我が国における聴能の評価 筑波技術短期大学 一般教育等 須藤 正彦 Iはじめに  聴能について論ずる際,各聴覚障害児が保有する聴覚機能の開発や向上,すなわち聴覚による刺激音の聴取機能の向上の成否に焦点が当てられ,その方法論の議論にとどまることが多い。徹底した聴覚活用を主張したアクーペデイックアプローチで知られるポラック(Pollack)は聴能訓練の目的として,コミュニケーション能の向上,言語力の発達,社会性や情緒の適応を挙げ,聴覚が聴覚障害児のパーソナリティーに統合きれることを強調している。これは聴能訓練が,語音(話し言葉や生活・環境音)の聴取機能の向上だけでなく聴覚による(リ)ハビリテーションをつうじて一人一人の人格陶冶を目指すことを示していると思われる。聴能訓練(Auditory Training)から本人の主体的な聴覚活用を掲げた聴覚学習(Auditory Learning)が唱道される今日,ポラックの主張はより多くの示唆を与えるものである。本稿では我が国おける聴能の評価について整理し,筆者の知見を補足したい。 Ⅱ聴能評価の観点  聴覚機能には幾つかの機能が考えられる。音情報を通じて外界の情報や変化を把握する機能,音声言語によるコミュニケーションを支える機能などである。さらに聴覚的情報は心理的安定をもたらすと述べる臨床家たちもいる。  いづれにせよ,聴能活動とは,聴覚障害児・者が語音を聞き取り,その刺激情報に基づいて適切な反応,応答ができるように聴覚を補償し,上記の機能を高めるよう援助する一連の相互交渉といえよう。具体的には最適補聴器の選択やそのフィッティング,日常生活場面における遊びやコミュニケーションを通じて語音への気づきやそれらの情報の意味理解を促進する活動といえる。  従前の聴能訓練は児童の残存聴覚の可能性を追求し,豊かな音の経験をきせたいの一念から音の聴取学習を構造化し,ややもすると要素的な指導,指導者主導型の指導になりがちであったとの指摘がある。今日では聴覚障害児に対して良好なS/N比(話しかける距離や声の大きき,話す速さの配慮)の保証を前提に,聴覚学習の立場に立った指導へと変化すべきである。これは取り立て場面での聴能訓練で学習した聴覚的スキルが,児童の生活場面には般化されにくいという反省に立った指導とも言える。  しかし,聴能訓練の評価や目標設定の根拠となった音の検出,弁別,認識,理解の認知過程(Hirsh)やアーバー(Erber)の聴能の評価マトリックスは現在でも広く使用されている。  我が国で頻用される聴能の検査バッテリを各段階と関連づけて以下に示す。 1)語音リストを用いた評価  補聴器の適応状況,聴覚活用の成果としての聴能の評価に関して我が国で最も一般的に行われていると思われるのは日本聴覚医学会の57式,67式語音聴力検査である。これらは通常,テープに録音された数字や日本語単音節をさまざまな音圧で聞き取り,筆記で回答する平易なものである。しかし,それらは主として成人を対象に開発された検査であり,この問題を解決するために復唱やカードの指さしなどの工夫がなされているが,幼児への適用は困難な場合が少なくない。いずれも語音識別レベルの課題である。  これまでに幾つかの幼児用の語音聴力検査,聴覚障害児用の単語了解度検査やそのリストが提案されてきたが標準化はされていない。なぜならば検査語に用いられる単語リストは幼児にとって親密度が高く,音声学的にバランスがとれていることが望ましいが,これらをすべて満足することがきわめて困難であるためである。しかし,近年これらの課題を解決すべ<中川(1989)が語頭における音韻出現率が一般発話の平均出現率を反映するPB単語リスト(Phonetically Blanced)を試作している。以下にこれまでに報告された幼児,児童用の語音検査リストの一部を挙げる。 表1 絵指示動作による単語了解度検査語 表2 TY89語音検査リスト(成人用検査リストも含む) 2)数唱,親族呼称リスト  1)の語音リスト,特に1音節や2音節単語リストはスピーチのグローバルな識別情報(強弱やイントネーションパタン)が各単語に反映されにくく,その識別は分節的なスペクトル情報に負うため重度の聴覚障害児にとって困難な場合が少なくない。重度の聴覚障害児の聴覚利用とその実際的な聴能の評価は,まずスピーチのプロソデイック(韻律的)な側面の検討であろう。さらに検査音の提示法とその応答様式は幼児の興味や言語力に影響を受けないものでなくてはならない。これらの点で大沼(1994)の数唱リストと親族呼称リストは重度の聴覚障害児に適用できる簡便な評価リストである。 3)音サンプルを用いた評価  補聴開始後の,幼児の補聴効果や聴覚活用の成果を評価するには単語などの語音リストではなく日常生活に現れる環境音等の音サンプルが聴能評価のテストバッテリーとして有効である。筆者は聴能の学習や評価に一般の幼児用に市販されている「この音なあに」というタイトルのCDを音サンプルとして使用している。当該CDには,動物や乗り物など幼児にとって馴染みの深い音のサンプルがおさめられており,それらの音サンプルとそれらに対応した絵カードによるマッチング(クローズド セットで)や音当てゲーム(オープンセットで)は識別レベルの評価をするうえで有効である6サンプル音の使用にあたっては,初期では選択肢の少ないマッチング課題を,聴能の進度に応じてヒントの少ないオープンセットでの課題へとの配慮が必要である。