H 先生も「メールは電話の代替的な役割があった」と、小学部のライフヒストリーでは解釈している。しかし、小学部でのメールの活用はパソコンを用いていたために、家族などの操作の補助を必要としている。それは、補助者がいなければ、A 自身が自力でできる「連絡手段」がなくなることを意味している。 実際、ライフヒストリー(トピック6)において、中学部入学当初の1 年間は、寄宿舎内で、自力でできる連絡手段がなかったことが明らかにされている。H 先生はこの結果について次のように解釈している。 H『多分、お母さんとやり取りを必然性があって、迎えに来るとか、といったことで、他の子が電話をかけるのと同じように、多分、メールでやりとりをしていたと思います。で、それは今、R 先生がいったように、同じ学年のその生徒たちと比べると、A の方 が、かなり使っていたなっていうような感触は持っています。』 <考察> トピック6 のライフヒストリーにおいて、A は「電話の代替手段」という表現を用いているが、H 先生は携帯電話によるメールは、学外の人たちとの連絡手段としても役立ったと述べている。盲ろう者であるゆえに、日常的に通訳・介助や移動介助を必要とするA にとって、家族を含めた支援者との待ち合わせ時間・場所の調整は不可欠である。仮にA 自身に連絡手段が確保されない場合、家族を含めた支援者と直接会ったときに次回の予定を調整するか、他人を介して連絡するかのいずれかの方法になることは、トピック6 の【講習会を受けてからの成果(支援者)】等に中学の記録として寄宿舎生活については、「通訳コーディネーター」を外部が担うとともに、通訳者の依頼の把握と調整を寄宿舎職員が担っていたことが記述されている。 それが、A にとってのコミュニケーションの機会が拡大されるだけではなく、学校としても他の同級生と同様に自由な生活を作り出すことができるようになったことは、R 先生とH 先生は「他の生徒の電話との比較」として解釈している。実際A は次のようにコメントしている。 コメント 『連絡手段ができたことで、迎えなどの約束の時間を自分で決められるようになった。仮に事前に時間を決めても、たとえば友達からの遊びの誘いがあったとき、時間の変更をしなければならない。もし連絡手段としてのメールがなければ、友達からの誘いを断らなければならなくなる。それは自由に遊べる友達と事前に決められた時間通りに動かなければならない自分の間に不公平が生じるし、自分にとっても親のために断らなければならないというのはあまりいい気がしない。実際メールの手段がなかった頃は、友達と遊びたくても断らなければならないことがあってつらい思いをしたことがある。』 それは学校と言う立場で、A に自由な生活環境をもたらしただけでなく、A と他の生徒との不公平性が生じなくなったと言う成果があったと言える。すなわち、メールによる連絡手段が確保できただけで、A にとっては自由な機会が得られるようになり、社会参加の第1 歩ともなったと言える。 【コスト軽減】 教育という観点ではないが、次の語り合いからもわかるように、通信費の課題もあり、他の生徒よりもA の方が連絡手段としての携帯電話の活用が進歩していた可能性があることが窺える。 A『はい、わかりました。それに関して、他の生徒たちも、携帯とか使い始めていた時期かなと思うのですけれど、そのメールを使うことは、他の生徒の電話の代わりの役としてもあったということですよね。』 R『いや、まだね、通信費も高かったんだよね。その頃って、そのFOMA(NTT ドコモ)って知っている?(A:はい、しっています。)』 R『出始めた頃。僕が視覚障害の遠隔支援でテレビ電話を研究し始めた頃が、ちょうど、あなたが中学生の頃だったんですけれど。通信量も高くて、あまり電話自体も、だから積極的に使えていなかったんじゃないかなと思うんですけど』 R『あの当時は、学内のインターネット環境だとかっていうのが、整備がはじまった時期だったんですよね。で、インターネット自体は非常に有効なものなので、生徒にも、どんどん使わせていきたいなという考え方と、ネットワークのセキュリティをすごく心配していた層とかがいて、ネット環境に関しては、なんていうかな、どちらかというとセキュリティを気にする人たちの方の声の方が大きくて、生徒にこう自由に使わせられるような状況には、まだなっていなかった。だから、まあ、A は、個人的にO さんが作ってくれたシステムで、やっていましたけれど、あの当時のA の方が、他の子どもたちよりも、多分、進んでいたかもしれない。(A:うん。)メールの利用とかに関してだけは。』 R『だから、A の先行事例が、学校のインターネット環境全般の整備を速めたっていう効果はありました。それは、事実。子どもたちにも自由にパソコンを使わせようっていう風な雰囲気が生まれたのは、A の方が成功していたからっていうのが大きかったかなって。』 <考察> R 先生の会話から、当時は視覚障害者にとっての電話の活用は期待されているものの、通信費が高額になることから、メールの活用に比べれば、あまり進歩していなかったことは窺える。 そうした状況の中で、電話にかかる料金を必要としないメールは、コスト軽減にもつながり、A 自身もメールの送受信回数を増やすことを可能にしている。そうしたメールの需要が高まったことで、学内のインターネット整備が進むようになったことは、A が「メールのみに頼ることでコストを抑えた」という成功事例を残したことによる成果であると言える。 【点字表記から日本語表記へ移行(遠隔指導のツールとして)】 メールはA の生活環境の質向上に連絡手段として役立つだけでなく、コミュニケーション機会の拡大によるA の知識能力の向上にも役立っている。その例に「情報入手の機会の拡大」や「日本語獲得の機会の拡大」があることは、トピックの中で何回も述べている。これに関して、R 先生とH 先生は次のように語っている。 R『A がメールとかを使いはじめて?(A:はい。)、資料にも振り返りとして書いてあったけれども、メールによる情報収集だとか、A がメールで書くことによる、その文章力だとか、国語力の向上だとかの面では、メールは確かに有効だったのかなって気はして います。』 R『また、メールのやりとりによって、文章の修正の指導だとか、支援の人たちが、積極的にやっていた時期ですよね。だから、正しい言葉の使い方だっていうのを、メールを通して身に着けた時期でもあったのかなとは思いますけれど、あの当時っていうのは、まだ漢字かな文字が、使えていなかったから、使っていなかったよね。(A:はい。そうですね。)』 R『だから、漢字変換のその正確性については、メールを通してのその修正は、できていなかったのかな、だから、助詞の使い方だとか、うん、なんていうんだろう、ひらがな文字のみの世界なんですよね。(A:はい。そうですね。)』 R『A にしてみると、点字の表記を日本語表記に(H:それはいがいとね)変えていた時期じゃないかな?』 H『そこは、なんか、けっこう、思ったよりもスムーズにA はできていた(R:できてしまっていた)、できてしまっていた。』 R『あのへんの、メール(H:点字の調音を日本語で、ひらがなで書いたら、「う」になることとかっていうのは、意外とすぐに)できた。(H:できた。)』 H『それよりも、なにか、ちょっと、文章のおかしな表現は確かに直してもらっていたような気がします。』 <考察> A のライフヒストリーでは、「情報収集」と「日本語獲得の機会の拡大」に焦点が充てられている一方で、R 先生は、それは支援者の指摘による「文章の修正における文章力の向上がみられた」と評価している。 当時A が使用したシステムは漢字などに対応しておらず、メールは送受信ともにひらがなのみであったことは、ライフヒストリー(トピック6)でも触れられている。そのため、R 先生は「漢字は使えていなかった」ととらえているが、「それ以外の」面では、R 先生とH 先生は主に助詞、ひらがなの書き方、文章の表現などについて、文章力の変化における成果として評価している。語りの中にある「点字表記」とは点字の規則に従った書き方のことである。 その中で、日本語表記では「う」のところ、点字は」-」(ちょうおん)になるなどの特徴が見られる。たとえば「きょうは東京へいった」と書く場合、点字では、「きょーわとーきょーえいった」と表記される。それは点字が「音声言語」を元にして作られているからである。そのため盲学校での国語の授業は、音声言語と点字表記を用いて指導が行われている。 それはA も同様であったと思われ、実際、日本語表記を学ぶ機会は少なかったことが窺える。しかし、パソコン(トピック2)やブレイルメモ(トピック6)などのICT 機器では、点字表記で入力すると誤変換されることがある。そのため、ひらがな・カタカナ・漢字問わず、日本語表記で入力する必要が生じていた。 その点について、R 先生とH 先生は、A はメールの活用をきっかけに、文字言語は点字表記から日本語表記に移行する時期であったということを解釈している。しかし、A は点字表記から日本語表記への移行が容易であった理由について、次のようにコメントしている。※日本点字表記法とは:日本点字委員会(日点委)によって制定された点字表記法。 http://www.braille.jp/data/hyoukiho.html(最終閲覧:2020.1.13) コメント 『当時はシステム上メールはひらがなしか書けなかった。でも相手からは日本語表記でメールが送られてくるので、たとえば点字表記では「きょー」と書くところ、日本語表記(メールの文字)は「きょう」と読むことに気づき、相手側の表記を真似てメールを書いたりするようになった。確かに相手からの指摘や指導も受けていたけれど、自分で自然に学習した面も大きかったと思う。そういうことは点字での読み書きを中心とした国語の授業ではほとんど学んでいなかったと思う。助詞などは学んだかもしれないけれど、それでもメールによる指導や指摘と相手のメールを模倣することの方が大きかったと思う。 もう一つ日本語表記への移行が容易だった理由として、普段のコミュニケーション方法が指文字であったことも考えられる。指文字は日本語表記(かな文字)を元に作られている。 だから相手からのメールを読んでいるうちに、「これ(表示される点字)は指文字と同じなんだ」と気づくようになった。それも日本語表記で書くようになった理由だったと思う。でも、そのおかげでその後の漢字入力(漢字の変換)にも役立っていると今でも感じている。それは点字表記での入力だとスムーズに変換されないから、日本語表記で入力した方が正確だと気づいたから。』 A は、「それは国語ではなく、メールを通して学んだ」とコメントしているように、国語の授業では学べない部分をメールの活用が補っていると言える。また、日本語表記での入力が容易であった要因として、「見本」としての相手のメールを模倣する形で、A 自身が最初に習得した言語である指文字と、メールでの入力方(日本語表記)の関連づけが可能であったことが考えられる。そうした「メールから新しいことを学ぶ」という習慣を身につけることが可能であったことに、メールによるコミュニケーションの取り組みがなされていたからであることを、H 先生やR 先生は指摘している。また、一般的に大人から新しいことを学ぶ時間として、時間を決めて家庭教師を利用する人がいるが、A の場合は家庭教師を利用せず、メールの活用を通して学ぶことを身につけたということである。 それは、メールの文章を利用したいわゆる「独学」だけでなく、複数の人の協力の元、遠隔での指導をも受けていたということも評価すべき点であろう。メールは、A にとってはAのそばに行かなくても、遠隔での支援や指導を可能にしたツールであり、「その都度教える(指導する)」「その都度支援する」という利点が生かされている。そうした外部からの指導は、前述した「実態にそぐわない」という課題に対応した形になったことは言える。 【ニュースや天気予報等の情報を得る時期に(情報提供のツールとして)】 R 先生はトピック6 の【社会的常識とマナーの変化】による情報収集について、次のように語っている。 R『時事的なニュース、天気予報だけじゃなくて、ニュースなんかも、メールで少し入るようになった時期、提供してもらえるようになった時期だったのではないですかね。(A:はい。そうですね。)』 H『中学1 年生で、H が1 時間だけ、社会の時間を持っていたのは、どうしてかというと、小学部の時に、全くできなかったのが、今話した、時事ニュース、時事問題でした。世の中で、何が起きているのかという情報を、授業の中では全くやる時間がなくて、これから先、世の中で何が起きて、どんなことが関心なのか、A に伝えなくてはと思って、中学1 年生の時に新聞だとか、ニュースの記事をもとにして授業をやっていました。で、その中に、クマが、山から下りてきて、食べ物をとってくる、とってしまうっていうニュースがあって、クマはどこから、どう来るのかという、A くんがとても面白い話をしました。覚えているでしょうか?(A:はい。少し、覚えています。)』 H『ビルの間をそーっと、そーっと忍び足でクマは抜けてきて、食べ物をとるという話しをしていました。S のビル街にクマが現れるみたいな話をしていましたけど、そう、いや、S のビル街にクマが来たら大変だよ。って、話をしていましたけれど、ちょうど、中学生になって、そういった社会に対する関心も、少し出てきたかなっていうときに、メールで、そんなやりとりがいろんな人からも出てきたのかなと思います。その頃はまだ、ネットは使っていなかったよね。(R:ない。)』 <考察> A は、トピック6 に限らず、盲ろうであるゆえに、テレビやラジオの視聴が困難であることは、ライフヒストリー(主にトピック2)でも明らかにされている。すなわち誰かが情報を提供しない限り、日常生活の中で、「自然に」ニュースなどの情報が入ってくることはないという状態であることをR 先生とH 先生は指摘している。 また、ライフヒストリーとR 先生とH 先生による語り合いを改めて振り返ると、A は寄宿舎にいるが、24 時間通訳者または指導者が付き添っていたわけではないという環境の中で、A には必要最低限の情報しか入らないという課題があったのではないのであろうという推察もできる。 そうした中で、A は授業を通して、社会への関心を持つようになった時期でもあった。しかし、授業では十分に対応しきれず、またニュースなどに重点をおいた授業の時間が十分に設定されていなかったという課題があった。 以上のような課題がある中、H 先生が実際の様子を話しているように、メールを送る人たちも何気ない「世間話」をするようになったことは、A が次にコメントしている通りである。 コメント 『確かにニュースの記事が全文送られて来るわけではないが、メールの中でたとえば「昨日○○のお店の火災があった」、「明日台風が来るから気をつけてね」、「昨日○○で殺人事件があったね。本当に怖いね。」というような会話があった。それらは単なる世間話なのだけれど、テレビを見ることができない盲ろう者にとっては、貴重な情報源であると思う。また「どのように燃えたのか」というように知りたい情報だけを得られるという意味では、社会に対する関心を持つきっかけにもなり、自分からよりくわしい 情報を得られるというメリットがあると思う。また天気予報も毎日のように送ってもらうことで、明日の天気を知ることができる。雨がたくさん降りそうだなというのは、盲ろう者にとっても、外出時に必要な情報源である。同級生などの友達の会話に入ることが難しい盲ろう者にとっては、そうした情報を得られるのはメールの活用による影響も大きいと思っている。』 A は以上のようにコメントしているが、「テレビやラジオの視聴ができない」「集団会話に入ることができない」「友人との直接的な会話が難しい」「授業では教えにくい」といったバリアを埋めたのが、メールであり、またA にメールを送る周囲の人たちによる支援であったと言える。 A もちょうど中学生の時期であり、社会に関する情報源を必要とする時期に、学外からの遠隔での情報提供を可能にしたメールの活用が多いに役立ったことは、H 先生も自身の指導の経験を通して指摘している。 【外部の人もA を見守っていた(相談窓口として)】 携帯電話の活用は、教育機関にとって多くの成果を出しただけでなく、A は様々な洗礼を受ける時期であり、周囲の人に支えられるためのツールともなったことは、トピック6 のライフヒストリーでも語られている。R 先生とH 先生とA は次のように語り合いをしている。 R『A はいろんな洗礼?受けたんだよね。今の寄宿舎に入った時期でもあったし、友達とのけんかだとか、』 H『意地悪されたとか』 R『そうそう。いじめってことではないんだけれど、ちょっと意地悪されたとか、そんな苦しい時期だよね。きっと、A にとって(H:そう)』 R『噂では聞いていたけど(A:はい)』 H『で、国語でね、漢文がでてきたり、古典が出てきたり、俳句が出てきたりっていう時期でしたね。(R:うん。、A:はい。)』 R『本当に心配していましたよ(笑い)大丈夫かなって、何を教えているんだって、心配していたけれど、僕は口立ち(口出し)できる立場になかったんでね。うん。』 H『かなり、中学部の時が外部の人たちが、心配して、いろいろA に、かかわってくださっていたような気がします。そんな時期だと思います。それも、メールなどを通して、A の気持ちを含めてサポートしてくれていたんじゃないかな。』 <考察> A のライフヒストリー(トピック6)では【放課後支援としての役割】の相談窓口として、そうした時期に外部の人たちにメールで相談したという表現が見られる。A は、友達とのトラブルなどの経験をする中で、メールは外部とつながる存在であったことは、R 先生とH先生は解釈しているが、A は次のようにコメントしている。 コメント 『意地悪されたことなどはライフヒストリー(トピック6)の中で話した通りだけれど、メールはある意味「相談窓口」のような存在だった。誰かに話せばアドバイスしてくれる。学校などに連絡してくれることもあった。そんな存在だった。』 A にとってメールは相談窓口としての意味合いが強く、寄宿舎での生活を安定させる存在であったことが窺える。また、最後にあるように、学校では対応しきれていない部分をメールを通して、外部の人たちがA の生活を見守っていたことが窺える。 特に、外部の人がA を見守ると言う部分では、「A の実態にそぐわない」という課題に対応しようとしたものであり、そうした意味では、メールはA の相談またはサポートを担う窓口としての役割があったことは、R 先生とH 先生の語りから読み取れる。 ④中学時代のエピソードを通して A の携帯電話によるメール活用は、前述したように多くの成果を出し、A の指導者は一定の評価をしていることは、H 先生やR 先生だけでなく、他の共同解釈における協力者との語り合いからも推測できる。 【意地悪は特別扱いをしないという意味だった】 一方、A の同年代である中学生の評価は様々であり、A は前述したようにある意味洗礼を受けるとともに、社会の経験をする時期でもあった。トピック6 でも【苦情への対処】として、「音の苦情」について語っているが、H 先生とR 先生は次のように解釈している。 A『さっき、いじわるの話があったんですけれど、そこで思い出したのですが、メールについても、学生からいろいろ、文句があったんです。文句が出たと思います。そのあたりのことについて、何か覚えていますか?』 R『具体的な文句というのは、僕は聞いていないですが、A にかかわる支援の人が、たくさんいただとか、外出する機会が他の子たちよりも多いとか、そういうことに対するやっかみみたいな、僕は、結構、周りからあったかなっていう印象は持っていますね。』 H『ものを隠されたとかいう意地悪は、私の中に記憶はあるんですが、メールについては、聞いたことはなかったです。』 R『無責任な言い方だけれど、A が他の友達に対して、おこったとか、取っ組み合いのけんかをしたとかね、それを間接的に僕は聞かされて、え、いい経験ができたよな、それが、普通の子ども関係だから、まあ、常にけんかするわけではないけどね、くやしいという思いをしたりだとか、怒ったりだとかも普通の感覚だから、そういう意味では、いいんじゃないのという風に見ていたけどね。G 君?だったかな?相手は?(A:覚えています。)』 H『G 君?T 君?(R:T 君?なんかあったよね。)T 君、と何かあったと思う。(R:生物室、玄関とか。A:覚えています。)T 君はあのあと、A にごめんなさいをしていましたね。高等部になってからかな、確か、』 R『あれってね、A の、その、なんていうだろう、盲ろうっていう、視覚障害のカテゴリーの中で一緒なんだけれど、そのA を特別扱いを、するんじゃなくて、同じ年齢の、その同じ友達、人間っていう扱いを彼らはしていたわけだよね。A に、やっかんだり、Aを怒らせたりだとか、うん、そういう意味では、周りが、だから、特別視をしていなかった。僕は、それはいいことだと思うんだけれど、』 <考察> A にとって、多くの支援が必要であること、外出などの経験が必要であることは、支援者らには理解されて、それに基づいた方針が立てられていたが、盲ろう教育と言うカリキュラムの前例が少ない中で、一般的な健常者や視覚障害者の生徒には理解されにくい部分があったことは、トピック6 の【苦情への対処】を中心に窺える。 しかし、教育という観点で、そうした課題を直すのではなく、あえて一般の中学生と同様に、友人との交流の機会を提供し、A 自身も一般社会での同級生とのかかわりを経験していたことは、「盲ろう児にも社会的経験が必要」という考えから評価すべき点であろう。その一つに「意地悪」なども挙げられ、実際に寄宿舎では「彼は盲ろう者なのでやめなさい。」というような制限は設けられていなかった。それは、ライフヒストリー(トピック6)の中での中学部の記録にも、寄宿舎のフィードバックとして示されている。すなわち、A を盲ろう者だから教育の面で特別扱いにすることはなかったという点で、R 先生やH 先生は教育と言う立場で解釈している。 以上は「いじわる」のエピソードであるが、改めてライフヒストリーとR 先生とH 先生の語り合いを振り返ると、トピック6 の【苦情への対処】での「音への苦情」も学生からすれば、周囲の学生(学生自身)が音を我慢するのではなく、A に我慢してもらう経験をしてもらおうという教育的心理が働いた可能性は考えられる。 【特別扱いをされた】 一方、盲ろう者であるA の特有な部分については、理解されているとは限らないという解釈もあり、H 先生は次のように語っている。 H『あの、1つだけ思い出しました。どうしてA だけという言葉は出ていたと思います。それは、盲ろうということの障害でしているサポートだったり、通訳だったり、メールもそうでしたが、それがなかなか、すんなりと理解できなくて、どうしてA だけっていう言葉は寄宿舎でも、よくでていたかもしれないです。(R:うん、それは仕方ないね。)』 <考察> すなわち、「他の学生(視覚障害)と同じような扱いを受けることができた」とする部分と「盲ろうであるA を特別扱い」にする部分の両方が存在したことは考えられる。中学生という時期、さらには学校の教育方針も考慮する必要があることから、具体的な分析は割愛するが、トピック6 のライフヒストリーには「メールのマナーを理解した」と述べられている。 