聴覚障害学生の機械実習における安全指導とマルチメディアの利用 機械工学科 荒木 勉・高橋 伸幸・米山 文雄 要旨:筑波技術短期大学機械工学科では「機械工作法実習」や「CAD/CAM実習」の機械実習において技術を学ぶ体験的な学習を通して機械工学に関する基礎知識を養っている。そして,工作法の理論を実習の経験を通して学ばせることにより,機械工作や関連の機械設計や製図に対して興味関心を持たせ,エンジニアとしてのセンスを身に付けさせようとしている。聴覚障害を持つ学生達に効果的な指導法がとれるよう,安全をベースに置き,聴覚障害者の高等教育における機械実習をマルチメディアを利用しながら機械実習を展開している。 キーワード:機械実習,機械工作,安全指導,マルチメディア,聴覚障害 1.はじめに  聴覚障害を持つ学生に対する実習指導の難しさは,コミュニケーションの問題だけではなく,実習作業の状況判断に必要な音に関する基礎的問題も含んでいる。機械加工の際に出る音からの情報により,機械の運転状況や切削中の工具磨耗による不具合,切削時の過負荷等をある程度聞き取り,判断することができる。さらに音に加えてハンドルに伝わる抵抗や振動等の情報で機械操作の良否を判断しながら作業を進める場合も少なくない。そして,機械の作動の危険な状況への変化も,この音からの情報で知ることができる。しかし,聴覚障害を持つ者にとって,音からの情報を得ることは難しい。そこで,音声情報の不足に対する教育的配慮と何らかの支援とが必要となり,いかなる場合でも安全に実習が進められるように工夫しなければならない。その上で初めて高度な教育指導が成り立つのである。  本学機械工学科における機械実習は,機械工作法実習およびCAD/CAM実習とその関連の科目と連携指導をとる中で,安全を重視し,マルチメディアの利用を加えながら教育を行っている。 2.機械実習について 2-1.機械実習と安全指導  本学機械工学科における機械実習として,2年次の専門科目「機械工作法実習」の連続2時間の通年の授業(1時間は80分授業)がある。また,3年次の専門科目「CAD/CAM実習」の3学期にCAD/CAMとしてのNCマシンの操作実習を含む機械工作の学習をする。さらに特別研究として,3年生の卒業研究に使う実験装置は,実習工場の機械設備を利用して学生自らが設計製作をする。機械工学科の学生にとって実習工場の機械を安全に取り扱えることは必須の条件である。  「機械工作法実習」では,年間を通して次のようなテーマで実習を行っている。1学期の安全指導は実科全般的なもので,それぞれのテーマ毎に,必ず安全のための指導を行い,間違いの無いようにしている。 1学期 安全指導  手仕上げ(けがき作業,ポール盤による穴開け,切断,やすりがけ)  旋盤加工 2学期 フライス盤加工  アーク溶接 3学期 鋳造  数値制御工作機械  機械工作法実習では,実習服と作業帽および作業用の靴の着用を義務付けている。また,3年生の卒諭で工場内の設備を使う際にも同様な処置をとっている。作業に適したきちんとした服装だけではなく,旋盤やフライス盤を操作する際には,切り粉が目に入らぬようゴーグル型の保護眼鏡を掛けさせている。機械実習では安全に作業と学習が進められなければならない。しかも,安全は本人だけの問題ではなく,周囲の者にも危害が加わってはならない。  会社見学に行くと,作業帽やヘルメットをかぶって工場内に入る。研修旅行で本学の姉妹校である米国のナショナル聾工科大学(NTID)の機械実習工場を見学した際には,作業を行わなくとも入口で保護眼鏡が配られた程である。  本学機械工学科では,実習工場における機械工作法実習の最初と最後には必ず整列をし,学生を並ばせている。(図1.)出欠(点呼)をとり簡単なミーティングのための整列の際に,互いの服装をチェックし,危険防止と安全に対する気構えを持たせて実習にあたらせている。 2-2.実習環境における安全の配慮  工場には荷重2トンの走行クレーンが天井を走っている。大学の実習工場ではまれな設備である。重い機材の移動運搬に学生を使って掛け声をかけながら持ち上げたり降ろしたりすることの心配が無く,大変に重宝している設備である。  工場における工作機械の配置は壁面ぎりぎりに押し付けないで後ろを開け,少し手前に設置している。旋盤やフライス盤を用いて機械加工をする際に,学生の背後からではなく,工作機械を操作する学生の正面にまわり込んで指示が出せ,コミュニケーションがとれるように配慮している。  溶接実習では,アーク溶接を取り上げている。溶接時に発生するアークの強い光から目や肌を守る保護マスクには簡単な手持ち式のハンドシールドが一般によく使われるが,本学では適さないので頭からかぶるヘルメット形を採用している。片手に溶接棒を挟んだホルダを持つが,もう片方の手で手話や指文字,差し示す動作等,実習中に多少なりともコミュニケーションができるよう,配慮をとっている。この保護マスクの眼鏡部はやや透明で通常はレンズ越しに景色や対象物が見えている。ところがアークが発生して強い光が出ると自動的に遮光される。