教育研究情報の収集とインターネット 視覚部一般教育等 黒川 哲宇 要旨:コンピュータとネットワークの発達によって,教育活動や教育研究の方法が変化しつつある。本稿では,著者が行っている文献収集の実際を紹介するとともに,インターネットを利用した情報収集のいくつかを述べた。 1.情報化社会と教育 知識と手段  樫山 欽四郎の「哲学序説」に,「知識の問題は,やがて方法の問題である。」という記述がある。つまり人間の知識の発達は,その知識をどのような手段を使って獲得するかということと密接に関係してくるはずだという意味である。宇宙の星の知識は望遠鏡の発明によって著しい発達をみたし,顕微鏡の発明は目に見えない小さい世界の知識を広めるのに偉大な貢献を果たした。  知識獲得のための手段として,現代重要な役割を果たしているのはコンピュータ・テクノロジーであるが,その利用によって人間が知り得る知識の量は膨大なものになりつつある。ある見方(Brevik and Jones,1993)によれば,1750年から1900年までの間に人間の知識は倍になった。そして1950年までの50年間にその知識は倍増した。次は10年,次は5年という間隔で人間の知り得た知識の量は倍増してきた。おそらく2020年では73日毎に知識の量が倍増しているというのである。  ここで強調しておきたいのは,知識は主として文字によって記述されるという点である。上記の1750年というのはフランスの百科全書派による知識の記録を指しているのだと思うが,彼らは技術や芸術なども,グラフィックな手段だけでなく文字によって記述しようとした。なめし革の作り方はその職人の頭脳や身体の中に蓄積されているだろうが,その技術的情報は文字でもなく絵でもなく音声でもないだろう。それをどのような手段で記述したり記録したりできるだろうか。彼らは必要な場合は絵を提示して,その技術がどういうものであって,なぜそのような成果を得るのかというようなことを文字で説明しようとした。必要な場合は補足的な実験をして論理性を証明しようとした。従来まで経験的・体験的に発達し,密かに継承されてきた技術的な情報が論理的な裏付けを持って記述され,その成果を多くの人が目にすることができたのは文字というメディアを重要視したからである。その結果,技術は科学として位置づけられ,今日の工学として発達してきているという側面がある。この観点が情報の記述と伝達にはクリティカルであることを強調しておきたい。最近,マルチメディアという言葉がもてはやされているが,正確で質の高い情報は最終的には文字(記号)によって記述され,伝達されるのではないかと考えるのである。 情報化社会の到来  いろいろな知識を記録したり伝達する手段が発達するにつれて,さまざまな情報があふれることになった。受験産業は受験に関する情報を収集整理し,伝達することによって顧客である受験者の合格効率を高めることに成功している。生命保険会社は国民の個人的な健康データを集めることで近々死亡する可能性の高い人の入会を拒否することができる。精巧な盗聴装置を随所に仕掛けて置けば重要な情報をキャッチでき,人に先んずることができる。情報獲得の手段が発達するにつれて,今までは道徳的に知ってはいけないとされていた情報を密かに集め利用する輩が出てきた。恐いことであるが情報社会の当然の結果である。  情報を集め伝達するためには,そこに手段,方法というものが必要になる。どのような情報を受け入れるのか,あるいは拒否するのか。その情報は誰に開かれており,誰に対しては閉じられているのか。いかにしたら多数の人に情報を伝えることができるのか。ここに情報ネットワークが発想され,実際に発達してきているのだが,情報をどのようなメディア,あるいは媒体に乗せて運ぶかということも重要な課題であった。これが情報利用のための基幹構造(infrastructure)が注目されるゆえんである。人に先んずるための情報の種類や質,量などを考える前に,この基幹構造をまずおさえておこうという立場が米国のスーパーハイウエー構想であると思う。  情報の収集・伝達手段として利用されるひとつがコンピュータ・ネットワークである。どのようなネットワークを作るかということは,その組織の情報利用のための基幹構造の問題だといってもよいのではないか。つまりネットワークの構築と情報に関するポリシーと,その組織の管理運営上の重大課題となるのではないか。