A にとって「意地悪された」「文句を言われた」などをされて、それに対応する経験をし、様々な洗礼を受ける中で、A はメールのマナーなどを身につける段階であったということはR 先生とH 先生の「洗礼」という語りから推察できる。実際、A は次のようにコメントしている。 コメント 『確かに他の視覚障害学生と同様に扱われる一方、「どうしてA だけは!」というような扱いをされて嫌み?を感じることもあった。でもライフヒストリーでも話したように、音を立てないようにしよう、などといったマナーを身につける段階でもあったと言える。だから様々な洗礼を受けたことは、その後の生活にも影響しているのではないかと考えている』 A が後半で「その後の生活は…」とコメントしているように、中学生活を他の学生と同様に過ごしたことで、A にとっても社会に対する理解が深まり、マナーの向上にも役立っていると考えることができる。それは教育機関(学校)の指導だけでは補えない部分であり、またコミュニケーション手段が限られるために同級生との交流が薄かったことを考えれば、メールによる学習は大いに役立ったという証拠であると言えよう。 ⑤まとめ 改めて中学時代の成果をまとめると、次のような結果になるのであろう。 A『自分としても、(中学部の)勉強が進むのが早くて、内容が難しい、なかなか役に立つのかわからないっていう状況の中で、進んでいって、そのあたりを例えば、メールとかでいろいろサポートしてもらって、イメージすることが出来た。で、もう一つ、話を戻すのですが、メールは例えば、他の人、盲の人たちの場合は、例えば、テレビとかラジオなどで、音から入ってくるもので、自分の家や寄宿舎に帰った後でも、テレビを見ることが出来て、聞くことができたと思うんですよね。でも、僕の場合は、それはできなかったと思うんです。なので、テレビなどの情報が、入ってこない状況でした。そのあたりは、他の盲の子どもたちと比べても、やっぱり差があったと思うのですが、そのあたりも、メールでいろいろとサポートしてもらっていたのかなって思いますが、そのあたりはどうでしたか?』 H『それは、あったと思います。やっぱり、歴史なんかは、本当に露骨で、テレビで時代劇を見たことがあるとか、それから、そうですね、本で、弱視の人は、そこに書いてある絵だとか、写真だとかを見ることもできるし、まあ、全盲の人も、かなり情報としては入ってくる中で、本当にそのあたりは、A は、たぶん、いわゆる有名な武将だとか、そういったものの名前は入っていなかったと思うので、そういう類はメールの中で、いろんな人が情報としては入れてくれていたんじゃないかなって、思います。かなり、前の人がA に情報を入れようと意識して、私はメールをしていたなって、記憶があります。ただ単に、日常生活のやりとりだけじゃなくて、自分たちが今現在、A が持っている知識にプラスしようとか、これ知らないから伝えておかなきゃって、そんな思いでメールをしていたような気がします。』 A『ある意味、メールは、盲ろうの子どもの放課後支援につながっている内容だったのかなっていう風に思います。」(H:そうですね。)』 以上のような語り合いを振り返ると、A は一般の人たちが知るべき情報を、メールなどで得ていたこと、そのためには周囲の人たちが情報提供という取り組みをしていたことが窺える。そのことから、A が「A の実態にそぐわないと言う課題」が残されていた中学での生活を安定させたことには、次のような条件があったことが窺える。 1.教育機関の関係者(教職員)という立場 ①自由な生活環境の提供⇒携帯電話の利用を制限しないなど。 ②メール送信者と学内の友人とのかかわりのバランスの調整⇒学内の友人とのかかわりの強化など。 ③外部の支援者の受け入れ⇒外部の支援者の学校内の立ち入りの許可など。 ④メールの重要性に対する理解⇒学内ネットワークの整備を進めるなど、学校生活でのメールの利用に対する理解など。 以上のような教育機関のA に対する理解と取り組みが行われたが、これらの影響によって、次のように外部にも影響を及ぼしたと考えられる。 2.外部の人たちによる支援 ①ICT の環境整備⇒A が自力でメールができる環境の整備と使用方法の指導・トラブル時の支援等。 ②メールを活用した情報提供⇒ニュース、天気予報、世間の情報等。 ③コミュニケーション機会の提供⇒近況、趣味などの会話をする機会の提供。 ④相談への対応⇒悩み事、トラブルへの対応等。 ⑤メールの文章の指導⇒文章表現の修正等。 以上のような取り組みが可能になり、1.と2.の関係者による連携と情報共有等がなされるようになった。このことから、A のICT 活用には、次のような成果を残すことができた。 ①外部との連絡手段として⇒自由な生活を可能にした。 ②遠隔指導のツールとして⇒文章の指導による点字表記から日本語表記へ移行(ひらがなの文相緑ノ向上) ③情報入手(提供)のツールとして⇒ニュースや天気予報等の情報を得る。 ④相談窓口として⇒A からの相談や悩み事への対応。 上記はすべて遠隔で行われているが、メールの活用によって、A の安定した生活環境と社会参加を可能にした。 第4節 指導者以外の人から見たA(I との語り合い) 共同解釈を実施するに当たり、A の指導担当教員のみならず、小学部時代からのA にかかわっていた者としてI にも聞き取り調査を行った。I はA のみならず、様々な障害者に関する活動をしていて、盲ろう者や視覚障害者に関する知識を多く持っている。 そのため、I との語り合いを実施するに当たり、語り合いをスムーズに行えるよう、あらかじめ指導者と同様の質問項目を設定し、それぞれに答える形で語り合いを進めたが、I は長年の間視覚障害者や盲ろう者とかかわっていることから予想以上の示唆があった。 本節ではトピック内に対する共同解釈に加え、多くの障害者とかかわっている者という観点で、盲ろう者のICT 活用とそれに向けた取り組みについても合わせて紹介する。 【当事者の表現の正確さ】(過去の自分との出会いから) I は客観性担保という視点で、自分の経験を振り返りながら、A の語りについて、次のように語っている。 I :『その頃(I の5—6 歳頃)の自分が感じていたこと。その時点でははっきり言葉で考えたり、言い表すことは出来ていなかったけれど、大人になった今の自分が思い起こして見ると、幼くてもその時点で気持ちの中では意外にはっきり感じ取っていた事があるものなんですよね。今、トピック1から2にかけての、A さんのパソコンと関わりだした頃の気持ち。つまり、過去の自分の気持ちの表現が、とてもよく言い表せていると思いました。たとえ近くで見ていた親や指導者でもこうは正確に捉えられないと感じます。また、A さんの表現の仕方にも嘘がなく、当時の自分を相手に問いかけたり答えたりしていることが感じられて、読んでいて楽しかったです。』 A:『確かに話しを聞いていて、そのような気がした。当時言葉で言い表せなかったことなどは、今の自分の記憶に基づいて語っている。ただ、実際は周囲の人から「こんな感じだったよ」と聞いて思い出したことなども語っている。ライフヒストリー研究のために集めた記録もそう。記録や周囲の人の声があるおかげで、幼い頃の出来事を語ることができている。たとえば絵を書くという行為を「お絵描き」ということも当時知っていたわけではない。今知っているからこそ、「お絵描き」という言葉で自分の記録を語れる。』 I の率直な感想ではあるが、当事者の気持ちがライフヒストリーを通して的確に表現されていることをI 自身は感じ取っているということである。それには当事者の記憶による表現だけでなく、当事者として周囲の人から聞いたこと、また周囲の人からの問いかけに当事者が答えたことなども含まれていることを、A は明らかにしている。たくさんの言葉を知っているA が記憶や周囲の情報を元にたくさんのことを語ることができたことは、逆に考えれば「記憶」「記録」「周囲の人の情報」などの存在があるからである。こうした記録をIはどのように解釈したのであろうか。 ①時代背景から見て これまでライフヒストリーにおいて各ICT の活用への導入プロセスには、「時代的背景」があることを明らかにし、H 先生とR 先生との共同解釈においても、「A はICT の時代のさきがけとしての存在だった」ことを先生らは語っていたが、I は長年視覚障害者や盲ろう者とかかわっていることもあり、実際のICT の普及状況を知る人である。 そのため、インタビューにおいて、歴史的背景を踏まえて語る場面が多くあった。ここではそうした歴史的背景を踏まえ、A にはどのような影響を及ぼしたのかを検討する。なお、I の語りの中に登場する歴史や時代背景については、あくまでも1 人の共同解釈者の視点での考察であることを断っておく。 【健常者の社会とは大きく差をつけて、Aさんの方が進んでいました。】 H 先生との共同解釈において、H 先生は自身の職場であった盲学校という視点で、盲学校内のICT の活用状況について述べているが、I 自身はA のライフヒストリーと健常者との比較について、共同解釈者という視点で、次のように語っている。 I :『健常者の社会とは大きく差をつけて、ICT の活用や普及状況はAさんの方が進んでいました。』 A:『確かに当時のいわゆるメール友達は、ほとんど大人だった。一番若い人と言えばボランティアの大学生だった。同年代の小学生の友達とメールをするなんて当時は考えられなかった。周りにもパソコンが得意な子供が数人いた程度で、パソコンに関する会話すらほとんどなかったように思う。』 I :『盲ろう児に課せられた言語の習得、情報と会話の場でのバリアを埋める可能性がICTにあることをおもい知らされました。』 I は主にトピック2・3 のメールやインターネットの活用を中心に、「ICT の活用や普及状況はAさんの方が進んでいました。」と解釈している。これについてH 先生らは語り合いの中で、トピック2 のメールの活用に対して、「同級生でパソコンを使う人はいなかった」と、A におけるICT の活用は、比較的早い段階からであったことを示唆しているが、Iは健常者の社会との比較について示唆している。 実際A が発言しているように、当時はA の周りにはメールのやりとりができる同年代の子供は非常に少なく、子供の間ではパソコンは一般的ではなかったと見られることからも、比較的早い段階からのICT 活用がなされていたことが窺える。そのことから考えると、H先生が「まだ日本語が十分でない」ことを理由に、A のICT 活用に関与していなかったことは、当時メールを活用している同年代の学生がいなかったという時代背景もあったということが要因であったと考えられる。 しかし、I は教育者ではなく、一般の立場で、言語の習得と情報と会話の機会が増える可能性があるということを予測していて、そうした可能性を思い知らされたきっかけが、A の存在であり、その状態を「盲ろう児のICT 時代のさきがけ」と表現している。 【タイミングが重なっていたということ】 そうした状況にあった理由として、I は共同解釈者として、次のように語っている。 I :『まず、全体を読んで感じたことは。日本におけるICT、特に点字ディスプレイと平行しての開発普及の経緯や時期とA さんの年齢的成長段階がうまく絡み合っていたんだなと、読みながら面白ささえかんじました。もちろん、これは単に恵まれた偶然ではなく、どんな開発状況であっても、その時点での可能性をうまく受け入れる事ができるA さんの柔軟な能力があったからだとも感じました。ただ、A さん個人の力だけではなく、それを受け入れるための助けになった条件も自然と呼び寄せていたなと感じました。』 ・「A さん自身の持っていた知能レベルと探究心の強い性格」 ・「家族(両親)の知識レベルとある程度の経済力。そして行動力」 ・「各時点で適した指導者や支援者との出会い」 ・「盲ろう者協会設立から、ある程度盲ろう障害についての理解が社会に広がっていたこと」 ・「福島智さんが、東大での地位を確保していたこと」 ・「盲ろう児教育、盲ろう児家族同士の連携が進み始めていたこと」 I :『こんなことがA さんの周りを固めてくれていた様子がつぎつぎに頭に浮かびました。』 A:『(事実を確かめる意味で)つまり少しでも早かったり遅かったりしたら、ICT の活用に乏しかったり、機器の提供等含め、ICT の活用環境に恵まれなかったりしたかも知れないということですよね。つまり本人だけでなく、本人を支えるためには、(中略)の条件がそろっていることが必要だということですよね?それらの条件がそろったからこそ、A はICT の活用にいたることができたと考えることができるということですか。』 I :『どの時代に生まれていてもA さんはうまく世の中の進歩に順応していく事ができた。「この年代に生まれていて良かった」と言うわけではない。これが言いたかったことです。』 これまで主にトピック1・2 のICT との出会いにおいて何回かタイミングがよかったという意味で、「偶然」という言葉を用いているが、I は共同解釈者として、その「タイミング的要素」について、単なる「偶然」だけでなく、A の柔軟な能力と周囲の支援の条件がそろっているという環境的要因にも起因していると述べている。特に健常者という立場で、A個人の「適応力」を評価しているのではないだろうかということが読み取れる。 A はそれを確認するために問いかけたところ、I は「A は物事を自然に受け入れられるだけの適応力が高い」ということを示唆した。そのことから考えると、A の周囲の人たちや機器との出会いは偶然でもあり、A の柔軟な適応力、周囲の柔軟な能力などの複数の条件によって成り立っていると解釈することができるのであろう。すなわちA がICT の活用にいたるためには、周囲の支援だけでなく、A 自身の適応力と周囲の人たちのA の関心と興味への理解が必要であったと言える。 では、それを可能にした要因は何であろうか。A におかれている個人的要因と、社会における環境的要因にわけて考察を進めることとする。特に環境的要因については、I は長年視覚障害者や盲ろう者の支援に携わっていることから、視覚障害者という社会でのICT の普及状況を具体的に示唆していて、興味深い内容となった。 ②背景から見る個人的要因 前述した背景のうち、A の個人の要因として、I は次のように解釈している。 【身近で使われている物は理解しやすい】 A はトピック1 と2 の中で、手紙、電話、パソコンなどを身近なものとして理解していたと語っているが、I はこれについて次のように解釈している。 I :『A さんは電話と手紙の概念は理解していたといいます。手紙は実際に自分で使っていたけれども、電話を使った経験はなかったでしょう。でも、生まれた時から家にあって、身近で家族が使いこなしている電話がどんな物かはよく分かっていた。このことから考えると、A の家にはパソコンはあったので存在は知っていた。でも、少なくともA さんが関心を持つような、コミュニケーション手段として使われる道具としてはあまり利用されてはいなかったのだろうと感じました。I の想像だけど、パソコンはお父様の仕事のために必要な道具として家にあった。つまり、「パソコンはメールのやりとりに仕える道具」という概念はあまり持っていなかったのではないかと想像します。』 A:『(確かに)電話は家に電話機があったので、普通に触っていた。家族に用事があって声をかけようとしたら、「今電話している」と言われることもよくある。「○○さんと話している」と教えてくれることもある。つまりその場にいない人と話せる手段として、電話があるということは、 家族の日常を通して知っていた。その点では確かに身近なものとして認識していたから知っていた、と言えるかも知れない。』 I はそれぞれの概念の理解について、A は手紙については自信が利用した経験を元に、電話やパソコンは家族が使用している様子に触れたことを元に理解しているのではないかと考えた。実際A が家族の日常的行動を通して、電話やパソコンの存在を知ったとコメントしていることから、家族がしている様子に、制限を受けずに触れていた部分は、直接的に概念として理解できるが、逆に「触れたことのないもの」については概念として理解することはできないというパターンは正しいことであると言える。 【日常生活の触れ合いの大切さ】 前述した解釈をさらに掘り下げるため、A はI に次のように確認した。 A:『盲ろう児に幼い頃から、意図的に「今○○と電話している」と説明して、電話機に触ってもらうとか、電話がなる音を瞬時に聞かせて「今電話がかかってきた」と伝えるとかすることが、盲ろう児の概念の理解につながるきっかけになると考えてよいですか?』 I :『その通りです。むしろ教育として教え込むのではなく、日常の生活や家族の動作の中で理解していく。テーブルに家族が揃うと食事がはじまるのと同じようにね。』 I :『既に健常者社会では使い慣れていたものを遅ればせながらA さんが使い始めたと言うのではなかったと言うことです。』 上記のA からの発言に対して、I は教育以外での家族との触れ合いが必要であることを述べているが、孤立しがちな盲ろう児には、教育以外の時間においても、「意図的に日常生活に触れさせる」ことが必要であることが窺える。その点で盲ろう児とかかわる者という立場で、日常生活の触れ合いの大切さを表していると言えるが、そうした考え方は、支援者のみならず盲ろう児とともに生活している家族にも通ずると言える。 その例として、トピック1 にあるように、A の家族もほぼ同時期にメールを始めていることから、家族のメールの学習と同時に、A はメールの概念を理解したと考えることもできることもできるのであろう。すなわち前述した「日常生活に触れさせる」だけでなく、「一緒に作業をする」「健常者の社会に適応していた」ということも、A のICT 活用を可能にした条件であることは考えられ、I はこれまでに盲ろう者とかかわっていたことがある者という視点で、そうした作業を意識的に行う必要があると考えたのであろう。 【家族が別居になったというタイミング】 「健常者社会への適応」を可能にしたもう一つの要因として、「家族の別居」がある。 I :『家族がG とT に別れた時点から、パソコンでのメールは必需品になったのでしょうね。それまでには、ご両親がお互いにパソコンを使ってメールで話し合うことは少なかったのだと思われます。お母さんと二人でアパートでの生活を始めた頃。Gにいた時とは違って、狭い部屋でお母さんと接している事が多くなる。そのお母さんが、メールでお父さんや支援者たちと話し合う道具としてメールを使うところを知ったのではないかな。』 A:『確かに母が父や支援者とメールをしているうちに、自分も文章の読み書きをするために、母のメールのやりとりに加わるようになったように記憶している。だから他の盲ろう児のように「これからメールを勉強するよ」と言われた記憶はあまりない。自然にメールの概念を理解し、メールでのやりとりを受け入れたような気がする。』 I は「そのお母さんが、(中略)メールを使うところを知ったのではないかな。」と解釈していることから、A は家族がやっている動作を直接的に経験することで、メールの概念を理解したのではないかと考えられる。A は発言の中で「自然に」という表現をしているが、重要なのは家族などの環境的条件がそろっていると言うことである。この条件とは前述した「周囲の日常生活(動作)に触れる機会を提供する」「一緒に作業をする機会を提供する」「行動的制限を減らす」などであると言える。 【パソコンが家庭内にあるという時代的背景】 もう一つ自宅にパソコンがあったことについて、I は次のように語っている。 I :『令和に生まれるこれから育つ盲ろう児なら、「パソコンはメールに使う物」と言う概念を持てるのかな?これまた無理なんですよね。と言うのは、既に「メールはスマホで」という時代になっちゃっている気がします。』 I は、その時代にあった物を、盲ろう児も自然に理解していくのではないかと解釈しているが、言い方を変えれば、「パソコンはメールに使う物」というような固定概念を盲ろう児に理解させるのではなく、その時代に応じて、盲ろう児にとっても役立つ物や概念を適宜理解させることが重要だと言うことである。すなわちA は時代に適していたと言える。 ここまでをまとめると、盲ろう児が言語と概念を理解し、より多くの情報を入手するためには、「時代にあったその場の日常生活(動作)に触れること、触れるだけでなく一緒に行動(経験)すること」である。特に「リアルタイム」ということが求められる。 ③環境的背景 A やA の家族による個人的背景は前述した通りであるが、多くの視覚障害者や盲ろう者がICT 機器を情報機器として利用し、健常者社会の中でも、ICT の需要が高まっていたことは、第2 章で述べた。そこで、I は視覚障害者の支援に携わる者として、自身が見た視覚障害者のICT 発展と比較し、次のように解釈している。 【I が見たICT の歴史】 第2 章の振り返りとして、I がこれまでに見てきた視覚障害者と健常者の社会におけるICT の普及状況を簡単に記述する。 ○1980 年代の当時の状況 I :『I にとって「コンピューター」という言葉は、むしろSF小説にでも出てくるような、一部屋全体が機械に埋もれたぐらいの夢のような機械という概念でしか知りませんでした。(学習塾で)テキストを作ったり、テスト問題を作ったりするためには、ガリ版を刷ったり、和文タイプで打ち込んだり。大変でした。』 (初めてのパソコンとの出会い) I :『ところが、I がパソコンを使っている友だちの部屋を見せてもらったのはこの頃だったんです。その友だちと言うのは、視覚障害のある若者でした。つまり、一般の健常者社会ではまだまだ知られていなかったパソコンが、既に視覚障害者の間には役立ち初めていたと言うことなんです。パソコンは一般社会に普及するより前に、視覚障害というバリアを乗り越えるための機器としての工夫が始まっていたのだと思います。』 <コメント> インタビュー中に「盲学校高等部から一般大学に進学する盲学生が増え始めていた頃です(I)。」と語られていたが、視覚障害者の文字情報のバリアを埋める物として、一般大学に進学する視覚障害者を中心に役立てられていたということである。 (視覚障害者に役立つ機器として) I :『視覚障害者向けの機器類の開発と販売で、視覚障害者自身による会社の経営が可能なほどに、視覚障害者の社会ではパソコンが普及し、ソフト類の開発も進んでいたと言うことです。アメディア(視覚障害者の生活と読書を支援する音声拡大読書器 の開発社)が活躍を始めていた1990年代。』 ○1990 年代の当時の状況 I :『I の長男が大学を卒業したのは1986年頃です。卒論はパソコンはおろか、ワープロも使わず、手書きだったそうです。(卒業後の)T 庁での仕事にも、パソコン等は使われていなかったそうです。健常者にはなくても済むものが、障害者がバリアを乗り越えるためには必要な物だったと言うことです。』 (初めてのパソコンの購入) I :『I が初めてパソコンを購入したのは、1993年頃でした。購入の相談も、購入した後の使い始めも、使い方も、全てを教えてくれたのはT さん(盲ろう者)なのです。』 <コメント> 一般的に健常者が盲ろう者に何かを教えてもらうという機会は少ないと思われがちであるが、I のパソコン利用の指導者が盲ろう者であったことからも、「パソコンの普及のさきがけとして視覚障害者や盲ろう者が存在していた」ことが読み取れる。 (6 点式入力の時代) I :『T さんに教えていただいたからと言うわけではなく、ワープロと違って、パソコンは6点式入力が出来ると言うことがI にはとても重宝に感じました。I はもともと点字利用が多かったので、パソコンもフルキーを使わず、6点式で使いました。当時のパソコンには、特にダウンロードしなくても、入力方法として、「ローマ字式入力」「日本仮名文字式入力」と並んで、「6点式入力」が選べました。ブレイルセンスなど、ピンディス使用機器が小さく作り上げられているのは、入力に必要なキーが少なくて済む(6本)と言うこともありますね。』 <コメント> 6 点式入力が入力方式の選択肢として一般的に存在していたことが、A のパソコン利用にも役立てられていると言える。 (震災とパソコンの普及) I :『1995年1月。阪神淡路大震災が起きました。この時、通信手段としての電話はすぐにパニック状態でつながらなくなりました。緊急事態の通信がとどこおりました。例えば神戸の人が神戸の役所に電話が通じない。それなのに、地方からの「市外電話」は通じるんです。そこで、神戸の友だちはわざわざT(県)のI に電話してきます。「神戸の市役所にこれこれこういうことを伝えてください」。何度かわざわざT(県)から電話をかけたりもしました。今ならパソコンやスマホが大活躍するでしょうけどね。この震災時の体験から、パソコンの必要性が世間に認められ、広まり、この大震災後、すごい勢いでパソコンが一般人、一般家庭の間に普及し始めたんです。』 <コメント> 孤立しがちな盲ろう者にとっては、緊急時にも対応できる通信手段が求められるきっかけになったのが、震災による健常者の行動とICT の需要の認識である。 (健常者社会でのパソコンの急速な普及) I :『I が手に入れた二台目のパソコンは、98ノートと言う機種。ここまでの2台のパソコンは画面は黒白。カーソルの動きは上下左右だけでした。パソコンの普及と同時にパソコンの機能は一般人が使いやすいように、日ごとに進歩する事になります。ここでパソコン機能として大きく変化したのが「画面がカラーになったこと」と、「マウスを使ってカーソルが画面上を縦横無尽に自由に動くようになったこと」でした。 ところが、このカーソルの動きが大きな妨げになってしまった人たちがいました。それは視覚障害の人たちです。視覚障害者に取って、画面がカラーになったことは問題なさそうですが、一番の障害になってしまったのが、カーソルの動きです。これまでは、「下に5段。右に10マス」という動きで、カーソルがどこにいるかを理解できていた物が、鼠のように自由に勝手に動き回られては視覚障害者にとっては、カーソルがどこにあるのか分からなくなります。』 <コメント> 視覚障害者にとって必要な物が、健常者にとって必要な物に変化してしまい、視覚障害者が使いにくい機器になってしまったということである。 (視覚障害者向けのソフトウェアの再開発) I :『それまでに開発されていた視覚障害者向けソフトなどの多くに、再開発が必要になってしまいます。でも、視覚障害者たちのパソコン依頼度は大きくなっていただけに、再開発のスピードも早かったようです。視覚障害者の数の多さも需要の多さになります。ピンディスプレイが点字表記ディスプレイとして伸びたのも、この時期だったのではないでしょうか。ピンディス使用の機器類が現在のような伸びや広がりを生み出せた事には、視覚障害者の世界のパソコン機器の発展が不可欠だったと思います。そして、視覚障害者の盲ろう者理解も大きく関与していると思います。』 <コメント> 健常者向けのパソコンが出始めても、視覚障害者向けのソフトの急速な開発が可能だったことには、視覚障害者の需要の高さが窺える。同様に点字ピンディスプレイの開発等は、盲ろう者向けに行われたものではなく、視覚障害者向けに行われたものであるということがキーポイントになることは、視覚障害者の需要があったことによるものであると言える。 <考察> 上記の支援者という立場での背景を振り返ると、次のように解釈することができる。A の本人がICT を駆使した生活を可能にした要因として、すでに視覚障害者が情報のバリアを埋めるために、ICT 機器を使用していて、そうした需要に対応した機器の開発と社会的認知が急速に進んでいたということ。また6 点式入力がワープロの入力法として長く使用されていたことで、A が馴染みのある点字入力でのパソコンの使用を可能にしていたこと。そうした歴史的背景があったことをI は指摘しているが、言い換えればA のICT 活用の土台となったのが視覚障害者や盲ろう者の社会参加における運動であると言える。I は前述したA における個人的背景と環境的背景を踏まえ、A のライフヒストリーを通読したうえで、A の成長において、次のような成果があったことを解釈している。 ①ICT に対する概念の理解から見た成果 【家族との日常生活の触れ合い】 前述した「家族との日常的な触れ合い」を含めた複数の支援と条件がある中で、トピック2 の【インターネットとの出会い】に対して、I は次のように解釈している。 I :『パソコンでメールだけでなくインターネット使用に入っていく段階で、「両親のやりとりしているメールの中で、リンクされていたインターネット情報の存在に出会った」という一節がありました。これですよね。指導や教育ではなく、大人達のやっていることを見ながら育つのが子供。A さんは仲のよいご両親を持って幸いでしたね。家族が東西に別れて暮らすなんて・・・と感じたことも正直あったけど。健常者同士のご両親が、「離れた生活」というバリアを作る事で、メールやインターネットが文字通り「情報」や「コミュニケーション」になっているところを身近に覗けた事になりますね。同じ家に暮らしていたら、両親はメールではなく会話だけで終わっていたでしょう。』 A:『確かにそれはICT の影響があると思う。家族の会話は通訳されないことが多いし、「大人の会話」として会話内容が教えられていないこともある。そうした中での大人同士のメールによるコミュニケーションには効果があったと言えるかも知れない。たまたまリンクされているインターネットを見たのも、ある意味「大人の日常」に触れていたことになると思う。』 I は大人(家族)との触れ合いがあったことで、A はインターネットに出会えたことを重要な成果として述べている。こうした触れ合いによる成果はA 本人や指導者の努力だけでは成り立たず、家族などの周囲の人たちのA に対する理解や協力とも相互作用しているとI 解釈している。 すなわち、日ごろ「何気なく入ってくる」情報や経験が不足している盲ろう児にとっては、教育という現場だけでは盲ろう児への情報の保障は十分にできないため、家族や周囲の支援者も意図的に「家族の日常生活に触れながら、家族と共存できる生活」を目指すことが必要であり、その実例がA の家族の努力であると言える。具体的には家族の日常的会話にAが触れたことは、盲ろう児にとっては「大人の世界」を知るきっかけであり、そのきっかけとなる部分がICT と言うものであったと言える。 【一瞬で届くメール】 I は「日常生活に触れる」ということは健常者と同じ感覚を持つということでもあることを述べたが、トピック2 のメールの概念理解においても、I は次のように語っている。 I :『A さんが、手紙が行き来する時間的感覚に比べて、メールが瞬時に届く事が理解しにくかったとありますね。これも、A さんがメール全盛期以前に生まれていた証拠です。なぜか、生まれた時に既に常識的に使われていたものについては、盲ろうか健常かに関係なく無理なく受け入れられちゃうんですよね。電話だってメールと同じように実態の掴めない不思議な物なのに、「遠くにいる人と話すことの出来る機械」として、理屈無しに受け入れられちゃっていたでしょ。これは、A さんが生まれた時から家にあって、家族が自然に使っていた物だからでしょう。』 A:『確かに電話は「離れている人と話す機会」として理解していたが、声がどのように相手に届くかということまで考えたことはなかった。そう考えると、I さんの言うことは事実なのかも知れない。』 I は生まれたときから日常的に使われているものは、自然に受け入れるから、疑問を感じないと語っているが、24 時間体制の支援がなされない代わりに、支援者や指導者だけでなく、家族もA との触れ合いを大切にしていたことは前述した通りである。すなわち、上記の触れ合いという条件があったことにより、A はA の周囲にあるもの(電話機など)の概念を自然に理解することが可能であったと言える。それは前述した「電話」や「メール」の概念の理解にも通ずる内容であると言える。 したがって、家族自身が、A に対して、「意図的に「今自分は○○と電話している」と説明して、電話機に触ってもらうことや、電話がなる音を瞬時に聞かせて「今電話がかかってきた」と伝えることをすること」という作業を行っていたため、A は電話をしているところが見えなくても、日常的に家族が電話をしているということを理解することが可能であったことは、教育以外での取り組みの成果であったと考えられる。さらにそうした点では、支援者や指導者だけでなく、家族との触れ合いがあったことによる概念の理解があったことは、視覚的情報や聴覚的情報を保障するという点で重要であったと言える。 【本人の関心と意欲を育てると言うこと】 家族として子供との触れ合いを大切にする必要があることは前述した通りであるが、日常生活での触れ合いを強化するためには、もう一つ重要なポイントがある。 I :『このトピックスを読んでいると、A さんの理解力や使いこなす技術能力が役だったことももちろんですが、それ以上に、A さんの持ち合わせた「何にでも関心(興味)を持つ好奇心の旺盛さ」が大いに役に立っているように感じます。また、大人達が次々に勧めてくれる機器類。その割りに、初めて出会う物がどう役立って行くのか。言葉としての説明は通じきれない。A さんはまるで、ある意味「未知への遭遇に向う冒険家」みたいですね。』 I :『今の生活が不便だから、その不便さを埋める何かを探そう」。こんな努力でA さん自身が可能性のあるICT を探した訳ではなかった。周りの人たちが置いてくれる機器類。無理に押しつけるように「使いなさい」と言われるのではなく、A さんが徐々に使いこなして自分の物にし、その意義さえ自分で見つけていく段階が素晴らしい。』 I はA のことを、「未知への遭遇に向う冒険家」と表現している。個人差や性格の違いはあろうが、単に盲ろう児に支援や指導を行うだけでなく、本人の関心や意欲を育てるということも、ICT 活用の支援のみならず、盲ろう教育においては必要なことであると言える。その点では、A の関心や意欲に基づいて日常生活を共用した家族や支援者の成果は、実例の一つであると言える。上記の条件と取り組みが重なったことで、A は「パソコン」をはじめ、「電話」「手紙」「メール」の概念を理解するようになったことは考えられる。 ②情報入手という視点から見た成果 【情報のバリアを埋めた】 トピックからA は情報のバリアを埋めるためのツールとして、早期段階からICT 機器を活用していることが明らかにされているが、I は次のように解釈している。 I :『I のなかで、Aさんと比較できるとしたら、ヘレン・ケラーだと思います。ヘレンの場合はICT には出会っていません。その代りが、24時間体制とも言えるサリバン先生との触れ合い。これが出来たのはケラー家の飛び抜けた経済力。Aさんの場合は義務教育の時間内での教育と、家族や先生、支援者との触れ合い。そしてICT の活用です。』 A:『確かにH 先生やR 先生の話しを聞いていても、複数の人の考えとその支援があり、それを受け入れていたからこそ、今の自分があると思っている。その一つにICT を活用したコミュニケーションもあると思う。もしICT がなかったら、義務教育の時間内での先生との触れ合いはあっても、放課後や休日は家族以外、十分な支援や触れ合いを受けられていなかったかも知れない。実際盲学校に来てから、人とのかかわりが急激的に増えた。』 I :『時代や環境の条件が変わっていても、周りの条件を受け入れて伸びる力は当事者が持ち合わせている力のような気がします。つまり、ヘレンとAさんが入れ替わっていたら、時代や方法は違ってもお互いに同じように言語の獲得は伸ばせたと感じます。』 トピック2 の項でも、A とヘレン・ケラーの比較をし、A には24 時間体制での支援が行われていないことを明らかにしたが、I は支援の経験を持つ立場で、A には複数の人による触れ合いがあったことを明らかにし、さらに「触れ合い」を助ける物としてICT の活用がA には存在していたことを述べている。すなわち24 時間体制での支援と指導における経済的な負担を少しでも解消しようとしたのが、ICT の存在であったことは事実であろう。 実際、A もヘレン・ケラーも「周囲の人たちの盲ろう児に対する理解があった」ことによって、手厚い触れ合い(支援)がなされていたという環境的要因があったことには代わりはなく、「周りの条件を受け入れて伸びる力」は個人差があり、比較できるものではないが、少なくともA とヘレンにはそれぞれ力があったということは考えられる。それぞれの環境的条件と時代にはメリットとデメリットがあることは考えられるが、A の場合は24 時間体制での支援は行われていない代わりに、複数の人たちによる支援とICT の活用がなされていたことはその後に多くの成果を出す結果になったと言える。 その中でのICT 活用による支援は、手話や点字などの専門知識を必要としないこと、訪問支援に必要な費用を抑えられること、人材を増やさずに済むことなどを可能にしていると言える。その点では、ICT は盲ろう児に不足する情報を伝える役割があったことは、教育以外の視点で成果があったと言える。 【インターネットは図書館】 トピック2 の「インターネットとの出会い」でA は「インターネットは図書館や本屋さんだと感じた」と語っているが、I はそれについて次のように解釈している。 I :『インターネットを「図書館」とか「本屋さん」と感じているけど。健常児でも書物に触れ初めたころにもっとも興味を持って読みたがるのが「図鑑」類です。多分、インターネットは本屋さんでも「図鑑コーナー」だったのでしょう。』 A:『確かに読むものは主に「図鑑」だった。健常児は写真や絵を見ると思うけど、自分は、そのものについての説明文を読んでいた。』 I :『また、インターネットに子供向けのページがなくても、この時期の子供の心理として、難しくて理解しにくい言葉が混じっているような部分にあこがれる。読んでみたくなる。まあ、当然個人差はあるけど。I 自身、6年生の時に毎日、新聞の「社説」を読むことを日課にしていたことを思い出します。実は、分からない部分も多かったにもかかわらず、何か大人の世界を覗くようでもあり。そこで言葉や社会の仕組みなども教えてもらうのではなく、漠然と自分で理解していった部分があったことを思い出します。』 I は、「本屋さんでも「図鑑コーナー」だったのでしょう。」と解釈しているが、A はある意味「図鑑」コーナーを見ていた、ということになるのであろう。その理由にI は「子供向けのページがなくても…」と語っているが、そのことから考えても、A は盲ろう児でありながら、「大人の世界」、インターネットであれば「大人の言葉」に触れる中で、大人の世界を 知ると同時に、日本語を理解するようになったという成果があったことが考えられる。 【「ダヤンの部屋」での取り組み】 成果ではないが、I 自身が行っている取り組みについて紹介する。 I :『最後に、ダヤンの部屋を通しての話もしておきます。テレビやラジオで盲ろう者関係の話題が取り上げられると、「番組の内容や画面の状況を伝えて欲しい」というリクエストが寄せられます。時間をかけてテキストデータとして書き起こしたものは一人に送って終わるだけにとどめず、他にも読みたい方がいれば読んでもらえるようにしたのが「ダヤンの部屋」というI の手元にある「文庫」のようなものです。』 I :『I の希望としては、「一般の健常者社会で話題になっているような番組にも関心を持って欲しい」と考えています。NHK の大河ドラマや朝ドラと言われる、見ている人の多い番組を観ることで、健常者との共通話題にもなると思っています。この文庫の他に、I は友だちの手も借りて、毎日のニュースや天気予報を希望者に向けて送り届けることもしています。「ニュース」や「天気予報」は、インターネットで公表されるものを、メールに貼り付けてお送りしています。』 以上が、I 自身が行っている取り組みであるが、I は多くの障害者とかかわっていると言う立場で、日ごろの盲ろう者の情報不足とICT の利用による利点の両方を踏まえ、盲ろう者にとって必要な情報をできる限り提供していることが窺える。そうした意味で、A 自身が世間話やニュースをメールで受け取っていたこと(トピック6)は、盲ろう者への情報提供という点では、成果があったと言える。 以上のように、情報の入手という点で、A はICT の活用に役立てられていたことは他の盲ろう者に応用できないかということをI は認識したのであろう。 ③コミュニケーションという視点から見た成果 【家族でも便利なメール】 ICT がコミュニケーション手段として確立されていく中で、A は離れた人とのコミュニケーション手段として機器を利用するようになったが、I は次のように解釈している。 I :『盲人から高齢で聞こえなくなった盲ろうの男性がいました。パソコンも使っていたので、ピンディスプレイでメールのやりとりは出来るようになっていました。遠く離れている人とはメールで自由におしゃべりが出来る。それなのに、家族との会話が出来なくなりました。簡単なことは点字対応カードで何とかなっても、詳しい話が必要になると、同じ家の中なのに、息子が携帯からメールを送る。届いたメールをパソコンのピンディスで読む。こんな会話をしていましたね。』 A:『この家族内でのメールは私も使用した記憶がある。指文字がうまく通じないときや親戚に要件を伝えないといけないときに使った記憶がある。今でも難しい内容を伝えるときはメールを使うことがある。また家族以外でも手話ができない人とのやりとりにメールを使うことがある。』 I は家族内でもメールは便利なコミュニケーション手段として使用されていると語っているが、メールは「離れた人とのコミュニケーション」だけでなく、手話や点字を知らない人とのコミュニケーション手段としても役立てられる。A 自身も「そばにいても」手話ができないために、メールでやりとりをした経験があり、メールはチャットとしての利用もできるということを知る成果があったと言える。そうした成果は、より使いやすいチャットシステムの開発へも寄与できると推測される。 【メールか友だちか】 A はトピック6 において、中学部時代にメールに頼りすぎたのではないかと心配していることを語っているが、「メールか友達か」という視点で、I は次のように語っている。 I :『A さんが友だちに携帯を見せつけられ自慢された時の気持ちも分かるような気がします。ちょうどこの頃だったのかと思います。I はA さんからの点字の手紙の中で、「寮の友だちたちとの付き合い」について書かれていたことを覚えています。「寮の仲間とも話の仲間入りをするほうがよいと思って、指点字で彼らの話を聞いて見たけど、あまりに幼稚でくだらない内容の話題なので驚いた」と言った事が書かれていたんです。なんとなく、A さんが友だちたちが携帯を使って自由に会話していることを羨ましく思う事と同時に、同年代の寮生たちのくだらない会話を聞いて「とるに足らない奴ら」みたいな気持ちも持ってしまっていたことを感じました。』 I :『そんなときに「携帯とブレイルメモを使ったメール」を手に入れたのですから。Aさんの世界がどんどんメールの中に引き込まれて行ってしまった様子が分かるような気がします。後に、「もっと直に友だちとの会話にはいっていたらよかったのかも知れない」との反省も書かれていますが。I はふと、視覚障害者の中で、いち早くパソコンを使いこなした若者が、部屋に並べたパソコンと関連機器の間に閉じこもっていた姿を思い出しました。』 I :『しかし、結局はこの時期に手に入れた日本語力が大いに役立つことになったんですよね。他より多くの努力と時間を必要とする盲ろう児としての日本語力獲得には是非必要だったと言えそうです。指点字での片言会話で笑い合っている時間より有効だったとも言えそうですね。』 A:『確かにメールは相手の(指文字や指点字の)読み取りスピードに合わせる必要がないという意味では、負担を感じない。また短い時間の間、たくさんのことを話せたり、情報を得たりすることができる。その意味では、友達と直に話すよりはやりやすかった。』 A は、当時中学生であり、機器でのメールの経験を通して、大人とのかかわりが強かったという点は、ライフヒストリーだけでなく、これまでの共同解釈からも窺える。そうした中で、同年代の友人との関係が薄かったA にとっては、友達関係に悩む時期であったことは、トピック6 でも語られている。そのため、気持ちが揺れているA にとって、メールはA を導くものであったということをI は述べている。すなわち「近くにいる友達と直接話さなくても別の友達と話せる」「外部にいる大人と話せる」「手話や指点字を使わなくてもいろんな人と話せる」という、A にとっての近くにいる寮の友達からの逃げ道として、「メール」が存在していたのであろうということをI は解釈している。 改めてトピック6 を読み返すと、「ストレスの軽減」などという言葉が登場するが、I は時間と負担という面で、メールが盲ろう児にとっては合理的な方法であったのではないかと考えたのであろう。以上のように、I はコミュニケーションの面での成果があったことを明らかにした。 ④全体を通して 【ICT の活用は成功だった】 多く成果を得たA に対するI の思いについて尋ねると、I は次のように語った。 I :『進行中の当時は少しICT に頼りすぎることを懸念する気持ちを持っていました。 ただし、反対に現在を結果として考えると、これまでの段階は成功だったと感じます。』 A:『自分としても当時はいろいろ試される時期であり、周りではいろいろ議論や失敗があったと思う。でもICT の活用にいたったことは、いろいろな意味で「結果として正解だった」と思っている。コミュニケーション手段としての確立、日本語獲得の向上、社会の理解と信頼性等、いろいろな分野でICT が役立っていると実感している。もしICT がなかったら、今ごろは人とのかかわりが希薄な状態だったかも知れない。』 I は、ICT に頼りすぎることを懸念していたが、最後に「これまでの段階は成功だった」と語っている。H 先生とR 先生の語り合いでも、A のICT 活用は現在を結果として考えるなら、過去の経験は大いに役立ったことを明らかにしていることから、「結果として正解だった」という考え方は、3 人とも全員共通する条件であったと言える。 A も改めてICT の活用を受け入れたことは長所が多いということを感じているとコメントしたが、「懸念」とあったことから、ICT の活用を止めようとしなかったのかという疑問を感じた。