レンズが黒くなり,アーク溶接の状態が見える程度にまで光が弱められ夘強いアーク光から目を保護するようになっている。色のついた通常の遮光ガラスのマスクではアーク光以外に景色は見えず,聴覚と視覚の情報が閉ざされてしまい,指導しにくくなってしまうからである。  また,CAD/CAM室に置いてある小さなコンピュータ制御のモデリングマシンには,透明なアクリル板でカバーを自作し,設置した。(図2.)コンピュータ制御による加工は,機械が自動で切削加工するのでテーブルの急な移動時や,高速に回転している工具に手を触れて怪我することの無いように,また同時に教室内に切り粉の微粉が飛び散らないよう工業用の掃除機と組み合わせ,吸塵装置とするためにセットした。  これらは安全に対する一例である。本学に適した実習環境を作り,指導法を考え,実習作業を通して学習がスムースに進められるよう努めている。 2-3.実習時における学生の状況  機械工学科のある女子学生は,「帽子や服装にはこだわっているので最初はいやだったけど,今はそんなことは言ってられない。実習時の服装をきちんとするようになった。」と答えている。最初は実習服や帽子の着用に抵抗を感じていた学生達も,学年の後半になるとその必要性が分かり実習服の着用にも慣れてきて,ゴーグル式の保護眼鏡でさえ自らすすんで掛けるようになっている。目を保護することは大切な事柄であり,目を傷めないようにきちんとした取り組みが行われなければならない。  2年生の夏休みに会社実習をして,現場で安全に関して特に言われ,安全手帳をもらったり,会社では安全に最も気を配っていることを実際に体験してくると,実習にも落ち着きが見られるようになり,取り組みが真剣になる。  自動車を運転していて,車の調子が悪いのが車内に響く音からも判|新できるように,機械工作においても同様のことが言える。そこで学生達にとって聞き取りにくい音であっても指導の際には大切に扱い,工作機械の諸設定と音や振動,操作時の抵抗や仕上げ面の関係等を,感覚的にも全神経を注いで観察させ。加工理論と実際の加工結果との関連が実習体験を通して理解できるよう指導しようと考えていた。それは,音の急激な変化による機械加工の異常事態の発生とその回避動作や,切削加工で金属を削る加工条件の違いや,その善し悪しから出る音の違いが仕上げ面精度の善し悪しの判断に結び付くからである。  そこで,この機械加工の音にどのくらい学生の関心を持たせることができるか,音を聞く準備に対して調査を行った。ところが切削実習の際,旋盤加工の音が聞こえたかどうかの質問に,補聴器のスイッチを切っていたと答えた学生がかなりいた。そこで,実習のテーマ毎の補聴器の利用の有無を尋ねてみた。(表1.)  旋盤,フライス盤,ボール盤は切削加工音と機械の回転動力音,手仕上げ作業はやすりがけや弓のこによる切断音,溶接はアークの発生やハンマーでたたく音,鋳造は溶解炉のガスを燃焼させる音やサンドミキサーで鋳物砂をかきまぜる音等が主な音源である。 ○各学生の聞こえの状態により個人差があるが,全般的にはうるさくて補聴器を付けていられないというのが答えであった。しかしこのうるさいということは,健聴者にとっても同様なことではあるが,学生によっては我慢の限界を越えていた。 学生の機械加工の音に対する答えは, ○機械の音や振動は,その機械に異常が起きたりしたときそれを逸早く知る手がかりとなる。また,自分が操作していないときでも,これらの音と振動に常に気をつけておくことで,危険を回避することができる。(学生A) ○音はいろんな機械で別々に聞こえるので何をやっているのかは少しは分かる。(学生E) ○音は大変に大事な要素の一つであると思います。慣れている人は,たぶん音によって材料が上手に削られているかどうか分かると思う。振動も似たようなもので,又,危険を知らせる信号になり得ると思う。(学生I) ○私にとっては,健聴者に比べればそんなにうるさくないかもしれないが,超重低音の騒音は何か苦しくなってしまう。吐き気,めまい,頭痛などがする。(学生J) というように,機械加工の音に対する重要さの認識と同時に,聞き取りにくさも訴えていた。 図1 機械工作法実習開始風景 図2 モデリングマシンと安全カバー 3.指導方法の工夫  機械実習における安全指導のベースとしての環境作りを先に述べたが,さらに安全を確実なものとするために次のような指導を行っている。 3-1.関連科目との連携  「機械工作法」や「機械要素」,「機械設計製図演習」,「CAD/CAM実習」等の科目と連携をとり,実習工場の現場における「機械工作法実習」と関連する内容を具体的に示し,理解させようと図っている。全員に同じイメージとして正確に早くつかませ,指導の徹底を狙う,ビジュアルデータを活用した視覚的な提示を行っている。機械要素の名称や実習工場にある関連する機械の名称を言っただけでは,学生には理解しにくい例えば,機械要素の一つとして多用されている部品にプーリーがあるが,実習工場内のコンプレッサーや旋盤のプーリーがどのように使われているか,学生には分からない。