聴覚障害学生の地震時の行動分析-情報障害者のための情報環境の計画視点- 筑波技術短期大学 デザイン学科 森 一彦 筑波技術短期大学 建築工学科 萩田 秋雄 今井 計 要旨:阪神大震災における聴覚障害者の行動を「地震認知」・「状況把握」・「避難行動」の各場面ごとに分析し,その行動と情報環境との関連を明らかにした上で,聴覚障害者にとって必要な情報環境の計画視点を考察した。 キーワード:聴覚障害者,阪神大震災,行動,情報環境 1.はじめに 1.1研究の背景と目的  聴覚障害者が社会的に自立して生活していく上で,地震時等の非常時に人的支援に頼らずに独力で避難可能な環境の整備(文1)は,重要な課題の一つである。特に,情報(聴覚・視覚)障害者は入手できる情報が限定されるため,それに配慮した情報環境の整備が重要となる。  本研究は,地震時における聴覚障害者と情報環境との関わりを認知的アプローチから分析することで行動の特徴を明らかにし,聴覚障害者のための情報環境の計画視点を整理する。具体的には,図1のように地震の発生から避難までの行動を「地震認知」・「状況把握」・「避難行動」の各場面に分け,各々の場面で活用される情報と行動との関係を分析する。 1.2地震時の行動の着目点  地震時には日常的な行動(文2・文3)とは異なる行動が要求され,不安感や混乱,間違い行動など日常では現れない行動が発生する。本研究では,特に以下に示す「情動」・「思考」・「行動」の3項目に整理し,それらの関係を分析する。 ・情動(不安感,恐怖感など):日常と異なる状況で生じる心理状態 ・思考(分からないこと,混乱など):現在置かれている状況や今後の対応など自分の考えが整理されていない状況 ・行動(迷い,間違いなど):実際の行動で後戻りや経路間違いなどの迷い行動 1.3情報環境と情報支援  身の回りの情報環境(文4)は障害に応じて変化し,表1は聴覚障害と視覚障害によってどの様に変化するかを想定したものであり,障害者が自立的に行動できるように,障害内容に応じた情報支援が必要となる。  聴覚障害者は,日常生活の情報環境においての情報支援を受け,情報支援としては,情報機器と情報支援者の2つが想定され,前者は身の回りで生じた聴覚情報を補償する補聴器やテレビ・ラジオ(見えるラジオ)での字幕などがあり,後者は家族による情報支援や近隣ボランティアによる情報支援などが考えられる。  また,聴覚障害者は聴覚に何らかの障害があるため音に関する聴覚情報を十分得ることができないが,補聴器の情報支援などを受けることで,ある程度の聴覚情報を得ることは可能であり,その程度は注1の様に障害内容によって様々で,音の高さ(周波数),大きさ(db)などによって変化する。 1.4調査対象と被害状況  調査対象として,神戸聾学校高等部(18名)の学生の作文を基に行動を分析する。作文は「地震があってから今日までどんなことをしましたか,書きましょう。」 という題の基にかかれた文章であり,本研究では,その中の地震直後の行動に着目し分析する。学生の居住地は,神戸市内および周辺地区に分布しており,地震による住居の被害程度には相違があるが,学生の家族に大きな怪我などの事故は無かった。 図1 地震時の情報環境 表11 情報環境と情報障害者 2.聴覚障害者の行動  地震時の行動として地震発生時から避難までの「地震認知」・「状況把握」・「避難行動」の3つの場面に分け,各場面の行動の認知プロセスを整理し,「どのような情報を得て,どのように思考し,どのように感じて,行動したか」を分析する。ここで,「地震認知」とは,地震発生してから,地震が起こったことを分かるまでの場面であり,「状況把握」とは地震認知してから次の行動に移るために周りの状況を把握するまでの場面であり,「避難行動」とは状況把握した結果を基に,避難などの行動をするまでの場面と定義した。  表2は「地震認知」・「状況把握」・「避難行動」の各場面で生じた主な行動を整理したもので,以下にその概要を述べる。図3は特徴的な認知プロセスの例である。 2.1地震認知の場面の分析  聴覚障害者の多くは,表2の様に地震の揺れで気が付いているが,この他に物が落ちてきて目がさめた人や,家族に起こきれるまで気が付かない人もいた。また認知の内容にも差があり,揺れには気が付いているが,それが地震によるものであることを気が付くには,周りの状況を目で確認してから気が付くケースなどがあり,揺れを感じてから地震だと気が付くまで少しの時間を要している。  「地震認知」の場面では,図3のように「地震の揺れで恐くなる」など情動や「地震が治まるまでじっとしている」の行動があるが,情報入手に関わる健常者の行動との大きな相違はないと思われる。 2.2状況把握の場面の分析  「状況把握」の場面では,表2の様に地震に気が付いてから,まず最初に「家族の状況」を把握し,その次に「家の被害状況」・「近隣の被害状況」の順に地震の状況を把握するケースがほとんどである。