そこで懸念に対して止めなかったのかと確認すると、I は実際にA の生活状態を見て、ICT に依存することを心配していなかったと回答した。したがって、I は一般の友人として、A を見守っていたということである。 ⑤課題 I は、一般の友人という視点で、A のみならず盲ろう者の社会参加における課題を述べている。そうした課題はICT の活用によって多少の解決が期待できるのであろう。 【点字が普及する可能性もあった】 6 点式入力が点字を知るI にとって、パソコンの順応と盲ろう者への支援に役立てられたことは前述した通りであるが、I はそれに次のように語っている。 I :『この頃のまま、今でもパソコンへの入力方法として「6点式入力」を残してくれていたら、もっと多くの人が日本語表記法の1つである「点字」を自然に覚えてくれていたでしょうにね。』 A:『逆に6 点入力方式を普及させた方が、盲ろう者だけでなく、健常者にとっても役立つ可能性がありますし、共通のコミュニケーション手段として確立していくのではないかと思います。』 I :『点字を広める良いチャンスでした。「目の見えない人が使う文字」というと、何だか「覚えてあげよう」になるけど、「パソコンへの入力用文字」としてしまうと、これは覚えたくなる。もともと点字は一人の人の考えを中心に作られた文字です。何千年も何百年もの間に自然に出来てきた漢字や仮名文字とは違って、合理的に出来ています。』 I は、自身の経験から、パソコンの6 点式入力が広く普及されれば、点字の普及にもつながったのではないかと考えたのであろう。実際A が支援者を増やせる方法の一つとして、6点式入力(点字)を共通の言語にするのはどうかと発言しているように、「点字」がパソコンを使うための言語として認識されれば、パソコン教室などにもカリキュラムとして、点字の学習を導入できるという利点がある。 すなわち、I は点字を「目の見えない人のための文字」としてではなく、「パソコンを使うための文字」として普及することで、盲ろう者の支援につなげることが可能になれば、それは誰にとっても合理的な方法になるのではないかと示唆している。 A のライフヒストリーでは、支援という視点で点字の活用については触れられていないが、盲ろう者に対する支援者を増やす方法として、ICT の利点を生かした点字の普及が今後の課題であろうということが新たな発見であると言える。 【「ダヤンの部屋」から見た盲ろう者のICT の利用】 成果の項で「ダヤンの部屋」を紹介したが、I は「ダヤンの部屋」から見た盲ろう者のICT利用の課題について、次のように語っている。 <課題1> I :『「盲ろう者」と一言でまとめられる方々の中にはあまりにも個々の違いがありすぎると感じます。一番のばらつきの原因は、盲ろうという状態になる以前の状態の違いです。 ・1.健聴・晴眼での生活体験のあった人。 ・2.視力には障害があっても健聴での生活体験の長かった人。 ・3.聴力には障害があっても、視力を仕える生活体験の長かった人。 ・4.盲ろう児育ちの人。 この、1.と2.の人はどちらかと言えば年齢と共に視力聴力に衰えを感じる「高齢者」ととても近い感覚を持っています。つまり、障害者関係の番組に偏らず、一般社会で話題になっている番組を共有したいという気持ちが大きいです。パソコンや携帯、スマホで受け取ってからの読み取りも、「拡大文字にして、視力で読み取る」「音声で聞き取る」「点字で読み取りながら、音声も聞く」など色々です。3.4.のかたたちが関心を持つのは「盲ろう者問題が取り上げられた番組」だけとも言えます。番組が取り上げた話題の内容より、名前を知っている盲ろう者の顔がテレビに映し出されたかどうかが知りたい。こんな感じもします。』 I は、3.や4.の盲ろう者の関心について、「範囲が狭いこと」を指摘している。特に、先天性盲ろう児の場合は顕著であると考えられる。森(2016)や中澤(2004)で「先天性盲ろう児は情報入手の困難があるため、自然に得られる情報量が非常に少ない」ことを明らかにしていることからも、いわゆる「世間」と言われる外部社会からの情報が非常に少なく、それらに関心を示さないことが要因であると考えられる。 <課題2> I :『ただ、日本語力や文章理解力はありながら、盲ろうになってから点字の触読をはじめて、まだ読み取りが遅い。全部は読み切れないので内容を短くまとめ書きして欲しいというリクエストもあります。インターネットを調べれば自分でも読み取れる「ニュース」や「天気予報」。これを希望によって、毎日届けている盲ろう者の中には、意外にもICT 利用のベテランたちが多いんです。インターネットが開けるようになったばかりの人たちは「天気予報は自分で開いて読むことが出来ますから、送ってもらう必要はありません」と言います。反対に、ベテランの人たちには、「毎朝インターネットを開いてニュースや天気予報を見るのは時間がかかる。メールに貼り付けて送って欲しい」と言われます。どうしてもインターネット内を探し回ったりするのは、スピードの上で視覚が仕える人にはかなわないようです。周りにいる人たちの力を、うまく利用するのも生きる知恵の1つです。大いに利用していいと考えます。』 A:『盲ろう者のICT 活用支援には、単なる指導やコミュニケーション機会の提供だけでなく、定期的にニュースを送る、番組の情報を送る、というような取り組みも必要であり、そうした支援者を増やすことも盲ろう者にとっては「自然に何気ない情報に触れる」ことにつながると思いました。』 I :『大いに必要でありながら、とても難しいことです。福祉体制が整うと、盲ろう者には頼めば何でもしてくれる通訳介助員が派遣されます。でも、通訳介助員と盲ろう者は雇用関係の間柄で、友だちではない。だから、頼まれたことはするけど、必要以外の特にくだらないことは出来ない。「盲ろう者に一番欠ける事はくだらない噂話だ」とK 先生は言われます。「通じ合う言葉が少ないから、どうしても必要なことから知らせる。健常者の社会では、1日のおしゃべりの中では80%がくだらない内容の無駄話。それが盲ろう者には欠けている。」その通りなんです。盲ろう者は、ニュースと天気予報を毎日読んでいるから一般の社会に追いついていると考えてしまう人が多いです。くだらないおしゃべりが出来るのは「友だちか家族」です。つまり、雇用関係のない人。一番大切な人。国や自治体に頼んでも派遣してもらえない人たちです。』 I は、多くの盲ろう者が、自力でインターネットを検索して情報を得ることが難しいということを踏まえて、盲ろう者にはメールによる情報提供が必要だと述べている。しかしながら、一般的なメールマガジンでは対応できないという特性から、盲ろう者のニーズにあったメールの作成と情報提供が必要だとも述べている。 それは、先天性盲ろう児にも同様なことが言える。第1 章でも述べたように、先天的盲ろう児の場合、健常者時代の経験が不足しているため、言語の学習という段階からのすべてに時間を要する。そのため本人の学習能力に応じた配慮と工夫が必要だと言える。また盲ろう者には「無駄話」の情報が不足しているため、雇用形式でのメールサービスを実施しようとする場合、一般的な情報提供だけでは対応できないという課題もある。これらの課題をどのように克服するかということが今後の課題であるとI は述べている。 ⑥ I の期待とまとめ 【盲ろう教育への期待】 I はA の成果と課題を踏まえて、盲ろう児のICT 活用に対する期待について次のように語っている。 I :『子供は、家族が当然のように使っている物は理解しやすいし、使ってみようとも思う。こんなことから、ICT についても、家族や教師、支援者など、周りの人たちも平行して使いこなせるようになる方法?(同じ機器類を周りの人にも揃えたり使い方を指導するシステム)があるとよいのではないかと感じます。』 I :『I の理想は、「指導のため」では無くて、「一緒に使う仲間」になりたいと言うことなんです。例えば、I にもセンスを貸してくれる機会があれば、センスを使って盲ろう児や盲ろうの友だちとのメールのやりとりをする。これで初めて「これは便利だ」「ここが使いにくい」「こうなればいいのに」という話も出来る。また、具合が悪くなりやすい部分などの話も同じ立場で話せる。指導員とは少し違うんです。もちろん、今でもこれは、盲ろう者の中の先輩と後輩の間で出来ている事だとはおもいますが。例えば、I が毎回送迎をしていた盲ろう女性。年中パソコンのどこか要らないところをいじってしまうようで、直せなくなる。その度に盲ろうでパソコンに精通している先輩を、また送迎して連れて行って直してもらう。故障ならともかく、「どこかの設定をいじってしまった」ぐらいの事なら、私たち友だちでも、もし同じものを使い慣れていれば相談に乗ったり、ある程度直せたり。また、盲ろう者にかわって電話で質問したりも出来る。盲ろう児にとってなら、ご両親等が出来ている部分かも知れません。でも、盲ろう児の両親でも実際にセンスを使ってみている人は少ないでしょう。』 I :『実際に、盲ろう者と同じ状況でのパソコン環境を体験できれば、晴眼者のパソコン使用状況との差も分かります。そうすれば、どんな部分をどう改善していくとよいかの相談にも乗れるのにと感じます。盲ろう者と健常者がお互いの機器を使い比べられる機会が欲しいと言うことです。たまに、チャンスがあって、センスを触らせてもらうぐらいでは分かりませんよね。健常者にもセンスを貸し出すシステムができればいいなと思っています。』 研究者は、A が家族によるパソコンの補助(操作)を受けてメールをしていた経験から、「従来の健常者が使う機器を盲ろう児・者が使えるようにする」または、現在盲ろう者の間で普及されているブレイルセンスにモニターなどを取り付けて、家族や支援者も盲ろう児・者の操作内容を確認できるようにすることのどちらかしか考えつかなかった。しかしI は単にこれらをするのではなく、盲ろう者が使用する機器と同じ機器を支援者が利用できれば、情報共有もしやすく、支援もできるのではないかということを指摘している。これはR先生が共同解釈において、「指導や支援の人材の課題」を述べていることとほぼ同様であると言える。そうした盲ろう者と支援者の共通の認識による盲ろう者への支援の拡大を期待している。 【まとめ】 A が、ICT の活用を可能にした要因としては次のように考えられる。 1.個人的要因 ・家族のA に対する理解があったこと。 ・タイミング的に必要な機器がそろっていたこと。 ・パソコンが一般家庭でも普及し始めている時期であったこと。 ・盲学校転入をきっかけに別居生活をするようになったこと。 ・A の適応力(関心と興味)を家族が認識していたこと。 2.環境的要因(支援者や指導者という視点) ・A の持つ能力に応じた教育・支援が行われていたこと。 ・A の興味・関心に基づいた教育・支援が行われていたこと。 ・教育以外での家族や複数の支援者とのふれあい(手厚い支援)を重視していたこと。 ・家族が使用する機器を多少の工夫でA も利用できるように準備したこと。 3.環境的要因(時代背景) ・情報のバリアを埋める機器として早期段階から視覚障害者の間で、ICT の活用が普及されていたこと。 ・視覚障害者(と盲ろう者)の需要に対応した機器やソフトウェアの急速な開発と再開発が進められていたこと。 ・これらの背景があったことにより、盲ろう者のコミュニケーションツールとして、一般社会に認識され始めていたこと。 上記のような要因があったことから、A は時代に応じたICT の活用を可能にしたことが考えられる。その要因を支援や指導の条件とすることで、A はICT に関する概念の理解、情報の入手、コミュニケーションにおける成果を得るようになったことが明らかにされた。また、他の盲ろう者においては、ICT の活用だけでは対応しきれない課題が多く残っていることをI は指摘した。 したがって、総合的に考察すると、盲ろう児がICT の活用にいたるためには、「本人の状態(興味・関心、適応力、行動力等の能力)に応じた支援や指導をすること」、「教育以外での家族や支援者とのふれあいの機会を提供すること」、「時代に適した機器の選択と活用」が求められていると言える。さらにI は、ICT の活用の支援者や指導者を増やす方法として、「盲ろう児が使用する機器を周囲の人たちが実際に使用し使い方を理解すること」を示唆した。 第5節 ブレイルセンスの活用によるコミュニケーションの拡大(高等部時代) ①はじめに 中学部時代を「携帯電話の時代」と位置づけるなら、高等部は「ブレイルセンスの時代」に突入したことは、ライフヒストリーのトピック7(P132)と8(P181)で明らかにされた。 高等部に入ると、教育機関ではA のICT の活用に対する指導や支援が薄くなり、ブレイルセンスの活用における指導記録もほとんど見られなくなった。そうした事情からやはり中学部時代と同様に、A の動向を見守った教育関係者という立場で、R 先生とH 先生との共同解釈を実施した。 【コミュニケーション環境の激的な変化】 ブレイルセンスの活用が始まったことで、コミュニケーションや情報入手の範囲が大幅に拡大されたことは、トピック7 と8 で述べたが、R 先生は次のように解釈している。R:『A が言うとおり、ICT 関連、インターネット関係でみると、環境がずいぶん整った時期になるのかな、とぼくも思っています。時期的には、多分、高等部3 年目が劇的にその辺が変わっていったのかな。センスに関しては、盲ろう教育研究会、でしたっけ?(H:はい。)が、貸し出してくれました。だから、非常に高価な機械で、個人で買うのは、大変難しかったと思うんだけれど、ただでね、モニターとして使えたことは、ラッキーだったよね。それから、覚えているかな?T 大のK さんがやっているD(イベント)にエントリーしたのも3 年生になってから?(A:はい、そうですね。3 年生だったと思います。)』 R:『イベントD でも、パソコンとピンディスプレィの、無償の貸与を受けることができたんじゃないですか?(A:はい、そうですね。)ここもすごく、パソコンはA にしてみれば、苦手な機会だったかもしれないんだけれど、ブレイルセンスがあり、パソコンがあり、ピンディスプレィがあり、かなり、そう高価な機器も、自由に使える環境になったことも大きかったかなっていう気がしています。』 R:『でね、SNS の話が出ていたけれど、SNS は、ぼくは教えたことがないし、(A:…そうですね?)これはあなた自身が、他の聾学校時代の先輩かな?同級生かな?だとかとの関係だとか、電車マニアの関係だとか、そういうところで、関係を広げていったもので、ぼく自身は、SNS は一切教えたことはないんですけれども、SNS をやったことによっての、ネット上での人のつながりも随分、こう広がった。(A:はい。そうですね。)そんな時期だったかなって思いますよね。だから、そういう意味では、インターネットを駆使、本当にもう、健常者以上に、駆使できる環境を、幸運にも手に入れたのは、A にとって、よかったよね。』 <考察> A は、ブレイルセンスの活用によって、電子メールのみならず、SNS を含めたインターネット全般へと情報入手先が大幅に拡大されたことは、トピック7 と8 で述べた。そうした激的な環境変化は、ブレイルセンス、パソコン+パソコン用の点字ディスプレイといった多様な機器が相次いで貸し出されたという背景によるものであると、R 先生はA を見守った指導者と言う観点で解釈した。 実際、R 先生は語りの中でICT 機器が多数存在していたことに対して、「ラッキー」「幸運」という単語を繰り返し用いているが、総額100 万円以上(ブレイルセンス、ノートパソコン、点字ディスプレイ、その他パソコン使用時に必要な支援ソフトウェア等)にもなる高価な物たちを教育機関(学校)が個人のために提供することは、現実的ではないことは想像できる。逆に個人が購入するにしても、気軽に購入できるものではないということは推察できる。そうしたことを考えれば、SNS の活用にいたるほど激的に環境が変化したことは、教育と言う観点でも、学外のA に対する支援が充実していた点では評価すべき点であるのであろう。 ②周囲の環境から見た成果 【学校も自由な環境を作り出していた】 学外の機関や支援者がA のICT 活用に携わったことは前述した通りであるが、トピックで明らかにされた「ICT の活用による成果」は、A の生活の場であり、教育機関でもある学校における教育方針にも関連していると言える。 A:『はい。逆にいろいろ、批判という意見もあったんじゃないかと思いますが、そのあたりはどうですか?例えば、学校の中とか、また、学校以外の人たちとの、いろいろな意見の中で、そういうのはあったと思うのですが、どうですか?』 R:『批判というのは、特になかったですね。T の盲学校の高等部というのは、学生の興味関心があるものっていうのは、比較的、自由にやらせる雰囲気を持っているんです。例えば、海外に留学したいだとかっていう子がいれば、それについても応援するし、だから、そういう意味では、人よりも恵まれたインターネット環境にA があったとしても、それについて、例えば、不平等だとか、その不公平だとか、中学部の時みたいにやっかみを感じる子どもとか、そういうものは、特になかったと思うし、ぼく自身は、何かで批判されたことは特にない。』 A:『はい。わかりました。高等部の時に(R:うん。)個人的にぼくは、気づいたことは同級生との関係をより深くしなきゃいけなかったと思っていたんです。そのあたりは、どう思いましたか?』 R:『最初の高1 から3 年生までのクラスに関しては、実は、他の子どもたちは、A とのかかわりを意外と積極的に持とうとしていた気がします。(A:うん。)だから、Aの方が、もっと意図的にね、深いかかわりを求めてくれれば、それに応えられるメンバーだったような気がする。』 R:『だから、卒業の時の手話歌覚えている?(A:はい、覚えています。)あーゆうのも、ぼくがそうしろとか、言ったことは全くないし、彼らが主体的に考えて、やったんだよね。だから、どちらかというと、より深く付き合おうと、A が思ってくれれば、より親密な関係を築けた可能性は多分ある。そんな気がします。』 A:『はい。わかりました。そのあたり、先生方のフォローが少し足りなかったのかなという気もします。それだけではなくて、例えば、コミュニケーションの方法のより、いろんな方法があるということを考える必要があったのかなというふうに思います。高校生までは、やはり、指文字とか、指点字だけをやってきたので、他のコミュニケーション方法を考えることがなかったんですよね。(R:うん。)なので、それが、学生とのコミュニケーションのチャンスが少なくなってしまったという原因なのかという風に思います。』 R:『(上記の状況に対して)そんなに反省するようなことは実はなくて、その、いろんなコミュニケーション手段があるんだけれど、あの、手話だとか、点字だとか、指点字だとか、指文字だとか、あまり縁がない連中が、例えば、指点字で、話をしたりだとか、一生懸命指文字を覚えて、会話をしようとしたりだとかっていう努力をしようとしていたことは、評価してあげてもいいし、高校生だからね、その学校が間に入って、より、その濃密な会話ができるような場面を設定するだとかっていうような年でもないんだよね。通常は。だから、ぼくは、まわりは一生懸命努力したっていう気はしているけどね。A も結構、生徒同士の会議だとかで、発言していたじゃん。あんなもんだと思うよ。反省するようなことでもないと思うよ。』 <考察> 上記は、トピック7 の【同級生との交流】で述べた「A はメールやインターネットに夢中になったことで、同級生などとの直接的なかかわりが少なくなったことを反省していて、そうしたメールやインターネットに依存するという懸念があった」ことに対する共同解釈である。 A 自身は、同級生とのかかわりが少なかったとして反省しているが、R 先生はA 自身がもっと深いかかわりを同級生に求めれば同級生もA に対してかかわりを持ったのであろうということを想定していた一方、通常は高校生という年齢で学校が学生の間に入って、より濃密な会話ができるような場面を設定するといったようなフォローはしていないと述べている。 それは、トピック7 において課題としてあげられた「学校(寄宿舎を含む)としての学生へのフォローが必要だ」という課題に対しての解釈であるが、自由な環境を提供しなければならないという学校の性質上、これ以上コミュニケーションのフォローをすることは困難であると考えられる。R 先生はそうした理由を踏まえ、「反省する必要はない」と述べたと考えられる。そうした意味では、学校と言う立場で、学生個人に対して、自由な生活環境を提供することは、学生の興味や関心を尊重するきっかけであると言えよう。 ③教員から見た課題 主にトピック7 と8 ではブレイルセンスの活用における課題を述べたが、教育関係者であり、また教育現場で自立活動やICT 活用の指導に当たっている教員と言う立場で、盲ろう児・者のブレイルセンスの活用から見える課題について語っていただくことにした。研究者は、ICT 機器を使用中に生じる課題を中心に考察したが、指導や支援という観点から予想以上の示唆があった。これらの課題はブレイルセンスのみならず、パソコン等の他のICT の活用にも通ずる内容となっている。 【トラブル時のケア】 トピック7 と8 ではブレイルセンスのケアについては触れていないが、トピック6 で課題として述べた【故障への対処】に通ずる内容として、R 先生は次のように語っている。 A:『高校生の時に例えば、(支援者が)ブレイルセンスを使って支援をした。そして、先生方もそれに関わった。ていうか、主にO さんに手伝ってもらった、支援してもらったこともあると思いますが、学校として、ブレイルセンスを使うことについて、何かヒントというか、気づいたことってあるんですか?例えば、意見とか方針みたいなところで何か変化はありましたか?』 R:『ブレイルセンスがでる前は、基本パソコンなんです。(A:はい。)で、ブレイルセンスは、A は使いこなしているけれど、ちょうどA がブレイルセンスを使いこなした頃が、パソコン、視覚障害者全般がね、パソコンからブレイルセンスの移行の、まあスタート時期だったんじゃないかなという気がします。学校としては、そのパソコンとソフト(音声読み上げ用のソフト)の組み合わせと、センス1 台の組み合わせっていうところでは、金額的には大して変わらないから、また、多少なりとも助成制度があったから、パソコンとソフトの組み合わせから、ブレイルセンスへの移行を子どもたちに進める時期にはなったのかなっていう気がしています。ただし、ここには問題があって、センスって、晴眼者が使えるものじゃないんですよ。普段、使っていないから、だから、センスのユーザーが何かしらのトラブルに見まわれたときに、ケアできないっていう問題がある。(A:はい。)なので、その、全面的に、パソコンを使っていたユーザーをセンスに移行できないっていう、もう一つのジレンマが実はあったんだよね。(A:はい。)』 <考察> トピック6 のみならず、トピック7 でもブレイルセンスの活用におけるいくつかの課題を明らかにしたが、R 先生はそれ以外に、指導及び支援という立場で、ブレイルセンスの知識を持つ人の少なさを指摘している。 ブレイルセンスは、視覚障害者の利用に特化した特殊な機器であるため、健常者でブレイルセンスを操作できる人はごく一部に限られる。