聴覚障害学生の心理的発達と経験とのかかわり 聴覚部一般教育等 根本 匡文 教育方法開発センター 石原 保志 学長 小畑 修一 要旨:本学聴覚部1年生42名が書いた「自分史」の記述内容を資料として,聴覚障害学生の心理的発達と経験とのかかわりの状況を検討した。彼らは,成長の過程で影響を受けた要因として,幼稚園段階での言葉に関する学習,小学校段階での健聴児との交流,中学校段階での部活動や健聴生徒との関係,高等学校段階での友人との人間関係,進路選択等をあげている。我々は,彼らの実際の体験から得られた知見をもとにして,これから育つ聴覚障害児のための有効な手だてを考えていく必要がある。 キーワード:聴覚障害学生 心理的発達 自分史 1.研究の目的  聴覚障害者の社会自立を考える時,自らの障害を自覚し,様々な葛藤や挫折を体験し,克服するまでの心理的過程が状況を左右する重要な要因となる。現に聴覚障害児を育てる立場にある親や教育機関は,その発達過程を事前に予測し,対策を講じることによって,自立を目指す彼らの努力を有効に援助することができる。  そのための手だての一つとして,すでに青年期の後半に位置し,成人社会に入る前の段階にある聴覚障害学生から資料を収集し,その内容を分析することを通して,聴覚障害児の心理的発達と経験とのかかわりを考察することとした。  以下にその概要を報告したい。 2.研究の方法  資料の収集は,筑波技術短期大学の1年生を対象として行っている「聴覚障害学」の授業の中で実施した。この授業では,聴覚障害者の教育,福祉,就労の実態,聴能,言語・コミュニケーション等の諸問題と共に,心理的発達にかかわる内容が扱われている。  聴覚障害者の心理的発達に関する学習の流れは,2つの活動から構成されている。まず,これまでに発表された聴覚障害者の体験記4編(藤田 和加:「障害の克服―私の場合」,猪塚 栄也:「私の体験記-小学校から教育実習まで」,清川 一史:「もっともっと個性ゆたかに」,土谷 道子:「はばまれた自立への道」)を読み,それらを素材にした討論を行った後,「私の履歴書(自分史)」という表題で,自分の成長,心理的発達に影響を及ぼした自らの体験を記述することを求めた。  記述を容易にするため,用紙には「略歴」「主な出来事」「心理的影響」を区分けして書けるような枠を設けたが,それ以外はできるだけ自由に書くように指示した。この「自分史」として学生によって書かれた内容が,今回の研究の素材である。  記載された内容を発達段階及び教育を受けた場ごとに整理し,そこに見られる特徴を分析した。  対象者は,平成5年度に筑波技術短期大学1年次に在籍した聴覚障害学生42名(年齢18~20歳・聴力レベル81-125dB・中途失聴の者を除く)である。 3.「自分史」の記述内容の概要  学生が書いた自分史はA3版の用紙1~数枚の長さで,内容も多岐にわたっている。それらの記述内容を要約すると,次頁の表のようになる。ここでは,特徴的な事項を取り上げ,考察してみたい。 (1)幼稚園段階 ①聾学校幼稚部32名  全体の3/4にあたる24名が,この時期の言葉,発音練習,聴能訓練,絵日記等の学習についての経験を述べている。  それらの学習は,主に母親によって,無理やりに,強制的になされたものであり,つらく,厳しい,強引なものであったが,今振り返ってみると,コミュニケーションの力や忍耐力がつき,現在の生活に役立ち母親に感謝していて,良かったと思っている,というのが全体のおよその認識である。  この時期の言葉に関する指導の必要性や母親の努力は多くの者が肯定しているが,その方法については必ずしも幼児にとって楽しく受け入れられるものになってはおらず,考慮の余地が十分にあろう。  聾学校幼稚部への通学と並行して,幼稚園や保育所に通った経験を述べた者が5名いた。その評価は,楽しい生活を送れたとする者と,コミュニケーションの難しさが分かったとする者に分かれている。 ②難聴児通園施設・病院の言語教室4名  幼稚園・保育所6名(うち2名は短期間聾学校幼稚部)  このうちの4名は言葉の学習について①と同じ趣旨の経験をあげ,6名は幼稚園での生活と健聴児との交流の状況について記述している。性格が開放的になった,協調性が養われた等,その評価はおおむね肯定的である。 (2)小学校段階 ①聾学校小学部13名  ここで多くの者が述べている事項は,スイミングスクール,ボーイスカウト,塾がよい等の活動や,近所の友人とのふれあいを通した健聴児との経験についてである。それに対する評価は,よく遊び交流を楽しんだとするものと,けんかが多く,友人ができず,憂鬱だったとする者に分かれている。  親は,子どもの経験の範囲が聾学校の中だけにとどまらないように,健聴児と触れ合う場を積極的に考えており,学校も交流学習の機会を用意している。健聴児と経験を共にする中で,自らの障害を自覚することが多い。  この他,担任の教師によく教えられ,育てられた,教え方がうまくて意欲が出た,親に厳しく,愛情深く育てられた等,教師や親に対するする感謝の気持ちも示されている。 ②小学校普通学級17名  彼らの記述の中では,①の場合と同じように,サッカー,柔道,水泳等の活動が述べられている。ただ①と違って,熱中し,自信を持ち,好成績をあげたというプラスの評価が目立っている。  このグループの特徴的な事柄は,健聴児との間で,いじめに合った,仲間外れにされた,けんかが多かった等のトラブルが8名に記述されていることである。小学生の段階では,聴覚障害児に対する健聴児の理解は必ずしも十分でなく,良好な関係を作り得ないという状況がしばしば起きるということになろう。  指導を受けた教師に対しては,励ましやアドバイスを受けたり,学級会で障害のことを取り上げてくれた等,好意的な評価が示されている。 ③小学校難聴学級8名 ②と同じように,いじめについての記述がみられる他,勉強に少しずつ興味を持ち始めた,耳が聞こえないことを自覚し始めたといった多岐にわたる内容が示されている。 ④聾学校から小学校に転校した者4名  その内3名がいじめの問題を取り上げている。具体的には,いじめに遭い,健聴者との違いを知らされた,仲間外れにされ,傷ついた,ひどいいじめに遭い,忍耐力がついた等の記載があり,このことが大きな位置を占めていることが伺われる。 (3)中学校段階 ①聾学校中学部13名  最も多い記述は,運動を中心とした部活動に関するものである。特に,健聴者と試合をする経験を通して自信を持つようになり,良い体験をしたとの評価が目立っている。 ②中学校普通学級23名  彼らの記述の中で最も多い項目は,周囲の健聴の生徒とのかかわり方に関するものであり,記述全体の中でほぼ半分に達している。その内容を見ると,半数は小学校普通学級で過ごした者と同じように,いじめや嫌がらせを受け,良くない人間関係を経験しているが,半数は親友ができ,楽しい生活ができたとする良い方向での評価を示している。小学校段階と違って,聴覚障害生徒と,周囲の健聴生徒の双方に,成長と理解の深まりが多少なりとも認められる。  このほか,運動部を中心とした部活動でのがんばりと,高校入試に関する記述が多く見受けられる。 ③中学校難聴学級6名  サッカー,バスケット,柔道,剣道の部活動に関する体験を記した者が4名おり,自信がつき,精神的に強くなったと述べている。人間関係については,トラブルやいじめ等は示されていない。 (4)高等学校段階 ①聾学校高等部17名  聾学校中学部在籍者と同じように,部活動に関する記述が多く,健聴者との試合で成果をあげ,自信を持った,陸上部の活動を通して健聴者の友人ができた,卓球の県大会でベスト8になり闘志を燃やした,といった例がみられる。  このほか,健聴,聴障の友人とのふれあいの中で自分の成長が見られた,自分を聾者と認めるようになった等の,人間関係や障害の受容に関する記述や,寄宿舎での経験が示されている。  このグループの特徴的な内容として,進路に関することがあげられる。筑波技術短期大学への志望を決め,努力を重ね,合格したうれしさを述べた者が12名に達しており,進路選択と受験がこの時期に大きな位置を占めていることがわかる。 ②普通高校24名  ここでの最も多い記述は,周囲の健聴者や友人との人間関係に関するものである。内容を見ると,親友ができた,良い人生経験ができたといったプラスの経験をした者と,コミュニケーションがうまくいかずストレスがたまる,積極的になれずほとんど孤立する,といったつらい体験をした者に二分されている。  次に目立つ記述は,進路の選択,大学進学に関するものである。筑波技術短期大学に入るに至った経過について,聞こえない世界に入るために,デザインを勉強するために,志望校が不合格になったので,等の理由が述べられている。  