また,聴覚障害者が自ら進んで状況把握したケースより,家族が部屋へ来て状況が伝達されるケースが多い。状況把握のための情報は,「家族の状況」は相互に顔を合わせて確認しており,声による呼びかけはなかった。「家の状況」は家族が見回る又は家族に同行して見回ることで把握している。「近隣の状況」は外に出て見回る,近隣の人から情報を聞く,周りの煙・炎を見るなどがあった。  情報入手するには,多くの聴覚障害者が家族からの情報伝達を受けており,テレビの内容についても映像情報のみでは不十分で家族から情報補足を受けている。また,自ら入手した情報には,近隣の見渡しによる火災の状況(炎・煙)やサイレンの音などがある。  聴覚障害者の多くに不安が生じたのはこの「状況把握」の場面であり,真っ暗で状況がつかめず,家族相互の確認や情報提供を受けるまで不安が生じてる。また聴覚障害者の混乱の例として,図4の様に日常はめている補聴器がなく状況に対応できなかっために思考が混乱し,不安が増大したケースがあった。 2.3避難行動の場面の分析  状況把握をした後の避難行動は,表2の様に各被害状況に応じて様々であるが,大きくは住居の外へ避難するケースと一度屋外へ出た後再び住居に戻るケースがあった。本調査では,聴覚障害者が単身で避難するケースはなく,すべて家族と共に行動している。図4の例は,家族に指示きれて屋外にでたケースであり,近隣環境の火事の状況を自分で確認し,安心している。 表2各場面の主な行動 図3地震認知の場面の認知プロセス(例) 図4状況把握の場面の認知プロセス(例) 図5避難行動の場面の認知プロセス(例) 3.まとめ 3.1地震時の情報環境と場面  聴覚障害者の情報入手は,「地震認知」・「状況把握」・「避難行動」の各場面において,家族の情報支援による情報が主要な位置をしめ,聴覚障害者が直接得ている情報は極めて少ない。聴覚障害者が自ら得ることができた情報としては,地震の揺れの他,テレビの映像`情報,近隣環境の見渡し(煙・炎)・サイレンの音などの情報に限られ,「地震認知」以後の「状況把握」・「避難行動」で家族の情報支援に頼らざるを得ない状況となっている。 3.2地震時の不安感と自立的行動  地震時の各場面での混乱や不安などが発生しているのは,家族からの心理的な面も含めた情報支援が無いために発生しており,これは日常生活の中で家族による情報支援が中心で,家族から離れ自立的に情報入手できる情報環境が用意されていない結果であると考えることができる。聴覚障害者の地震時など非常時での自立的行動を促すためには,日常の家族からの情報支援以外に,情報通信機器や近隣環境などにおける情報環境の整備が重要である。 3.3聴覚障害者を考慮した情報環境の計画視点  地震時の行動に影響する情報としては,テレビ・ラジオなどの情報機器が重要な役割としており,次に炎・煙・サイレンの音などの近隣環境の情報が作用している。 特に聴覚障害者が情報器機から情報を入手する場合には,テレビの映像を除き,先に述べた家族による情報支援に頼るケースが多く,逆に近隣環境から入手する場合は,比較的独力で得ていることが特徴的である。聴覚障害者が自立的に行動できるように,情報機器や近隣環境などの情報環境の整備のための視点としては,以下の点が重要であると考えられる。 a)情報機器における聴覚情報の視覚化  特に,地震時で重要な情報源であったテレビ・ラジオの聴覚情報の視覚化は重要であり,日常的にも聴覚障害者が情報を入手できるようにすることで,非常時に自立的行動が促すようにする。 b)近隣の視環境・音環境の計画的整備  特に,「状況把握」において,聴覚障害者が自立的に入手しているサイレンなど聴覚情報や視煙・炎等の視覚的情報は重要な情報であり,非常時に近隣環境の情報が入手できるように,近隣でのサイレン等の音源に関する音環境や公園・空地などの見通しに関する視環境などを計画的に整備する必要がある。 参考文献 1)石部 元雄他:ハンディキャップ教育・福祉事典-自立と生活・福祉・文化(第2巻),福村出版,1994 2)ジーン・レイプ他(佐伯祥訳):状況に埋め込まれた学習,産業図書,1993 3)ジーン・レイプ(武藤隆他訳):日常生活の認知行動,新曜社,1995 4)渡辺 昭彦・森 一彦:案内板・方向版のない情報空間における探索の「場面」の分析と空間評価-建築空間における探索行動の認知心理学的考察その3,日本建築学会計画系論文集,No.478,121-130,1995 5)大沼 直紀:聴覚障害者の聞こえの理解・解説シミュレーションの方法,筑波技術短期大学テクノレポート,vol.2,123-127,1995 注1)聴覚障害の程度は,聴覚情報の種類によって用意があり,これに関して各種の研究報告がなされている。参考図は文献5による。