もし,いろいろな部局で勝手にネットワークを作ってしまい,勝手な情報を流し,勝手に処理し,勝手に意志決定をすることになったら,運営上収拾がつかなくなる。整合性を確保するために,一度作ったものを壊して再構築することになるだろう。そうなれば,費用としても無駄である。同じ組織のネットワークは機能的に結合・統合されなければならない。 情報社会と教育  かつて学校は教育に関する情報の宝庫であった。教育に関する知識は先生の頭脳や教材,あるいは学校図書館に蓄積されていた。情報化社会になるにつれて教育に必要な情報の置かれている場所が拡散されてきた。地域の図書館,マスメディア,ネットワークによる情報の中には学校に行かなくても得られる情報が数多くある。つまり,教育に必要な情報が増え,かつ多様になってきた。  また,社会構造や機能の変化に伴って教育活動自身も変化せざるを得なくなってきた。Keegan等(1991)によれば, 「工業化時代に働いた戦略や行動は今日では通用しないだろう。新しい時代の到来によって求められるひとつの重要な変化は,学校教育の目的と到達点の変化である。変わりつつある社会や生徒のニーズが要求するのは,学校が個別的で断片的で低次元の知識をただ記憶する所ではないということである。これからの生徒は彼らを脅かす情報の洪水に対して効果的に対処できる能力を身につけなければならない。つまり,生徒は,情報のあり場所を突き止め,それを評価でき,問題解決のために情報を活用する知識や技能や習慣を身につけなければならない。p.9」  すなわち,Breivik and Jones(1993)によれば,情報化社会を生き抜くためには,問題解決のために情報が必要であることを認識し,必要な情報がどこにあるかを探し出し,それを評価し,組織的に整理し,活用する能力が不可欠となるのである。大学の一般教養に課せられた課題は,人類の知識がどのように体系化・組織化されているかを探索し,その知識を獲得し,評価し,発展させる学生を養成することにある。情報リテラシーを身につけるためには,すべての情報源から必要な情報を収集すること。恒常的な法則が残るような,学問領域によって変化するような情報の妥当性を評価すること。恒常的な意味付けを確認できるような場所に情報を位置づけること。情報に対して懐疑的であり,真実と事実とを区別することなどが重要な要因である。  近年,大学の一般教養に関する授業では,コンピュータによる情報処理の知識と技能の修得の位置づけが一般的になりつつある。今後の教育や研究にはコンピュータ・テクノロジーが不可欠であるという前提に立っての授業であるが,専門教育を担当する研究者としての教官が,この種の技能に習熟していない場合があり,これが大きな問題となってくるだろう。 2.教育研究文献の収集方法  研究文献というと,外国語,特に英語で書かれたものを利用する頻度が高いので,その種のものに絞って述べていくことにしたい。また,著者は視覚障害関係の文献を利用することが多いため,その領域からのアプローチであることも断っておかねばならない。ただ,視覚障害関係といっても,感覚・知覚の領域は哲学の認識論や,医学,心理学等が関係してくるし,感覚代行ということになれば工学的な情報を利用することもある。また,視覚障害者と社会というテーマでは社会学や政治・経済,社会福祉,さらには法律学関係の資料にも目を通すことが必要である。あるいは,視覚障害者教育ということになれば,教育学や教育心理学,教育行政等の領域も調べる必要が生じてくる。したがって,著者の個人的な立場としては,広い範囲にわたって情報を収集したい,あるいはできるように手を広げているという状態にあると思う。  1950年頃,著者達の先生に当たる人達の時代では研究文献の収集の困難さは大変なものであったらしい。最新の情報にアクセスするためには,赤坂にあるアメリカ文化センターに定期的に通って,関係ある文献を学術雑誌の中から探す。文献が見つかったなら,その場で読み,必要な箇所を書きうつす。手で書くより,タイプライターで打った方が速いので,練習をした。大学の図書館にある文献でもコピー機などはないから,この方法で複写した。読んだ文献とその内容は文献カードを作成して,手元に保存しておいた。再びその文献を読む必要が生じた場合には,文献カードからその文献の所在を知り,所在している大学図書館に出向いて,再び読ませてもらうことになる。