視・聴覚障害学生の心の健康について(1) 市川 忠彦 石川 知子 吉田 次男* 石原 保志** 堀 正士*** 筑波技術短期大学 保健管理センター *筑波技術短期大学 視覚部 理学療法学科 **筑波技術短期大学 聴覚部 教育方法開発センター ***筑波大学 保健管理センター 要旨:筑波技術短期大学は,視覚障害者および聴覚障害者の高等教育機関として,わが国で初めて設立された国立の3年制大学である。われわれは,障害者である本学学生の精神面の健康状態を把握するために,1992年度から,全学生に大学生健康調査(UNIVERSITY PERSONALITY INVENTRY, 通称UPI)を実施してきた。  今回,第1報としてUPIの概要を紹介すると共に,特に聴覚障害学生の精神医学的諸問題について得られた結果を検討した。今回の我々の研究では,「聴覚障害学生と正常対照群(筑波大学学生)との間でUPI得点の平均値に有意差があり,しかも聴覚障害学生の方が正常対照群に比して精神的健康度が高かった」という所見が得られた。この点については,ポジティブおよびネガティブ両面の評価が可能と考えられた。まずポジティブには,文字通りに自己について病的に悩むことが少ないことを意味しており,聴覚障害という高度のハンディキャップについての洞察と受容とが獲得され,人生を前向きに生きている姿勢が伺われた。これに対しネガティブには,聴覚障害による感覚遮断が何らかの形で,自己の心身の状態についての気づきを生理学的に障害しているために表面的な健康感が保たれているという可能性も否定できないと思われた。さらには,コミュニケーションの障害のために獲得可能な,情報量が少なく精神発達も健聴者に比べ緩徐であるために,自己の心身の病的な状態や交友関係の不調を悩みとして捉えるに至っていないとも考えられた。 キーワード:UPI,聴覚障害,視覚障害,心の健康 1.はじめに  筑波技術短期大学は,視覚障害者および聴覚障害者の高等教育機関としてわが国で初めて設立された国立の3年制大学である。  視・聴覚障害者の心の問題については,これまで,教育や心理の立場からいろいろな研究がなされてきたが1.8.10.12),精神医学領域での系統的な研究は,筆者らが知る限りまだ見当たらない。  われわれは,1989年度の全入学生を皮切りに,毎年春,大学生健康調査(UNIVERSITY PERSONALITY INVENTRY,通称UPI)2)を実施し,その結果を参考にして個人面接やカウンセリング等を行い,障害をもつ大学生の精神面の健康状態を把握し,心の健康増進をはかってきた3,4)。  本研究では,筑波大学保健管理センターのご協力を頂き両大学のUPIデータの統計学的な比較検討を試みながら,視・聴覚障害学生の精神医学的諸問題について系統的に検討していきたいと考えている。  そこで今回,第1報としてここにその一部を報告すると共に,聴覚障害学生の精神医学的諸問題について若干の考察を加えてみたい。 2.対象と方法  筑波技術短期大学の視覚障害関係学科は鍼灸学科,理学療法学科,情報処理学科の3学科からなり,3学科合計の入学定員は40人となっている。聴覚障害関係学科はデザイン学科,機械工学科,建築工学科,電子情報学科の4学科からなり,4学科合計の入学定員は50人である(表1)。 (1)対象  さて,今回の報告の対象になった学生は,1993年度入学生である。UPI実施にあたっては新入生オリエンテーション時にUPIテストの意義を十分に説明し,全員の同意を得たうえで施行した。 (視覚障害学生群)  視覚障害学生は,35人のうち20才以上の学生を除く30人で,内訳は18才男子14人,18才女子11人,19才男子2人,19才女子3人である(表2)。正常対照群として,同じく筑波大学学生のうちから年齢,性別構成を同じくする30人を無作為に選んだ。 (聴覚障害学生群)  聴覚障害学生は,50人のうち20才以上の学生を除く46人で,内訳は18才男子30人,18才女子9人,19才男子4人,19才女子3人である(表3)。正常対照群として,筑波大学学生のうちから年齢,性別構成を同じくする46人を無作為に選んだ。 (2)方法  UPIは,約20年前に考案された大学生の健康面をチェックする,質問形式のテストである5,7,9)。テストは質問用紙と解答用紙の2枚からなっている。健康質問表(図1)と題する質問用紙は,1から60までの番号を付した60個の簡単な設問が記載されてる。例えば,第1間は食欲がない,第10問は人に会いたくない,第25問は死にたくなる,第26問は何事も生き生きと感じられない,第60問は気持ちが傷つけられやすいといった内容である。  