サンプル音のリストを以下に示す。下線の音サンプルは3歳児がほとんど正答した音サンプルで,当該サンプルを主として評価の資料として用いている。 ・動物のなきごえ にわとり,牛,羊,馬,犬,猫,ライオン,象,小鳥,せみ,かえる ・乗り物の音 オートバイ,レーシングカー,パトカー,救急車,消防車,飛行機,ヘリコプター,電車,船,ロケット ・人に関する音 くしゃみ,うがい,口笛,拍手,笑い声,泣き声,怒った声,食べる音 ・自然,環境音 波,風,雷,やまびこ,ガラス,お祭り,踏切,工事現場,お料理,電話,誕生会,掃除機,笛(おまわりさん) ・楽器音 ピアノ,ラッパ,たいこ,ハーモニカ,オリゴール 「この音なあに」アミーワールド1989より 4)観察や質問紙による評価  聴覚障害児の療育機関や聾学校の幼稚部では児童の補聴状況やことばに関する観察記録を両親に求める場合が多い。  これは児童が聴覚的にどのような音に気づいたかということを記録するだけでなく,どのような音環境が当該児にとっての発達の最近接領域であるかを知る重要な資料となるためである。また既知の語音イメージをてがかりとして,気づいた音がどこからでているか,どういうときに同じような音が生起したのかを再認する際にも有益な資料となる。  この他にも家庭(玄関,洗面所,風呂,台所,トイレ等の場所別,食事,遊び等の場面別,テレビの音など音源別の表記),戸外(環境音,動物,乗り物の音など),学校(通学時を含む)での音への気づきや児童の反応を自由記述またはチェックリストに記述することが一般に行われている。  幼児の補聴状態や聴能の評価には観察が有益となるが,聞こえを報告できる児童や成人について,筆者はその補聴状態を知るために以下ような質問項目を作成し,活用している。 音の種類について 1)生活音(洗濯機,チャイム等)がきこえるか 2)自分の声はきこえるか 3)他の人の声はきこえるか 4)電話の声はきこえるか 5)テレビの音は聞こえるか 6)聞き分けが困難なのはどんな音か 聴取条件 1)2,3人の会話でも聞き取れるか 2)雑音があっても聞こえるか 3)バスや電車の中で声が聴こえるか 4)バス中のアナウンスが聴こえるか 5)ききとりにくい場所はどこか 駅,その他 音質について 1)高い音はうるさくないか 2)低い音はうるざ〈ないか 3)男女の声のちがいがわかるか 4)歪む感じはないか 不快な音(例) ドアのしまる音,電話のベル クラクション,トイレの水,風の音,オートバイの音,その他 Ⅲおわりに  乳幼児のはなしことばの理解は,話者のスピーチの内容そのものではなく,話者のリズム,ストレス,イントネーション始まると考えられる。実際に幼児の音声言語の表出面に着目してみるとその発音において各音韻の構音が分化する以前に,すなわち構音がきわめてあいまいな段階でもイントネーションといった超分節的な要素を巧みに模倣し,感情を巧みに表現するようになる。音節の強弱などのリズムパタンは多くの高度難聴児においても理解が可能であり,文字で表記される内容や各音韻の弁別素性を越えた超分節的`情報を理解し,駆使できることは難聴児や幼児のコミュニケーション能を高めることになる。日常的な聴能には言語音と意味が結びつくよう配慮する必要がある。  改めて聴能の目的を考えるならば「イメージ化された音のスケッチを増やし,それらのスケッチを生活行動のなかで生かせられるよう自身のなかに様々なストラテジーを育てること」と筆者は考える。児童は,なぞなぞやしりとりなどのことば遊びやコミュニケーションの楽しさを経験し,相手の要求を顔や様子からも判断するスキルを身につける。こうしてみると聴能とは,語音知覚やコミュニケーション能の向上に始まり,最終的には言語の理解とその機能的な(functional)使用,適切な状況判断ができるよう児童を多角的に援助していくことと考える。評価の各段階とは目標を設定する上で基準とはなるものの,長い道のりの通過点と考えることが第一義ではないだろうか。 参考文献 1)Pollack,:Acoupedics, A Uni-Sensory Approach to Auditory Training, The Volta Review, PP 400-409, 1964 2)Hirsh,I.J.:Auditory Training in Davis, H.(ed), Hearing and Deafness 346, Holt, Reinehalt and Winston, 1970 3)Erber,N.P:An approach to evaluating auditory speech perception ability, The Volta Review, 81,pp17-24, 1979 4)南波 進・宮脇 文雄・中西 靖子:絵指示動作による単語 了解度検査,聴覚言語障害,5,pp 201-207、1976 5)中川 辰雄:聴覚障害児の聴能の評価に関する研究Ⅱ-PB単語リストの試作,国立特殊教育総合研究所研1究紀要、16,117-124.1989 6)大沼 直紀, 岡本 途也:簡易語検査による聴覚障害児の聴能の評価、Audiology Japan, vol 37,pp64-73. 1994 7)須藤 正彦:プログラマブル・カスタム補聴器の試用とその補聴評価,日本特殊教育学会第29回大会発表論文集 pp76-77. 1991