「機械設計製図演習」でVプーリーの製図の際には,はっきりとイメージとして掴ませるために,デジタルカメラで撮った実習工場にある各種機械のVプーリーとVベルトの部分を教室のモニターテレビで見せてから,説明を加えた。(図3.)デジタルカメラのビデオ出力により,学生達の学習環境の中における具体的な例で示すことができる。また,身近な具体例で示しているのでイメージとしても定着し,工場実習の際に学生自身確認が容易となる。機械要素を具体的に取りあげ,その応用例を示しながら機械設計や関連JISの取り扱いを含め,加工手順を考えさせ,作るための製図を描かせる。機械工作を広い視野に立って考えさせ,機械実習を学生達にとって機械の専門科目学習の動機付けにしたいと考える。 3-2.マルチメディアの利用  鋳造実習では,溶解炉で金属を溶かし,高温で鋳込みを行うので安全には充分に注意を払っている。説明の際に指導の徹底を図るため,マルチメディアによる提示を行なっている。現場で惑わないように予備知識を与えた上で実習時により詳しく具体的に指導を加えている。1)  マルチメディアによる提示により着目点をモニタテレビ上に一元化でき,学生への手順等の説明がしやすくなった。言葉だけからの概念ではなく,イメージとしてはっきりと伝えることができた。実習現場では学生の視線は興味のある方向を向いてしまうのでやりにくかったが,マルチメディアによる展開により視線を集めて説明を加え,基礎知識を持たせて実習現場でより深く指導ができるようになった。  これまではスチルビデオカメラの写真画像を利用していたが,さらにデジタルカードカメラによるデジタルデータとして扱えるようになった。取り込んだ画像を直接カメラのビデオ出力端子からモニタテレビにつないで映し出して見せることができる。教室への持ち込みがこの小さなデジタルカードカメラ一台で済み,非常に楽になった。(図4.)デジタルカードの画像の入れ替えや並べ変えはデジタルイメージファイルを用いると簡単にでき,必要な画像を教室に持ち込むことが容易にできるようになった。また,写真映像の善し悪しがすぐに見られるので直ちに取り直しができ,データ収集の効率があがるようになった。勿論この画像データはコンピュータに取り込み,教材として加工したりランダムアクセスによる画像として提示もできる。メモリーカードプロセッサやデジタルイメージファイルのそれぞれの機器はビデオ出力端子を持っており,こちらからのモニタテレビヘの画像出力も可能である。  音声データに関しては,HyperCardをベースにしたデータベース上より容易に検索して画像や映像とともに出力が可能である。ボタンを押すと音のサンプルを聞くことができ,何度でも繰り返し鳴らすことができるので,音を聞き取る練習に使うことができる。(図5.)また,この音声は波形でも見ることができ,現在鳴っている部分をカーソルが示すので音の確認が容易である。NC旋盤が工作物をはね飛ばしたところは右下の矢印のところで,その波形も一段と大きくなっているのが分かる。(図6.)  このように,音声に対してもビジュアルデータとしての補助的手段として,より分かりやすく提示ができるよう,マルチメディアの有効な利用を考えたい。 おわりに  本学は,開学と同時にそれぞれの技術分野の専門家が集まり,新しい大学としてスタートした。そして,それぞれの科目を担当する教官が,最適と思う手法で指導をしている。講義の内容に関してはそれぞれの教官が責任を持って行っているが,実習等の安全に関するような共通の課題は,異なる分野の専門家との意見交換や,情報交換が必要ではないかと思う。聴覚に障害を持つ集団への,機械実習等専門分野の学習指導のための研究の必要性を感じる。そしてこの指導も,高等教育の場にふさわしく,より科学的に効果的な方法をもって安全,迅速,確実に行なえるものでありたい。  ここでの研究は,聴覚障害者に適した職域の拡大と,安全作業のできる環境の整備にもつながると思う。学生は卒業すると即,一人前の社会人として働くことになる。大学としての専門教育の指導は当然のこと,専門科目の実習指導を通して聴覚障害者への就業の安全に対して研究,調査,指導をしていくことも,本字の責務の一つであると思う。このレポートをご覧になられた諸先輩方に,本テーマに関していろいろとご指摘や情報の提供をいただけたら幸いである。  なお,本研究は「聴覚障害者の機械実習における安全で高度な指導のための教育システムおよび教材の開発」として,平成6年度科学研究費補助金,一般研究(C)(,探題番号06808020)を受け,行われたものである。 表1 機械実習中の補聴器の利用 図3 デジタルカメラにより提示したVプーリーの具体例 図4 写真画像提示の機器構成 図5 NC旋盤の「主軸回転速度と回転音」再生ボタン 図6 NC旋盤の切削加工の音データの再生 参考文献 1)荒木 勉,聴覚障害教育におけるHyperCardを中心として図形データベースの利用,筑波技術短期入学テクノレポートNo.1,(1994),p、81-86.