今回は統計学的検討の対象にはしなかったが,本学ではUPIにおける通常の60個の設問項目に加えて独自の5項目を追加しているほか,相談希望の有無についても答えてもらうことにしており,「有り」と答えた場合は,相談希望の項目を選択してもらい,それについての面接を実施している。  次に実際の解答例(図2)を示す。自分の心身の状態が各設問にあてはまれば,解答用紙の同一番号のついた○を黒く塗りつぶし,当てはまらなければ×と書く簡単なものであり,通常では15分以内に終了する。各設問項目で,黒丸は1点,×は0点として1番目の設問から60番目の設問までの合計点をUPI得点とした。UPI得点が低いほど精神的な健康度が高いことを示す。  ただし,「第5問いつも体の調子がよい,第20問いつも活動的である,第35問気分が明るい,第50問とくに他人に好かれる」の4項目については,逆に●を0点,×を1点とした。  この解答例では,3番,12番,15番,22番,23番,26番,28番,36番,42番,61番の合計10個の設問に対し○が黒く塗りつぶされている。この例では61番をのぞいた9個の●を数え,UPI得点は9点となる。  また本学では,視覚障害学生のうち全盲者や高度の視力障害者に対しては点字版も用意されている。  各学生の合計点をもとに統計学的処理を行い,聴覚障害学生群と正常対照群の間の平均値における有意差,視覚障害学生群と正常対照群の間の平均値における有意差の検定を行った。検定にはStudent's T test, Cochran Cox testを用いた。 表1 表2視覚障害学生群 表3聴覚障害学生群 図1 図2実際の解答例 3.結果  視覚障害学生群の平均値は11.77,正常対照群の平均値は13.53で視覚障害学生群の方が低かったが,これらの平均値の間には有意差は認められなかった(表4)。  一方,聴覚障害学生群のUPI得点の平均値は11.80,正常対照群の平均値は16.43で聴覚障害学生群の方が低く,危険率0.01でこれらの平均値の間には有意差があった(表5)。 表4UPI得点 表5UPI得点 4.考察  さて今回の検討では,視覚障害学生群と正常対照群とでUPI得点に有意差が出なかったが,傾向としては視覚障害学生群の平均値11.77が聴覚障害学生群の平均値11.80に近く,正常対照群の数を増やした場合に有意差が出てくる可能性もあると考えられる。また視覚障害学生群に対する正常対照群と聴覚障害学生群に対する正常対照群のUPI得点の平均値はそれぞれ13.53と16.43であり2.9の差があったが,統計学的な有意差はなかった。しかし聴覚障害学生と筑波大学学生との間でUPI得点の平均値に有意差があり,しかも聴覚障害学生の方が正常対照群に比して精神的な健康度が高かった点が一つの特徴である。  本学には,視覚障害関係学科と聴覚障害関係学科のふたつの部門があり,それぞれの部門で,視覚障害をもつ学生と聴覚障害をもつ学生が学んでいる。これらの障害は,一般には,「視・聴覚障害」という言葉で総称されることが多いが,感覚機能の障害という点では共通していても,両者は本質的には異質なものであり,視覚障害者と聴覚障害者の世界はおのずと異なった様相を呈すると言えよう。今回のわれわれの報告では,第1報として,特に聴覚障害学生の精神医学的諸問題を中心に考察を加えてみたい。  人間は,感覚器を通じて受け取る様々な情報を糧にして,自己の内的世界を築いていくわけであるが,Myklebust8)は,聴覚障害の特性を考えるうえで特にこの点を重視している。すなわち聴覚障害者は,外界から得られる情報があまりに少ないために,経験が乏しく,五感全体によってなされる統合性と機能に狂いが生じてくるとし,その特性を感覚遮断のひとつとして捉えている。こうした経験の乏しさによってもたらされる聴覚障害者の知覚や思考が変容した基盤の上に形成され,全く新しい歪んだ形になることは容易に想像される。このようにして形成された聴覚障害者の人格特性は,心理テストを通じても特徴づけられており,人格成熟の遅れ,計画性と秩序立てていく力の欠如,思考の柔軟性の乏しさ,感情のコントロールの欠如などが指摘されている1,11)。  このほか,劣等感や抑うつ気分,対人恐怖症的傾向に見舞われることもしばしばで,加我6)は,聴覚障害者の心理を次のように描き出している。  「聴こえが悪いので,いつ話しかけられるか心配で,対人関係が臆病になる。相手の言ったことを聞き返してしまうので申し訳なく感じ,できるだけ悪い印象を与えないように態度に注意して,微笑を絶やさないようにしている。