著者の先生の中には機械音痴でパソコンなどは使えない不器用な人がいたが,タイプライターだけは馬鹿に上手で,その理由がこれだった。  著者の若い頃でもこの時とそれほどの違いはなかった。ただ,複写機の登場で文献の現物をコピーして手元に保管できるようになったことは大変な進歩であった。  しかし,複写してしまうとそれで安心してしまって,読まないで積んでおくことがあり,先生から皮肉を言われたものだった。  ところが,不便だったのは,ある領域の,今必要としている文献が何であって,それがどこの大学の図書館に所蔵されているかを知る手段がなかった。ありそうな図書館に出向いて探して歩いたのである。1975年くらいまではあまり変わらなかったような気がする。著者は,ある時,文献を記録しておくためのカードを大量に購入した。これだけあれば一生使えると思ったのである。カードがパソコンのデータベースに取って変わられることを予想できなかった。仕方がないので,残ったカードはメモ用紙として使っている。しかし,この文献カードシステムは文献の記録や分類,検索にはなかなか工夫されているものではあった。 データベースの利用  1977年頃,筑波大学の計算機センターに文献データベースが導入された。このデータベースは,適当な検索語を入力すると,その条件に一致する文献データを探してくれるものであった。例えば,触知覚についての研究文献を探したい場合,論文の分類が「tactual perception」であるものを検索すると,数百タイトルの文献が見つかるから,それぞれの題目,著者,掲載してある雑誌の巻号,頁,抄録などの情報を端末に送り返してもらう。これを利用することで,自分が調べようとしている内容の研究文献が,どの雑誌のどの号のどのページに掲載されているかというようなことが分かるようになった。これによって,読みたい文献が筑波大学にある場合には,それを探して複写できるから大変楽になった。しかし,筑波大学で所蔵していないものについては,やはり自分でどこの大学図書館にあるか探してくる以外に方法がなかった。その後,大学図書館同士の協力体制ができるようになり,大学で所蔵する文献を相互利用できるようになった。現在では,大学図書館経由で,東京にある学術情報処理センターの学術雑誌データベースから,国内のどこかの大学で定期購入している雑誌の当該記事を複写して送ってくれるサービスも可能になった。  このような文献情報の検索は,メインフレームの端末でしか可能でなかったが,その後研究室まで直通の回線を引き,モデムによって直接やり取りができるようになった。また,一般の電話回線を経由して大学以外の場所から,文献検索ができるようになった。本学に移ってからしばらくは,著者はこの方式で筑波大学にアクセスしていた。今は本学でInternetの利用が可能になったので,ネットワーク経由でアクセスしている。 現在の研究文献収集状況  自分の研究や教育に必要な文献・情報をどのようにして見つけ,取り寄せ,整理し,利用するかということは,従来までは困難で手のかかる作業であった。しかしながら,今日ではパソコンを利用することで極めて簡単になった。コンピュータ・テクノロジーの発達に加えて,複写機の普及や大学図書館機能の充実が研究文献の収集の簡便化には大いに貢献している。  以下は,著者がどのようにして文献収集をしているかを述べてみたい。 所在の検索  まず,欲しい文献は何なのかを確認する。このような状況はさまざまである。あるテーマについての研究文献を古いものからすべて集めたいということもある。例えば,「視覚障害児の言語発達」についてまとめたいという場合,研究文献データベースによって,分類がblindnessとlanguageの両方のまたがる文献を検索してくることでかなりのものがフォローできる。また,視覚障害児の発達や教育について書かれた概論書を探してきてその中の「言語」についての記述を読む。その解説の最後に掲載してある引用文献を探してくるというようなこともある。著者は,図1のようなプロセスで文献を集め,保管している。  Current Contentsという文献データサービスがある。これは一般教育の加藤助教授が見つけてきてくれたものであるが,最新の学術雑誌や本の内容が納められたフロッピーが週に一度送られてくる。それを専用のソフトを使って分野別にみていったり,キーワードで検索したりして自分の読みたい記事を選択する。