聴覚障害者の中等・高等教育の場で使われる手話について 聴覚部・一般教育等 根本 匡文 要旨:聴覚障害者の中等・高等教育の場で,どのような手話を使うべきかについて,①学習内容を確実に伝え合うこと,②日本語の運用力を高めること,③健聴者との間のコミュニケーションをより円滑にすること,の3つの観点から検討した。そこでは、日本語の意味をやりとりすることが重要であり,また,健聴者が使いやすい手話を考える必要があることから,国語対応手話にきわめて近い形での手話の使い方を指向すべきことが考えられた。 キーワード:聴覚障害者,コミュニケーション手段,手話 1.はじめに  1993年3月,文部省は「聴覚障害者のコミュニケーション手段に関する調査研究協力者会議報告」を公表した。この「報告」では,①聾学校における言語教育の基本を国語(日本語)教育におき,主として聴覚活用と口話による方法で国語の習得,確立を図ること,及び②必要に応じてキュードスピーチ,指文字,手話等を補助,補完のために併用して,コミュニケーションにおける困難を克服していけるように指導すること,の2点を前提にしたうえで,聴覚障害児の発達段階に応じた,また内容や場に応じた,コミュニケーション手段の選択,活用のしかたについての提言がなされている。1)  手話や指文字等の視覚的なコミュニケーション手段については,すでに現行の特殊教育諸学校高等部学習指導要領の中で「生徒の聴覚障害の状態等に応じ,各種の言語メディアの適切な活用を図り,言語による意思の相互伝達が正確かつ効率的におこなわれるようにすること」が,各科目の指導計画を作成するに当たっての留意点として示され,2)特殊教育諸学校学習指導要領解説聾学校編の中でも言及がなされている。3)  また,草薙,上野による聾学校の教育現場におけるコミュニケーション手段の実態調査によっても,1989年の時点で手話が68.5%の学校で用いられていることが明らかになっている。4)この筑波技術短期大学も含めて,中等・高等教育段階の聴覚障害者のコミュニケーション手段を考える時,これからは「手話」がその中に占める位置がこれまで以上に大きくなっていくものと,思われる。  ところで,手話と教育との関わりをめぐっては,教育関係者や聴覚障害者の間で,いくつかの意見の相違が見受けられる。その違いは特に,①どのような手話を使うのか,②発達段階の上でいつから手話を導入するのか,という2つの点で顕著である。  そこで本稿では,この2つの点のうち,主として①について,筆者の私見を述べてみたいと思う。 2.手話の種類  先にあげた文部省の「報告」では,手話を「手と指の形態,位置,向き,動きの方向と速度などによって意味を表現する言語」であるとし,我が国で用いられている手話には,大別して日本手話,国語対応手話,両者の中間に位置する手話があると説明している。1)  手話が意味を表現する言語であることは,現在ではだれしもが認めることとなってきており,手話にいくつかの種類があることもほぼ定説になっているといえよう。  ただ,日本で現在使われている手話が3つに分かれるといっても,その境目ははっきりしたものではなく,むしろ,手話独自の文法を持つ日本手話と,日本語の文法に一対一で対応した国語対応手話を両極とした,連続体の一断面としてとらえるのが適当であろう。  成人聴覚障害者の場合,人それぞれによって,日本手話に近い手話を使う人がいるし,国語に対応した形で手話を使う人もいる。また同一の人でも,話の場面や相手,内容等によって,本人が意識するしないにかかわらず,使い分けがなされていると思われる。打ち解けて談笑する場面では,日本手話的な手話が使われるであろうし,健聴者との間で難しい議論を理路整然と行う場合には,国語に対応した手話が使われることになる。  手話研究者の一部には,「国語対応手話は手話独自の文法を持たないのだから,手話とはいえない。日本語である」という論がある。