また、健常者は日常的にブレイルセンスを使用していないため、ブレイルセンスの使い方などの専門的な知識を学習する機会がない。そうした現状の中で、通常のパソコンの知識だけでは、トラブル時のケアが困難であるという課題があることをR 先生は指摘している。また、トピック6 の【故障への対処】という課題にも起因しているが、専門的知識を持つ指導者や支援者が少ないゆえに、使用者(ユーザー)の周囲にそうした指導者や支援者がいるとは限らないという現状もある。教育機関においても、盲学校以外の学校(ろう学校や一般校等)にも視覚障害者や盲ろう者が在籍していることを考えれば、数少ない専門家だけでは対応できないことは想像できるのであろう。そうした理由から、パソコンからブレイルセンスへの移行ができない状況が続いていることをR 先生は指摘している。 盲ろう者や視覚障害者が、ブレイルセンスを使用しやすくするためには、使用者が増えることを想定し、全国規模でトラブル時にも対応できる体制作りを検討する必要があると言える。 【共通使用ができない】 前述【トラブル時のケア】に関連し、R 先生はさらに次のように語っている。 A:『パソコンは予備的に使っている状態ですね。』 R:『そうだよね。ちょっと、扱えるデータの種類に制約があるかもしれないけど、センス1 台で済むのであれば、それでいいと、僕は思うけどね。ただ、多分、A にも、これから問題に直面してくると思うけれど、就労をした時にセンスだけで済むのかっていうと、そうはいかないよって、だから、あなたにとってパソコンは、センスの予備的なものかも知れないけれど、仕事に就いた時には実は、センスって、ものすごくマイナーなものであることには変わりない。要は、職場環境は、結局はパソコンだよっていうことは、逆に言えるかもしれない。だから、やっぱ、両方使えなければいけないのかな。』 <考察> 前述したパソコンからブレイルセンスへの移行ができないもう一つの問題として、社会におけるブレイルセンスの認知度が低いという点である。そのため、R 先生は扱えるデータが少ないだけでなく、一般社会では「ブレイルセンスはマイナーな存在」となってしまうという課題を指摘している。 R 先生は、職場を例にあげているが、視覚障害者や盲ろう者が所持しているブレイルセンスを健常者が使用することがないため、データ作成などの共同作業が困難である。また同様に複数人で1 台のパソコンを使用するということも困難である。 研究者は、トピック4 において、【ブレイルセンスの補助機器としての利用】と【ブレイルセンスの代替機としての利用】について、ブレイルセンスの保管的な機器としての側面で考察を行っているが、R 先生は一般社会への適応と言う側面で、以上のような課題を指摘している。そうした理由から、教育機関においては、共通使用の機器として、視覚障害者や盲ろう者も一般に広く使用されているパソコンを利用できるようにする取り組みも必要であるといえる。 【本人のニーズや周囲の環境に適した機器の選択】 パソコンの基本を学ぶことで、パソコンユーザーとの共通利用と共通認識が可能になることは前述した通りであるが、もし共通利用と共通認識を目指すのであれば、他の盲ろう児・者もブレイルセンスとパソコンの両方を学ぶ必要があるのではないかという疑問が生じる。そこで研究者はさらに次のように質問を掘り下げた。 A:『例えば、高校生とか、最近は中学部でも、センスだけではなくて、パソコンを使っても、盲ろうの子どもたちに必要だということになっていると考えることができるってことでしょうかね。センスだけではなく、パソコンも必要という考え。』 R:『両方とも、そこそこ使えるようにしておく必要がある。ただ、それが、中学生くらいからの段階からそうかといったら、ものに関して言うと、だから、例えば、ブレイルメモやメールやセンスがA に対して、その生じさせた、能力向上のための機能は一体何だったのっていうと、日本語の理解であったり、語彙をより多く身につけたり、メールでのやりとりであったり、ってことでしょ。だから、コミュニケーション能力の発達に必要な時期にそれなりの役割を果たしたのが、メモ、メール、センスだよね。だから、有効に活用できる、そういう能力を伸ばせる時期に、あの適切な端末が使えることが大事。A にとっては、それが携帯であったり、センスであったり、メモであったりしただけで、子どもによっては、それがパソコンとピンディスプレイでも構わないし、要はコミュニケーション能力を高めるのに有効な機器が、高まるのに適切な時期に使えれば、どっちでも、どれでも良い気がするけれど、僕は。(A:はい。わかりました。)』 H:『今、現在、盲ろうの子どもたちで、学校教育の中でパソコンだとか、ブレイルセンスを使って、学習を進めている、日常的に使っているという例は、ほとんどないと思います。もしかしたら、把握できていないだけで、使っている例はあるかもしれませんけれども、把握している限りでは、A が知っている事例くらいしかないと思います。』 <考察> パソコンユーザーとの共通利用と共通認識がなされるためには、ブレイルセンスとパソコンの両方を学ぶ必要があることに代わりはないが、盲ろう児本人のニーズや学習能力などの状況に応じた有効な機器の選択は必要であるとR 先生は述べている。すなわち、本人の能力や周囲の環境に適した機器の選択が必要であり、必ずしも早期段階から一般社会に適した機器(パソコン等)の学習を行う必要はないということであろう。 実際、H 先生は、盲ろう教育の専門性を拡大させるためにA の指導者の立場のみではなく、盲ろう教育の学術的立場(全国盲ろう教育研究会)からも発言しているが、多様な機器を使いこなしている事例は稀有であることは、H 先生が指摘している通りである。その点では、A が使用できる機器の選択肢を増やしたことは、社会の中で幅広く対応できるという点で、成果があったと言えよう。 【指導人材の養成】 前述した3 つの課題からは、「ブレイルセンスの使い方を指導する人材が不足している」ということは明らかにされ、またトピック6 の【故障への対処】でも盲ろう児・者が使用するICT 機器の指導者が不足していることを指摘しているが、ブレイルセンスの指導について、R 先生とH 先生は次のように語っている。 R:『ぼくは、センスの欠点は、例えば、盲ろうの当事者にセンスを活用できる可能性をもつ盲ろうの当事者に適切に教えられる人材が少ないことが問題だと思うよ。どちらかというと。例えば、盲ろう教育研究会が、A と同じように貸与したM 君、(A:はい。)それからH 君(A:はい。)彼らが使いこなせているとは、到底、言えないでしょ。(A:はい。)』 R:『A もよくわかっていると思うけど、これは、やっぱり教えられる人、それから、使い方を忘れてしまったりだとか、機械に不具合が生じたりしたときに、フォローできる人が身近にいないっていうことが大きいし、センス自体が、やっぱり、そのみんなが使う機械じゃないから、使わない人は、この操作方法って、覚えるのが大変なんだよね。そういう人が、身近にいれば、そのメールをもっともっと、活発に送受信して、日本語を高めるだとかっていうことにつながっていくんだけれど、そういう人的な環境がないことが、すごく大きい気がしています。これは、A が、全国行脚して、そういう人たちにみんな教えられるかって言うと、A も教えられないだろ?(A:はい。)』 R:『じゃ、協会を通して、そういう指導者を、どれだけ増やすことができるかって言ったって、まずセンス自体を持つことが大変なわけだし、例えば、ライトハウスだとか、リハビリテーションセンターだとかの職員が、これを買って、施設が、機関が買ってくれたとしても教えるだけの使い込みができるかって言うと、そうできる人って、あんまりいないと思うし、ここに僕は大きな問題があると思うよね。機械はすごくいいんだけれど、それを教えられる人的なその環境が整っていないことが大きい気がするな。で、これは協会が、T の友の会がやっているけれど、あの、養成研修?指導者養成研修?(A:はい。)ちょっとした指導者養成では、これ教えられるレベルまでいけませんよ。って、言い切っていいのか、分からないんだけれど、どうですか?そのA くんはどう思いますか?(A:はい。そうですね。)』 A:『やっぱり、人材の問題になると思います。また、支援システム(体制)、例えば、拠点みたいなところが必要になってくるのかなと思うんです。今は、例えば、誰か支援してほしい人がいれば、(指導できる人が)支援に行くということが多いんだと思います。例えば、自分がH 君のところへ行って、支援するみたいなそんな方法で、これまでやってくるという方法が多かったと思うんですけれど、そうではなくて、例えば、センスの場合は、センスを指導するセンターみたいな拠点がまず必要になるんじゃないかと思います。(R:そうだね。)』 H:『トラブルが起きた時の対応、困ったときにどうしたらいいのかっていうサポートみたいなのが、すごく大事なような気がします。何もなければ、普通に使いこなしていたのが、何かうまくいかなかったりしたことが、周りに聞く人がいない、身近に教えてくれる人がいないと、そこで、もう嫌になってしまって、そこから先、使わなくなってしまうっていうのが起きてしまうような気がして、継続してサポートをしていけるような、(R:うん。)そんな仕組みがあるといいなと思います。(R:うん。)』 H:『そんな仕組みがあるといいなと思います。』 R:『機械の問題って、大したことないんだよね。不具合がでちゃったら、リセットかけちゃえば、良いだけじゃん。(A:はいそうです。)要は、困っている人たちって、例えば、通信環境の設定だったりだとか、アカウントの設定だったりだとか、メールアドレスの打ち間違いだったりだとか、全然、機械とは関係ないところ、だから、インターネット環境に関しての広い意味での知識があれば、片付いちゃうことで困っているのがほとんど、なんだよね。だから、サポートするのも、実はそんなに難しいことではないんだけれど、そういう知識を持っている人たちが、サポートの要因として用意されればね。』 H:『基本的な知識がある人とない人の差って、(R:そうそうそう)すごい歴然としているんで、ほとんどの人が、ないという前提に立たないと使えないと思います。』 <考察> トピック6 で、盲ろう者における携帯電話の活用を指導できる人材が不足していることを課題としているが、R 先生は現在盲ろう者や視覚障害者に広く普及されているブレイルセンスの活用方を指導できる人材が不足していることを指摘している。それは「身近に指導者がいない」という語りから深刻な問題であると窺える。また、人材不足の要因として、指導者を増やすための体制が確立されていないことを問題視している。さらに、R 先生とH先生は指導者としての知識として、機器の活用法だけでなく、トラブル時などに継続的な支援ができることが必要であると述べている。 それは、トピック6 の【故障への対処】という課題にも起因しているが、盲ろう者自身が「身近に聞ける人」がいなければ、継続的に使用しなくなる可能性があることを考えれば、盲ろう者にとって身近な存在となりえるような人材が必要であることはいえるのであろう。そうしたことから、指導の人材を増やすだけでなく、マニュアル以上の支援を継続的に行える体制作りが必要であり、質の高い指導者をどのように増やすかという点で、長期的課題としてあげられるのであろう。 ④インターネットの活用による期待 【ライフスタイルへの影響】 これまで主にICT の活用による「成果」に関する共同解釈を行ってきたが、R 先生はインターネットの活用について、次のような期待を持っている。 R:『メールでの日本語の学習って、相間はそこそこあるんだけれど、ネットを利用することでの、そのコミュニケーション能力の向上って、どうなのかなっていうところが、いまいち相間がはっきり言えないんだけれど、ただ言えることって、インターネットで例えば、ブラウザで閲覧をする、要は自分の調べたいことを自主的に調べられる、一番、盲ろうにとって困難なその情報不足をある程度、補うことができるという意味では、そのコミュニケーション能力の向上にも間接的には、つながっているのかなっていう気がするんだけれど、インターネット利用とか、調べ学習っていうのは、コミュニケーション能力の向上を超えちゃうんだよね。』 R:『なぜだろう?文化の理解だったり、社会性の理解だったり、で、もっともっと、高次の部分、会話の能力だとか、日本語の理解だとか、もっと高次な部分になるし、例えば、A、そのチャットで、マレーシアの人かなんかと英語で(A:はい。)おしゃべりをしたいだとかってこともやったんだけれど、国際的な交流のツールにもなるし、A には、僕は実は1個やり残したことがあって、スカイプで、テレビ会議システムって、その盲ろうにとっては、会議をやるためのものじゃなくて、遠隔支援のためのものとしての例えばカメラに写して、相手にそのものを見てもらう。そのものがなにかを教えてもらう遠隔生活支援ツールにもなるし、だから、なんていうのかな、もうその後半のネット利用というのは、コミュニケーションなんていう域の話ではなくなっている。』 R:『だから、もっともっと、その活用することによって、生活の幅、広がる。社会参加にもつながるっていうレベルにあるんだよっていうことは、あってもらいたいと思っているんだけどね。そうだ、A くんは想像できないんだよね?スカイプで実験ってまだできていないもんね。』 R:『(A:はい、やっていないです。)要は、通訳がいなくたって、晴眼者が近くにいなくたって、あなたが一人暮らしをしていて、ポストに入っていた紙切れが何なのかを読んでもらうことができる。例えば、その紙切れが宅配便の、不在通知だったら、その宅配便を持ってきたドライバーの携帯電話の番号だとかを知ることができる。携帯電話の番号を知ることができたら、実はショートメールメッセージを送ることができる。明日の何時何分に荷物をもう一回持ってきてって頼むことができる。ネットを使うことによって、アマゾンだとかじゃなくて、近くのコンビニで、買い物をして、それを配達してもらうことができる。今、そういうツールになっちゃっているんだよね。だから、もう、コミュニケーションの域を超えちゃうわけですよ。ライフスタイルの向上というか、そういうものにつながる、環境に、今、インターネットはある。だからこそ、盲ろうの人たちには、盲ろうの人たちだけではないんだけれど、有効なんだよって、認識が広がって欲しいんだけれども(中略)』 <考察> これまで研究者は、本研究のテーマに基づいて、主に「ICT を活用したコミュニケーション力の向上」に焦点を充てて、考察を進めてきた。そのため、日本語力の向上を含めたコミュニケーションに関する成果を明らかにした。 しかしながら、R 先生はコミュニケーションという視点ではなく、生活(ライフ)という視点で、生活の中でのICT の活用の可能性について指摘している。すなわち、ICT はコミュニケーションと言う限られた範囲だけでなく、幅広く活用できるという点に注目している。 語りの中にあるように、スカイプを活用した遠隔支援やオンラインショッピングなどの活用ができれば、盲ろう者の生活(ライフ)の向上にも役立てられる。これは盲ろう者における「コミュニケーションの困難」と「情報入手の困難」だけでなく、「移動の困難」をも多少解消できることになる。 研究者は盲ろう者の3 台困難の一つである「移動」はまったく考慮していなかったが、「移動」と「情報の入手(代読等)」の両方の困難を解消できると考えれば、盲ろう者のライフスタイルを大きく変えることができることは確かである。詳細については、総合考察で述べることとするが、改めてライフヒストリーを振り返ると「コミュニケーション用としてのツール」はICT 活用の土台であることは想像できるのであろう。 ⑤まとめ 高等部ではA の周囲の手厚い支援(機器の無償貸出等)があり、同時期に発売されたブレイルセンスとパソコンが相次いで手に入ることによって、コミュニケーションと情報の環境が激的に変化することとなった。これはA の周囲の人や機関のA に対する手厚い支援と理解とこれまでのA 自身の経験の積み重ねによって、ブレイルセンスやパソコンの継続的な利用がなされるようになったが、その要因には、教育機関(学校)のA に対する理解(生活の自由化)にも影響を及ぼしているのではないかということが推察された。 一方、ブレイルセンスが視覚障害者向けに特化した特殊な機器であるゆえに、使用者の継続的な利用に対する支援と指導の人材の確保が困難であることに加え、盲ろう者及び視覚障害者と健常者の間における機器の共通使用が困難であると言う課題が明らかにされた。しかしながら、盲ろう者のICT 利用には様々な課題が残るが、コミュニケーションや情報入手という枠組を超えて、盲ろう者のライフスタイルにも役立てられるのではないかという期待があることも明らかにされた。 第6節 中等教育を終えて(総括) トピック1―8 のライフヒストリーは、A の幼少期(難聴幼児通園施設卒園時)から中等教育を終えるまでの約12 年にわたるICT 活用に関するライフヒストリーであった。 A は、様々な機器やソフトウェアに出会い、それらの機器やソフトウェアに順応することで、ICT が生活に「なくてはならない」存在になるほど多くの成果を出すようになった。しかしながら、トピック8(P181)のSNS の活用がICT の活用のゴールではないということを明らかにしておく必要があろう。本研究は主に中等教育を終えるまでの過程を中心にしているが、A のICT 活用における成果の総括という意味で、A がその後にどのように変化したのかを記述データに基づいて整理する。 1.大学でのICT 活用 【ノートの活用】 A は中等教育終了後、高等教育としての大学に進学しているが、大学においては、教育におけるICT の活用の取り組みが行われた。 『全国盲ろう教育研究会第9 回研究協議会・定期総会報告(一部のみ抜粋) 先天性盲ろうとして初めて大学進学を果たしたA 君の合格までの取り組みと現在の大学生活の様子について報告いただきました。(中略) その後、大学進学を果たしたL 学院大学1年のA さん本人から大学生活の様子について報告がありました。(映像も紹介)また、以下のような質疑応答がなされました。』 Q:授業の情報保障はどうしていますか? A:『授業も専門の通訳者を大学が手配し、すべての授業で触手話などでの通訳を受けている。また、通訳を受けている間は手がふさがり、自分で記録やメモをとることが難しいため パソコンなどで記録していただくといった協力もお願いしている。』 (全国盲ろう教育研究会会報 第10 号) 上記は大学での授業における情報保障に関する報告であるが、「自分で記録やメモをとることが難しいため」、パソコンなどによる記録を他者に依頼している。この記録は;『テキストデータとして保存され、ブレイルセンスで閲覧できるようになっている(A より補足)』。この取り組みはICT の活用によって点訳が不要になったことで、実現が可能になったと言える。 【パソコンチャットとしての活用】 A の大学授業での情報保障は、触手話通訳が中心であったが、英語授業などの一部のみパソコンを用いたチャットも利用していたことが、次の講演配布レジュメによって報告されている。 『③盲ろう児の英語学習の経歴(講師の場合) ・大学からはパソコン通訳により、集団での授業へ移行(読み書きを中心とした科目) ・大学でも単位数調整のため、大学側と相談のうえ、講師との個別授業も実施』 (「聴覚障害学生の語学教育のイコールアクセスを考える」シンポジウムでの参加者配布レジュメより) 上記の資料にはパソコン通訳と記述されているが、A の説明によれば、厳密には盲ろう者向けのパソコン通訳ソフトであるBM チャット(※)を用いたパソコン文字通訳支援のことである。健常学生との集団講義に参加するために、BM チャットを用いたパソコン通訳が行われている。また音声による理解と発話が困難であるため、後半は指導者との個別授業が行われたが、その際にも、パソコンによるチャットが利用された。その他、様々な場面でパソコンを用いたチャットが利用されていたことをA は次のようにコメントしている。 コメント 『ブレイルメモ用のbm チャットというソフトを使っていた。大学では英語授業の他、教職員とのコミュニケーション等にも使用していた。またサークルの会議などでも、学生にお願いしてパソコン通訳をしてもらっていた。』 以上のようにICT の活用によって、授業だけでなく、手話や点字を知らない学生や教職員とのコミュニケーションツールとして、パソコンを活用したチャットが利用されていた。 ※BM チャットとは:ブレイルメモとパソコンを接続して行うチャットシステム。ブレイルメモの開発元であるケージーエス株式会社(KGS)より、専用のソフトウェアが用意されている(無料)。通訳者がパソコンで文字を入力すると、ブレイルメモに点字が表示される。またブレイルメモで点字を入力すると、パソコンにひらがなとして表示されるため、通訳のみならず双方型のチャットとしても使用できる。 【その他】 大学でのICT 活用について、A は次のようにコメントしている。 コメント 『授業で使う教科書や配布資料もテキストデータでもらって、ブレイルセンスで読んでいた。教科書は先生や図書館に相談して、何とかテキストデータのものを入手していた。逆にレポートや宿題があったときは、テキストデータで書いて、先生にメールで提出していた。』大学での障害学生向けの配慮事項については割愛するが、テキストデータを活用することで、点訳の簡略化とペーパーレス化がなされたことは、ICT の活用による成果であると言える。 2.大学院でのICT 活用 この大学における先天性全盲ろう学生への授業支援(白澤・中島・小林・宮城・佐藤・須藤・磯田・中島・萩原・森, 2018)で明らかにされているように、当該専攻内に置かれた特別支援ワーキンググループならびに授業実施ワーキンググループを中心に,触手話通訳やパソコン文字通訳の配置,教材のテキストデータ化といった授業支援が行われた。基本的な支援体系は大学から引き継がれているが、新たに聴覚障害学生向けのパソコン文字通訳の利用が追加された。 通常は、入力されたデータをモニター等に映し出して見ることになるが,盲ろう学生に対しては,入力データを盲ろう学生の手元にある点字ディスプレイに出力し,情報伝達を図る形とした(白澤ら、2018)とあるように、既存の情報保障システムを利用しているという点が、大学までのICT 活用による支援との大きな違いである。なお、詳細については割愛するが、本学においては、情報保障が必要な授業の多くで,インターネットを介した遠隔情報保障システムを用いていることから、盲ろう学生が利用することに当たって、本学の三好教授らによって、既存の“UDP Connector”を利用した点字表示対応化への再開発が行われている。 これによって、A におけるICT を活用した情報保障が本格化したことになった。またA自身が遠隔情報保障システムを初めて利用したことで、今後の更なる情報保障システムの確立への期待が高まったと言える。なお、上記のレポートにはパソコン文字通訳ソフトウェア“まあちゃん(開発:森直之氏)”についての記述が見られるが、同システムは、盲ろう者が点字でパソコン文字通訳を受けるのに適したソフトウェアであり、既存のパソコン文字通訳ソフトウェアであり、iPTalk との連動による利用も可能となっている。