それぞれの記事には著者の住所も記載されているので,著者に依頼の葉書を出してリプリントを送ってもらう。このソフトは手が込んでいて,所定の用紙に印刷し,ミシン目にそって紙を切り,相手の住所を張るとそのまま葉書になってしまうというものである。  また,筑波大学の文献データベース(UTOPIA)には便利なものがあるので,これもよく利用する。ここで公開されているデータベースは62あり,利用が無料のものと有料のものがある。有料のデータベースを利用すると,1件ヒットする毎に約10円取られるので,適当に検索した結果を出力して,必要なものを後でゆっくり探そうといった悠長なことは許されない。たとえ1件10円でも,1,000件のデータを出せば10,000円である。安心して好きなだけ検索できるものでないと心配なので,もっぱら無料の方を利用させてもらっている。  本の情報を検索するためには,JMARCやLCMARCを使う。JMARC(Japan Marc)は日本の国会図書館の蔵書カタログで,1979年以降の約94万件の書誌情報が入っている。LCMARC(Library of Congress Machine Readable Catalog)はアメリカの国会図書館の蔵書カタログで,こちらは約473万タイトルある。これらのデータベースから自分の読みたい本を探し出して,購入したい場合は図書館に発注依頼伝票を出すし,どこかの大学図書館から借りて読みたい場合には,本学の図書館からその本を所蔵している大学図書館を検索し借用依頼をしてもらう。  図1では,雑誌の記事に関するデータベースを4つ紹介してある。  教育関係ではCIJE(Current Index to Joumals in Education)があり,約1,000の学術雑誌の書誌情報が1969年から約49万件収集されている。ここには,その文献の著者,タイトル,雑誌,年,掲載号,抄録などの2次資料情報が含まれており,検索結果は端末側に表示される。RIE(Resource In Education)はもうひとつの教育関係のデータベースであるが,こちらは雑誌ではなく単行本の書誌`情報である。ただ,これにはマイクロフィッシュの1次資料が連動していて,検索した元文献をマイクロフィッシュの形で読むことができる。筑波大学にはRIEに所蔵されているすべてのマイクロフィッシュが購入されているので,それを借り出してディスプレイで読むこともできるし,マイクロフィッシュの複写を依頼することもできる。このデータベースの所蔵データは,1967年以降の約16万件である。医学関係ではEM(Excerpta Medica)を利用している。これは1988年からの204万件に及ぶ膨大な書誌情報が収集されているものである。ただ,残念なことに1995年度からこのデータベースは筑波大学からなくなってしまうことになっている。茗荷谷の学術情報処理センターにも同じものがあるが,使用料が1件10円以上するのでそうは使えなくなる。  本学のネットワークを利用して,MEDLINEを使えるようにしてほしいものである。著者が唯一利用している有料のデータベースがCOMPENDX(Computerized Engineering Index)である。これは工学系のものであるが,所蔵数も1969年からの260万件と多く,障害補償機器の情報が多く含まれているので便利にしているが,間違った手順をして法外な費用を取られないようにそろそろ使っている。以上のデータベースを利用するための費用は公費(研究費)で支払うことができる。著者の場合はどんなに使ってもせいぜい年間5,000円程度である。 文献の収集と保管  情報の所在が分かると,リプリントの送付を著者に依頼したり,本学の図書館を経由して,その雑誌を講読している大学図書館に論文の複写を依頼することになる。  本の場合は,本学の図書館から当該の大学図書館に借用依頼を出してもらう。  そのようにして集められた文献を,パソコン(Macintosh)を利用した文献情報用のデータベースで書誌情報として分類して,後で利用しやすいように整理しておく。著者が使用している文献整理用のソフトはProCiteというものである。このソフトを用いて文献を57の領域に分類している。これはカード型のデータベースであり,著者名,タイトル,雑誌,巻号,年,抄録などを登録できるようになっている。