しかし,日本語の語順に従って手話を使っていくことは,健聴者だけでなく,現実に聴覚障害者の間でも行われていることであり,また,先に述べたように,国語対応手話は中間手話を介して日本手話を含めた連続体の一部を構成しているのであるから,少なくとも教育の場で手話の活用を考える場合には,国語対応手話も手話の一つとして考えた方がよいと思われる。 3.中等・高等教育の場での手話の活用  聾学校高等部や筑波技術短期大学で手話の活用を考える時,手話を用いる意義を明確にし,そのためにどのような手話を使っていくかを検討する必要がある。  ここでは,手話を取り入れる観点として ①学習の内容を正確に伝え合うこと ②日本語の運用力を高めること ③健聴者との間のコミュニケーションをより円滑にすること の3つを考え,それに即した手話のあり方を検討したい。 3.1 学習の内容を正確に伝え合うこと  中等・高等教育の日々の活動の中では,教科・科目の学習のウェイトがきわめて高く,我々人類がこれまで築いてきた文化の内容を学ぶために,多くの時間が費やされる。その学習の質を高めることは,ぜひ考えなければならないことである。  たとえば,態学校高等部の理科の授業を考えてみよう。高等学校用の「理科I」の教科書に次のような記述がある。5) [最初の陸上生物とその後の進化]  最初の陸上植物は,シルル紀に出現したリニアなどのシダ植物であったと考えられる。しかし,シダ植物は最初の陸上植物であるとはいえ,まだ水中生活の名残りが強く残っている。すなわち,前葉体での受精からわかるように,精子は造卵器まで水中を泳ぐ必要があり,雨水などの水というなかだちが不可欠である。シダ植物から進化した種子植物になると,雄性配偶子である精核は,花粉管を通して卵細胞に達するので,生殖に関する水の依存の度合いはシダ植物にくらべて非常に少なく,より陸上生活に適応しているといえる。  このような内容を生徒に理解させるためには,生物の進化を示す年表,リニア,シダ植物の前葉体,種子植物の重複受精を示す図,「前葉体」「造卵器」「雄性配偶子」のように手話では表せない語を示すカード,等を準備し,できればシダ植物,種子植物の実物を用意した上で,植物の受精の様子を説明し,生徒に確認のための発問をし,考えを発表させ,話し合いを進める過程を通して,種子植物が陸上生活に適応している理由を考えさせる,という授業展開をしていくことになる。  この場面でなきれるコミュニケーションは日本語をベースにしたものにならざるを得ず,手話が使われるとしても,それは日本語によって表された内容を伝え合う役割を担うという位置づけになる。手話は日本手話の文法ではなく,日本語の文法にかなり近い形で使わざるを得ない。ここに例として示した内容を日本手話を使って説明することは可能かもしれないが,教師はたいへん苦労するであろうし,生徒にとってもかえってわかりりくいものになるであろう。  高等教育段階に見られる例として,筑波技術短期大学における一般教育の授業「総合Ⅱ(社会)」を取り上げてみたい。そこで扱われる内容の一つとして,次のような表現がある。6)  集団主義の下で,個人と集団との「望ましい」あり方は,個人と集団とが対立する関係ではなく,一体の関係になることである。ここから,西欧の観念からみて,個人の未確立の状態がでてくる。……  このような内容について学生との間で伝え合いをしようとする時,書き言葉の形でOHPによって文章を提示した上で,話し言葉を使い,それに手話を合わせて使っていくという形がとられる。コミュニケーション手段の中心になっている言語は日本語であり,手話はその語順に合わせて,中間手話の形で使われることになる。  以上2つの例からわかるように,教科の内容を確実に伝え合うためには,手話を日本語に合わせて使っていくことがぜひ必要になる。 3.2 日本語の運用力を高めること  聴覚障害者といえども,この日本という国で生活していく以上,日本語を完全に習得することは必須の条件である。これからの社会の中でやりとりされる情報は,今後,質・量ともにますます増大していくことは明らかなので,日本語の理解力と表現力を十分に身に付けなければ,社会自立はきわめて困難になる。  