社会人のスポーツ活動-視覚障害者- 伊藤 忠一 香田 泰子 要旨:国際大会に参加して活躍する視覚障害者を多く出すことが生涯スポーツ振興の目的ではない。住み心地の良い,共生社会で障害者が地域社会の一員として健常者と共にスポーツを楽しむことができるようになることが生活の質の向上につながると思う。解決の一里塚として視覚障害者はスポーツが出来ないという偏見を取り除くために実際の活動を通して示すことが必要である。視覚障害者の競技的スポーツの組織的活動を,学校・施設のスポーツ活動と競技スポーツ団体の関連で考察し,構成員が共通の目標を持つことが組織的活動を継続する要因の一つで有ることを明らかにした。 キーワード:生涯スポーツ 競技スポーツ スポーツ環境 はじめに  生涯スポーツ復興の立場から,文部省体育局では構想(21世紀に向けたスポーツ振興の基本方針)を発表しているが,障害者のスポーツについては特に触れていない。障害者問題については,学校教育を除いて行政的には,厚生省が所管している。健康,体育,スポーツの領域は福祉政策の一環として捉え,保護育成的で鍛えるという観点が希薄で,事業としては行事的な色彩が強く,継続性に欠けている。  パイロットセンターとして障害者スポーツ施設が年々増えて来ているが,障害者が社会スポーツ施設を健常者と共に利用するというノーマライゼーション志向の考えは行政的には実現出来ていない。学校教育の普及,国際障害者年の事業を通じて,スポーツに対する要望も高まって来ている。一方では障害者のスポーツも情報化社会の中で海外の障害者スポーツ事情が紹介され,,パラリンピックをはじめ障害者スポーツの種目別世界大会等への参加を通して,競技的スポーツの流れに触発されて,種目別のスポーツ団体が競技者を中心に結成ざれ全国規模の大会が行われるようになって来ている。  当初はスポーツは危険であるということから(今でもその傾向がないわけではない)避けられていた,競技スポーツ志向の障害者が増えて来ている。  視覚障害者スポーツの振興には盲学校のスポーツ活動を充実させる。リハビリテーション施設のスポーツ活動を充実させる。ことが基本でその延長線上にスポーツ環境の充実があって望ましい発展が期待出来る。スポーツ環境という概念は単にスポーツを行う施設を設置するというだけでなく,視覚障害者が日常の社会生活の中でスポーツを継続していく為に解決しなければならない問題を解決したり,コミュニティの連帯,公共サービス,交通の便利さなどを内容としている。  一朝一夕で解決されるとは思われないが多くの人々特に行政の立場からの対策に負う所が大である。 考察 1,盲学校のスポーツ  盲学校体育は長い歴史を有し,過去も現在もそして将来も視覚障害者スポーツの基礎づくりの大きな責任をもっている。児童生徒の可能性を伸ばす一人一人を大切にする視点を大切にしなければならない。生徒が社会人になった時に積極的にスポーツを生活の中に位置づけていけるだけの見識,技能を体得することが学習の目標にならなければならない。最近は学校教育の中でのクラブ活動が週休2日制の導入,進学などの絡みで制約が多くなっている。盲学校では児童生徒数の減少,障害の重度化がこれに加わり,従来行われてきていた競技会の開催が難しくなってきた地域もある。  戦前盲聾学校が義務教育化される以前には点字毎日が主催する全国大会が行われている。アメリカに留学した中村 京太郎氏が点字毎日の編集長になった時に同地でのスポーツ大会を参考に企画が行われた。当時の教育は職業教育に偏り課外活動発展に限界が見られたからだと推測出来る。  全国盲学生体育大会は大正14年(1925)点字毎日が主体となり,大阪市立盲学校運動場で開催したのが始まりである。昭和3年(1928)全日本盲学校体育連盟を組織して,初代会長に木下 東作博士をむかえた。その後全日本盲学校体育大会と改められた。  全国盲学校野球大会は点字毎日創刊30周年記念事業の一つとして,毎日新聞・全国盲学校体育連盟共催で昭和26年(1951)第一回大会を大阪府立盲学校その他の校内グラウンドで開催したのが始まりである。これらの大会は経費などの都合で中断している。  現在,クラブ活動は制約や困難があっても地区盲学校体育連盟が中心になり大会を行っている。全国盲学校体育連盟再編が関東地区盲学校体育連盟を中心に推進されている。社会人になった生徒がスポーツを継続するか否かは盲学校時代の指導に負うところが大である。最近は新しいスポーツが紹介され行われているので取捨選択も保健体育科教員の肩に懸かっている。未来を見通した指導が求められる。 2,リハビリテーション施設のスポーツ  国立リハビリテーションセンターを中心とした,リハビリテーション施設でも視覚障害者スポーツの実践的研究が組織的に行われている。