鍼灸学科の鍼灸臨床実習のあり方 鍼灸学科 西條 一止 I はじめに  臨床実習は,鍼灸学科の教育課程における総仕上げの科目です。一般教育科目,基礎医学科目,臨床医学科目,専門科目,基礎実習,応用実習と積み上げ臨床実習では実際の患者を対象として実習を行います。それまでの教育の全てのものが総合され活用される充実した場です。  教師と学生という学内の集団に,治療を受けたいという第三者が入ってきます。臨床実習の場の設定としては,この治療を受けたいという訴えを持った第三者をどのような形で臨床実習教育に参加していただくかによって何段階かに分けられます。一期生,二期生の臨床実習教育を行ったことを踏まえて臨床実習教育の問題点について検討します。 Ⅱ 臨床実習教育の場 ①上級臨床実習の場  通常の治療代をいただき,診療機関として患者を受け入れる。 ②中級臨床実習の場  数百円程度の実習実費をいただき,患者を受け入れる。 ③初級臨床実習の場  治療代を無料とし患者を受け入れる。  臨床実習の場として共通していなければならないことは,訴えに対して治療を提供できることです。治療の提供の仕方として,臨床実習がどれだけ前面に出てくるかということです。初級においては100%前面に出せます。中級では臨床実習としての色合いが50%を越えると考えます。上級では診療が前面にありそれを損なわないように臨床実習があります。  当短期大学の診療所における臨床実習の場合は,患者からは2,060円の治療代をいただき,教師が責任を持って治療を提供し,学生をそこへ導入してくるという上級の形で行っています。  その利点は,治療必要度の高い種々の訴えの,患者に接することができ,医療としての高い水準の中で実習ができます。当然,学生には高いレベルが要求きれます。  問題点としては,学生の臨床実習を行う力量の到達点が低い場合には,実際の実習の場に導入しにくいことです。  学生の力量が低い場合には,中級,初級という場の方が臨床実習に参加させ易いということになります。  鍼灸学科の現状を踏まえ臨床実習教育の充実を考えるとき初級,中級臨床実習の場を設ける必要性があるように思われます。 Ⅲ 鍼灸臨床実習教育の実際における諸問題 1 鍼を刺すに視覚はほとんど関わらない  鍼を刺すに視覚はほとんど必要ありません。皮膚の中は視覚では見えないのです。まずは人体の構造,機能に関する知識で見ているわけです。そして実際の場においては,手の触圧覚が極めて重要な役割を演じています。  したがって視覚障害は,鍼を刺すにほとんど障害にはなりません。むしろ弱視が弱い視力に頼ろうとするときに姿勢が悪くなるなどの問題が起こります。 2 見えない人に鍼をされる患者の不安  体に傷を付けるということへの恐怖と不安は誰にもあります。そこから当然のこととして危険性を感じます。  そんなところに目が見えない人がとなれば危険感が一層強くなるのは当然です。一見して視覚に障害を感じさせる人が鍼をするには,技術以前の問題として「見えない人に鍼をされる不安」をどこまで除けるかがまず問題なのです。前記したように鍼を刺すに視覚は必要ないのです。したがって特に危険はないのですが,危険に感じてしまうという現実があるのです。そこに次の「見えるがごとくに・・・」が必要になります。 3 見えるがごとくに振る舞うことを求められる  患者が施術者に不安を感じている状態では治療になりません。人の精神状態はそれほど重要です。患者の前で,あたかも見えるかのどとくに自信に満ちた態度で振る舞うことが,多くの場合,患者の不安を軽減させるに力になります。  上級臨床実習の場で実習を行うにはこのことが重要な意味を持ちます。また,鍼灸で職業自立するには欠くことのできないことです。鍼灸師として社会自立,職業自立するに必要な能力の一つがここにあります。 4 見えるがごとくに振る舞う実習訓練  視覚に障害がある場合には,触覚によって見るわけです。それを触って物を探すということを極力避けようということです。矛盾することですがそれが求められるのです。触覚に頼らず,極力頭で見るのです。初めてのところでできるはずがありません。予め準備する場を持つことにより可能にできるのです。