視覚障害者の職業自立に関する一考察-集団としての障害補償- 視覚部鍼灸学科 西條 一止 要旨:視覚障害者の職業自立には「できることは何か」という視点からの取り組みが不可欠である。それぞれの業務の中で視覚障害者にできる業務を分割し,グループ全体として業務を受けとめる体制づくりが欲しい。  視覚障害者は,高度な専門性を身に付けるほど職業自立の可能性が高まる。少人数定員でも4年制大学,大学院の制度が必要である。 キーワード:職業自立,できることに目を向ける,集団としての障害補償,高度の専門性 1.はじめに  視覚障害者の職業自立は,困難な問題が多い。従来,大学は卒業しても就職できないという話がよくいわれた。  我国では古くから視覚障害者が,鍼灸,あんま,琴,三味線などにより職業自立していた。触覚や音感など残された機能を活用するという形での特定の領域での職業自立である。これはできることを生かすという考え方に立ち,特定の領域で行われたものである。そのことにより我国においては,視覚障害者の多くが今日まで鍼灸などで職業自立してきている。杉山 和一が,1683年に江戸幕府の許可により鍼治講習所において視覚障害者も含めて鍼灸の教育を始めたのは,ヨーロッパにおける障害者に対する職業教育の開始よりも100年早いといわれている。鍼灸,あんまの教育が我国における視覚障害者の職業自立,社会自立に果たしてきた意義と役割は,高く評価されるものである。しかし,その一方で,視覚障害者はあんま,という社会通念のようなものを作り,社会の一部に隔離してしまうという弊害もあった。このため我国には,視覚障害者が一般の職域に進出しようとしたときに,受け入れ側の意識の準備がほとんどない。過去に経験がないわけである。 2.「できることを探す」という意識  競争社会という仕組みの中で発展してきた我国には,人を見るときに「できることは何か」という立場ではなく,「できないことは何か」ということをまず考えてしまうようである。それにより足切りをしようとする。特に,人を選ぶ立場にある人達ほどその傾向が強いのかもしれない。人を選ぶ立場にある人達は,ある意味での社会における勝者である。競争原理の意識が自然に働き易い状況にあるかもしれない。しかし,できないことを探す立場からは,力の弱いものを受け入れ,育てる発想は生まれない。できることを探すという意識に立つことがまず必要である。 3.業務を分担する  視覚障害といっても,視力が0.1程ある弱視の場合と全くない場合とでは当然事情が異なる。  前者の場合は,能率は悪いが日常生活における通常のことはたいがいできる。むしろ問題は,何がどの程度にできないかを周囲の人達が理解しにくい所にある。挨拶や目配せなどによる意志の疎通がしにくいことが,できないのか,しないのかがわからないままにコミニュケーションが悪くなることが,しない方向に向けさせてしまうことも多い。結果として仲間に入りにくいということになる。  全く見えない場合には,ごく通常のことができにくい。事情のわからない人達には,これはとてもということになり易い。  社会においては一般的に業務が分担きれている。視覚障害者には,職種別などの一般的な分担ではなく,できることを専門職として業務分担することが必要である。しかし,これがなかなか理解されにくい。 4.集団として障害を補償する  野球,サッカーなど集団として行う競技においては,みんながが同じことを行わない。  草野球ではみんな同じことをしても,レベルが高くなるほど投げること,打つこと,走ることそれぞれ役割を分担する。スポーツの分野では普通に行われていることが,一般の職場でとなるとその職種がカバーする範囲を誰にも要求しようとする。野球のように9人で野球をすると考えない。9人で一つの野球をするわけである。グループでその職種が受け持つ業務を行うと考えれば,みんなで同じように分担するのも分担の仕方の一つではあるが,仕事別に分担する仕方も当然あって良いわけである。視覚障害者にできることを分担するという考え方に立たないと視覚障害者の職業自立は困難である。 5.業務を分担できる集団としての規模  視覚障害者の職業自立には,どのような職種であっても分担できる規模が必要である。 多くの視覚障害者が職業自立している鍼灸は,業として視覚に障害があっても適性はあるが,極めて小規模経営であるということが職場環境として障害者を受け入れる態勢にない。そこに鍼灸業界が抱える大きな問題点がある。視覚障害者を受け入れ可能な規模の経営状態に育てる必要がある。 6.鍼灸と視覚障害  鍼灸が視覚障害者の適職というわけでは決してない。しかし,触覚を主として用いられる,マンツーマンでの仕事であるということが視覚障害者が比較的行い易いということである。  治療により苦痛が和らげられるということと,仕事がマンツーマンであることが,障害を越えて治療者-患者関係を成立させ,患者には,私の先生という関係が成立し,治療者には,私の治療を期待してくれている人がいるという思いをもたせてくれる。このことが最も重要なところである。 7.できることを身に付けさせる教育  視覚障害者は,いわゆる下働きができにくい。何らかの仕事が,任せられてできる状態にないとさせてもらえる仕事がない。それが従来,鍼灸,あんまの業界においても視覚障害者の多くが,危険の少ない疲労回復のあんまの仕事につかざるを得なかった大きな要因ではなかったかと考える。  高等教育としての基礎学力を培うと共に,学生個々の能力に応じた,必要最低限の職業能力を身に付けさせる教育の期間が必要である。それには専攻科などの制度を整備することが急務である。 8.高度な専門性ほど職業自立の可能性が高まる  例をあげるならば,小学校の先生は,教育者としての高度な専門性と共に,子供との対応において一般的な広い能力を要求される。大学の先生は,対象が大学生であるから教員の専門家としての高度な専門性のみで対応できる。視覚障害者にとっては,より専門性が高いほど適応性が高いといえる。学生に能力さえあれば,より高度な教育を行った方が職業自立の可能性が高まる。  学生定員は少なくても,四年制大学,大学院の制度が望まれる。