物理学の講義におけるビデオ教材提示援助システムの活用 土田 理 聴覚部一般教育等 要旨:ビデオ教材提示援助システムでは,ビデオテープやレーザーディスクの映像を指導の流れに沿ってランダムに提示することが可能である。本学学生を対象とした物理学の講義で利用することを試みた結果,観察した事象を説明しようという態度が表面化し,集中して映像から情報を取り出そうとする態度がみられるようになった。また,学生の質問が活発になり,積極的に知識を獲得しようとする態度が頻繁にみられるようになった。 キーワード:物理教育,聴覚障害,高等教育,映像利用,ドライラボ 1.入学生の状況  最近,高等学校段階での選択物理の履修率は30%程度となり,物理を履修せず理工系大学・学部へ進学する学生数も増加している1)。本学入学生について,理科I,選択物理の履修状況調査では,理科Iをまったく履修していない学生が約10~20%,選択物理をまったく履修していない学生が約30~40%いた2)。つまり,10人中約3~4人程度は物理を履修した経験がないことになる。 2.聴覚障害がもたらす物理学学習の困難性  既習の言葉を用いて観察された事象を表現するという学習活動ができない学生も多くいる。これは聴覚障害をもつ学生だけに限られた状況ではなく,健聴の学生でも見受けられるものである。しかし聴覚障害をもつ学生にとって,『既習の知識体系に検討を加えながら新しい知識を組み込み,事象間の関連性を把握する』という学習の流れが,さらに難易度を高めているようである。聴覚障害に起因する言語獲得の困難性,そこから派生するといわれる抽象的思考力の遅滞は無視できないものである。  しかし物理学の基礎を必要とする,建築,機械,電子工学等の専攻分野では,大学入学までの履修状況や聴覚障害がもたらす問題とは関係なく,「物理学の基礎」を習得しなければならない。ここでいう「物理学の基礎」とは,「科学の方法」の一部分であり,観察した現象を記録,分析,考察,伝達するための基本的能力である。 3.講義における効果的な映像利用  本学では,「物理学」が年間3単位(週1コマ・80分)の講義として一般教育科目の中で開設され,全学科の学生が1年次で履修することになっている。普通高等学校の理系クラスでは,週3~4時間(1コマ50分)を物理の授業にあてていることと比較しても,物理の学習経験が少なく,かつ聴覚に障害をもつ学生を対象として,黒板・プリントとチョークだけの講義のみで「物理学の基礎」を獲得させることは非常に難しい。したがって,講義の中に,演示実験や学生実験を織りまぜ,学習意図を明確化することで興味を持続させ,重要なポイントの定着を促進することが重要となる。  一般に,新しい単元に対するレディネス形成や,単元のまとめの確認を授業や講義で行うときには,VTRなどで学習内容に適した具体的な映像を提示することが行われている。特に,聴覚に障害のある児童・生徒や学生を対象とした授業や講義では,健聴者を対象とした授業よりもより頻繁にVTRが利用されていると予想される。  授業・講義などでの映像提示は,大きく分けて以下の4つの例があげられる3)。 ①連続した映像を提示し続ける方法  映像を提示し続けることは,一般の授業では望ましい方法ではなく,特に聴覚障害の児童・生徒や学生を対象とした授業・講義では,学習者の視点が映像へ固定され,教授者の解説を合わせて行うことは難しくなる。 ②連続した映像を区切って提示する方法  教授者が解説や発問を行うときには,映画や番組等を提示することを停止して,解説や発問の後に再び提示する一般の授業・講義においてVTRを用いて映像提示を行う一つの代表的提示方法と考えられる。しかし,映像が連続しているため教授内容に関係の無い映像が提示されることもある。 ③必要な映像を編集し順番に区切って提示する方法  ②と異なり,教授内容に関係の無い映像が提示されてしまうことはないが,授業や講義の流れに合わせて必要な映像を前もって編集しておくことが必要となる。 ④連続した映像を不連続に区切って提示する方法  記録された映像の必要な部分だけをVTRの早送りや巻戻しを用いて提示する方法である。二つめの方法と異なり,授業や講義で利用しない部分が録画されていても飛び越えることがでる。一般の授業などでVTRを用いて映像提示を行う場合の,もっとも代表的提示方法である。しかし,必要な映像を頭出しするために,教授者自らがリモコン等を駆使して早送りや巻戻しの操作を行ったり,ビデオテープを入れ換えたりする必要がある。このため必要な映像は提示できるものの,映像を頭出しする毎に授業を中断することになり,その度に学習者の思考も途絶えてしまうことになる。また,リモコンを利用している途中で操作間違いをすることも数多くある。  授業や講義に合わせて編集したビデオを利用したいが,編集する時間を確保することが困難,編集作業が難しくてできない,装置が無いなどの理由で,しかたなく④の提示方法を用いている教授者は多くいると予想される。また,膨大な時間と手間をかけて編集したビデオも,特定の指導内容に合わせて編集を行った後では,他の単元で利用するときは再び編集し直すことが必要となる。さらに同じ指導内容でも,教授者によって,また対象となる児童・生徒や学生の履修状況やレベルによって利用意図が異ってくる。そのため,他の教授者が利用したいとき,また,クラス毎,入学年度毎に,学習履歴がまちまちである聴覚障害をもつ学習者を対象としての利用には,不適切なものとなってしまう。 4.