ぶっつけ本番は有り得ません。 1 実習の場の設備,備品を記憶する  設備,備品を記憶するところから始まります。歩いていてベットにぶつかるなどは論外です。  患者にバスタオルをかける。こんなことは視覚があれば誰にでもできます。しかし,顔などに不快な思いをさせずに,上手にバスタオルをかけるのも工夫が必要です。 2 実習手順に沿った備品の準備  患者を迎え入れるところから,治療が終わって患者が退室するまでの手順をしっかり頭に整理して収めなければなりません。  自分がどこにいて,患者をどこに呼ぶかから始まります。手を伸ばしたら届く内でどう設定するかですが,ベットのわきに九椅子を二つおき,一つに自分が座り患者にどうぞその椅子にお掛けくださいと指示すれば,自分の目の前に座ってくれます。診察を開始するにも脈を拝見します手をおかしくださいといって掌を上にして手を出せば,患者は手をのせてくれます。手首をつかんでしまえば,肩,頭など探さなくても位置は当然わかります。相手の視覚を充分に活用することです。自分の視覚を使えないとき,何によってどのように代行するかを工夫することです。  足で歩く位置移動を最小限にできるように診察,治療の道具を回りに準備します。 5 させなければできるようにならない実習教育  寿司職人を一人育てるに10人のおとくいさんをなくするといわれます。  鍼灸治療は手仕事ですから鍼灸師一人一人皆違うのです。治療効果をあげることができるという点での共通性を持たせることは勿論できるのですが,感じが違うのです。鍼灸治療の場合,患者は,施術者についてしまうのです。私の先生はなになに先生という具合です。ここにも鍼灸実習教育の困難点があります。 6 治療において練習として許される限界はどこにあるか  患者を対象とする臨床実習においては,基礎的な練習は当然許されません。基礎的な練習は充分出来ていなければなりません。臨床実習の充分なイメージトレーニングを積んでそれを患者で実践するというところでしょう。臨床実習イメージトレーニングは,パソコンを活用すると非常におもしろい物が出来ると思います。そんな教材の開発も急がれます。 7 実習教育の教育課程と時間割の編成のあり方  実習は,講義とはまた違ったところがあり,基礎実習においては確実に出来ないと臨床実習に移行できません。現在は,1,2,3年生に分けそれぞれ独立して合計1,360時間行っていますが, 1 基礎実習 ①基本トレーニング時間 ②習熟時間 2 応用実習 ①基本トレーニング時間 ②習熟時間 3 臨床実習  という枠組みの中で,火曜,木曜の午後,3,4,5限を実習として1,2,3年生で時間割を共通にしておくと,  このことにより基本トレーニング時間を1年生と2年生を合同で行うことによって,2年生は1年生に指導的に実習時間を持つことが出来ます。人を対象として練習しなければならないので誰かが練習台にならなければなりません。練習台になる時間を如何に生かし,しかも指導的に過ごすことによってより効果的な時間となります。1年生も初心者を練習台とするよりも指導を受けられる分,質の高い時間を持てることになります。  習熟時間については,学年の枠を越えて,習熟度に応じて,高学年の実習に参加でき,より高度な実習に接する機会を作り努力を促すことも効果的でしょう。  大学における能力に応じた実習教育を考えるとこのような抜本的な思い切った方策が必要なようです。 8 解ることと出来ることとは違う,緊張度の高い実習  講義は解ることを目標にしています。しかし,実習は出来ることを目標としています。解ってから出来るようになるまでの習熟時間が必要です。この習熟時間を如何に緊張度の高いものとして時間を持てるかが実習の成果に大きく関わるものと思います。工夫のしどころとなります。 Ⅳ まとめ  常に各人が我がフィールドで活動できることです。頭で見ることです。鍼灸の臨床は,人体の機能状態をどのように捉えて,どのように良い状態に持ち込むかです。多くは頭の中での作業です。視覚に障害があっても頭で見る能力があれば,充分に職業自立が可能です。頭で見れないと鍼灸において通常の形での職業自立は困難になります。