それぞれ手でタイプして入力していくが,抄録は長い文章なので,OmniPageというOCR(文字自動読み取りシステム)で文字コードに変換し,そのテキスト文を抄録の項目領域に挿入している。このデータベースは,視覚障害関係情報としてインターネット上で公開しているので,Macintoshを使っている方はこれを呼び出して検索して,読みたい文献があれば著者まで連絡していただきたい。1次資料の論文そのものは個別フォルダーに入れ,自分の研究室に置いてあるファイルマスターに著者別に保管している。 3.インターネット ネットワーク  図2は,著者の所属する視覚部一般教育のフロアにおけるMacintoshを基本としたネットワークを表している。ネットワークを敷設した第1の理由は,値段の高い装置を共有することであった。Macintosh用のプリンタは,PostScriptタイプという品質の高い出力ができるものであるが,発売当初は100万円以上する高価な代物だった。このプリンタを使うと,文字と図(絵)が綺麗に出力できた。我々がなぜこのプリンタを必要したかというと,Macintoshの優れた描画ソフトを利用して,研究論文や研究発表のための図を作成したかったことと,全盲学生のための触図原画を作成したり,弱視者のための高品質な拡大文字教材を作成したかったからである。幸いにして,Macintoshはネットワークを構築することを設計思想にしたマシーンであったために,電話線を利用して簡単にネットワークを引くことができた。図の右上のように,AppleTalkというMacintosh専用のネットワークによって,各教官研究室と15台の英語教室(LL教室)のMacintoshとを結んでいる。それぞれのMacintoshで作成した原図や原稿をネットワーク上に接続されているプリンタに出力できるわけである。PostScriptタイプのプリンタは人間科学実験室に設置されている。また,LL教室には2台の安価なプリンタがあるが,これらにもネットワーク上から出力できる。しかし,このプリンタの場合,文字はともかくとして図形の印刷品質はよくない。  ネットワークの第2の利点は情報や資源の共有である。例えば,ポーリー助教授は,自分用のフォルダーに教材や課題を入れておいて,学生がそのフォルダーから必要なファイルを呼び出して作業ができるようにしている。著者は前述した視覚障害関係文献データベースをネットワーク上に公開しているので,誰でもそれを利用することができる。また,特に通信用の最新のフリーウエアソフトをフォルダー上に置いておいて自由に利用できるようにしてある。著者は近い将来,調査や実験結果のローデータを公開して,分析結果を検討する研究会を開催したいと思っている。  ネットワークの第3の利点はコミュニケーションの促進である。電子メールがその代表であるが,これは狭い領域でやり取りしてもおもしろくない。コミュニケーションをする必要のある人同士が距離的に離れていて,直接情報を交わすことが不便な場合に初めて電子メールが生きてくるのである。一般教育の教官同士でメールを交換してみたことがあるが,何時も顔を合わせているし,伝えるべき情報を何時も持っているわけでないのですぐ飽きてしまった。これはまさしくインターネットという場で効力を発揮すべきものであろう。  AppleTalkは狭いネットワークであるが,図2に示されているようにこのネットワークは外に開かれている。AppleTalkは,FastPathというブリッジによって学内のイーサネットに接続している。図の左側に,AppleTalkとは離れたところに設置されているMacintoshが示されているが,ここからブリッジを経由してAppleTalkに入っていってプリンタを使うことができる。ある教官は研究室が体育館にあるので,この方法でプリンタに出力している。さらに,視覚障害関係文献と最新のソフトは,Macintoshのハードディスク容量が不足してきたのでイーサネット上のサーバ(ALAN)に移し変えてもらった。こうすれば,共有の情報や資源を提供する人が自分用のパソコンのディスクをそのために使わなくてもすむことになる。同時に,大きなディスクが一日中動いていてくれれば,いつでも情報にアクセスすることができる。自分のパソコンは帰るときには消してしまうので,いつでも情報を提供することはできないのである。 インターネット  いわゆるインターネットのユーザがどのくらいいるかは把握するのは困難である。