そのため、A 自身からは本学への入学をきっかけに、外部でのパソコン文字通訳の利用を検証するなどの取り組みを行っているとのコメントがあった。 3.盲ろう児へのブレイルセンス指導 A は自身のICT の活用だけでなく、自身が受けた支援や指導の経験を生かして、盲ろう児・盲ろう青年数名へのブレイルセンス活用の指導を行っている。高等部在学中に、盲ろう児へのブレイルセンス出張指導(ビデオ映像2010 より)を行っている他、近年は以下のような指導を行っている。 『平成30 年度【盲ろう児童宅での情報機器研修(計5回)】 高い学習能力を有する盲ろう児童にとって、視覚と聴覚から情報が非常に入りにくい中で、情報を入手していくことは、自己学習を進めていく上で、大きなポイントとなる。 今回、盲ろう児童宅を訪問し、情報機器(ブレイルセンス)操作の研修を集中的・計画的に実施し、対象児童が学習や日常生活において情報機器を活用することができるようにすることを目的とした。 対象とする児童は、全盲難聴で、音声によるコミュニケーションが可能であり、学習文字として点字を使用し、学年相応の学習をすすめている視覚特別支援学校在籍の小学部5年生である。なお、指導は盲ろう当事者(大学院生)が中心に行い、対象児の指導におけるコミュニケーションは、点字、指点字、H(先生)を介しての会話である。(中略)』 ※また平成29 年度において、本研究所で研修を実施したK 市立第1 小学校弱視学級在籍の6年生とその対象児童を指導している教員、保護者を対象とした【盲ろう児情報機器研修会】が行われているとの記述もある。 (研究者注:研修会は上記2 名に個別にて実施。平成29 年度の研修会の内容は以下の通りである。) 『5.内容 情報機器(ブレイルセンス)の操作の習得と活用 ①盲ろう児童生徒の情報入手について ②ブレイルセンスの構造とキー操作について ③ブレイルセンスでの文章作成(点字入力)と保存 ④メールの送受信方法 6.その他 『実際に情報機器(ブレイルセンス)を日常的に使いこなし、その機器の操作について指導経験のある盲ろう当事者を講師の一人とした。現在も指導を継続している。』 (国立特別支援教育総合研究所のH 先生より情報提供) 以上のような研修会は、A 自身のICT 活用による成果が反映されたものである(詳細は第5 章の2 の②の【ICT 活用による教育のあり方を再認識した】にて述べる)。 4.その他 ライフヒストリーでは触れなかったが、高等部在学時にブレイルセンスによるチャットを活用した授業や来校者(外国人)との英語によるチャットなどの記録映像が見受けられる。そのように、A のICT 活用による発展は、その後にも続けられ、多くの場面で役立てられていることが窺える。 第Ⅲ部 結論 第6章 総合考察 本研究では、盲ろう児の発達過程におけるコミュニケーションへのICT の活用に向けた支援の可能性について検討を行うことを目的に、研究対象者であるA の周囲にどのような支援が存在したのかをライフヒストリー法に基づいて明らかにした。またこの検討に基づいて盲ろう児・者のコミュニケーション支援におけるICT 活用について提言することを目的としていた。 その結果、A は高等教育にいたるまでに、時代に適した様々なICT 機器と出会い、機器の入手から機器やソフトウェアへの順応までの支援を受けていたことが明らかにされた。本事例はある一人が「A が機器を使えるようにする」ということを目標に指導するあるいは「機器を提供する」ことを目標とするというような短期的目標を設定し、目標達成後に支援を終了するというような短期的な支援を行っているのではなく、機器の提供から機器への順応後のアプローチまでの統括的な支援を長期的に行っていることが特徴である。また一人の支援者がA の支援に当たるのではなく、家族、指導者、支援者、一般の友人等と言った幅広い範囲で、複数の人がそれぞれの役割を持って、A とかかわっていたことも特徴である。 そうした取り組みがなされたことで、A はICT を継続的に利用するようになり、情報入手・コミュニケーション・定位(どこに何があるのかを把握すること)と移動の範囲が拡大されたことがA のライフヒストリーによって明らかにされた。これらの拡大によって、A は教育や生活において、様々な成果と可能性を得られるようになった。これらの成果と可能性を改めて整理し、以下のように考察していくこととする。 第1節 盲ろう児の教育におけるICT 活用の成果と可能性 <教育におけるICT の活用から見る成果> 小学部では、5 年の自立活動で、初めてブレイルメモの指導を導入した(ライフヒストリートピック5(P120))。指導を担当したR 先生にとっては、A のICT 活用におけるニーズを見極める「A の実態調査」を兼ねていたことも推察できるが、「ペーパーレス化」の可能性をはじめ、将来のA のICT 活用によるコミュニケーションの確立を模索することを目的に、試験的に教育機関における学習にブレイルメモを導入したことが考えられる。 しかしながら、ICT 活用の土台としてのブレイルメモの学習によって、更なるICT によるコミュニケーション(チャット・携帯電話等)としての確立、読書・文書・辞書の読み書きにおけるペーパーレス化といった成果が見られるようになった。同時に福島(1994)が示唆していた「読み」の素材の選択肢が紙媒体による読書中心からICT の活用に拡大されたことで、携帯電話でのメールを中心に日本語に触れる機会の拡大がみられるようになった。 中学部では、通常の視覚障害学生より1 年早い中学2 年から、自立活動及び情報処理の授業において、パソコンを活用した指導が開始された(ライフヒストリートピック4(P103))。 これは先行研究である視覚障害者とICT(第2 章の1)における視覚障害者のICT 活用の歴史にも触れられていたように、同校がパソコン指導に熱心であることに加え、A が自宅でのパソコン活用(ライフヒストリートピック2(P71)・3(P88))の実態を考慮してのことであったと思われる。R 先生とH 先生は指導カリキュラムの編成において、「A の実態にそぐわない」との懸念があり、その点ではA のICT 活用は、学外のICT 活用に対する支援が強かったことを指摘している。 しかしながら、A が中学部のカリキュラムにおいて、パソコンの基本を学習したことで、将来のICT の活用の選択肢を増やしたことは、健常者と共通の機器の利用ができるなどの効果があったと言える。その点ではA の高等教育にパソコンがブレイルセンスの補助機器として役立てられたことは成果として見られる。 なお、指導カリキュラムと関係ないが、A が同時期に携帯電話を活用するようになったことで(ライフヒストリートピック6(P132))、同校は学生のインターネット利用を認めようとする動きが見られるようになったことをR 先生は、共同解釈において、「A の携帯電話の活用が学校に(学生のインターネットの利用として)実績を残した」と示唆している。その点では教育を「教え育てること。」と定義するなら、登校時間外の教育(寄宿舎生活)に、ICT を活用した放課後支援等の役割があったことは、学外の人たちとの交流を可能にしたという点で効果的であったと考えることはできるのであろう。 高等部では、中学部卒業時に学校内においてブレイルセンスの活用(トピック7(P161))の検討が開始されていることから、高等部ではよりA の実態にあった指導カリキュラムが組まれるようになったと推察される。具体的には授業でレポート作成等にブレイルセンスを用いるなど、よりICT を活用した教育がなされるようになった。なお、自立活動や情報処理の授業においては、主にブレイルメモとブレイルセンスを活用した指導が中心であったと見られる(ライフヒストリートピック7)。 また、教育機関(学校)もインターネットの整備を強化するなど、A の教育(教え育てること)におけるブレイルセンスの活用の必要性を認識しようとする動きが見られた。R 先生によれば、学校においては一般の視覚障害学生への指導方針も、従来のパソコン指導からブレイルセンス指導に移行しようとする動きがあったと指摘している。 この時点で教育にもICT を活用することで、A の社会参加と自立の可能性を模索できるという成果があったと言える。実際ブレイルセンス(ライフヒストリートピック7(P161))の活用が始まったことで、独力でのインターネットの活用のみならず、SNS の活用、チャットへの挑戦などの急速な発展が見られるようになり、「情報入手」と「コミュニケーション」の範囲が無限に拡大されるようになった。 <まとめ> 高等部のレポート作成のように、他の授業でのICT の活用例はあるが、ICT 活用における指導や支援の大半は、自立活動という枠組で実施されている。そのことから文字通り、ICT を活用した自立に向けて、A のコミュニケーションにおけるICT の活用の可能性を模索し、ICT の活用の土台を作り出すことが教育機関(学校)としての役割であったと言える。 その結果、活用法を学ぶという「土台」が、読書、パソコンでの電子メール、パソコンでのインターネット、携帯電話での独力によるメール、ブレイルセンスでの独力によるインターネット(メールやSNS を含む)、目的に応じた機器の使い分けと言ったICT の活用による急激な発展に寄与するようになったということは、教育という基盤による成果であると言える。また、A のICT 活用の実績を教育機関(学校)に残すことで、学校内では他の視覚障害学生のICT 活用による教育の質の向上が期待される他、他の盲ろう児へのICT 活用による教育の発展も期待される。 将来的に盲ろう児においては、ICT の利用法を学ぶ学習だけでなく、A のレポート作成の例のようにICT を活用した調べ学習と文書の読み書きの強化、学内の連絡手段としてのメールの利用等も期待できるのであろう。また、支援という観点から、チャットを活用した指導またはコミュニケーション、通訳(パソコン要約筆記等)、教科書等の電子データ化などといった支援にも応用できると推察される。 しかし、教育を「教え育てること。」という範囲で考えるなら、ライフヒストリートピック6・7・8 で明らかにされた寄宿舎生活における学外の人たちによる教育は、トピック6 のメールの活用とトピック7 のインターネットの活用とトピック8(P181)のSNS の活用による「言語力の変化」や「社会への適応力の変化」などという視点で、教育におけるICT 活用には、教育での基盤として十分な効果があったと言えよう。 第2節 盲ろう児の言語力の変化におけるICT 活用の成果 A の場合学校教育という枠組を超えて、「放課後支援」(ライフヒストリートピック6)を中心とした学外の支援も受けていることから、次からは学内の支援と学外の支援の両方を受けた立場で、ICT の活用にどのような効果をもたらしたのかを明らかにする。 最初に共同解釈において、A の言語力の変化にはICT の活用が影響しているという指摘がいくつか見られたが、これらを踏まえ、ICT 活用による言語に触れる機会の拡大には、次のような意義があったと考えられる。 電子データの活用⇒ライフヒストリーのトピック5(P120)、7(P161)において、電子データ(点字データ、テキストデータ等の電子媒体)を活用した読書がみられるが、ICT を活用することで、点訳された本以外の読み物を増やすことができるという長所がある。共同解釈において、R 先生はペーパーレス化を理由にブレイルメモの活用を推奨したが、小型機器を持ち運べるということだけでなく、膨大となる辞書を含めた読み物が増えることを期待していたことが推察される。また、共同解釈者のI が紹介した「スタジオYan」で も点字データに加え、希望者にはテキストデータを提供している。 チャットの活用⇒ライフヒストリーのトピック1(p45)、5(p120)、7(p161)において、機器本体または複数ある機器を接続し、文字でのチャットを行う場面が見られるが、手話以外の言語に触れる機会を増やすことができるという利点がある。 メールの活用⇒ライフヒストリーのトピック2(p71)、6(p133)、7(p161)において、メールを活用する場面が見られるが、メールは(1)とは異なり、互いに連絡先(メールアドレス)を把握することで、双方向によるコミュニケーションが可能となるため、共同解釈において、H 先生が指摘しているように誤字等の修正の指摘を受けることができる。また相手に応じた文章の作成が可能であるため、敬語などの使い分けも期待できるようになるという利点がある。 すなわち、「対話型コミュニケーション」を実現させたのが、メールによるやりとりであり、ライフヒストリーや共同解釈においても、「電話の代替的な役割を果たせたこと」が文字を中心としたICT の活用による成果であることが明らかにされている。 インターネットの活用⇒ライフヒストリーでは主にトピック3(P88)、7(P161)において、インターネットの活用による情報入手の場面が見られるが、情報を得ることができることは、(1)の電子データによる読書と異なり、最新情報かつ専門的な情報をリアルタイムに得ることができるということが長所である。 共同解釈において、H 先生とR 先生は学校教育以外の時間で、インターネットで多くの情報を得られるようになったことをインターネット活用の長所として解釈している。また共同解釈者のI も盲ろう者の情報入手に偏りがあることを問題視しているが、インターネットで情報を得ることには否定していない。 SNS 等の活用⇒メールは主に盲ろう者について知っている人、またはA と直に出会ったことがある人が対象となるが、SNS は盲ろう者についてまったく知らない人、またはA と直に出会ったことがない人も対象になることから、「触れたことのない情報」あるいは「未知数の情報」に触れることができる。 ライフヒストリートピック8(P181)の【掲示板時代】での、A の「道で歩いている人に尋ねる」とのコメントがあるように、無限に様々な人と出会える可能性がみられ、それによって、無限に情報入手ができるようになったことは、特にインターネットからSNS の活用による変化であったと言える。ライフヒストリーにおいては、主にトピック8(P181)の中でSNS の活用に触れられているが、メールだけでは教えられていなかったのであろう「社会的常識やマナー」や「専門的な知識」を学ぶことができることは、SNS の特徴である。 <まとめ> 福島(1994)が述べている盲ろう児の「読み」の素材は、従来は読書(紙媒体)や手紙による文通などに限られていたが、ICT の活用によって、(1)の読み物のペーパーレス化に加え、(2)‐(5)の双方型コミュニケーションが瞬時的に行えるようになり、「読み」を助ける素材として期待できるようになった。特に文字を習得すれば通訳者を介さずに、A が直にICT 機器に表示される文字を読むことで、リアルタイムにA と他者とのコミュニケーションが可能になったことで、情報量は大幅に増加したことは想像できる。 そうした双方型コミュニケーションの充実に伴い、言語力(日本語力)にも激的な変化が見られるようになった。特にメール等を用いた対話型コミュニケーションが可能になったことで、意識的に学習しなくても、日本語を学習できるようになったことは、ICT の活用による最大の成果であると言える。文章の作成方法のみならず、ファンタジーの理解(森、2016)等と言った言語の読解力の向上、知識の発達等は、他者からの指摘を受けられる対話型コミュニケーションによる言語の発達によるものであると言える。 第3節 ICT 活用による盲ろう児・者の心理的安定 前述した2.では主に言語力や知識の発達という視点で考察を行ったが、A 自身がICT を「教育のために使う道具」と認識していなかったことは事実であろう。それは、ICT がA の生活における心理的安定を支えたからであると考えることができるのであろう。次からはAが自然にICT の活用を受け入れた要因という視点で考察をしていくこととする。 チャットの活用⇒ライフヒストリーのトピック1(p45)、5(p120)、7(p161)において、機器本体または複数ある機器を接続し、文字でのチャットを行う場面が見られるが、文字のみでのコミュニケーションが可能であるため、普通文字(墨字)の読み書きができれば点字や手話の知識を必要としないという利点がある。 実際、共同解釈においても、R 先生は点字や手話を知らない人とのコミュニケーション方法の確立を見込んで、ブレイルメモをA の学習に取り入れたことを明らかにしている。また、支援者のI は盲ろう者が手話や点字を知らない家族とのコミュニケーション手段として、チャット(ただし使用ソフトはメールであったと推察される)を使用している実例を紹介し、ICT の活用にはメールを含めたコミュニケーションの円滑化ができるという長所があると解釈している。そのことから本人のコミュニケーション手段の多様化により、その場の状況に応じたコミュニケーション手段と対応が可能になった。 メールの活用⇒ライフヒストリーのトピック2(P71)、6(P132)、7(P161)において、メールを活用する場面が見られるが、遠距離にいても互いに連絡先(メールアドレス)を把握することで、双方向によるコミュニケーションが可能である。 共同解釈において、H 先生や支援者I は電話の代替としての役割にメールが存在していることを解釈しているが、通訳者がいなくても24 時間いつでも文字でのやりとりができることは、メールの活用による長所である。そのことから、機器が手元にあれば、周囲の人に助けを求めずに、遠隔地にいる人とのコミュニケーションができるという点では、A にとっての「相談窓口」や「放課後支援」の役割が果たせていたことが言える(ライフヒストリートピック6)。 また、H 先生は「家族にいつ迎えに来てもらうかを自分で調整できるようになったこと」をメールの活用による長所として解釈しているが、メールを用いることで、生活スケジュールの調整が可能になり、A にとっての生活の自由化(自立)の効果も見られる。 インターネットの活用⇒ライフヒストリーでは主にトピック3(P88)、7(P161)において、インターネットの活用による情報入手の場面が見られるが、点字による読書と異なり、「知りたいこと」「知っていなければならないこと」を自ら調べて、情報を得ることができる。 共同解釈において、H 先生とR 先生は教育以外の時間で、インターネットで多くの情報を得られるようになったことを長所として解釈している。また共同解釈者のI も盲ろう者の情報入手に偏りがあることを問題視しているが、インターネットで情報を得ることには否定していない。 ライフヒストリートピック3(P88)の中に「インターネットは図書館」という文言があるが、A は点訳された本の範囲が限られている図書館に行かなくても、インターネットという図書館の世界を利用することで、自由に調べ物ができるようになったことは、「調べたいけど調べるのに時間がかかる」という負担が解消されたという形になったと言える。SNS 等の活用⇒メールは主に盲ろう者について知っている人、またはA と直に出会ったことがある人が対象となるが、SNS は盲ろう者についてまったく知らない人、またはA と直に出会ったことがない人も対象になることから、「触れたことのない世界」あるいは「未知数の世界」に触れることができる。また、インターネットは「自分から情報を取りに行く」ことを基本としているが、SNS の場合「自分から情報を取りに行く」だけでなく、「(定期的に)読めば情報が入ってくる」ことが可能になったことが長所である。(ただし、インターネットにも日記形式のブログなどが存在しているため、その限りではない。)主にトピック8(P181)において、SNS を通じてリアルタイムに情報を得ている場面がみられるが、SNS 内の友人として相手を登録することで、自分から調べに行かなくても、トップページを読んでいれば、友人からの情報がリアルタイムに入ってくることは、盲ろう者にとっては世間話を聞いていることと同等の利点があると言える。 その点では、A もトピック8(P181)で述べたように、健常者が教室や街にいるときに何気なく周囲の会話が耳に入ってくることと同様に、インターネット内で無意識に情報を得られるようになったことは、ICT の活用による効果であると言える。 <まとめ> ICT の活用による特徴として、「時間的制約の軽減」「場所的制約の軽減」「範囲の拡大」「ストレスの軽減」「かかわり手の負担(手話や点字等の学習)の軽減」などの利点があげられるが、これらの実現により、A のコミュニケーションと情報入手の範囲が拡大された。コミュニケーションという視点では、かかわり手(コミュニケーションする相手)が従来はA と直接コミュニケーションができる家族・担当指導者・担当支援者・同級生等に限られていたが、ICT の活用によって、これまでにA とかかわったことがない支援者やボランティア、友人、盲ろう者についてを知らない一般人(SNS 内の友人を含む)もかかわれるようになったことは、A にとっては相手の選択肢が増えたことによる「通訳者に頼まなければならないというストレスの軽減」などの効果があったと言える。すなわち、相手や状況に応じたコミュニケーションの選択が可能になったことで、本人の負担軽減だけでなく、かかわり手も普通文字(墨字)のみ習得していれば、通訳者などに頼らずにコミュニケーションができるようになったということである。 情報入手という視点では、従来はA が知りたい情報を得るためには、「人に質問する」「限られた点字本の中から調べる」などの限られた手段しかなかったが、インターネットを活用することで、A 自身が知りたい情報を限りなく調べられるようになったことは、ICT の活用による「ストレスの軽減」の効果であると言える。特にA 自身がインターネットは情報を調べるための道具だと認識することで、「知りたいことは自分で調べる」という意識を身につけるようになったことは、ICT の活用による成果であると言えよう。また同時にメールやSNS などを活用することで、通訳者を介さなくても、周囲の情報を「無意識に」得ることができるようになったことは、ICT の活用による「範囲の拡大」の効果であると言える。 移動と定位(どこに何があるかを把握すること)という視点では、点字を習得し機器が手元にあれば、移動しなくても、支援者によって決められたスケジュールに頼らなくても、自由に外部とかかわれるようになったことで、「時間的制約」と「場所的制約(移動の制約)」が軽減されたということは、ICT の活用による効果であると言える。 また、生活という視点では、メールを活用した移動支援の調整等が可能になったことで、A 自身が生活スタイルを調整できるようになり、A の同級生と同様に自立した生活を送れるようになったことは、「時間的制約」の軽減という点で、ICT の活用による効果であると言える。 これらの効果があったことで、以下のような変化が見られるようになった。 ・インターネット等を活用することで、必要とする情報を得る量が拡大した。特に放課後等に「調べたい」・「聞きたい」と感じたときに、人に頼らずに情報を得られるようになった。 ・メールやSNS 等を通じて、家族・指導者・支援者以外の一般人とも交流ができるようになったことで、イベントへの参加から高等教育への進学まで幅広く、社会に参加するようになった.