しかし,どうしても聞き返してしまうので,できるだけ人と会うことは避けたい。このため友人が減り,対人恐怖症にまでなることがある。病気によって聞こえなくなったのであり,自分が悪いわけでないのに被害者意識を抱いてしまう。」  しかし,一方では,人生への前向きの姿勢が見られることもまた事実である。彼らは仕事への強い意欲を持ち,健聴者との交流を強く望んでいる。コミュニケーションに大きな障壁があるにもかかわらず,その困難に打ち勝っていこうとする彼らの人生への積極性を見逃がしてはならない。  このようにみてくると,聴覚障害者の心理には,ネガティブな面とポジティブな面の,両面が存在すると言える。  今回の我々の研究では,主観的な自己評価テストの結果として,「聴覚障害学生の精神的健康度が,正常対象群に比してより高い」という所見が得られたが,この所見を従来の知見を踏まえて考えてみると,ポジティブおよびネガティブ両面の評価が可能と思われる。まずポジティブには,文字通りに自己について病的に悩むことが少ないことを意味しており,聴覚障害という高度のハンディキャップについての洞察と受容とが獲得され,人生を前向きに生きている姿勢が伺われる。これに対しネガティブには,聴覚障害による感覚遮断が何らかの形で,自己の心身の状態についての気づきを生理学的に障害しているために表面的な健康感が保たれているという可能性も否定できない。これは,心身症の発症仮説であるアレキシシミアとも共通のメカニズムと言うことができるかも知れない。さらには,コミュニケーションの障害のために獲得可能な情報量が少なく精神発達も健聴者に比べ緩徐であるために,自己の心身の病的な状態や交友関係の不調を悩みとして捉えるに至っていないとも考えられる。  今後の研究では,統計学的処理の観点を変えたり,視覚障害学生に重点を置いた検討を試みながらこの問題を更に深く検討して行きたいと考えている。 5.まとめ  筑波技術短期大学に在学する聴覚障害学生46人,視覚障害学生30人にUPIテストを実施し,正常対照群(筑波大学学生)と統計学的な比較検討を試みた。その結果,聴覚障害学生と正常対照群の間でUPI得点の平均値に有意差があり,しかも,聴覚障害学生の方が正常対照群に比して精神的な健康度が高かった点が一つの特徴であった。この点について,精神医学的に若干の考察を加えた。 参考文献 1)Cole, S. Hand Edelmann, R.J.: Identity patterns and self-and teacher-perceptions of problems for deaf adolescents: A Research Note Journal of Child Psychol Psychiat 32: 1159-1165, 1991. 2)平山 皓,岡庭 武,沢崎 俊之:UPIの有効性の検討.第25回保健管理研究集会報告書,241-244,1987. 3)市川 忠彦,石川 知子,友部 久美子,平田 三代子:視・聴覚障害学生の精神的健康管理の試み.筑波技術短期大学テクノレポート(1),32-34,1994. 4)石川 知子,市川 忠彦,吉田 次男,石原 保志:視・聴覚障害をもつ大学生の健康管理をめぐって.聴覚障害,49,25-30,1994. 5)磯田 雄二郎:UPIを利用しての精神科的スクリーニング.第26回保健管理研究集会報告書,226-227, 1988. 6)加我 君孝:耳鼻咽喉科と患者の心理.東京,金原出版,47-60,1991. 7)小谷野 柳子:1977年から10年間のUPI得点の変遷に就いて.第12回大学精神衛生研究会報告書,145-151,1991. 8)Myklebust: The psychology of deafness, Gruneand Stratton, New York, 57-222, 1964. 9)小片 富美子,花岡 佐知子,細野 麗,高橋 文子,高橋 豊江,徳原 きえ美,向山 幸子,西沢 かのえ,野溝 孝平:新入生の身体的訴えについて-UPIにおける精神的訴えとの関連について-.第24回保健管理研究集会報告書,100,1986. 10)岡田 明:聴覚障害児の心理と教育.東京,学芸図書,122-170,1981. 11)住 宏平:難聴児の精神特性.日耳鼻,補5,97-106, 1969. 12)Vernon, M and Andrewaws, J. F.: The psychology of deafness. Longman, New York, 119-199,1990.