言葉は,使うことを通して初めてその能力を高めていくことができるのであり,日本語を習得するためには,できるだけそれを使う機会を多くしていかなければならない。とするならば,コミュニケーションをする場合には,手話を使うとしても,日本語をベースにした使い方をして行くことが,日本語の運用力を高めるための最適の方法となるであろう。  少なくとも,学校や家庭等で健聴者を交えてコミュニケーションを行う場合には,日本語に合わせて手話を使い,日本語で情報を受容し,考え,表現する力,日本語を使いこなす力に磨きをかけるようにすべきである。 3.3 健聴者とのコミュニケーションをより円滑にすること  聾学校高等部や筑波技術短期大学で学ぶ生徒・学生は,やがて社会に巣立ち,企業や地域社会で健聴者との間でさまざまなコミュニケーションを進めることになる。  これまでの調査によると,従来の企業におけるコミュニケーションは,筆談と口話によるとするものが多い。7)しかし近年,手話が一般社会の中でも受け入れられるようになり,手話通訳者の増加や,手話サークル,講習会,テレビ番組等を通した手話を学ぶ健聴者の広がりが見られるようになってきた。もはや手話は聴覚障害者だけのものではなくなり,健聴者との間でのコミュニケーションにも活用されるべき手段となりつつある。日頃,日本語によるコミュニケーションを行っている健聴者は,手話を使う場合にも,日本語にあわせて表現することが多いし,その方がわかりやすいであろう。  筑波技術短期大学には,毎年普通高校から多くの学生が入学してくる。それらの学生の多くは入学の時点では手話を知らず,聴覚障害者同士の生活や手話を併用して進められる講義等を通して,手話を身に付けていく。こうした学生のコミュニケーションの様子を見ても,手話のサインは日本語とともにやりとりされており,日本語を土台にして手話を覚えていくという経過をたどっている。  日本手話を完全に使いこなせる通訳者のような人は別にして,会社や地域で接する普通の健聴者と聴覚障害者との間のコミュニケーションに手話が役立つとすれば,それは日本語に対応した手話ということになるであろう。 4.教育の場で用いる手話のあり方  聴覚障害者の間に日本語と異なる構造を持つ日本手話が存在し,それが大きな意味を持つことは否定できない。しかし教育の場で活用し,育てるべきコミュニケーション手段としては,日本語を土台とした手話を考えるべきである。それは必ずしも日本語と常に一体一で対応しているものである必要はない。しかしその手話によって,コミュニケーションをする当事者の間で,日本語の意味が確実にやりとりされるものでなくてはならない。  日本手話と国語対応手話を両端とする手話の連続体の中では,それは当然国語対応手話か,それににかなり近いものになる。  視覚的なサインを記号とする手話は,音声語をベースにした日本語とは異なる面を持ち,完全に同一の言語になることはあり得ないともいえる。しかし,聴覚障害者の日本語の力がさらに高まり,手話が健聴者をも含めた集団の中で一層活用されていけば,日本語にきわめて近い形での中間手話がより力を持ち,発展していくであろう。聴覚障害者の中等・高等教育の場で使われる手話も,そのような方向を目指すべきであると思う。 文献 1)文部省:聴覚障害児のコミュニケーション手段に関する調査研究協力者会議報告,1993. 2)文部省:盲学校,聾学校及び養護学校高等部学習指導要領,1989,pp.19. 3)文部省:特殊教育諸学校学習指導要領解説 聾学校編,1993,pp, 517-534. 4)草薙 進郎・上野 益雄:聾学校におけるコミュニケーション方法,日本特殊教育学会 第28回大会発表論文集,1990,pp.92-93. 5)毛利 秀雄他:理科I三訂版[生物・化学編],三省堂,平成5年度検定教科書. 6)間 宏:日本的経営…集団主義の功罪,日本経済新聞社. 7)川口 博・大谷 透:聴覚障害者の雇用及び就労に関する問題,1989,pp.73-75.