国立リハビリテーションセンターでは指導者養成も付随して行っている。各都道府県にある,これらの施設を退所した人たちにスポーツ活動を継続して貰うためにもスポーツ環境が必要である。 3,障害者スポーツセンターのスポーツ  障害者スポーツの拠点として障害者スポーツセンターが昭和49年(1974)に大阪市に開設され,実践を踏まえた障害者スポーツの研究,指導法の開発,指導員の養成,出版事業による普及と先行的活動を行なった功績は大きい。事後各地に同様の施設が設置されるようになった。講習会の参加者や利用者が中心になって種目別の同好会が出来,それがクラブになり,身体障害者スポーツ大会の出場者が中心になり種目別競技団体に発展してきている。 4,競技的スポーツの流れ  障害者にスポーツ参加の希望を与えたのは,昭和39年(1964年)東京オリンピック大会の年に開催された東京パラリンピックであり,翌年から開催されるようになった全国身体障害者スポーツ大会である。この大会は国民体育大会の開催県で,行われるようになっている。この大会を通して障害者スポーツは社会の中に浸透している。時期的に見ていくと,昭和56年国際障害者年(1981年)昭和63年ソウルのパラリンピック大会(1988年)が契機になっていることが各競技団体の発足年から推察できる。国際大会に障害種別毎の参加が可能になったことが選手の練習意欲を引き出し,継続させることの刺激になっているのは確かである。  練習した結果を試す機会がないと活動は継続しにくいので,構成するメンバーの共通の目標を持って活動できるような刺激的大会を設定することが振興策のキーポイントである。それを支える基盤を強固なものにする事も不可欠な条件である。国際大会に出場して活躍したいという目標を持てば,練習時間も多くなり,海外遠征費も多くなるので社会的・経済的負担が増大してくる。程度の差はあっても社会人がスポーツ活動を継続しようとすれば,経済的に自立し生活の基盤が確立したときに生活が出来ることが必要である。  情報化社会にあっては,障害者スポーツの活動状況を多くの国民に知って貰うことも自分達の活動が社会的に認められると云う意味で有効な振興策の一つである。マスコミの扱いも障害者スポーツがスポーツ欄で取り扱われていることは稀である。社会面に掲載されることが多い。パラリンピック大会で世界記録で金メダルを得た選手がいても,柔道では金メダルを得た選手がいても知る人は少ない。 5,日本身体障害者スポーツ協会と種目別スポーツ団体  障害スポーツは厚生省の障害者福祉の一環として位置づけられており,競技的スポーツは主たる目的ではないが,大会に参加して勝つことは励みでありグループづくりに効果的である。東京都の場合はスポーツ振興事業の一つとして,都障害者スポーツセンターを窓口に一定の条件を充たしたスポーツ団体を対象に活動助成制度が設けられている。これらの努力によって,競技者が中心になって種目別の団体が結成され活動を行うまでに成長してきた。画期的なことである。その活動はユニークであり,活発である。  日本身体障害者スポーツ協会が種目別団体の連絡調整目的で組織している障害者スポーツ協議会に所属している,視覚障害者の参加できる種目団体は下記の通りである。 <参考資料>視覚障害者関係の競技別スポーツ団体と会員数 1,日本盲人マラソン協会 900 2,日本視覚障害者柔道連盟 200 3,日本視覚ハンデキャップテニス協会 100 4,日本盲人会連合スポーツ連盟協議会 1000(盲人野球,盲人卓球,盲人バレーボール・ゴールポール) 5,日本身体障害者陸上連盟 300 6,日本身体障害者水泳連盟 300 7,日本身体障害者スキー協会 500 8,日本障害者自転車協会 200  上記の団体は,競技別の日本選手権大会などを主催したり,国際大会に参加したり競技力の向上を目指して組織的に活動を展開している。 6,日本盲人会連合スポーツ連盟  日本盲人会連合スポーツ連盟競技会は他の団体と異なった活動を行っているが盲学校スポーツ活動の受け皿として特筆すべき団体である。社会人のスポーツ活動の拠り所になっているからである。視覚障害者特有の種目の盲人野球・盲人バレーボールについて紹介したい。 6-1盲人野球  盲人野球は毎年開催される障害者体育大会の種目として行われている。日盲連という障害者団体の青年部が各都道府県にあり,地区毎に独自の計画で活動している。従来は身障国体盲人野球の地区代表県選抜の予選大会を主管していた。地区予選があり,地区大会で優勝したチームが本大会に参加出来る。盲学校卒業生が中心になりチームを編成している。