数学実力テストと履修調査で見た聴覚障害学生の学力の傾向 電子情報学科 渡辺 隆 要旨:本学聴覚障害関係学科の新入生全員を対象にして,毎年,「数学実力テスト」及び「高校での主要科目履修調査」を行っている。テストの平均点はここ3年大幅な変化はなく,顕緒な向上も低下も見られない。各年度共に,学力は広い範囲に分布している。学生の出身校を,普通高校,国立聾学校,公立聾学校に分類すると,これら出身校のカリキュラムの違いは,当然のことながら,テストの得点に反映している。この調査結果は新入生の学力レベルの把握や,また,理数系基礎教育カリキュラム作成の参考資料として役立つ。 キーワード:数学,学力調査,履修調査,聾学校カリキュラム 1.慨要  数学や物理学などの理数系基礎科目は,本学の各学科で学ぶ専門科目を理解する道具として不可欠である。専門科目に必要な項目を基礎科目で教える必要があるが,実際のカリキュラムは学生の学力に合ったものを作成しなければ学力の向上は期待できない。このことから,入学生の学力レベルを正確に把握することが必要となる。また,本学(聴覚部)に入学する学生は全員が聴覚障害者であるが,普通高校,公立あるいは国立聾学校高等部の出身者が混在しており,それぞれのカリキュラムはかなり異なっているようである。従って,本学入学者の学力を,単純な偏差値的尺度により理解するのは無理ではないかと思われる。このような学生達への最適な基礎教育カリキュラムを作成する上で,「高校での履修状況」調査も資料として役立つ。  ここで報告する「数学実力テスト」と「履修調査」は,このような目的で本学最初の電子工学専攻入学生10人に対して1990年6月(1学期初頭)に実施された。翌年以降は,毎年1学期初頭に全学科の新入生を対象にして実施されている。テストと履修調査は,入学後1,2週間程度の間に,各学科(10人)単位で一般教育「数学」の時間に行われている。 2.テストと履修調査の概略  入学生の学力を調査するための問題として次の項目を選んだ (i)式の展開 (ii)因数分解 (iii)式の値 (iv)連立2次不等式 (v)円の方程式 (vi)関数の概念 (vii)微分 (viii)積分 (ix)対数 (x)三角関数  このうち,(i)~(v)までは数学Iの範囲であるが,(vi)~(x)は基礎解析および微分積分で学習する問題である。問題の特徴を簡単に分類すると, (a)計算力を試す(i,ii,iii) (b)文章の意味を図に表す(v) (c)関数の概念(vi) (d)場合分けなど論理的思考と題意に対する注意力(iv) (e)関数の値(ix,x) (f)公式のあてはめ(ii,vii,viii)  「高校での履修科目」調査では国語,数学,理科の3科目について履修状況を調べた。各項目について,教科書をすべて履修したものは◎,半分程度履修したものは○,1/3程度以下のものは△,全く履修しなかったものは何も記入しない,という4段階評価を学生自身に行わせた。これを,◎は100,○は50,△は33,空白は0点に,それぞれ置き換えて定量化を行った。 3.結果 (1)高校での履修調査結果  学生の出身校を普通高校,国立聾学校,公立聾学校に分類し,それぞれ履修の程度と平均得点を調べた。例えば,1991年度1年生ではテスト受験者49名中普通高校26名,国立聾学校9名,公立聾学校14名である。結果を第1図に示す。 履修調査の主な結果として: (A)国語,数学,理科の3教科について,普通高校と国立聾学校のカリキュラムはほぼ同じである。小さい違いは国語Ⅰ,Ⅱ以外の国語の科目にある。これは,普通高校が健聴者主体であり,国語については聴覚障害者にとってはかなり高度な古典などもカリキュラムにはいっている。それに比べて,聾学校では国語の学習に時間をかけているため進度がおそいことを物語るのであろう。 (B)公立聾学校においては国語,数学の履修の程度は普通高校,国立聾学校に比べ約1/2程度であるが,特に数学の履修状況に大きな差がみられ,基礎解析,微分積分の履習率が非常に低い。理科のカリキュラムは普通,国立聾,公立聾ともほぼ同じである。 (2)実力テスト結果  実力テスト(100点満点)は毎年同じ問題を使用しているので,年度毎の時間経過の比較も意味がある。テストの平均点は,各年度毎に見ると,45.8点(1991年度),39.1点(1992年度),42.0点(1993年度)である。1991~1993年で,ほぼ同じレベルを保っており,数学の学力レベルには,この3年間,大きな変化の傾向はないようである。第2図からも推察できるように,学科毎の集計では,4学科(機械,建築,電子,情報)と,デザイン学科との間で,学科単位の平均点には大きな差がある。デザイン学科は他の4学科と違い,入試科目に数学が含まれていないことが,この差を生じている1つの原因と思われる。 (A)学力分布  学生間の相対的な学力の差,つまり学力分布は,ある得点範囲(10点の幅を用いた)にはいっている人数と得点の関係から調べることができる(第3図)。この学力分布は平均点付近に顕著な最大値が現れる分布にはなっておらず,高い得点と低い得点にもかなりの人数が分布していることが特徴である。年度により,学力分布は少しずつ異なるが,10~30点と70~80点付近にそれぞれ山のある2山構造が分布の根底に見られるようである。このことから,本学において,少なくとも1年生の数学教育で学力別クラス分け授業が学力向上に効果があると思われる1)。 (B)カリキュラムと項目別理解度  (i)~(x)の項目毎の平均得点を出身校別に分類すると,出身校のカリキュラムとの関係が見えてくる(第2図)。数学Iの基本的な問題である(i)式の展開,(ii)因数分解については,差はみられない。しかし,(iv)(v)の2次関数やそのグラフなど,数学Iの後半部の問題については,公立聾学校出身者の得点は普通,国立聾学校に比べかなり低い。これは,公立聾の数学Iの腹修が50%程度であることを示す履修調査の結果と矛盾しない。普通高校の聴覚障害学生に与えられているカリキュラムを,ある程度,公立聾の学生にも与えることができれば,基礎学力は確実に向上するのではないか。  (vii),(viii)の微分積分の計算は比較的高得点になっている。これは,この2問が公式を知っていれば簡単に解ける問題であることが原因であろう。1991年の結果で見る限り,項目別得点の出身校別の比較では,普通高校と国立聾がほぼ同じレベルである。これは,普通高校と国立聾の数学のカリキュラムがほぼおなじであることを反映していると見られる。 4.結読  本学1年生の入学時の数学Iを中心とする基礎学力は,出身校のカリキュラムの違いをかなり反映している。結果として,学力分布が広い範囲に散らばっている。学力別クラス分けによる授業が有効と考えられる。国語,数学,理科の3科目については,普通高校の平均的カリキュラムと国立聾学校のカリキュラムは大きなちがいがない。この2者に比べて,公立聾の数学の履修の程度は約4割である。公立聾学校のカリキュラム改善により,学力の大きな向上が期待される。 謝辞  このテストの実施にあたり,本学一般教育の担当教官である小林 正幸,高橋 秀知,土田 理各氏のご協力を得ました。また,データ分類と処理の手法は,本学教育方法開発センター教官,川口 博,内野 権次両氏のアイディアによるものです。あわせて感謝の意を表します。 参考文献 1)堀越 源一,渡辺 隆,聴覚障害数学教育研究会-その経緯と現状-,聴覚障害1993年3月号,38-46,1993. 第1図 高校での履修調査結果 第2図 数学実力テストの入学生出身校別平均 第3図 数学実力テスト得点別学生数の分布.(a)1991年度,(b)1992年度,(c)1993年度.