また,部活動での楽しかった経験,授業の際の教員の配慮等も取り上げられている。 ③高等学校から聾学校に移った者1名 4.考察  聴覚障害学生は,幼稚園段階で彼らの心理的発達に影響を及ぼした経験として,教育の場のいかんにかかわらず,言葉に関して親から受けたさまざまな働きかけをあげている。本来ならば,この時期の親の養育態度,家族や親戚の人々とのふれ合い,家庭における生活経験等が,その後の心理的発達に大きく影響すると思われる。  単に言葉の問題だけでなく,親が子供の障害をどのように受けとめ,生活全体をいかに構成していくかということが重要になる。しかし当然のことながら,これらに関する経験は,学生には記憶としては残っていない。学生の意識の中には「言葉」が大きな位置を占めているが,数多く存在したであろうそれ以外の要因については,「自分史」からその内容をつかむことは困難である。  自己の経験についての記憶が鮮明になる小学校段階以上では,健聴児とのかかわりを通して得られた体験が強く意識されている。普通小・中・高等学校で健聴児と共に学んだ学生は当然のことであるが,聾学校に在籍した者であっても,親がスポーツクラブや塾通いの形で健聴児と触れ合う機会を積極的に作っている場合が多く,また,中学部や高等部では,主としてスポーツの部活動を通して,対等に競い合う機会を得ている者が多い。  聾学校の児童生徒は,これらの健聴児とのかかわりの中で,自己の障害を自覚し,その上で,共に活動していくための自信を身につける機会となっている。聾学校内部での人間関係は安定しており,その上で外部から多様な刺激を受けることは,彼らの成長のために必要なことである。聾学校は,親の協力も得て,聴覚障害児が健聴児と経験を共有する機会をさらに充実させていくべきであろう。  普通小・中・高等学校で学んだ者の記述をみると,健聴児童生徒との間の経験について,プラスの評価をしている者と,マイナスの評価をしている者が,ほぼ半々に分かれているように見受けられる。周囲の友達が自分に対して理解を示してくれた,有意義な生活ができたとする者については,担任や教科担当の教師の理解ある働きかけが支えになっている。この意味では,インテグレーションをする児童生徒の場合,いかによい教師と出会えるかが,その成果を大きく左右することになる。  一方,うまく人間関係が作れない,いじめに遭う,というような記述が半数程度見られることも事実である。本学に入学してくる学生の場合,それらの厳しい状況に出会っても,それを自分や家族の努力や工夫で乗り切り,いじめを受けたとしても,それで自分に忍耐力がついたのだと前向きの形でとらえようとする姿勢が見られる。  しかし現実には,健聴児の集団の中で孤立し,十分に力が発揮できないままに,不満足な,あるいは深刻な状況に追い込まれている聴覚障害生徒も存在するであろう。それらの生徒を放置するのではなく,どこかの機関できちんとした対応をとる必要があろう。  高等学校段階では,進路選択が重要な課題となる。特に青年期においては,自己の目標がはっきりと意識できた時に,その能力が最大限に発揮される。その意味では,聾学校に在籍する生徒にとっては,この筑波技術短期大学がよい意味での目標設定の役割を果たしている。聾学校の子どもたちに目的意識を持たせ,彼らの力を引き出し,レベルアップを図ろうとする意図は,かなりの程度達成されつつあるように思われる。  他方,普通高校や一般大学の受験を経験した学生の場合,志望校から受験を断られたり,特別扱いを受けるといったケースが相変わらず見られ,それらが社会の現実の厳しさや挫折感を味わう機会ともなっている。こうした学生に対しても,本学は受け皿の役割を果たしていく必要がある。 5.おわりに  聴覚に障害を持つに至った子どもが,社会の一員として自立するまでの過程は,主要な生活活動の場である「学校」の種類だけを見ても多様である。さらに,同じような教育歴を持つ子ども同士の間でも,実際に個々の人間が経験する内容は千差万別である。ただ,発達段階ごとに,また学校の種別ごとに検討すると,共通する部分が存在することも確認できる。  我々は,すでに大学生にまで育った聴覚障害学生のこれまでの経験から得られた知見をもとにして,これから育つ子どもたちのために,有益な手だてを考えていく必要があろう。 <付記>  本稿の内容の一部は,日本特殊教育学会第32回大会で発表した。