ビデオ教材提示援助システムの概要と利用方法  ビデオ教材提示援助システムとは,前項で述べた④の提示方法をコンピュータが教授者に替って行うことを目的に構築したシステム全体の名称である。当初,コンピュータと接続できる専用VTRを用いたシステムであったが,現在は一般のVTRを用いたシステムとなっている(図4-1)。映像提示のためのテレビは,講義室や実験室に設置されている普通のテレビなら新旧関係なく利用することができる。また,コンピュータやVTRも一般の家電販売店で比較的低価格で購入することができる。これらの機器をビデオ教材提示援助システムとして機能させるためのソフトウエアは独自に開発したものである。本システムは平成2年より開発を始めたが,本学の講義や実験の改善ばかりではなく,聴覚に障害をもつ児童・生徒を対象とした授業でも効果的な映像利用を図るため,平成3~4年度には都内の聾学校小学部の授業で利用していただいた。そして,研究授業や授業研究会などを通して,授業を行う立場からの映像利用と本システムの利用のあり方に関する意見や要望を集め,改良を重ね,以下の特徴をもつものとした4)。 (授業・講義の準備に関して) ・提示したい映像を簡単に指定できる。 ・映像開始位置,提示時間,映像タイトルなどは,ビデオテープに記録するのではなく,すべてフロッピーディスクに記録される。 ・映像開始位置,提示時間,映像タイトルは,いつでも簡単に訂正することができる。 ・映像タイトルには,漢字,ひらがな,カタカナ,空白,記号などを用いることができる。 (授業・講義中の操作に関して) ・授業・講義中は,映像選択メニュー(以下,メニュー)から提示したい映像を選択するだけで,映像が自動的に検索される。 ・検索終了後,静止画像が提示され,いつでも自動再生することができる。 ・静止画再生,または自動再生中でも,授業進行や学習者の要望に応じて,手動再生を行うことができる。 ・見終った映像を再提示することができる。 ・メニューをグループ分けすることで,単元ごとに利用する映像のメニューを作ることができる。 5.ドライ・ラボへの組み込み  講義中にビデオ教材提示援助システムを用いることによって,素材としての映像を手軽にランダムに提示できるようになった。そして,映像が自由に提示できることから,講義の中で提示する映像の位置づけを以前にもまして明確化する必要性も高まってきた。そこで,このシステムを,ドライ・ラボでの情報提供手段として位置づけ,各学期ごとに一貫したテーマで講義を行うなかに組み込むことを試みた。  ドライ・ラボとは,探究的,発見的学習に必要な概念習得以前の発達段階にある児童・生徒を対象として,実験によるデータ収集が困難な場面に,教授者がデータを与えることにより思考活動の活発化をうながし,概念形成を可能とすることを目的とした授業形態である5)。  平成5年度1学期デザイン学科対象の物理学では,「物理の観点と力のつり合い」というテーマを設定し,ビデオ教材提示援助システムとコンピュータ・シミュレーションを用いたドライ・ラボ活動を行った6)。そして,学生実験(ウエット・ラボ)で観察したり経験した物理現象に沿って提示内容を明確化した短い映像(10~1分程度)を,講義の流れ,学生の発問にしたがってランダムに,かつ繰り返し提示した。そして,学生実験などから得られたデータをドライ・ラボ中で相互に検討することで,学生の討論や発問,考察などを活発にすることをねらった(表5-1)。  その結果,1学期終了時には,学生自身が各自の持っている言葉を使ってそれぞれの事象を他の学生に説明しようという態度が表面化してきた。さらに,教授者が映像解説を行うことを極力減らすことで,集中して映像から情報を取り出そうとする態度がみられるようになった。また,ドライ・ラボだけでなく,実際に学生が創意工夫できる学生実験を組み込んだことで,講義やドライ・ラボ中の学生の質問が活発になり,積極的に知識を獲得しようとする態度が頻繁にみられるようになった。 図4-1 システムの構成図 表5-1 講義の内容と概略 6.今後の課題  現在,大学の講義で利用しているシステムでは,コントロール用のコンピュータとしてMSXコンピュータとマッキントッシュの両者を用いている。マッキントッシュではハイパーカード上で従来同様の機能を提供するスタックを作成しレーザーディスク・プレーヤーで映像提示を行っている。これにより,市販の教材ディスクを利用した非常に高速な映像検索が可能となり,その結果,聴覚障害が文章認知に影響しているとされる「単語読み」に相当する「分断映像把握」の実態も新たに表面化してきた。 今後は,一斉授業と個別授業のそれぞれに最適な映像提示条件を探るとともに,講義,ドライ・ラボ,ウエット・ラボの各内容を精選した聴覚障害学生向けの物理学入門レベルのコースウエアを早急に作成することが必要である。 7.引用・参考文献 1)榎本 成己他:理科教育の危機をめぐり経団連事務局との懇談,物理教育,41(4),p381,1993 2)土田 理:聴覚障害者を対象とした一般物理実験のありかた,ろう教育科学会第35回大会資料集,p108,1993 3)三宅 良,都築 繁幸,土田 理:聴覚障害児が自ら学ぶ意欲を高める映像教材の利用法,聴覚障害,47(1)p32,1992 4)土田 理,都築 繁幸:MSXを利用した映像提示援助システムの聾学校小学部授業への適用,ろう教育科学,35(3),p22,1993 5)日本理科教育学会編:現代理科教育体系2,p221,束洋館出版,1978 6)土田 理:聴覚障害学生を対称とした物理授業におけるドライラポの活用と問題点,第27回全日本聾教育研究大会研究集録,p179,1993