Hislop and Angell(1994)によれば,13,000のネットワークが接続され,15,00万人のユーザが利用しているとなっているが,1994年の6月段階のネットワークの登録リスト(インターネットのファイル)を見ると61,000であり,10月の新聞(New York Times)によるとユーザの数は3,000万人である。これほど利用者が急増している。これほど多くのネットワークが相互に接続されて,情報を交換しているのである。  インターネットの第1の機能は電子メールである。さまざまな人がさまざまな場所から自由にメッセージを交換している。国の違いを意識する必要がないために,国境を越えたコミュニケーションだといわれる。もちろん,宇宙から地球にメッセージを送ることもできるだろう。  本学から次の大学までの回線料を共通経費で支払ってくれれば,どこに送るにしても郵送料はただである。封筒に入れたり切手を張ったりポストに入れに行く手間がない。電子メールは数秒,長くても数分で相手に届いてしまう。また,送信や受信,あるいは手紙の保存などの方法が簡単になるように工夫されているので使いやすい。一人にも複数の人にも手紙を送ることができるし,パソコン通信の登録者にも送信することができるなど,コミュニケーションの相手を自由に選択することができる。さらに,送れるメールの種類が多様である点も便利である。すなわち,テキスト文書だけでなく,音声や画像情報,動画やソフトウェアなども簡単に送ることができる。  大学の教育で効果的に利用している例もある。Poling(1994)はいくつか便利な機能を報告している。まず,学生からの質問を受け付けるのに使う。消極的な学生は教室ではなかなか先生に質問ができないが,電子メールだと気軽に質問をしてくることが分かった。そのような特性を使ってカウンセリングを実施したり,一度に情報が送れるので,学生に課題を出すことが簡単になった。  さらに,いろいろな通知を学生に出すことも便利になった。先生が出す電子メールを学生が読んでいるかどうかをチェックするために,クイズを出し,それを電子メールで受け取ることも行っている。家庭にもパソコンを用意しておけば,いつ,どこにいても学生との間のコミュニケーションを取ることができる。  しかしながら,電子メールの問題点も指摘されている。たとえば,ユーザは自分に興味のあるグループに自分のアドレスを登録すると,興味のない,あるいは間違ったメッセージまで配達されてきて迷惑であるとか,迅速に交信ができるために文章が雑になっていたり,間違った記述に平気になっていまうという傾向が出てきているというのである(in Random Access,1994)。また,学術的な議論を展開している際に,書き言葉でなく話言葉が使われたり,十分な参考文献をあげて議論が進んでいなかったりというように,学術雑誌で行われている議論形式が損なわれている場合が多いという(Burton,1994)。  インターネットの第2の機能はネットワークニュースである。これは世界規模の電子掲示板である。約4,000のニュースグループ(Fraase,1993)では,コンピュータの話題や,教育,趣味などいろいろなジャンルの話題が提供され,議論が展開されている。例えば,mischandicapというニュースグループに「日本ではどこの町でも点字ブロックがあるが,あなたの国でも同じようなものがありますか」というようなことを投稿すると,世界の国々から自分の所の様子を掲示板に書き込んでくれたり,電子メールで送ってきてくれる。それらを分析的にまとめれば立派な調査研究ができる。これをもっと進めていくと,国際的な研究会を開催することもできる。  そうすれば旅費を費やして外国に行かなくてもすむようになるだろう。本学では独自のニュースグループ(kasuga)が作られており,学内のコミュニケーションに役立っている。  第3は,匿名ftpという機能である。これはインターネットに接続しているコンピュータに貯蔵されているファイルを相互に転送できるというものである。ftpとはFile Trans fer Protocolの略である。匿名(anonymous)というのは,当該のコンピュータのID(登録番号)を持たなくても欲しいファイルにアクセスできるところから来た機能である。anonymousという合図でコンピュータに入り,必要なファイルを自分のコンピュータに持ってくることができる。