試合に備えて日曜毎に練習をしたり,交流試合を行っている。長い歴史を持っているので盲学校のクラブ活動を受け皿的役割を果たしている。  関東地区盲人野球は今年から秋にリーグ戦を行うようになった。他の種目の大会に刺激きれて活性化された。 事例1, ア,茨城県立盲学校の野球部OBは,卒業後も野球を継続している。  目標は関東地区の代表として身障者国体に出場することである。  月,2回から月,3回大会近くなると毎週,日曜日に盲学校に集まり練習を行う。  15人ぐらいの人がいる力海回全員集まることがない。経費は必要に応じて徴収している。7年度は県の障害者スポーツ協会から年額10万円の補助があり,参加費とユニフォーム新調に充てた。この秋から関東地区では秋にリーグ戦で試合を行うことが決まったので,年間を通して練習を行うことになった。 イ,東京地区の場合 3つの野球チームがある。 a)ウイング文京盲のOBを中心に地方の盲学校の卒業生も参加  都の障害者スポーツセンター(王子)・八王子盲・三菱ガス化学のグランドを借りて月1,2回練習。大会前は多くなる。5年前結成。20人  経費 月額3000円 都助成金 遠征費等はその都度徴収する。 b)バーフライ 国立リハのOBを中心に文京の卒業生も参加 3年前結成 c)八王子盲OBのチーム 長い歴史を持っている。 ウ,埼玉地区の場合  埼玉盲OBと県内に在職,在住の盲学校OBでチームを編成している。地区予選前は埼玉盲学校で毎週練習する。大会後は毎月2回  経費 年額5000円 埼玉視覚障害者協会補助金 遠征費等は個人負担  今年から秋のリーグ戦が行われるようになった。 6-2盲人バレーボール  盲人バレーボールは盲学校のスポーツとして多くの学校で行われていたが,ルールが全国的に統一されておらず卒業後の活動は行われていなかった。他のスポーツ種目の全国大会が行われるのに触発されて,全国盲人会連合の青年部が中心になり,全国バラバラのルールを統一して4年前から全国大会を行っている。同じ頃,関東地区盲学校の卒業生が社会人盲人バレーボール大会を行うようになった。大会参加のためチーム編成され,練習も定期的に行われている。女子の部も行われるので今まで卒業後はプレーする機会の無かった女子も積極的に練習に参加するようになった。 事例2,社会人盲人バレーボール大会  年に1回関東地区の盲学校の卒業生が自主的に大会を運営している。  経費は大会参加費・都盲協補助金等でまかなっている。 現在 男子8 女子4が登録している。  参加しているチームは必要に応じて会費を徴収して運営している。  大会参加費 ユニフォーム購入に充てている。  練習は日曜日に月1-2回程度。大会近くなると多くなる。出身校で後輩チームとの練習試合が主である。 まとめ  活動の目標を提供する事が振興策の最も有効な対策であるように思う。スポーツを楽しむ,生活内用を豊かにする,健康な生活を送るということは個人の考え方によって方法が異なるので,そのすべてを満たすことは難しい。共通の目標を持つことが出来れば,その実現の過程の中で個人のスポーツ欲求も満たされる。スポーツ活動への参加の機会も多くなる。盲学校で正課体育の他に運動会,校内スポーツ大会,クラブ活動を行う意義もその活動を体験することにより児童生徒が生活の中にスポーツを取り入れることにある。技術短大視覚部のスポーツ活動が非組織的で低調なのは学生がスポーツを行う為の共通の目標が無いことが理由の一つであることが聴覚部との比較から明らかである。社会人の場合も盲人野球のように恒常的に大会が持たれているスポーツは,組織もきちんとして定期的に練習も行われている。最近大会が開催されるようになった盲人バレーボールの場合も組織的活動が行われるようになって来つつある。健常者の場合もママさんバレー大会を行ったことを契機に家庭婦人のスポーツ活動が積極的になった前例もある。スポーツ施設を充実というハードの面もさることながら,活動の目標を与えるソフトの面の充実が振興策として効果があるように思う。  共通して言えることは具体的な活動も目標があるということで,健康づくり,仲間づくりは付随してもたらされる価値であるように思う。  課題としては,これらの組織に所属していない社会人のスポーツ活動をどうするかという生涯スポーツの視点から解決策が残されている。一番大切な課題であるにもかかわらず話し合われることは有っても具体策が示されないままに現在に至っている。 参考文献 水田 賢二 障害者とスポーツの現状療育の窓 94号 全国心身障害児福祉財団 1995.10 伊藤 忠一・香田 泰子 視覚障害者スポーツの動向 第2回スポーツ教育つくば国際研究集会大会号1995・9 盲教育 1-79号 全日本盲学校教育研究会