これはコミュニケーション手段の多様化と情報量の増加によるものであると言える。 ・メールやインターネットでの交流を通して、マナーや常識を身につけることで、一般社会への適応が可能になったことが示唆された。これにより社会からも盲ろう児を一人として認識するということが見られるようになった。 ・インターネットを活用することにより、社会に参加するために必要な知識や能力が向上した。特にニュースなどの最新情報を定期的に得る習慣を身につけることで、社会の動きに対する知識も増えるようになったことは、成果としてあげられる。 これらの変化が見られるが、通訳者を介さなくても必要な情報を受信し発信できることは、A にとっては、「相手に合わせなければならない」「支援を頼まなければならない」という心理的ストレスの軽減にもつながっていると言える。特に独力でインターネットを扱えるようになったことで、プライバシーを気にしなくてもよくなったことで、放課後も周囲の同級生に頼らずに安定した生活をおくれるようになったことは、心理的安定につながったと言える。 第4節 ICT 活用による盲ろう児・者の支援技術の可能性 以上は、A がICT を活用したことによって明らかにされた成果であるが、支援者と言う立場で、ICT を活用した支援には、次のような長所がある。 移動と言う視点から(遠隔支援)⇒インターネット(メールを含む)を活用することで、遠隔地での支援が可能になった。A の場合ライフヒストリーではトピック2 の【余暇としてのメール】(コミュニケーション支援)、トピック6 の【放課後支援としての役割】等のメールによる支援が該当する。共同解釈においても、H 先生とR 先生は、メールは盲ろう児への情報提供や指導を可能にしていることを明らかにしている。I も同様に、I 自身がメールを用いて、盲ろう者に情報提供やコミュニケーション支援を行っていることを語っている。 上記の例からICT は遠隔での支援が可能であるという利点がある。今後は、R 先生が語っているように、盲ろう者の生活を支援するツールとして、インターネットの技術は応用できると期待できるのであろう。遠隔情報保障(※)、代読支援、買い物支援(宅配サービス等の利用)、移動支援(ナビを活用した見守りや場所確認)、通信教育(家庭教師の代用)等も遠隔で実施できれば、支援者の移動による負担の軽減が可能になるのであろう。 専門的知識と言う視点から⇒ライフヒストリーにおいて、A はSNS(トピック8)を中心に、まったく盲ろう者に関する知識を持たない人と交流する場面が見られるが、ICT を活用することで、専門的知識を持たない人もA や盲ろう児の支援にかかわることが可能である。共同解釈においても、R 先生は手話や点字を知らない人とのコミュニケーション方法の確立のために、ブレイルメモ(トピック5)の学習を導入したと語っているが、メールやチャットシステムを利用する場合には、手話や点字を新たに習得する必要がないという利点がある。 すなわち、ICT を活用することで、たとえば「手話は知らないけど、趣味に関する専門的知識はある」というような人にも対応できることから、盲ろう児のニーズや要望に合わせるだけでなく、かかわり手が得意とする分野に応じて柔軟な支援を行うことも期待できるのであろう。そうしたことからICT の活用を強化することで、盲ろう児への支援の拡大による社会参加が可能になることは考えられる。 専門家の負担という視点から⇒ライフヒストリーと共同解釈において、「ヘレン・ケラーは24 時間体制でサリバン先生が指導と支援に当たった」と述べたが、盲ろう児に対して、ICT の活用と同等の情報とコミュニケーションを保障しようとする場合、24 時間体制での支援が不可欠になるのであろう。すなわち24 時間指導者または通訳者といった専門家を必要とするということである。 しかし、指導者は教育(学校にいる)時間しか付き添わず、また我が国の盲ろう者向け通訳・介助者派遣サービスも利用時間の上限(おおむね年間240—1000 時間程度)があるため、ほとんどの盲ろう児は放課後や休日は部分的に通訳・介助者やボランティアを利用する以外、家族とともに過ごすことがほとんどであることが推察されている。そうした経済的負担と支援者(指導者)の負担を部分的にICT の活用によるコミュニケーションと情報保障支援に置き換えることができれば、指導者や支援者(通訳者)による負担の軽減だけでなく、盲ろう児にとっての「通訳者に頼らなければならないというストレス」の軽減にもつながるのではないかと考える。そのため、A が利用していたソフトウェアに加え、UD トーク等と言った音声認識ソフト等の自動通訳サービスや遠隔情報保障システムの利用等も検討の課題になるのであろう。 <まとめ> これらの利点や長所を利用することで、盲ろう児のニーズや目的に適した 人材を確保することが可能になる一方、移動に必要な経費等の削減が期待できる。また、ICT の技術を応用することで、支援者の配置時間(訪問時間等)の安定性も確保できるのであろう。さらに、情報入手等、これまで支援者のみでは限界または困難であった部分を、ICT で補うことで、多少の成果が得られるのではないかとも考える。 ※遠隔情報保障とは:聴覚障害学生が授業を受講する現場から離れた場所で支援を行うものである。パソコンノートテイク(パソコン文字通訳)を利用した支援システムである。 第5節 A のICT 活用支援(まとめ) A が、ICT を活用したことで、教育のみならず、コミュニケーション、情報入手、移動と定位(どこに何があるのかを把握すること)に多くの効果をもたらしたことは明らかにされた。しかしながら、ICT を活用したコミュニケーションの効果を果たすためには、A の周囲の支援などの条件がなければならないことは、ライフヒストリーの中でも明らかにされた。その条件とは何かを改めて整理すると、次のようなものになるのであろう。 先天性盲ろう児がICT を活用したコミュニケーションを効果的にするためには、大きく「ICT 活用にいたるまでのアプローチ」と「ICT への順応後の支援とアプローチ」の2 段階での支援が必要であると考える。 <A がICT の活用にいたるまでのアプローチ(条件)> ①書記的言語の獲得 教育機関において手話や指文字の習得と平行して、点字を習得させたこと。 ②利用機器・ソフトウェアの提供 盲ろう者友の会等の関連団体のネットワークとのかかわりを重視したことにより、機器・ソフトウェアの無償貸与がなされていたこと。 ③本人が利用しやすい環境の整備 指導者または支援者により、パソコンに6 点式入力(点字入力方式)を設定する等のセッティングがなされていたこと。 ④経験の強化 パソコンでの「遊び」の経験を含め、可能な限り機器の本体や機器の動作状況に触れさせる、体験させるとともに、過去の経験との関連づけがなされていたこと。 ⑤機器の操作の支援 本人の状態に応じて、メールの送受信の操作補助を行う等の支援がなされていたこと。 ⑥指導の機会の確保 本人が使いやすい機器が出る都度、個別に該当機器の使い方を学習する機会が確保されていたこと。 ⑦トラブル時のケア 機器の故障時に修理をするまたは修理方法を伝える等の支援がなされていたこと。 以上のような条件があったことで、A は各種のICT の活用にいたることができるようになった。A の言語力・機器への適応力に応じて、一部の支援または配慮が省略されることもあるが、一連の過程はどの機器に対してもおおむね共通しているということは、トピック1(パソコン)、トピック5(ブレイルメモ)、トピック7(ブレイルセンス)の背景からも読み取れる。しかしながら、上記の一連(ステップ)を踏むだけでなく、本人の状態(どれだけ機器を使えるのか等)と本人の興味と関心に基づいた支援がなされていたことも、A のICT の活用の継続性が保たれていた要因であると考えられる。 <A がICT 活用に順応した後の支援(支援者の立場)> ①コミュニケーション機会の提供 メールによるコミュニケーション(メールの友達として)、相談への対応等。 ②情報提供 天気予報やニュースを定期的にメールで送る、世間話を積極的にする、日本語の誤字の指摘をする、社会的常識やマナーを伝えるなど。 ③トラブル時のケア 機器の故障時のみならず、使い方がわからないときの対応、問題があったときのフォロー等。 以上のような支援例が存在するが、支援者によってはA の日本語の獲得状況や知能力の状況に合わせて、「A が読みやすい文章にする」などの配慮がなされていたと思われる。 第7章 結論と課題 第1節 結論 1.ICT の活用にいたるまでに必要な条件 第6 章で明らかにしたように、A は本人、家族、各担当指導者、支援者、研究機関等の情報共有による連携によって、時代に適した各ICT の活用にいたることができた。それはAの場合盲ろう者関連の団体や研究機関が、A が年齢相応の学習能力を有し(参考:各連絡帳、「中学部のまとめ」を中心とした実践報告書より)、A と母親によるICT 利用に対する強い動機があったことを総合的に判断し、A に対して必要な機器を貸与したという背景があることが、ライフヒストリートピック1・5・6・7 の背景によって明らかにされている。また、ICT 機器の貸与だけでなく、第6 章の5 で述べたように、A がICT の活用にいたるまでのアプローチ(条件)の支援を統括的に行ったことで、A のICT 活用への順応と継続的な利用がなされるようになった。 改めてA のライフヒストリー研究による事例に基づいて、盲ろう児がICT の活用にいたるまでの過程(支援プログラム)を整理すると次のような条件が必要であることが明らかになった。これらの条件となる取り組みは、本人の努力で行える取り組みも存在するが、本人の家族や周囲の支援者が行える取り組みも含めて整理するため、以下は本人のみならず、盲ろう児のニーズを把握している家族や担当指導者・支援者も含めることとする。 ①機器・ソフトウェアの選択 ・盲ろう児の状態(年齢・コミュニケーション方法や特性・学習能力・その他生活状況等)とニーズ(要望・将来の見通し等)だけでなく、導入時の時代背景(どのような機器が普及されているか)も考慮し、パソコン・ブレイルメモ・ブレイルセンス等、盲ろう児にとって利用しやすい機器・ソフトウェアを選択すること。 ・健常児が使用する機器・ソフトウェアより高額となりやすい視覚障害者・盲ろう者向けの機器・ソフトウェアを購入するため、家族や支援者等が費用の確保の方法を検討すること。 ※補足:A の場合は大半は盲ろう者関係の団体や研究機関等より無償にて機器の貸与が行われたため、自費での購入または市区町村等の補助金等の制度の利用はみられなかった。 ②利用環境の整備 ・盲ろう児が独力でも利用(操作)しやすいよう、盲ろう児の学習能力に応じて、6 点入力方式(パソコンの場合)やインターネット接続等、使用する機器・ソフトウェアの設定またはカスタマイズをあらかじめ行うこと。(支援者・家族等) ※例:文字入力をひらがなまたはカタカナのみ使用にする、インターネットに接続しておく (英数入力を省くため)、メールアカウントの設定、ニュー力モードを6 点式入力にする (パソコン)、盲ろう児が利用しやすいメールソフトを準備する(パソコン)等。 ③指導環境 ・使用機器・ソフトウェアに対する使用法・トラブル時の対処方法等の専門的知識を持つ指導者を確保すること。 ・盲ろう児のニーズに合わせた指導を要望すること。(個別指導が望ましい) ※例:本人にわかりやすい言葉で説明する、本人の興味・関心との関連づけ、過去の経験との関連づけ(A の場合はメールと手紙の違い等)、機器の構造の理解と機器を操作しながらの指導等 ・盲ろう児の家族や周囲の支援者(担当教員等)に専門的知識(インターネットの接続方法、本人が機器の使い方がわからなくなったときの対処方法等の最低限の情報)を共有しておくこと。 ※指導内容のメモ等を準備すると便利であろう。 ※指導に当たっては、必ずしも指導目標に沿って実施する必要はない。(A がパソコンに関心を示すために、「お絵描き」の実践から始めているように) ④支援環境 ・盲ろう児の学習能力に合わせるために、必要に応じて、操作の補助や見守り等の支援を行うこと(家族等)。 ※例:メールアドレスの入力と選択(英語を学習していない場合)、本人にとってわかりやすいサイト(子供向けのサイト等)の選択、ICT 特有の専門用語の説明等。 ⑤ICT の活用に順応した後のアプローチ ・機器が故障した、使い方がわからなくなった、設定が変更された、などのトラブルが生じた場合に、ケアを受けられる機関(人)を把握すること。 ・スキルアップが必要になった場合の指導体制を確保すること。 例:追加の講習会を依頼する、メール等で問い合わせる体制を確保する等。 以上のような条件に対する取り組みがなされたことによって、A はICT の活用にいたることができた。 2.ICT 活用に順応した後の支援 前述したICT 活用にいたるまでの支援と配慮がなされただけでなく、A が講習会等終了後にICT の活用に本格的に順応するようになった後も、継続的な支援と配慮がなされたことで、A も教育と生活において、安定したICT の活用が可能になった。 特にA の教育におけるICT の活用という視点では、A の家族、担当指導者、支援者(ボランティアやメール友達などを含む)によって、A の学習能力に応じて、メールでの日本語の使い分けなどの適切な取り組みが行われるようになったことは、第6 章の5 のA がICT活用に順応した後の支援(支援者の立場)の㈰と㈪によって明らかにされている。 これらは、指導者や支援者といった専門家だけでなく、他分野の専門化や一般の友人とのかかわりが強化されていたことも特徴である。具体的に盲ろう児におけるICT に順応した後の必要な支援や配慮について、支援者やAに対するかかわり手と言う視点で整理すると、次のような期待に対する取り組みが行われていたことが明らかにされた。なお、以下はA の事例に基づいたものであるため、盲ろう児の状態(学習能力や生活状況等)によっては、適応できない場合があることをあらかじめ断っておく。 ①学外支援(放課後、休日など) コミュニケーション支援⇒盲ろう児の状態(学習能力生活状況等)に応じて、盲ろう児とのコミュニケーションの機会を確保する。単なる連絡手段としてだけでなく、近況報告、質問、雑談(世間話等)等を意識的に行うことで、盲ろう児にとっての「コミュニケーションは楽しいこと」への意識につながると期待される。 ※例:メール友達、チャットを活用した会話 情報提供⇒盲ろう児との双方型のコミュニケーションだけでなく、意識的に天気予報やニュース、健常児が普段耳にしているテレビや身の回りの様子等の情報を意識的に提供することで、本人の「日ごろの情報に触れる」という意識の促進につながると期待される。 ※例:メールで天気予報や最近のニュースを送る等 相談支援⇒盲ろう児からの悩みや困りごとの相談に応じることで、本人にとっての「相談窓口」の役割を果たせると考えられる。 ②学校教育への活用 ICT 活用の指導⇒ICT 機器の活用法の指導を行うことで、盲ろう児がICT を長所の多い機器として認識することが期待される。また継続的な指導を行うことで、盲ろう児のICT活用への促進が期待される。 チャット・筆談の活用⇒直接的なコミュニケーション(点字や手話等)が難しい教員・学生とのコミュニケーション手段として、チャットまたは筆談(1 台の機器を共用する)の利用ができることで、盲ろう児のコミュニケーション範囲の拡大が期待される。また場面に応じて授業内においても、チャットシステムを活用することで、科目別に多数の教員が盲ろう児を担当することも可能である。 電子データの活用⇒資料や教科書を電子データ化(テキストデータ等)することで、点訳の手間が省けるだけでなく、ペーパーレス化が期待できる。点字を知らない教員が即時にテキストデータのプリントを作成できるという長所がある他、メール等を活用しての宿題のやりとりができるという長所もある。 調べ学習への活用⇒インターネットを活用することで、調べ学習が可能になるため、本人の学習能力と「わからないことは自分で調べる」という意識への向上が期待できる。上記に示した期待に基づいて支援者(かかわり手)が、A とかかわりを持っていたことによって、A の言語力等の変化がみられるようになったことは、ICT の活用による教育の効果であることが明らかにされた。さらにA が独力でICT を活用することで、独力での学習や自立による安定した生活が可能になったことは、総合考察の3.ICT 活用による盲ろう児・者の心理的安定の項によって明らかにされた。 これは、ライフヒストリーや指導者(H 先生とR 先生)との共同解釈において、教育機関がA のICT 活用に対する支援をすべて担うことはできないと明らかにされているように、A が教育におけるICT の活用にいたるためには、学外を含めた複数の機関や人によって、ICT 活用に対する継続的な支援と、教育に対する支援がなされることが、A が教育におけるICT の活用を可能にした条件であったことを示している。 本研究で明らかにされたICT 活用による成果は、第4 章の9 で述べたように、A 自身の高等教育におけるICT 活用による教育に役立てられた他、A が自身のICT 活用の経験を応用した他の盲ろう児へのICT 活用の指導も行われるようになった。 そのことから、教育機関(学校)のA へのフォローの不足(ライフヒストリートピック6、7、8 のA と同級生とのかかわり等)と関係者間の情報共有による連携の不足(ライフヒストリートピック5 のブレイルメモの導入やトピック4 のパソコンの学習)等の課題は残ったものの、高等教育終了時までのICT の継続的な利用による発展と、上記で整理した A の経験を通した支援プログラムは、他の盲ろう児のみならず、盲ろう者や障害者の教育におけるICT 活用に応用できると推測する。 第2節 今後の課題 1.課題と期待 本研究は、これまでのA の成長過程を総括する意味で、A の成長過程におけるICT の活用による教育とコミュニケーションへの活用についてライフヒストリー手法を用いて整理した。しかし本研究では教育を終了するまでの段階でのICT 活用については扱ったが、教育終了後、すなわち就労移行におけるICT 活用については、今後の課題として触れなかった。 共同解釈における指導者の語り合いのうち、高等部の項では、R 先生が遠隔支援などを用いたA や盲ろう者の生活スタイルへのICT の活用を期待していると発言をし、第6 章の4の節でも今後の可能性として述べたが、今後は就労に限らず、盲ろう者の自立した生活にもA に対して行われたICT 活用による支援は応用できると推測する。 さらに、現在までICT 活用は、人の手を介した遠隔支援等が中心であり、A も同様にメールを活用した放課後支援、SNS を含めたインターネットを活用した情報交換等を通して、様々な人からの支援を受けていたことが明らかにされた。 しかしながら、今後は音声認識ソフト(UD トーク等)などを活用した自動通訳システム、文字認識ソフト(OCR、スキャナー等)等を活用した自動代読システム、地図データ(GPS等)を活用した自動案内システム等の人の手を介さない自動システムの発展が期待されることにより、それらのシステムを盲ろう者の生活に応用することで、盲ろう者における自立した生活の向上が期待できる。 それらの取り組みは共同解釈におけるR 先生からの盲ろう者のICT における自立の可能性として指摘があったように、人に頼らない方法として、人を介さない方法を模索することは今後の課題となるのであろう。これらを踏まえ、他の盲ろう児がICT の活用にいたるために課題となっていることと今後の期待を改めて整理する。 2.盲ろう児がICT の効果的な活用にいたるために必要な配慮(支援者等) 利用者本人(利用者の家族・周囲の支援者を含む)という視点でのICT 活用にいたるために必要な作業と支援は、結論で条件と取り組みとして述べたが、第2 章の問題の所在のうち2 節の盲ろう者のICT 活用状況でも明らかにしたように、専門的な支援の人材の不足、予算の不足、時間・場所等の制約等が生じているため、仮に全国盲ろう者協会等で「あるべき支援プログラム」として議論されていても、盲ろう者のICT 活用実態をまとめたような文献が非常に少ないことからも想像できるように、実際にICT の活用にいたった盲ろう児・者は非常に少ないと考えられる。そのため、支援者という視点で、前述した課題を実現するために、どのような配慮が必要であるのかを明らかにする。 なお、先天性盲ろう児で他障害を有さず年齢相応の学習能力を有する児童は非常に少ないこと(田畑)を踏まえ、本項では、盲ろう児という枠組にとどまらず、後天性の盲ろう者を含めた成人の盲ろう者も支援の対象に課題を検討することとする。 ①機器・ソフトウェアの整備 <機器・ソフトウェアの開発> ・A のICT 活用状況と第2 章の2 で明らかにした他の盲ろう者のICT 活用状況を踏まえ、盲ろう児・者が使用しやすい機器・ソフトウェアを開発することで、盲ろう児・者のみならず、視覚障害児・者・子供・高齢者等にも幅広く利用できると思われる。 ※使用しやすい機器・ソフトウェアとは:覚えやすさ(わかりやすさ)、操作性、文字の使いやすさ(点字、墨字、音声等)、持ち運びのしやすさ、メニューのシンプル性(必要なソフトのみ使用)など。 ・パソコン等既存機器を盲ろう児・者が使えるように改良することで、一般社会における機器の共通化が期待できる。 ※例:パソコンやスマートフォン等の点字表示への対応等を行うことで、健常者等との機器の共通利用が可能である。 <購入費用の支援> ・盲ろう児・者が利用する機器の低価格化が望ましいが、実現が不能な場合は盲ろう児・者が機器を低価格で購入できるよう、政府や支援団体等による補助制度の拡大等の経済面での支援の体制を確保する。 ※使用機器の購入における現状の課題:市区町村の日常生活用具給付は、大半の場合18歳未満の盲ろう児は利用できない。また利用できる場合も支給額(購入費として補助される金額)の上限がある。 ②利用環境の整備 <機器の設定・インターネット接続など> ・家族や支援者自身が、盲ろう児・者のニーズに合わせて機器の設定やインターネットの接続をあらかじめ設定しておくことで、ICT 初心者の盲ろう児・者も利用しやすくなるが、盲ろう者・視覚障害者向けの特殊な機器・ソフトウェアが大半であるため、それらの機器やソフトウェアに対応した専門的知識が盲ろう児・者に対する支援または指導を行う者に求められる。 ③指導環境 <指導者の養成> ・第2 章の2 で明らかにした盲ろう児・者が、ICT の活用にいたるための課題と、ICT 活用を望むという需要、さらにはA が大学研究員等の特定の支援者に頼られているという現状に対応するためには、更なる指導者の人材の養成が必要である。 そのため、専門人材を増やすために、各地で定期的にICT 活用指導者養成研修会を実施するとともに、受講対象者の拡大(視覚障害者関連の支援者等)、実施場所の拡大、研修内容の充実等を検討する。 ・より質の高い指導と支援を目指すために、共同解釈においてI 氏が指摘しているように、健常者が盲ろう者・視覚障害者向けの機器やソフトウェアを使用できる機会を確保する(機器を貸し出す)ことも合わせて検討する。 ・より質の高い指導と支援を目指すために、健常者が盲ろう者・視覚障害者向けの機器やソフトウェアを使用できる機会を確保する(機器を貸し出す)ことも提案したい。 <ニーズにあった指導> ・盲ろう児に対しての指導においては、ICT の使用法だけでなく、福島(1994)、※田畑(2011)によって、述べられている盲ろう教育の基本も学習することが望ましい。しかしながら、前例がない場合もあるため、盲ろう児の家族や周囲の支援者(担当教員や通訳・介助員等を含む)との本人の日常的動作や能力についての情報共有による連携を行うとともに、本人にとって望ましい教育や支援体制を構築するために、他の指導者との情報共有が可能なネットワークを作ることも必要になるのであろう。 ※特別支援教育の在り方に関する特別委員会 合理的配慮等環境整備検討ワーキンググ ループ第2 回配布資料 資料5-9:田畑真由美氏提出資料 https://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/chukyo/chukyo3/046/siryo/attach/1308862.htm (最終閲覧:2020.1.10) ④支援環境 <利用者のニーズや状態に合わせた支援(操作の補助、見守りなど)> ・家族・周囲の支援者が操作の補助や見守りに当たる場合、最低限の専門的知識を共有しておくことが必要になるのであろう。 ・しかしながら、ブレイルメモには墨字の表示機能がなく、ブレイルセンスには墨字の表示機能はあるものの画面が小さいため、健常者が補助を行うのに適しているとは言いがたい。そのため、開発者は点字の使用に特化した機器にはモニターなどとの接続の対応を含めた補助者用の墨字表示機能を付けることを検討することが望ましい。 ※長所:墨字の表示が可能になることで、人材確保も容易になることは考えられる。 ⑤アプローチ <トラブル時の対応> ・盲ろう児・者への支援は、ICT の活用の指導で終えるのではなく、盲ろう児・者がICT の活用に順応した後の継続的なアプローチも必要である。 ※例:機器故障、設定変更、インターネットの接続不良、使用法の復習等が想定される。 <新たな知識の向上に向けた指導> ・盲ろう児・者がICT に順応した後、新たな知識を増やしたいという要望が出されることがある。また、「盲ろう児は、概念を一つずつ、自ら体験して学んで行かなければならないために、学習には膨大な時間を必要とする」との田畑(2011)の示唆に基づいていれば、初回の指導の段階で学べなかった知識も生じる可能性がある。 そうしたことからスキルアップの指導が必要になることも考えられる。 <情報保障への活用> ・パソコン要約筆記等を利用することで、集団授業や生徒会等への参加が期待できる。学校内では手話や指点字の通訳を行い、寮内の自由参加型行事等ではパソコン要約筆記を行うといった使い方も可能であると考えられる。 <遠隔授業への活用> ・チャットシステム等を使うことで、自宅(学生)と学校(教員)間での遠隔授業が可能となるため、補習授業等、時間外の授業の実施が可能である。 ⑥新たな遠隔支援 ※以下の遠隔支援は、主に寮生活等を行う盲ろう児を想定したものである。ただし、一人暮らしを目指す盲ろう者にも適した内容であると推測する。 <代読> 文字を読むことのできない盲ろう児・者に対して、本人の手元にある資料等の文字をカメラで確認し、「書かれている内容」を伝える作業を行うことで、盲ろう児・者の視覚的情報の保障が可能である。 ※例:郵便物、商品名の確認等 <家庭教師(通信教育)> 前述した遠隔授業と同様に、家庭教師を遠隔で行うことで、訪問の手間が省けるだけでなく、コミュニケーション方法の多様化が期待できる。自宅(寮)内での家庭教師にも応用することで、教師の選択肢が広がることは考えられる。 ※就労後は在宅勤務等にも適している。 <移動支援> メール等を活用した支援者のコーディネートが可能となることから、移動の円滑化が期待される。またGPS 等を活用することで、本人への見守りができるだけでなく、本人が自分の居場所を確認できるという利点がある。 <ショッピング> お店までの移動が困難な盲ろう児・者に対して、買い物支援を行うまたはインターネットショッピングの利用を推進することで、本人の自立した生活が期待できる。 3.検討 <拠点となるサポートセンターの検討> 第2 章の2 で明らかにした課題と、前述した盲ろう児・者に対する支援の課題を考察すると、盲ろう児・者のICT 活用の支援に特化したサポートセンターが非常に少ないことがうかがえる。2019 年現在、東京盲ろう者支援センター、兵庫盲ろう者支援センター、鳥取盲ろう者支援センター等の盲ろう者支援に特化した施設が開設されているが、これらの施設では、盲ろう者向けの生活訓練の一つとして、パソコン等のICT 活用の指導が行われているものの、利用対象者の範囲が各都道府県の範囲内に限られる等の制約がある(参考:東京盲ろう者友の会より)。 そのような現状の中で、A の場合にも複数の機関・個人からの支援を受けてICT の活用にいたっているものの、必ずしも統括的な支援が行われているとは限らず、A やA の周囲の支援者が独力で新たな機器やソフトウェアの活用法を学習し、A がそれらの活用にいたる例が多く見られる。同様に支援者間の連携が十分になされていないために、ライフヒストリートピック4 のパソコン指導のように、支援内容に相違が生じてしまう例もみられる。 これらの課題を解消するために、また盲ろう児・者がA と同党の支援を受けるためには、支援ネットワークや盲ろう児・者のICT 活用に関する情報の拠点を明確にしておくことも検討する必要があるのであろう。たとえば全国を管轄するICT サポートセンターを開設することで、少なくとも盲ろう者のICT 活用による支援の拠点を明確にすることが可能である。必ずしもセンターを開設する必要はなく、従来の盲ろう者向け支援機関や視覚障害者向け支援機関の部門として、盲ろう者のICT 活用に特化した専門職員を配置することや既存の支援センターの全国規模への対応も方法として考えられる。なぜならサポートセンターが果たす最も重要な役割は、情報によるネットワークの形成であると考えるからである。盲ろう児・者が在住する地域の教育機関や既存の視覚障害者支援センター、盲ろう者友の会等とのネットワークを構成することで、地域間の連携による情報共有が可能になり、必ずしも遠方の盲ろう児・者がセンターに出向く必要がないからである。 また、ネットワークの強化だけでなく、相談支援や来所しての支援、利用者宅への訪問支援、支援者向けの専門人材養成講習会も担うことで、より質の高い支援体制作りができると期待される。高度な支援体制を構築することで、盲ろう児におけるICT を活用した教育にも、情報共有という点で効果をもたらすと考える。 4.最後に 今後は、研究対象者であるA の就労におけるICT 活用の可能性のみならず、盲ろう児の教育とコミュニケーションにおけるICT の活用に向けて、前述した提案も踏まえ、A の経験や成果を生かした効果的な支援の体制を検討したいと考える。また、社会におけるICTの更なる普及によって、盲ろう児・者のICT 活用の拡大が期待されることから、それらに対応した支援体制と利用に対する可能性を検証することで、盲ろう児・者の教育・就労・生活全般の質の向上を目指したいと考える。 本研究で明らかにされた知見は、盲ろう児・者、家族、指導者、支援者のみならず、ICTの開発者・研究者、福祉関係者、行政、他の障害者関係の機関、一般企業等、幅広い範囲で提言するとともに、何らかの形で応用されることを期待する。 引用・参考文献 <盲ろう青年A に関する実践報告と記録> 浅野・佐藤・塚田・星・増岡・雷坂:盲ろう児教育実践報告,筑波大学附属盲学校研究紀要,第36 巻,2004. 萩尾信也:盲ろう大学生の挑戦,毎日新聞2014.06.29 朝刊1 面・4 面,毎日新聞社,2014. 星祐子:視覚と聴覚の障害が重複している盲ろう児童生徒の指導の実際的研究,国立特殊教育総合研究所重複障害教育研究部,94-102,2005. 今枝みどり:ぼくと、手で話そうよ -盲ろうの子どもとその仲間たち-,重度・重複障害児の事例研究,第24 集,1-8,2001. 伊藤泉:7名の盲ろう児達と共に,盲ろう教育研究紀要,5,17-32,2000. 河野恵美・小田浩一:盲ろう児の放課後支援としての銭湯サポート,盲ろう教育研究紀要,7,2005. 河野恵美・小田 浩一:先天的に盲ろうがある子供の感情語の学習,東京女子大学大学院現代文化研究科,2006. 河野恵美・小田浩一:先天的に盲ろうがある人の手話・指文字の使い分け ‐会話場面での発言の分析‐,東京女子大学大学院現代文化研究科,2007. 河野恵美:先天的に盲ろうがある子どもの言語メディア,東京女子大学大学院現代文化研究科修士論文,2007. 大河内直之・中野泰志:報告4 盲ろう者のセルフケアの実態とニーズに関する調査,厚生労働科学研究費補助金 感覚器障害研究事業「盲ろう者の自立と社会参加を推進するための機器開発・改良支援システムの構築ならびに中間支援者養成プログラム作成に関する研究」平成16 年度~18 年度総合研究報告書(主任研究者:中野泰志),2005 大河内直之・中野泰志:報告5 盲ろう者の電話利用に関する事例研究 -利用実態と求められている機能の分析-,厚生労働科学研究費補助金 感覚器障害研究事業「盲ろう者の自立と社会参加を推進するための機器開発・改良支援システムの構築ならびに中間支援者養成プログラム作成に関する研究」平成16 年度~18 年度総合研究報告書(主任研究者:中野泰志),2005 大河内直之・中野泰志:報告6 指点字をコミュニケーション手段としている盲ろう児の携帯メール指導に関する事例研究,厚生労働科学研究費補助金 感覚器障害研究事業「盲ろう者の自立と社会参加を推進するための機器開発・改良支援システムの構築ならびに中間支援者養成プログラム作成に関する研究」平成16 年度~18 年度総合研究報告書(主任研究者:中野泰志),2005 大河内直之・中野泰志・井手口範男・布川清彦:報告9 盲ろう児・者のコミュニケーションにおける注意喚起方法に関する分析 -人を呼ぶときにどういう働きかけをするのか?-,厚生労働科学研究費補助金 感覚器障害研究事業「盲ろう者の自立と社会参加を推進するための機器開発・改良支援システムの構築ならびに中間支援者養成プログラム作成に関する研究」平成16 年度~18 年度総合研究報告書(主任研究者:中野泰志),2005 大河内直之・中野泰志・苅田知則・前田晃秀:報告7 盲ろう者の携帯電話利用に関する事例研究 -盲ろう者はどのようにして携帯電話を利用しているか-,厚生労働科学研究費補助金 感覚器障害研究事業「盲ろう者の自立と社会参加を推進するための機器開発・改良支援システムの構築ならびに中間支援者養成プログラム作成に関する研究」平成16 年度~18 年度総合研究報告書(主任研究者:中野泰志),2005 森敦史:携帯電話の活用他,コミュニカ2006 年・秋・No.33 他,社会福祉法人全国盲ろう者協会,2006. ※ 同協会保管の資料多数(「協会だより」10 号他) 森敦史:先天性盲ろう児におけるファンタジー理解の困難と理解にいたるプロセス ‐支援者側の援助に焦点をあてて‐,ルーテル学院大学総合人間学部社会福祉学科2016 年度卒業論文. 森敦史:台湾の盲ろう者との交流レポート,てのひら通信296 号,特定非営利活動法人東京盲ろう者友の会,2017.11. 森敦史:台湾の盲ろう者との交流レポート,てのひら通信297 号,特定非営利活動法人東京盲ろう者友の会, 2017.12. 清水哲男:先天的盲ろう児の言葉の獲得にパソコン・IT が果たす役割,ASAHI パソコン2005.2.1 号・2.15 号,朝日新聞社,2005. 白澤麻弓・中島幸則・小林洋子・宮城愛美・佐藤正幸・須藤正彦・磯田恭子・中島亜紀子・萩原彩子・森敦史:本学における先天性全盲ろう学生への授業支援,筑波技術大学テクノレポート,第26 巻(1),2018. 筑波大学附属盲学校:盲聾教育研究 -中学部3年間のまとめ-、筑波大学附属盲学校 普通科・音楽科 盲聾教育プロジェクト,2008. 全国盲ろう教育研究会事務局:全国盲ろう教育研究会第9 回研究協議会・定期総会報告,全国盲ろう教育研究会会報,第10 号,全国盲ろう教育研究会,2012. ※以下は未公開のデータ 指導者と養育者による連絡帳①難聴幼児通園施設で⇒入園―卒園数カ月前までの約4 年間(1994.4.11―1997.10.24) 指導者と養育者による連絡帳②ろう学校⇒小学部入学―盲学校転入前までの約4 年間(1998.9.1―2002.2.15) 指導者と養育者による連絡帳③盲学校⇒盲学校転入後―小学部卒業までの約2 年間(2002.4.10―2004.2.10) その他、研究対象者自身の各種作文・手紙・投稿記事・講演資料など(詳細は省略)原文点字 家庭での記録(ビデオテープ)の書き起こし 原文テキストデータ <引用・参考文献> アニーサリバン:「ヘレンケラーはどう教育されたか」,明治図書出版,1995. 福島智:盲ろう児の言語発達と教育に関する文献的考察 -「読み」の指導と想像力の形成を中心に,特殊教育学研究,32,9-17,1994. 福島智:「盲ろう者として生きて―指点字によるコミュニケーションの復活と再生―」,明石書店,2011. 兵庫県立聴覚障害者情報センター:兵庫県盲ろう者生活実態調査報告書,2012 石田良子:「盲ろう児と本」,盲ろう教育研究紀要⑧,2000. ジュード・ニコラス(2004 中澤恵江・訳):盲ろうと神経科学,第24 回アジア・太平洋特殊教育国際セミナー報告,2004. 亀﨑美沙子:ライフヒストリーとライフストーリーの相違‐桜井厚の議論を手がかりに-,東京家政大学博物館紀要,第15 集,11-23,2010. 教育機器編集委員会編:産業教育機器システム便覧,日科技連出版社,1972. 厚生労働省児童家庭局保育課編:保育所保育指針,2008. マイケルT.コリンズ:「盲ろう児のための教育」、盲ろう教育研究紀要第5巻55-67、社会福祉法人全国盲ろう者協会、2000 中澤恵江:日本における盲ろう教育の展開と重複障害教育への貢献, 第24 回アジア・太平洋特殊教育国際セミナー報告7-14, 国立特殊教育総合研究所重複障害教育研究部, 2004. 中村 保和・川住 隆一:「盲ろう児とかかわり手との共同的 活動の展開過程」、特殊教育学研究,2007. 中野卓・桜井厚:「ライフヒストリーの社会学」,弘文堂,1995. 中澤恵江:盲と聾が同時に重複した『盲ろう』の指導の最前線,季刊特別支援教育№9,文部科学省初等中等教育局特別支援課,58-61,2004. 中澤恵江:盲ろう児のコミュニケーション方法,国立特殊教育総合研究所研究紀第28 巻,国立特殊教育総合研究所,43-55,2001. 岡本明:先天盲ろう児教育の夜明け,ノーマライゼーション,2012 社会福祉法人全国盲ろう者協会:厚生労働省平成24 年度障害者総合福祉推進事業 盲ろう者に関する実態調査報告書,2013. 柴﨑美穂:「中途盲ろう者のコミュニケーション変容」,株式会社明石書店,2017. 杉田正幸:盲ろう者へのパソコン支援,大阪府立図書館紀要,第37 号,2013. 米山俊直・小林多寿子:「ライフヒストリー研究入門」,(株)ミネルヴァ書房,1993. <インターネットによる引用・参考文献> 独立行政法人 国立特別支援教育総合研究所、https://www.nise.go.jp/nc/(最終閲覧:2020.1.13) ふうわ-盲ろう児とその家族の会:http://fuwa.s151.xrea.com/(最終閲覧:2020.1.13) 自動点訳ソフトEXTRA の開発会社(有)エクストラ:http://www.extra.co.jp/(最終閲覧:2020.1.13) 情報障害のある人への支援の現状と課題:https://www.dinf.ne.jp/doc/japanese/access/it/support_sugita0908.html(最終閲覧:2019.5.29) 情報バリアフリーのための情報提供サイト:ブレイルセンスU2 日本語版の開発、情報通信研究機構(NICT):http://barrierfree.nict.go.jp/topic/service/20130714/index.html(最終閲覧:2019.6.8) 漢字の詳細読みに関する研究: http://vips.eng.niigatau.ac.jp/Onsei/Shosaiyomi/ShosaiJp.html(最終閲覧:2020.1.13) ケージーエス株式会社:https://www.kgs-jpn.co.jp/(最終閲覧:2020.1.13) 日本点字委員会(日点委):http://www.braille.jp/data/hyoukiho.html(最終閲覧:2020.1.13) 大河内 直之:[PDF] 「盲ろう者におけるICT 利用の 実態と今後の課題」:https://www.soumu.go.jp/main_content/000533532.pdf(最終閲覧:2019.5.29) [PDF] 2.視覚障害者のコンピュータ利用の歴史: https://www.nise.go.jp/kenshuka/josa/kankobutsu/pub_d/d-267/d-267_10.pdf、(最終閲覧:2019.11.21) 資料5-9 田畑真由美氏提出資料,文部科学省:https://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/chukyo/chukyo3/046/siryo/attach/1308862.htm(最終閲覧:2020.1.10) ソーシャル・ネットワーキング サービス[mixi(ミクシィ)]:https://mixi.jp/ (最終閲覧:2020.1.13) とはサーチ:「SNS とは?スマホ初心者にもわかりやすく解説」:とはサーチ、http://www.toha-search.com/it/sns.htm(最終閲覧:2020.1.13) 東京都盲ろう者友の会 | 東京都盲ろう者支援センター:http://www.tokyo-db.or.jp/(最終閲覧:2020.1.13) 筑波大学附属視覚特別支援学校:情報処理教育他、http://www.nsfb.tsukuba.ac.jp/jikatu/jyouhou_d.html(最終閲覧:2020.1.12) 全国盲ろう者協会:http://www.jdba.or.jp/(最終閲覧:2020.1.13) 全国盲ろう教育研究会:http://www.re-deafblind.net/(最終閲覧:2020.1.13) 謝辞 大学の卒業論文(森,2016)「先天性盲ろう児におけるファンタジー理解の困難と理解にいたるプロセス」執筆時に、A(A 児)に関する実践報告や本人・家族・指導者・支援者による支援記録を収集しているうちに、A(A 児)のファンタジーの理解、さらに日本語力や社会への適応力等といった知的諸能力および情緒面での発達には、卒業論文(森,2016)で明らかにされた手紙や日記のやりとりだけでなく、ICT を活用した電子メールやインターネット上でのコミュニケーションや情報入手も大きく寄与していることに気づかされました。 卒業論文(森,2016)ではA(A 児)がファンタジーの理解にいたる小学6 年の段階で、同研究の目的を達成していることから、A が高等教育にいたるまでのICT 活用による急激的な成長過程を当事者の記憶に基づいて整理し、盲ろう児・者におけるICT 活用の可能性とICT の活用にいたるために必要な支援や配慮について多くの方々に提言しようと考えたことが、本研究の動機でした。 筆者は障害を有しているため、研究に際しての情報入手に制約があることから、ライフヒストリー研究を進めるに当たり、まだまだ至らない点が多々あろうかと思います。そのような中で、全国盲ろう教育研究会の会員であり、知人でもある柴﨑美穂氏の「中途盲ろう者のコミュニケーション変容」(2017)のライフストーリー研究は、本研究のライフヒストリー研究の手本として大変参考にさせていただきました。 その他、本研究に際して、多くの方々にご指導とご支援を頂きました。 当事者による異例の研究テーマであるにも関わらず、筆者の将来と障害者の福祉増進を考え、本研究の機会を与えて下さいました筑波技術大学の関係者の方々に、まずは感謝申し上げます。 特に主指導教員の佐藤正幸教授には、盲ろう者に関する研究と本研究におけるご指導とご支援、副指導教員の白澤麻弓准教授には盲ろう者に関する研究とICT を活用した情報保障支援に関するご指導とライフヒストリー研究のご助言等、大変多くのご指導とご助言を賜りました。 また、本学のみならず、研究中、多くの方々からインタビューの協力・記録・文献・資料・その他本研究に必要な情報の提供、さらには指導と支援など多大なご協力を頂きましたので、列記して感謝を述べます。 インタビューにご協力いただきました恩師の星祐子先生と雷坂 浩之先生、及び知人である石田良子様には、インタビューへの返答をいただくだけではなく、盲ろう児・者の教育と支援という観点で多くのコメントをいただきました。また、本研究に際して、ライフヒストリーの具体的な内容等適切な助言とアドバイスをいただきました。 また、社会福祉法人全国盲ろう者協会様、東京盲ろう者友の会様、ブレイルセンスの開発社である有限会社エクストラ様、東京大学先端科学技術研究センター特任研究員大河内直之様、及び支援者の方をはじめ多くの方々には、お忙しい中A に関する貴重な記録やICT の開発経緯に関する資料等、本研究に必要な情報を提供していただきました。 文献等の点訳やテキストデータ化及びビデオ映像・録音データの文字起こし、その他、研究の補助にご協力いただきました支援者の方々には、最後まで大量のデータの作業にご協力いただきました。 授業・学会・研修会・インタビュー時の情報保障として通訳介助を担っていただきました通訳者や派遣コーディネーターの方々には、筆者自身の発言の読み取りと専門性の高い講義の通訳も含めて、臨機応変に対応してくださいました。 授業や研究生活中意見を率直に述べ、また学会や研修会等の通訳介助等にご協力いただきました院生の皆さんには、ご自身の研究や勉強があるにもかかわらず最後まで協力していただきました。 事前調査として私立恵明盲校(台中氏)及び台南大学を訪問した際に、同行・日中通訳・手配・情報提供等をしてくださいました日本や台湾の方々には、ご無理なお願いにもかかわらず、突然のお願いにも快く対応してくださいました。 また、先生方のみならず、ICT の活用に関するインタビュー及びアンケートにご協力いただきました日本や台湾の盲ろう者の方々には、お忙しい中適切な回答をいただきました。 その他、数えきれないほど多くの方々に、ご支援とご指導及びご助言、その他ご協力をいただきましたこと、心より深く感謝とお礼を申し上げます。 本研究で明らかにした盲ろう青年におけるICT 活用によるコミュニケーションの可能性は、A 自身の生活におけるICT 活用のみならず、盲ろう児・者や障害児・者の支援に貢献できることと存じます。 ありがとうございました。 令和2 年2 月 森 敦史