ただ,自分が欲しいファイルが,6万もあるコンピュータのどこにあるか分からないので,それを探してくれる機能が別に用意されている。どこにどんなファイルがあるかを登録してあるアーキーサーバーというものが世界に何カ所か設置されていて,そこに自分の欲しいファイルの所在を問い合わせる。例えば,braille(点字)という名前の付いたディレクトリかファイルがどこにあるかを問い合わせると,所持しているコンピュータの名前とあり場所を教えてくれる。これらのファイルは,研究文献,報告などテキスト形式の場合もあるし,ソフトウェアなどのバイナリー形式や,写真などの画像形式の場合もある。この機能が発達したものが,gopherとか,WAIS,WWWなどである。  インターネットの第4の機能は離れたところのコンピュータにアクセスする,remote loginサービスである。この場合は,自分が使いたいコンピュータのユーザIDをもらっておく必要がある。著者は前述したように筑波大学のコンピュータのデータベースを利用しているので,筑波大学のIDを持っている。また,学会の発表論文集のデータベースも利用したので学術情報センターのユーザIDも持っている。離れたコンピュータを利用して数値計算をしたい場合も同じである。匿名ftpも遠隔地のコンピュータにアクセスするのだが,操作手順は比較的標準化されている。しかし,remote loginではアクセスしているコンピュータの独自な操作法に従わねばならないことが多いようである。 4.おわりに  internetという言葉はネットワークとネットワークを結んで情報をやりとりする意味で使われていたが,世界中のネットワークが相互に結合するに及んで,その全体概念をthe Internetと呼ぶようになった。インターネットの利用形態は実にさまざまであるが,ひとつ言えることは情報が国際的に交換される点であろう。したがって,そこで使用される言語は英語であることを無視できない。あふれる英語の情報をすばやく検索し,評価し,取り入れ,活用するためには英語を速く読めなくてはならない。英語の文献を日本語に翻訳していたのではとても間に合わないのである。また,情報を交換するためには,正しい英語を速く書くことができなければならない。文科系の教育研究領域では,ともすれば国内の問題解決のための研究活動に陥りやすく,その成果を人類共通の財産にするという態度が欠けていたのではないかと思う。このような観点から,我国の大学や大学院教育で英語による情報をどうやって取り入れ,活用していくかの方法の指導や資質の養成が急務となってくるだろう。 引用文献 1)Breivik, P.S., and Jones, D.L.(1993)Information literacy: libral education for the information age. Leberal education, 79(1), 24-29. 2)Burton, P.F.(1994)Electronic mail as an academic discussion forum. J. Documentation, 2,June, 99-110. 3)Fraase, M.(1993)The Mac Internet guide: Cruising the Internet the easy way. Ventana Press. 4)Heslop, B., & Angell D,(1994)The instant Internet guide. Addison-Wesley. 5)樫山 欽四郎(1960), 「哲学叙説」,世界書院. 6)Keegan, B, and Westerberg, T(1991)Restructuring and the school library: partners in an information age. NASSP Bulletin, May, 9-14. 7)Poling,D.J.(1994)Email as an effectiv teaching supplement. Educational Technology, 34(5), 53-55. 8)Random Access(1994) EMail pros and cons. JVIB News Service, 88(6), 13.